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望月哲也&河原忠之/望月哲也 Wanderer Vol.2(2010年5月25日 王子ホール)

望月哲也 Wanderer Vol.2

Mochizuki_wanderer_20100525

2010年5月25日(火) 19:00 王子ホール(A列4番)

望月哲也(Tetsuya Mochizuki)(テノール)
河原忠之(Tadayuki Kawahara)(ピアノ)

マーラー(Mahler)/「さすらう若人の歌」全曲
  彼女の婚礼の日は
  朝の野辺を歩けば
  私は燃えるような短剣を持って
  ふたつの青い目が

ヴォルフ(Wolf)/「メーリケ歌曲集」より
  鼓手
  愛する人に
  ペレグリーナⅠ
  ペレグリーナⅡ
  庭師
  尽きることのない愛
  狩人

~休憩~

リヒャルト・シュトラウス(R.Strauss)/
「5つの素朴な歌」より
  ああ、不幸な男だ、この僕は Op.21-4
「4つの歌」より
  ばらのリボン Op.33-1
「5つの素朴な歌」より
  全ての私の想い Op.21-1
「はすの花びらよりの6つの歌」より
  拡げたまえ、僕の頭上に君の黒髪を Op.19-2
「4つの歌」より
  ひそやかな誘い Op.27-3
「5つの歌」より
  天の使い Op.32-5
  おお、優しき5月よ! Op.32-4

マーラー(Mahler)/
「子供の魔法の角笛」より
  この歌を作ったのは誰?!
「若き日の歌」より
  夏に小鳥はかわり
「子供の魔法の角笛」より
  魚に説教するパドヴァの聖アントニウス
  高い知性を讃える
「若き日の歌」より
  別離と忌避

~アンコール~
ヴォルフ/眠りに寄せて(An den Schlaf)
マーラー/美しさゆえに愛するのなら(Liebst du um Schönheit)
R.シュトラウス/なにも(Nichts) Op.10-2

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今やオペラにコンサートに引っ張りだこのテノール、望月哲也が王子ホールで始めた"Wanderer"というリサイタルシリーズの第2回を聴いた。
第1回の「美しい水車屋の娘」は聴いていないので、彼のリートを聴くのは今回がはじめて。
ピアニストはオペラのコレペティートルとしての経験豊富な河原忠之で、彼の演奏も私にとってははじめてであった。

選ばれた作品は、今年生誕150年を迎えたマーラーとヴォルフ、それにほぼ同時代人のR.シュトラウスの歌曲である。

マーラーの歌曲集「さすらう若人の歌」はバリトン歌手のお得意のレパートリーで、たまにメゾソプラノ歌手も歌ったりするが、テノール歌手はあまり歌わない。
望月氏もそのへんをふまえて「テノールの音色でこの曲がどのように響くのかという好奇心から」とりあげたとのこと。
望月氏の強みはリリカルな表現とドラマティックな表現のどちらにも長けている点だろう。
そういう意味で、この歌曲集の哀しみを胸に抱えながら抑制された箇所も、そして抑えていたたががはずれ、自暴自棄になり激しく高揚する箇所も、オペラの一場面のように明快に歌い分けていた。
テノールの張りのある美声で聴くと、この曲集の主人公が若い「遍歴職人」であることを思い出させてくれた。
中でも第3曲のドラマティックな感情表出がやはり強い印象を受けた。

続いてヴォルフの「メーリケ歌曲集」から7曲。
まだあどけない少年の妄想を歌った「鼓手」に始まり、真摯で神々しい「愛する人に」、そして恋に溺れていく濃密な2曲の「ペレグリーナ」と続き、一転して爽やかな「庭師」、そして愛の欲望を高らかに肯定する「尽きることのない愛」、最後は恋人とけんかした狩人が気晴らしの狩に出る「狩人」で締めくくられる。
「キャラクターの演じ分け」をテーマに歌ったそうだが、確かに多彩な表情が求められる作品群であった。
一筋縄ではいかないヴォルフの作品だが、望月の歌はしっかり自分のものとして消化して聴かせてくれたのがいい意味で驚きだった。
「鼓手」や「狩人」で聴かせた表情の豊かさはオペラで鍛えたものも大いにものをいっているのではないか。
きっと入念な準備をしたに違いない。
今後さらに歌いこむことでコクが出てきたら面白そうである。

休憩後、最初はR.シュトラウスの歌曲から7曲。
コミカルな「ああ、不幸な男だ、この僕は」から、シュトラウスらしい流麗な「ばらのリボン」、さらに情熱的な「ひそやかな誘い」まで、オペラ歌手としての特性が最も生かされた作品群であり、それゆえに望月の歌も伸び伸びと広がっていく。
気持ち良さそうな歌いぶりであった。
Op.32からの珍しい2曲(「天の使い」「おお、優しき5月よ!」)の選曲も、彼の意欲のあらわれだろう。

最後は再びマーラーの作品だが、今回は明るくコミカルで時にシニカルな作品5曲。
「夏に小鳥はかわり」でのカッコウの鳴き声や「高い知性を讃える」でのロバの鳴き声など、誇張することによってマーラーの意図が表現される作品では、オペラ歌手望月の表現力の豊かさが最大限に生かされた。
「この歌を作ったのは誰?!」では中間部でテンポを落としたのが主人公の必死の訴えを際立たせていて新鮮だった。
「魚に説教する~」はいつ聴いても面白い曲だが、詩の内容は相当シニカルである。
そういう意味で望月哲也にとって挑戦しがいのある作品をあえて選曲したのであろう。
そして、現時点での彼の良さが生かされた爽やかな後味のコンサートとなっていたと思う。

望月哲也の声は美しく、発音もよく訓練されていたように感じた。
若々しく生き生きとした声の愉悦と、表現に新鮮さがあり、どの曲も自分のものにしていたのは心強かった。
オペラ歌手としての演技力がリートに持ち込まれ、見て楽しめる歌だった。
低声域もテノールの範囲内でよく出していたと思う。
颯爽と歩くステージマナーなどは写真で見るよりもずっと若々しい印象だった。

Mochizuki_wanderer_20100525_chirash

河原忠之のピアノは細かく見れば若干おおざっぱに感じるところもあったが、勘所をしっかりおさえた演奏だった。
全体像を意識した演奏はコレペティートルとしての特性も影響しているのかもしれない。
ただ、ヴォルフ「鼓手」のトレモロは、はしょらずにしっかり弾くことでより効果的になるのではないだろうか。
後半のシュトラウスなどもなかなか洒脱な演奏だったが、遠慮せずにさらに歌と張り合った方が作品の良さが生きるのではないかと感じた。
彼としては最後のマーラーの歌曲グループが最も生き生きとしていて素晴らしいピアノ演奏だったと感じた(譜めくりを付けなかった為だろう、長大な「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」ではあらかじめ楽譜の全ページを大きなボードに貼り付けて楽譜立てに置いていたのが面白かった)。

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フィッシャー=ディースカウ祝85歳!

ドイツの名バリトン、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau)が5月28日で85歳を迎えた。
1992年を最後に歌手活動から一切身を引いた後も朗読、指揮、マスタークラス、執筆など、精力的な活動はますます盛んだったものだが、その彼ももう85歳となった。
ドイツのAuditeレーベルからはここ数年の間に何種類もの放送録音がCD化されてファンを喜ばせてくれたが、最近も彼の85歳を祝って4枚の新譜が出たばかりである。
「歌曲の王」とはシューベルトに対する称号だが、現代における「歌曲の王」はF=ディースカウではないだろうか。

そんな彼へのお祝いと感謝の意味をこめて、彼のザルツブルク音楽祭でのピアノ共演歌曲リサイタルのデータをまとめてみたので公開します(Excel)。
 「F-Dieskau_in_Salzburg.xls」

彼と同時代にいられる幸せをかみしめつつ、今後のご健康を祈りたい。

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アンネリーゼ・ローテンベルガー逝去

ドイツ往年の名ソプラノ、アンネリーゼ・ローテンベルガー(Anneliese Rothenberger: 1926.6.19–2010.5.24)が83歳で亡くなった。
彼女はオペラやオペレッタの歌唱のほかに、TV司会者としての人気でドイツの国民的存在となっていたようだ。
私が彼女の歌を聴いたのは、学生時代に図書館に置いてあった歌曲のLPレコードを通じてであった。
その後、EMIで彼女のポートレート集として多くの歌曲をまとめたCDが出て、それを購入して聴いたりしていたが、実演を聴いたことがあるわけでもなく、なんとなく過去の歌手という認識をもっていた。
年齢的にはF=ディースカウとあまり変わらないのだが、病気のために早く引退してしまったようだ。

YouTubeに面白い映像がある。
ピアニストのノーマン・シェトラーを検索して引っかかった映像なのだが、人形使いとしての面も持つシェトラーとローテンベルガーでロッシーニの「2匹の猫の滑稽な二重唱」を歌っているのである。
人形相手でもローテンベルガーの愛らしさはさすがエンターテイナーだと感じずにいられない。

 動画

彼女の初来日は1974年。
ピアニストのアーウィン・ゲージを伴って2種類のプログラムを披露したそうだ。

1974年3月23日(土) 19:00 東京文化会館大ホール:プログラムA
1974年3月26日(火) 19:00 大阪フェスティバルホール:プログラムA
1974年3月28日(木) 19:00 東京文化会館大ホール(都民劇場音楽サークル):プログラムB
1974年4月2日(火) 18:30 愛知文化講堂:プログラムA
1974年4月6日(土) 18:30 札幌市民会館:プログラムB
1974年4月8日(月) 19:00 東京文化会館大ホール:プログラムB

アンネリーゼ・ローテンベルガー(Anneliese Rothenberger)(S)
アーウィン・ゲージ(Irwin Gage)(P)

●プログラムA

グルック(Gluck)
オペラ「パリスとヘレナ」第1幕のアリア:ああ、わたしの優しい情熱(O del mio dolce ardor)

モーツァルト(Mozart)
恋する私の胸は(Schon klopfet mein liebender Busen) K579
夕べの思い(Abendempfindung) K523
ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いた時(Als Luise die Briefe ihres ungetreuen Liebhabers verbrannte) K520
いましめ(Warnung) K433

ベートーヴェン(Beethoven)
ゲーテの「エグモント」よりクレールヒェンの歌(Klärchenlieder aus Goethe's "Egmont") 作品84
1.太鼓が鳴った(Die Trommel gerühret)
2.喜びでいっぱい(Freudvoll und leidvoll)

ヴォルフ(Wolf)
エドゥアルト・メーリケの詩による6つの歌(Lieder nach Gedichten von Eduard Mörike)
棄られた娘(Das verlassene Mägdlein)
妖精の歌(Elfenlied)
祈り(Gebet)
眠りに寄せて(An den Schlaf)
四月の蝶(Zitronenfalter im April)
鼠とりのおまじない(Mausfallensprüchlein)

~休憩~

ドビュッシー(Debussy)
鐘(Les cloches)
半獣神(Le faune)
ロマンス(Romance)
マンドリン(Mandoline)

リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss)
夜(Die Nacht) 作品10の3
あらしの日(Schlechtes Wetter) 作品69の5
あした(Morgen) 作品27の4
星(Der Stern) 作品69の1
わが子に(Meinem Kinde) 作品37の3
高鳴る胸(Schlagende Herzen) 作品29の2

●プログラムB

ハイドン(Haydn)
おお、甘美な声音よ(O süßer Ton)

シューベルト(Schubert)
水の上で歌う(Auf dem Wasser zu singen) D774
夜鶯に(An die Nachtigall) D497
夜と夢(Nacht und Träume) D827
幸福(Seligkeit) D433
糸を紡ぐグレートヒェン(Gretchen am Spinnrade) D118

シューマン(Schumann)
くるみの木(Der Nußbaum) 作品25の2
私のばら(Meine Rose) 作品90の2
まつゆき草(Schneeglöckchen) 作品79の27
月の夜(Mondnacht) 作品39の5
ことづて(Aufträge) 作品77の5

~休憩~

ブラームス(Brahms)
ジプシーの歌(Zigeunerlieder) 作品103
1.さあ、ジプシーよ、絃をかき鳴らせ(He, Zigeuner, greife in die Saiten ein)
2.波高いリマの流れよ(Hochgetürmte Rimaflut, wie bist du so trüb')
3.知ってるかい、おれの恋人が一番すてきなのは(Wißt ihr,wann mein Kindchen am allerschönsten ist?)
4.神さま、あなたはご存じです(Lieber Gott, du weißt, wie oft bereut ich hab)
5.日焼けした若者が(Brauner Bursche führt zum Tanze)
6.ばらが三つならんで、あんなに赤く咲いている(Röslein dreie in der Reihe blühn so rot)
7.かわいい恋人よ、お前はしょっちゅう思い出してるかい(Kommt dir manchmal in den Sinn)
8.赤い夕焼が大空を流れる(Rote Abendwolken ziehn am Firmament)

おとめは語る(Das Mädchen spricht) 作品107の3
五月の夜(Die Mainacht) 作品43の2
夜うぐいす(Nachtigall) 作品97の1
甲斐なきセレナーデ(Vergebliches Ständchen) 作品84の4

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ローテンベルガーの歌うリートは、清潔な声と表現で、素直に旋律を歌い上げる。
その表現の愛らしさ、人なつっこさは、確かに彼女独自の歌の世界を形作っていた。
共演ピアニストはギュンター・ヴァイセンボルンが多かったようだが、ほかにフーベルト・ギーゼン、ジェラルド・ムーア、アーウィン・ゲイジなども彼女のパートナーであった。

ご冥福をお祈りいたします。

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ヴォルフ/朝露(Morgentau)

Morgentau
 朝露

Der Frühhauch hat gefächelt
Hinweg die schwüle Nacht,
Die Flur holdselig lächelt
In ihrer Lenzenspracht;
Mild singt vom dunkeln Baume
Ein Vöglein in der Früh,
Es singt noch halb im Traume
Gar süße Melodie.
 朝の息吹がそよぎ、
 うっとうしい夜を追い払った。
 野はかくも愛らしく微笑む、
 春の華やぎの中で。
 日陰の木からは穏やかに
 小鳥が朝まだき歌を響かせる。
 それはまだ半ば夢見心地に
 とろけるような甘美なメロディを歌う。

Die Rosenknospe hebet
Empor ihr Köpfchen bang,
Denn wundersam durchbebet
Hat sie der süße Sang;
Und mehr und mehr enthüllet
Sich ihrer Blätter Füll',
Und eine Träne quillet
Hervor so heimlich still.
 バラの蕾は
 オドオドと身を震わせながら頭をあげる。
 あの甘美な歌が
 奇妙にも震えをもたらしたから。
 そして、蕾を覆う葉が
 次々と広がり、ヴェールを脱ぎ捨てると、
 一粒の涙が
 ひそかにそっと浮き出るのだ。

詩:不明
曲:Hugo Wolf (1860-1903)

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「女声のための6つの歌(Sechs Lieder für eine Frauenstimme)」の第1曲。
この歌曲集はヴォルフにとってはじめて出版された記念すべき作品群である。
1877年6月6日~19日作曲。

詩の作者は不明だが、ヴォルフの父親が書き写した古い歌の本に掲載されていたようだ。
朝が訪れて、バラの花が咲くと、そこに露が浮き出ていると歌われる。
その露を“涙”と表現しているのがなんとも素敵である。

音楽は簡潔、素朴、平明で、過不足がなく、極めて美しい。
民謡調の印象的な歌声部と、繊細な音の選択はあるものの分散和音を貫くピアノパート。
非常に魅力的な作品だが、ヴォルフらしい点をこの作品から見出すのは困難だろう。

In sanfter Bewegung(穏やかな動きで)
4分の2拍子
ニ長調
全36小節
歌声部の最高音:2点ホ音
歌声部の最低音:1点ホ音

以前、投稿サイト「詩と音楽」に投稿した時の記事は以下のリンク先でご覧になれます。
 「詩と音楽」

Elisabeth Schwarzkopf(S)(静止画)
シュヴァルツコプフの歌は気品に満ちてただただ美しい。おそらくピアノはムーアと思われるが、こちらも温かく歌っている。

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高橋大海&服部容子/イノック・アーデン(2010年5月18日 日暮里サニーホール コンサートサロン)

日本声楽家協会《日暮里びぶらアート劇場》

Enoch_arden_20100518

独演コンサートシリーズ 歌曲の夕べ
声とピアノのアンサンブル
第9回

2010年5月18日(火) 19:00 日暮里サニーホール コンサートサロン(全自由席)

高橋大海(たかはし たいかい)(語り)
服部容子(はっとり ようこ)(ピアノ)

R.シュトラウス(R.Strauss)/イノック・アーデン(Enoch Arden Op.38)
 原作:A.テニスン(Alfred Tennyson)
 日本語翻訳:谷篤(Tani Atsushi)

《第1部》
前奏曲~青春
ある秋の日
結婚
旅立ち
幼子の死
フィリップ父さん
求婚
アニイの夢~結婚

 ~休憩~

《第2部》
前奏曲~航海の運命

帰郷
再会~決意
遺言
永遠の別れ

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久しぶりに日暮里のサニーホールに行った。
15分の休憩をはさんで約1時間半、イギリス人、アルフレッド・テニスンの詩「イノック・アーデン」の日本語訳の朗読と、それに付けられたR.シュトラウスによる音楽が演奏された。
“メロドラマ”と呼ばれるこのジャンルは、シューベルト、シューマン、リストなども作っているが、シュトラウスの音楽による「イノック・アーデン」は、その原作の知名度の高さでは群を抜いているかもしれない。

シューベルトやシューマンのメロドラマがほとんど途切れることのない音楽の上で朗読されるのと異なり、シュトラウスの「イノック・アーデン」の場合は音楽のない朗読のみの箇所がかなり多い。
まず朗読ありきで、その心理を暗示するようにピアノが補足するような印象である。
シュトラウス自身はこの機会作品を失敗作とみなしていたそうだが、時に雄弁に主張するかと思えば、時に後方でひそやかに支えるといった起伏に富んだ音楽が朗読を引き立てていたことは確かである。

登場人物は、船乗りの息子イノック・アーデンと、粉屋の息子フィリップ・レイ、そして美少女アニー・リーの3人の幼馴染である。
子供時代は無邪気にイノックとフィリップが交代でアニーの夫役を演じて遊んでいたが、大人になり、2人が共にアニーに恋心を抱くようになると運命のいたずらに翻弄されていく。

100席の小さなサロンで朗読を聞くというのはまさに理想的な環境だろう。
高橋大海氏の歌はこれまで聴いたことがなかったのだが、今回は朗読のみ。
しかし、俳優の語りとも、アナウンサーの語りとも違う、歌い手ならではの語りと感じた。
高橋氏は音楽のない箇所は生声で、ピアノが加わる箇所は声が消されないようにマイクを使って工夫しながら朗読していた。
穏やかなバスバリトンの声は日本語をはっきりと発音することを心掛けながらゆっくりめに語られる。
噛んでふくめるような語りは、決してテクニックに頼らず、実直に言葉を伝えようとしていた。
いわばおじいさんが孫に話を聞かせるような素朴な味わいが心地よかった。

ピアノの服部容子氏はこのホールで様々なコンサートを企画して演奏もするという多才な方。
今回は演奏前にこの作品にまつわる話があり(「メロドラマ」という言葉は「メロディー」と「ドラマ」が合わさったという説があるという話は興味深かった)、その後に高橋氏と共に再登場して「イノック・アーデン」を演奏したのだが、芯のある豊かな音の響きは、断片的になりがちなシュトラウスの音楽に一貫した魅力を付与していて素晴らしいピアノ演奏だった。

メロドラマも本来は作曲家が付けたオリジナルの言語のまま味わうのがいいのかもしれないが、歌曲を聴く時ほどその縛りは厳格ではないと思う。
日本で演じられる時は日本語で朗読されるのが聞き手には親切だし、日本人が語るのにドイツ語や英語を無理して使う必要はないだろう。
今回は高橋氏のお弟子さんの日本語訳による版を服部氏が知人のピアニストから入手して、多少の手直しが加えられての上演となったそうだ。
この意欲的な企画と上演の成功に拍手を贈りたい。

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カークビー&ロンドン・バロック/シェイクスピア・イン・ラヴ(2010年5月12日 津田ホール)

エマ・カークビー&ロンドン・バロック

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シェイクスピア・イン・ラヴ(SHAKESPEARE IN L♡VE)
2010年5月12日(水) 19:00 津田ホール(B列2番)

エマ・カークビー(Emma Kirkby)(ソプラノ)(1)
ロンドン・バロック(London Baroque)
 イングリット・ザイフェルト(Ingrid Seifert)(ヴァイオリン)(2)
 リチャード・クヴィルト(Richard Gwilt)(ヴァイオリン)(3)
 チャールズ・メドラム(Charles Medlam)(ヴィオラ・ダ・ガンバ)(4)
 スティーヴン・デヴィーン(Steven Devine)(チェンバロ)(5)

ローズ(William Lawes: 1602-1645)/2つのヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、オルガンのための組曲第1番ト短調(2,3,4,5)
 Fantazia - [Almaine] - [Galliard]

パーセル(Henry Purcell: 1659-1695)/音楽はしばしのあいだ(Music for a while)(1,5)
パーセル/音楽が恋の糧なら(If music be the food of Love)(1,5)
パーセル/バラよりもやさしく(Sweeter than roses)(1,5)

パーセル/ソナタ第6番ト短調Z807(4声のソナタ集より)(2,3,4,5)

パーセル/『妖精の女王』による組曲(「夏の夜の夢」)(1,2,3,4,5)
 ごらん、夜の闇がみずからここで(See, even Night herself is here)
 愛が甘い情熱なら(If love's a sweet passion)
 嘆き(The Plaint)
 お聴き、風がこだまを返しながら(Hark the echoing air)

~休憩~

J.S.バッハ(J.S.Bach: 1685-1750)(編曲:クヴィルト)/トリオ・ソナタ第6番ト長調(オルガン・ソナタBWV530による)(2,3,4,5)
 Vivace - Lento - Allegro

マレ(Marin Marais: 1656-1728)/サント・コロンブ氏のためのトンボー(Tombeau pour Monsieur de Ste. Colombe)(4,5)
マレ/ギター(La Guitare)(4,5)

アーン(Thomas Arne: 1710-1778)/シェイクスピアの作品より 4つの歌曲(1,2,3,4,5)
 来てくれ、死よ(Come away, death)(「十二夜」)
 もう怖れることはない(Fear no more)(「シンベリン」)
 教えて、気まぐれはどこで生まれるの?(Tell me where is fancy bred?)(「ヴェニスの商人」)
 エアリエルの歌(Ariel's song)(「テンペスト」)

~アンコール(1,2,3,4,5)~
1.パーセル(Purcell)/『妖精の女王』~娘たちがよく愚痴を言っていた(When I have often heard young maids complaining)
2.ヘンデル(Handel)/「おお、天からの声のごとく(O qualis de caelo sonus)」HWV239~アレルヤ(Alleluia)

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ソプラノのエマ・カークビーとロンドン・バロックによる「シェイクスピア・イン・ラヴ」と題されたコンサートに出かけた。
カークビー&ロンドン・バロックを生で聴くのは今回がはじめて。
当日券で聴いたのだが、選択できる席はごく僅かで、ほぼ満席といっていいだろう。

カークビーの声はいい意味であまりクラシック歌手らしさを感じさせない。
声楽特有の発声を意識させない自然体の歌唱という感じだ。
とはいえ、もちろん細かいメリスマ歌唱など高度な技巧を備えていることは言うまでもない。
すでに還暦を過ぎたとは思えないほど純度の高い透明で美しい声はなにげなく発せられ、それが豊かにふくらんだり、絞り込まれたりする。
時に語るように歌われる箇所では、美声にちょっとした表情を付け加えることすらあった。
私は前から2列目という席で聴けたのだが、それでもささやくように弱く聞こえた箇所もあり、後方の席まで彼女の声がすべて届いたかどうかは分からない。
しかし無理に大きな声を出そうという力みがなく、常に語るように自然に歌っていたように感じられた。
また歩み、腕、顔の表情など、わずかな動きだが全身で曲の内容を表現しようとする。
あたかもシェイクスピアの芝居の一場面を演じているかのようだった。

ロンドン・バロックはバイオリン2人、ヴィオラ・ダ・ガンバ1人、チェンバロ1人の4人編成。
バイオリン2人は常に立って演奏する。
ステージ左の客席側がオーストリア出身のイングリット・ザイフェルトという女性、その奥にリチャード・クヴィルトという男性が立つ。
ステージ右側にヴィオラ・ダ・ガンバのチャールズ・メドラムが座り、中央奥にチェンバロのスティーヴン・デヴィーンが位置する。
そのチェンバロの前あたりでカークビーが歌っていた。

ウィリアム・ローズやパーセルの器楽曲、それにバッハのオルガン曲を編曲した作品ではロンドン・バロックの全員が演奏するのだが、やはりどうしてもヴァイオリンの2人が中心で、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロは通奏低音に甘んじている印象を受ける。
そのせいだろうか、マラン・マレの2曲の器楽曲ではヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの二重奏となり、この2つの楽器の音色をたっぷり満喫できる選曲になっていた。

器楽曲でみせる気の合う者同士のあうんの呼吸による演奏は聴いていて心地よく、リラックスして聴ける演奏だった。

エマ・カークビーの歌ったパーセルやトマス・アーンの歌曲は、様々な表情の作品が選ばれ、古楽的な装飾をつけつつも、メロディーの明暗の響きは時代を感じさせない普遍的な魅力をもっていたように感じた。
アーンの「エアリエルの歌(蜂が蜜を吸うところで)」だけはシュヴァルツコプフの歌で知っていたが、ほかはパーセルの「音楽はしばしのあいだ」以外私にとって馴染みの薄い作品ばかりだった。
しかし、そのどれもが生き生きとした存在意義を発揮していて、とりわけパーセルの「妖精の女王」からの「嘆き(おお、わたしを永遠に泣かせてください)」は下降する伴奏音型もあいまって痛切な悲しみが表現されて素晴らしかった。

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アンコールは盛大な拍手に応えて2曲。
シェイクスピアの詩という共通項の中で実に多彩な音楽が清澄な歌唱と味わい深い演奏で楽しめた至福の時間だった。

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デヴィッド・ビントレーの「カルミナ・ブラーナ」(2010年5月2&5日 新国立劇場 オペラパレス)

新国立劇場バレエ公演
デヴィッド・ビントレーのカルミナ・ブラーナ
同時上演ガラントゥリーズ

Carmina_burana_201005

2009/2010シーズン
2009/2010 Season Ballet
David Bintley's Carmina Burana
Galanteries

2010年5月2日(日) 14:00 新国立劇場 オペラパレス(2階R1列11番)

「ガラントゥリーズ」(約30分)

*使用されている音楽は以下のとおり(すべてモーツァルト作曲)
 1.ディヴェルティメント第7番ニ長調K205~ラルゴ-アレグロ ニ長調
 2.ディヴェルティメント第7番ニ長調K205~メヌエットⅠ ニ長調
 3.ディヴェルティメント第7番ニ長調K205~アダージオ イ長調

 4.4つのコントルダンス(セレナーデ第2番)K101~第2番:ト長調
 5.4つのコントルダンス(セレナーデ第2番)K101~第1番:ヘ長調
 6.4つのコントルダンス(セレナーデ第2番)K101~第3番:ニ長調
 7.4つのコントルダンス(セレナーデ第2番)K101~第4番:ヘ長調

 8.ディヴェルティメント第7番ニ長調K205~フィナーレ ニ長調

~休憩~

「カルミナ・ブラーナ」(オルフ作曲)(約1時間)

運命、世界の王妃よ
 1.おお、運命よ
 2.運命は傷つける

第1部
春に
 3.うつくしき春
 4.太陽はすべてをいたわる
 5.春の訪れ
草の上で
 6.踊り
 7.気高き森
 8.店の人よ、私に紅を下さい
 9.輪舞~輪になって踊る
 10.世界が我が物となるとも

第2部
居酒屋にて
 11.怒りに、心収まらず
 12.焙られた白鳥の歌(かつては湖に住みしわれ)
 13.予は大僧正様
 14.われら、居酒屋にあっては

第3部
求愛
 15.愛の神はいずこにも飛び来り
 16.昼、夜そしてあらゆるものが
 17.赤い胴着の乙女が立っていた
 18.私の心はため息みつ
 19.若者と乙女がいたら
 20.おいで、おいで
 21.ゆれ動く、わが心
 22.楽しい季節
 23.私のいとしい人
ブランチフロールとヘレナ
 24.たたえよ、美しきものよ

運命、世界の王妃よ
 25.おお、運命よ

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<カルミナ・ブラーナ>
【振付】デヴィッド・ビントレー(David Bintley)
【作曲】カール・オルフ
【指揮】ポール・マーフィー(Paul Murphy)
【舞台美術・衣裳】フィリップ・プロウズ
【照明】ピーター・マンフォード
【合唱】新国立劇場合唱団

<ガラントゥリーズ>
【振付】デヴィッド・ビントレー(David Bintley)
【音楽】W.A.モーツァルト

【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

【芸術監督】牧 阿佐美
【主催】新国立劇場

『カルミナ・ブラーナ』キャスト

【フォルトゥナ】湯川麻美子
【神学生1】吉本泰久
【神学生2】福田圭吾
【神学生3】芳賀 望
【恋する女】高橋有里
【ローストスワン】寺島まゆみ

新国立劇場バレエダンサー ほか

【歌手】
臼木あい(Usuki Ai)(ソプラノ)
五郎部俊朗(Gorobe Toshiro)(テノール)
牧野正人(Makino Masato)(バリトン)

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『ガラントゥリーズ』キャスト

川村真樹/遠藤睦子/小野絢子/長田佳世
山本隆之/八幡顕光/江本 拓/福岡雄大
大和雅美/寺田亜沙子/伊東真央/井倉真未

***************

2010年5月5日(水・祝) 14:00 新国立劇場 オペラパレス(1階2列36番)

「ガラントゥリーズ」

~休憩~

「カルミナ・ブラーナ」

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『カルミナ・ブラーナ』キャスト

【フォルトゥナ】小野絢子
【神学生1】福岡雄大
【神学生2】古川和則
【神学生3】山本隆之
【恋する女】伊東真央
【ローストスワン】川村真樹

新国立劇場バレエダンサー ほか

【歌手】
安井陽子(Yasui Yoko)(ソプラノ)
高橋 淳(Takahashi Jun)(テノール)
今尾 滋(Imao Shigeru)(バリトン)

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『ガラントゥリーズ』キャスト

湯川麻美子/さいとう美帆/西山裕子/本島美和
M.トレウバエフ/江本 拓/福岡雄大/福田圭吾
今村美由起/細田千晶/加藤朋子/柴田知世

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演奏者をすべてオーケストラピットに入れて、ステージでバレエが演じられる形での「カルミナ・ブラーナ」を新国立劇場で鑑賞した。
作曲者のカール・オルフ自身、この作品はバレエ付きで上演されるものと考えていたようなので、音楽だけを聴くよりも作曲家の意図に近いのだろう。

最初にモーツァルトの音楽によるバレエ「ガラントゥリーズ」が上演されたが、以前にバレエといえば「白鳥の湖」しか見たことがない私には、どこがどうということは分からない。
ただ、いかにも私のような素人がイメージするバレエらしいバレエといった感じ。
踊りは数人での群舞あり、ペアやソロでのダンスありと、優美さと力強さの両面を感じさせる舞台だったと思った。

私の目的は「カルミナ・ブラーナ」だったが、この猥雑な作品が演奏だけでなく、バレエも加わることによって視覚的にもどんな表現がされるのか楽しみだった。

「カルミナ・ブラーナ」の第1曲はあまりにも有名だが、フォルトゥナ(=運命の女神)役の女性ダンサーが黒のミニスカートにハイヒールを履き、目隠しして切れのいいソロ・ダンスを踊るのは、いきなり格好いい!
その後、第3曲の「うつくしき春」では、妊婦さん役2人と、前後に赤ちゃんを抱いた母親1人が登場して、命の始まりが表現されているようだった。
第5曲など、髪の毛を染めたカラフルな衣装を着た若者たちが人生を謳歌している様をダンスで表現する。
第6曲「踊り」では、沢山の男女が横一列の椅子に座りながら、音楽に合わせて手足を動かす。
「神学生1」役の若者が、聖なる世界から俗世間に飛び出して恋をして、破れるまでを第1部で巧みに表現していた。
第2部「居酒屋にて」では酒場で享楽に溺れる「神学生2」の激しい感情が表現される。
特に曲集中最も特異な作品の一つである第12曲「焙られた白鳥の歌」では、肥えた大食漢たちと「神学生2」が「ローストスワン」役の女性ダンサーを二重の意味で食す場面が描かれていて、印象に残る。
第3部「求愛」では舞台を売春宿に設定し、娼婦たちが官能的なポーズで挑発し、「神学生3」と男性ダンサーたちが欲望をあらわにする。
特に第18曲「私の心はため息みつ」では"mandaliet"というリフレインが印象的だが、娼婦たちと男たちのダンスの応酬がコミカルに描かれていた。
第23曲「たたえよ、美しきものよ」では男女とも全裸を表現したかのようなボディスーツに身をまとい、愛の賛歌となる。
しかし、第1曲が全く同じ形で回帰する最終曲「おお、運命よ」では、「神学生3」がフォルトゥナに足蹴にされて逃げ去った後に、このフォルトゥナと同じ冒頭の衣装(ハイヒールも)をまとった多数のダンサー(男性も!)がフォルトゥナと同じダンスを踊る。
「フォルトゥナのクローンたち」と書かれているので、様々な体験をしてきた若者たちが運命の女神の手中に落ちたことをあらわしているようだ。
最後を締めるには確かに壮観だが、ハイヒールを履いた男性のクローンたちには若干滑稽さも感じた。

バレエは一貫して格好よく、筋書きに沿って分かりやすく描かれていたので大満足だった。
舞台装置は簡素だが効果的だった(十字架や月が印象的)。

また、合唱団も含めてオーケストラピットに収められた演奏陣も素晴らしく、オルフの「カルミナ・ブラーナ」の迫力を見事に引き出していた。
オケの迫力、合唱の見事な表現力、それにソリストたちの存在感と、どれもが揃った素晴らしいカルミナの演奏だった。
歌手では臼木あいの声の艶が出色だった(安井陽子も安定したいい歌唱だった)。

最初は5月2日のマチネだけを鑑賞する予定だったのだが、右脇の席は舞台側の観客が前のめりになると、その人の背中越しに舞台を見ることになり、あまり楽しめなかったので、5日のチケットもとって、ようやく満喫することが出来た。

Carmina_burana_201005_chirashi

バレエ公演はオペラに比べて料金も安く、当日券も結構残っていたようなので、今後も何かめぼしいものがあったら出かけてみたいと思った。
なお、2日の公演の後に振付のデヴィッド・ビントレーのトーク・イベントがあるとのことだったが、ラ・フォル・ジュルネの予定もあったので、残念ながらそちらは参加しなかった。

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ヴォルフ/炭焼き女が酔っ払って(Das Köhlerweib ist trunken)

Das Köhlerweib ist trunken
 炭焼き女が酔っ払って

Das Köhlerweib ist trunken
Und singt im Wald,
Hört,wie die Stimme gellend
Im Grünen hallt!
 炭焼き女が酔っ払って
 森の中で歌っているわ。
 聞いて、あの耳も割れんばかりの声が
 緑の中に響きわたっているでしょう!

Sie war die schönste Blume,
Berühmt im Land;
Es warben Reich' und Arme
Um ihre Hand.
 彼女は最も美しい名花として
 国中に聞こえていたの。
 富める者も貧しい者も
 彼女を手にいれようと必死だったわ。

Sie trat in Gürtelketten
So stolz einher;
Den Bräutigam zu wählen,
Fiel ihr zu schwer.
 彼女は鎖のベルトをしめて、
 乙に澄まして歩いていた。
 でも婿選びは
 苦手だったのね。

Da hat sie überlistet
Der rote Wein -
Wie müssen alle Dinge
Vergänglich sein!
 それで彼女は
 赤ワインに溺れてしまった。
 万事が
 なんてはかない定めなのでしょう!

Das Köhlerweib ist trunken
Und singt im Wald;
Wie durch die Dämmrung gellend
Ihr Lied erschallt!
 炭焼き女が酔っ払って
 森の中で歌っているわ。
 黄昏の中、耳をつんざく
 彼女の歌が響きわたっている!

詩:Gottfried Keller (1819-1890)
曲:Hugo Wolf (1860-1903)

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「古き調べ、ケラーの六つの詩(Alte Weisen, sechs Gedichte von Keller)」の第5曲。

詩は、かつて美貌を誇り、おつに澄まして男を寄せ付けなかった炭焼きの女性が、伴侶選びにしくじり、酒に溺れて聴くにたえない歌を歌うようになったという話を第三者の立場で語る。

ヴォルフは、昔日の面影を残さない哀れな酔っ払いの女性を、強烈な音楽で徹底的に皮肉った。
ピアノパートは前打音付きのオクターブの動機が耳をつんざくような女性の金切り声を描写し、酔っ払っている様を得意のトリルや急速なパッセージで表現する。
歌い手は、詩に従って第三者の視点を保ち、婿選びに失敗した箇所やワインに溺れたくだりも特に強調することなく、一つの話として急速なテンポの流れにのせてあっという間に歌いきる。

一度聴いたら忘れられない強烈な印象を残す音楽である。

Wild und sehr lebhaft(荒々しく、非常に生き生きと)
8分の3拍子
ニ短調
全102小節(うち前奏4小節、後奏12小節)
歌声部の最高音:2点ト音
歌声部の最低音:1点ハ音

以前、この歌曲を投稿サイト「詩と音楽」に掲載していただいたので、よろしければそちらもご覧下さい。
 「詩と音楽」

キルヒシュラーガー(MS)&ドイチュ(P)
以下のサイトの26曲目の"reinhören"をクリックするとかなり長く試聴できます。
 こちら

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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」2010 ショパンの宇宙(3日目)(2010年5月4日 東京国際フォーラム)

最終日に聴いたのは以下の3公演。

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2010年5月4日(火・祝)

公演番号:313
14:15~15:00
ホールA(フォンタナ)(2階25列73番)

小山実稚恵(ピアノ)
シンフォニア・ヴァルソヴィア
ヤツェク・カスプシク(指揮)

ショパン/ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 op.11

~アンコール~
ショパン/ワルツ第7番嬰ハ短調op.64-2

5000人を収容する(そしてほぼ満席だった)会場でも、小山実稚恵の奏でる音のなんと美しかったことか。
いつも通り飾らず、どこまでも作品優位の演奏ぶりだが、ショパンの感情の綾がきめこまやかに表現されていく。
シンフォニア・ヴァルソヴィアの精妙な伴奏とともに至福の時間だった。
もはや言葉で形容するのももったいないほどのピュアな響きに酔いしれた。

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2010年5月4日(火・祝)

公演番号:376
17:15~18:00
ホールG409(グジマワ)(3列6番)

広瀬悦子(ピアノ)

フィールド/ノクターン 第14番 ハ長調
フィールド/ノクターン 第15番 ハ長調

アルカン/練習曲 ニ短調op.27「鉄道」

ショパン/ノクターン 嬰ヘ長調 op.15-2

アルカン/風(「悲愴趣味の3つの小品」 op. 15より 第2番)
アルカン/イソップの饗宴(「すべての短調による12の練習曲」 op.39より 第12番)

ショパン/ノクターン 変ホ長調 op.9-2
ショパン/バラード第1番 ト短調 op.23

~アンコール~
リスト/ラ・カンパネッラ

広瀬悦子に関して全く予備知識なしに聴いたのだが、驚異的なヴィルトゥオーゾ・ピアニストだった。
小柄な身体からは信じられないほどのスタミナで難曲ばかりを楽々こなし、そのいずれもが完璧な出来栄えだった。
アルカンという作曲家、何となく20世紀の人かなと思っていたのだが、実際にはショパンと同時代の人。
しかし、リストとは違った意味でもの凄い超絶技巧をピアニストに要求する。
「鉄道」は超高速で鉄道を走る列車を模しているかのよう。
平然と前進していく彼女の演奏は、新しいタイプのピアニストの誕生を見るようだった。
「ノクターン」の創始者として名高いフィールドの作品が聴けたのも確かに貴重だったし、ショパンのノクターンは2曲ともよく知られた作品で美しく歌って素晴らしかった。
だが、アルカンでのテクニックの印象があまりにも強く、ショパンのノクターンが場違いにすら感じられたのは私だけだろうか。
またアンコールで弾かれた「ラ・カンパネッラ」も非の打ちどころのない完璧さ。
ヴィルトゥオーゾピアニストとして選ばれた才能をもった逸材なのだろう。
ただただ、そのすさまじいテクニックと、豊かな歌心で、魔術師のように彼女の魔力にとらえられたままコンサートが終わった。
今後の活躍が楽しみである。

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2010年5月4日(火・祝)

公演番号:377
18:45~19:30
ホールG409(グジマワ)(1列8番)

江口玲(ピアノ)

ショパン/ポロネーズ ニ短調 op.71-1

ショパン/3つのエコセーズ op.72-3

ショパン/ノクターン ホ短調 op.72-1
ショパン/葬送行進曲 ハ短調 op.72-2

フランツ・クサヴァー・モーツァルト/ポロネーズop.17-1
ミハウ・オギンスキー(モシュコフスキー編)/ポロネーズ「祖国への別れ」

ショパン/ポロネーズ 変ロ長調 op.71-2
ショパン/ポロネーズ ヘ短調 op.71-3

~アンコール~

ローズマリー・ブラウン(ショパンが死後に彼女を媒介にして作曲)/バラード

ローズマリー・ブラウン(ショパンが死後に彼女を媒介にして作曲)/即興曲

今回はショパンが生前に出版しなかった初期の作品にスポットをあてて、江口自身が解説しながら演奏するという、あたかもレクチャーコンサートの趣。
大変勉強になった。

江口氏は肉付きのいい豊かな音を奏でる。
その強めの音は一見ショパンのイメージとは異なるように思えたが、巧みにコントロールされたタッチで、「3つのエコセーズ op.72-3」などは軽妙に演奏してみせた。

op.72の「ノクターン」と「葬送行進曲」は、江口氏によれば、なぜショパンが出版しなかったのか不思議なぐらい優れた作品とのこと。
先日ケフェレックの演奏でも聴いたばかりだが、あらためて10代の青年の作曲とは思えない深みのある美しさを感じた。
作曲当時妹を亡くしたショパンの悲しみがこめられているのかもしれないとのこと。
そういう作曲家をとりまく環境も影響する可能性は大きいだろう。

予定されていた「ロンド ハ長調 op.73」が省かれ、代わりに別の作曲家の作品2曲が追加された。

追加されたのは、モーツァルトの末っ子フランツ・クサヴァーによるポロネーズと、モシュコフスキー編曲のオギンスキー作曲「祖国への別れ」というポロネーズ。
「祖国への別れ」は、センチメンタルなメロディーがきわめて印象的。
ポロネーズといってイメージされる特有のリズムはポロネーズの特徴の1つに過ぎないとは江口氏の弁。
なるほどポロネーズにもいろんなタイプの曲があるものである。

かつて、音楽の素養のほとんどない女性の体を借りて多くの亡くなった作曲家たちが新しい曲をつくったという。
その女性ローズマリー・ブラウンを介して作曲された故ショパンによる2曲の短い作品がアンコールで演奏された。
そんな紛い物と否定することは簡単だが、学者たちの鑑定によると、完全にインチキとはねつけることは出来ないそうだ。
まぁ、こういう不思議なことも解明しないまま残しておくのも楽しいと思うのだが・・・。
江口氏は最初、正規のプログラムにこれらの曲を組み込もうとしたらしいのだが、LFJディレクターのR.M.氏の許可が下りなかったと言って会場を湧かせる。
そんななごやかな雰囲気のトーク付きコンサートをおおいに楽しんで、今年のLFJを終えた。

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ちなみにアルカンの「鉄道」をおそらくアマチュアの方が演奏した動画をリンクしておく。
アマチュアでこれだけ弾けたらどれほど楽しいことだろう。
 アルカン作曲「鉄道」

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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」2010 ショパンの宇宙(2日目)(2010年5月3日 東京国際フォーラム)

2日目に聴いたのは以下の3公演(すべてガラス棟のホールG402)。

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2010年5月3日(月・祝)

公演番号:266
17:30~18:15
ホールG402(ミツキエヴィチ)(3列10番)

セドリック・ティベルギアン(ピアノ)

ショパン/スケルツォ第1番 ロ短調 op.20
ショパン/マズルカ ホ短調 op.17-2
ショパン/マズルカ イ短調 op.17-4
ショパン/3つのマズルカ op. 59

スクリャービン/マズルカ風即興曲 ハ長調 op.2-3
スクリャービン/マズルカ ホ短調 op.3-7
スクリャービン/マズルカ 嬰ハ短調 op.3-6
スクリャービン/マズルカ ホ短調 op.25-3

タンスマン/マズルカ曲集第1巻より 第3番、第4番
タンスマン/マズルカ曲集第3巻より 第1番、第3番
タンスマン/マズルカ曲集第1巻より 第9番「オベレク」

今回、マズルカを共通項にして、ショパン、スクリャービン、タンスマンといった3人の作曲家のアプローチの違いを比較できるプログラムが組まれていて興味深かった。
最初に「スケルツォ第1番」で大いに盛り上げた後、マズルカのミニアチュールの世界が続く。
ショパンのマズルカはやはりリズム、和声ともに精巧な工芸品のような細やかさが感じられ、どの曲も魅力的である。
スクリャービンは意外と内面的で小規模な作品だった。
タンスマンの珍しいピアノ曲が聴けたのは貴重な機会だったと思う。

ティベルギアンの演奏を聴くのは昨年の上野でのリサイタルに続いて2度目だが、今回も若々しい爽快感が感じられて良かった。
どの曲も手の内に入っていて、よく歌い、しかも弛緩せずにうまく全体に目を行き届かせる。
ただ、演奏しながら結構うなり声が大きく、そちらに気をとられることもあった。

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2010年5月3日(月・祝)

公演番号:267
19:00~19:45
ホールG402(ミツキエヴィチ)(2列35番)

カティア・ブニアティシヴィリ(ピアノ)

ショパン/バラード第4番 ヘ短調 op.52
ショパン/スケルツォ第1番 ロ短調 op.20
ショパン/スケルツォ第2番 変ロ短調 op.31
ショパン/スケルツォ第3番 嬰ハ短調 op.39

リスト/メフィスト・ワルツ第1番

はじめて聴くグルジア出身のカティア・ブニアティシヴィリはまだ20代前半という若さ。
ショパンの技巧的な名作ばかりずらりと並べてどれも堂々と演奏していて素晴らしかったが、リスト「メフィストワルツ」の迫力も見事だった。
彼女の演奏は感情の起伏が大きめで、ゆっくりの箇所と速めの箇所の差が大きい。
よく歌い、テクニックもしっかりしているので、ダイナミックな迫力が感じられるが、若干荒削りなところもあったのが今後の課題だろう。
容姿も美しく、カリスマ性が感じられるので、今後演奏にさらに磨きがかかってくると素晴らしくなるのではないか。

ショパンのスケルツォは第2番が特に有名だが、こうして聴いてみると、第1番も第3番もどこかですでに聴いて馴染んでいる。
知らず知らずのうちに幅広く脳裏に刻み込まれているのがショパンの音楽なのかもしれない。

ところで、ショパンのスケルツォは、聴いているとあまり諧謔曲というか滑稽な感じがしない。
従来のイメージを、ショパンのスケルツォに求めてはいけないのだろう。
重かったり感傷的だったりする中で、時折右手と左手が追いかけっこをしたり、ユニゾンを奏でたりして自由に動こうとして、異質な響きやリズムを加える。
ちょっとしたパッセージの自由な遊びを、深刻な曲調の中に紛れ込ませる感覚こそが、ショパンがスケルツォという曲種に込めたものなのかもしれない。

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2010年5月3日(月・祝)

公演番号:268
20:30~21:15
ホールG402(ミツキエヴィチ)(3列7番)

北村朋幹(ピアノ)

シューマン(リスト編曲)/春の夜(歌曲集「リーダークライス」op.39より第12番)
シューマン/幻想曲 ハ長調 op.17
シューマン(リスト編曲)/献呈(歌曲集「ミルテの花」op.25より第1番)

~アンコール~
シューマン/「謝肉祭」~ショパン

まだ20歳前の北村朋幹のコンサートはオール・シューマンだった。
ショパンの影に隠れているが、もちろんシューマンも今年生誕200年を迎えるのである。

リスト編曲のシューマンの歌曲では、北村のテクニックの冴えが存分に発揮されたが、同時に彼の歌おうという姿勢も明確にあらわれていた。
「春の夜」ではリストはシューマンの曲をまるまる繰り返し、拡大しているが、連打、トレモロ、急速なパッセージなどテクニックの見せ場にも事欠かない。

シューマン「幻想曲」は、先月に北村の演奏を聴いたばかり。
今回、残響の乏しい部屋での演奏ということもあるのか、先月とはまた異なる印象を受けた。
全体的に遅めのテンポで間もたっぷりとるため、演奏者の思い入れは伝わるものの、流れが停滞しがちに感じられた。
とはいえ、この大作を表現しようという意欲は充分伝わってきたので、経験を経て、さらに核心に近づいた演奏をいずれ聴かせてくれることを楽しみにしたい。

LFJの常連ということで固定ファンも増えつつあるのだろう、今回LFJで聴いた演奏会の中で最も熱烈な拍手が続き、何度も呼び戻された北村はアンコールを1曲弾いた。
演奏前に、今の自分にはショパンよりもシューマンの方が親しいが、ショパンを弾かないのも後ろめたいのでというようなコメントの後に、シューマンの「謝肉祭」の中から短い「ショパン」を演奏した。
北村いわく「ショパン」と名付けられていても「どこまでもシューマン的」というのは確かにその通りだろう。
美しい演奏だった。

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今日はNHKで収録が行われていて、FM放送も午後いっぱい生中継されていたが、放送ブースがガラス張りで音声も外に聞こえるようになっており、N響アワーでお馴染みの岩槻さんやリスト研究家の野本さんがブースでDJをしていた。
北村の演奏が終わって、ブースに行ってみると、ケフェレックがゲストで来ていて、ジョルジュ・サンドがショパンにいかに大きな存在だったかを語っていた。
最後にはブースを囲んでいるファンの人たちにも感謝の気持ちを述べるなど、その気さくで優しい人柄にすっかり魅了された。

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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」2010 ショパンの宇宙(1日目)(2010年5月2日 東京国際フォーラム)

今年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンのテーマは「ショパンの宇宙」。
東京国際フォーラムでの有料コンサートは5月2日~4日まで行われた。
今年は好天に恵まれ、相変わらずのすごい人出だった。

初日に聴いたのは以下の2公演。

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2010年5月2日(日)

公演番号:125
17:30~18:30
ホールB7(ドラクロワ)(7列16番)

アンヌ・ケフェレック(ピアノ) 
フィリップ・ジュジアーノ(ピアノ) 
イド・バル=シャイ(ピアノ) 
アブデル・ラーマン・エル=バシャ(ピアノ) 
石丸幹二(朗読)

ショパン ピアノ・ソロ作品全曲演奏
第2部 1827年-1828年「青春」

ショパン/3つのエコセーズ op.72-3(エル=バシャ)
ショパン/コントルダンス 変ト長調(エル=バシャ)
ショパン/ワルツ 変ホ長調 KK IV a-14(エル=バシャ)

ショパン/葬送行進曲 ハ短調 op.72-2(ケフェレック)
ショパン/ノクターン ホ短調 op.72-1(ケフェレック)

ショパン/ピアノ・ソナタ第1番 ハ短調 op.4(ジュジアーノ)

ショパン/マズルカ イ短調 op.68-2(バル=シャイ)
ショパン/ポロネーズ 変ロ長調 op.71-2(バル=シャイ)

ショパン/ワルツ 変イ長調 KK IV a-13(エル=バシャ)
ショパン/ロンド ハ長調 op.73(エル=バシャ)

ショパンの17~18歳の頃のピアノ曲が4人のピアニストによって演奏された。

まず朗読の石丸幹二が登場し、若きショパンの歩みを朗読し、それに続いて最初のピアニスト、エル=バシャ(レバノン出身)が登場した。
最初の「3つのエコセーズ op.72-3」は短いが軽快な愛らしい作品だった。
コントルダンスは舞曲とは一見思えないほどしっとりとした美しさがあり、一種の無言歌のような印象だったが、偽作の可能性もあるらしい。
続くワルツは第17番としてワルツ集の録音などで馴染んでいたが、こんな若い頃の作品とは知らなかった。
オクターヴを優雅に上下する印象深いワルツである。

続いてケフェレック(フランス出身)が登場してop.72の2曲を演奏した。
「葬送行進曲 ハ短調」はもちろんソナタ第2番の3楽章とは別の作品だが、中間に甘美な部分があるなど、共通点も感じられる。
ショパンの「幻想曲」を聴いて、中田喜直が「雪の降るまちを」を作曲したというエピソードがあったが(真偽のほどは分からないが)、この「葬送行進曲」もどことなく中田作品を想起させるものが感じられた。
悲哀感に満ちた「ノクターン ホ短調」も単なる美しさ以上のものをもった聴きごたえのある作品と感じた。

続いてめったに聴けないピアノソナタ第1番がフランス人ジュジアーノによって演奏されたが、このソナタを全曲聴けたのは貴重な体験だった。
第2番や第3番より演奏される機会が少ないというのは納得は出来るものの、だからといって駄作とはとても言えない。
終楽章など、シューベルトの「さすらい人幻想曲」のようなリズムで始まり、華麗な音の洪水が聴き手を魅了する。
若さみなぎるエネルギーのようなものがこのソナタのあちらこちらに感じられた。

続いてイスラエルの若手バル=シャイが登場して、小品を2曲。
「マズルカ イ短調 op. 68-2」はあたかもサティを聴いているかのような不思議な響きが脳裏に残る。
「ポロネーズ 変ロ長調 op.71-2」は力強く揺ぎ無い雰囲気ではじまるが、徐々にポロネーズらしいリズムが弾み出す。

最後に再びベテラン、エル=バシャが登場して、まずワルツ第16番として知られるくるくる回るような愛らしい変イ長調を演奏した。
そして、10分近くかかる大作「ロンド ハ長調 op.73」の華麗な響きで締めくくり、予定時間を10分以上オーバーして終わった。

エル=バシャの演奏はどこまでも力みのない自然な演奏だった。
さりげなさの中のちょっとした響きの妙のようなものが素晴らしかった。
ただ、ワルツのテンポ設定は私の感覚では変ホ長調は速め、変イ長調は逆に遅めに感じた。

ケフェレックはもう私にとって大好きなタイプの演奏。
繊細で細やかな表現がいたるところに感じられ、どの音にも演奏者の愛情がこもっている感じだ。
こういう風に弾かれたらただただうっとりと聴きほれるしかない。

ジュジアーノは技術が安定しており、安心して聴けた。

まだ若いバル=シャイはかなり音色の響きにこだわった個性的な演奏だった。
特に「マズルカ」は素晴らしかったと思う。

4人の世代も個性も違う演奏家の演奏を聴き比べながら、初期の珍しいピアノ曲を堪能できた楽しい時間だった。
本当はほかの回もチケットがとれたら聴きたかったのだが、この回だけでも入手できたことに感謝しなければ。

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2010年5月2日(日)

公演番号:181
19:00~19:45
相田みつを美術館(ヴォイチェホフスキ)(2列4番)

ハンス=イェルク・マンメル(テノール)
モード・グラットン(フォルテピアノ:プレイエル 1848年製)

メンデルスゾーン/歌の翼に op.34-2
メンデルスゾーン/挨拶 op.19-5
メンデルスゾーン/朝の挨拶 op.47-2
メンデルスゾーン/旅の歌 op.34-6
メンデルスゾーン/夜ごとの夢に op.86-4

リスト/ラインの美しき流れのほとり S.272
リスト/唐檜の木はひとり立つ S.309-1
リスト/私はまさに絶望しようとした S.311
リスト/毎朝私は起き、そして問う S.290

ショパン/17のポーランドの歌 op.74より
 第1番「おとめの願い」
 第5番「彼女の好きな」
 第6番「私の見えぬところに」
 第3番「悲しみの川」
 第15番「花婿」
 第16番「リトアニアの歌」
 第14番「指環」
 第10番「闘士」

LFJを聴くようになって相田みつを美術館でのコンサートは私にとってはじめてだった。
相田みつをの含蓄のある前向きな言葉に囲まれながら異国の音楽に耳を傾けるというのもなかなかいいものであった。

メンデルスゾーンは1809年生まれ、リストは1811年生まれということで、1810年生まれのショパンとほぼ同世代の作曲家の歌曲を並べたプログラミングとなっている。
また、前半のメンデルスゾーンとリストはハイネの詩による作品ばかりでまとめて、変化と統一の両者に目を配った好選曲だと思う。

テノールのマンメルの声はリートを歌うのにまさにうってつけ。
とても軽やかでリリカルな声が美術館のこじんまりとした空間に映えた。
気品があり知的な歌唱は素敵だった。
ショパンのみ楽譜を見ながら歌っていたが、外国語の作品である以上、適切な処置だろう。
しかし、ショパンのどの曲もかなり自分のものとして、しっかり歌っていたという印象を受けた。

フォルテピアノのモード・グラットンはとても小柄な女性だった。
ショパンの時代のプレイエルピアノを使って、しっかりと楷書風の演奏をしていた。
メンデルスゾーンやショパンの素朴さはプレイエルピアノにぴったりだったが、一方リストの歌曲はその濃密さゆえに、古楽器で聴くとギャップを感じ、不思議な感覚だった。
悪いというのではないのだが、ミスマッチゆえの面白さみたいなものはあった。

配布された歌詞対訳(毎度のことながら無料で配布されるのは有難い)を見ながら、ショパン歌曲の魅力にあらためて気付かされた。
以前にも記事にしたことがあったが、「花婿」を聴くと、やはりヴォルフの「風の歌」を思い出してしまう。
ヴォルフはショパンの歌曲も聴いていたのかもしれない。

アンコールはなかったが、素敵な楽興の時だった。

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メンデルスゾーン/眠れぬ瞳のともしび(Schlafloser Augen Leuchte)

Schlafloser Augen Leuchte
 眠れぬ瞳のともしび

Schlafloser Augen Leuchte, trüber Stern,
Dess' tränengleicher Schein, unendlich fern,
Das Dunkel nicht erhellt, nur mehr es zeigt;
O wie dir ganz des Glück's Erinn'rung gleicht!
So leuchtet längst vergang'ner Tage Licht:
Es scheint, doch wärmt sein matter Schimmer nicht,
Dem wachen Gram erglänzt die Luftgestalt,
Hell, aber fern, klar, aber, ach, wie kalt!
 眠れぬ瞳のともしび、悲しげな星よ、
 その涙のような輝きは、果てしなく遠い、
 暗闇を明るくすることはなく、ただそれを指し示すだけ。
 おおなんとおまえに似ていることか、幸福の思い出は!
 このように長いこと過ぎ去った日々の光は輝いている。
 それは光を放つが、その弱々しい微光は暖めたりはしない、
 目覚めた苦悩に空に浮かぶものが輝き放つ、
 明るいが遠くで、澄んでいるが、ああ、なんと冷たく!

原詩:George Gordon Noel Byron, Lord Byron (1788-1824)
曲:(Jakob Ludwig) Felix Mendelssohn-Bartholdy (1809-1847)

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先日記事にしたフーゴ・ヴォルフの「眠れぬ者の太陽」と同じバイロンの英語詩に、ヴォルフの時とは異なる訳者による独訳詩によってメンデルスゾーンが歌曲をつくっているので、比較の意味で取り上げたい。

バイロンの詩による作品番号なしの"2 Romanzen"の2曲目。

メンデルスゾーンの音楽は詩の4行ずつで2節の有節形式に近い形をとる。
しかし、言葉の抑揚に応じて細かい変化を付けたり、終止の旋律を変えたりしている。
ピアノパートのターンターンタの付点リズムは月の光のまたたきをイメージさせる。
歌声部はヴォルフのように言葉の一語一語に反応していくのではなく、全体的に暗く重苦しい雰囲気を保っていく。
高音域でオクターブを響かせるピアノパートが月の「冷たさ」を表現しているかのようだ。

Assai sostenuto
4分の2拍子
ホ短調
全32小節(うちピアノ前奏3小節)
歌声部の最高音:2点ト音
歌声部の最高音:1点嬰ニ音

動画サイトではこの曲の演奏を見つけることが出来なかったが、F=ディースカウ&サヴァリッシュのCDを扱ったamazonのサイト(19曲目)で試聴できます。
 amazonのサイト

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