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ヴォルフ/お別れ(Abschied)

Abschied
 お別れ

Unangeklopft ein Herr tritt abends bei mir ein:
"Ich habe die Ehr, Ihr Rezensent zu sein!"
Sofort nimmt er das Licht in die Hand,
Besieht lang meinen Schatten an der Wand,
Rückt nah und fern: "Nun, lieber junger Mann,
Sehn Sie doch gefälligst 'mal Ihre Nas' so von der Seite an!   
Sie geben zu, daß das ein Auswuchs is."
- Das? Alle Wetter - gewiß!
Ei Hasen! Ich dachte nicht, all' mein Lebtage nicht,
Daß ich so eine Weltsnase führt' im Gesicht!
 ノックもせずに一人の男がある晩私の部屋に入ってきた。
 「わたくし、あなた様の批評家たる栄誉をになった者でございます。」
 すぐにそいつは手に明かりをとって
 長いこと壁に映った私の影を調べている。
 近寄っては離れたりしたすえに「さてと、お若い方、
 お願いでございますからあなた様のお鼻を横からじっくりご覧くださいませ!
 あなた様のお鼻がでっぱっていることをお認めになるでしょうから」。
 -なに?こりゃたまげた。本当だ!
 ああまいった!生まれてこのかた思ってもみなかったなぁ、
 おれが顔にこんな世界級のデカ鼻をぶらさげているなんて!

Der Mann sprach noch Verschied'nes hin und her,
Ich weiß, auf meine Ehre, nicht mehr;
Meinte vielleicht, ich sollt' ihm beichten.
Zuletzt stand er auf; ich tat ihm leuchten.
Wie wir nun an der Treppe sind,
Da geb' ich ihm, ganz froh gesinnt,
Einen kleinen Tritt,
Nur so von hinten aufs Gesäße, mit -
Alle Hagel! Ward das ein Gerumpel,
Ein Gepurzel, ein Gehumpel!
Dergleichen hab' ich nie gesehn,
All' mein Lebtage nicht gesehn
Einen Menschen so rasch die Trepp' hinabgehn!
 その男はさらにあれこれいろんなことをのたもうたが、
 わが名誉にかけて、もう覚えちゃいない。
 ひょっとすると、私がなにか打ち明けるとでも思ったのだろうが、
 とうとうやつが腰を上げたので、私は足元を照らしてやった。
 階段のところまでやってきたところで
 私はうきうきしながら
 軽い蹴りを
 後ろからやつのケツにお見舞いしてやったら-
 なんてこった!ガラガラ、
 バタバタ、ドッシーン!
 こんなの見たことがない、
 生まれてこのかた見たことないよ、
 こんな猛スピードで階段を下りて行く人間なんて!

詩:Eduard Mörike (1804-1875)
曲:Hugo Wolf (1860-1903)

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ヴォルフ作曲の歌曲集「エードゥアルト・メーリケの詩」の最終曲(第53曲)。
1888年3月8日作曲。

普段やられっぱなしの批評家に対して反撃に出たメーリケの詩に、ヴォルフは戯画的な音楽をつけた。
辛らつなヴィルフの面目躍如というところだろう。

ジグザグのユニゾンのピアノに乗ってはじまる歌声はほとんど語り調子で進行する。
ピアノは徹底して批評家を茶化すが、最後に批評家を階段から突き落とした後に喝采を叫ぶあたりから演奏されるウィンナー・ワルツは後奏でピークに達する。
このあたりでほくそえむヴォルフの顔が目に浮かぶようである。
また、階段を転げ落ちる時の描写も聴きどころである。
歌手とピアニストの共同作業がとりわけ生かされた作品と言えるだろう。

先日バリトンの川村英司のリサイタルでもこの曲を聴いたが、彼がかつてピアニストの故エリック・ヴェルバとリサイタルを開いた時には、プログラムの中、もしくはアンコールで必ずこの曲を演奏したそうだ。
その二人の演奏はCDで聴くことが出来るが、ヴィーンのピアニストであるヴェルバは、他のピアニストからはなかなか聴けないユニークな趣をもって演奏していた。
ヴェルバの生演奏を一度も聴けなかったのはかえすがえすも残念である。

Ziemlich lebhaft(かなり生き生きと)
4分の2拍子-8分の6拍子-8分の3拍子
ハ短調
全115小節
歌声部の最高音:2点変ロ音
歌声部の最低音:1点ニ音

Fischer-Dieskau(BR) & Moore(P)
1950年代の録音だが、この曲の最も魅力的な演奏の一つだろう。
F=ディースカウとムーアの品のいいおふざけぶりが最高だ!

Thomas Allen(baritone) & Malcolm Martineau(piano)
ライヴ録音のようで、トマス・アレンもマーティノーも乗りに乗って演奏している。
マーティノーの奏でるウィンナーワルツも絶品である。

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モーリーン・フォレスター(Maureen Forrester)逝去

カナダのコントラルト歌手、モーリーン・フォレスター(Maureen (Katherine Stewart) Forrester: 1930.7.25,Montreal – 2010.6.16,Toronto)が亡くなった。
彼女は「大地の歌」をブルーノ・ヴァルター指揮で歌ったり、歌曲集「少年の魔法の角笛」を録音したりと、マーラー作品を得意にしていたようだ。
また、ヴァーグナーの「ラインの黄金」「トリスタンとイゾルデ」などオペラでも活躍していた。

私が彼女の名前を意識したのは、オランダのEtceteraレーベルから出ていたソプラノのリタ・シュトライヒとの二重唱曲集(Jerzy Machwilskyのピアノ)の録音である。
メンデルスゾーン、ブラームス、シューマンのなかなか聴けない二重唱曲の名作が集められており、貴重な録音だった。
現在は入手困難のようだが、以下のサイトで試聴できる。
 こちら(Reinhörenをクリック)
ちなみに私はブラームスの「海(Die Meere)Op.20-3」という曲が気に入っている。

コントラルト歌手はともすれば地味な印象を与えがちだが、じっくり聴きこむとなんともいえない包み込まれるような心地よさを感じる。
フォレスターはそのような包容力を感じさせてくれる歌手だったのではないだろうか。
来日したことがあるのかどうか分からないが、実演で聴けなかったのは残念である。

フォレスターの経歴やディスコグラフィについては以下のサイトが詳しい。
 こちら

彼女は1953年以来、ドイツ生まれのカナダ人ピアニスト、ジョン・ニューマーク(John Newmark: 1904.6.12,Bremen - 1991.10.14,Montreal)と共に歌曲リサイタルも多く催していたようだ。
このコンビの映像が以下で聴ける。

Blow the wind southerly
(イギリス民謡をジェラルド・ムーアが編曲したもの)
フォレスターの各節ごとの表情の付け方の細やかさと深みのある声が素晴らしい。

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ビゼー/「カルメン」(2010年6月20日 新国立劇場 オペラパレス)

2009/2010シーズン
ジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet)/カルメン(Carmen) 全3幕
【フランス語上演/字幕付】

2010年6月20日(日)14:00 新国立劇場 オペラパレス(4階3列19番)

1幕 50分 休憩 25分 2幕 45分 休憩 25分 3幕1場 40分 3幕2場 20分
合計3時間25分

【カルメン(Carmen)】キルスティン・シャベス(Kirstin Chávez)(MS)
【ドン・ホセ(Don José)】トルステン・ケール(Torsten Kerl)(T)
【エスカミーリョ(Escamillo)】ジョン・ヴェーグナー(John Wegner)(BR)
【ミカエラ(Micaëla)】浜田理恵(Hamada Rie)(S)
【スニガ(Zuniga)】長谷川顕(Hasegawa Akira)(BS)
【モラレス(Moralès)】青山貴(Aoyama Takashi)(BR)
【ダンカイロ(Le Dancaïre)】谷友博(Tani Tomohiro)(BR)
【レメンダード(Le Remendado)】大槻孝志(Otsuki Takashi)(T)
【フラスキータ(Frasquita)】平井香織(Hirai Kaori)(S)
【メルセデス(Mercédès)】山下牧子(Yamashita Makiko)(MS)

【合唱】新国立劇場合唱団(New National Theatre Chorus)
【児童合唱】NHK東京児童合唱団(NHK Tokyo Children Chorus)
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)
【指揮】マウリツィオ・バルバチーニ(Maurizio Barbacini)

【演出】鵜山仁(Uyama Hitoshi)
【美術】島次郎(Shima Jiro)
【衣裳】緒方規矩子(Ogata Kikuko)
【照明】沢田祐二(Sawada Yuji)
【振付】石井潤(Ishii Jun)

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新国立劇場のオペラを見る時はなぜか朝から鼻アレルギーになることが多い。
今日もどうやら収まりそうもないので眠くなるのを覚悟で薬を飲んでから出かけた。

耳に馴染んだ多彩な「カルメン」なので楽しく聴けたが、やはり目をあけていられたのは最初のうちだけで、気付くと目をつむっている。
だが、起きたり寝たりを繰り返しながらも、ビゼーのドラマティックな色彩感をもった音楽のおかげで堪能することは出来たと思う。
鼻水もくしゃみも止まってくれたのは幸いだった。

カルメン役のアメリカ人、キルスティン・シャベスと、ホセ役のドイツ人、トルステン・ケールは全く見事。
声もしっかりしていて、表現力も豊かで惹き付けられた。
一方で、エスカミーリョ役のジョン・ヴェーグナーは声があまり私の好みではなかったが、花形闘牛士の立ち居振る舞いは良かったのではないか。
ミカエラ役の浜田理恵もよい声をしていると思う。

これまで新国立劇場で聴いてきたオペラのほとんどは現代に置き換えた演出だったが、今回(演出:鵜山仁)は衣装(緒方規矩子)も含めてオーソドックスなもの。
オペラ初心者の私としてはこういう方が正直有難い。
群集たちや児童たちも細かい演技をしていて、合唱もよく、自然な舞台だった。
特に酒場でダンサーたちが音楽に合わせて踊る場面など、素晴らしかった。

Carmen_20100620_chirashi

東京フィルはおそらく定期演奏会でこの曲の抜粋を数え切れないほど演奏してきたことだろう。
また、指揮バルバチーニの采配の良さもあるのだろう。
全く危なげなく、しかも充分な迫力をもって、この曲の魅力を伝えてくれた。

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ピアニスト横山幸雄ショパンを弾く(2010年6月18日 北とぴあ つつじホール)

2010年ショパン生誕200年記念企画
ピアニスト横山幸雄ショパンを弾く

Yokoyama_20100618

2010年6月18日(金) 19:00 北とぴあ つつじホール(M列11番)
横山幸雄(Yukio Yokoyama)(ピアノ)

【オールショパン 名曲プログラム】

ショパン作曲

バラード 第1番
幻想即興曲
ノクターン 第20番 嬰ハ短調「遺作」
ワルツ 第1番「華麗なる大円舞曲」
アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ

~休憩~

華麗なる変奏曲 変ロ長調
幻想曲 ヘ短調
舟歌
スケルツォ 第2番

~アンコール~
ノクターン 第2番 作品9-2
練習曲「革命」
小犬のワルツ

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王子駅近くの北とぴあの大ホールはこれまでも何度か出かけたが(職場からの帰り道の乗り換え駅なので私にとっては便利)、今回のつつじホールという中程度のホールははじめて。
ロビーからして昭和の雰囲気を感じさせる懐かしい趣である。
仕事が定時で終わったので、当日券で横山幸雄のコンサートをはじめて聴いてきた。

最近はショパンのピアノ曲全曲を1日がかりで演奏してギネスから認定されたり、辻井伸行の師としても知られている。
以前から一度実演を聴いてみたいと思っていた。

今年のショパン生誕200年を記念してオール・ショパン・プロ。
しかも、様々なジャンルから有名なものを中心にまとめた内容。
私にとっては「華麗なる変奏曲」ははじめて聴く曲だった。
次々に演奏されるショパンの代表曲を堪能したが、後半の「幻想曲 ヘ短調」はやはり「雪のふるまちを」の元ネタであることは間違いないのではないか。
お客さんたちもこの似ている箇所が演奏されるとお仲間同士で顔を見合わせたりしていた。

ステージに登場した横山幸雄はイメージしていたよりも長身だった。
そして1曲ごとに拍手にこたえて、次の曲をすぐに続ける(最初の「バラード 第1番」の後だけ一度袖に引っ込んだが、遅れてきたお客さんを入れる為だろう)。
最初は遠慮がちだった聴衆の拍手も時間の経過と共に徐々に熱気を帯び、横山さんの演奏もどんどん乗っていくのが明らかに感じられた。
そして、どの曲も高いテクニックと豊かな音楽性、そして明確な主張をもって余裕をもった自在さがあり、また一人素晴らしいピアニストと出会えたことを感じながら聴いていた。

「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」は、これまでそれほど愛着を感じなかったのだが、ステージで聴くと、歌うような前半と、華やかで盛り上がる後半と、様々な要素でコンサートの締めにふさわしい作品なのだと感じた。
そして横山さんの演奏がまた繊細さと華麗さのどちらもものの見事に表現していて、おおいに盛り上がった。

横山さんの演奏はダイナミクスの幅が大きく、最初のうちは強音が若干きつめに感じられたが、徐々に彼の演奏に慣れてくると、それがそのようなタッチでである必然性が感じられるようになり、違和感が消えていった。
今年は随分いろいろなピアニストでショパンの曲を聴いたが、案外「幻想即興曲」や「華麗なる大円舞曲」はステージで聴く機会に恵まれなかったので、今回これほどの充実した演奏で聴けたのは嬉しかった。
また、アンコールの3曲も、誰もが知っているスタンダードナンバーなだけに、気楽に楽しめて大満足だった(特に「革命」)。
「ノクターン 第2番」は、ほかの曲の演奏の時と比べて一見そっけないぐらいに薄味に感じられたが、それは右手の美しいメロディを変に小細工しないで自然に響かせようとしていたのかもしれない。

今年はほかにもショパンにちなんだ演奏会を多く催すようだ。
また聴きに行きたいピアニストである。

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川村英司&東由輝子/川村英司独唱会(2010年6月12日 東京文化会館 小ホール)

川村英司独唱会 Schumannの生誕200年とWolfの生誕150年を記念して-川村英司の傘寿を記念して
2010年6月12日(土) 19:00 東京文化会館 小ホール(全自由席)

川村英司(Eishi Kawamura)(バリトン)
東由輝子(Yukiko Higashi)(ピアノ)

ヴォルフ(Hugo Wolf)作曲

初期の作品より(Frühere Lieder)
 夜と墓(Nacht und Grab)(チョッケ詩)
 悲しい道(Traurige Wege)(レーナウ詩)
 夜のあいだに(Über Nacht)(シュトゥルム詩)

メーリケ歌曲集より(Mörike Lieder)
 散歩(Fußreise)
 世をのがれて(Verborgenheit)
 ある結婚式で(Bei einer Trauung)
 問わず語り(Selbstgeständnis)

ミケランジェロの詩による三つの歌(Drei Gedichte von Michelangelo)
 わたしはしばしば思う(Wohl denk' ich oft)
 この世に生を享けたものはすべて滅びる(Alles endet, was entstehet)
 わたしの魂は感じえようか(Fühlt meine Seele)

~休憩~

シューマン(Robert Schumann)作曲

詩人の恋(Dichterliebe) 作品48(ハイネ詩)
 こよなく美しい五月に
 僕の涙のあとから
 バラや、百合や、鳩や
 お前の眼を見つめていると
 僕の魂を沈めよう
 ライン河、聖なる流れのなかに
 僕は嘆かない
 もし小さな花たちが
 あれはフルートとヴァイオリンだ
 歌が響いてくるのを聞けば
 ある若者がある乙女に恋をして
 光り輝く夏の朝に
 僕は夢の中で泣いていた
 夜毎の夢にお前をみて
 古いお伽噺のなかから
 昔のいまわしい歌や

~アンコール~
シューマン/献呈(Widmung)
シューマン/あなたは花のよう(Du bist wie eine Blume)
ヴォルフ/祈り(Gebet)
ヴォルフ/別れ(Abschied)

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朗々とした声。
高音の衰えを知らぬ張りのある声はただただ驚異的。
むしろ低音よりも高音の方が余裕をもって出ているようにすら思える。
80歳でこれほどの声を維持している世界的歌手がどれほどいるだろうか。

シューマンの生誕200年とヴォルフの生誕150年を記念して、この2人の作品を集めたリサイタルをバリトンの川村英司が開いたが、川村氏の傘寿の記念も兼ねている。
東京文化会館小ホールには川村さんと同世代と思われる年配のお客さんを中心に多数つめかけ、かなりの盛況だった。

前半はヴォルフの初期歌曲から珍しい3曲、メーリケ歌曲集から4曲、そしてミケランジェロ歌曲全3曲という構成。
後半はシューマンの歌曲集「詩人の恋」全16曲。

最初に歌われたのは、ヴォルフの現存する最も若い時(15歳)の作品「夜と墓」。
この作品、まだ誰も録音していないので、こうして実演で聴けるのは貴重である。
以前松川儒の全曲シリーズで1度聴いたので、今回がこの曲を聴く2度目となる。
川村氏は「歌曲作曲家としての片鱗をうかがわせるだけでなく、優れた作品」と配布パンフレットに記されているように、お好きな作品のようである。
私はこれまでは単なる若書きぐらいにしか見ていなかったのであるが、こうして大ベテランの血肉の歌唱と音楽性豊かなピアニストによる演奏で、あたかも傑作を聴いているかのような気持ちにさせられた。
続く「悲しい道」は最近何人かの演奏者が録音しているが、まだ馴染み深い作品というほどではない(F=ディースカウも録音していない)。
しかし、詩人レーナウ特有の憂鬱な気分を若きヴォルフの繊細な感性が描き出した音楽はなかなか聴きごたえがある。
「夜のあいだに」は初期の作品の中では比較的知られている方かもしれない。
こうした知られざる作品の紹介者としての川村氏の貢献も忘れてはならないことだろう。

続くメーリケ歌曲集からの4曲は、全く異なる性格をもった作品が並び、メーリケとヴォルフの作風の多彩さと同時に、川村氏の対応力の幅広さも示すこととなった。
軽快な「散歩」にはじまり、有名な「世をのがれて」が続き、3曲目での「ある結婚式で」が素晴らしい歌唱。
愛のないカップルの結婚式を皮肉たっぷりに歌った作品だが、川村氏の表現はほかの誰が歌った時よりも皮肉っぽく響いた。
年輪のなせる技だろうか。
「問わず語り」では一人っ子ゆえの重荷をぼやく少年になりきって歌っていた。

そして、前半最後の「ミケランジェロ歌曲集」。
これは川村氏お得意のレパートリーなのだろう。
実に自在にこれらの歌の内面を伝えてくれたような気がする。

休憩後の「詩人の恋」はもうこの年にしてはじめて可能な歌唱といっていいと思う。
だからといって昔を回顧した歌い方ではなく、あくまで若者として歌っていたのが素晴らしい。
もちろん、そこに無理はなく、一人の青年の恋の喜びと苦悩が一人称の形で表現されていた。
ただただ凄いの一言。

アンコールは4曲披露されたが、それぞれ川村氏の思い出深い作品のようで、その曲への思いを述べられてから演奏された。
特に興味深かったのは、シューマンの「あなたは花のよう」を師のギュンター・ヴァイセンボルンと合わせた時のエピソード。
川村氏が単語をペータース版のものではなく、シューマンの変更した言葉で歌ったところ、ヴァイセンボルンになぜそう歌うのかと聞かれたそうだ。
ヴァイセンボルンはシューマンの変更を知らなかったようだが、ペータース版の単語だとハイネの皮肉が込められているのにシューマンの曲には皮肉な調子がないのがこれまで不思議だったとのこと。
シューマンがテキストのある一語を変更したことによって、ハイネの皮肉な調子が消えて、シューマンの曲に皮肉な調子が認められないのがようやく納得できたという。
こういう言葉に込められた感覚については確かにドイツ人にしか分からないかもしれないが、日本人の川村氏が様々なエディションを調べることによって、ドイツ人の気付かなかったことを発見できたというのは凄いことである。

東由輝子のピアノは、音色に対するデリカシーが傑出していた。
どの音もおろそかにせず、大切に響かせていた。
一方強音も決して荒くなることがなく、芯のあるどっしりとした音が出ていた。
初期の作品「夜と墓」「悲しい道」が傑作と思えるほど、余韻の感じられるしっとりとした演奏を聞かせてくれた。
また、川村氏が歌の入りを間違えてもうまく対応するなど、共演者として頼りがいのあるところも感じられた。
アンコール最後のヴォルフの「別れ」は批評家批判の皮肉たっぷりの作品だが、このピアノ後奏のウィンナーワルツについてはエリック・ヴェルバ仕込の弾き方を川村氏が伝授したとのこと。
前半はウィンナーワルツ特有のノリで、後半は急速に演奏して、批評家を階段から突き落として一矢報いた気持ちを生き生きと描いていた。

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「小山実稚恵の世界」第9回~感動のソナタ~(2010年6月12日 Bunkamura オーチャードホール)

12年間・24回リサイタルシリーズ
「小山実稚恵の世界」ピアノで綴るロマンの旅 第9回
~感動のソナタ~

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2010年6月12日(土) 15:00 Bunkamura オーチャードホール(1階8列32番)

シューベルト/ソナタ第13番 イ長調 作品120 D.664
第1楽章 アレグロ・モデラート
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 アレグロ

ショパン/ソナタ第2番 変ロ短調「葬送」作品35
第1楽章 グラーヴェ~ドッピオ・モヴィメント
第2楽章 スケルツォ
第3楽章 マルシュ・フュネーブル
第4楽章 プレスト

~休憩~

ブラームス/2つのラプソディー 作品79より 第2曲 ト短調

シューマン/ソナタ 第3番 ヘ短調 作品14
第1楽章 アレグロ
第2楽章 スケルツォ、モルト・コモド
第3楽章 クワジ・ヴァリアツィオーニ、クララ・ヴィークのアンダンティーノ
第4楽章 プレスティッシモ・ポッシービレ

~アンコール~
ショパン/ワルツ第19番 イ短調 遺作
ショパン/ノクターン第13番 ハ短調 作品48-1
シューマン/ソナタ第3番 ヘ短調 作品14より 第3楽章(初版:1836年版)
ショパン/ワルツ第9番 変イ長調 作品69-1「別れのワルツ」

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小山実稚恵は渋谷のオーチャードホールで12年間、計24回にわたるシリーズ「小山実稚恵の世界」を進行中である。
先日彼女の生演奏を聴いたばかりだが、このホールでのシリーズを今回はじめて聴いてきた。
オーチャードホールでクラシック音楽を聴くのはいつ以来だろうか。

ステージ右側の席で、彼女の手の動きは全く見えないので、音楽に集中することにした。
小山さんといえばショパンのイメージが強いが、今回、ショパン、シューマンといった記念年の作品のほかに、シューベルトやブラームスの作品が含まれているのに興味を惹かれた。

このシリーズでは毎回、作品にちなんだ色を設定しているようで、今回は「緑がかったグレー」とのことで、衣装もそのような感じだった。

はじめて聴く彼女のシューベルト、なかなか小山さんの演奏スタイルに合っているように感じた。
シューベルトのソナタの中でも古典的ながら歌謡性の強い短い作品の為、小山さんの歌心が素直に発露され、聴いていて気持ちよい演奏だった。
若干ミスが散見されたように感じたが、それでも音楽的な内容の豊かさにはほとんど支障はない。
特に2楽章の優しい和音の響きは、彼女ならではの素晴らしさだった。

続くショパンのソナタ第2番は、今年に入って川口で聴いたばかりだが、前回同様、気負いのない自然な表情の爽やかな演奏だった。
こちらも若干ミスがあったのはやはり多忙ゆえだろうか。

後半のブラームスのラプソディー第2番は第1番と共に私の大好きな作品なので、彼女がどんな風に弾くのか興味津津だったが、ここでもいつも通りの彼女の美しいタッチは健在だった。
ラプソディーならではのテンポの揺れやメランコリックな表情は若干抑制気味だったが、彼女なりに作品に歩み寄っていたように思う。
だが、さらに大胆でも良かったかもしれない(私の好みでは)。

最後のシューマンのソナタ第3番がこの日一番素晴らしかった。
私にとっては今回の曲目の中で最も馴染みの薄い作品だったが、シューマン特有の錯綜した感情の揺れが彼女のコントロールの効いた演奏によって、かえって親しみやすく感じられた。
第3楽章の「クララ・ヴィークのアンダンティーノ」は下降する音型が特徴的なメランコリックな音楽だが、アンコールでは、この楽章の初版が披露され、ご存知の方にとっては比較が楽しめたのではないか(私はアンコールで聴いている時は同じ曲をもう一度そのまま弾いたのだと思っていたが、ロビーのアンコールの掲示で初版だったのだと知った)。

ほぼ満席の会場からの盛大な拍手でアンコールは4曲。

Koyama_michie_20100612_chirashi

全体を通して、爽快な美しいタッチと常にコントロールの行き届いたテンポ感といった彼女の美質が感じられた演奏であった。
配布されたパンフレットの仕様もおそらく彼女の意見が取り入れられているのではないか。
センスのいい読み物となっていた。

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ヴォルフ/こうのとりの使い(Storchenbotschaft)

Storchenbotschaft
 こうのとりの使い

Des Schäfers sein Haus und das steht auf zwei Rad,
Steht hoch auf der Heiden, so frühe, wie spat;
Und wenn nur ein mancher so'n Nachtquartier hätt'!
Ein Schäfer tauscht nicht mit dem König sein Bett.
 羊飼いの家は2つの車輪の上、
 朝も夜も荒地の高みにある。
 多くの人がそんな宿があったらなぁ!と憧れる。
 羊飼いは王様とさえ自分の寝床を交換しないだろう。

Und käm' ihm zur Nacht auch was Seltsames vor,
Er betet sein Sprüchel und legt sich aufs Ohr;
Ein Geistlein, ein Hexlein, so luftige Wicht',
Sie klopfen ihm wohl, doch er antwortet nicht.
 夜に何か不思議なことが起こっても
 彼はおまじないを唱えて横になってしまう。
 幽霊やら魔女やら風の妖精やらが
 音を立てても、彼は返事などしない。

Einmal doch, da ward es ihm wirklich zu bunt:
Es knopert am Laden, es winselt der Hund;
Nun ziehet mein Schäfer den Riegel - ei schau!
Da stehen zwei Störche, der Mann und die Frau.
 だが以前に、本当にあまりにも騒がしいことがあった、
 よろい戸はがりがり音を立て、犬はクンクン泣く。
 そこで羊飼いがかんぬきをあけると-おや、ごらんよ!
 そこには二羽のこうのとりが番(つがい)で立っている。

Das Pärchen, es machet ein schön Kompliment,
Es möchte gern reden, ach, wenn es nur könnt'!
Was will mir das Ziefer? ist so was erhört?
Doch ist mir wohl fröhliche Botschaft beschert.
 そのカップルは、きちんとおじぎをする、
 何か言いたそうだ、ああ、彼らが話せたらなぁ!
 飼い鳥さんたちがわしに何の用だい?何か聞いて欲しいのか?
 だがどうやらうれしい知らせをもってきたようだぞ。

Ihr seid wohl dahinten zu Hause am Rhein?
Ihr habt wohl mein Mädel gebissen ins Bein?
Nun weinet das Kind und die Mutter noch mehr,
Sie wünschet den Herzallerliebsten sich her?
 君たちはライン下流の家にいたのかい?
 わしの愛する人の足をつついて彼女に子供が産まれたというのか?
 それでその子供が泣いて、母親はもっと泣き、
 愛する人に戻ってきてほしいというんだね?

Und wünschet daneben die Taufe bestellt:
Ein Lämmlein, ein Würstlein, ein Beutelein Geld?
So sagt nur, ich käm' in zwei Tag' oder drei,
Und grüßt mir mein Bübel und rührt ihm den Brei!
 それに加えて洗礼をするのに、
 子羊に、ソーセージに、袋いっぱいのお金が要るんだね?
 それならこう伝えておくれ、わしは二、三日後には戻るから、
 赤ん坊によろしく言って、おかゆをかきまぜてやっておくれ!

Doch halt! warum stellt ihr zu zweien euch ein?
Es werden doch, hoff' ich, nicht Zwillinge sein? -
Da klappern die Störche im lustigsten Ton,
Sie nicken und knicksen und fliegen davon.
 だが待てよ!なぜ君たちは二羽で来たんだ?
 それって、まさか、双子ってことじゃないのか?
 するとこうのとりたちは陽気な音をたてて羽ばたきし、
 うなずき、おじぎをして、飛んで行った。

詩:Eduard Mörike (1804-1875)
曲:Hugo Wolf (1860-1903)

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歌曲集「メーリケの詩」第48番目。
1888年3月27日作曲。

この歌曲をはじめて聴いたのは、まだFMラジオから必死にエアチェックしていた高校生の頃だったろうか。
シュヴァルツコプフがパーソンズとDECCAに録音した「わが友に」という最後の録音がFMから流れてきたのである。
その時の印象は歌はなんだか語るような部分が多くてよく分からないが、ピアノ後奏は派手で格好いいなぁというものだった。
その後、F=ディースカウの録音を聴いたり、実演でも接したりしていくうちに私の最もお気に入りのヴォルフ歌曲の1つとなった。
少なくとも詩を語るイントネーションの再現、半音階進行といったヴォルフらしさが最も発揮された曲の1つであることは間違いないだろう。

「こうのとりが赤ちゃんを運んできた」というようなことを日本でも言うが、こうのとりと赤ちゃんを結びつける発想は世界にどれぐらいあるのだろう。

Gemächlich(ゆったりと)
8分の12拍子
ト短調
全43小節
歌声部の最高音:2点変ロ音
歌声部の最低音:1点ハ音

Anneliese Rothenberger(S) Günther Weissenborn(P)
先日亡くなったローテンベルガーによる歌唱。
さすがにオペラで鳴らしただけの語りのうまさが見事。
ヴァイセンボルンのピアノも完璧。

Dietrich Fischer-Dieskau(baritone) Hartmut Höll(piano)
4:30~「こうのとりの使い」
Baden-Badenでのライヴ映像が楽しめる。

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北村さおり&平島誠也/リサイタル(2010年6月5日 王子ホール)

北村さおりソプラノリサイタル「小さき花の詩 vol.2」

Kitamura_hirashima_20100605

2010年6月5日(土)14:00 王子ホール(全自由席)

北村さおり(Saori Kitamura)(S)
平島誠也(Seiya Hirashima)(P)

シューベルト(Schubert: 1797-1828)
花の言葉(Die Blumensprache) D519
花の便り(Der Blumenblief) D622
薔薇のリボン(Das Rosenband) D280
すみれ(Viola) D786

リスト(Liszt: 1811-1886)
喜びに満ち、悲しみにあふれ(Freudvoll und leidvoll)
僕の歌には毒がある(Vergiftet meine Lieder)
それはきっとすばらしいこと(Es muss ein Wunderbares sein)
ローレライ(Die Lorelei)

~休憩~

シューマン(Schumann: 1810-1856)
歌曲集「ミルテの花」(Myrten Op.25)より
くるみの木(Der Nussbaum)
はすの花(Die Lotosblume)
ズライカの歌(Lied der Suleika)
お前は花のようだ(Du bist wie eine Blume)
ヘブライの歌から(Aus den hebräischen Gesängen)

マルクス(Marx: 1882-1964)
愛がお前に触れたなら(Hat dich die Liebe berührt) 
捨てられた女(Der Verlassene)
ベネチアの子守唄(Venetianisches Wiegenlied)
君が届けし薔薇の花束(Und gestern hat er mir Rosen gebracht)
マリアの歌(Marienlied)
ノクターン(Nocturne)

~アンコール~
マルクス(Marx)/幸福な夜(Selige Nacht)
R.シュトラウス(R.Strauss)/薔薇のリボン(Das Rosenband)

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土曜日の午後、ドイツリートを楽しむのにうってつけのコンサートに出かけてきた。
ソプラノの北村さおりと名手平島誠也による「小さき花の詩 vol.2」というリサイタルである。
平島さんのサイトで知ったコンサートだったが、なかなかステージで聴けないヨーゼフ・マルクスの歌曲がプログラミングされていたのにまず興味を感じた。
しかし、今回のプログラムで最も楽しみだったのはシューベルトの「すみれ」(ショーバー詩)という10分以上かかる歌曲である。
シューベルトは初期にはバラーデという物語の展開を音楽で描写する作品を随分残しているが、それらはあくまでストーリー展開ゆえに長大にならざるを得ない類のものだった。
今回披露されたシューベルトの「すみれ」も詩の長さに比例して長大だが、ストーリー性はあるものの、抒情的な要素の勝った「リート」という印象が強い。
そしてその詩がまた“泣ける”のである。

マツユキソウ(Schneeglöcklein)が春の到来を告げる音を響かせる。
その音に最初に目覚めたスミレ(Viola)は、「春」という花婿との祝宴に参加しようと胸ときめかせて着飾り、その場に急ぎ向かう。
しかし、向かった先にはまだ誰ひとりいなかった。
スミレは呼ばれていないと感じ、恥ずかしさのあまり、草陰の人けのない場所を探して傷心に泣きじゃくる。
その後、マツユキソウの響きに目覚めた花々が続々と春の祝宴に集まる。
しかし、その場に最愛の子がいないのに気付いた春は、花々に探しに行かせた。
皆がスミレのもとにやってきたとき、スミレは愛と憧れの苦しみに押しつぶされていた。
マツユキソウよ、スミレが安らかに憩えるように鈴を鳴らしておくれ。

F=ディースカウはその著書の中で「植物学の講義に似て、はからずも喜劇的な感じを与える」とつれない評価を下し、アルフレッド・アインシュタインは「詩の選択を誤った」としながらも、「心を奪うような詩趣(ポエジー)のあまたの傾向が見いだされる」と限定的には評価する。
しかし、グレアム・ジョンスンによる「初期のすべてのバラードの試作の果てに実を結んだすばらしい作品のひとつ」という高評価に私は最も相槌を打つのである。
シューベルトがこの詩に心から共感して作曲したであろうと私は信じている。
ショーバーの詩が「喜劇的」かどうか私には分からないが、その詩の内容に私は切なくなり、シューベルトの音楽の共感に満ちた解釈に心の中で涙を流すのだ。

北村さおりはリリックな美声の持ち主。
どの音域もよく練れていて、会場いっぱいに満たす声のヴォリュームと強靭さも合わせもっている。
これから頭角をあらわしていくことを予感させる。
また、歌う時の顔の表情の豊かさは視覚的にも惹きつけられる。
前半の純白のドレス、後半の鮮やかな赤い衣装も目を楽しませてくれた。
彼女の歌は現在のよく伸びる美声を最大限に生かし、素直に曲の世界を表現することにその良さが感じられる。
「花の言葉」「花の便り」「薔薇のリボン」といったシューベルトのミニアチュールを伸びやかに屈託なく表現したのは、彼女の美質が生かされる選曲の良さも手伝っているだろう。
一方、「すみれ」の切なさも彼女は慈しむような共感をもって演じきり、曲の魅力を素敵に表現していた。
また、声を張ると美しいだけでない独自のコクが生まれ、それがリストの「喜びに満ち、悲しみにあふれ」で素晴らしい効果をあげていた。
リストの歌曲の独自の肌触りは録音で聴くよりもこうしてライヴで聴くと一層はっきり感じられる。
緊張と甘美が同居したような独特の世界。
その独自性に寄り添って素直に描き出した北村さんの挑戦に拍手を贈りたい。
シューマンの愛の歌の数々は今の彼女の良さがそのまま生きていたし、最後のヨーゼフ・マルクスの作品も後期ロマン派の官能的だが耳に馴染みやすい旋律の魅力を丁寧に引き出していたと感じた。

平島誠也のピアノはつい最近も聴いたばかりだが、これだけ異なるタイプの作品にそれぞれ対応する力にはあらためて驚かされる。
歌曲のピアニストはソリストのように自分の弾きたい作品を弾けるわけではない。
歌手の選ぶ膨大なレパートリーを何でも弾けるオールマイティさが求められると思われるが、言葉で言うより大変なことに違いない。
シューベルトの素朴だがデリケートな音楽、リストの時に強靭で時に甘美な主張の強い音楽、シューマンのロマンティックで自意識の強い音楽、マルクスの濃密な音楽。
それぞれの作曲家の持ち味を把握し、表現する平島さんの中には、あたかも4人の異なるピアニストがいるかのようである。
特にリストの自己主張の強さを絶妙のバランスをとりながら表現しているのを聴いて、あらためてその凄さを実感した。
しかし、その音色の美しさ、のめりこみすぎないテンポの快適さ(師匠ゲイジとは対照的?)、そして歌手と共にピアノで歌うという姿勢はいつもながら一貫して感じられた。
いい音楽を聴いたと思わせてくれる、やはり得がたいピアニストである。

なお、今回も配布パンフレットに平島氏の文章が寄せられていて、師弟関係を遡って、平島氏が過去の大作曲家たちとつながっていく様がなんとも興味深い。
中でエリック・ウェルバとアーウィン・ゲイジの師弟関係を例に出して「師弟関係と芸風がさほど密接だとは思えない」という文章は、平島さんとゲイジとの関係にもあてはまるように思えるが、きっとどこかに密接な部分もあるのだろう。
それをいつかコンサートの中で聞き取ってみようと思う。

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ツィメルマン/ピアノ・リサイタル(2010年6月3日 サントリーホール)

クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル

2010年6月3日(木) 19:00 サントリーホール(P2列11番)
クリスチャン・ツィメルマン(Krystian Zimerman)(ピアノ)

ショパン/ノクターン第5番 嬰ヘ長調 Op.15-2
Chopin / Nocturne in F-sharp major, Op.15-2

ショパン/ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 Op.35 「葬送」 
Chopin / Piano Sonata No.2 in B-flat minor, Op.35

ショパン/スケルツォ第2番 変ロ短調 Op.31
Chopin / Scherzo No.2 in B-flat minor, Op.31

~休憩~

ショパン/ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 Op.58 
Chopin / Piano Sonata No.3 in B minor, Op.58 

ショパン/舟歌 嬰ヘ長調 Op.60
Chopin / Barcarolle in F-sharp major, Op.60

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「葬送行進曲」の中間部のなんと美しいカンタービレ!
楽器がいいのか、演奏者がいいのか、ホールがいいのか、おそらくそのすべてだろうが、こんなに美しい音がピアノから出るのかと感動しながら息をひそめて聞き入ってしまった。

ポーランドの名手ツィメルマンの実演をはじめて聴いてきた。
ショパンイヤーに合わせて、プログラムもオール・ショパン。
しかも様々なジャンルから最もよく知られた作品ばかりを並べた堂々たる選曲。
余程自信がないと組めないようなポピュラリティのあるプログラミングである。

サントリーホールのP席(ステージの後ろ側)に久しぶりに座ったが、歌ものと違ってピアノの場合はそれほど音響的に不自由さを感じなかった。
手元は見えないが、足がよく見える席だったので、ペダリングがはっきり分かり、時に右足のかかとを浮かしたままペダルを踏む様子などなかなか興味深かった。

Op.9-2に次いで人気のあるノクターン第5番ではじまったが、姿勢よく、端正な演奏で、早くもほぼ満席の聴衆の心をつかんだように思った。
音がきつ過ぎず、フォルテでもまろやかさをもって芯のある響きを聞かせる。
その音づくりの魅力がツィメルマンの美質の一つであるように感じた。

続くソナタ第2番も端正な中に豊かな音楽を響かせる。
極端に走らず、自己陶酔することもなく、適度なコントロールをしながらもしっかり歌わせる。
実際、ツィメルマンのもらす声が低く聴こえてくることさえあったが、最近は演奏者自身が弾きながらもらす声も特に珍しいものではなくなった。
第3楽章の「葬送行進曲」と第4楽章は間をおかずに続けて演奏されたが、第4楽章がこれほど説得力をもって聴けたのはなかなか無いことだった。
適度なペダルの使用で不可思議なユニゾンのスケールに息吹が吹き込まれた感じだった。

前半最後の有名な「スケルツォ第2番」は、早めのテンポでスケルツォらしい戯れの感じられる演奏だった。

後半の「ソナタ第3番」はもはや安心してツィメルマンの演奏に身をゆだねて聴けた。
「舟歌」の穏やかな始まりから徐々に盛り上がっていく様も良かった。

Zimerman_20100603_chirashi

ものすごい熱烈な拍手とブラボーの嵐で何度もステージに呼び戻されたが、スターピアニストのコンサートというのはこういう雰囲気なのだろう。
アンコールはなかったが、「スケルツォ第2番」と「舟歌」が前後半それぞれのアンコール代わりと見ることも出来そうだ。
タッチの美しさが印象に残り、ショパンの音楽をじっくり堪能できた一夜だった。

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R.シュトラウス/「影のない女」(2010年5月29日 新国立劇場 オペラパレス)

R.シュトラウス/「影のない女」(2010年5月29日 新国立劇場 オペラパレス)

2009/2010シーズン
[New Production]
R.シュトラウス(Richard Strauss)/「影のない女(Die Frau ohne Schatten)」
全3幕【ドイツ語上演/字幕付】

2010年5月29日(土) 14:00 新国立劇場 オペラパレス(4階4列41番)

上演時間 1幕 70分 休憩 25分 2幕 60分 休憩 25分 3幕 60分

【皇帝(Der Kaiser)】ミヒャエル・バーバ(Michael Baba)
【皇后(Die Kaiserin)】エミリー・マギー(Emily Magee)
【乳母(Die Amme)】ジェーン・ヘンシェル(Jane Henschel)
【霊界の使者(Der Geisterbote)】平野 和(Hirano Yasushi)
【宮殿の門衛(Ein Huter der Schwelle des Tempels)】平井香織(Hirai Kaori)
【鷹の声(Die Stimme des Falken)】大隅智佳子(Osumi Chikako)
【バラク(Barak, der Färber)】ラルフ・ルーカス(Ralf Lukas)
【バラクの妻(Sein Weib)】ステファニー・フリーデ(Stephanie Friede)

【合唱】新国立劇場合唱団(New National Theatre Chorus)
【管弦楽】東京交響楽団(Tokyo Symphony Orchestra)
【指揮】エーリッヒ・ヴェヒター(Erich Wächter)

【演出・美術・衣裳・照明】ドニ・クリエフ(Denis Krief)

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この日は朝からアレルギー性鼻炎でくしゃみと鼻水が止まらず、迷った末に鼻炎薬を飲んでから会場に向かった。
上演中は幸い薬が効果を発揮し、周りのお客さんに迷惑をかけることはなかったが、第1・2幕では副作用の強烈な眠気で朦朧としていた為、ほとんど気が付くと目をつむっている状態(第3幕のみ眠らずに舞台を見ることが出来た)。
そんなわけで字幕を追うのは途中からあきらめて、音楽に身をゆだねていた。

このオペラ、シュトラウスらしさがほかの作品に比べると薄いような気がしたが、それゆえにシュトラウス臭があまり得意ではない私にはかえって素直にその音楽に身を委ねることが出来た。
きっと聞き込むと、シュトラウスのほかの作品よりも好きになれそうな気がする。

歌手では皇后役のエミリー・マギーが個人的には一番素晴らしかったと感じた。
よく通る声とむらのない発声、そして豊かな表現力と演技で魅了された。
それに次いで乳母役のジェーン・ヘンシェルも老練な貫禄で難役を見事にこなしていた。
なお、バラクの妻役のステファニー・フリーデはこの日一番の客席からの喝采を受けていた。
男声陣も悪くなかったが、霊界の使者役の平野和の歌声が特に安定していて見事だと思った。

ヴェヒター指揮の東京交響楽団はドラマティックな迫力を充分感じさせてくれたと思う。

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舞台装置は何人かの黒子が手動で動かしていた場面が多かったが、低予算ゆえなのか、演出家の意図なのかは分からない。

今回は聴くコンディションが整っていなかったので、もったいないことをした。
機会があれば、またほかの演奏でもぜひ聴いてみたい。

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フォーレ全歌曲連続演奏会Ⅲ(2010年5月26日 東京文化会館 小ホール)

日本フォーレ協会創立20周年記念 フォーレ全歌曲連続演奏会Ⅲ
-日本フォーレ協会第ⅩⅩⅡ回演奏会-

Faure_20100526

2010年5月26日(水) 19:00 東京文化会館 小ホール(全自由席)

フォーレ(Fauré: 1845-1924)作曲

ヴォカリーズ(Vocalise étude)
贈物(Les présents) Op.46-1
月の光(Clair de lune) Op.46-2
口づけをしたから(Puisque j'ai mis)(未出版曲)
 三林輝夫(Teruo Sanbayashi)(T)、井上二葉(Futaba Inoue)(Pf)

涙(Larmes) Op.51-1
墓地で(Au cimetière) Op.51-2
憂鬱(Spleen) Op.51-3
ばら(La rose) Op. 51-4
 坂本知亜紀(Chiaki Sakamoto)(S)、ローラン・テシュネ(Laurent Teycheney)(Pf)
 
「シャイロック(Shylock)」より
 歌(Chanson) Op.57-1
 マドリガル(Madrigal) Op.57-3
 根岸一郎(Ichiro Negishi)(Br)、柴田美穂(Miho Shibata)(Pf)
 
「ヴェネチアの5つの歌(Cinq mélodies "De Venise")」 Op.58
 マンドリン(Mandoline) Op.58-1
 ひそやかに(En sourdine) Op.58-2
 グリーン(Green) Op.58-3
 クリメーヌに(A Clymène) Op.58-4
 やるせない夢見心地(C'est l'extase langoureuse) Op.58-5
 小宮順子(Yoriko Komiya)(S)、井上二葉(Pf)
 
不滅の香り(Le parfum inpérissable) Op.76-1
アルペジオ(Arpège) Op.76-2
牢獄(Prison) Op.83-1
夕べ(Soir) Op.83-2
 石井惠子(Keiko Ishii)(S)、柴田美穂(Pf)

 ~休憩~
 
金色の涙(Pleurs d'or) Op.72
 石井惠子(S)、根岸一郎(Br)、柴田美穂(Pf)
 
シシリエンヌ(Sicilienne) Op.78
幻想曲(Fantaisie) Op.79
 三上明子(Akiko Mikami)(Fl)、ローラン・テシュネ(Pf)
 
「閉ざされた庭(Le jardin clos)」 Op.106(全8曲)
 Ⅰ.願いの聞き入れられんことを
 Ⅱ.あなたに目を見つめられると
 Ⅲ.春を告げる使い
 Ⅳ.あなたの心に身を委ねましょう
 Ⅴ.ニンフの神殿で
 Ⅵ.薄明のなかで
 Ⅶ.愛の神よ、私にとって大切なもの、それは目隠し
 Ⅷ.砂の上の墓碑銘
 林裕美子(Yumiko Hayashi)(S)、井上二葉(Pf)

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昨年7月よりスタートしたフォーレ全歌曲連続演奏会も今回で3回目。
今回もベテランから若手まで様々な世代、様々な個性の歌手、ピアニストたちによってフォーレ中期の歌曲を中心に演奏された。
考えてみると、普段フォーレの歌曲をステージで聴く機会というのはかなり少ない。
そういう意味で、この連続演奏会は貴重な機会であると同時に、フォーレの音楽の素晴らしさを堪能させてくれるまたとないチャンスである。

そして、今回もまた最初から最後まで一貫して素晴らしい音楽と演奏を心ゆくまで楽しむことが出来て大満足だった。

特に未出版曲の「口づけをしたから(Puisque j'ai mis)」というヴィクトル・ユゴーの詩による作品をはじめて聴くことが出来たのは貴重だった。
1862年作曲というからごく初期の作品であり、実際に演奏を聴いてみても細かいピアノ音型の上を素朴な歌が流れていくという印象である。
フォーレが出版しなかったのもなんとなく分かる気もするが、なにはともあれ珍しい作品に接することが出来て良かった。

今回配布された歌詞の日本語訳付きパンフレットの土屋良二氏作成のフォーレ歌曲リストの分類によると、この日に演奏された作品は全4期中第3期の作品が中心で、それに第4期の歌曲集「閉ざされた庭」が加わっている。
若かりし頃の流麗で親しみやすい旋律に比べると、旋法的な独特な旋律の流れと、最低限の簡素なピアノパートによって徐々に渋みを増してきた。
特に歌曲集「閉ざされた庭」は何度か聴いて、こちらから歩み寄って行かないと、なかなかその良さが分からない晦渋さがある。
しかし、そういう歩み寄りの結果、きっと晩年のフォーレが心を開いてくれるような予感がする。

やはり「月の光」は際立って美しい作品である。
ピアノ曲に歌声のオブリガートが乗っかっているというようなことが良く言われるが、ヴェルレーヌのテキストがそのような音楽を求めているようにも思える。

なお、こういう機会でもないとなかなか聴くことの出来ない二重唱曲「金色の涙」が歌われたのも良かった。

おのおのの演奏に対する私の所感は以下のとおり(演奏順)。

三林輝夫(T)、井上二葉(Pf)
歌はリリカルな美しい声で真摯な表現が素晴らしかった。
ピアノは大ベテランだが、妥協のない引き締まった音楽と、衰えを知らぬテクニックの冴えは驚くほどで、大変感銘を受けた。

坂本知亜紀(S)、ローラン・テシュネ(Laurent Teycheney)(Pf)
歌は非常に素直で清潔感のある声だが、「涙」のようなドラマティックな曲にもよく同化していて良かった。
ピアノは音の濁りもものともせず骨太な演奏だった。日本人のピアニストとの個性の違いが印象的だった。

根岸一郎(Br)、柴田美穂(Pf)
歌はヴィブラートの少ないユニークな声で洒脱な登場人物になりきって歌っていたと思う。
北とぴあのオペラで何度か聴いたが、歌曲もとても合っていると感じた。
柴田さんのピアノは非常に安定していて、音色もまろやかで美しく粒が揃っていて、非の打ちどころがなかった。
優れた歌曲ピアニストとして名前を覚えておこう。

小宮順子(S)、井上二葉(Pf)
声量が豊かで、ソプラノだが厚みもあり、様々なタイプの曲に対応できる歌手だと思った。
ピアノは変幻自在な音色にまたまた驚かされ、特に「クリメーヌに」での演奏はピアノに耳を奪われっぱなしだった。

石井惠子(S)、柴田美穂(Pf)
この歌手は今晩の出演者の中でもとりわけ優れていたと思った。
どの声域でもかすれたり弱くなったりすることが一切なく、常に熟達した豊かな音楽が表現されていて、素晴らしい歌手だった。

三上明子(Fl)、ローラン・テシュネ(Pf)
フルートの音色は高く澄んでいるのだが、若干ハスキーな響きも混ざっている。
その響きは人の声を想起させる気がした。
ピアノは歌手との共演の時よりも自在さが増し、より対等に主張していた。
フォーレの名作2曲を素晴らしい演奏で堪能した。
それにしても「シシリエンヌ」は何度聴いてもノスタルジックな感傷にひたってしまうような美しい作品である。

林裕美子(S)、井上二葉(Pf)
林さんは素直でリリカルな声と表現力で、この一見晦渋な作品に生き生きとした生命感を与えていた。
井上さんは最後まで隙のない完成された演奏を聴かせてくれた。
井上二葉さんの実演を聴けたというだけでも素晴らしい体験だった。

この全歌曲シリーズ最終回は11月2日の予定。

Faure_20100526_chirashi

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