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シフ/ピアノ・リサイタル(2011年2月15日 東京オペラシティコンサートホール)

アンドラーシュ・シフ ピアノ・リサイタル
2011年2月15日(火)19:00 東京オペラシティコンサートホール(2階R2列52番)
アンドラーシュ・シフ(András Schiff)(piano)

シューベルト・プログラム(Schubert Program)

楽興の時(Moments musicaux) D780、op.94
 ハ長調
 変イ長調
 ヘ短調
 嬰ハ短調
 ヘ短調
 変イ長調

即興曲集(Impromptus) D899、op.90
 ハ短調
 変ホ長調
 変ト長調
 変イ長調

~休憩~

3つの小品(3 Klavierstücke) D946(遺作)
 変ホ短調
 変ホ長調
 ハ長調

即興曲集(Impromptus) D935、op.142
 ヘ短調
 変イ長調
 変ロ長調
 ヘ短調

~アンコール~
シューベルト/ハンガリー風のメロディ D817
シューベルト/グラーツのギャロップ D925

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久しぶりにアンドラーシュ・シフの実演を聴いた。

7時5分に始まったこのコンサート、休憩20分を挟んで終演は9時45分!
ちょっとしたオペラでも見たようなボリューム感である。

シューベルトの有名な小品集を4つまとめたプログラミングは思いのほかボリュームたっぷり。
しかし、最初から最後まで心地良い時間が流れていく。

シフの弾くシューベルトは非常に柔らかく、かつ希望に満ちている。
哀しいメロディーの時でもどこか「大丈夫だよ」と言ってくれているような演奏。
決してとげとげしくはならず、まろやかなタッチで常にカンタービレに溢れている。
時々思わぬ内声をふっと浮かび上がらせて、新鮮な驚きも与えてくれる。
ドラマよりも歌を優先したような演奏は、シューベルトの自在な魂をこころゆくまで飛翔させる。

シフは安定した技巧を維持しつつ、シューベルトの音楽の中の人間的な感情の機微を素晴らしくとらえていたように感じた。

どの曲がどうということを考えるのももったいないぐらい、すべてが幸せな時間だった。
シフとシューベルトに感謝!

なお、このコンサートは、昨年から今年にかけて相次いで亡くなったシフの母親と、奥様(塩川悠子)の母親に捧げられた。

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R.シュトラウス/「サロメ」(2011年2月26日 東京文化会館 大ホール)

リヒャルト・シュトラウス/「サロメ」
オペラ全1幕
字幕付き原語(ドイツ語)上演

オランダ/ネザーランド・オペラ及び
スウェーデン/エーテボリ・オペラとの共同制作
東京二期会オペラ劇場

2011年2月26日(土)14:00 東京文化会館 大ホール(3階R2列30番)

原作:オスカー・ワイルド
ドイツ語台本:ヘドヴィッヒ・ラッハマン
作曲:リヒャルト・シュトラウス

演出:ペーター・コンヴィチュニー

大隅智佳子(サロメ)
片寄純也(ヘロデ)
山下牧子(ヘロディアス)
友清 崇(ヨカナーン)
大川信之(ナラボート)
田村由貴絵(ヘロディアスの小姓)
髙田正人(ユダヤ人1)
菅野 敦(ユダヤ人2)
新津耕平(ユダヤ人3)
加茂下 稔(ユダヤ人4)
畠山 茂(ユダヤ人5)
北川辰彦(ナザレ人1)
櫻井 淳(ナザレ人2)
井上雅人(兵士1)
倉本晋児(兵士2)
千葉裕一(カッパドキア人)

東京都交響楽団
指揮:シュテファン・ゾルテス

舞台美術・衣裳:ヨハネス・ライアカー
照明:マンフレット・フォス
演出助手:ロッテ・デ・ビール、澤田康子、太田麻衣子
       
舞台監督:幸泉浩司
公演監督:多田羅迪夫

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これはすごかった。
「サロメ」のあらすじとコンヴィチュニーの演出についてはあらかじめ予習して出かけたのだが、予想以上の酒池肉林の世界が文化会館のステージの上(密室内のいかがわしいパーティーといった趣)で繰り広げられ、日本人歌手がよくぞここまでとそのプロ意識に拍手を贈りたいと思った。
オペラ歌手はリート歌手とは異なり、役者も兼ねているのだということを改めて気付かせてくれた。

シュトラウス作曲の「サロメ」は1幕からなり、この日は1時間40分ほどだった。
もともとシュトラウスの音楽に若干苦手意識のある私だが、「サロメ」については官能美とドラマ性で抵抗なく聴くことが出来た。

舞台は、外に出られない密室内に登場人物が勢揃いし、最後の晩餐のような長テーブルに一列に座ったり、両脇のソファではサロメが寝転んだり、ナザレ人が薬を打ったりしている。
ヘロデ王は最初のうちテーブルの右脇でヘッドホンをつけて音楽を聴いており、リズムをとって体を動かして周りに一切関心を向けない。
しかし、そのうち「暑い」といって着ていたシャツを破き上半身裸になってふらふら動き回ったり、ドラッグにうつつを抜かしたりする。
また左奥では5人のユダヤ人たちが喧々諤々と論争している。
井戸に監禁されているはずのヨハナーンは頭からすっぽり袋をかぶって長テーブル中央に腰を下ろしている。
袋をかぶったままヘロデやヘロディアスを非難する言葉を吐き続け、それにユダヤ人たちがあざ笑うかのような喝采をあげる。
テーブルクロスの下で情事に耽ったり、ソファで口淫にいそしんだり、男連中で寄ってたかって女性の体を愛撫したり、最初の方で一度殺されたサロメを登場者全員でむしゃむしゃ食したり(その後すぐに生き返るが)、ヘロデ王に銃殺されたナラボートの尻をむき出しにしてユダヤ人たちが次々と輪姦したりといった「常軌を逸したアヴァンギャルドな表現」(二期会のチラシの表現)がてんこ盛りであった。
乱痴気騒ぎとは距離をとり続けていたヨハナーンですら最後の方ではヘロディアスに食われてしまう(ヘロディアスの山下さんの吹っ切れたような熱演!)。

ヘロデ王に所望されて褒美と引き換えに引き受けるサロメの「7つのヴェールの踊り」では、サロメ自身の踊りは最初のわずかな時間だけで、後は上着を登場人物に次々かけて、一人一人踊らせてしまうという魔術師のような役割になっていた。
しかし、ヨハナーンだけはサロメの魔法にかからず踊らないのは象徴的である。

サロメは突然壁にドアを書き、そこから脱出しようと試みる。それを見ていた他の人たちも一斉にドアを書き夢中で外に出ようとするが、誰も出ることは出来ない。閉じられた空間から出られないという諦めが何か社会風刺のように聴衆に訴えかける。

最後にサロメが褒美として望んだヨハナーンの首は一応出てくるものの、今回の演出ではそれはあくまで人形として出てくるだけで、ヨハナーンは首を切られることはなく生きている(シュトラウスの音楽の首を切る音はここでは別の意味を帯びることになるのだろう)。
そして、サロメとヨハナーンは「愛」を知り、閉じられた空間から外に脱出することに成功するのである。

最後の方にテーブルの下から純白の服を着た女の子が飛び出してくる。
これについてもコンヴィチュニーなりの解釈があるのだろうが、サロメの純粋さの象徴ということだろうか。

締めはヘロデ王のセリフ「あの女を殺せ」だが、これを今回は客席から一人の客(サクラだが)が日本語で舞台に向けて発するという方法をとっていた。

歌手ではサロメ役の大隅智佳子のどこまでもよく通る美声と完璧な表現力、そして主役としての演技、ともに魅力的であった。
他の歌手たちも過激な演技をこなしながら、充分満足のいく歌唱だった。

ゾルテス指揮、東京都交響楽団は、丁寧に表情豊かに演奏していて素晴らしかった。

Salome_201102_chirashi_1

内容が内容なだけにチケットを購入するのにためらわれた方も多かったのだろうか。
1階両サイドがほとんど空席だったのには驚いた。
2階席より上はよく入っていたようだが。

今回は音楽以上に演出に意識が向いてしまったが、音楽のみで一度じっくり聴いてみようと思った。

Salome_201102_chirashi_2

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パーペ&ラディケ/リサイタル(2011年2月19日 トッパンホール)

ルネ・パーペ(バス)
2011年2月19日(土)17:00 トッパンホール(B列5番)

ルネ・パーペ(René Pape)(bass)
カミロ・ラディケ(Camillo Radicke)(piano)

シューベルト(Schubert)
音楽に寄す(An die Musik) Op.88-4 D547
笑いと涙(Lachen und Weinen) Op.59-4 D777
夕映えの中で(Im Abendrot) D799
野ばら(Heidenröslein) D257
ミューズの子(Der Musensohn) Op.92-1 D764

シューマン(Schumann)
詩人の恋(Dichterliebe) Op.48

~休憩~

ヴォルフ(Wolf)
ミケランジェロの3つの詩(3 Gedichte von Michelangelo)
 わたしはしばしば思う
 この世に生を享けたものはすべて滅びる
 わたしの魂は感じえようか?

ムソルグスキー(Мусоргский)
死の歌と踊り(Песни и пляски смерти)
 子守歌
 セレナード
 トレパック
 司令官

~アンコール~
R.シュトラウス(Strauss)/献呈(Zueignung) Op.10-1
シューマン(Schumann)/子供のおもり(Kinderwacht) Op.79-21

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バス歌手のルネ・パーペとピアニスト、カミロ・ラディケによる歌曲の夕べを聴いた。
パーペは言うまでもなく世界中のオペラハウスで引く手あまたの人気者だが、今回のようなオーソドックスともいえる歌曲のリサイタルを開くというイメージがなかったので、どんな歌を聞かせてくれるのか期待して出かけた。
そして、聴き終えてみて、彼がオペラだけでなく、歌曲の分野でも疑いなく秀でた歌手であることを確信できたのだった。

前半がシューベルトの歌曲5曲と「詩人の恋」で1時間弱。
休憩をはさんで、まさにバス歌手にうってつけのヴォルフ「ミケランジェロ歌曲集」とムソルクスキーの「死の歌と踊り」。
シューベルトでは事前に予定されていた「プロメテウス」がプログラムから省かれていたのは残念だったが、演奏時間が長くなりすぎることを考慮した判断なのだろう。

パーペの声はどことなくハンス・ホッターを思わせる。
深々としてはいるのだが重くなく、声に聴き手を包み込むような包容力がある。
そしてオペラ歌手らしくちょっとした身振りや表情でも聴衆へのコミュニケーションの手段として有効に使っていた(ただし笑う表情に関してはほとんど見られなかったが)。
器用な巧みさはなく直球勝負ではあるが、それが単調に陥らない。
音程はしっかりしているし、歌声は高声歌手に劣らず引き締まっている。
バス歌手の歌から我々が期待する深みのある声の魅力と、歌曲の聴き手が期待する各作品の魅力を引き出す音楽性をパーペは両立していたように感じた。
彼が声を張ると朗々と響き渡り、多くの聴衆を痺れさせていたにちがいない。
しかしその大きな響きが決してやかましい感じにならないのは素晴らしい。
その一方、弱声で聴き手を酔わすにはもう少し熟成が必要かもしれないという印象は受けた。
一見アジア系の顔立ちだがドイツ人とのこと、そのドイツ語のディクションは実に美しい。
ロシア語に関してはディクションがどうこうということは私には分からないのだが、ムソルクスキーの「死の歌と踊り」のおどろおどろしさを時に猫なで声で、時にドラマティックに表現していて魅力的だった。
シューベルトの真摯な歌唱も、シューマンの直球の歌唱も魅力的だったが、ヴォルフの「ミケランジェロ歌曲集」とムソルクスキーの「死の歌と踊り」がとりわけ彼の声に合っていたこともあり心に響いてきた。

ピアノのカミロ・ラディケはシュライアーの「冬の旅」で聴いて以来久しぶりの実演だが、やはり今回も飛び抜けた感性の豊かさを感じた。
ちょっとした音色の変化やテンポの緩急、あるいは強弱の加減が非常に細やかで、しかも極端に走らない自然さを保っていた。
彼の弾くどの部分にも「歌」があふれていて、ただただ素晴らしいの一言。
パーペと同郷(ドレスデン)とのことだが、パーペの包み込むようなモノクロームの声質にちょうど良い色合いを添えていて、まさに一心同体となっていた。

Pape_20110219_chirashi

会場は満席で、熱心なファンたちでヒートアップしていた。
今後は歌曲においてもますますの活躍を期待したい。

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プレガルディエン&シュタイアー/歌曲(リート)の森(2011年2月17日 トッパンホール)

〈歌曲(リート)の森〉~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第4篇
〈アンドレアス・シュタイアー プロジェクト 6〉
クリストフ・プレガルディエン&アンドレアス・シュタイアー

2011年2月17日(木)19:00 トッパンホール(C列6番)

クリストフ・プレガルディエン(Christoph Prégardien)(テノール)
アンドレアス・シュタイアー(Andreas Staier)(ピアノ)

第1部 シューマンの歌曲を集めて

ロベルト・シューマン(Robert Schumann)

ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの詩による歌曲
 楽しい旅人 Op.77-1
 宝捜しの男 Op.45-1
 春の旅 Op.45-2

5つのリート Op.40
 においすみれ
 母親の夢
 兵士
 楽師
 露見した恋

ハインリヒ・ハイネの詩による歌曲
 2人の擲弾兵 Op.49-1
 海辺の夕暮れ Op.45-3
 憎悪し合う兄弟 Op.49-2

N.レーナウの6つの詩による歌曲集と古いカトリックの詩によるレクイエム Op.90
 鍛冶屋の歌
 ぼくのばら
 出会いと別れ
 牛飼いの娘
 孤独
 ものうい夕暮れ
 レクイエム

~休憩~

第2部 シューベルト ゲーテの詩による歌曲集

フランツ・シューベルト(Franz Schubert)

竪琴弾きの歌 Op.12
 孤独にひたりこんでいるものは D478
 涙を流しながらパンを食べたことのないひとたち D479
 わたしは家の戸口にそっとしのび寄っては D480

5つのリート Op.5より
 トゥーレの王 D367
 恋人のそばに D162
 憩いない愛 D138
 はじめての失恋 D226

3つの歌 Op.19
 ガニュメデス D544
 ミニョンに D161
 御者クロノスに D369

~アンコール~
シューベルト/「白鳥の歌」D957より~漁師の娘
シューマン/「詩人の恋」Op.48より~第1曲〈うるわしい、妙なる5月に〉、第2曲〈ぼくの涙はあふれ出て〉、第3曲〈ばらや、百合や、鳩〉
シューマン/「詩人の恋」より~第15曲〈むかしむかしの童話のなかから〉

※使用楽器:ベーゼンドルファー Model 290 Imperial

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テノールのクリストフ・プレガルディエンと、ピアニストのアンドレアス・シュタイアーによる歌曲の夕べを聴いた。
本来はフォルテピアノが使用される予定だったのだが、この時期特有の乾燥の為、古楽器の調子が思わしくなかったようで、モダンピアノが使用されることになった。
ご丁寧に葉書でその旨連絡をいただいたが、それだけシュタイアーの古楽器演奏目当てで来場する人が多いということなのだろう。
だが、私などはむしろモダンピアノでリートを聴く方に慣れているので、シュタイアーがモダンピアノ(ベーゼンドルファーが使われた)をどのように演奏するのかという興味も含め、歓迎気分であった。

前半はシューマンの歌曲からアイヒェンドルフ、シャミッソー、ハイネ、レーナウによる詩人ごとのグループによる意欲的なプログラミング。
後半はシューベルトの歌曲をゲーテの詩という共通項のもとで集め、出版番号でグループ化した選曲がなされていた。
まさに私のような歌曲好きにとっては垂涎の選曲である。

プレガルディエンは前回来日した際にも感じたが、テノールとはいえ中低音域が充実してきており、時々バリトン歌手を聴いているような錯覚に陥るほど。
一方高音域が若干苦しくなっているのは年齢を考えれば無理もないであろう。
しかし、叙情的な作品であろうとドラマティックな作品であろうと、様式を踏まえつつも自由自在に作品の生命力を表現しているのはやはり凄いリート歌手だなと改めて感じた。
借り物ではなく彼自身ならではの表現をしながら、聴き手はいい作品を聴けたという満足感に浸れるのである。

「竪琴弾きの歌」の全3曲は竪琴弾きの老人が目前で歌い弾いているような深い悲しみが伝わってきて特に素晴らしかった。
「トゥーレの王」では歌、ピアノともに装飾をあちこちに加えてもともとの古色蒼然とした雰囲気をさらに強めていたのが印象的だった。

シュタイアーの演奏を実際に聴くのは今回が初めてだが、指を内側に折り曲げながら弾く弾き方は古楽器の奏法から来ているのだろうか。
ダイナミクスの付け方なども不自然さがなく端正ですらあるのは、プレガルディエンのもう一人の共演者であるゲースとは対照的だが、私としては今回のシュタイアーの方が好みである。
テンポの変化などは畳み掛けるところはかなり大胆に前進するが、それはテキストの進行を反映したものであり、決して作品を歪曲するものではなかった。
時にプレガルディエンの歌唱を引っ張っていく感もあった。
音色はさらさらと軽めに響き、やはり古楽器奏者ならではの端正さが印象的だった(先入観もあるかもしれないが)。
しかしシューマンの作品などではペダルを効果的に使い、シューマネスクな世界を彼なりに表現していたように感じた。
たまに普通の和音をアルペッジョにしてずらして弾いていたのは古楽の経験がそうさせていたのかもしれない。
新鮮でなかなか面白い効果を挙げていた。

Pregardien_staier_20110217_chirashi

面白かったのはアンコール。
2回目に登場した際にプレガルディエン自ら「詩人の恋の最初の3曲」とアナウンスして、連続して3曲が演奏されたのだ。
3回目も「詩人の恋」の中の最後から2番目の曲が演奏されたので、次に終曲を演奏して締めるつもりかなと期待していたら、これでお開きとなってしまった。
全部聴きたければ、20日の横浜公演へどうぞということなのだろうか(遠いので残念ながら横浜公演はパスしてしまった)。

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アーメリングの1982年シューベルト歌曲ライヴ録音(ボールドウィンのピアノ)

某サイトにアーメリングの珍しいライヴ録音がアップされていた。
1982年1月10日、オランダ、ユトレフト(Utrecht)での録音でシューベルトの歌曲4曲である。

 こちら

エリー・アーメリング(Elly Ameling)(soprano)
ドルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)(piano)

シューベルト(Schubert)作曲
1.秘めた愛(Heimliches Lieben)D922(クレンケ詩)
2.はなだいこん(Nachtviolen)D752(マイアホーファー詩) [4分48秒から]
3.月に寄せて(An den Mond)D259(全4節の有節歌曲の第1,2,4節が歌われている)(ゲーテ詩) [8分12秒から]
4.笑ったり泣いたり(Lachen und Weinen)D777(リュッケルト詩) [11分17秒から]

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「はなだいこん」ではアーメリングが歌の入るタイミングを間違える箇所があり、それをボールドウィンがうまくつないでいるのも、ライヴ録音ならではの楽しみである。
「秘めた愛」も「笑ったり泣いたり」もスタジオ録音はあるものの、その時のピアニストはどちらもデームスだったので、ボールドウィンとのコンビによる貴重な音源といえるだろう。
しかし、今回最も興味深いのが、ゲーテの詩による「月に寄せて」である。
実は彼女は1982年に「月に寄せて」の同じテキストによる第2作(D296)をボールドウィンとスタジオ録音しているが、この第1作(D259)は私の知る限りスタジオ録音していないので、今回のライヴ音源を知るまでは彼女のレパートリーに含まれていると思っていなかった。
第1作は原詩の2節分を歌詞の1節にまとめた4節の有節形式で作曲されており(原詩の第5節は省略されている)、ヘルマン・プライのとろけるような甘美な歌が印象的だったが、まさかアーメリングも歌っていたとは・・・。
まぁ最も多く歌ったのがシューベルトだと述懐している彼女のことだから、この曲を歌っていても不思議はないのだが・・・。

今回の4曲、いずれもアーメリングの温かい歌が堪能できるライヴ録音である。

「月に寄せて」より

Füllest wieder Busch und Tal
Still mit Nebelglanz,
Lösest endlich auch einmal
Meine Seele ganz.
 再びおまえが茂みと谷を
 静かに霧のきらめきで満たすとき、
 ようやくおまえは
 私の魂も完全に解き放ってくれる。

Breitest über mein Gefild
Lindernd deinen Blick,
Wie des Freundes Auge mild
Über mein Geschick.
 わが広野の上へ
 心を和らげてくれながらおまえは眼差しを広げていく、
 友の目のように穏やかに、
 わが運命の上へと。

・・・・・・・・・

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シューマン/オペラ《ゲノフェーファ》(2011年2月5日 新国立劇場・中劇場)

東京室内歌劇場42期第129回定期公演
シューマン/オペラ《ゲノフェーファ》日本舞台初演
原語(ドイツ語)上演/字幕付/全4幕

2011年2月5日(土)14:00 新国立劇場・中劇場(1階16列65番)

ペーター・ゲスナー(演出)

前川朋子(ゲノフェーファ)
和田ひでき(ジークフリート)
内山信吾(ゴーロ)
紙谷弘子(マルガレータ)
大澤建(ドラーゴ)
小島聖史(ヒドゥルフス)
大澤恒夫(バルタザール)
岡元敦司(カスパール)
神谷真士(コンラート)

東京室内歌劇場合唱団
東京室内歌劇場管弦楽団
山下一史(指揮)

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珍しいシューマンのオペラ《ゲノフェーファ》を聴いてきた。
原作者としてヘッベルやティークといった名前が見られ、さらに台本もシューマンと共同でライニクが参加している。
なんだか歌曲で御馴染みの名前ばかりなので、いつもより親しみを感じる。

新国立劇場の中劇場ははじめて足を踏み入れたが、客先が放射状に舞台を囲む形をとり、前方のオーケストラピットもあまり深くなく、いつものオペラパレスに比べるとかなりはっきりと舞台が見えた。
16列目というからどれほど後ろかと思っていたら、前方の数列分はオーケストラピットが占めていた為、比較的前方の席だった。

全4幕からなり、2幕ずつをまとめて上演し、その間に1度だけ休憩をはさむ形をとっていた。
私は例によって第1幕の大部分と終幕の後半に睡魔に襲われ、特に終幕はかなり意識が飛んでしまった(最初のうち会場が暑く感じられた)。
せっかく珍しい作品を堪能できる機会だったのにもったいなかったが、半分起きていられただけでも私としては上々だろう(などと満足してしまってはいけないのだが)。

従って、ちゃんとした感想を書ける立場にはないので、起きていた時に聴いた分についてだけだが、シューマンが《ゲノフェーファ》に付けた音楽は私にはとても魅力的に感じた。
もともとシューマンに馴染んでいたということもあるのだろうが、初めて聴くオペラにもかかわらず親しみを感じながら聴いていた。
ロマン派のオペラ失敗者の烙印を押されがちなシューベルトやシューマンはよくドラマティックな展開に乏しいということが言われる。
おそらくその通りなのだろう。
しかし、私にはそれがそれほど欠点には感じられなかったのは、あまり様々なオペラを聴き込んでいない為かもしれない。

演出は合唱団の各人にも細かな演技を加え、そうした群衆が主役を引き立てることにもなったように感じた。
歌手の中ではゴーロ役の内山信吾が良かった。
山下一史指揮東京室内歌劇場管弦楽団も、必ずしも上手ではないらしいシューマンのオーケストラ手法をよく理解して魅力的に演奏していたと思う。
最初のうち不安定感もあったが、すぐに調子を取り戻したように感じた。
この馴染みの薄い作品にこれだけの情熱を注いだ関係各位の尽力には心から拍手を贈りたい。

なお、演奏終了後にロビーで演出のペーター・ゲスナー氏、指揮の山下一史氏、評論家の長木誠司氏がアフタートークを行った。
ゲスナー氏は日本に住んで長いらしく、すべて日本語で話していた。
以下のようなことが話された。

Genoveva_201102_chirashi

今回のオペラ、本来最後は大団円で終わることになっているのだが、そうしなかったという話。
現代はヒーローが出にくい時代なので、シューマン当時よりもさらに共感しやすい内容になっているという話。
シューマンはオケの手法をピアノの発想で作曲した為、思い描いていたイメージと実際に演奏した時の効果が必ずしも一致しないが、それを理解して演奏することが大事という話。
などであった。

ちなみにゲスナー氏は今回がオペラ初演出とのことで、今後もオペラ演出をやってみたいという意欲を述べておられた。

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マーガレット・プライス逝去

イギリスの名ソプラノ、マーガレット・プライス(Margaret Price: 13 April 1941, Blackwood, Wales — 28 January 2011, Moylegrove, Wales)が心不全のため自宅で亡くなったそうだ。
享年69歳。
 情報源はこちら
まだまだ亡くなるような年齢ではないのに残念である。

彼女はオペラを中心に活動していた印象があるが、歌曲の録音やリサイタルもしばしば行っていた。
私はとうとう彼女の実演に接する機会を逸してしまったが、最初に聴いたサヴァリッシュとのシューベルト歌曲集録音(ORFEOレーベル)の印象が強い。
あくまで流麗にメロディーの流れに沿って歌われた彼女のシューベルトは一つの理想と言ってもいいものだろう。
声は蒸留水のように透明で耳に心地よく響く。
しかし、同じ透明さでもアーメリングやオジェーの声とはまた異なった質を持ち、パワーも感じられた。

彼女が歌曲を歌う時の共演者は、グレアム・ジョンソン、トマス・デューイ、ジェイムズ・ロッカート、ジェフリー・パーソンズ、シプリアン・カツァリス、ヴォルフガング・サヴァリシュ、ノーマン・シェトラーなどだった。

彼女の録音を調べてみると、「冬の旅」がリリースされていたことに驚いた。
ソプラノの彼女も歌っていたのである(ピアノはトマス・デューイ)。
某サイトの中古CDが手頃な価格になったら是非入手して聞いてみたいものである。

数年前に復刻されたWigmore Hallでのライヴ録音をご紹介して彼女を偲びたいと思う。
リート歌手としての幅の広さが伝わってくるプログラミングである。

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Songs by Schubert, Mahler and R.Strauss(シューベルト、マーラー、R.シュトラウス歌曲集)

Dame Margaret Price(マーガレット・プライス)(soprano)
Geoffrey Parsons(ジェフリー・パーソンズ)(piano)

WIGMORE HALL LIVE: WHLIVE0008
録音: 1987年12月8日, Wigmore Hall, London

Schubert(シューベルト)作曲
Du bist die Ruh(あなたは憩い), D776
Die Forelle(ます), D550
Der blinde Knabe(盲目の少年), D833
Liebhaber in allen Gestalten(あらゆる姿になる恋人), D558
Der König in Thule(トゥーレの王), D367
Gretchen am Spinnrade(糸を紡ぐグレートヒェン), D118

Mahler(マーラー)作曲
Rheinlegendchen(ラインの伝説)
Wer hat dies' Liedlein erdacht?(誰がこの歌をつくったの)
Wo die schönen Trompeten blasen(美しいトランペットが鳴り響くところ)
Das irdische Leben(浮世の暮らし)

R.Strauss(シュトラウス)作曲
Heimliche Aufforderung(ひそやかな誘い), Op. 27 No. 3
Freundliche Vision(親しき幻影), Op. 48 No. 1
Ruhe, meine Seele!(憩え、わが魂), Op. 27 No. 1
Du meines Herzens Krönelein(私の心の王冠であるあなた), Op. 21 No. 2
Seitdem dein Aug' in meines schaute(あなたの眼差しが私を見た時から), Op. 17 No. 1
Cäcilie(ツェツィーリエ), Op. 27 No. 2
Morgen(明日), Op. 27 No. 4
Zueignung(献身), Op. 10 No. 1

以下のサイトで一部ずつですが試聴できます(各曲左端の三角マークをクリック)。
 こちら

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