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川村英司&東由輝子/川村英司独唱会(2010年6月12日 東京文化会館 小ホール)

川村英司独唱会 Schumannの生誕200年とWolfの生誕150年を記念して-川村英司の傘寿を記念して
2010年6月12日(土) 19:00 東京文化会館 小ホール(全自由席)

川村英司(Eishi Kawamura)(バリトン)
東由輝子(Yukiko Higashi)(ピアノ)

ヴォルフ(Hugo Wolf)作曲

初期の作品より(Frühere Lieder)
 夜と墓(Nacht und Grab)(チョッケ詩)
 悲しい道(Traurige Wege)(レーナウ詩)
 夜のあいだに(Über Nacht)(シュトゥルム詩)

メーリケ歌曲集より(Mörike Lieder)
 散歩(Fußreise)
 世をのがれて(Verborgenheit)
 ある結婚式で(Bei einer Trauung)
 問わず語り(Selbstgeständnis)

ミケランジェロの詩による三つの歌(Drei Gedichte von Michelangelo)
 わたしはしばしば思う(Wohl denk' ich oft)
 この世に生を享けたものはすべて滅びる(Alles endet, was entstehet)
 わたしの魂は感じえようか(Fühlt meine Seele)

~休憩~

シューマン(Robert Schumann)作曲

詩人の恋(Dichterliebe) 作品48(ハイネ詩)
 こよなく美しい五月に
 僕の涙のあとから
 バラや、百合や、鳩や
 お前の眼を見つめていると
 僕の魂を沈めよう
 ライン河、聖なる流れのなかに
 僕は嘆かない
 もし小さな花たちが
 あれはフルートとヴァイオリンだ
 歌が響いてくるのを聞けば
 ある若者がある乙女に恋をして
 光り輝く夏の朝に
 僕は夢の中で泣いていた
 夜毎の夢にお前をみて
 古いお伽噺のなかから
 昔のいまわしい歌や

~アンコール~
シューマン/献呈(Widmung)
シューマン/あなたは花のよう(Du bist wie eine Blume)
ヴォルフ/祈り(Gebet)
ヴォルフ/別れ(Abschied)

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朗々とした声。
高音の衰えを知らぬ張りのある声はただただ驚異的。
むしろ低音よりも高音の方が余裕をもって出ているようにすら思える。
80歳でこれほどの声を維持している世界的歌手がどれほどいるだろうか。

シューマンの生誕200年とヴォルフの生誕150年を記念して、この2人の作品を集めたリサイタルをバリトンの川村英司が開いたが、川村氏の傘寿の記念も兼ねている。
東京文化会館小ホールには川村さんと同世代と思われる年配のお客さんを中心に多数つめかけ、かなりの盛況だった。

前半はヴォルフの初期歌曲から珍しい3曲、メーリケ歌曲集から4曲、そしてミケランジェロ歌曲全3曲という構成。
後半はシューマンの歌曲集「詩人の恋」全16曲。

最初に歌われたのは、ヴォルフの現存する最も若い時(15歳)の作品「夜と墓」。
この作品、まだ誰も録音していないので、こうして実演で聴けるのは貴重である。
以前松川儒の全曲シリーズで1度聴いたので、今回がこの曲を聴く2度目となる。
川村氏は「歌曲作曲家としての片鱗をうかがわせるだけでなく、優れた作品」と配布パンフレットに記されているように、お好きな作品のようである。
私はこれまでは単なる若書きぐらいにしか見ていなかったのであるが、こうして大ベテランの血肉の歌唱と音楽性豊かなピアニストによる演奏で、あたかも傑作を聴いているかのような気持ちにさせられた。
続く「悲しい道」は最近何人かの演奏者が録音しているが、まだ馴染み深い作品というほどではない(F=ディースカウも録音していない)。
しかし、詩人レーナウ特有の憂鬱な気分を若きヴォルフの繊細な感性が描き出した音楽はなかなか聴きごたえがある。
「夜のあいだに」は初期の作品の中では比較的知られている方かもしれない。
こうした知られざる作品の紹介者としての川村氏の貢献も忘れてはならないことだろう。

続くメーリケ歌曲集からの4曲は、全く異なる性格をもった作品が並び、メーリケとヴォルフの作風の多彩さと同時に、川村氏の対応力の幅広さも示すこととなった。
軽快な「散歩」にはじまり、有名な「世をのがれて」が続き、3曲目での「ある結婚式で」が素晴らしい歌唱。
愛のないカップルの結婚式を皮肉たっぷりに歌った作品だが、川村氏の表現はほかの誰が歌った時よりも皮肉っぽく響いた。
年輪のなせる技だろうか。
「問わず語り」では一人っ子ゆえの重荷をぼやく少年になりきって歌っていた。

そして、前半最後の「ミケランジェロ歌曲集」。
これは川村氏お得意のレパートリーなのだろう。
実に自在にこれらの歌の内面を伝えてくれたような気がする。

休憩後の「詩人の恋」はもうこの年にしてはじめて可能な歌唱といっていいと思う。
だからといって昔を回顧した歌い方ではなく、あくまで若者として歌っていたのが素晴らしい。
もちろん、そこに無理はなく、一人の青年の恋の喜びと苦悩が一人称の形で表現されていた。
ただただ凄いの一言。

アンコールは4曲披露されたが、それぞれ川村氏の思い出深い作品のようで、その曲への思いを述べられてから演奏された。
特に興味深かったのは、シューマンの「あなたは花のよう」を師のギュンター・ヴァイセンボルンと合わせた時のエピソード。
川村氏が単語をペータース版のものではなく、シューマンの変更した言葉で歌ったところ、ヴァイセンボルンになぜそう歌うのかと聞かれたそうだ。
ヴァイセンボルンはシューマンの変更を知らなかったようだが、ペータース版の単語だとハイネの皮肉が込められているのにシューマンの曲には皮肉な調子がないのがこれまで不思議だったとのこと。
シューマンがテキストのある一語を変更したことによって、ハイネの皮肉な調子が消えて、シューマンの曲に皮肉な調子が認められないのがようやく納得できたという。
こういう言葉に込められた感覚については確かにドイツ人にしか分からないかもしれないが、日本人の川村氏が様々なエディションを調べることによって、ドイツ人の気付かなかったことを発見できたというのは凄いことである。

東由輝子のピアノは、音色に対するデリカシーが傑出していた。
どの音もおろそかにせず、大切に響かせていた。
一方強音も決して荒くなることがなく、芯のあるどっしりとした音が出ていた。
初期の作品「夜と墓」「悲しい道」が傑作と思えるほど、余韻の感じられるしっとりとした演奏を聞かせてくれた。
また、川村氏が歌の入りを間違えてもうまく対応するなど、共演者として頼りがいのあるところも感じられた。
アンコール最後のヴォルフの「別れ」は批評家批判の皮肉たっぷりの作品だが、このピアノ後奏のウィンナーワルツについてはエリック・ヴェルバ仕込の弾き方を川村氏が伝授したとのこと。
前半はウィンナーワルツ特有のノリで、後半は急速に演奏して、批評家を階段から突き落として一矢報いた気持ちを生き生きと描いていた。

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