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山崎法子&梅本実/ソプラノ・リサイタル(2010年11月21日 東京文化会館 小ホール)

Yamazaki_umemoto_20101121

演連コンサート225
山崎法子ソプラノ・リサイタル
2010年11月21日(日)14:00 東京文化会館 小ホール

山崎法子(Noriko YAMAZAKI)(Soprano)
梅本実(Minoru UMEMOTO)(Piano)

シューベルト(Franz Schubert)

神は春に(Gott im Frühling)D448
少女(Das Mädchen)D652
ばら(Die Rose)D745
ガニュメート(Ganymed)D544

R.シュトラウス(Richard Strauss)

《乙女の花(Mädchenblumen)》op.22
 矢車菊(Kornblumen)
 けしの花(Mohnblumen)
 きづた(Epheu)
 睡蓮(Wasserrose)

いつもおんなじ(Einerlei)op.69-3
私の想いのすべて(All mein Gedanken)op.21-1
悪いお天気(Schlechtes Wetter)op.69-5

~休憩~

ヴォルフ(Hugo Wolf)

ゲーテ『ファウスト』から"悲しみの聖母像に祈るグレートヒェン(Gretchen vor dem Andachtsbild der Mater Dolorosa)"

《メーリケの詩による歌曲(Gedichte von Eduard Mörike)》より
 飽くことなき恋(Nimmersatte Liebe)
 少年とみつばち(Der Knabe und das Immlein)
 考えてもみよ、ああ心よ(Denk' es, o Seele!)
 捨てられた女中(Das verlassene Mägdlein)
 春なんだ(Er ist's)

《ゲーテ詩集による歌曲(Gedichte von Johann Wolfgang von Goethe)》より
 お澄まし娘(Die Spröde)
 恋に目覚めた娘(Die Bekehrte)
 フィリーネ(Philine)
 あなたの愛の中で(Hoch beglückt in deiner Liebe)

~アンコール~
ヴォルフ/ねずみとりのおまじない(Mausfallen-Sprüchlein)
R.シュトラウス/言いました-それだけでは済みません(Hat gesagt ‑ bleibt's nicht dabei)op.36-3

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上野でフーゴー・ヴォルフの歌曲を含むコンサートがあると知り、出かけてきた。
今年が生誕150年目のアニヴァーサリーイヤーであるヴォルフだが、ショパンやシューマンのようにはやはり盛り上がらない。
ドイツ歌曲創作中心という特殊性がその普及を妨げているのは仕方ないにしても、もう少しメディアでも取り上げられるものだと思っていた。
従って、こうしてコンサートでヴォルフの歌曲を選曲してくれる人がいるのは心強いことこの上ない。

ソプラノの山崎法子という歌手は、私にとってはじめて聴く人だ。
現在国立音大の博士後期課程3年で、ヴォルフ歌曲を研究しているとのこと。
共演のピアニスト、梅本実はご夫人の長島剛子とのシューマンを今年川口で聴き、今回で2度目の実演となる。
山崎の師が長島という関係で梅本との共演となったのかもしれない。

実際に山崎の歌唱を聴き、その意欲的な選曲とともに将来性を感じさせる立派な歌手だった。
愛らしい笑顔は聴き手との壁を取り払っていた。

最初のシューベルトでは「少女」や「ばら」のような繊細でしっとりとした味わいの作品中心の選曲で、細密なリートとの山崎の相性の良さを感じさせた。
最初のブロックを締めくくる「ガニュメート」では壮大な広がりを表現しようという意欲がみなぎった歌唱で、最後の長大なフレーズも見事に聴かせてくれた。

続くR.シュトラウスでは「乙女の花」と題された4曲の作品集がまとめて歌われ、その後にお馴染みの3曲が歌われた。
珍しい作品と親しみやすい作品を両方選曲するセンスも素晴らしい。
シュトラウスの歌曲は外へ外へと広がっていくメロディーの開放が特徴的だ。
従って普段歌曲をあまり歌わない歌手でもシュトラウス歌曲は好んで取り上げる人が多い。
知性派、山崎さんもこれらの歌曲では、歌曲としての律儀さを残しつつも、旋律を伸びやかに歌い上げて、その美声を響かせていた。

休憩後は待望のヴォルフ歌曲。
最初はめったに歌われないヴォルフ初期の作品「悲しみの聖母像に祈るグレートヒェン」である。
確かにその筆致にはまだ若さが顔を覗かせており、歌われる機会が少ないのもやむを得ない面はあるが、すでに和声面で独自の方向を見せ始めており、詩と同化しようとする真摯な音楽作りは聴き手に訴えるものをすでに持っていた。
シューベルトによる名作のある「糸を紡ぐグレートヒェン」には手を出さなかったヴォルフだが、シューベルトが未完のまま残したこのテキストには若きヴォルフのシューベルトを越してやろうと言わんばかりの対抗意識のようなものが感じられ、無視するには惜しい作品であると再確認した。
山崎さんも悲劇的な表情で、しっとりと、そして激しく歌っていて、良かった。

続いてメーリケ歌曲集からの5曲。
比較的知られている作品が選曲されていたが、それぞれが異なった性格をもっており、同じ詩人のテキストからヴォルフがいかに多様な音楽を作り上げたかがあらためて伝わってきた。
「考えてもみよ、ああ心よ」のような重いテーマの作品はソプラノ歌手にとって必ずしも歌いやすい曲ではないと思われるが、テキストに寄り添った山崎さんの歌はこの死を扱った作品でも見事な歌いぶりだった。
「春なんだ」はピアノパートが非常に華やかで、特に長い後奏はピアニストの腕の見せ所だが、梅本さんは雄弁に主張していて、聴き応えがあった。

最後のゲーテ歌曲集からは4曲。
こちらはすべて「愛」がテーマになっているように感じられる。
自分に気持ちを寄せる男性どもをあざ笑い、恋など興味のない娘を歌った「お澄まし娘」。
ある男性(ダーモン)の笛の音に引かれ、ついに恋を知った娘を歌った「恋に目覚めた娘」。
この2曲はヴォルフも対の作品と考えていたのだろう、歌曲集の中でも連続の順番を与えている。
2曲を続けることで、娘の気持ちの変化を印象づけることが出来るだろう。
山崎さんも抑えた声なども使いながら、よく表現していたと感じた。
「フィリーネ」では人生の楽しみは夜にあると快活に歌われ、最後の「あなたの愛の中で」は相聞歌となっているゲーテの原詩をテキストに、愛が私たちを豊かにしてくれると堂々たる愛の賛歌を歌い上げる。
この作品はかなりドラマティックな歌とピアノの表現を要求される為か、なかなか実演で聴く機会に恵まれないが、山崎さんも梅本さんもそれぞれ迫力をもって、この作品の力強さを表現していて感銘を受けた。

山崎さんの声は高音が非常によく伸びて美しい。
若干硬質の響きを伴って、芯のある充実した高音を自在に響かせて素晴らしかった。
一方、低声では不安定になる箇所も見られ、今後さらに良くなる余地があるように感じたが、これは経験の積み重ねが解決してくれるかもしれない。
ドイツ語の発音は非常に明瞭で、例えば語頭の"k"や"t"の響きもネイティヴのようにしっかり発音されていた。

梅本さんは非常に繊細でみずみずしい感覚をもってピアノを歌わせる。
歌との阿吽の呼吸はさすがで、歌手が安心して身を委ねられるであろう包容力のある演奏だったと思う。

アンコールの最初にヴォルフの「ねずみとりのおまじない」が歌われたが、このテキストには最初に
"Das Kind geht dreimal um die Falle und spricht:(子供がわなの周りを三回まわってとなえる)"
という文言が付いており、山崎さんはドイツ語でこの文言を語ってから歌に入った。
外国人歌手の録音などではたまに聞かれるが、実際の舞台でこの文言が日本人によって「ドイツ語」で語られるというのは珍しい。
愛らしい山崎さんの声と表現にはぴったりの作品だった。

最後のシュトラウス「言いました-それだけでは済みません」はコミカルな作品。

お父さんが子供をあやしてくれたら卵を3つゆでてくれると言ったけど、どうせお父さんが2つ食べちゃうんでしょ。
お母さんが女中さんのことを教えてくれたら3羽鳥を焼いてくれると言ったけど、どうせお母さんが2羽食べちゃうんでしょ。
たった1つのご褒美のために子守りをしたり、秘密をちくったりしたくないわ。
私のいとしい人が「ぼくのことを思ってくれたら晩に3回キスしてあげる」と言ったけど、3回じゃ済まないわ。

3節からなる作品だが、最初の2節が終わったところで、ピアノが派手に和音を打ち鳴らすと、曲が終わったと思った何人かの聴衆が拍手をして、山崎さんが手で拍手を抑えるような合図をして演奏が続けられた。
この曲も「舞踏への勧誘」みたいな要素があるのだなぁと、コンサートならではのハプニングを楽しんだ(演奏者は焦ったかもしれないが)。

Yamazaki_umemoto_20101121_chirashi

まだ若いソプラノだが魅力的な歌を聴かせてくれた。
今後さらに研鑽を積まれることだろう。
これからのますますの活躍を楽しみにしたい。

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ケフェレック/リサイタル(2010年11月17日 王子ホール)

Queffelec_20101117

アンヌ・ケフェレック
2010年11月17日(水)19:00 王子ホール(E列22番)
アンヌ・ケフェレック(Anne Queffelec)(ピアノ)

J.S.バッハ;ブゾーニ編曲(Bach; Busoni)/コラール前奏曲「いざ来たれ、異教徒の救い主よ(Nun komm,der Heiden Heiland)」BWV659a
J.S.バッハ/協奏曲ニ短調より~アダージョBWV974-2(原曲 マルチェッロ/オーボエ協奏曲)
ヘンデル;ケンプ編曲/メヌエット ト短調HWV434
J.S.バッハ;ヘス編曲/カンタータ第147番「心と口と行いと生活が」より~コラール“主よ、人の望みの喜びよ”BWV147
ヘンデル/シャコンヌ ト長調HMV435

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調Op.27-2「月光」

~休憩~

ショパン作曲
ポロネーズ変ロ長調KK IVa-1
ポロネーズ変イ長調KK IVa-2
マズルカ第8番変イ長調Op.7-4(初稿)
ノクターン第19番ホ短調Op.72-1
ノクターン第1番変ロ短調Op.9-1
3つのマズルカOp.50(ト長調、変イ長調、ハ長調)
スケルツォ第4番ホ長調Op.54

~アンコール~
J.S.バッハ;ブゾーニ編曲/コラール「われ汝に呼ばわる」BWV639
モーツァルト/トルコ行進曲

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ゴールデンウィークの音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」で何度か演奏を聴いて、その繊細で魅力的な音楽に惹かれたフランスのピアニスト、アンヌ・ケフェレック。
彼女のソロリサイタルをはじめて聴いた。
王子ホールは満席(完売とのこと)。
私の席は前から5列目だが、前列との間に大きな通路がある。
従って足を伸ばせるし、前の人の頭でステージが隠れることもないのは有難い。
この小さな空間で優れた音楽を聴けるのは贅沢なことだろう。

ケフェレックは革っぽいドレスをお洒落に着こなして登場した。
さすがパリジェンヌである。

前半はバッハやヘンデルの作品のピアノ編曲版。
どの作品も心に染み入るような名演奏だが、とりわけ名ピアニストのケンプが編曲したヘンデルの「メヌエット」は非常に美しかった。
このような深い味わいは現在の彼女ならではなのだろう。
一方で技巧の見せ所などでも達者に指が回り、鋭利さにも欠けない。
小柄ゆえか際立ってパワフルというわけではないが、想像以上にどっしりとした重量感のある音も響かせていた。

前半の最後にはベートーヴェンの「月光」ソナタ。
彼女のベートーヴェンというのも想像がつかなかったが、実際に聴いてみるととても真っ当でドイツ的な構築感にも欠かない素敵な演奏。
第1楽章の沈潜した雰囲気の中の右手の歌わせ方は素晴らしかったが、第3楽章の激情の表現も全く不足のない見事なものだった。

後半はショパンばかりを集めたもの。
ここでも彼女の歌うような味のある音色は魅力的。
時々長く伸ばして流れが停滞しそうになることがあるのが意外だったが、彼女の表情の付け方なのだろう。
ショパン少年時代のポロネーズから脂の乗った時期のマズルカ、ノクターンと様々なジャンルの音楽の中から彼女に合った作品を選曲したそのセンスも良かった。
最後のスケルツォも彼女なりにドラマティックな表現だったが、中間部の歌うようなタッチがなんとも魅力的だった。

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アンコールはバッハのコラールとモーツァルトの「トルコ行進曲」。
後者でケフェレックはかなりロマンティックな表情をつけて演奏して驚かされた。
中間部の細かいパッセージなどは素晴らしい演奏だったが、ここまで濃厚なテンポの揺れはモーツァルトにはあまり似つかわしくないように感じた。
むしろ他人がアンコールピース用により自由に編曲した「トルコ行進曲」を演奏した方が良かったのではというのが偽らざる気持ちである。
しかし、全体的には彼女の真摯で温かい表情が聴き手の心にすっと入ってくる心地よいコンサートであった。

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METライブビューイング《ラインの黄金》(2010年11月9日 東劇)

METライブビューイング2010-2011
ワーグナー/ニーベルングの指環〈序夜〉《ラインの黄金(Das Rheingold)》(新演出)
上演日:2010年10月9日

2010年11月9日(火)19:00 東劇(M-7)

指揮:ジェイムズ・レヴァイン(James Levine)
演出:ロベール・ルパージュ(Robert Lepage)

美術:カール・フィリオン
衣装デザイン:フランソワ・サンオーバン
照明:エティエンヌ・ブシェ
映像デザイン:ボリス・フィルケ
インタラクティブ・プロジェクション:ホルガー・フォータラー

ヴォータン(Wotan):ブリン・ターフェル(Bryn Terfel)
フリッカ(Fricka):ステファニー・ブライズ(Stephanie Blythe)
ローゲ(Loge):リチャード・クロフト(Richard Croft)
アルベリヒ(Alberich):エリック・オーウェンズ(Eric Owens)
フライア(Freia):ウェンディ・ブリン・ハーマー(Wendy Bryn Harmer)
ファーゾルト(Fasolt):Franz-Josef Selig
ファフナー(Fafner):Hans-Peter König
フロー(Froh):Adam Diegel
ドンナー(Donner):Dwayne Croft
ミーメ(Mime):Gerhard Siegel
エルダ(Erda):Patricia Bardon
3人のラインの娘(the three Rhinemaidens):Lisette Oropesa; Tamara Mumford; Jennifer Johnson

The Metropolitan Opera

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以前から気になっていたメトロポリタンオペラの公演を映画館で上映するというMETライブビューイングを初めて見に行った。
実は11月6日(土)に新宿ピカデリーという立派なシネコンに出かけたのだが、最新の設備はあまりにも心地よく、最初の特典映像と本編最初の数分以外はぐっすり眠ってしまったため、再度会社帰りに東劇でリベンジ。
仕事疲れでまた眠ってしまうのではという心配もあったが意外や意外、今回は一睡もせずに最後まで映像を楽しむことが出来た。
この東劇という映画館、中に入ると昭和の雰囲気がただよい何とも味がある。
こういう映画館が残っていることは非常に意義深いことであろう。

最初にメットの支配人の挨拶があり、リハーサル風景などが続く。
演出のルパージュという人は、シルク・ドゥ・ソレイユのようなエンターテインメントの演出もこなす人で、今回の演出では大きな板を組み合わせて回転させたり、足場にしたりと、いろいろ工夫されていく。
最初のラインの娘たちが優雅に泳ぐシーンも吊るされながら登場し、この板を徐々に足場にする形をとる。
スタントマンが模範を見せると、ラインの娘の一人は「怖い」と表情を曇らせるが、徐々にコツをつかんでいく。
そのような舞台裏も普段なかなか見ることが出来ないので興味深かった。
引き続き「ワルキューレ」以降に登場予定のデボラ・ヴォイト(ブリュンヒルデ役)が案内人となり、「ラインの黄金」上演への導入役となる。
ヴォイトは公演直前のヴォータン役のターフェルとのインタビューなどもこなすが、並のレポーターも顔負けの手馴れた話術を披露していた。

本編は一見単純な板の組み合わせが多種多様な可能性をうみ、コンピュータもうまく組み合わせ、舞台装置だけでもなかなか壮観だった。
照明も効果的に使い、大団円でのヴァルハルへの橋の場面は美しかった。
少なくとも「ラインの黄金」初心者の私には、現代風読み替えではない、分かりやすく、かつ圧倒されるステージは非常に楽しめた。

3時間弱を通して聴いて、ヴァーグナーという人はやはり凄い作曲家なのだなぁと今さらながら実感することが出来た。
音楽がただ無駄に長大なのではなく、ヴァーグナーの構想を実現するのにおそらく必要な長大さなのだろう。
音楽がドラマと密接に結びついており、多少の予備知識しかなかったライトモティーフもそれほど苦労なく、その意味するところがおおよそ理解できる。
登場人物や心理状態を丁寧に特定のモティーフと結びつけて、それをドラマの展開に応じて対応させていくという手法はその巨大さに反比例して繊細ですらある。
ヴァーグナーにはまる人が多いというのも何となく分かるような気がした。

それから特徴的なのがヴァーグナー自身による台本の言葉。
例えば一般的な歌曲のテキストは脚韻を踏むことが多いが、ヴァーグナーの台本を見ると頭韻が目立つ。
ある種の言葉遊び(似た音の言葉を並べる等)もあるが、やはりこれは口語ではなく、舞台上で歌うための言葉なのだと強く印象付けられた。

ヴァーグナーの音楽は、ヴォルフが彼のオペラを好んでいたという先入観もあり、半音階進行が多いのかと思いきやそうでもなかった。
むしろ、それは彼の音楽語法の一つに過ぎず、オケの機能をフルに使って、ヴァーグナーの構想を表現しているようだ。

歌手の中で圧倒的に素晴らしいと感じたのは、フリッカを歌ったステファニー・ブライズ。
声は常に安定しており、ヴォリュームが豊かでありながら、語り口も最高。
仕草などもちょっとした動きでその心理状態を見事に伝えてしまう。
このような素晴らしい歌手が脇を固めていると主役陣も安心して自分の歌に集中できるにちがいない。

ヴォータンのブリン・ターフェルは、そのレスラーのような体格に似合わず、繊細な語り口が印象的であった。
必ずしも体躯と声のヴォリュームは比例しないのかもしれないが、彼が歌曲も得意にしていることが思い出された。

アルベリヒのエリック・オーウェンズは芸達者で、アルベリヒになりきっていた。
歌も演技もとても良かった(前半から後半へのキャラクターの変貌もうまく表現していた!)。

その他の多くの登場人物(人は「ラインの黄金」には出てこないので「登場者」と言う方がいいか?)もそれぞれ適材適所で良かったように思えた。
特にコミカルで頼りなげなミーメ役のGerhard Siegel、それに出番は少ないが圧倒的な存在感を示したエルダ役のPatricia Bardon、巨人族のファーゾルト、ファフナー役の2人も素晴らしかった。

策略家ローゲを演じたリチャード・クロフトには、カーテンコール時に執拗なブーイングを浴びせられ気の毒だったが、切れの良さよりはコミカルな側面が強調されすぎたことが要因だろうか。
それほど悪いとは思わなかったが。

レヴァイン指揮のオーケストラはヴァーグナーの音楽のうねりをドラマティックに表現していて素晴らしかった。

Met_live_viewing_20102011_chirashi

このライブビューイング、これだけ満足できるのならば今シーズンは出来る限り出かけてみたい(見逃してしまった「ボリス・ゴドゥノフ」はアンコール上映に期待!)。

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岡田博美/ピアノリサイタル「ふらんすPlus2010」(2010年11月13日 東京文化会館 小ホール)

Okada_20101113

岡田博美ピアノリサイタル
ふらんすPlus2010
2010年11月13日(土)19:00 東京文化会館 小ホール(M列23番)

岡田博美(Hiromi Okada)(ピアノ)

J.S.バッハ(ブラームス編曲)(Bach; Brahms)/左手のためのシャコンヌ(Chaconne)

ベートーヴェン(Beethoven)/ソナタハ長調Op.53「ワルトシュタイン(Waldstein)」

~休憩~

ルッセル(Albert Roussel: 1869-1937)/プレリュードとフーガ(BACHの名による)(Prélude et fugue sur le nom de Bach)Op.46

ルッセル/ソナティネ(Sonatine)Op.16

ルッセル/組曲(Suite)Op.14
 プレリュード
 シシリエンヌ
 ブレー
 ロンド

~アンコール~
サティ/ジムノペディ第1番
ダカン/かっこう
サン=サーンス/左手のためのエレジー

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ロンドンを拠点に活動するピアニスト、岡田博美のリサイタルを聴いた。
彼の名前は随分前から知ってはいたのだが、演奏を実際に聴くのは今回が初めて。
珍しいルッセルのピアノ作品が演奏されるとあって興味をもって上野に出かけてきた。
聴き終わり、こんな凄いピアニストをこれまで聴いていなかったことをつくづく後悔した。
完成された素晴らしいピアニストだった。

客席は9割以上埋まっていたのではないか。
ステージに登場した岡田博美は痩身で、朴訥とした雰囲気で拍手に応えて、椅子に座るやすぐに弾き始める。
最初のブラームス編曲によるバッハの「シャコンヌ」は左手のための作品で、舘野泉さんのCDで聴いてはいたが、生で聴くのははじめて。
当時右手を脱臼していたクラーラ・シューマンのためにブラームスが左手のみで弾けるように編曲したらしい。
岡田は右手を椅子に置いたまま、左手だけで音楽を紡いでいく。
それにしても岡田さんの細長い指のよく回ること。
左手だけとはとても信じられないほどポリフォニックに動く箇所も少なくないが、どの箇所でも生き生きと音が動いている。
例えばブゾーニが編曲した両手の作品だとぶ厚い和音が原曲とは異なる魅力を生み出しているが、ブラームスの左手による作品はオリジナルのヴァイオリン・ソロにより近い響きとなっているように感じられた。
常に高貴な香りを漂わせて演奏された音楽は、バッハの宗教曲を聴いているかのような崇高な響きにあふれていた。
それにしても手に障害のないピアニストがあえて左手のみの作品をレパートリーに加えるということは、この作品の価値を演奏者が認めたということなのだろう。
ブゾーニ版だけでなくブラームス版も今後より演奏されていくのかもしれない。

「ワルトシュタイン」なども前へ前へと進みながらしっかりとした構築感があり、表現の幅が広く、切れのいいテクニックもそれが一人歩きすることがない。
第3楽章のいわゆる「オクターブ・グリッサンド」も静かな音量をキープしつつ、急速なテンポで平然とオクターブのまま滑らしていた。

岡田さんのテクニックは完璧といっていいほど素晴らしく、あたかも外来のスターピアニストを聴いているかのようである。
ダイナミクスの幅の広さとスマートで速めのテンポで前進していく新鮮さは、一時も聴き手の集中力を途切れさせない。

前半のドイツの大きな作品2曲の後、休憩を挟んで後半はアルベール・ルッセルのピアノ曲が演奏された。
私がルッセルの作品で知っているのは「夜のジャズ」などの歌曲ぐらいである。
ルッセルは海軍軍人として活動した後、あらためて音楽を学んだという。
東洋の音楽からも影響を受け、新古典主義の作風をとるようになった。

今回岡田が弾いたのは「プレリュードとフーガ(BACHの名による)」「ソナティネ」「組曲」の3曲。
聴いているとやはり響きはいかにもフランス音楽らしい色彩感と新鮮さが感じられる。
近代フランス音楽の洒落た感じを古典的なスタイルの中で展開していくという感じだろうか。
楽想が変化に富み、華やかな見せ場にも欠かないため、聴き手を飽きさせない。
もっと演奏されてもいい作品だと感じた。

とりわけ興味深かったのは「プレリュードとフーガ(BACHの名による)」。
プレリュードは細かい音形が怒涛のように押し寄せ、あっという間に終わってしまう。
メロディだけでなく、リズムの感覚も印象的だった。
それに続く「フーガ」はバッハの名前のドイツ音名「B(変ロ)」「A(イ)」「C(ハ)」「H(ロ)」をつなげたテーマによる作品だが、CからHを半音下行させるのではなく、7度上行させているのが非常に目立って面白い。
解説の寺西基之氏はそれを「ねじれたような響き」と表現しておられるが、その箇所が異様に浮き立つのが作曲者のねらいでもあるのだろう。

岡田はこれらの馴染みの薄いルッセル作品でもスマートに弾き進め、ありのままの作品の魅力を引き出していたように感じた。

岡田博美にはテクニックのうえで不可能な曲など一つもないのではないか。
それに聴衆を魅了する豊かな音楽性にもあふれており、全く非の打ちどころがない。
今後、このピアニストがどのようなレパートリーで我々を楽しませてくれるのか、来年のリサイタルも今から期待が高まってきた。

Okada_20101113_chirashi

ブラームス編曲による左手作品ではじまったコンサートを岡田はサン=サーンスの「左手のためのエレジー」で締めくくった。
ちらし裏の「プログラムというのは、料理のコースのようなもので、前菜から最後のデザート(アンコール)まで、よく念を入れて考えなければいけません」という岡田自身のメッセージが実践された心憎い選曲であった。

余談だが、この翌週の火曜日にヴァイオリニストの天満敦子さんとのデュオでフランクのソナタなどを共演することを知って紀尾井ホールまで行ってみたが、残念ながら(半ば予想通りだったが)全席完売で当日券はなかった。
フランクのヴァイオリン・ソナタはピアノパートが非常に魅力的なので、聴けたらどんなによかっただろう。
また次の機会を待つことにしよう。

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藤村実穂子&リーガー/リーダー・アーベントII(2010年11月11日 紀尾井ホール)

Fujimura_rieger_20101111

紀尾井の室内楽vol.28
藤村実穂子 リーダー・アーベントII
~生誕200年 シューマンをうたう~
2010年11月11日(木)19:00 紀尾井ホール(1階2列5番)

藤村実穂子(Mihoko Fujimura)(メゾ・ソプラノ)
ウォルフラム・リーガー(Wolfram Rieger)(ピアノ)

シューマン(Schumann)/リーダークライス(Liederkreis)Op.39
 1.異郷にて
 2.間奏曲
 3.森の対話
 4.静寂
 5.月夜
 6.美しき異郷
 7.城砦にて
 8.異郷にて
 9.哀しみ
 10.たそがれ
 11.森で
 12.春の夜

~休憩~

マーラー(Mahler)作曲
春の朝(Frühlingsmorgen)
夏の交代(Ablösung im Sommer)
美しき喇叭の鳴るところ(Wo die schönen Trompeten blasen)
つらなる想い(Erinnerung)

ブラームス(Brahms)/ジプシーの歌(Zigeunerlieder)Op.103-1~7,11
 1.さあ、ジプシーよ!
 2.高く波立つリマの流れ
 3.彼女が一番美しいのは
 4.神よ、あなたは知っている
 5.日焼けした青年が
 6.三つのバラが
 7.時々思い出す
 11.赤い夕焼け雲が

~アンコール~

ブラームス/甲斐なきセレナードOp.84-4
ブラームス/セレナードOp.106-1
ブラームス/日曜日Op.47-3

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昨年に引き続き、バイロイトなどでも引っ張りだこのメゾソプラノ藤村実穂子が紀尾井ホールで歌曲の夕べを開いた。
共演ピアニストは去年のロジャー・ヴィニョールズ同様、歌曲ピアノの名手ヴォルフラム・リーガー。

プログラムは前半に生誕200年を記念してシューマンのアイヒェンドルフの詩による「リーダークライス」全12曲。
そして後半はこちらも生誕150年のマーラーの歌曲4曲と、ブラームスの「ジプシーの歌」独唱版である。

シューマンの「リーダークライス」第1曲「異郷にて」の第一声が響いた時、一年ぶりに聴いたその声のなんと神々しかったことか。
一瞬にしてその声の魔力に捕らえられてしまった。
よく声を極上のワインとかシルクとかに例える形容を目にすることがあるが、そんなふうに例えてもまだ足りないような熟成されたまろやかな声であった。
以前にも感じたが、この人の声はメゾソプラノといっても質自体はそれほど重くなく、ソプラノのような清澄さに深みと強さが加わったような感じである。
それがリートを歌う際に様々なタイプの作品に対応できる要因となっているのかもしれない。
凛としたたたずまいがどのような曲にも特有の気品を与え、短い個々の曲それぞれの特徴を的確に描き出していく。
ローレライを扱った「森の対話」では妖艶なローレライと正体を知ってしまった男との対話が実にくっきりと劇的に歌い分けられていた。
「たそがれ」の最後の警告を発する藤村の言葉はこれまでに聴いたことのないほどの切迫感にあふれていた。
「春の夜」の最後「彼女はきみのもの!(Sie ist dein!)」という締めくくりをインテンポでさらりと歌ったのも新鮮な解釈だった。

休憩後にまず歌われたマーラーの作品は一転して穏やかな「春の朝」で始まり、コミカルな「夏の交代」へと続く。
これらの曲に対する藤村のはまり方はまさにオペラ歌手の面目躍如であった。
次の「美しき喇叭の鳴るところ」ではリーガーの素晴らしいピアノも相俟って、静謐な美を感じさせられた。
最後に歌われた「つらなる想い」がこれほどドラマティックな作品だったとは彼女の今回の演奏を聴くまで気付かなかった。
彼女はオペラの一場面のように感情を激しく表面に出して、この小品から深い感情を引き出した。
これらの4曲があたかも交響曲の4つの楽章のように並べられ、様々なタイプのマーラーの作品を堪能できたのは、藤村の選曲センスの素晴らしさを物語っていた。

ブラームスの「ジプシーの歌」はもともと合唱曲として11曲が作曲され、後にその中の8曲が独唱曲として出版された。
その8曲はいずれも野性味あふれるとても魅力的な歌ぞろいで、私はこの歌曲集を何度録音で聴いたか分からないほど気に入っている。
それほど愛着があるにもかかわらず実演で聴けたのは今回がはじめてかもしれない。
案外演奏者にとっては難しい作品なのではないか。
藤村の歌唱はそれぞれの短い曲の魅力を実に細やかな表情で伝えてくる。
言葉さばきもいいし、テンポの揺らし方もいい意味で節度があった。
第2曲の「高く波立つリマの流れ」は後半を繰り返すのだが、歌声部に高低2種類のバリエーションがあり、どちらも同じ旋律を選んで2回繰り返す歌手が多い中、彼女はかつてC.ルートヴィヒが歌っていたように、最初を低い方、2回目を高い方で締めくくった。
このやり方だと変化も出て盛り上がるので私も気に入っている。
個人的に特に気に入っている第7曲「時々思い出す(Kommt dir manchmal in den Sinn)」を彼女は非常に美しく歌ってくれて感動的だった。

ピアノのヴォルフラム・リーガーをかつて実演で聴いたのはもう20年ほど前、フェルトキルヒのシューベルティアーデにおいてであった。
その頃はまだういういしい印象だった彼もすでに髪に白いものが混じる年齢になっていた。
あくまでも歌手をたてる彼のピアノはしかし実際にはかなり細やかな表情をたたえていた。
ピアノパートの聴かせどころをあえて抑えてまでも歌手の声を徹底して際立たせようとする姿勢は、これはこれで一つのよき歌曲演奏のあり方ではないかと感じた。
ただ「ジプシーの歌」では、声を消さないようにという配慮が痛いほど伝わってきたが、もっと前面に出ても彼女の声は聴こえたのではないかという気もする。

アンコールは3曲。
いずれもブラームスの名作が歌われた。
「甲斐なきセレナード」では男女の駆け引きがコミカルに歌われ、藤村の役者っぷりを充分に感じる歌唱だった。
リーガーが後奏を軽めにフェードアウトしていったのも洒落た演出で素敵だった。
最後の「日曜日」は演奏会で聴く機会はそれほど多くないものの、ブラームスの歌曲の中ではよく知られた小品である。
私にとっても高校時代の音楽の時間に歌のテストでピアノ伴奏を弾かされた懐かしい思い出が甦る。
こうした有節歌曲でも藤村は強弱のコントラストを付けてなんとも洒落っ気のある素敵な歌唱を披露していた。

なお、配布されたパンフレットの歌詞対訳も藤村さん自身の手によるものだったが、1行ごとに歌詞に対訳をつけていく形は演奏会で字を追っていくのには特に有効な方法と感じられた。
ただ、これらを演奏中にチラッと確認するためには客席をもう少し明るくした方がいいかもしれない。

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昨年のリサイタルツアーのライヴ録音がCD化され、会場で先行発売されていたものを購入して、終演後にサイン会の長蛇の列に並んだが、ステージでの堂々たる貫禄とは全く異なる腰の低さで感謝の気持ちをファン一人一人に向ける魅力的な女性がそこにはいた。

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内藤明美&平島誠也/メゾソプラノリサイタル(2010年11月8日 東京オペラシティ リサイタルホール)

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内藤明美メゾソプラノリサイタル
アイヒェンドルフの詩による歌曲(Lieder nach Gedichten von J. v. Eichendorff)
~シューマン生誕200年に因んで~

2010年11月8日(月)19:00 東京オペラシティ リサイタルホール(全席自由)

内藤 明美(Akemi Naito)(メゾソプラノ)
平島誠也(Seiya Hirashima)(ピアノ)

R.シューマン(Schumann: 1810-1856)

リーダークライス(Liederkreis)Op.39

異郷にて(In der Fremde)
間奏曲(Intermezzo)
森の対話(Waldesgespräch)
静けさ(Die Stille)
月の夜(Mondnacht)
美しき異郷(Schöne Fremde)
古城にて(Auf einer Burg)
異郷にて(In der Fremde)
悲しみ(Wehmut)
たそがれ(Zwielicht)
森の中で(Im Walde)
春の夜(Frühlingsnacht)

~休憩~

O.シェック(Schoeck: 1886-1957)

森の孤独(Waldeinsamkeit)Op.30-1
帰依(Ergebung)Op.30-6
余韻(Nachklang)Op.30-7
夜の挨拶(Nachtgruss)Op.51-1
座右銘(Motto)Op.51-2
慰め(Trost)Op.51-3

思い出(Erinnerung)Op.10-1
別れ(Abschied)Op.20-7
夕暮れの風景(Abendlandschaft)Op.20-10
病める人(Der Kranke)Op.20-9
回心(Umkehr)Op.20-12
追悼(Nachruf)Op.20-14

~アンコール~
F.グルダ(Gulda)/夜の挨拶(Nachtgruss)
メンデルスゾーン(Mendelssohn)/夜の歌(Nachtlied)
島原の子守唄

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毎年意欲的なプログラムを組む内藤明美と平島誠也による今年のコンサートはアイヒェンドルフの詩による作品集だった。
前半は生誕200年のシューマン作曲の有名な「リーダークライス」、そして後半は多くのアイヒェンドルフ歌曲を作ったオトマール・シェックによる歌曲から12曲が歌われた。

シューマンの「リーダークライス」ではアイヒェンドルフの常套句にあふれたテキストが多い。
故郷、雲、森の孤独、夜、空、風、梢、星、月、ナイチンゲール・・・。
解説の山崎裕視氏が的確に述べておられるように「さまざまな光景は詩の中では、どことも知れぬ場所、いつとも知れぬ時として現れてくる。その不分明さは、読む人にかえって自己の中に抱える原風景を思い起こさせる」。
つまり、ドイツの風景として描かれながら、ドイツに限定されない誰もが抱く自然のイメージが喚起されるのである。
それゆえに、この作品はシューマンの代表的な歌曲の一つとして普遍的な魅力を放っているのであろう。

シェックの歌曲は清冽な抒情性と濃密さを合わせもったような作風が印象的だ。
決して声高でなく、また前衛的な要素を取り入れたものでもなく、一見地味だが、過去の伝統に連なった作風は、詩に傾斜しがちだったヴォルフから再び音楽とのバランスを回復してみせたかのようだ。

内藤明美は今夜も作品のイメージを反映したかのような美しいドレスを前後半で変えて登場した。
そしてメゾソプラノの深みをもって聴く「リーダークライス」もまた格別だった。
普段ソプラノやテノールで聴き慣れたこれらの作品が、内藤の深みのある声と表現によって一層自然の神秘感や詩人の内面を際立たせていたように感じられた。
「静けさ」では愛らしく、「月の夜」では翼を羽ばたかせるかのような広がりをもって、「悲しみ」では内に秘めた悲しみをそっと滲ませて、「春の夜」では解放感を押し出して、各曲の魅力を描き出していた。
後半のシェックは内藤が力を入れている作曲家の一人。
アイヒェンドルフの詩という共通項でくくりながら、シェックの様々な時期の作品を作品番号ごとにまとめて歌った。
彼女の歌はいつもながら素直に作品の中に入って、そっと魅力を引き出すという歌唱。
最後の「追悼」では簡素だが印象的なメロディーに温かく寄り添って、シェックの慎ましやかな魅力を伝えてくれた。

平島誠也は、かなり低く移調された「リーダークライス」でも、響きの明晰さを失わないように演奏していたのはさすがだった。
テンポを揺らすこと以上に、音色やダイナミクスによってシューマンの響きを追求していたように感じられた。
シェックの歌曲でもその透徹した音色を魅力的に響かせていた。
アンコールのメンデルスゾーン「夜の歌」では、内藤さんの歌が最後に盛り上がるところで平島さんは一緒になって和音を大音量で叩くことはせず、その後に歌が落ち着いてからようやくピアノで歌ってみせ、前へ出たり引っ込んだりの的確さがいつもながら絶妙だった。

アンコールの1曲目では、ピアニストとして著名だったフリードリヒ・グルダによる珍しいアイヒェンドルフ歌曲が聴けたのが良かった。
ピアノの分散和音が印象的な、ほの暗い作品であった。

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アンコール最後の「島原の子守唄」はもう彼女の十八番といってよいもので、ドイツリートの時とは全く別人のように濃密な情念を吐き出す。
今回もまた胸をえぐられるような絶唱だった。

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フォーレ全歌曲連続演奏会IV(2010年11月2日 東京文化会館 小ホール)

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日本フォーレ協会創立20周年記念 フォーレ全歌曲連続演奏会IV
-日本フォーレ協会第XXIII回演奏会-

2010年11月2日(火)19:00 東京文化会館 小ホール(全自由席)

フォーレ(Fauré: 1845-1924)作曲

Op.85-1 九月の森で Dans la forêt de septembre
Op.85-2 水の上を行く花 La fleur qui va sur l'eau
Op.85-3 同行 Accompagnement
 土屋雅子(ソプラノ)、伊藤明子(ピアノ)

Op.87-1 もっとも甘美な道 La plus doux chemin
Op.87-2 山鳩 Le ramier
Op.92 静かな贈物 Le don silencieux
 美山節子(ソプラノ)、堀江真理子(ピアノ)

Op.94 歌 Chanson
Op.114 平和になった C'est la paix
--- 朝焼け L'aurore
 加納里美(メゾソプラノ)、高木由雅(ピアノ)

Op.113 《まぼろし Mirages》(全4曲)
 水の上の白鳥
 水に映る影
 夜の庭
 踊り子
 立木稠子(メゾソプラノ)、堀江真理子(ピアノ)

Op.118 《幻想の水平線 L'horison chimérique》(全4曲)
 海は果てしなく
 私は船に乗った
 ディアーヌよ、セレネよ
 船よ、私たちはおまえたちを愛したことだろう
 佐野正一(バリトン)、高木由雅(ピアノ)

 ~休憩~

Op.68bis アポロン賛歌 Hymne à Apollon
 野々下由香里(ソプラノ)、木村茉莉(ハープ)、アンサンブル・コンセールC(4人の合唱)

Op.86 即興曲 Impromptu
Op.110 塔の奥方Une chatelaine en sa tour
 木村茉莉(ハープ)

Op.65-1 アヴェ・ヴェルム・コルプス Ave verum corpus
Op.47-2 マリア、恩寵の聖母 Maria, Mater gratiae
 野々下由香里(ソプラノ)、中村優子(メゾソプラノ)、高木由雅(ピアノ)

Op.65-2 タントゥム・エルゴ Tantum ergo
Op.22 小川 Ruisseau
 野々下由香里(ソプラノ:Op.22)、アンサンブル・コンセールC(12人の合唱)、伊藤明子(ピアノ)

Op.35 マドリガル Madrigal
Op.50 パヴァーヌ Pavane
Op.11 ジャン・ラシーヌの雅歌 Cantique de Jean Racine
 野々下由香里(ソプラノ)、中村優子(メゾソプラノ)、安冨泰一郎(テノール)、佐野正一(バリトン)、高木由雅(ピアノ)

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昨年7月よりスタートしたフォーレ全歌曲連続演奏会も今回でとうとう最終回を迎えた。
東京文化会館の小ホールもなかなか無いほどの盛況であった。

今回は最終回ということで、フォーレ最晩年の渋みあふれる歌曲が集まった。
Op.85-1の「九月の森で」にはじまる個々の歌曲たちは、教会旋法の使用が目立ち、分かりやすさとは無縁な作品ばかりだが、虚飾のないフォーレの晩年の心境を反映しているのだろう。
音楽の方が私たちに接近してくれるわけではないので、聴き手が何度も耳を傾けることによって、ようやく心を開いてくれるような感じだ。
それらの中に何故か初期作品の「朝焼け」(作品番号なし)が混ざっていたが、この作品の分かりやすさが際立つ結果となった(本来ならばシリーズ1回目で演奏されるべきだったと思うが、何か意図があるのだろうか)。
フォーレ最後の歌曲集「まぼろし」と「幻想の水平線」は、余計なものを一切削ぎ落とした詩のエキスだけを抽出したような音楽であり、それゆえにこれ以上ないほど簡素なピアノパートは決して二次的な「伴奏」とみなしてはならない。
フォーレは初期の「蝶と花」のようなロマンスから随分遠い境地に達したことになる。
率直に言うと私もいまだフォーレの歌曲は初期作品を聴くことが多いのだが、以前よりも少しは晩年の作品に近づいていけたような気がする。

休憩後は合唱曲や重唱曲をまとめてとりあげており、珍しいハープの独奏(木村茉莉の演奏)なども演奏された。

ハープの独奏を生で聴くことはこれまでほとんどなかったと思うが、同じ弦から様々な音色が響き、グリッサンドもあれば指でぽつぽつはじく手法もあり、一台で多様な響きが可能なのだとあらためて感じた。
それにしてもやはりこの楽器は独自の美しい響きをもっていた。
その場の空気が浄化されるような感じであった。
ただ、木村さんの演奏を見ていると、そんな気品にあふれたこの楽器もきっと相当な力仕事なのだろうなという印象は受けた。

なお、「パヴァーヌ」という曲、私はてっきりオーケストラ曲だとばかり思っていたのだが、どうやら後に合唱パートが付け加えられたようだ。
この典雅なたたずまいの音楽に、こんなに俗っぽいテキストというのがなんともミスマッチで面白いが、ルネッサンス以前の声楽作品などは案外このタイプのテキストが多かったりするので、フォーレもそれに倣ったのだろうか。

今回は晩年の歌曲ということで、演奏される方々もベテラン勢が多かったようだ。
声のコンディションに苦心するところがあったとしても、厳しい訓練を経てこれまで長いこと歌いこんできたであろう歌の数々はやはり背筋を伸ばして聴くに値するものであった。
とりわけ「幻想の水平線」を歌ったバリトンの佐野正一は心技バランスのとれた名唱だったと感じた。

後半はハープ伴奏の作品など珍しい歌を満喫したが、バッハコレギウムジャパンでも活躍しているソプラノの野々下由香里はずば抜けた素晴らしさだった。
生ではおそらくはじめて聴いたと思うが、透明でどこまでもよく伸びる美声と明瞭な語り口は、古楽だけでなく、19世紀の作品にも見事にはまっていた。
ステージでの所作も魅力的で、さらにいろいろと聴いてみたいと思わせられた。

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今回登場した3人のピアニストたちもそれぞれ皆素晴らしく、フォーレの音楽を見事に表現していたことは特筆しておきたい。

この意義深い企画にかかわったすべての方々にシリーズ完結のお祝いを申し上げたい。

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