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ペーター・シュライアーとピアニスト

歌曲の歌手にとってどのようなピアニストと組むかは非常に重要だ。
テンポや息継ぎの場所、バランスや強弱など、ピアニストと良い関係が築けるかどうかにかかってくるとさえ言えるのではないか。
また、ピアニストの演奏の特質によって、歌手の歌い方や解釈も変わってくる。
そういう意味で、歌手の共演者リストを見るのはとても興味をそそられる。

先日"Peter Schreier: Melodien eines Lebens" (Jürgen Helfricht著: Verlag der Kunst)という書籍が出版されていることをたまたま知り、入手した。
彼の幼少時代から引退後まで記された文章は貴重な資料だが、豊富な写真を眺めるだけでもこの稀代のテノール歌手の軌跡をたどることが出来て楽しい。
だが、私がこの本を購入した一番の理由は、巻末にシュライアーがこれまでに共演したピアニストのリスト(全員ではないが)が掲載されていることを知ったからだった。

シュライアーの共演ピアニストとしてまず思い浮かぶのは例えば以下のような人たちだろう。

ヴァルター・オルベルツ
ノーマン・シェトラー
エリック・ヴェルバ
カール・エンゲル
アンドラーシュ・シフ

ヴェルバ以外はみなソリストとしても活動していた人たちである(シフ以外は、歌曲での活躍が独奏以上に目立っていたと思われるが)。

引退前の数年はカミロ・ラディケやアレクサンダー・シュマルツといった若手ピアニストとも組んでいた。

だが、前述の書籍のリストを見ると、彼の共演者は実に多彩だったことが分かる。
例えば、歌曲の専門家たちの名前を拾い上げると以下のような人たちがいる。

ジェラルド・ムーア
ギュンター・ヴァイセンボルン
ルードルフ・ドゥンケル
ジェフリー・パーソンズ
コンラート・リヒター
アーウィン・ゲイジ
ヘルムート・ドイチュ
アントニー・スピリ
チャールズ・スペンサー
グレアム・ジョンソン

この中で、ムーアとG.ジョンソン以外はスタジオ録音での共演が残されていないので、殆どこのリストで初めてその共演を知ることになった(ドイチュとは来日公演で共演していたが)。

また、ソロピアニストの名前を抜き出すと次のようになる。

ダニエル・バレンボイム
アルフレート・ブレンデル
イェルク・デームス
クリストフ・エッシェンバッハ
イングリット・ヘブラー
ヴァルター・クリーン
デジェー・ラーンキ
スヴャトスラフ・リヒテル
ペーター・レーゼル
ディーター・ツェヒリン

半分はフィッシャー=ディースカウの共演者とだぶっているのが面白い。

私が一番驚いたのが、このリストにイングリット・ヘブラーの名前があったことである。
彼女は言うまでも無く著名なモーツァルト弾きであり、私の最も好きなピアニストの一人である。
ヘブラーは独奏者としてだけでなく、他の楽器奏者とも室内楽演奏を盛んに行い、多数の録音も残しているが、歌曲の録音は皆無で、コンサートで歌曲を演奏したことがあったかどうかさえこれまで分からなかった。
一体シュライアーは彼女とどんなレパートリーで共演したのだろうか。
また、ヘブラーは歌曲演奏にどんなアプローチをしたのだろうか。
いつか何かの機会にひょっこり共演時のライヴ音源が出てきたりすると嬉しいのだが。

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ヴォルフ/口の悪い連中はみんな(Mögen alle bösen Zungen)

Mögen alle bösen Zungen
 口の悪い連中はみんな

Mögen alle bösen Zungen
Immer sprechen, was beliebt:
Wer mich liebt, den lieb' ich wieder,
Und ich lieb' und bin geliebt.
 口の悪い連中はみんな
 ずっと好き勝手に言っていればいいわ、
 私を愛してくれる人のことを私もまた愛しているの、
 私は愛しているし、愛されているのよ。

Schlimme, schlimme Reden flüstern
Eure Zungen schonungslos,
Doch ich weiß es, sie sind lüstern
Nach unschuld'gem Blute bloß.
 ひどい、ひどいひそひそ話をするのね、
 あんたたちの容赦ない口は。
 でも私には分かっているわ、あんたたちは
 純真な彼氏が欲しくてたまらないだけだってことをね。

Nimmer soll es mich bekümmern,
Schwatzt so viel es euch beliebt;
Wer mich liebt, den lieb' ich wieder,
Und ich lieb' und bin geliebt.
 私を悩まそうとしても無駄よ、
 あんたたちが好き放題にたっぷりくっちゃべってもね。
 私を愛してくれる人のことを私もまた愛しているの、
 私は愛しているし、愛されているのよ。

Zur Verleumdung sich verstehet
Nur, wem Lieb' und Gunst gebrach,
Weil's ihm selber elend gehet
Und ihn niemand minnt und mag.
 中傷するしかないのね、
 愛や好意を得られなかった人って、
 だって、そういう人ってみじめだし、
 誰にも愛されたり好かれたりしないのだから。

Darum denk' ich, daß die Liebe,
Drum sie schmähn, mir Ehre giebt;
Wer mich liebt, den lieb' ich wieder,
Und ich lieb' und bin geliebt.
 だから私は思うの、愛は、
 それゆえに奴らは誹謗してくるのだけれど、私に栄光を与えてくれるのだと。
 私を愛してくれる人のことを私もまた愛しているの、
 私は愛しているし、愛されているのよ。

Wenn ich wär' aus Stein und Eisen,
Möchtet ihr darauf besteh'n,
Daß ich sollte von mir weisen
Liebesgruß und Liebesflehn.
 もし私が石や鉄で出来ていたなら
 あんたたちは言いたがるでしょうね、
 私に
 愛の挨拶や愛の願いなんかはねつけなきゃ駄目って。

Doch mein Herzlein ist nun leider
Weich, wie's Gott uns Mädchen giebt,
Wer mich liebt, den lieb' ich wieder,
Und ich lieb' und bin geliebt.
 でも私の心は残念ながら
 やわなのよ、神が私たち女の子に与えてくれたようにね。
 だって私を愛してくれる人のことを私もまた愛しているの、
 私は愛しているし、愛されているのよ。

訳詩:Emanuel von Geibel (1815-1884)
曲:Hugo Wolf (1860-1903)

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ヴォルフの歌曲集「スペインの歌の本(Spanisches Liederbuch)」はスペイン起源の詩にハイゼとガイベルが独訳した詩をテキストにしており、宗教的歌曲(Geistliche Lieder)と世俗歌曲(Weltliche Lieder)から成る。
この「口の悪い連中はみんな」は世俗歌曲編の第13曲目。
1890年4月3日作曲。

いつの世にも他人の悪口が大好物という人はいるらしい。
この女性は恋人がいることで周りの嫉妬を買っているようだ。
だが、愛の力は誹謗中傷より強かった。
軽い世俗歌曲だが、この詩の主人公の考え方から現代人も学ぶことがあるかもしれない。

ヴォルフの音楽はぺちゃくちゃ噂話に興じている様をピアノパートで表現し、歌声はそんな中傷に全く動じない余裕に満ちた姿勢を貫く。
むしろ愛の幸せに陶酔している感すらあるのが、なんとも頼もしい。

Elisabeth Schwarzkopf(soprano) Wilhelm Furtwängler(piano)
1953年8月ザルツブルク音楽祭でのライヴ音源。
若きシュヴァルツコプフの表現力の冴えが際立っている素晴らしい歌唱。
フルトヴェングラーのピアノは、ミスはあるものの健闘している。

Ella Ait(soprano) Tatiana Andronikova(piano)
こもった声だが悪くない演奏だった。

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ヴェルディ/「オテロ」(2010年2月20日 東京文化会館 大ホール)

東京二期会オペラ劇場
ヴェルディ(Verdi)/オペラ「オテロ(Otello)」(全4幕)
字幕付原語(イタリア語)上演

2010年2月20日(土)14:00 東京文化会館 大ホール (5階L1列11番)

オテロ(OTELLO)(ムーア人でヴェネツィアの将軍):福井 敬(FUKUI, Kei)
デズデモナ(DESDEMONA)(オテロの妻):大山亜紀子(ÔYAMA, Akiko)
イアーゴ(JAGO)(オテロの部下で旗手):大島幾雄(ÔSHIMA, Ikuo)
エミーリア(EMILIA)(イアーゴの妻):金子美香(KANEKO, Mika)
カッシオ(CASSIO)(副官):小原啓楼(OHARA, Keirô)
ロデリーゴ(RODERIGO)(ヴェネツィアの貴族):松村英行(MATSUMURA, Hideyuki)
ロドヴィーコ(LODOVICO)(ヴェネツィア共和国の大使):小鉄和広(KOTETSU, Kazuhiro)
モンターノ(MONTANO)(オテロの前任者で先のキプロス島総督):村林徹也(MURABAYASHI, Tetsuya)
伝令(UN ARALDO):須山智文(SUYAMA, Satofumi)

合唱:二期会合唱団(Nikikai Chorus Group)
合唱指揮:佐藤 宏(SATÔ, Hiroshi)

管弦楽:東京都交響楽団(Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra)
指揮:ロベルト・リッツィ=ブリニョーリ(Roberto Rizzi Brignoli)   

演出:白井 晃(SHIRAI, Akira)
装置:松井るみ(MATSUI, Rumi)
衣裳:前田文子(MAEDA, Ayako)
照明:齋藤茂男(SAITÔ, Shigeo)

舞台監督:八木清市(YAGI, Seiichi)
公演監督:近藤政伸(KONDÔ, Masanobu)

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二期会による「オテッロ」を上野で見てきた。
シェイクスピアの「オセロー」を原作に、ボーイトが書いた台本に、晩年のヴェルディ(1813-1901)が作曲したオペラである。
第1・2幕が75分、第3・4幕も75分で、その間に25分の休憩が入った。

このオペラのテーマ、一言で言えば「嫉妬」だろうか。
オテッロの部下イヤーゴは徹底的に悪役に徹していて、自分の不満(ムーア人の手下であること、自分ではなくカッシオが副官に任命されたこと等)の腹いせの為に、周りが誤解するようなことを各人に吹き込み、破滅に追い込む。
この立ち回りのうまさは見ていて眉をひそめたくなるほど徹底しているが、こういう人って悲しいかな、自分の職場にもいるよなと見ながら思ったりもする。
オテッロはイヤーゴの嘘を信じきって、妻デズデモナとカッシオの関係を確信している。
こういう時男は間抜けだなぁなどと思うのは第三者として冷静に見ているからだろう。
嫉妬が真実を隠してしまうのは納得できるが、事情を知っているデズデモナの侍女でイヤーゴの妻のエミーリアがなぜ事が起こる前に真実を打ち明けなかったのか疑問に感じたが、このへんは原作やオペラ台本をあらためて読むことで見えてくるのかもしれない。

舞台左側の天井桟敷席はオーケストラの音が大音量で聞こえるので驚いた。
特にパーカッションの迫力は凄まじく、音が距離を感じずに直接届いてくる感じだ。
その一方で歌声はオケが薄い時にはよく聴こえるのだが、オケが盛り上がるとかき消されてしまうのは致し方ないのだろう。

演出の白井晃は俳優としての印象が強い。
とはいえ、私は演劇には全く疎いのだが、以前三谷幸喜の脚本による30分のコメディ番組をテレビで見た時に、その個性的な存在感を印象付けられていた。
今回のオペラ演出、確かに一人一人の表情が型にはまっていなくて、真実味があったように感じられた。

舞台は基本的に傾斜のある台の上で展開する。
最近オペラを見始めた私にははっきりしたことは言えないのだが、最近、傾かせた舞台の上で歌う演出が多いのだろうか。
先日の「ジークフリート」の最後の愛の場面も傾いていたような気が・・・。
歌手は歌いにくくないのだろうか。
今回の舞台、派手な装置や衣裳はほとんど無く、モノトーンを基調としており、照明効果で影を動かしたりといったこともしていた。

歌手ではオテッロを演じた福井敬へのブラヴォーが群を抜いていたように聞こえた。
確かに福井の緊迫感のある乗り移ったかのような迫真の演技はとても素晴らしかった。
歌唱も表情をはっきりと表出しようとしているのがしっかりと感じられたが、時に勢い余って歌が荒削りになる箇所もないではなかった。
だが、これだけ歌い演じられれば、文句を言うのが無粋なのだろう。

私は個人的にはデズデモナを歌った大山亜紀子に最も感銘を受けた。
どこまでも練られた声でけなげな妻を歌、演技ともに非常に見事に表現していた。

悪役イヤーゴを演じた大島幾雄は、その歌声も立ち居振る舞いも悪役そのもので、見ていて嫌悪感を催すほど役になりきっていたが、こういう態度をとるにいたった屈折した部分がさらに描かれると良かったように感じた。

ロベルト・リッツィ=ブリニョーリ指揮の東京都交響楽団は大熱演で、ドラマティックな迫力に満ちていた。

Otello_201002

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ヴォルフ/秘めた愛(Verschwiegene Liebe)

Verschwiegene Liebe
 秘めた愛

Über Wipfel und Saaten
In den Glanz hinein -
Wer mag sie erraten,
Wer holte sie ein?
Gedanken sich wiegen,
Die Nacht ist verschwiegen,
Gedanken sind frei.
 梢と苗を越えて
 輝きの中へと。
 誰にそれを言い当てられようか。
 誰がそれに追いついたのか。
 思いは揺れ動き、
 夜は口をつぐむ、
 思いは自由だ。

Errät es nur eine,
Wer an sie gedacht
Beim Rauschen der Haine,
Wenn niemand mehr wacht
Als die Wolken, die fliegen -
Mein Lieb ist verschwiegen
Und schön wie die Nacht.
 言い当てられるのはただ一人の女性のみ、
 誰が彼女のことを思っていたのかを、
 森のざわめく頃に、
 もはや誰も目覚めていない時分、
 飛び行く雲のほかには。
 私の愛は口をつぐみ、
 そして夜のごとく美しい。

詩:Joseph Karl Benedikt Freiherr von Eichendorff (1788-1857)
曲:Hugo Wolf (1860-1903)

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ヴォルフの20曲(後にヴォルフ自身により3曲省かれた)からなる歌曲集「アイヒェンドルフの詩(Gedichte von Eichendorff)」の第3曲。
1888年8月31日ヴィーン作曲。

ヴォルフ歌曲の中でもとりわけ繊細さの際立った美しい作品で人気が高い。
2節の有節形式で、詩の言葉への密着度よりは全体の雰囲気を優先させた音楽といえるだろう。
ピアノ後奏のロマンティックな響きにはうっとりさせられる。

Dietrich Fischer-Dieskau(Baritone) Gerald Moore(Piano)
これ以上望むもののない最高に美しい演奏の一つ。
詩の内容を反映したイメージ映像も投稿者のセンスの良さを感じる。

Barbra Streisand
ポピュラー歌手のバーブラ・ストライザンドはクラシック歌曲のアルバムもつくっているようだ。
クラシック歌手にはないハスキーな味のある歌は非常に魅惑的で、何度もリピートして聴きたくなる。

Heinrich Schlusnus(Baritone) Franz Rupp(piano)
甘美な美声で知られた往年のバリトン、シュルスヌスと、M.アンダーソンやクライスラーの共演者としても知られたルップの共演。
歌手の自在な表現が主流だった時期の貴重な記録であり、声の魅力に身を委ねて聴く演奏だろう。

ピアノパートのみ
歌なしで聴くと、ピアノパートにどのような音楽が付けられているかよく分かり興味深い。

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ワーグナー/「ジークフリート」(2010年2月11日 新国立劇場 オペラパレス)

ワーグナー(Wagner)/楽劇「ニーべルングの指環」第2日「ジークフリート」
("Der Ring des Nibelungen" Zweiter Tag: Siegfried)
全3幕 (ドイツ語上演/字幕付)

2010年2月11日(木・祝)14:00(終演20時頃) 新国立劇場 オペラパレス (4階3列12番)

ジークフリート(Siegfried):クリスティアン・フランツ(Christian Franz)
ミーメ(Mime):ヴォルフガング・シュミット(Wolfgang Schmidt)
さすらい人(Der Wanderer):ユッカ・ラジライネン(Jukka Rasilainen)
アルベリヒ(Alberich):ユルゲン・リン(Jürgen Linn)
ファフナー(Fafner):妻屋秀和(Tsumaya Hidekazu)
エルダ(Erda):シモーネ・シュレーダー(Simone Schröder)
ブリュンヒルデ(Brünnhilde):イレーネ・テオリン(Iréne Theorin)
森の小鳥(Stimme des Waldvogels):安井陽子(Yasui Yoko)

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)
指揮:ダン・エッティンガー(Dan Ettinger)

演出:キース・ウォーナー(Keith Warner)
装置・衣裳:デヴィッド・フィールディング(David Fielding)
照明:ヴォルフガング・ゲッベル(Wolfgang Göbbel)
振付:クレア・グラスキン(Claire Glaskin)

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ヴァーグナーの大作、楽劇「ニーべルングの指環」の第3部(第2夜)「ジークフリート」を初台で聴いてきた。
「ラインの黄金」と「ヴァルキューレ」は見なかったので、このキース・ウォーナー演出版は今回の「ジークフリート」で初めて接することになった。
これまで敬して遠ざけていた「指環」だが、ちょうどいい機会なので参考書などを頼りに筋や音楽を事前に多少予習していた。
登場人物が多いうえ、その関係も複雑で、最初のうちは途方にくれてしまったが、何度も参考書で筋を追ううちに、ようやく全体像がおぼろげながら見えてきた感じだ。
ただ、音楽としてはDVDブックで4作とも購入したものの、まだ少ししか聴けていなかったので、今回の「ジークフリート」もほとんどの場面は劇場ではじめて聴くこととなった。

「ジークフリート」は「指環」4作品の中でも最も登場人物が少ない作品だろう。
その上、2人の人物(人間ではないさすらい人なども含まれているが便宜上「人物」と言っておく)の対話の場面が多く、延々と会話が行きつ戻りつして、なかなか進展していかないような印象も受ける。
ここまで長大にしなければならない必然性があるのかどうかは初心者の私には判断がつかないが、ライトモティーフの綿密な使用など、細かく見ていくと、ヴァーグナーの様々な仕掛けがあるのだろう(ライトモティーフの予習をしっかりしてから聴けばもっと面白さを感じたにちがいない)。

キース・ウォーナー演出の新国立劇場での上演は、今回が2003年の再演とのこと。
衣裳、美術とも現代に置き換えた解釈で、ジークフリートよりもさすらい人やミーメ、アルベリヒの方が舞台映えして見えたのはちょっと気の毒だったが、斬新な新鮮さを感じる場面がある一方でそれほど映えなかったと感じる場面もあったのは多様な解釈が可能なオペラにおいては致し方ないのかもしれない。

音楽的にはフィナーレのジークフリートとブリュンヒルデの愛の場面が聴かせどころなのだろうが、私が最も印象に残ったのはジークフリートとミーメがノートゥングの破片から新しい刀を鍛える場面の音楽である。
コミカルで耳に残る音楽だった。
さすらい人とミーメの問答のあたりはうとうとしてしまって殆ど記憶に残っていないのが心残りだが、第3幕でようやく睡魔もおさまり、たっぷりヴァーグナーの音楽に浸った(第2幕と第3幕との間にヴァーグナーの創作中断が12年もあったとのことだが、第3幕は長大なわりにはおとなしめに感じた)。
最後のジークフリートとブリュンヒルデの愛の場面は、ジークフリートの思いを拒否したと思ったら、どういうきっかけかその愛を受け入れて終わるのだが、ここはもう少し聴きこまないとその良さが分からないのかもしれない。斜めのベッドの上で行きつ戻りつしている演出も、ブリュンヒルデの愛馬グラーネに見立てた木馬も、他により良い方法がありそうな気もするが・・・。

歌手はみな粒ぞろいで素晴らしかったが、中でも個人的にはアルベリヒ役のユルゲン・リンの朗々とした歌唱に最も感動を覚えた。
また、さすらい人(=ヴォータン)役のユッカ・ラジライネンも実に素晴らしい声と表現力の持ち主だった(頑丈な刀ノートゥングを持ったジークフリートに槍で通せんぼをする際に、やりあう前の槍がすでに折れていたのはハプニングかと思ったが、ほかの方のブログによるとこれも演出家の意図のようだ)。
ブリュンヒルデ役のイレーネ・テオリンはまさにヴァーグナー歌手の典型といっていいタイプで、この声の威力に圧倒された。
ジークフリート役のクリスティアン・フランツも最後まで破綻なく聴かせてくれて素晴らしかったが、つなぎのズボンに、スーパーマンみたいな「S」のマークのついた赤いTシャツは、いくら現代風読み替えの演出とはいえ、似つかわしくないように感じた(パンフレットの表紙裏の某社の広告キャラクターとして、スーパーマンの写真が掲載されていたのは偶然だろうか)。
さすらい人の頼みの綱たるエルダ役を歌ったシモーネ・シュレーダーの声の美しさと言葉さばきのうまさに魅了された。私の好きなタイプの声だった。
森の小鳥役の安井陽子は爽やかな高音が魅力的に響き渡り、男の低い声ばかり聴かされてきた後で清涼感のある癒しを与えてくれた。
また、第3幕のエルダの登場シーンでは、歌う場面はないもののノルン三姉妹も登場して、はしごを上ったり降りたりしながら、運命の綱をたぐる様を表現していた。

ダン・エッティンガー指揮の東京フィルも途切れることのない大作を丁寧に表現していたと思う。

幕間の2回の休憩時間がそれぞれ50分程度あったので、長丁場でも思ったほどには疲れずに聴けたが(それでもしばしば睡魔に襲われたが)、昼間にスタートした作品が終わった時にはすっかり夜になっていたのはさすがに長さを実感させられた。

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ヴォルフ/隠遁(Verborgenheit)

Verborgenheit
 隠遁

Laß, o Welt, o laß mich sein!
Locket nicht mit Liebesgaben,
Laßt dies Herz alleine haben
Seine Wonne, seine Pein!
 おお世間よ、私を放っておいてくれ!
 施し物でおびき出そうとしないでおくれ、
 この心だけに
 喜びや苦しみを味わわせておくれ!

Was ich traure, weiß ich nicht,
Es ist unbekanntes Wehe;
Immerdar durch Tränen sehe
Ich der Sonne liebes Licht.
 何が悲しいのか自分でも分からない、
 未知の悲しみなのだ。
 いつも涙を流しながら
 私は太陽のいとしい光を見る。

Oft bin ich mir kaum bewußt,
Und die helle Freude zücket
Durch die Schwere, so mich drücket,
Wonniglich in meiner Brust.
 しばしばほとんど意識しないまま
 明るい歓喜が
 私を圧迫する困難を通り抜けて
 胸の中で喜びに満ちて光ることがある。

Laß, o Welt, o laß mich sein!
Locket nicht mit Liebesgaben,
Laßt dies Herz alleine haben
Seine Wonne, seine Pein!
 おお世間よ、私を放っておいてくれ!
 施し物でおびき出そうとしないでおくれ、
 この心だけに
 喜びや苦しみを味わわせておくれ!

詩:Eduard Friedrich Mörike (1804-1875)
曲:Hugo Wolf (1860-1903)

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ヴォルフの53曲からなる歌曲集「メーリケの詩(Gedichte von E.Mörike)」の第12曲。
1888年3月13日(ヴォルフ28歳の誕生日!)作曲。

ヴォルフの歌曲の中で最もポピュラーなものの1つで、歌声部の旋律は素直で親しみやすい。
一見ヴォルフらしさの薄い作品にも思えるが、ピアノパートには半音階進行も見られ、紛れもなくヴォルフの刻印が刻まれている。

動画サイトには世界各国の若者たちの演奏が多くアップされており、いかによく歌われているかが感じられた。

Lotte Lehmann(S)(静止画)
ここで往年の名ソプラノ、ロッテ・レーマンはヴォルフの歌曲を3曲歌っているが、2曲目「隠遁」は2分40秒ぐらいから始まる。
ポルタメントがなんともいいようのない味わいを加味している。

Tiziana Portoghese(mezzosoprano), Francesco Basanisi(piano)(動画)
ポルトガルの演奏者のようだが、深みのある声で素晴らしく、ピアノもいい演奏だった。

ピアノパートのみ(動画)
歌なしで聴くと、ヴォルフがピアノパートにどのような役割を与えていたのかがよく分かる。

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アーメリング77歳

ソプラノのエリー・アーメリング(Elly Ameling)が、今日2月8日に77歳を迎えた。
日本風に言うと喜寿というところか(正確には喜寿とは数え年の77歳を指すので、満年齢とはちょっと違うが)。

彼女はかつてマスタークラスをおさめたDVDをリリースしているが、日本仕様では発売されていないので、ご覧になっていない方も多いのではないだろうか。
幸いネットにその抜粋(15分間)がアップされているのでリンクしておく。
2002年に南フランスのVillecrozeという所でピアニストのルドルフ・ヤンセンとともに行ったレッスンからのひとこまである。

 こちら

彼女の指導者としての側面を見ることが出来るので、興味のある方はご覧になってみてください。

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フィッシャー=ディースカウ日本公演曲目1992年(第11回来日)

第11回来日:1992年11月

Fdieskau_1992ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau)(バリトン、朗読)
ルチア・ポップ(Lucia Popp)(ソプラノ)
ウォルフガング・サヴァリッシュ(Wolfgang Sawallisch)(ピアノ、指揮)
小林道夫(フォルテピアノ)
バイエルン国立歌劇場合唱団(Der Chor der Bayerischen Staatsoper)
バイエルン国立管弦楽団(Das Bayerische Staatsorchester)

11月12日(木)19:00 王子ホール:《シューベルトを詠む》
11月16日(月)19:00 東京芸術劇場:シューベルト歌曲の夕べ
11月24日(火)19:00 東京芸術劇場:シューベルト歌曲集「美しき水車屋の娘」
11月27日(金)19:00 サントリーホール:バイエルン国立歌劇場特別コンサート
11月29日(日)14:00 サントリーホール:バイエルン国立歌劇場特別コンサート

●ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ《シューベルトを詠む》 共演:小林道夫(フォルテピアノ)

シューベルトの自作の詩、友人たちとの書簡を集めたフィッシャー=ディースカウの著作『シューベルトをたどって』を中心にした朗読

●シューベルト歌曲の夕べ(SCHUBERT PROGRAMM) 共演:ウォルフガング・サヴァリッシュ(P)

シューベルト(Schubert)

1. 月に寄す(An den Mond) D296
2. 希望(Hoffnung) D295
3. 流れ(Der Strom) D565
4. さすらい人(Der Wanderer) D649
5. 自ら沈みゆく(Freiwilliges Versinken) D700
6. 小人(Der Zwerg) D771
7. 憂い(Wehmut) D772
8. 墓掘人の郷愁(Totengräbers Heimweh) D842
9. ブルックの丘で(橋の上で)(Auf der Bruck) D853
10. 歌手の財産(Des Sängers Habe) D832
11. 窓辺に(Am Fenster) D878
12. 漁夫の歌(Fischerweise) D881
13. 弔いの鐘(Das Zügenglöcklein) D871
14. 十字軍(Der Kreuzzug) D932
15. 漁夫の恋の幸せ(Des Fischers Liebesglück) D933
16. 星(Die Sterne) D939

~アンコール~
1. シューベルト/ハナダイコン(Nachtviolen) D752
2. シューベルト/ギリシャの神々(Die Götter Griechenlands) D677
3. シューベルト/独り暮らしの男(Der Einsame) D800

●シューベルト歌曲集「美しき水車屋の娘」(Die schöne Müllerin) 共演:ウォルフガング・サヴァリッシュ(P)

シューベルト(Schubert)/歌曲集「美しき水車屋の娘(Die schöne Müllerin)」D.795
1. さすらい
2. どこへ?
3. 止まれ!
4. 小川に寄せる感謝の言葉
5. 仕事を終えた宵の集いで
6. 知りたがる男
7. いらだち
8. 朝の挨拶
9. 水車職人の花
10. 涙の雨
11. 僕のものだ!
12. 休息
13. 緑色のリュートのリボンを持って
14. 狩人
15. 嫉妬と誇り
16. 好きな色
17. 邪悪な色
18. 枯れた花
19. 水車職人と小川
20. 小川の子守歌

●バイエルン国立歌劇場特別コンサート(KONZERT DER BAYERISCHEN STAATSOPER) 共演:ルチア・ポップ(S) バイエルン国立歌劇場合唱団;バイエルン国立管弦楽団;ウォルフガング・サヴァリッシュ(指揮)

ブラームス(Brahms)/ドイツ・レクイエム(EIN DEUTSCHES REQUIEM) op.45

(上記の歌曲の夕べの日本語表記は、アンコール曲目以外はプログラム冊子の表記に従った)

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前回から3年後の第11回来日公演は、バイエルン国立歌劇場公演の一環として企画された。
サヴァリッシュのピアノでシューベルトの夕べを2夜、それにルチア・ポップとの共演でサヴァリッシュ指揮バイエルン国立管弦楽団と「ドイツ・レクイエム」を披露した。
「ドイツ・レクイエム」は一緒に来日していた夫人のユリア・ヴァラディとの共演でないのが珍しいが、ヴァラディは他の特別演奏会に出演している。

私は16日のシューベルト歌曲の夕べを聴いたが、これが彼の実演を聴く最後となった。
サヴァリッシュの歌曲演奏を生で聴くのはトマス・ハンプソンのリサイタル以来2回目だった。
ディースカウらしい選曲で、渋みあふれる歌唱が披露された。
ただ、どの曲の後で休憩となったのかプログラム冊子には明記されておらず、私の記憶も定かではない(「墓掘人の郷愁」の後だっただろうか)。

彼は1970年代のある時期からしばらく「美しき水車屋の娘」を歌わなかったのだが、引退前の数年は心境の変化があったのか、再び取り上げるようになり、日本でも1970年に歌われて以来久しぶりの披露となった。

また、開館したばかりの王子ホールでは珍しく朗読を披露している。
シューベルトの書簡をディースカウが朗読し、その合間に小林道夫がフォルテピアノでシューベルトの「即興曲」を演奏するという内容だったようだ。

F=ディースカウは1992年12月31日のコンサートを最後に歌手活動から引退した。
従って、歌手としての来日はこの時が最後となり、その後に来日したのは指揮者としてだった。

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ゼークラー&松山 優香/シューベルト「冬の旅」(2010年2月2日 東京文化会館 小ホール)

クリストフ・ゼークラー「冬の旅」

Soekler_matsuyama_20100202

2010年2月2日(火) 19:00 東京文化会館 小ホール

クリストフ・ゼークラー(Christoph Sökler)(バリトン)
松山 優香(Yuka Matsuyama)(ピアノ)

シューベルト/「冬の旅」

アンコールはなし

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未明まで雪の降った日の夜に「冬の旅」を聴いた。

クリストフ・ゼークラーという名前を私は初めて聞いたのだが、シュトゥットガルト国立オペラ座の専属バリトン歌手とのこと。
声の質はハイバリトン。
ビブラートが薄く、あたかも古楽歌手のようだ。
正直なところ声量が必ずしも充分ではなく、テクニック的には発展途上の印象。
低音が弱く、第1曲「おやすみ」から低声域に限界を感じさせた。
ただ音程は全体的にしっかりとれていたと思う。
いわば無技巧の直球勝負とでもいったらいいか。
おそらく今後伸びていく可能性を秘めた歌手なのだろう。
数年後に再度ゼークラーの歌唱に接してみたい。

一方、はじめて聴く松山優香のピアノはとても彩り豊かな音色と自在なタッチで魅了された。
「辻音楽師」最後のピアノの主張はめったにないぐらい強かったのが印象的であった。
彼女のピアノを聴くことが出来ただけでもこの晩会場に出かけた甲斐があった。
彼女の衣裳は男性用のタキシードみたいだったが、「冬の旅」のモノトーンの世界に合わせたというところだろうか。
良いピアニストを新たに知ることが出来た一夜だった。

Soekler_matsuyama_20100202_chirashi

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白井&ヘル、マティス&小林、放送予定

2月5日(金)の19時30分からNHK-FMラジオで白井光子&ヘルの昨年のリサイタルが放送されるそうです。
ブラームス、シュトラウスの正規のプログラムだけでなく、アンコールも放送されるようですので、興味のある方はぜひお聴きになってみてください。
大病からの復活公演として記念すべき演奏会だったと思います。

また、2月7日(日)の15時からはNHK教育テレビでエディト・マティス&小林道夫の1986年のリサイタルが久しぶりに再放送されます。
こちらは会場で聴いたわけではないのですが、テレビで最初に放送された時にビデオ録画して、何度も繰り返し見た記憶があります(そのビデオがどこかにいってしまったのでしばらく見ていませんが)。
ベートーヴェン、ブラームス、シュトラウスなどの歌曲を素晴らしい演奏で聴けるので、ご都合のつく方はぜひ!

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