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ワーグナー/「神々の黄昏」(2010年3月27日 新国立劇場 オペラパレス)

楽劇「ニーべルングの指環」第3日
神々の黄昏
【序幕付全3幕】(ドイツ語上演/字幕付)

2010年3月27日(土) 14:00 新国立劇場 オペラパレス (4階4列16番)
ワーグナー(Richard Wagner)/「神々の黄昏(Götterdämmerung)」

ジークフリート:クリスティアン・フランツ(Christian Franz)(T)
ブリュンヒルデ:イレーネ・テオリン(Iréne Theorin)(S)
アルベリヒ:島村武男(Shimamura Takeo)(BR)
グンター:アレクサンダー・マルコ=ブルメスター(Alexander Marco-Buhrmester)(BR)
ハーゲン:ダニエル・スメギ(Daniel Sumegi)(BS)
グートルーネ:横山恵子(Yokoyama Keiko)(S)
ヴァルトラウテ:カティア・リッティング(Katja Lytting)(MS)

ヴォークリンデ:平井香織(Hirai Kaori)(S)
ヴェルグンデ:池田香織(Ikeda Kaori)(MS)
フロスヒルデ:大林智子(Obayashi Tomoko)(MS)

第一のノルン:竹本節子(Takemoto Setsuko)(MS)
第二のノルン:清水華澄(Shimizu Kasumi)(MS)
第三のノルン:緑川まり(Midorikawa Mari)(S)

合唱:新国立劇場合唱団(New National Theatre Chorus)
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)
指揮:ダン・エッティンガー(Dan Ettinger)

<初演スタッフ>
演出:キース・ウォーナー(Keith Warner)
装置・衣裳:デヴィッド・フィールディング(David Fielding)
照明:ヴォルフガング・ゲッベル(Wolfgang Göbbel)

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以下ネタバレがありますので、これからご覧になる方はご注意ください。

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ヴォルフ/私はしばしば思い返す(Wohl denk ich oft)

Wohl denk ich oft
 私はしばしば思い返す

Wohl denk ich oft an mein vergangnes Leben,
Wie es vor meiner Liebe für dich war;
Kein Mensch hat damals Acht auf mich gegeben,
Ein jeder Tag verloren für mich war.
 私はしばしばこれまでの人生を思い返す、
 あなたを愛する以前はどうだったのかと。
 当時は誰も私を気にとめず、
 毎日が私にとって絶望的だった。

Ich dachte wohl, ganz dem Gesang zu leben,
Auch mich zu flüchten aus der Menschen Schar.
Genannt in Lob und Tadel bin ich heute,
Und, daß ich da bin, wissen alle Leute!
 よく歌に生きようかと考えたり、
 人々の群れから逃げ出そうかとさえ思ったものだった。
 今では私は賞賛されたり非難される中に名を挙げられているが、
 つまり、私がいることをあらゆる人々が知っているのだ!

原詩:Michelangelo Buonarroti (1475-1564)
訳詩:Walter Heinrich Robert-Tornow (1852-1895)
曲:Hugo Wolf (1860-1903)

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ヴォルフが最後に書いた歌曲が、イタリアの大彫刻家ミケランジェロの詩による3曲の歌曲集。
その第1曲「私はしばしば思い返す」は、過去の無名だった頃の辛さを回想した後、今は毀誉褒貶にさらされつつも誰もに知られる存在になったことは確かだと歌う。
まさにミケランジェロが自分のことを歌った詩なのだろう。
1897年3月18日作曲。

この曲の前奏が、ムソルクスキーの歌曲集「死の歌と踊り」の「子守歌」の前奏と瓜二つなのは偶然だろうか。
ヴォルフお得意の半音階進行によるピアノ、歌による不安定な音楽で始まるが、最後には壮大なクライマックスを築き、ピアノのトレモロが華やかに締めくくる。
この曲の演奏ではハンス・ホッターの心に響く歌唱が忘れられない。

Dietrich Fischer-Dieskau(Baritone) Daniel Barenboim(piano)
 ディースカウの堂々たる歌とバレンボイムのどっしりとしたピアノ。なかなか良い。

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椎名雄一郎/J.S.バッハ オルガン全曲演奏会 第8回(2010年3月22日 日本大学カザルスホール)

椎名雄一郎

Shiina_20100322

J.S.バッハ オルガン全曲演奏会
第8回 コラールの世界
2010年3月22日(月・祝) 15:00 日本大学カザルスホール(1階A列7番)

椎名雄一郎(Yuichiro Shiina)(オルガン)
石川洋人(Hiroto Ishikawa)(テノール)

ヨハン・セバスティアン・バッハ(J.S.Bach)作曲

幻想曲と模倣曲 ロ短調 BWV563
コラールパルティータ<ああ、罪人なるわれ、何をすべきか>BWV770
<キリストを、われらさやけく頒め讃えうべし>BWV696
<讃美を受けたまえ、汝イエス・キリスト>BWV697
<主キリスト、神の独り子>BWV698
<いざ来ませ、異邦人の救い主よ>BWV699
<高き天よりわれは来たれり>BWV700、701
前奏曲とフーガ ハ長調 BWV545

~休憩~

幻想曲 ハ長調 BWV570
<神の子は来たりたまえり>BWV703
<全能の神に讃美あれ>BWV704
<いと尊きイエスよ、われらはここに集いて>BWV706
<主イエス・キリストよ、われらを顧みて>BWV709
<われは汝に依り頼む、主よ>BWV712
<イエスよ、我が喜び>BWV713
<マニフィカト>(わが魂は主をあがめ)BWV733
前奏曲とフーガ ヘ短調 BWV534

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椎名雄一郎による「バッハ オルガン全曲演奏会」の第8回を日本大学カザルスホールで聴いてきた。
先日の吉田恵が全曲シリーズ最終回をこのカザルスホールで締めくくったのに対して、椎名雄一郎のシリーズは2014年までかけてじっくり進めていくようだ。
しかし、今月いっぱいで閉館するカザルスホールのオルガンを演奏するのは今回が最後になり、それゆえに「さよならカザルスホール オルガン・コンサート第2弾」という副題が付けられている。

今回は1階最前列という席。
席は大方埋まっていたように思う。
まず、2階のオルガン席に椎名雄一郎とストップ操作の助手(奥様?)があらわれ、第1曲を演奏する。
2階で聴く時と比べ、オルガンの音が上方から直に降ってくるような印象があり、オルガンのシャワーを浴びているような迫力を感じた。
椎名が第1曲を弾き終えると、テノールの石川洋人が登場し、1階ステージの向かって右側に位置した。
石川洋人はコラールに基づく各オルガン作品が演奏される前にオリジナルのコラールを無伴奏で歌った。
つまり前半はBWV770からBWV701まで、後半はBWV703からBWV733まで石川の歌が聞けた。
ただし、後半の2曲<いと尊きイエスよ、われらはここに集いて>BWV706と、<イエスよ、我が喜び>BWV713のみは、無伴奏コラールだけではなく、オルガン演奏の途中からも加わり、オルガン伴奏でコラールを歌う形をとっていた。

石川洋人は古楽の歌唱法によるもので、薄いヴィブラートをかけ、清澄に声を伸ばしていく。
最前列で聞いていると、曲が進むにつれて、彼の声のボリュームが明らかに豊かになっていく様をはっきりと実感できた。
こうしてアカペラで響く歌声を聴くと、まさにホール全体が楽器なのだと実感させられる。
コラールをじっくり聴いていると、その独特の節回しによって遠い時代にタイムスリップしたかのようだった。

椎名雄一郎による今回のプログラミングは、コラールに基づく作品を前半と後半の中心に据えてはいるが、それぞれを挟み込む形で最初と最後にオルガンのためのオリジナル作品が演奏された。
コラール作品は小規模なものが多く、愛らしい小品という感じだが、石川氏のオリジナルのコラール唱の後で演奏されると、バッハがコラールをそのまま、あるいは部分的に取り込みながら、いかに巧みな味付けを加味しているかが分かる。
私にとってはプロテスタントの会衆が歌うコラールは馴染みがあるわけではないので、今回、歌とオルガンを一緒に聴くことが出来たのは分かりやすかった。
この夜のコンサートもいずれCD化されるだろうが、ぜひコラール唱も収録してほしいものだ。

椎名の演奏は一貫して弛緩することなく、見事に構築されていて素晴らしかったと思う。
また、コラールによる作品群では、温かい音色が聴いていて気持ち良かった。
効果的なストップ選択も演奏の成功に寄与していることだろう(バッハ自身によって音色が指定されている曲もあるが、殆どは演奏者の決定に任されているのだろう)。

椎名氏の言葉によれば「カザルスホールで一番演奏したかったバッハの作品、それが今回のコラール作品です」とのこと。
このホールのアーレントオルガンにふさわしい作品だということなのだろう。
それが、椎名氏にとって最後のカザルスホールの演奏で実現したのは良かったと思う。

演奏終了後、椎名氏も1階に下りてきて、石川氏と並んで拍手に応じていたが、最後にオルガンの方に手をかざして感謝の念を示していたのが印象的だった。

素晴らしい響きを聞かせてくれたカザルスホールに感謝!

椎名氏のこのシリーズ、次回の演奏は池袋の東京芸術劇場で行われるそうだ。

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小山実稚恵/ショパン・リサイタル・シリーズⅢ(2010年3月20日 川口リリア 音楽ホール)

小山実稚恵 ショパン・リサイタル・シリーズⅢ

Koyama_michie_20100320

2010年3月20日(土) 18:00 川口リリア 音楽ホール(E列3番)

小山実稚恵(Michie Koyama)(ピアノ)

ショパン(Chopin: 1810-1849)作曲

1.練習曲嬰ハ短調作品25-7

2.マズルカ第36番イ短調作品59-1
3.マズルカ第37番変イ長調作品59-2
4.マズルカ第38番嬰へ短調作品59-3

5.ソナタ第2番変ロ短調作品35「葬送」
  1.Grave - Doppio movimento
  2.Scherzo
  3.Marche Funebre
  4.Presto

~休憩~

6.ソナタ第3番ロ短調作品58
  1.Allegro maestoso
  2.Scherzo, Molto vivace
  3.Largo
  4.Presto, non tanto

~アンコール~
1.ワルツ第10番Op.69-2
2.ピアノ協奏曲第2番Op.21~第2楽章

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小山実稚恵の生演奏を久しぶりに聴いた。
彼女の爽やかで美しい演奏は聴いていて清々しくて大好きなのだ。
今回は、今年生誕200年ということですでに盛り上がりをみせているショパンの作品のみによるリサイタルだった。
すでにショパンシリーズを川口リリアで2回行っていたようで、今回がその最終回とのこと。

明るい黄緑色のドレスをまとって登場した小山はにこやかな笑顔を湛えていた。
最初に「練習曲ハ短調」が演奏される。
最初からデリケートで美しい音に引き込まれる。
憂いを帯びた感傷的なメロディが印象的な作品だが、途中で急速なパッセージなどもあり、表現力とテクニックの双方を求められる練習曲といえるだろう。

マズルカからは作品59の3曲が続けて演奏された。
さらりとした表情の中から繊細な感情の移ろいをそっと描き出す。
このような小品から作品の身の丈に合った魅力をそのまま引き出してくれる小山さんの演奏は、私が最も理想的と感じるショパン演奏と感じた。

ソナタ第2番は前半最後の演目ということもあってか、若干疲れも見られたが、弛緩することなく、落ち着いた表情を基本にしながら、重量感のある響きも聴かせていた。
第1楽章は飛ばし過ぎたか、迫力は満点だったが、音の取りこぼしが若干あったように聞こえた(それでも素晴らしい演奏だったことは確かだが)。
だが、第3楽章の「葬送行進曲」中間部のなんという美しさ!
この世から送られた人が天上で浄化されたかのような響き。
このような歌心に満ちた演奏はそうそう聴けるものではない。
うっとりと聴きほれてしまった。
それにしても無窮動的な最終楽章は何度聴いても不思議な曲である。
柿沼唯氏のプログラムノートによると、ショパンは「左手が右手と同音でぺちゃくちゃ喋るのだ」と語ったそうだが、おしゃべりというよりは、カオスのようにも感じられる。
もちろん小山の演奏はこのような細かいテクニカルな楽章でも全く見事に弾きこなしていた。
前半の練習曲やマズルカと、このソナタ第2番を聴くと、やはりショパンにおいても小品とソナタでは随分作曲する際の意識が異なっていたのではないかと感じた。
ソナタではショパンなりに構成をがっちり意識して、楽章ごとの性格の違いをドラマティックに対比させようとしていたのではないか。
そんなことを小山さんの演奏を聴きながら感じた。

休憩後に演奏されたのは、ソナタ第3番。
一晩のコンサートでこの名ソナタ2曲の両方ともが聴けるとは嬉しい。
休憩をとったせいか、第3番では最初から力強さが漲り、しかも粒立ちの美しさも維持しつつ、硬軟の間を行き来する自在さが感じられて素晴らしかった。
軽快な第2楽章、歌にあふれた第3楽章、そして推進力のある最終楽章、どれをとっても目配りの行き届いた聴き応えたっぷりの演奏だった。

彼女の演奏はバランスの良さが際立っていて、テクニックを誇示したり、これみよがしなスピードアップをすることが一切無いため、作品そのものに集中できるのだ。
演奏する時の動きも必要最低限にとどまり、視覚的な見苦しさが皆無なのも彼女の美点の一つだと思う。
それでいて、高度で安定した技巧をもち、どんな難所もごまかすことなく、磨きぬかれた美音で響かせる。
強弱のダイナミックレンジも充分に幅広く、フォルテではずっしりとした芯のある響きを聴かせる。
その一方、静かな箇所ではだれることが一切なく、適度なテンポで、歌うように響かせる。
若いショパン弾きにしばしば見られる「主張」という名の自己満足に陥ることが無く、一貫して作品に対して誠実に対峙しているのが感じられる。

盛大な拍手にこたえて弾かれたアンコールは2曲。
最初のワルツはよく耳にする作品で、彼女のしっとりとした味のある演奏が素敵だった。
2番目に弾かれた曲、私は何の曲だか分からなかったのだが、後で掲示を見て、コンチェルト第2番の第2楽章と知る。
ピアノソロ・バージョンが存在するようだ。
これはショパンっぽい響きと、ほかの作曲家のような響きの両方が混ざり合ったような不思議な作品と感じた。
そのうち、録音でも耳にすることが出来る日が来るのだろう。

とても充実したショパンの音楽と演奏に浸ることの出来たコンサートで大満足だった。

Koyama_chopin_cd_20100320

終演後にはCDジャケットにサインを頂いたが、その時に「素晴らしかったです」と伝えると、優しい笑顔を返してくれた。
間近で見ると、随分小柄な方だと気付く。
これほど小さな体のどこからあれだけのエネルギーがあふれてくるのだろう。
日ごろのプロとしての精進なくしてはありえないであろう、その素晴らしい演奏に尊敬の念すら感じた。

今年のGWの「ラ・フォル・ジュルネ」でも彼女は何回か登場し、私はショパンのピアノ協奏曲第1番のチケットが運良くとれたので、そちらも楽しみにしたい。

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英テノール、フィリップ・ラングリッジを偲んで

イギリスの名テノール、フィリップ・ラングリッジ(Philip Gordon Langridge: 1939.12.16, Kent, UK – 2010.3.5, London)が3月5日に癌のため亡くなったそうだ。
享年70歳。
私がラングリッジの歌を初めて聴いたのはグレアム・ジョンソンの企画・ピアノでHyperionレーベルに録音されたシューベルト・エディションの第4巻だったのだが、それからすでに20年も経ってしまった。
その後一度来日して歌曲のコンサートを開いたと記憶しているが、その時に聴かなかったのが悔やまれる(結局一度も実演に接することが出来なかった)。

ほかに彼の録音を探してみると、家にはアーメリングも参加しているマリナー指揮の「メサイア」と、ショスタコーヴィチの歌曲集、クィルターの民謡編曲集があった。
オペラではモーツァルト、ブリテン、ヤナーチェクなどを得意とし、ごく最近まで活躍していたようだ。

彼を偲んで久しぶりにハイペリオンのシューベルトを引っ張り出して聴いてみた。

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シューベルト歌曲全集4「シューベルトの友人たち」

Langridge_johnson_schubert

The Hyperion Schubert Edition 4
ミュージック東京 (Hyperion): NSC154 (CDJ33004)
録音:1988年9月11-12日, Rosslyn Hill Unitarian Chapel, Hampstead, London

フィリップ・ラングリッジ(Philip Langridge)(テノール)
グレアム・ジョンスン(Graham Johnson)(ピアノ)

1.吟遊詩人(Der Liedler) D209 (ケンナー・詩) [15'20]
2.歌びとの朝の歌(第1作)(Sängers Morgenlied) D163 (ケルナー・詩) [2'23]
3.歌びとの朝の歌(第2作)(Sängers Morgenlied) D165 (ケルナー・詩) [3'38]
4.それはぼくだった(Das war ich) D174 (ケルナー・詩) [3'08]
5.恋のたわむれ(Liebeständelei) D206 (ケルナー・詩) [2'00]
6.愛の陶酔(第2作)(Liebesrausch) D179 (ケルナー・詩) [3'06]
7.愛の憧れ(Sehnsucht der Liebe) D180 (ケルナー・詩) [4'56]
8.邪魔される幸せ(Das gestörte Glück) D309 (ケルナー・詩) [2'20]
9.リーゼンコッペ山頂で(Auf der Riesenkoppe) D611 (ケルナー・詩) [4'17]
10.湖畔で(Am See) D124 (マイアーホーファー・詩) [5'03]
11.昔の愛は色褪せない(Alte Liebe rostet nie) D477 (マイアーホーファー・詩) [2'56]
12.河のほとりで(Am Strome) D539 (マイアーホーファー・詩) [2'25]
13.夜曲(Nachtstück) D672 (マイアーホーファー・詩) [5'46]
14.恋の立ち聞き(Liebeslauschen) D698 (シュレヒタ・詩) [4'52]
15.リンツの試補ヨーゼフ・フォン・シュパウン氏に寄す手紙(An Herrn Josef von Spaun, Assessor in Linz (Epistel)) D749 (コリーン・詩) [4'46]

(上記の表記は国内盤の表記に従った。ただし録音場所と演奏時間はHyperionのWebサイトに従った)

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この第4巻ではシューベルトと個人的に付き合いのあった友人たちの詩による歌曲を集めている(ちなみにシリーズ第3巻を担当していたのが、彼の奥さんであるメゾソプラノ歌手のアン・マリー)。
ケンナー、ケルナー、マイアーホーファー、シュレヒタ、コリーンといった5人の詩人たちの詩への付曲はシューベルトの彼らへの友情の証だろう。

1.吟遊詩人D209
愛する女性がほかの男と結婚式を挙げる前日に吟遊詩人は彼女に最後の別れを告げて遍歴に出る。
旅先でも彼女を忘れることが出来ない吟遊詩人は、思いを振り切るために戦地へ赴く。
だが、鎧を着て武勲をたててもやはり彼女を忘れることは出来ず、ついに女性のもとに向かう。
すでに結婚した彼女と騎士が列をなして通るところに出くわすと、突然人狼(Werwolf)が現れる。
吟遊詩人は愛する彼女のために人狼に立ち向かい、大切な竪琴を人狼に打ちつけ、最後には人狼ともども谷底へと落ちる。
竪琴の響きを模したかのような繊細なピアノ前奏で始まり、全体で15分もかかる長大な作品。
ラングリッジはレガートを基調にした丁寧な語り口と声の豊かな表情で、起伏に富んだバラードを巧みに歌っていた。

2&3.歌びとの朝の歌D163 & D165
朝の美しさを讃美し、表現した内容。
第1作が1815年2月27日作曲、第2作が1815年3月1日作曲とわずかな間隔で作られたが、改作ではなく全く別個の音楽になっており、どちらも有節形式である。
ラングリッジの歌唱は、第1作では軽快なメリスマの歌い方の素晴らしさが印象的。
一方、第2作では心情のこもった真摯な表現に胸を打たれた。

4.それはぼくだったD174
夢の中である女性と一緒にいたのはぼくだった。そして夢から覚めても・・・。
有節形式で前半の抑えた曲調と後半の焦燥感と喜びに満ちた曲調の対比が面白い。
ラングリッジの詩の言葉への密着ぶりが魅力的。

5.恋のたわむれD206
女性を落とす手管にたけた人のくどき文句。
ラングリッジはドン・ジョヴァンニのようにというよりは、誠実さすら感じさせる。

6.愛の陶酔D179
恋人に向けた熱烈な讃歌。
ラングリッジの情熱的な表現が聴ける。

7.愛の憧れD180
恋心にかき乱される苦しい心情が歌われる。
有節形式だが、各節前半の静謐さと後半の激しい表現の落差が興味深い。
ラングリッジの表現力の幅広さを見事に披露している。

8.邪魔される幸せD309
恋人にキスしたくてたまらないが、必ず邪魔されてしまうと歌う。
これも有節形式だが、ラングリッジのコミカルな芸達者ぶりが堪能できる。

9.リーゼンコッペ山頂で
山頂から見える眺めに感動し、故郷に挨拶を送るという内容。
ラングリッジの堂々たる歌いぶりは神々しさすら感じる。

10.湖畔でD124
湖のほとりで詩人は物思いに耽る。
そのうち、洪水で溺れている人を救おうとして犠牲になったレーオポルト公への思いへと移り行く。
音楽も詩の観念的な内容に対応してややとりとめのない印象を受ける。
この曲の超高音をラングリッジはぴたりと決めていたのはすごい。

11.昔の愛は色褪せないD477
「昔の愛は色褪せない」と母親から聞かされていたが、失った恋人の幻影を見てそれを実感するという内容。
ラングリッジは抑制された歌い方で詩の内容を表現していた。

12.河のほとりでD539
常に落ち着くことのない不安な心情を河にたとえた歌。
音楽はA-B-Aの形式で作られている。
ラングリッジの歌は真摯で丁寧だ。

13.夜曲D672
夜半に老人が竪琴を弾きながら己の死を予感するという内容。
私の特に好きな作品だ。
きわめて繊細で内面的なシューベルトの音楽を、ラングリッジは共感をこめて美しく歌っていた。

14.恋の立ち聞きD698
騎士は恋人を思って夜にセレナーデを奏でる。
しかし、恋人は現れないので、恋人の窓辺にのぼり花を結びつけると・・・。
シューベルトはとても優美でチャーミングな音楽をつけている。
ラングリッジの役になりきった歌には、優しさが感じられる。

15.リンツの試補ヨーゼフ・フォン・シュパウン氏に寄す手紙D749
リンツに赴任した友人シュパウンにシューベルトは手紙を書いたが、それに対する返信は来なかった。
それを知ったコリーンが冗談めかしたあてつけの詩を書き、それにシューベルトがレチタティーヴォとアリアの形で曲を付けたという真面目にふざけた曲。
シューベルト仲間の絆の深さを感じずにはいられない。
ラングリッジの歌は、まさに真面目にこの冗談音楽を表現していてとても面白かった。
超高音も現れるが、ラングリッジは余裕をもって響かせていた。

Langridge_johnson_schubert_2

細やかなピアノを聞かせたグレアム・ジョンスンの周到に考え抜かれたプログラミングによって、ラングリッジの声の特質が存分に発揮されたシューベルト・リサイタルとなっていた。
1曲1曲聴き進めるのが楽しい、魅力的なリサイタルCDだった。
ラングリッジが間違いなく超一流のリート歌手の一人であったことを今さらながら知ることが出来て良かった。

この非凡な名歌手のご冥福をお祈りします。

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(2010年8月1日追記)

ラングリッジの来日公演のパンフレットを音楽資料室で見ることが出来たので、プログラムを追記しておきます(ちらしは私の家から出てきました)。

フィリップ・ラングリッジ テノール リサイタル
1992年9月14日(月)19:00 東京文化会館小ホール

フィリップ・ラングリッジ(Philip Langridge)(テノール)
ジョン・コンスタブル(John Constable)(ピアノ)

ベートーヴェン(Beethoven)
別れWoO124(L Partenza)
愛の嘆きOp.82-2(Liebesklage)
希望Op.82-1(Hoffnung)
いらだつ恋人(アリエッタ・アッサイ・セリオーサ)Op.82-4(L'amante impaziente: Arietta assai seriosa)
いらだつ恋人(アリエッタ・ブッファ)Op.82-3(L'amante impaziente: Arietta buffa)

ドヴォルザーク(Dvořák)
歌曲集「糸杉」より4曲(4 Songs from "Cypřiše")
1.わが歌よ響け(Vy vroucí písně pějte)
5.それは何とすばらしい夢だったことか(O byl to krásný zlatý sen)
14.小川のほとりの森で(Zde ve lese u potoka)
15.私の心を暗い不安がおそう(Mou celou duší ză dumnĕ)

リスト(Liszt)
マルリングの鐘よS.328(Ihr Glocken von Marling)
祖先の墓S.281(Die Vätergruft)
三人のジプシーS.320(Die drei Zigeuner)

ブリテン(Britten)
ジョン・ダンの聖なるソネットop.35(The Holy Sonnets of John Donne)
1.おお わたしの暗い魂よ(Oh my blacke soule)
2.わたしの心をいためつけよ(Batter my heart)
3.おお あのため息と涙が(O might those sighs and teares)
4.おお いらだたすため(Oh to vex me)
5.もし現在が(What if this present)
6.愛した彼女が(Since she whom I loved)
7.まるい地球の片すみで(At the round earth's imagined corners)
8.汝がわたしを造りたもうた(Thou hast made me)
9.死よ、驕るなかれ(Death be not proud)

Langridge_constable_japan_1992

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吉田 恵/J.S.バッハ オルガン作品全曲演奏会 第12回<最終回>(2010年3月13日 日本大学カザルスホール)

J.S.バッハ オルガン作品全曲演奏会 第12回<最終回>

Yoshida_2010032010年3月13日(土) 19:00 日本大学カザルスホール (全自由席)

吉田 恵(Megumi Yoshida)(オルガン)

J.S.バッハ/《クラヴィーア練習曲集 第3部》

前奏曲 変ホ長調 BWV552/1

キリエ,とこしえの父なる神よ BWV669
キリストよ,世の人すべての慰め BWV670
キリエ,聖霊なる神よ BWV671
キリエ,とこしえの父なる神よ BWV672
キリストよ,世の人すべての慰め BWV673
キリエ,聖霊なる神よ BWV674
いと高きところでは神にのみ栄光あれ BWV675
いと高きところでは神にのみ栄光あれ BWV676
いと高きところでは神にのみ栄光あれ BWV677
これぞ聖なる十戒 BWV678
これぞ聖なる十戒 BWV679
われらみな唯一なる神を信ず BWV680

 ~休憩~

われらみな唯一なる神を信ず BWV681
天にましますわれらの父よ BWV682
天にましますわれらの父よ BWV683
われらの主キリスト,ヨルダンの川に来れり BWV684
われらの主キリスト,ヨルダンの川に来れり BWV685
深き淵より,われ汝に呼ばわる BWV686
深き淵より,われ汝に呼ばわる BWV687
われらの救い主なるイエス・キリストは BWV688
われらの救い主なるイエス・キリストは BWV689

4つのデュエット
 第1曲 ホ短調 BWV802
 第2曲 ヘ長調 BWV803
 第3曲 ト長調 BWV804
 第4曲 イ短調 BWV805

フーガ 変ホ長調 BWV552/2

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2004年12月に開始された吉田恵によるJ.S.バッハ・オルガン作品全曲演奏会も今回でとうとう最終回である。
私は、この大偉業のシリーズ最後の数回分しか聴くことが出来なかったが、こうして最終回に立ち会えたのは聴衆としても感無量である。
今月いっぱいで閉館されるカザルスホールのオルガンがシリーズ最終回に間に合ったことは演奏者にとっても良かったのではないだろうか
(ちなみにこのアーレントオルガンは閉館後も学内利用のために保管されるようでとりあえず一安心である)。

ところで、今回開場時間の18時半ごろに会場に着いたらすでに長蛇の列で、これまでにこのようなことが無かっただけに驚いた。
ホールに別れを惜しむ人たちが大挙して押し寄せたというところだろうか。
ホール内もほぼ満席で、常にこのぐらいの集客が望めれば閉館ということにもならなかったのかもしれないが、そういうことを言ってみたところでもはや事態が変わるわけでもない。

今回は音楽友達のCさんと2階左側の席で聴いたが、アーレントオルガンの多彩な響きを存分に堪能できたのが良かった。
私はこのオルガンの音色から荘厳さ以上に愛らしさ、温かみを感じる。
謹厳なバッハ先生というよりは教会で信者たちに慈しみをもってオルガンを演奏している印象である。

最終回の演目は大規模な《クラヴィーア練習曲集 第3部》全曲である。
最初と最後に規模の大きめな前奏曲とフーガを配し、それらにコラール編曲と4曲のデュエットが挟まれる形をとる。
私の手元にあるヘルムート・ヴァルヒャの往年の録音では大オルガン用と小オルガン用でコラールを分けて配置してあったが、今回の吉田恵の演奏では同じコラールによる複数の編曲は連続して演奏された(BWV番号の順)。
プログラムノートの金澤正剛氏の解説によれば「本来はそのうちの1曲を選んで弾けば良いことになっている」そうだが、今回は全曲演奏という企画でもあり、すべて演奏された。

前半最初の「前奏曲」は、この長大な曲集の冒頭を飾るにふさわしい華やかさがあり、その後に続くコラール群は時にドラマティックに、時に親密にという多面的な表情が楽しめた。
同じコラールによる編曲が並置されると、編曲次第でまるで別の曲のような表情をもつのが興味深く、それらをちょっとした表情を付けながらもあくまで作品の揺ぎ無い構築性を保ちながら快適なテンポで表現し尽くした吉田さんの演奏はとても魅力的だった。
「4つのデュエット」はヴァルヒャの録音ではチェンバロで演奏されていたが、これらがオルガンで弾かれると全然違った印象を受けたのが面白かった。
ヴァルヒャの時はチェンバロの4曲だけが曲集の別格扱いのような印象を受けたが、吉田さんによるオルガン演奏では曲集内でも違和感なくオルガン曲としての魅力を放っていたと思った。
プログラム締め近くに演奏された「われらの救い主なるイエス・キリストは BWV688」は目まぐるしい音の動きが印象的で、吉田さんの演奏も冴えていた。
最後のドラマティックな「フーガ」ではやはり吉田さんのカザルスホール最後の演奏曲ということもあってか、聴いている私にもその表情豊かな意気込みが伝わってきたように感じ、感慨深いものがあった。

また、今回は前半と後半それぞれ途中の数曲で、鍵盤上方のふたを左右に開けて、内部のパイプをより響かせていたが、曲の特質によって開閉を決めていたのだろうか(前回は壮大な「パッサカリアとフーガ」でふたを開けていたのを覚えている)。

演奏が終わり何度かのカーテンコールを経て、吉田さんとストップ操作の女性が1階のホールに下りてきて、オルガンと共に盛大な拍手を受けていた。
この前人未到の企画をやり遂げた吉田恵さんと関係者の方々には心から拍手を贈りたい。
そして、カザルスホールの魅力的なアーレントオルガンにも・・・。

なお、カザルスホールのオルガンに関して読売新聞に記事があったのでリンクしておきます。
 こちら
 
ちなみにこの日はフーゴ・ヴォルフの150回目の誕生日。
それを記念して韓国のバリトン歌手ロッキー・チョンとピアニストの松川儒による「メーリケ歌曲集」のコンサートが津田ホールで企画されたが、17時開演では両方聴くのは無理そうなので今回は涙を飲んだ。

Yoshida_201003_chirashi

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フーゴ・ヴォルフ(Hugo Wolf)生誕150年!

ドイツ・リートの作曲家といえばシューベルト、シューマン、ブラームス、ヴォルフの4人が代表格だが、そのヴォルフ(1860.3.13 - 1903.2.22)は今日3月13日で生誕150年を迎えた。
ショパンやシューマンとは異なりアニバーサリーイヤーだからといって特別な盛り上がりがないのは残念だが仕方ないのだろう。
だが、私にとってヴォルフは、シューベルトと並び特別な存在なので、彼の歌曲を今年はじっくり聴き直していこうと思っている。

ヴォルフの歌曲は300曲以上あるが、よく知られているのはそのうちのわずかに過ぎない。
この機会に彼の全歌曲のデータベースを作成してみようと思う。

今は未完成だが、少しずつ更新して、様々な情報を盛り込んでいこうと思う。

※参考文献
「ニューグローヴ世界音楽大事典」:1993 講談社
「<大作曲家>ヴォルフ」:アンドレアス・ドルシェル著;樋口大介訳:1998 音楽之友社
「ヴォルフ:歌曲集」の解説書:喜多尾道冬訳:ポリドール:DG:POCG-9013/21
ほか

 「wolf_works_20100313.xls」をダウンロード

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ヴォルフ/ペンナに住んでる恋人がいるの(Ich hab' in Penna einen Liebsten wohnen)

Ich hab' in Penna einen Liebsten wohnen
 ペンナに住んでる恋人がいるの

Ich hab' in Penna einen Liebsten wohnen,
In der Maremmenebne einen andern,
Einen im schönen Hafen von Ancona,
Zum Vierten muß ich nach Viterbo wandern;
Ein andrer wohnt in Casentino dort,
Der nächste lebt mit mir am selben Ort,
Und wieder einen hab' ich in Magione,
Vier in La Fratta,zehn in Castiglione.
 ペンナに住んでる恋人がいるの、
 マレンマの平野にも一人いるし、
 アンコーナの素敵な港にだって一人いるわ、
 四人目はヴィテルボまで行かなきゃなんないけどね。
 カセンティーノの方にはさらに一人いて、
 もう一人はあたしと同じ町にいるのよ。
 それから、マジョーネにもう一人いて、
 ラ・フラッタには四人、カスティリオーネには十人もいるんだから。

訳詩:Paul Johann Ludwig von Heyse (1830-1914)
曲:Hugo Wolf (1860-1903)

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ヴォルフの歌曲集「イタリアの歌の本(Italienisches Liederbuch)」はイタリア起源の詩にパウル・ハイゼが独訳した詩をテキストにしており、2巻全46曲の小さな歌曲から成っている。
この「あたし、ペンナに住んでる恋人がいるの」は歌曲集の最後を飾る第2巻第24曲目に置かれている。
1896年4月25日作曲。

モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」中のレポレッロのアリア「カタログの歌」の女性版と言われるが、この女性、文字通りにとらえれば現在21股をかけていることになる。
しかし、浮気者の単なる自慢というよりは、目の前にいる彼氏の嫉妬心をかきたてて喜んでいるようにも見える。
どこか憎めない愛嬌のある女性がイメージされる。

ヴォルフの音楽は急速なテンポで早口に歌われ、1分に満たない短い曲だが、ピアノの技巧的で華麗な後奏がついており、歌手、ピアニストともに見せ場をつくって曲集を締めくくる。

Elisabeth Schwarzkopf(soprano) Geoffrey Parsons(piano)
1976年アムステルダムでのライヴ映像。
せっかくのパーソンズの名人芸的なピアノ後奏が拍手でかき消されて気の毒だが、当時の歌曲リサイタルはピアノの最後の音を待ってから拍手という慣習がなかったのだろうか。

私がかつて、この曲の訳詩とコメントを「詩と音楽」に投稿した記事がありますので、参考までにリンクしておきます。
 こちら

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映画「海の沈黙」を見る(2010年2月27日 岩波ホール)

岩波ホールセレクションVol.1[抵抗と人間]

Silence_de_la_mer映画「海の沈黙-デジタルリマスター版-」(Le Silence de la mer)
2010年2月27日(土)14:30の回 岩波ホール

監督:ジャン=ピエール・メルヴィル(Jean-Pierre Melville: 1917-1973)
撮影:アンリ・ドカ(Henri Decae: 1915-1987)
原作:ヴェルコール(Vercors: 1902-1991)(岩波文庫)

ヴェルナー・フォン・エブルナック(Werner von Ebrennac):ハワード・ヴァーノン(Howard Vernon: 1914-1996) 
姪(le nièce):ニコール・ステファーヌ(Nicole Stéphane: 1923-2007)
伯父(l'oncle):ジャン=マリー・ロバン(Jean-Marie Robain: 1913-2004)

1947年/86分/モノクロ/フランス/デジタル上映

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先週の土曜日に再び岩波ホールに出かけ、「海の沈黙」という映画を見てきた。
前から6列目の左のブロックに腰を下ろす。
すぐ右側が通路なので、前の人の頭に画面が遮られずにすむ。

ヴェルコールの小説をメルヴィル監督が映画化した作品である。
今回が本邦初公開とのことだ。

ナチス・ドイツ占領下の1941年フランスが舞台。
突然あらわれて家に同居することになったドイツ人将校ヴェルナーに対し、フランス人の老人とその姪の2人は普段の生活を変えずにひたすら押し黙る。
ヴェルナーは毎日のように2人の前にあらわれ、反応を求めないまま、敬愛するフランス文学のこと、自分が作曲をすること、そしてドイツとフランスが手を組むようになるであろう未来などを熱く語る。
ヴェルナーはナチス・ドイツの正義を信じて疑わなかったのだ。
しかし、ヴェルナーにも真実を知る時が来る。
その時に彼はどうするのか。
そして、沈黙の抵抗を貫いてきた伯父と姪は敵国のヴェルナーに対して態度を軟化させるようになるのか。

静謐な2人の日常生活と、ヴェルナーの饒舌な話し声の対比が印象的である。
置時計の時を刻む音ばかりが、時間の止まったような部屋を満たす。
それにしても敵国の人同士が同じ屋根の下で過ごすということが実際にはあったのだろうか。

戦争の非情さを描きながら、血なまぐさい場面は皆無で、ほぼ部屋の中の3人の人間ドラマに終始する。
その不思議な緊迫感と味のあるモノクロ映像は、視聴者を画面に引き込み続ける。
ヴェルナー役の俳優と老人役の俳優が1歳違いであることを後で知り、驚いた。
老人役の、特殊メイクだけでない役づくりのうまさにあらためて驚かされる。
そして、ほとんど笑うことも話すこともせず断固とした態度で編み物に集中する姪役の女優は、今作が映画初出演とのこと。
そんなことは全く感じさせない堂々たる存在感と、凛とした美しさがあった。

見終わった後にそこはかとない悲しみが湧いてきた。
前向きな理想を掲げながら、どうしようもない現実に向き合わざるをえなかった主人公の選択はあまりにもつらい。

余談だが、オーケストラの指揮者としてポール・ボノー(Paul Bonneau: 1918-1995)という名前がクレジットされていたが、この人は、スゼーやシュヴァルツコプフともたびたび共演したピアニストのジャクリーヌ・ロバン=ボノー(Jacqueline Robin-Bonneau: 1917-2007)の夫である。

2月20日(土)~3月19日(金)まで岩波ホールで上映中です。
また、東京だけでなく全国で順次公開されるようです。

興味をもたれた方は、以下のHPで上映時間をご確認のうえ、お出かけになられてはいかがでしょうか。

岩波ホールのHP

配給会社のHP

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