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ハイドン/共感

Sympathy, Hob. XXVIa no. 33
 共感

In thee I bear so dear a part,
By love so firm, so firm am thine,
That each affection of thy heart
By sympathy is mine.
 貴方の中で私はこれほどいとおしく一部分を担っています、
 愛によってこれほど堅固に貴方のものとなるのです。
 貴方の心のどの感情も
 共感することによって私のものとなるのです。

When thou art griev'd, I grieve no less,
My joys by thine are known,
And ev'ry good thou would'st possess
Becomes in wish my own.
 貴方が悲嘆にくれたとき、同じように私も悲しみます。
 私は喜びを貴方によって知るのです。
 そして、貴方が持とうとしていた美徳の一つ一つは
 願望の中で私のものとなるのです。

原詩:Pietro Metastasio (1698-1782) from Olimpiade, Act. 3, Scene 1 lines 1093-1100 (Aristea)
訳詩:John Hoole (1727-1803)
曲:Franz Joseph Haydn (1732-1809)

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「6つのオリジナル・カンツォネッタ 第2集」の第3曲目。
メタスタージオの"Olimpiade"の中の一節をJohn Hooleが英訳したものをテキストに用いている。

詩は恋人と思いを共有する者の深い愛情を歌っている。

ピアノパートはほとんどソロの曲のように独立した充実感があり、歌声付きピアノ小品の趣さえある。
歌はこれまで以上に自由な展開のある通作形式で作られている。
第2節1行目で詩に対応して音楽が暗転する以外は、のどかで明るい響きが貫かれる。

8分の6拍子、Andante、ホ長調
歌声部の最高音2点嬰ヘ音、最低音1点嬰ニ音で1オクターブ強の音域に収まってしまう。
全46小節。

エインスリー(T)ヴィニョールズ(P):Hyperion:2001年録音:優しく清潔感のあるエインスリーの歌唱が魅力的だった。ヴィニョールズも配慮の行き届いた演奏。

アーメリング(S)デームス(P):PHILIPS:1980年録音:デームスの味わい深い表現のうえでアーメリングは丁寧な歌を聞かせている。

ホルツマイア(BR)クーパー(P):PHILIPS:1997年録音:声に合わせて低く移調しているためか若干地味に響くが、歌、ピアノともに繊細な表現をしていた。

以下のサイトの音符マークをクリックすると、エインスリー&ヴィニョールズの演奏の一部が試聴出来ます。
 こちら

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Every Little Thing Concert Tour 2009~2010 "MEET"(2009年10月24日オーチャードホール)

Every Little Thing Concert Tour 2009~2010 "MEET"
2009年10月24日(土) 18:30 (21:00終演) Bunkamura オーチャードホール 

Every Little Thing

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以下ネタばれがありますので、これからライヴに行かれる方はライヴ前にはご覧にならない方がいいと思います。

続きを読む "Every Little Thing Concert Tour 2009~2010 "MEET"(2009年10月24日オーチャードホール)"

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フィッシャー=ディースカウ日本公演曲目1974年(第4回来日)

第4回来日:1974年9~10月

ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau)(BR)
ウォルフガング・サヴァリッシュ(Wolfgang Sawallisch)(P, C)
小林道夫(Michio Kobayashi)(P)
バイエルン国立歌劇場
フェルディナント・ライトナー(Ferdinand Leitner)(C)

9月25日(水)18:00 東京文化会館大ホール:<フィガロの結婚>(W.ブレンデルとダブルキャスト)
9月29日(日)18:30 東京厚生年金会館大ホール:「ミュンヘン・オペラ特別演奏会」
10月1日(火)18:30 大阪フェスティバルホール:<フィガロの結婚>(W.ブレンデルとダブルキャスト)
10月2日(水)大阪フェスティバルホール:「ミュンヘン・オペラ特別演奏会」
10月4日(金)19:00 東京文化会館:<シューベルトの夕>
10月6日(日)18:00 大阪フェスティバルホール:<フィガロの結婚>(W.ブレンデルとダブルキャスト)
10月8日(火)18:00 東京文化会館大ホール:<フィガロの結婚>(W.ブレンデルとダブルキャスト)
10月10日(木)19:00 大阪フェスティバルホール:<シューベルトの夕>
10月13日(日)19:00 東京文化会館:<シューマンの夕>
10月15日(火)19:00 愛知県文化会館:<シューマンの夕>
10月17日(木)19:00 東京文化会館:<シューマンの夕>

●バイエルン国立歌劇場<フィガロの結婚>

モーツァルト(Mozart)/<フィガロの結婚(Le nozze di Figaro)>

ギュンター・レンネルト(Günther Rennert) (演出)
ルドルフ・ハインリヒ(Rudolf Heinrich) (装置・衣装)

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau)(アルマヴィーヴァ伯爵)
ウォルフガング・ブレンデル(Wolfgang Brendel) (アルマヴィーヴァ伯爵)
クレーア・ワトソン(Claire Watson) (伯爵夫人)
レオノーレ・キルシュタイン(Leonore Kirschstein) (伯爵夫人)
マーガレット・プライス(Margaret Price) (伯爵夫人)
トルードリーゼ・シュミット(Trudeliese Schmidt) (ケルビーノ)
スタッフォード・ディーン(Stafford Dean) (フィガロ)
ライムント・グルムバッハ(Raimund Grumbach) (フィガロ)
レリ・グリスト(Reri Grist) (スザンナ)
マルガレーテ・ベンツェ(Margarethe Bence) (マルチェリーナ)
ベンノ・クッシェ(Benno Kusche) (バルトロ)
デイヴィッド・ソー(David Thaw) (ドン・バジーリオ)
ゲルハルト・アウワー(Gerhard Auer) (アントニオ)
ゲルトルート・フレードマン(Gertrud Freedmann) (バルバリーナ)
ロレンツ・フェーエンベルガー(Lorenz Fehenberger) (ドン・クルーツィオ)
ドリス・リンザー&ユディット・アウワー(Doris Linser & Judith Auer) (2人の娘)

バイエルン国立歌劇場合唱団(Chorus of the Bavarian State Opera)
バイエルン国立歌劇場管弦楽団(Orchestra of the Bavarian State Opera)
ウォルフガング・バウムガルト(Wolfgang Baumgart) (合唱指揮)
フェルディナント・ライトナー(Ferdinand Leitner) (C)
ウォルフガング・サヴァリッシュ(Wolfgang Sawallisch) (C)

●ミュンヘン・オペラ特別演奏会 共演:バイエルン国立歌劇場管弦楽団;ウォルフガング・サヴァリッシュ(C)

R.シュトラウス(Strauss)/交響詩《ドン・ファン》

モーツァルト(Mozart)/娘よお前と離れている間にK.513
モーツァルト/手に口づけをK.541
モーツァルト/歌劇《にせの花作り女》K.196より“イタリア風にやりますと・・・”
モーツァルト/人は元来うまいものが好きK.433
モーツァルト/おれは皇帝になりたいK.539

ブラームス(Brahms)/交響曲第1番

●<シューベルトの夕> 共演:ウォルフガング・サヴァリッシュ(P)

シューベルト(Schubert)作曲

Ⅰ 歌曲集「白鳥の歌(Schwanengesang)」D.957より、ハイネの詩による六つの歌曲
アトラス(Der Atlas)
彼女のおもかげ(Ihr Bild)
漁師の娘(Das Fischermädchen)
まち(Die Stadt)
海べで(Am Meer)
影法師(Der Doppelgänger)


さすらい人(Der Wanderer)D.493
ヴィルデマンの丘にて(Über Wildemann)D.884
臨終を告げる鐘(Das Zügenglöcklein)D.871
流れ(Der Strom)D.565
メムノン(Memnon)D.541
独りずまい(Der Einsame)D.800b

~休憩~

Ⅲ ゲーテの詩による七つの歌曲
月に(An den Mond)D.259
ひめごと(Geheimes)D.719
最初の喪失(Erster Verlust)D.226
馭者クローノスに(An Schwager Kronos)D.369
海の静けさ(Meeres Stille)D.216
プロメトイス(Prometheus)D.674
ミューズの子(Der Musensohn)D.764b

●<シューマンの夕> 共演:小林道夫(P)

シューマン(Schumann)作曲

Ⅰ ハイネの詩による三つの歌曲
海辺の夕べ(Abends am Strand) 作品45-3
春の夜に霜がおりた(Es fiel ein Reif in der Frühlingsnacht) 作品64-3b
ぼくの馬車はゆるやかに(Mein Wagen rollet langsam) 作品142-4

Ⅱ 歌曲集「リーダークライス(Liederkreis)」作品24
わたしが朝起きると
気もそぞろ
木陰をさまよい
いとしい恋人
悲しみのゆりかごよ
待て、あらくれた船乗りよ
山と城が水に映って
初めは望みもなく
ミルテとばらの花で

~休憩~

Ⅲ 歌曲集「詩人の恋(Dichterliebe)」作品48
美しい五月に
わたしの涙から
ばらを、ゆりを、はとを、太陽を
おまえの瞳を見つめるとき
私の心をひたそう、百合のうてなに
神聖なラインの流れの
私は恨むまい
花が知っていたら
鳴るのはフルートとヴァイオリン
あの歌がひびくのを聞くと
ひとりの若者がある娘を愛した
光りかがやく夏の朝に
夢の中で私は泣いた
夜ごとの夢に
昔話の中から
あのいまわしい昔の歌も

(上記の日本語表記は、「ミュンヘン・オペラ特別演奏会」以外はすべてプログラム冊子に従った)

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前回の来日から4年後の4回目の来日はバイエルン国立歌劇場(ミュンヘン・オペラ)の一員としてだった(当時49歳)。
今回は初来日時以来の「フィガロの結婚」アルマヴィーヴァ伯爵役が歌われたが、ヴォルフガング・ブレンデルとのダブルキャストで、F=ディースカウが実際に舞台に立ったのは全7回中たった1回だけだったそうだ(日付は今のところ特定できていない。上記のスケジュールではF=ディースカウが出演不可能な日程は省いている)。
そのほかに特別演奏会でサヴァリッシュとのモーツァルトのアリアが歌われたが、これらのレパートリーはいずれもDECCAレーベルに録音されており、現在もCD化されて聴くことが出来る(1969年10月ヴィーン録音:ラインハルト・ペータース指揮ヴィーン・ハイドン管弦楽団)。

今回の来日はどちらかというと歌曲の演奏に力を入れていたのだろう。
シューベルト・プログラムとシューマン・プログラムの2種類が歌われ、前者はサヴァリッシュ、後者は小林道夫が共演した。
2人とも日本でF=ディースカウのリートのパートナーとなるのは初めてだったが、小林については前回の来日時にバッハのカンタータなどで共演しており、その翌年の1971年10月にはパリ、ロンドンでのリーダーアーベントの共演者として小林を呼んだほど信頼していたようだ。
もちろんサヴァリッシュについても海外では来日公演以前にも様々な場面で共演していたのは言うまでもない。

なお、小林道夫との10月17日のシューマンの夕べはFM東京によって放送用に録音されていたが、13日公演のアンコール5曲も加えた形でCD化されたのは望外の喜びだった(TDKコア)。
このCD、あたかもスタジオ録音かと思うほど完璧な歌声が刻まれている。
清潔感に満ちた小林道夫のピアノもここぞという箇所でよく歌い見事である。

ちなみに、この時のバイエルン国立歌劇場の他の演目は「ドン・ジョヴァンニ」(モーツァルト)、「ワルキューレ」(ヴァーグナー)、「ばらの騎士」(R.シュトラウス)だった。

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ロット&プレヴィン/N響第1655回定期公演(2009年10月17日 NHKホール)

NHK交響楽団第1655回定期公演 Aプログラム1日目 
2009年10月17日(土)18:00 NHKホール (3階自由席)

フェリシティー・ロット(Felicity Lott)(S)*
NHK交響楽団(NHK Symphony Orchestra, Tokyo)
アンドレ・プレヴィン(André Previn)(C)

ウォルフガング・リーム/厳粛な歌(1996)
R. シュトラウス/歌劇「カプリッチョ」作品85から「最後の場」*

~休憩~

R. シュトラウス/家庭交響曲 作品53

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ソプラノのフェリシティー・ロットは歌曲ファンにとっては馴染み深い名前である。
イギリス歌曲はもとよりドイツ、フランス歌曲までこなす万能歌手である。
一般にはオペラの分野で高く評価されており、日本ではおそらくリサイタルは開かれていないと思う。
今回、クライバー指揮の「ばらの騎士」以来15年ぶりの来日と知って驚いた。
これまでCDやDVDでは馴染んでいた歌唱を生で聴いてみたいと思い、本当に久しぶりにNHKホールに出かけてきた。

土曜日夕方の渋谷は相変わらずの混雑ぶり。
タワーレコードまではたまに出かけるが、公園通りを歩くのはいつ以来だろうか。
ちょっと感傷的な感慨に浸りながらNHKホールまでの長い上り坂を歩いていった。

N響は自由席が1500円という安価で用意されているのが有難い。
会場に着いて軽食などをとっているうちに良い席は埋まってしまい、3階の後ろから2番目の列の真ん中あたりに空いていた席に座った。

登場した指揮者プレヴィンはもう80歳とのこと、ステージ中央にたどり着くまでゆったりとした足取りで時間がかかった。
今年前半に新日本フィルを振ったブリュッヘンは指揮台の椅子から立ち上がっていた場面も多かったが、プレヴィンは座りっぱなしだった。

最初の曲目はリーム(1952-)というドイツの作曲家による「厳粛な歌」。
ヴァイオリンなどの高音楽器を除いた編成の渋い曲。
淡く重い静かな響きの中に時折入るアクセント、あたかも水墨画のような趣の曲だった。
武田モトキ氏のプログラムノートによると、この作品、ブラームスの「4つの厳粛な歌」からインスパイアされたもののようだ。

続いていよいよロットの登場。
オレンジのドレスに深紅のガウンのような衣装を纏って現れた彼女は優雅そのもの。
物腰の一つ一つが絵に描いたような英国淑女のイメージそのものだった。
歌劇「カプリッチョ」から「最後の場」が歌われたが、その前に「月光の音楽」という美しい間奏曲が導入として演奏される。
R. シュトラウスに苦手意識の強かった私は、彼の作品、歌曲以外はあまり知らない。
「カプリッチョ」初体験の私にとってこの「月光の音楽」は初めて聴くはずなのだが、聴きながらどこかで聴いた音楽のような気がする。
しばらくして、シュトラウスが出版社や敵対する音楽家を辛らつにあてこすった歌曲集「商人の鑑」の中の曲とほぼ同じだと気付いた。
12曲からなるこの歌曲集、出版社名や人物名をもじって皮肉ったテキストに、様々な自作他作から音楽が引用され、「運命」の動機が聞こえたり、「冬の旅」のテキストをもじったりしたユニークな作品である。
その終曲に長く美しい後奏があるのだが、その音楽がこの「月光の音楽」とほとんど同じなのである。
だが作曲年代を調べると、歌曲集「商人の鑑」が1918年で、「カプリッチョ」が晩年の1940~41年。
つまり、歌曲集の中の音楽をオペラの中で再利用したということなのだろうか。

ロットの生の声はやはり素晴らしかった!
ステージから最も遠い私の席まで、決して圧力があるわけではないのにしっかりよく通るクリーミーな美声は年齢を感じさせない。
ドイツ語の発音もデリカシーに満ち、表情豊かな声の色がステージを一瞬にしてオペラの舞台に変えていた。
詩人と音楽家から求愛されたマドレーヌの心の迷いを繊細な表情で歌っていた。
詩と音楽のどちらを優位に立たせるかというのは音楽家にとって永遠のテーマのようなもの。
そのテーマを織り込んだこのオペラ、一度全曲を通して聴いてみたいものだと思った。
ロットの歌唱はオペラでありながら歌曲の世界をも感じさせるもので、彼女の歌った20分弱は私にとって至福の時であった。
プレヴィン指揮によるN響の演奏も繊細さの極みだった。

後半はR. シュトラウスの私小説的な「家庭交響曲」。
部分的には聴いたこともあったが、全体を通して聴いたのは初めてのこと。
この曲を味わうためにはもう少し聞き込まなければならないようだ。
プレヴィン&N響の熱演にもかかわらず、私のシュトラウスに対する苦手意識は覆らなかった。

ロットの歌唱を生で聴ける機会が今後あるかどうかは分からないが、出来ることならいつか歌曲のリサイタルで彼女の熟した表現を聴いてみたいものである。

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ベートーヴェン・パロディ

最近コンサートでベートーヴェンのピアノソナタを聴く機会が多かったのだが、動画サイトでいろいろ聴き比べている時に偶然面白い映像を見つけた。

こちら

Dudley Mooreというイギリスのコメディアンらしいのだが、誰でも知っているあるメロディを使って、ベートーヴェンの癖を見事なまでにパロディにしている。
そのセンスとテクニックたるや天才としか言いようがない。
こんな人がいたのかと驚かされた。

終わりそうで終わらない・・・お楽しみください。

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F=ディースカウ&ムーア/ベートーヴェン歌曲の映像

F=ディースカウとムーアという黄金コンビによる1972年録画のベートーヴェン歌曲の映像が動画サイトにアップされていた。
最近ドイツのテレビ局で放映されたものだと思うが、商品化されていないので、貴重な映像である。
ステージ引退後のムーアがまだ見事な演奏を聴かせてくれるのがうれしい。
F=ディースカウの全盛期の映像も珍しいのではないか。
歌、ピアノともにアップが多いので、表情や指使いがよく分かる。

お勧めは「蚤の歌」。
オリジナルのテキストはゲーテの「ファウスト」で、悪魔メフィストフェレスの歌に酒場の学生が声を合わせるという設定になっている。
ここではディースカウのユーモアのセンスと早口が存分に楽しめるうえ、後奏でムーアが蚤をつぶす様を模した指使いを見せてくれる(ベートーヴェン自身が親指で隣り合う2音を弾くように指定している)。

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR)
ジェラルド・ムーア(P)

ベートーヴェン作曲

歌曲集「はるかな恋人に」Op.98
 前半
 後半

悲しみの喜びOp.83-1

憧れOp.83-2

五月の歌Op.52-4

新しい愛、新しい生Op.75-2

蚤の歌Op.75-3

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ゲルネ&エマール/リサイタル(2009年10月11日 東京オペラシティ コンサートホール)

マティアス・ゲルネ&ピエール=ロラン・エマール
Goerne_aimard_20091011_pamphlet2009年10月11日(日)16:00 東京オペラシティ コンサートホール (1階3列14番)

マティアス・ゲルネ(Matthias Goerne)(BR)
ピエール=ロラン・エマール(Pierre-Laurent Aimard)(P)

ベルク(Berg)/4つの歌曲(Vier Lieder) op.2
1.眠ること、ただ眠ること(Schlafen, schlafen)
2.眠っていると(Schlafend trägt man mich)
3.最強の巨人を倒し(Nun ich der Riesen Stärksten)
4.風のあたたかく(Warm die Lüfte)

シューマン(Schumann)/歌曲集《女の愛と生涯(Frauenliebe und -leben)》op.42
1.あの方にお会いしてから(Seit ich ihn gesehen)
2.彼、誰よりも立派な人(Er, der Herrlichste von allen)
3.私には判らない、信じられない(Ich kann's nicht fassen, nicht glauben)
4.この指にある指輪よ(Du Ring an meinem Finger)
5.手伝って、妹たち(Helft mir, ihr Schwestern)
6.優しい人、あなたは(Süßer Freund, du blickest)
7.この心、この胸に(An meinem Herzen, an meiner Brust)
8.今初めての苦痛を私に(Nun hast du mir den ersten Schmerz getan)

~休憩~

シューマン/リーダークライス(Liederkreis) op.39
1.異郷にて(In der Fremde)
2.間奏曲(Intermezzo)
3.森の対話(Waldesgespräch)
4.静寂(Die Stille)
5.月夜(Mondnacht)
6.美しい異郷(Schöne Fremde)
7.ある城にて(Auf einer Burg)
8.異郷にて(In der Fremde)
9.哀愁(Wehmut)
10.薄明り(Zwielicht)
11.森の中にて(Im Walde)
12.春の夜(Frühlingsnacht)

~アンコール~
1.シューマン/君は花のごとく(Du bist wie eine Blume) op.25-24
2.シューマン/献呈(Widmung) op.25-1

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バリトン歌手マティアス・ゲルネの来日公演を聴いてきた。
今回の共演ピアニストは現代音楽を得意にしているというフランス人のピエール=ロラン・エマール(私は今回はじめてこのピアニストを聴いた)。

今回のプログラムの目玉はなんといってもシューマンの歌曲集《女の愛と生涯》。
シューベルトやシューマンの《ミニョン》歌曲群を男声が歌うのは聴いたことがあったが、《女の愛と生涯》が男声によって歌われる日が来るとは少し前まで想像だにしていなかった。

それで実際に聴いてどうだったかというと、これがあまり違和感なく聴けたのである。
私にとってドイツ語は外国語であり、そこで何が語られているかは知っていても、言葉そのものを聞いて、これは女性の語っている言葉だと即座に反応することはない。
そこがある意味外国人がドイツリートを聴く時の限界であり、逆にネイティヴの聴き手にはない長所とも言えるだろう。
ちょっと脱線するが、日本の演歌では女心を歌った内容を男性歌手が歌うことは特に珍しいことではない。
それはそういうものだという認識があるからかもしれないが、特に違和感を感じることもなく普通に聞けてしまう。
ドイツリートの場合、男性歌曲を女声が歌うことはこれまでも珍しくなかったが、その逆はタブー視されてきた感がある。
だが、ゲルネのように安定した技術と声をもっていれば、性の差を意識せずに、1つの芸術作品として表現することが可能なのだという印象を受けた。

ゲルネ自身は《女の愛と生涯》に関してこう語っている。
「《女の愛と生涯》は、女性のためではなく、男性のための作品だと私は考えています。
・・・二人の男性、シャミッソーという男性の詩人とシューマンという男性の作曲家が、「男性の想像の中での女性の気持ちや感情を描いたものである」という点に注目してもらいたい
・・・いわば全部男の脳みそで考えたことです。」
ゲルネは上記のように、この作品が詩、音楽ともに男性の想像力の産物であることを指摘している。
また、「気持ちの高ぶりとか感情の高揚の仕方というのがものすごく極端だった」シューマンにとって、それがテキストにもあらわれていると言い、「無条件の感情、その瞬間だけの特別な感情」が表現されている。そこを見落としてはいけないと説明している。
(東京オペラシティによるインタビュー記事の詳細はこちら

さて、ステージにあらわれたゲルネはお腹周りも立派になり、貫禄たっぷり。
愛嬌のある大きな目は表情豊かだが、歌う姿はお世辞にも見栄えがいいとはいえない。
左右に体を揺すりひざを開きながら歌う様は無骨なダンスをしているかのよう。
とにかく一時もじっとしていない。
ゲルネってこんなに動いたっけと過去の記憶をたどってみるが、やはり今回は特に動きが大きかったように感じた。
歌は全身運動だとどこかで読んだような気がしたが、こうやって動くのがゲルネにとってもっとも歌いやすいということなのかもしれない。
また、ピアノのふたに寄りかかり、ステージ左側を向いて歌うことが多いのは彼の癖だろうか。

声のまろやかさ、安定感、そして言葉さばきの巧さは相変わらず素晴らしく、今がまさに「聴き頃」なのではないだろうか。
ベルクのような無調音楽からシューマンのロマンティックな音楽まで、ぶれることのない表現力でいずれも包み込むような歌を聴かせてくれた。
語りが前面に出すぎず、かといって音楽に偏っているわけでもない、「語り」と「歌」のバランスの妙があった。
どの音域でもよくコントロールされた響きを聞かせてくれたが、高音を出す時に全身を使って一生懸命その音に飛びつこうとしているように見えたのは気のせいだろうか。
低音に比べると、彼にとって高音を出すのはそれほど容易なことではないのかもしれない。
数年後にどうなっているか若干気になるが、現在は申し分ない高音を響かせていたと思う。

ピアニストのエマールは最初のアルバン・ベルクの歌で最もその力量を発揮したように感じた。
鋭敏で色彩感のあるタッチで生き生きとこれらの無調に傾斜した作品を表現していた。
一方、シューマンの両歌曲集でのエマール、悪くはないのだが、時折あやふやになる箇所もあり、ベルクほどには消化しきっていない印象を受けた。
しっとりとした情感表現や歌との一体感は良かったと思うが、ゲルネが「いわゆるリート伴奏の専門家ではほとんどの場合シューマンは物足りない」(上述のインタビュー記事による)と感じるほどエマールのシューマン演奏に特別なものがあったかというと首をかしげざるをえない。
このぐらい弾ける「伴奏の専門家」は今や珍しくないと思うのだが、ゲルネはソリストとばかり組んでいるから、良い「伴奏の専門家」がいることを知らないのではないかと意地悪な見方をしてしまう。
とはいえ、作品に対する誠実な共感がエマールの演奏から感じられたのは良かったと思う。

なお、今回は2階席に2箇所設置された電光板から日本語字幕が流れたが、訳したのはバリトンの宮本益光とのこと。
多忙な彼がこういう地味な仕事もこなしているのは心強い気がする。

Goerne_aimard_20091011_chirashi

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バドゥラ=スコダ/ピアノ・リサイタル(2009年10月9日 東京オペラシティ コンサートホール)

<来日50周年記念>
Baduraskoda_20091009_pamphletパウル・バドゥラ=スコダ ピアノ・リサイタル

2009年10月9日(金)19:00 東京オペラシティ コンサートホール(3階L2列16番)
パウル・バドゥラ=スコダ(Paul Badura-Skoda)(P)

ハイドン/「皇帝讃歌」による変奏曲(弦楽四重奏曲「皇帝」Hob. Ⅲ-77Ⅱの主題による)
Haydn / Variations on the theme Gott erhalte Franz, den Kaiser in G Major (after the string quartet Hob. Ⅲ-77Ⅱ)

ハイドン/ソナタ ハ短調 Hob. XVI-20
Haydn / Sonata in c minor, Hob. XVI-20

ベートーヴェン/ソナタ 第32番 ハ短調 作品111
Beethoven / Sonata No.32 in c minor, op. 111

~休憩~

フランク・マルタン/フラメンコのリズムによる幻想曲(バドゥラ=スコダに献呈、1973年)
Frank Martin / Fantaisie sur des Rythmes Flamenco (dedicated to Paul Badura-Skoda, 1973)

シューベルト/4つの即興曲 D899
Schubert / 4 Impromptus D899

~アンコール~
1.シューベルト/楽興の時第3番
2.シューベルト/レントラー?
3.シューベルト?/ワルツ?

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パウル・バドゥラ=スコダのリサイタルを初台で聴いてきた。
1927年ヴィーン生まれというから今年ですでに82歳。
高名なピアニストで録音も多いので名前はよく知っていたし、楽譜の校訂者、研究者としても知られており学者肌のイメージを抱いていた。
バス歌手Thierry Félixとのシューベルト歌曲の録音などは聴いていたので、全く馴染みのないピアニストというわけではないのだが、遅まきながら初めて実演に接することが出来た。

この日の私の座席はステージ左横の3階2列目。
つまり、一番高い席から見下ろす形になるのだが、席の前の方にお尻をずらし、前かがみになってようやくピアノの鍵盤が見えるという位置で、バドゥラ=スコダの出入りの様子やペダリングなどは全く見ることが出来なかったのが残念だった。
だが、聴く姿勢は少々しんどかったものの、バドゥラ=スコダの両手の動きが真上から見られたのはなかなか楽しい経験だった。

ハイドンの「“皇帝讃歌”による変奏曲」は、自作の有名な旋律による変奏曲だが、弦楽四重奏版に若干の変更を加えてピアノ版がつくられたそうだ。
モーツァルトやベートーヴェンの変奏曲とは異なり、メロディーは調やリズムも含めてほぼ同じままで、伴奏音型を変えていく手法をとっていた。
従って、節ごとに伴奏が変わりつつも、皇帝讃歌をそのままの形で有節形式で歌うことが出来るのではないだろうか。

続くハイドンの「ソナタ ハ短調」は、第1楽章の冒頭がブラームスの「わがまどろみはますます浅く」の歌いだしを思わせるゆったりとした哀感のある響きだが、その後に細かい音型があらわれて変化に富んだ展開になる。
ハイドンの曲はややもするとモーツァルトの影に隠れてしまいがちだが、実はモーツァルトよりもこちらの方が好きという人もいるのではないか。
私もちょっと聴いた感じではハイドンの方が地上の音楽という感じで自分の好みに近いかもしれないと思った。

ベートーヴェンの最後のピアノソナタである第32番は、ごつごつした岩場で葛藤しているかのような第1楽章と、天上世界へと導かれるような包容力のある美しい第2楽章からなり、ベートーヴェンのピアノソナタ創作活動の総決算のような印象を受ける作品である。
これはどのピアニストにとってもチャレンジしたい誘惑にかられる高峰だろう。

前半だけで1時間ほどの重量級のプログラミングだった。

後半はスイスの作曲家フランク・マルタンの作品ではじまった。
これまで全く聴いたことのない作品であるうえに、何故か聴いている最中に鼻水が出てきてしまい、あまり集中して聴けなかったのだが、4つの部分からなり、フラメンコ特有のリズムと情念は、聴き込むとはまるかもしれないと感じた。

そしてプログラム最後はシューベルトの有名な「4つの即興曲」(第1集)。

バドゥラ=スコダは80代という高齢でもあり、指の動きは危なっかしいところも散見されたが、それは聴きに来ている人にはあらかじめ予期されたこと。
それよりも、長年にわたって聴衆を惹き付けてきた彼の魅力がどういうところにあるのか、それを1回きりの実演で完全には把握しきれたとは言えないものの、それなりに感じることが出来たのが良かった。
この人はやはり古き良き時代の趣を残している貴重な存在なのだと感じた。
現代のピアニストが手に入れた進化したテクニックや洗練されたスマートさと引き換えに失ってしまった独特の風情、それが彼の演奏から感じ取れるのではないか。
透徹した美しいタッチというわけではなく、テクニックが精巧というわけでもないのに、何処か味があって惹きつけられる、そういうタイプのピアニストなのだと感じた。
おそらくこういうタイプのピアニストは、今後ますます減って、いずれ絶滅してしまうのかもしれない。
だからこそ、ちょっとはらはらさせられるところがありながらもツボを押さえたベートーヴェンのソナタに感銘を受けたり、シューベルトの即興曲の血肉となった表現の尊さに心を揺さぶられたりするのだろう。
バドゥラ=スコダというピアニストを聴く機会が得られて良かったと数年後に感じられるであろう、そんな貴重な時間を過ごすことが出来た。

空席も少なくなかった会場だったが、聴き手は皆満足そうな表情で熱烈な拍手をおくっていた。

ちなみに、プログラム冊子が無料で配布されるのが普通になりつつある昨今、この招聘元の時はいつも安くない値段で売られていて、ちょっと購入しようかどうか躊躇したのだが、中身はバドゥラ=スコダのこれまでの日本での活動についてのエピソードやディスコグラフィーなど充実していて、今回は値段(1000円)に見合った内容だと思った。

なお、最初の曲の時、携帯の着信音が聞こえたのは残念だった。

Baduraskoda_20091009_chirashi

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レーゼル/ピアノ・ソナタ全曲演奏会第4回(2009年10月8日 紀尾井ホール)

紀尾井の室内楽 vol.18
ペーター・レーゼル ベートーヴェンの真影
ピアノ・ソナタ全曲演奏会【第2期2009年/2公演】全4期

第4回
2009年10月8日(木)19時 紀尾井ホール(2階C2列4番)
ペーター・レーゼル(Peter Rösel)(P)

ベートーヴェン(Beethoven)作曲

ピアノ・ソナタ 第19番 ト短調 Op.49-1
 1. Andante(寂しげに歩くような響きではじまり、その後長調の穏やかさに移行する)
 2. Rondo: Allegro(リズミカルで音が飛び跳ねているような軽快な楽章だが、ベートーヴェンらしいパッションも込められている)

ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 Op.7
 1. Molto Allegro e con brio(同音連続の後、よどみのない流れとなり、一転してタランテラのようなリズムも加わり、時にユーモラスな味も加えながら様々な要素が次々にあらわれる)
 2. Largo, con gran espressione(静かな緊張感を持続したままたっぷり歌う楽章)
 3. Allegro(舞曲調の楽章)
 4. Rondo: Poco Allegretto e grazioso(懐かしいような親しみやすい曲調が魅力的)

~休憩~

ピアノ・ソナタ 第12番 変イ長調 Op.26 「葬送」
 1. Andante con Variazioni (シューベルトの即興曲を予感させるような愛らしいテーマと、その変奏曲)
 2. Scherzo: Allegro molto(細かい音の奔流のようなコンパクトなスケルツォ)
 3. Marcia funebre (Maestoso)(付点のリズムが続く荘厳な葬送行進曲)
 4. Allegro(せわしなく進む短い楽章。「しょっしょっしょうじょうじ」のようなパッセージあり)

ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 Op.27-2 「月光」
 1. Adagio sostenuto(きわめて美しい幻想的な楽章)
 2. Allegretto(愛らしい3部形式)
 3. Presto agitato(激流のようなドラマティックな楽章)

~アンコール~
ベートーヴェン/バガテル Op.126-6

(上記の各楽章後のコメントは私の覚書で、プログラムに記載されていたものではありません)

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午前中まで台風に荒れた8日の夜、前回のペーター・レーゼル(1945年Dresden生まれ)によるベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全曲演奏会の第3回に続いて、第4回も聴いてきた。
この日も前回と同じ2階席で鑑賞したが、上から1階席を見るとほぼ席が埋まっており、徐々にこのシリーズが浸透してきたことをうかがわせる。

それにしても、「月光」終楽章の完璧なまでの熱演がしばらく頭から離れなかった。
あの難曲をこれほどの見事さで演奏するというのはほとんど奇跡的ではないか。
私自身若干冷静さを失ってしまったほど、この演奏を聴けて本当に良かった。
テクニックと音楽性、まさに今が最盛期といってもいいのかもしれない。
最高級のベートーヴェンの演奏を堪能できた。

それにしても、「葬送」というニックネームのついたソナタ第12番、第3楽章の「葬送行進曲」以外は明るく元気で、ニックネームから受ける陰鬱な印象と随分ずれがあるように感じた。
作品を有名にするという長所もあるニックネームだが、聴き手に先入観を植え付けてしまいかねないという側面もあるようだ。

レーゼルは全体を通じて今回も脂ののりきった絶好調の演奏。
これだけの異なる個性の楽章を1つずつ丹念に描き分けながら、どのようなタイプの曲にも対応してしまう万能なタイプのピアニストと感じた。
これみよがしなところが一切ないのもいつもどおり。
その真摯な姿勢に心打たれる。

アンコールは毎回異なるバガテルを1曲だけ演奏してくれるのも楽しみ。
今回はショパンの舟歌のようなロマンティックな曲だった。

今回の演奏会も録音されており、キングレコードから12月に発売予定とのこと。
楽しみに待ちたい。

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フィッシャー=ディースカウ日本公演曲目1970年(第3回来日)

第3回来日:1970年3~4月

ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau)(BR)
ギュンター・ヴァイセンボルン(Günther Weissenborn)(P)
ベルリン・ドイツ・オペラ(Deutsche Oper Berlin)
ロリーン・マゼール(Lorin Maazel)(C)
オイゲン・ヨッフム(Eugen Jochum)(C)

3月27日(金)19:00 日生劇場:ベルリン・ドイツ・オペラ「ファルスタッフ」
3月29日(日)19:00 日生劇場:ベルリン・ドイツ・オペラ「ファルスタッフ」
4月1日(水)19:00 日生劇場:ベルリン・ドイツ・オペラ「ファルスタッフ」
4月4日(土)19:00 日生劇場:ベルリン・ドイツ・オペラ「ファルスタッフ」
4月7日(火)19:00 日生劇場:ベルリン・ドイツ・オペラ「ファルスタッフ」
4月10日(金)19:00 日生劇場:ベルリン・ドイツ・オペラ「ファルスタッフ」
4月14日(火)19:00 東京文化会館:「ゲーテの詩によるリートの夕べ」
4月17日(金)19:00 東京文化会館:「美しい水車屋の娘」
4月20日(月)18:30 福岡市民会館:「美しい水車屋の娘」
4月22日(水)19:00 厚生年金会館:「ヨッフム、フィッシャー=ディスカウの夕べ」
4月24日(金)18:30 札幌市民会館:「美しい水車屋の娘」
4月26日(日)19:00 愛知県文化会館:「美しい水車屋の娘」
4月29日(水)19:00 東京厚生年金会館:「最高の音楽家たちによる室内楽の夕べ」

●ベルリン・ドイツ・オペラ「ファルスタッフ」
ヴェルディ/「ファルスタッフ」

カール・エーベルト(演出)
カスパール・ネーヤ(装置・衣装)

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(ファルスタッフ)
イングヴァル・ヴィクセル(フォード)
ピラール・ローレンガー(アリス・フォード)
ルイジ・アルヴァ(フェントン)
ドナルド・グローベ(フェントン)
エディット・マティス(ナンネッタ)
エリカ・ケート(ナンネッタ)

ベルリン・ドイツ・オペラ
ロリーン・マゼール(C)

●ゲーテの詩によるリートの夕べ 共演:ギュンター・ヴァイセンボルン(P)

アンナ・アマーリア公妃(Herzogin Anna Amalia)/田舎で、街で(Auf dem Land und in der Stadt)
ライヒャルト(Reichardt)/臆する心(Beherzigung (Feiger Gedanken))
ツェルター(Zelter)/お似合い同志(Gleich und gleich)
ベートーヴェン(Beethoven)/5月の歌(Mailied) Op. 52 No. 4
ベートーヴェン/新しい愛、新しい生(Neue Liebe, neues Leben) Op. 75 No. 2
シューベルト(Schubert)/月に(2作) (An den Mond) D 259
シューベルト/駆者クローノスに(An Schwager Kronos) D 369
シューベルト/海の静けさ(Meeres Stille) D 216
シューベルト/魔王(Erlkönig) D 328

~休憩~

シューマン(Schumann)/自由な心(Freisinn) Op. 25 No. 2
シューマン/ただひとりいて(Sitz ich allein) Op. 25 No. 5
シューマン/手あらく置くな(Setze mir nicht, du Grobian) Op. 25 No. 6
ブラームス(Brahms)/セレナーデ(Serenade) Op. 70 No. 3
ブラームス/うちかちがたい心(Unüberwindlich) Op. 72 No. 5
R.シュトラウス(R. Strauss)/みつけた花(Gefunden) Op. 56 No. 1
シェック(Schoeck)/たそがれは迫り(Dämmerung senkte sich von oben) Op. 19a No. 2
レーガー(Reger)/孤独(Einsamkeit) Op. 75 No. 18
ブゾーニ(Busoni)/ジプシーの歌(Zigeunerlied)
ヴォルフ(Wolf)/旅人の夜の歌(Wanderers Nachtlied II)
ヴォルフ/うつろわぬ春(Frühling übers Jahr)
ヴォルフ/アナクレオンの墓(Anakreons Grab)
ヴォルフ/コフタの歌(Cophtisches Lied (Geh, gehorche meinem Winken))
ヴォルフ/鼠をとる男(Der Rattenfänger)

●「美しい水車屋の娘」 共演:ギュンター・ヴァイセンボルン(P)

シューベルト/「美しい水車屋の娘(Die schöne Müllerin)」D 795

●ベルリン・ドイツ・オペラ特別演奏会
「ヨッフム、フィッシャー=ディスカウの夕べ」
共演:ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団;オイゲン・ヨッフム(C)

モーツァルト/交響曲第39番変ホ長調K.543
バッハ/カンタータ第56番「われ喜びて十字架を担わん」
モーツァルト/交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551

●「最高の音楽家たちによる室内楽の夕べ」
共演:オーレル・ニコレ;クリスチーヌ・ニコレ;豊田耕児;ギュンター・レッシュ;小林道夫

バッハ/「音楽のささげもの」より
バッハ/カンタータ第13番より
テレマン/四重ソナタ

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前回の来日から4年後の3回目の来日もベルリン・ドイツ・オペラの一員としてだった(当時44歳)。
この時のベルリン・ドイツ・オペラは「ファルスタッフ」(ヴェルディ)、「ローエングリン」(ヴァーグナー)、「モーゼとアロン」(シェーンベルク)、「コシ・ファン・トゥッテ」(モーツァルト)、「魔弾の射手」(ヴェーバー)、「ルル」(ベルク)が上演されたが、フィッシャー=ディースカウはマゼール指揮「ファルスタッフ」のタイトルロールのみの出演だった(それでも6回公演)。
そのほかヨッフムとのバッハや、ニコレとの室内楽もあったが、歌曲の夕べは「ゲーテの詩によるリートの夕べ」と「美しい水車屋の娘」の2種類。
共演ピアニストは、前2回のイェルク・デームスからギュンター・ヴァイセンボルン(Günther Weissenborn: 1911.6.2, Coburg - 2001.2.25, Detmold)に代わっている。
「ゲーテの詩によるリートの夕べ」は東京で1回のみで、「美しい水車屋の娘」で全国を回っている。
日本の聴衆の前で「美しい水車屋の娘」が披露されたのはこの時がはじめてだった。
ちなみに「ゲーテの詩によるリートの夕べ」は全く同じプログラムのライヴがOrfeoレーベルからカール・エンゲルとの共演でリリースされている。
F=ディースカウにとって練りに練ったプログラミングなのだろう。

今回は前半をオペラ、後半をコンサートと完全に分けられていたので、F=ディースカウにとっても歌いやすかったのではないか。

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椎名雄一郎/J.S.バッハ オルガン全曲演奏会(2009年10月3日 日本大学カザルスホール)

椎名雄一郎 J.S.バッハ オルガン全曲演奏会
Shiina_20091003_pamphlet第7回 名オルガニスト バッハ
2009年10月3日(土) 15:00 日本大学カザルスホール(1階H列1番)

椎名雄一郎(Yuichiro Shiina)(ORG)

J.S.バッハ作曲

前奏曲とフーガ ト長調 BWV541
天にまします我らの父よ BWV737
主なる神よ、我を憐れみたまえ BWV721
いまぞ喜べ、汝らキリスト教の徒よ BWV734
バビロンの流れのほとりに BWV653b
我らが神の堅き砦 BWV720
前奏曲とフーガ ニ長調 BWV532

~休憩~

前奏曲とフーガ ハ長調 BWV531
小フーガ ト短調 BWV578
トリオ ハ短調 BWV585(Adagio / Allegro)
パルティータ<イエス・キリストよ、汝、真昼の光> BWV766
協奏曲 ニ短調 BWV596(原曲 ヴィヴァルディ《調和の霊感》作品3-11)([Allegro]-Grave / Fuga / Largo e spiccato / Allegro)

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椎名雄一郎のオルガンコンサートを御茶の水のカザルスホールで聴いてきた。
2005年3月から2014年までの全12回でバッハのオルガン曲全曲を演奏しようという壮大な企画の7回目で、私は今回はじめて彼の演奏を聴くことが出来た。
会場は満席で、この壮大な企画が多くの聴衆の支持を得ていることを実感させられた。
また、吉田恵さんのコンサートに続いて、再びカザルスホールのアーレント・オルガンに再会出来たのもうれしかった。
来年3月の使用中止の前に、都合のつく限り訪れて、記憶に残しておきたいと思っている。

椎名さんは毎回テーマを設けてプログラミングしているようで、今回はオルガニストとして高い技術をもっていたバッハに焦点をあてた回となった。
特に足鍵盤の技術は高く評価されていたとのこと。
オルガニストは両手を使うだけでなく、両足も使って足鍵盤を正確に踏まなければならない。
その足鍵盤の高度な技術を発揮できる作品(例えば「前奏曲とフーガ ニ長調 BWV532」や「前奏曲とフーガ ハ長調 BWV531」)が選曲されていた。

前半、後半とも最初と最後に規模の大きな作品を置き、その中に小さな作品をはさみこむ構成をとる。
それによって、聴き手は変化に富んだバッハの多彩さを満喫することが出来た。

椎名さんは高度な技術を要求される作品でも、コラールによる穏やかな作品でも、しっかりとした安定感で、堂々たる音楽を奏でていたと思う。
カザルスホールのオルガンは足の部分が隠されていて聴衆には見えないのが残念だが、全く危なげのない演奏で、あたかも手で弾いているかのようだった。
一方、「天にまします我らの父よ BWV737」のような小品は、穏やかで敬虔な響きが聴く者を癒してくれた。

有名な「小フーガ ト短調 BWV578」が聴けたのは個人的にはうれしかったが、同じ曲でも人によって選択する音栓は様々なようで、椎名氏は随分可愛らしい音色を選択していた。

最後の「協奏曲 ニ短調 BWV596」はヴィヴァルディの「調和の霊感」のオルガン編曲作品だが、ヴィヴァルディの作品を編曲することによってその作風を研究するというバッハの意図を超えて、一つの作品として、あたかもオリジナルのような充実した音楽となっていたのはバッハの才能を示していると言えるのではないか。

吉田さんの時もそうだったが、椎名さんも拍手に応える際に、アーレントオルガンにも手をかざして、楽器とともに拍手を受けていたのが印象に残った。

アンコールは無かったが、充実した音楽をたっぷり満喫できたので充分満足して帰路につくことが出来た。

Shiina_20091003_chirashi

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レーゼル/ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全曲演奏会第3回(2009年10月2日 紀尾井ホール)

紀尾井の室内楽 vol.18
Roesel_pamphlet_200910ペーター・レーゼル ベートーヴェンの真影
ピアノ・ソナタ全曲演奏会【第2期2009年/2公演】全4期

第3回
2009年10月2日(金)19時 紀尾井ホール(2階C2列4番)
ペーター・レーゼル(Peter Rösel)(P)

ベートーヴェン(Beethoven)作曲

ピアノ・ソナタ 第5番 ハ短調 Op.10-1
 1. Molto allegro e con brio(鋭い付点のリズムが印象的な、ドラマティックな楽章)
 2. Adagio molto(静かに歌う美しいモノローグ)
 3. Finale: Prestissimo(不安げに問いかけるような断片的なユニゾンのパッセージではじまる切迫した楽章。さりげなく通り過ぎていくような終わり方が新鮮)

ピアノ・ソナタ 第16番 ト長調 Op.31-1
 1. Allegro vivace(左右のずれたリズムが印象に残る華麗な楽章)
 2. Adagio grazioso(ゆれるようなリズムの上で長いトリルを交えたゆったりした歌謡的メロディが流れる)
 3. Rondo: Allegretto(モーツァルトの「トルコ行進曲」の冒頭を思わせるテーマが慎ましやかに穏やかに展開され、対照的な動きのあるパッセージと交代しながら繰り返される)

~休憩~

ピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 Op.14-2
 1. Allegro(愛らしいジグザグなテーマではじまる可憐な楽章)
 2. Andante(行進曲風のリズムでスタッカートの和音が刻まれて始まる可愛らしい楽章)
 3. Scherzo: Allegro assai(左右で駆け抜けるような急速なパッセージがユーモラスな楽章。最終楽章がスケルツォなのは珍しい)

ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 Op.53 「ワルトシュタイン」
 1. Allegro con brio(和音のがっしりした連打で始まるのが特徴的。モティーフが入念に展開されている)
 2. Introduzione. Molto Adagio(次に続くロンドの序奏的役割をもった、音数の少ない静かな音楽)
 3. Rondo: Allegretto moderato(左手の幻想的な雰囲気の中、右手が鐘のような高音を響かせる)

~アンコール~
ベートーヴェン/バガテル Op.33-2

(上記の各楽章後のコメントは私の覚書で、プログラムに記載されていたものではありません)

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昨年スタートしたペーター・レーゼル(1945年Dresden生まれ)によるベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全曲演奏会は、1シーズンに2回ずつ催され、4年間で全32曲のソナタを演奏するというプロジェクトである。
今年は第2シーズンの第3回&第4回にあたり、先日その第3回を聴いてきた。

前半は、古典的な均整を保ちながらも暗い情熱が印象的な第5番と、華麗な明るさをもった第16番という対照的な2つのソナタを組み合わせている。
そして後半は、どこまでも愛嬌のあるベートーヴェンの意外な一面を見せた第10番と、いかにもベートーヴェンらしいかっちりした構成の第1楽章を含む有名な「ワルトシュタイン」という、ここでも対照的な組み合わせが秀逸なプログラミング。

レーゼルは拍手に丁寧にこたえた後、ピアノの前に座ると、少し瞑想するような仕草をして演奏に向かう。
前半最初のソナタ第5番は私の座った席の都合なのか若干音がもやもやして明瞭さに欠けて聞こえたが、徐々に耳が慣れてきたのか細かい音もはっきりしてきた。

レーゼルはいつものように誇張もはったりも一切なく、これ以上ないほどきっちりとした楷書風の演奏を聴かせてくれた。
しかし、それは冷たさとは無縁で、完璧なテクニックに裏付けられたダイナミクスとタッチの絶妙さによる人間味に満ちた包容力があった。
第16番の第1楽章なども、リズムのずれをことさらに強調せずに自然な流れを重視した趣が新鮮に感じられた。
そして、各ソナタの緩徐楽章ではだれることのない比較的さっぱりとしたテンポで、美しいカンタービレを聞かせてくれた。

この日もっとも私が感銘を受けたのは第10番のソナタだった。
この愛らしい作品からレーゼルは可能な限りの魅力を引き出した。
優しくちょっと悪戯好きなベートーヴェンが聞こえてきたようだった。

「ワルトシュタイン」も全く破綻のない完成度の高い名演で、特に第3楽章でオクターヴのグリッサンド(手をオクターヴに保ったまま、鍵盤を急速にずらしていく)を見れたのは貴重な体験だった。
余談だが、この第3楽章の右手に2回繰り返される鐘のような高音、シューベルトが歌曲「若い尼僧」を作曲した時にもしかしたら脳裏に浮かんでいたのではないかと想像してしまう。

盛大な拍手で何度も呼び戻されたレーゼルがアンコールに弾いたのはバガテルからの1曲。
付点のついたリズムが愛らしく素敵な演奏だった。

NHKのテレビカメラがステージ上に2台(無人)、2階にも2台設置されていた(1階席は確認しなかったが、あったのかもしれない)。
11月下旬にBSで放送されるそうだが、BS契約していない私は地上波でも放送されることを願っている。

Roesel_autograph_20091002なお、普段は横目で通り過ぎてしまうサイン会に今回は私も並んで、サインをいただいた。
長蛇の列が出来ていて、私の番の時にはかなりお疲れのようだったが、すっかり白髪になったレーゼルは次々に差し出される自分のCDを見ては、「このレーベルは…」「この時の指揮者は…」と確認していて、愛嬌のある一面が垣間見られた。

Roesel_chirashi_200910

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ラローチャ、中山悌一を偲んで

スペインの名ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャ(Alicia de Larrocha: 1923年5月23日バルセロナ - 2009年9月25日バルセロナ)が心肺機能不全のため86歳で亡くなった。

私は一度だけ彼女の実演を聴いたことがある。
確かサントリーホールだったと記憶するが、プログラム冊子が出てこないので曲目ははっきりしない。
ただ、その演奏は実に美しく、しかも歌心に満ち溢れていて、すぐに好きになったことはよく覚えている。
数年前に日本での引退コンサートが開かれたが、その時は残念ながら聴けなかった。

ラローチャといえば忘れられないことがある。
インタビューで彼女が憤慨して言うには、あるコンチェルトを録音したのだが、そのCDジャケットを見ると私一人しか写っていない。
コンチェルトはピアノとオーケストラがどちらも大切なので、指揮者も一緒に写っている写真を使うべきなのに、というような趣旨だったと思う。
その記事を読んで、彼女のスター然としていない、思いやりのある感覚を知って感銘を受けたものだった。

ごく最近、国内盤でソプラノのビクトリア・デ・ロサンヘレスのスペイン歌曲集の1971年ライヴ録音がEMIからCD復活したが、その共演者はほかならぬラローチャだった。
録音当時、ラローチャはDECCAレーベルの専属だったため、レコード化は難しいと言われていたそうだが、困難をクリアーして無事リリースされた。
スペインの情熱的な濃密さを備えていながら、同時に独特の人間味あふれる温もりも兼ね備えていたという点でこの二人は共通していたように感じられる。

ラローチャの訃報を読んだ数日後、今度は日本の名バリトンの訃報に接することとなった。
中山悌一(なかやまていいち: 1920年2月6日大分 - 2009年9月29日)が老衰のため89歳で亡くなったという。
二期会の創設者として知られているが、彼の本領は歌曲にあったのではないか。

私は彼の歌を実演では一度も聴くことが出来なかったが、ジェラルド・ムーアが1965年に来日した際に「冬の旅」を共演したということを知って、当時リート歌手として日本の代表的な存在だったのだろうなというイメージを抱いていた。
この時の批評を図書館で調べたことがあったのだが、オペラを歌わない彼は声が単色の傾向があるが、ムーアに引っ張られて色合いが変化したというようなことを読んだ記憶がある。
また、ある音楽雑誌でムーアとの対談が掲載されていたが、ムーアは中山氏と共演した感想を問われ、特に日本人的と感じたことはなかった、一流の演奏家だったので、というようなことを言っていた。

その後、「ショパン」という雑誌で伴奏者の特集が組まれたことがあり(1984年6月号)、中山氏が伴奏者についてインタビューを受けていたが、ヘルマン・ロイターやサヴァリッシュを讃えていた。
以下はその記事での中山氏の言葉から。
「歌と切り離せるピアノ曲ってないんじゃないだろうか。
バルトークあたり・・・になるとまた別な効果を狙うこともあるだろうが、たとえばモーツァルトでも、ピアノ曲といってもほとんどオペラに原点がある。
・・・オペラを研究すると彼のピアノ曲は全て理解できる。
あ、ここはため息ついてる、とかこの部分は宴会の場面だな、と・・・。
だからきわめて人間的な音楽のはずなのに、譜面だけ見てエチュード的にモーツァルトを弾く人が多い。
・・・オペラやカンタータを聴いてピアノに生かして欲しいですね。」

辛口だが、音楽に真剣に向き合ってきた人だからこそ言える言葉なのだろう。

馴染みのある方達が伝説と化していくのは寂しいが、その功績が録音という形で残されているのは有難いことである。
この機会にあらためてその演奏に耳を傾けてみたいと思う。

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