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スコウフス/管弦楽編曲によるシューベルト、シューマン歌曲集

「音楽に寄す:管弦楽編曲によるシューベルト、シューマン歌曲集」
(Leise flehen meine Lieder: Schubert Schumann)

ソニー・ミュージックエンタテインメント: SONY CLASSICAL: SICC 1162
録音:2006年5月23-24,26-27日, Danish Radio Concert Hall

ボー・スコウフス(Bo Skovhus)(BR)
デンマーク国立交響楽団(Danish National Symphony Orchestra)
シュテファン・ヴラダー(Stefan Vladar)(C)

シューベルト
1.セレナードD957-4(モットル編曲)
2.夕映えの中でD799(レーガー編曲)
3.音楽に寄すD547(レーガー編曲)
4.ますD550(ブリテン編曲)
5.君の姿D957-9(ヴェーベルン編曲)
6.メムノンD541(ブラームス編曲)
7.馭者クロノスにD369(ブラームス編曲)
8.プロメテウスD674(ニールセン編曲)
9.魔王D328(ベルリオーズ編曲)

シューマン
「5つのリート」Op.40(ラスムッセン編曲)
10.においすみれ
11.母親の夢
12.兵士
13.楽師
14.露見した恋

シューベルト
15.潜水者D111(ラスムッセン編曲)

(10~15は世界初録音)
(上記の日本語表記はCD表記に従いました)

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シューベルトは歌曲を作曲する際に、歌と組み合わせる楽器にほとんどピアノを選択した。
サロンや友人同士で気楽に演奏するには大編成のオーケストラよりもピアノが適していたことは明らかである。
しかし、彼の後輩の作曲家たちにとって、シューベルトのリートのピアノパートにはオーケストラに編曲したくなる誘惑にかられるものがあったに違いない。
ベルリオーズ、リスト、ブラームスからレーガー、ヴェーベルン、ブリテンまで大作曲家たちが果敢にチャレンジし、折にふれて演奏されている。
とはいえシューベルトのピアノ歌曲はそれ自身で完結した作品であり、オーケストレーションが作品を補完するという意味合いとは全く異なることは言うまでもない。
おのおのの作曲家がシューベルトのピアノパートからどのような音を感じ取ったかということを知ることが出来るのは確かに興味深い。
例えば「魔王」はベルリオーズとリストが編曲しているが(このスコウフスのCDにはベルリオーズ版が収録されている)、シューベルトがあえて不協和な音程を響かせた箇所における両作曲家の処理の違いなどを比較するのは楽しい。
個人的にこれらの編曲歌曲を聴いて面白いなと思ったのは、どの作曲家もピアノパートだけでなく、歌唱パートも同時になぞるように演奏する箇所がしばしば聞かれ、俗なたとえだがポップスのカラオケ音声みたいに感じられたことである。
これらのオーケストラ編曲歌曲集をかつてプライは繰り返し録音し、日本でも披露していたが、F=ディースカウは私の知る限り手を出さなかった。
それがこの2人の歌手のキャラクターの違いを反映しているように感じられて面白い。
管弦楽に編曲したピアノ歌曲など邪道だと考える方も当然おられるだろうし、それも一理あると思うが、オーケストラ演奏会でこれらの歌曲が演奏されることで、聴かず嫌いな人にリートを聴く機会を与えることが出来るという利点は否定できないだろう。

さて、このスコウフスの新CDでは、最初にシューベルトのお馴染みの名曲が9曲演奏されている。
ニールセン編曲の「プロメテウス」などは比較的珍しいかもしれないが、他はオーケストラの定期演奏会などでもそれなりに演奏され、聴かれているのではないか。
個人的にはブラームスの編曲がシューベルトへの愛着が感じられて特に好きである。

だが、このCDで特に注目すべきなのは、1947年生まれのデンマークの作曲家カール・オーゲ・ラスムッセンの編曲によるシューマンとシューベルトの世界初録音である。
シューマン歌曲のオーケストラ編曲版を聴くことはなかなかないが、アンデルセンらの詩による「5つのリート」Op.40ではとりわけ「楽師」の多彩なオーケストレーションに圧倒された。
ラスムッセンの編曲も基本的にはオリジナルの音楽を尊重したものであり、好感がもてる。

シューベルトの「潜水者」はシラーの詩による長大なバラードで20分以上かかる。
シューベルトはD77とD111の2回、この作品に取り組んでいるが、基本的には同じ音楽の別の版という感じで、新しいドイチュ目録ではどちらもD77に統一されているようだ。
詩の内容は、尊大な王が自らの金の盃を海に放り投げ、それを潜って取り戻した者にやろうと言う。
それを聞いて一人の若者が飛び込み、無事取り戻して帰還する。
しかし海の中は恐ろしく、人間が神を試すものではないと訴える。
それを聞いて王は指輪と引き換えにさらに再度飛び込むように若者に言う。
躊躇していた若者だが、成功したら娘を嫁にやろうという王の言葉を聞き、再び海に飛び込むが、地上に戻ることはなかったという内容。
ラスムッセンはD77とD111の折衷版ともいえるペータース版に基づいて編曲したように思う。
つまり、歌声部はD77を中心にするが、2度目に海に潜った際のピアノパートの荒れ狂う海の描写がD111から取り入れられている。
ファンファーレを模す前奏から管弦楽編曲の効果は出ているように感じたが、荒れ狂う海の描写はピアノ版の効果を越えるものには感じられなかった。
しかし、これもオーケストラ公演の新たなレパートリーとなれば、歌曲を聴かない人にアピールすることは出来るだろう。
意欲的な試みに拍手を贈りたい。

デンマークのバリトン、ボー・スコウフスの久しぶりのリート録音である。
冒頭の有名な「セレナード」から甘美で情感のこもった歌唱が胸に響く。
叙情的な作品からドラマティックな作品まで対応する実力はますます磨きがかかっている。
以前は若干発音の癖があったように感じられたが、今やそういう違和感は一切ない。
若手の台頭が目立つリート界で、中堅の進境ぶりと底力をまざまざと感じた名唱だった。

シュテファン・ヴラダーはピアニストとしておそらくリートも弾いてきたのだろう。
シューベルトの音楽をよく理解した見事な手綱さばきだった。
デンマーク国立交響楽団も編曲ものにありがちな不安定さが一切なく、よく揃った響きで積極的な美しい演奏を聴かせてくれた。
「馭者クロノスに」など早めのテンポで見事に盛り上げ、素晴らしかった。

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コメント

シューベルト歌曲の管弦曲版!どうもいただけないなあという思いと、聞いてはみたいな、という思いが交錯する、不思議な感じです。プライなど何度かラジオなどで聴いたことはあります。そういえば、現代作曲家の冬の旅編曲も確かありました(満足した記憶はないのですが)ね。
作曲家たちのチャレンジを促すのでしょう。

なんやかやいう私でさえ、『水車小屋の娘』のある曲は「ロザムンデ」のように管弦楽でいけそうだぞとか、そうではなくてもピアノ以外の楽器で伴奏したら面白そうだなどと思ったりします。
でも、何より不思議なのは、一見モノクロームの世界のような『冬の旅』を管弦楽でどうすればすごいものになるかしらと、やはり想像しなくはないこと。実は豊かな色彩の歌曲集なのだろうか、などと考えてしまいます。

投稿: Zu・Simolin | 2009年9月 7日 (月曜日) 00時00分

Zu・Simolinさん、こんばんは。
私もはじめてシューベルトの管弦楽編曲版を聴いた時はあまりピンときませんでした。
しかし「慣れ」というのは不思議なもので、これはこれで楽しめるようになりました。
しかし、現代作曲家のツェンダーが編曲した「冬の旅」、興味はあるのですが、まだ手を出していません。これはシューベルトの音楽を借用した現代作曲家のオリジナル作品のような気がするのですが、いつか勇気を出して聴いてみようと思っています。
「水車屋」などはオーケストラの彩りで化ける可能性もありますね。
でも私は最終的にはオリジナルのピアノが一番という結果に落ち着く気がします。

投稿: フランツ | 2009年9月 7日 (月曜日) 00時20分

フランツさん、こんにちは。
スコウフスも、オケ版のシューベルトを録音していたのですね。
スコウフスのCDは1枚持っていたのですが、大好きなのに買いそびれたという友人に上げてしまい、今手元にはありません。
「甘美で情感のこもった歌唱」と聞くと断然聴きたくなりました。

オケ版シューベルトを度々歌ったプライさんが94年の来日インタビューで、「オケしか聴かないクラシックファンが、私のオケ版シューベルトを聴いて次の年、それはわずか2人か3人ですが、リートコンサートに来てくれます。私は、少しでも、人々をシューベルトに引き寄せたいのです」と言っていました。

ピアノをオーケストレーションしてシューベルトの世界を広げてみたいという音楽家としての思いもあったのでしょうが、プライさんのシューベルトへの並々ならない愛を感じました。

ディースカウさんが、オケ版を録音しなかったのは、彼ほどの人ですから、それはそれでの思いがあったのでしょうね。
今となっては聞けませんが、そういう思いも聞いてみたかったです。

投稿: 真子 | 2013年2月26日 (火曜日) 16時30分

真子さん、こんばんは。
スコウフスもいいリート歌手ですよね。
最近来日しないのが残念ですが、昔ヴォルフの「イタリア歌曲集」を聴いたことがあります。
シューベルトのリートのオケ編曲についてはご指摘のように、オケの聞き手をリートの世界に誘う意義があるのでしょうね。その第一人者がプライだったわけですが、彼の使命感には頭が下がります。ディースカウはヴォルフのオケ伴奏は録音しているのにシューベルトのオケ編曲版は歌っていないのが興味深いですね。

投稿: フランツ | 2013年2月27日 (水曜日) 22時43分

ヴァルフのオケ版があったんですか。それは知りませんでした。
そして、ディースカウさんは、ヴァルフのオケ版は録音していたのですね。
でも、シューベルトのはしていない、興味深いですね。

スコウフスのコンサート聴かれたのですね。
私は、CDでしか聴いていませんが、今もお元気でご活躍されているのでしょうか。

投稿: 真子 | 2013年2月28日 (木曜日) 14時58分

すみません、追伸です。
プライさんのオケ版シューベルトですが、私の大好きな「君こそ憩い」や「夕映に」、やはり歌い方のスケールが大きいと感じます。

「君こそ憩い」の盛り上がるところ「・・allein er hellt]など、ピアノ版では質のいいゴムをギューと引き伸ばしたようなフォルテで、オケ版では空間を満たし切るようなフォルテで歌っています。(彼は、他の曲でも、この2種類のフォルテをうまく使い分けていると感じています。)
オーケストラの伴奏がそうさせるのでしょうね。


投稿: 真子 | 2013年2月28日 (木曜日) 19時45分

真子さん、こんにちは。

最近のスコウフスの動向は私もよく分からないのですが、50代になったばかりできっと海外ではまだ活躍しているのではないかと思います。

プライの2種類のフォルテのお話、興味深く拝見しました。
「ゴムを引き伸ばしたような」フォルテ、今度ディスクで確認してみます。
私もホールで彼の声を聴いた時の、体の奥から湧き出てくる声の充実感が今でも記憶に残っています。

投稿: フランツ | 2013年3月 2日 (土曜日) 13時27分

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