ル・ジュルナル・ド・パリ(2010年9月19日 東京オペラシティ コンサートホール)
ル・ジュルナル・ド・パリ(Le Journal Musical de Paris)
パリの印象主義時代の音楽日記 (1864-1922)
2010年9月19日(日) 16:00/18:00 東京オペラシティ コンサートホール(1階5列5番/1階3列6番)
アンヌ・ケフェレック(Anne Queffélec)(ピアノ)
ジャン=クロード・ペヌティエ(Jean-Claude Pennetier)(ピアノ)
児玉 桃(Momo Kodama)(ピアノ)
クレール=マリ・ルゲ(Claire-Marie Le Guay)(ピアノ)
ルイス・フェルナンド・ペレス(Luis Fernando Pérez)(ピアノ)
●公演6 : 9月19日(日) 16:00
ラヴェル(Ravel: 1875-1937)/ソナチネ(1905)(アンヌ・ケフェレック)
ラヴェル/鏡(1905)(アンヌ・ケフェレック)
蛾
悲しい鳥たち
洋上の小舟
道化師の朝の歌
鐘の谷
ドビュッシー(Debussy: 1862-1918)/映像 第1集から「水の反映」(1905)(アンヌ・ケフェレック)
ドビュッシー/映像 第2集(1907)(ジャン=クロード・ペヌティエ)
葉ずえを渡る鐘の音
荒れた寺にかかる月
金色の魚
●公演7 : 9月19日(日) 18:00
ラヴェル/夜のガスパール(1908)(児玉桃)
オンディーヌ
絞首台
スカルボ
ドビュッシー/子供の領分(1908)(クレール=マリ・ルゲ)
グラドゥス・アド・パルナッスム博士
象の子守歌
人形へのセレナード
雪は踊っている
小さな羊飼い
ゴリウォーグのケークウォーク
アルベニス(Albéniz: 1860-1909)/イベリア 第1巻(1905/08)(ルイス・フェルナンド・ペレス)
エボカシオン
港
セビーリャの聖体祭
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ラ・フォル・ジュルネのプロデューサーとしてすっかりお馴染みのルネ・マルタンが企画した別のシリーズ「ル・ジュルナル・ド・パリ」の2日目を2公演聴いてきた。
おそらくすでに全席完売だろうと期待せずに公式HPを見てみたら当日券があるとのことで、急遽行くことにした。
本当は14時公演も聴きたかったのだが寝坊してしまい間に合いそうもないので16時公演からにした。
16時公演はそこそこ席が埋まっていたが、18時公演は空席が目立っていたのが驚きだった。
まだそれほど認知されていないのか、それともラ・フォル・ジュルネの屋台村や屋外コンサートなどのイベント色が乏しいためか、ちょっともったいないぐらいであった。
各公演は休憩なしの60分と予告されていたが、私が聴いた2つの公演はどちらも実際には70分ぐらいだった。
普段ほとんどドイツものばかり聴いている私にとって、この日聴いたフランスの名曲の数々は新鮮で感覚的で、良い刺激と癒しを与えてくれた。
アルベニスを除くとどの曲からもフランス印象派特有の響きそのものが幾重にも重なった色彩感をもってホールを満たす。
様々な異なる色合いをもった絵画が次々と現れては消えていくかのようで、これはホールで聴いてこその贅沢な時間だった。
ラヴェルではこれでもかと言わんばかりにアーティストに精妙さと至難の技巧を要求し、ドビュッシーは自身のつくった響きの色彩感に酔いしれているかのよう。
アルベニスの「イベリア」はパリで初演されたそうで、スペインの響きを巧みにとりいれたラヴェルのことを思い起こすだけでも、フランス人が受け入れやすい要素をもっているということなのかもしれない。
アーティストはみなそれぞれの個性と実力を備えた人たちだったが、私が最も魅力を感じたのはやはりケフェレックだった。
あんな小さな手からどうしてあんなにきらきらした繊細な音やダイナミックな迫力が生まれるのだろう。
いまや私の最もお気に入りのピアニストの一人となった。
フランスのピアノ曲の主だったところを全部彼女の演奏で聴いてみたいほどだ。
ペヌティエも相変わらず安心して聴ける名手だが、今回はじめて聴いた児玉桃の素晴らしさには驚嘆した。
おどろおどろしい「夜のガスパール」をひとときも集中力が途絶えることなく、素晴らしく魅力的に演奏してくれた。
1,2曲では背筋をぴんと伸ばして無駄な動きもなく弾いていた彼女が、「スカルボ」で猫背気味になって演奏する姿は曲の魂を身をもって表現しているかのようだった。
明日が東京公演最終日で4公演あるようだ。
ロビーには假屋崎省吾氏の花が生けてある。
私は明日は行かないが、お時間のある方は出かけてみてはいかがだろう。
2000円以内でこれだけの名曲、名演奏家を満喫できるのはやはりお得だと思いますよ(別に回し者ではありませんが)。
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