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ドニゼッティ/愛の妙薬(2010年4月25日 新国立劇場 オペラパレス)

2009/2010シーズン

Lelisir_damore_20100425_chirashiドニゼッティ(Gaetano Donizetti)/歌劇「愛の妙薬(L'elisir d'amore)」全2幕
【イタリア語上演/字幕付】

2010年4月25日(日)14:00 新国立劇場 オペラパレス(4階3列18番)

【農場の娘:アディーナ(Adina)】タチアナ・リスニック(Tatiana Lisnic)
【青年:ネモリーノ(Nemorino)】ジョセフ・カレヤ(Joseph Calleja)
【軍曹:ベルコーレ(Belcore)】与那城 敬(Yonashiro Kei)
【偽医者:ドゥルカマーラ(Dulcamara)】ブルーノ・デ・シモーネ(Bruno De Simone)
【ジャンネッタ(Giannetta)】九嶋香奈枝(Kushima Kanae)

【合唱】新国立劇場合唱団(New National Theatre Chorus)
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)
【指揮】パオロ・オルミ(Paolo Olmi)

【演出】チェーザレ・リエヴィ(Cesare Lievi)
【美術】ルイジ・ペーレゴ(Luigi Perego)
【衣裳】マリーナ・ルクサルド(Marina Luxardo)

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4月15日に始まり、18、20、23日と続いた新国立劇場の「愛の妙薬」の最終日を聴いた。

新国立劇場でオペラを聴き始めて以来はじめてといってもいいぐらい天真爛漫な明るく軽快な舞台だった(「ヴォツェック」や「指環」の後なので余計そのギャップが大きい)。
聴いてから記事にするまで時間が経ってしまったので、感じたことを箇条書きにしてみる。

・舞台装置と人物の衣装がカラフルで徹底して明るかった。
・歌手はみなよく声が通り、主役の二人だけでなく、脇を固める人たちや合唱が皆揃って良い出来だった(ベルコーレを演じる与那城敬の声が天上桟敷まで良く通っていた)。
・オケは丁寧に美しく演奏していた。
・演出のテーマは「本」とのことで、舞台装置には大小さまざまな「本」をあしらったものが使われていた。

ドニゼッティのオペラのストーリー自体は分かりやすいが、それほどドラマティックな展開があるわけではなく、むしろ音楽の美しさ、楽しさを味わう作品だと感じた。

アディーナという高嶺の花が「トリスタンとイゾルデ」の話を村人たちに読んで聞かせる。
惚れ薬で結ばれるという本の内容に、アディーナに思いを寄せているネモリーノは興味を示す。
そこに軍曹が現れアディーナに求婚するが、はっきりとした返答を得られない。
その後、偽医者、ドゥルカマーラが登場し、ネモリーノはアディーナの愛を得るために妙薬を求めて偽薬を入手して飲む。
軍曹がアディーナに再び求婚してアディーナがそれを受け入れるのでネモリーノは焦って再び妙薬を手に入れるために入隊を決意する。
その思いの深さをアディーナは徐々に感じるようになり、ハッピーエンドという筋。

それにしても主役の二人、元夫婦とのことで、かつて恋仲だった同士で愛だの恋だのというのはいくら仕事だとしても大変なのではないか。
そのような私的な事情を全く出さずに、主役の二人はいい歌を聴かせてくれた。
医者役のブルーノ・デ・シモーネの自然でコミカルな歌唱と演技も印象的だった。
この医者、飛行機で登場し、最後には飛行機から下ろされたはしごを上って飛び立っていくという設定になっていたのが変わっていて面白かった。

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田中美好&平島誠也/リサイタル(2010年4月24日 津田ホール)

田中美好 ソプラノリサイタル

Tanaka_hirashima_20100424

2010年4月24日(土) 14:00 津田ホール(全自由席)

田中美好(Miyoshi Tanaka)(ソプラノ)
平島誠也(Seiya Hirashima)(ピアノ)

デュパルク(Duparc)/悲しき歌(希望)(Chanson triste)
デュパルク/ため息(Soupir)
デュパルク/旅への誘い(L'invitation au voyage)

メシアン(Messiaen)/ヴォカリーゼ(Vocalise-Étude)
フォーレ(Fauré)/ヴォカリーゼ(Vocalise-Étude)
ラヴェル(Ravel)/ヴォカリーゼ(Vocalise-Étude en forme de habanera)

フランク(Franck)/リード(Lied)
フランク/バラの結婚(Le Mariage des roses)
フランク/行列賛歌(La procession)
フランク/ノクターン(夜曲)(Nocturne)

~休憩~

シューマン(Schumann)/ニコラウス・レーナウによる6つの詩とレクイエム Op.90
 1.鍛冶屋の歌
 2.わがバラ
 3.訪れと別れ
 4.羊飼いの娘
 5.孤独
 6.暗うつな宵
 7.レクイエム

シュトラウス(Strauss)/いつも同じOp.69-3
シュトラウス/わが思いのすべてOp.21-1
シュトラウス/悪い天気(あらしの日)Op.69-5
シュトラウス/子守歌Op.69-5
シュトラウス/私の父は言いましたOp.36-3

~アンコール~
グノー(Gounod)/アヴェ・マリア(Ave Maria)
プーランク(Poulenc)/即興曲第12番『シューベルトを讃えて』(ピアノ・ソロ)
プーランク/即興曲第15番『エディット・ピアフを讃えて』(ピアノ・ソロ)

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ソプラノの田中美好とピアニストの平島誠也による歌曲リサイタルを千駄ヶ谷で聴いてきた。

前半がデュパルクとフランクの歌曲群、その間にメシアン、フォーレ、ラヴェルによるヴォカリーゼ(歌詞のない歌)が挟み込まれている。
後半はシューマン、R.シュトラウスといったドイツ歌曲の王道の人たちによる名作が並んだ。

デュパルクの3曲はいずれもよく知られた名作ばかり。
あらためて彼の歌曲の素晴らしさを実感させられた。
ヴォカリーゼを3人のフランスの大作曲家たちで聴き比べると、それぞれの個性が垣間見られて面白い。
メシアンのヴォカリーゼやフランクの歌曲群は私には馴染みの薄いものだったが、とりわけフランクの「リード」「バラの結婚」は素朴だが心にひっかかる魅力をもった小品で、気に入った。
フランクの「ノクターン」は知っている曲だったが、あらためて生で聴くとしみじみとした味わいにうっとりさせられる。

後半のはじめに歌われたシューマンの7曲は、後期のシューマンを代表する名作で、こうしてまとめて歌われると単なる出版上の寄せ集めではなく、1つの流れを作っているように感じられた。
中では「わがバラ」や「羊飼いの娘」がよく歌われるが、「孤独」から「レクイエム」に到る沈潜した気分から救いを求めるまでの感情の流れが強く胸に響いてくる。
また「鍛冶屋の歌」の簡潔だが要を得た民謡調の歌はシューマンのある一面を凝縮したような素敵な作品である。

最後のシュトラウスのグループはいずれもお馴染みの作品ばかり。
歌手にとって気持ち良さそうに旋律が解放され、ピアノはテクニックを思う存分発揮する。
職人技の粋を聴く思いだった。

はじめて聴く田中さんは可憐で愛らしいリリカルな声質をもっていた。
前半は黒いドレス、後半は真っ白なドレスに衣裳替えして、フランス物とドイツ物の世界観の違いを視覚的にも印象付けた。
ベテランの歌手だが、1曲1曲に込める思いの強さは強く伝わってきて、それだけに思ったように歌えない曲の後は悔しそうな表情すら浮かべていたように感じられた。
アンコールの時にご本人が話されたところでは昨今の寒暖の差の大きい気候のせいか体調が万全ではないとのこと。
確かに最初のデュパルクでは声が伸びず、苦戦していた印象を受けた。
しかしセザール・フランクの歌曲群に入ってから声が温まってきた感じで、後半のリヒャルト・シュトラウスではすっかり伸びやかな声と表現を取り戻していた。
彼女自身、前半のフランス物以上に後半のドイツ物の方により自在さが感じられ、魅力的な歌を聴かせてくれた。

田中さんは声を張ると非常に豊かな響きで聴き手を魅了する。
とりわけ高音で朗々と聴かせる場面が多々あった。
その一方で高音歌手の宿命か、低声域は若干余裕のないことがあったように感じられたが、これは仕方ないのだろう。
歌曲の歌唱では年齢を経ることによって深まる要素が大きいので、若い頃とは違った魅力を感じることも多い。
その点、確かに彼女の歌声には、表情の豊かさにおいて若手には到底及ばない味わいがあった。

平島さんのピアノはこれまで何度か聴いてきたが、フランス歌曲の演奏を聴いたのは私にとって今回がはじめてであった。
どちらかというとデュパルクもフランクも、フランス・メロディからイメージされる色彩感豊かな響きよりも、純粋でストレートな魅力が勝っている作品が多いように思われる。
そういう意味で、平島さんのピアノもいつも通り気負いもなく、一見クールに弾き進める。
しかし、歌手の対旋律を奏でる箇所では豊かな響きでデュエットのようにピアノで歌ってみせるし、開け放たれたピアノの蓋による音量の豊かさもしっかりコントロールされていた。
あらためて得がたい名手であることを実感し、その妙技を満喫した。

アンコールの最初は、バッハの有名な「プレリュード」をピアノパートに流用したグノーの「アヴェ・マリア」が演奏されたが、田中さんによると「悲しいことの多い社会がよくなるように」との思いを込めて歌いたいとのこと。
確かに彼女の歌は祈りのように清らかだった。

今日はピアニストの平島さんの誕生日とのことで、アンコールでめったに聴けない平島さんのソロが披露された。
プーランクの即興曲から2曲続けて演奏されたが、最初の『シューベルトを讃えて』ではシューベルトのワルツを思わせる曲風で軽快に奏でられる。
一方、『エディット・ピアフを讃えて』では、シャンソン風のメロウなメロディーを織り込みながらもプーランクらしい音の選択が感じられる。
平島さんはテクニックがしっかりしているうえに、歌曲演奏者に不可欠の歌うようなタッチを完全に手中にしている為、とても美しい演奏を聴かせてくれた。
いつか、このような珍しい小品ばかりを集めて、ソロ・リサイタルを開いてほしいほどである。

今回配布されたパンフレットに平島さんによる「ヴォカリーゼ」小論が掲載されて興味深かったのだが、最も有名なヴォカリーゼの例としてさだまさしの「北の国から」を挙げていたのはいかにもドラマ通の平島さんらしくて面白かった。

Tanaka_hirashima_20100424_chirashi

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ヴォルフ/眠れぬ者の太陽(Sonne der Schlummerlosen)

Sonne der Schlummerlosen
 眠れぬ者の太陽

Sonne der Schlummerlosen, bleicher Stern!
Wie Tränen zittern, schimmerst du von fern;
Du zeigst die Nacht, doch scheuchst sie nicht zurück,
Wie ähnlich bist du dem entschwundnen Glück,
Dem Licht vergangner Tage, das fortan nur leuchten,
Aber nimmer wärmen kann!
Die Trauer wacht, wie es durchs Dunkel wallt,
Deutlich doch fern, hell, aber o wie kalt!
 眠れぬ者の太陽、青白い星よ!
 涙が震えるようにおまえは遠くからまたたいている。
 おまえは夜の到来を教えてくれるが、追い払うことはしない。
 なんとおまえは似ていることか、消え失せた幸福、
 そして過ぎ去りし日々の光と。光は今後照らすだけで
 決して暖めることは出来ないのだ!
 悲しみが目覚める、暗闇の中を歩くように、
 はっきりと、しかし遠く、明るいが、おお、なんと冷たく!

原詩:Lord Byron (1788–1824)
独訳:Otto Gildemeister (1823-1902)
曲:Hugo Wolf (1860-1903)

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「ハイネ、シェイクスピア、バイロン卿の4つの詩(Vier Gedichte von Heine, Shakespeare und Lord Byron)」の第3曲。
ハイネとシェイクスピアの詩による歌曲は彼の最盛期の1880年代後半に書かれているが、バイロンの原詩による2曲はどちらも晩年の1896年に書かれた。

「眠れぬ者の太陽」は、バイロン卿の英詩をギルデマイスターが独訳した詩に、ヴォルフが1896年12月29~31日に作曲した作品。
「眠れぬ者の太陽」というのは「月」のことを指している。
「照らすだけで・・・暖めることは出来ない」月は「明るい」が、しかし「冷たく」またたいている。
そのまたたきに詩人は過ぎ去りし日々の幸福をだぶらせる。
冷気が一貫して感じられるヴォルフの名作である。
高音域を使ったピアノパートは八分音符2つ+三連符のリズムが執拗に繰り返され、月の光を模している。
ピアノパートと歌声部のリズムのずれも効果的である。
歌声部は最終行の"hell"から"aber"へ10度の音程を下降し、言葉に対する見事な反応が感じられる。

Sehr langsam und ruhig(非常にゆっくりと落ち着いて)
C(4分の4拍子)。ただし6小節目のみ4分の2拍子
嬰ハ短調
全22小節
歌声部の最高音:2点ホ音
歌声部の最低音:1点嬰ハ音

この曲の演奏としては、月夜の冷たい空気感を彷彿とさせるシュヴァルツコプフの声と表現が飛び抜けて素晴らしかったが、現在動画サイトにはアップされていないようだ。

Dietrich Fischer-Dieskau (baritone) Gerald Moore (piano)
シュヴァルツコプフほどの冷たい肌触りは無いが、さすがにうまく表現している。

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映画「抵抗 死刑囚の手記より」を見る(2010年4月7日 岩波ホール)

岩波ホールセレクション Vol.1 [抵抗と人間]

Photo

「抵抗 死刑囚の手記より」
(Un Condamné à mort s'est échappé ou le Vent souffle où il veut)

2010年4月7日(水) 14:30の回 神保町・岩波ホール

1956年/フランス/1時間37分
モノクロ/デジタル上映

監督:ロベール・ブレッソン(Robert Bresson: 1901.9.25-1999.12.18)
原作:アンドレ・ドゥヴィニー(André Devigny: 1916.5.25-1999.2.12)
撮影:レオンス=アンリ・ビュレル(Léonce-Henri Burel: 1892.11.23-1977.3.21)
音楽:モーツァルト「ミサ曲 ハ短調」K427より

主人公の中尉・フォンテーヌ(Fontaine):フランソワ・ルテリエ(François Leterrier: 1929.5.26-)

フォンテーヌに通信手段を用立てる捕虜・テリー(Terry):ロジェ・トレルヌ(Roger Treherne)

フォンテーヌと共に脱獄する少年・ジョスト(Jost):シャルル・ル・クランシュ(Charles Le Clainche)

隣室の男・ブランシェ(Blanchet):モーリス・ベールブロック(Maurice Beerblock)

牧師・Priest of Leiris:ロラン・モノー(Roland Monod)

※キャストはIMDBとallcinemaのサイトを参照しました。

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4月7日(水)、休暇をとっていたのだが、夕方から出かける予定だったコンサートは歌手の声の病気の為中止となり、急遽以前から見たいと思っていたブレッソン監督の「抵抗」を見に岩波ホールに行ってきた。
小雨混じりの寒い日だったが、平日ということもあってかホール内はお客さんもそれほど多くなく、好きな席(左ブロックの通路側)を選ぶことが出来た。

実際にドイツ軍の捕虜になった経験をもつブレッソン監督の作品。

ドイツ軍占領下のドイツが舞台で、フランス人中尉のフォンテーヌが橋の爆破を企ててドイツ軍に捕らえられる。
場面は捕虜となったフォンテーヌが車の後部座席に乗せられて連れて行かれるところから始まる。
一度車が止まった時を見計らってドアを開けて逃げようとするのだが、すぐに連れ戻されてしまう。
その際暴行を受けて血まみれになった服を着たまま、監獄に到着して、獄中生活が始まる。
汚物を捨てて顔を洗う為にだけ外に出ることになるのだが、その際に仲間たちと情報交換をしたりするうちに、フォンテーヌは脱獄を企てていることを仲間に伝える(密告者があらわれるかもしれず、監視人もいるのになんと大胆な!)。
その脱獄の準備の描写がこの映画の大半を占めるが、こんなにうまく事が運ぶのかどうかという点は脇に置いても、はらはらさせられながら画面に引き込まれることは確かだった。
その後、ゲシュタポ本部に連行されたフォンテーヌは、テロを引き起こそうとしたことで死刑が言い渡される。
もはやぐずぐずしている時間がなくなり、周囲の仲間も早く実行に移すようにうながす。
その後、フォンテーヌと同室にジョストという16歳の少年が入ってきた。
ドイツ軍の罠かもしれないと警戒するフォンテーヌだったが、ついにジョストに計画を打ち明け、二人で脱獄を実行に移す。

その脱獄が成功したかどうか、また少年ジョストがスパイなのかどうかは、今後この映画を見る人のために触れないでおこう。

フォンテーヌの語りは映画の間中途切れることなく続き、あらゆる場面の様子を事細かに伝える。
しかし、それがうるさくならないのは、この映画の演出の上手さなのだろうか。
モノクロの画面の光と影の対比がそれだけで何か訴えかけてくるかのようだ。

ロベール・ブレッソン監督はプロの俳優を使わない主義らしく、この映画の登場人物もみな素人とのこと。
主役を演じる細身の青年は当時ソルボンヌで哲学を専攻中の学生だったとのこと(パンフレットの解説による)。
この映画出演後は監督業に転進したらしい。
私などは言われなければ素人かどうかなど全く気付かないほど鈍感なのだが、心理的な表情よりも行動の描写とその説明が多かったことは、素人俳優を使うことで生きてきたのかもしれない。

全編を通して、ところどころで断片的に流れるのが、モーツァルト「ミサ曲 ハ短調」K427の「キリエ」の冒頭。
この厳かな響きが映画によく溶け込んでいた。

フランス側から描いた映画なので当然なのだろうが、ドイツ語で語られる箇所が常に威圧的でおそろしく響くのが印象的だった。

なお、岩波ホールでのこの映画の上映はすでに終了してしまったが、国内DVDが発売されているようなので、興味のある方はDVD店かレンタルビデオ店で探してみてください。

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動画で見る東京・春・音楽祭

今年の「東京・春・音楽祭-東京のオペラの森-」は、3月14日から4月10日まで、コンサート形式のヴァーグナー「パルジファル」、ムーティ指揮のオルフ「カルミナ・ブラーナ」をはじめとする多くの公演が行われた。
私は「カルミナ・ブラーナ」を聴きたかったのだが、手の届く安価な席を取り損ねてしまった。
「ミヒャエル・シャーデ(テノール)歌曲の夕べ」(マルコム・マルティノーのピアノ)はチケットをとっており期待していたのだが、シャーデが「急性上気道炎」の為、中止になってしまった。
もう1夜、リカルダ・メルベート(Ricarda Merbeth)というソプラノ歌手による歌曲の夕べがあり、当日券で行こうと思っていたのだが、残業で結局行けずじまい。
がっかりしていたところ、公式サイトに多くのコンサートの動画がアップされていた(期間限定のようだ)。

メルベートの夕べもアンコール2曲(シュトラウス作曲の「万霊節」「献身」)を含む全曲が見れるようになっており、早速見てみたが、ヴァーグナーを得意とするだけあり声量が豊かでありながら、細やかな語り口も身につけていて、非常に聴き応えのあるコンサートだった。
 こちら

特にヒンデミットの《ソプラノのための8つの歌》op.18という歌曲集は初めて聴き、その意欲的なプログラミングにもうならされた。
また、共演のピアニスト、イェンドリック・シュプリンガー(Jendrik Springer)という人も非常に素晴らしく、次に機会があればぜひ実際に聴いてみたいものである。

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ヴォルフ/朝の気分(Morgenstimmung)

Morgenstimmung
 朝の気分

Bald ist der Nacht ein End' gemacht,
Schon fühl' ich Morgenlüfte wehen.
Der Herr, der spricht: »Es werde Licht!«
Da muß, was dunkel ist, vergehen.
Vom Himmelszelt durch alle Welt
Die Engel freudejauchzend fliegen;
Der Sonne Strahl durchflammt das All.
Herr, laß uns kämpfen, laß uns siegen!
 じきに夜が明ける、
 すでに朝の風が吹くのを私は感じている。
 主は言われる「光あれ!」
 すると暗きものは消えねばならない。
 天空から全世界を通り
 天使たちが歓呼して飛び回る。
 太陽の光は万物を輝かせる。
 主よ、我らが闘って、勝利するよう導きたまえ!

詩:Robert Reinick (1805-1852)
曲:Hugo Wolf (1860-1903)

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「ローベルト・ライニクの三つの詩(Drei Gedichte von Robert Reinick)」は、異なる時期に作曲されたライニクの詩による歌曲を3曲まとめた歌曲集であり、「朝の気分」はその第2曲目で1896年9月8日~10月23日に作曲された。
ライニクは詩人と画家の二足の草鞋を履いた人で、ヴォルフが生まれる8年前に亡くなっている。

詩は文字通り朝を迎えた心境を歌ったもので、信仰深い印象を受ける。

曲は静謐で神秘的に始まり、神が「光あれ!」と言う箇所で一度盛り上がる。
その後、再び冒頭の音楽に回帰し、天使が舞い降りる様を模すような宗教的な響きを経て、最後に一日の闘いに勝利できますようにと高らかに歌い上げ、ピアノパートのファンファーレで壮大に締めくくる。

Mässig、8分の6拍子、ホ長調。
全60小節。
歌声部の最高音は2点嬰ト音、最低音は嬰ロ音。

Dietrich Fischer-Dieskau (baritone) Gerald Moore (piano)
 明晰なディースカウの歌とぴったり寄り添うムーアのピアノ。名演である。

Christa Ludwig (mezzosopran) Charles Spencer (Klavier)
 1994年10月28日 東京でのルートヴィヒ引退公演より。
 2曲目が「朝の気分」(2:18~)。
 まだまだルートヴィヒの母性あふれる豊かな声は健在だった。

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北村朋幹/リサイタル(2010年4月10日 トッパンホール)

シリーズ Pianists No.11 北村朋幹 ピアノリサイタル

Kitamura_20100410

2010年4月10日(土) 17:00 トッパンホール(B列9番)

北村朋幹(Tomoki KITAMURA)(ピアノ)

ペルト(Pärt)/アリーナのために (Für Alina)

J.S.バッハ(Bach)/パルティータ第4番ニ長調 BWV828 (Partita Nr.4 D-Dur)
 1.プレリュード
 2.アルマンド
 3.クーラント
 4.アリア
 5.サラバンド
 6.メヌエット
 7.ジーグ

ベートーヴェン(Beethoven)/ソナタ第17番ニ短調 Op.31-2『テンペスト』(Klaviersonate Nr.17 d-moll "Tempest")
 1. Largo-Allegro
 2. Adagio
 3. Allegretto

~休憩~

シューマン(Schumann)/ショパンの夜想曲による変奏曲 (Variations sur un nocturne de Chopin)

シューマン(Schumann)/幻想曲ハ長調 Op.17 (Phantasie C-Dur)
 1. Durchaus fantastisch und leidenschaftlich vorzutragen
 2. Mässig. Durchaus energisch
 3. Langsam getragen. Durchweg leise zu halten

~アンコール~
シューマン/「子供のためのアルバム」より「美しい五月、もうすぐそこだ!(Mai, lieber Mai)」
シューマン原曲;リスト編曲/献呈(Widmung)

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毎年ゴールデンウィークに催されるラ・フォル・ジュルネでその名前をよく目にしてはいたのだが、これまで一度も聴いたことのなかった北村朋幹のリサイタルをトッパンホールで聴いてきた。
1991年愛知県生まれとのことで、まだ二十歳前の若さだが、すでに数々のコンクール入賞歴があり、活発に活動しているようだ。
当日券で入ったが、2列目の私の右横はがらっと空席。
しかし、全体的にはほどよく入っていた。
いずれチケットをとるのが困難になる日が来るのだろう。
プログラムノートも北村自身が執筆し、その意欲がうかがえた。

舞台に登場した北村はまだ青年という感じの細身の身体で初々しくお辞儀した。

最初に弾かれたペルトの「アリーナのために」は一音、一音のクリスタルな響きをデリケートに紡いでいく感じの小品。
こんなに美しい作品が現代の作曲家によって書かれていたというのは私にとって目が開かれた思いだった。
北村はたっぷりと余韻を感じながらの演奏。
序奏のように演奏して、バッハの「パルティータ第4番」に続けた。
北村のバッハ演奏はしっかり様式を自分のものにして自発的に軽快に音を紡ぐ。
その若々しい素直なアプローチはとても好感が持てた。
「サラバンド」を弾こうとした時だったと思うが、彼が構えた時に客席から物が落ちる音がした。
その時に彼はいったん弾く体勢を解き、静寂が戻ってから再び弾き始めたのが印象的だった。

前半締めのベートーヴェン「テンペスト」の演奏も非常に覇気に満ちた表現意欲の強い演奏だった。
作品に没入しながらも弛緩することなく、快適に進行しているのが聴いていて心地よかった。
ベートーヴェンの作品は演奏者の年齢や人生経験が如実に演奏に反映されると思うので、数年後に彼の演奏で聴くことがあれば、きっとまた違ったものとなるだろう。
しかし、10代の今でしか表現できない作品へのアプローチというものもあるわけで、そういう意味で今の等身大のベートーヴェンが聴けたのはとても良かったと思う。

休憩後最初に弾かれたシューマンの「ショパンの夜想曲による変奏曲」は作品番号なしの未完の作品で、ショパンの「夜想曲」Op.15-3の主題に基づいている。
あっという間に終わる短い曲で、どの変奏も主題から大きく離れることはない。
愛らしい小品という感じである。
夜想曲のテーマ途中の上下に揺れる箇所を聴いていたらトスティの歌曲「四月」の前奏を思い出してしまった。
おそらく単なる偶然の相似なのだろうが・・・。
これも序奏のように、次に弾かれる「幻想曲」へとつなげていた。

シューマンの「幻想曲 ハ長調」は3つの楽章からなる壮大な作品。
第1楽章の最後にベートーヴェンの連作歌曲集「遙かなる恋人に」第6曲"Nimm sie hin denn diese Lieder"の歌声部冒頭が引用されているが、聴いた限りではそれほど目立つわけではなく、そう言われれば気付くという程度である。
しかし、この曲の制作のきっかけとなったのが、ベートーヴェン記念像の建立の発起人となったことだそうで、ベートーヴェンへの敬意が込められているのは間違いないだろう。

また、この曲の楽譜の冒頭にシューマンはフリードリヒ・シュレーゲル(1772-1829)の詩の一節をモットーとして掲げた。

Durch alle Töne tönet
Im bunten Erdentraum
Ein leiser Tone gezogen
Für den, der heimlich lauschet.
 あらゆる音を通って
 色とりどりの地上の夢の中で
 あるかすかな音が響く、
 そっと耳を澄ます者のために。

ちなみにこの詩全体にはシューベルトが「茂み(Die Gebüsche)」D646という歌曲を作曲している。
 アーメリング&ボールドウィンによる「茂み」の演奏(1:24から上記の詩句が出てくる)

北村によればこの詩をイメージして全体のプログラミングをしたとのこと。
北村はここでも作品に没入しながらも、若々しい推進力をもってシューマンの様々な感情の機微を素直に表現していた。
美しい第3楽章を聴きながら私は、ベートーヴェンの「悲愴」ソナタの緩徐楽章、またはシューベルトの「即興曲」D935-2を思い出していたが、ゆったりとした分散和音(シューベルト「アヴェ・マリア」のピアノパートのよう)と印象的な歌うようなフレーズが交互にあらわれる。
さらにこの分散和音の響きは、歌曲狂の私にはR.シュトラウスの「解き放たれて(Befreit)」にも似ているように思ったが、ベートーヴェンがシューマンに影響を与えたのと同様に、シューマンの音楽が後世の作曲家に意識しているかどうかは別としてなんらかの影響を与えているのではないかと勝手に想像を楽しみながら聴いていた。

アンコールは2曲。
最初のシューマンの小品はまさに歌にあふれた演奏を聴かせてくれた。
2曲目にはシューマンの有名な歌曲「献呈」をリストが編曲したものが弾かれたが、歌曲好きの私としてはここでこの選曲はやはり嬉しい。
リストは原曲のエッセンスは残しながらも、かなり技巧的に編曲しており、北村の指回りの達者さをこの日一番実感した演奏だった。

Kitamura_20100410_chirashi

北村朋幹の演奏から最も強く感じたのは、音の響きをよく聴いて、余韻を感じながら弾いているということだった。
そのために時に流れが停滞しがちになる箇所があっても、彼が感じた音楽を素直に表現していることは充分伝わってきて、気持ちいい演奏を聴かせてもらったと思う。

休憩中に彼の恩師の伊藤恵さんと思われる方をお見かけしたが(人違いでしたらすみません)、シューマンのエキスパートである師から得たものも大きかったに違いない。
今後のさらなる飛躍を楽しみにしたい。

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ヴォルフ/ねずみとりのおまじない(Mausfallen‑Sprüchlein)

Mausfallen‑Sprüchlein
 ねずみとりのおまじない

Kleine Gäste, kleines Haus.
Liebe Mäusin, oder Maus,
Stelle dich nur kecklich ein
Heute nacht bei Mondenschein!
Mach aber die Tür fein hinter dir zu,
Hörst du?
Dabei hüte dein Schwänzchen!
Nach Tische singen wir
Nach Tische springen wir
Und machen ein Tänzchen:
Witt witt!
Meine alte Katze tanzt wahrscheinlich mit.
 小さなお客さんに、小さなお家。
 メスねずみさんか、オスねずみさん、
 思い切って出ておいでよ、
 月の輝く今夜にね!
 だけど後ろのドアは閉めるんだよ、
 聞いているかい?
 そのとき、しっぽには気をつけてね!
 食事が済んだら歌いましょう、
 食事が済んだら飛び跳ねて
 ダンスしましょう。
 ヴィット、ヴィット!
 私の年寄り猫もおそらく一緒に踊るでしょうよ。

詩:Eduard Mörike (1804-1875)
曲:Hugo Wolf (1860-1903)

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ヘッベル、リュッケルト、ライニク、メーリケの詩による初期の歌曲をまとめた「女声のための六つの歌曲(6 Lieder für eine Frauenstimme)」は、ヴォルフのはじめて出版された歌曲集(1888年3月出版)だが、その最後に置かれたのがメーリケの詩による「ねずみとりのおまじない」である。
メーリケの詩の冒頭には"Das Kind geht dreimal um die Falle und spricht:(子供が罠のまわりを三回まわって唱える)"と書かれており、この前置きを語ってから歌うこともある(例えばアーメリングのレコードではそうしていた)。

ねずみとりのおまじないの文句が歌われているが、ヴォルフは"Hörst du?(聞いているかい?)"を下降する2音で繰り返し歌わせることで、ねずみへの語りかけの印象を強めている。
ピアノパートに見られる細かな音型や装飾音などが、おまじないを唱える子供の天真爛漫さをうまく表現しているように感じられる。
"Witt witt!"の箇所では、ヴォルフは「しわがれた声で(rauh)」と指示し、ピアノパートでもトリルで強調して猫の鳴き声を模している。

Leicht bewegt、4分の2拍子(終わり近くに一度だけ8分の5拍子になる)、ヘ長調。
全39小節。
歌声部の最高音は2点ト音、最低音は1点変ニ音。

Sara Beaudet (Soprano)
愛らしくきれいな声で歌い演じていて、良かった。

Marika Ottitsch (Soprano) Margarete Babinsky (piano) 2007
最初の語り付き。

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レーピン&ゴラン/ヴァイオリン・リサイタル(2010年4月1日 サントリーホール)

ワディム・レーピン ヴァイオリン・リサイタル

Repin_golan_20100401

2010年4月1日 (木) 19:00 サントリーホール (2階LD5列12番)

ワディム・レーピン(Vadim Repin)(ヴァイオリン:1743年製グァルネリ・デル・ジェス「ボンジュール」)
イタマール・ゴラン(Itamar Golan)(ピアノ)

ヤナーチェク(Janáček: 1854-1928)/ヴァイオリン・ソナタ
 I. Con moto
 II. Balada: Con moto
 III. Allegretto
 IV. Adagio

ブラームス(Brahms: 1833-1897)/ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 op.108
 I. Allegro
 II. Adagio
 III. Un poco presto e con sentimento
 IV. Presto agitato

~休憩~

R.シュトラウス(Strauss: 1864-1949)/ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 op.18
 I. Allegro ma non troppo
 II. Improvisation: Andante cantabile
 III. Finale: Andante - Allegro

~アンコール~

ショスタコーヴィチ/24の前奏曲Op.34-17
バルトーク/ルーマニア民族舞曲
チャイコフスキー/感傷的なワルツ

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1971年シベリア生まれのヴァイオリニスト、レーピンと、リトアニア生まれのイスラエル人ピアニスト、ゴランによるヴァイオリンとピアノのためのソナタ3曲を聴いた。

レーピンといえば、ブーニンやキーシンと並んでロシアの若き期待の星だった頃の印象が私にはどうしても強いのだが、そんな彼も来年には40歳を迎えるという。
髪には白いものがかなり目立ち、ぽっちゃりしていた子供の頃が嘘のように長身でスマートになっていた。

サントリーホールの2階後方から座席を見渡すと、1階席はほぼ埋まっている印象。
根強い人気を実感した。

レーピンの演奏は知性的とでも言おうか、感情の赴くままに羽目をはずすというところがなく、常にコントロールが行き届いている。
従って、どの演奏も作品の構造がくっきりと浮かび上がってくる。
しかし、盛り上がるところでは、巧みなテクニックを駆使して、しっかりと決めてくれる。
冷静でありながら、熱さの感じられる演奏だった。

ヤナーチェクのソナタは、フレーズにしろリズムにしろ民族的な要素が大きいのだろう、あたかも異空間に連れて行かれた気分だ。
その内容はとても濃密で、新鮮で、魅力的。
大いに満足した。

続いてブラームスのソナタ第3番。
これは本来大ホールで聴くよりも小規模なサロンで聴く方がふさわしいのだろう。
だが、大ホールのほとんど最後列に座って聴いていても、さすがブラームス、作品の魅力があせることはなかった。
これはやはり名作である。

後半のR.シュトラウスのソナタははじめて聴くが、初期の作品とのこと。
作曲者の個性がまだそれほど発揮されているわけではないこのソナタを聴き進めるうちに、レーピンが何故トリにこの曲を選んだかが分かったような気がした。
第1、2楽章はとりとめのない印象を拭えなかったのだが、第3楽章はとにかく派手で華やかなのだ。
ピアノパートは常に分散和音を轟かせ、ヴァイオリンもそれに負けじと盛り上げる。
プログラムの締めにこの第3楽章はもってこいというわけなのだろう。

アンコールは3曲。
1曲目のショスタコーヴィチは、一見シンプルだが近代曲的な音の選択が印象的。
2曲目のバルトークは長めでかなり技巧的。歌、ピアノとも華やかで聴衆も盛り上がった。
最後のチャイコフスキーは短いがとても美しく、いかにもメロディーメーカーのチャイコフスキーらしい作品。

ピアニストのイタマール・ゴランは室内楽奏者としてその名前を見ることが多いが、実際に演奏を聴いたのは今回がはじめて。
これだけ多くのアーティストたちから共演を望まれるのも納得できる素晴らしいピアニストだ。
ぴったりした衣裳で足を閉じずにお辞儀する姿は若干伊達男の雰囲気。
しかし、その演奏は積極性と繊細さが同居した、吟味された音を聞かせてくれた。
冷静なレーピンに対して、ゴランがあおる場面もあったように感じた。

いいアンサンブルを聴けて満足のコンサートだった。
アークヒルズ横を通った時に見た桜並木はライトアップされてとても美しかった。

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Every Little Thing Concert Tour 2009~2010 "MEET"(2010年3月28日 東京国際フォーラム ホールA)

Every Little Thing Concert Tour 2009~2010 "MEET"
2010年3月28日(日) 17:30 (終演20:30) 東京国際フォーラム ホールA (1階39列39番)

Every Little Thing

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昨年10月から全国各地を回っていたEvery Little Thingのコンサートツアー"MEET"の最終公演を東京国際フォーラムで聴いてきた。
最終日公演はWOWOWが収録して放送し、その後にはDVDとして発売されるのが通例である(私はWOWOWは見れないので、いつもDVD待ちだったが)。
今回もWOWOWのカメラが入っていたので、いずれDVD化もされるのだろう。

セットリストは以下の通り。

1.Pray
2.あたらしい日々

~MC~

3.Medley(Face the change - Feel My Heart - FOREVER YOURS)
4.Time goes by

~MC(長めのトーク。客着席)~

5.スイミー(acoustic version)

~MC~

6.ソラアイ(acoustic version)
7.鮮やかなもの(acoustic version)
8.fragile
9.キヲク
10.SWEET EMERGENCY(伊藤一朗ソロ。客立つ)
11.Future World
12.Free Walkin'(バンドメンバー紹介)
13.jump(カラーテープ落下)

~MC~

14.愛の謳

~Encores~

15.冷たい雨(PVの映像に合わせた演奏)

~MC(五十嵐充登場。Happy Birthdayサプライズ。タオル投げ)~

16.Change(+五十嵐充)
17.Shapes Of Love(+五十嵐充)
18.Dear My Friend(+五十嵐充)
19. Over and Over(+五十嵐充)

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昨年10月に渋谷のオーチャードホールで聴いた時とほぼ同じセットリストだが、アコースティックコーナーが「恋文」「ささやかな祈り」の代わりに「ソラアイ」「鮮やかなもの」になっていたのと、アンコールの1曲目が「DREAM GOES ON」ではなく「冷たい雨」になっていた点が異なっていた。
さらにアルバムの先行シングルとして2月に発売されたばかりの「Change」も披露されたので、4曲前回と別の作品が聴けたことになる。

27日の追加公演に続いて2日連続の国際フォーラム公演だったこともあってか、持田さんの声は時に苦しそうな場面もあったが、概して清冽な美声をすっきりと聞かせていたと思う。
前半のアップテンポナンバーのラッシュはやはり盛り上がる。
「Time goes by」の後に着席してのトークコーナーは、渋谷の時同様かなり長く、客席の声にこたえてまったりと続いた。
その後「スイミー」のアコースティックバージョン(新作アルバム「CHANGE」のDVDに含まれていた昨年のクリスマス・ライヴと同じアレンジのようだ) をすっきり聞かせて、またトークタイム。
その後に「ソラアイ」を歌ってくれたが、私にとって特に好きな作品なので嬉しかった。

アルバム「4 FORCE」に含まれていた「鮮やかなもの」は人気の高い楽曲で、今回のライヴで披露されたのもそのあらわれだろう。
この曲、はじまりが低めに始まるのだが、サビはかなり高くなり、持田さんは勢いで乗り切っていた。

2日連続の公演ということで、声も疲れが出たのか「キヲク」では音程が決まらず、この日一番苦しそうだった。
そして、伊藤さんのギターソロに続き、衣裳替えをした持田さんが再登場してアップテンポ3連続でおおいに会場を盛り上げた後、最後の「愛の謳」でしっとりと締めくくった。
前回の渋谷でも感じたことだが、この曲を歌う彼女の歌唱は本当に素晴らしい。
こういう全身全霊で魂のこもった歌を歌える彼女は、今後もさらに進化していくのだろう。

すでにネット上のニュースで取り上げられているが、この日、2000年3月に脱退した元メンバーの五十嵐充氏がサプライズゲストとして登場した(何となく予感はしていたが)。
持田さんの誕生日が24日だったので、大きなケーキを運びながらの登場となり、持田も「ゲストに運んでもらってすみません」と言っていた。

実は会場に入る際に、聴衆に配布されたビニール袋の中に、「ELTスタッフよりお客様にお願い」という紙が入っていて、自分の座席表を確認して、赤白のボール紙を上げてもっちーをお祝いしようという企画だった。


♥ELT♥
I♥ELT
KAORI

上記のような文字がステージから見えるようになり、ウェブニュースなどでも取り上げられたように、もっちーは感激して泣いていた。

ライヴが終わった後のエンドロールで流れていた歌なしの音楽が聴いたことのない曲だったので、今後発売される新曲なのかもしれない。

オリジナルメンバーの3ショットで懐かしい大ヒット曲と生まれたての新曲の両方を聞けて、とても貴重な時間を過ごせ、とにかく楽しめたライヴだった。
声を大事にして、今後もますます頑張ってほしいと思わずにいられない。

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