フィッシャー=ディースカウのドキュメンタリーDVD「秋の旅」
名バリトン、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925.5.28, Zehlendorf生まれ)が1992年大晦日の公演を最後に歌手活動から引退して随分経った。
かつて歌曲のエンサイクロペディアと言われ、男声で歌えるドイツ歌曲はことごとく歌い尽くした感のある彼だが、リートを歌う後継者たちが続々現れ、「第二のF=ディースカウ」という形容もそろそろ不要になってきたほど、それぞれが自分の個性を発揮しはじめてきた。
そんな中、今一度この歌曲の巨人を振り返り、その偉大さを実感するドキュメンタリーをあらためて見てみた。
ブリュノ・モンサンジョン監督によるF=ディースカウのドキュメンタリーDVD「秋の旅~シューベルト・リサイタル」は、F=ディースカウの過去の貴重な映像と、引退後の長いインタビューが代わる代わる映し出され、それだけで100分を超える長編である。
さらに、1991年5月9日にニュルンベルク市立劇場で行われたシューベルト・リサイタル(ヘルのピアノ共演)の映像もアンコールも含めて23曲収録されており、かつてCDで同じ音源が発売された時には省かれた一部のアンコールも含まれている。
国内ではワーナー・ミュージックから発売され、ドキュメントでは日本語字幕もついている(歌曲演奏では残念ながら字幕なし)。
ドキュメントはシューベルトの歌曲「悲しみ」をニュルンベルクで歌う映像の抜粋で始まる(動画サイトにアップされていました)。
「メランコリックなテキストを歌うことが多かったので陰気なイメージをもたれることが多かったが、実際の私は情熱的な“冒険家”だ」(以下彼の言葉は大意)
「歌手である以前に音楽家 Musiker でありたい」と多才な彼らしいコメント。
そして、「自己評価は徐々に厳しくなる。引退の理由はそこだ。相談はしなかった」と引退について述べる。
1992年12月31日、ヴェルディの「ファルスタッフ」から「この世は道化の世界だ」を歌い、引退するのは今日だと確信したという。
「歌ったオペラの役柄は60、歌曲は3000曲にも及んだ。」
「子供のころは聞こえてくる音を声でまねするのが好きだった。」
「10才ごろには意味も分からずゲーテやシラーの詩を朗読して両親をうるさがらせた。」
1943年1月30日に彼にとって初の公演が行われた。
シューベルトの「冬の旅」を歌ったが、それがナチスの記念公演だったことを知らずに歌い、空襲で中断しながら最後まで歌ったとのこと。
「エミ・ライスナーのコンサートでリートが好きになった。」
初めて練習したのはブラームスの「四つの厳粛な歌」だったそうだ。
「はじめは弱いオーボエみたいな声だったので、響きを広げる訓練をした。」
「戦地で仲間たちのために歌曲を歌ったが何人かは退屈そうにしていたよ。」
そして、オペラ歌手としてのスタートについても語られる。
「市立オペラが「ドン・カルロ」のバリトンを募集していたので応募し、ロドリーゴ役に選ばれた。」
「はじめてヴァーグナーを聴いたのは9才で「ローエングリン」だった。」と言い、ヴァーグナーの音の魔法に魅せられていたという。
「「ファルスタッフ」を歌い、自分と全く違った性格の役を演じられることが分かった。」
「「外套」で今の夫人ユリア・ヴァラディと出会った。」
そして、ライマンの「リア王」を最後に35年に及んだオペラの舞台を降りた。
「シューベルトほど言葉の響きをメロディーで表現した者はいない。」と歌曲の王に最高の賛辞。
共演者たちについて、
「ムーアは最高だった。」
「リヒテルからは強弱の変化のつけ方を学んだ。」と語る。
シューベルトの歌曲「春に」をムーア、サヴァリシュ、リヒテル、ヘルの映像をつなぎ合わせて歌った映像はとても興味深かった。
そして、パーフェクトと謳われた彼の口から「天賦の才などない」と語られる。
「メディアの評価も気になるが、アーティスト自身が一番分かっていることだ。」
「歌手は二度死ぬ。1度目は声の死、2度目は肉体の死だ。」と歌手ならではの意見。
1度目の声の死を迎えて、余生をのんびり過ごしているかと思いきや、モーニカ・ヴォルフ氏によるF=ディースカウのホームページを見る限り、まだまだ隠遁生活には程遠いようだ。
3日前に84歳の誕生日を迎えたF=ディースカウ、いつまでもお元気で!
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コメント
久しぶりにディースカウの新しい映像に接することができました。ご紹介ありがとうございます。それにしてもディースカウの機知に富むと同時にシビアな台詞は印象に残ります。昔、大阪へ彼のリサイタルを聴きに行ったことも思い出します。舞台から割りと遠い席だったのですが、彼の歌と大きな存在感は今も深く心に残っています。
投稿: Zu・Simolin | 2009年6月 1日 (月曜日) 18時23分
Zu・Simolinさん、こんばんは。
コメントを有難うございます。
F=ディースカウは高度な技術と音楽性をもった人なので、その言葉は時に厳しく感じられる時がありますね。しかし、実際の彼はシャイな性格らしく、強気の発言も照れ隠しのことがあるのではと思うこともあります。
Zu・Simolinさんも大阪で彼のリサイタルを聞かれたのですね。「大きな存在感」、おっしゃるとおりですね。
私も何度か彼の歌に接する機会に恵まれましたが、強いカリスマ性を感じたものでした。
いずれ記事にしたいと思っています。
投稿: フランツ | 2009年6月 1日 (月曜日) 20時56分
ちょと追加コメントします。
紹介により、「春に」の曲をムーア、サヴァリッシュなどの伴奏で「繋いだ」映像は興味深く拝見。きびきびしたサヴァリッシュもいいが、リヒテルはレベルが違うなあ、と思いました。
しかし目を瞑ってはじめてその「繋ぎ」を聞けばどれだけわかるのでしょうね。そんな意味でも面白かった!ありがとうございます。
投稿: Zu・Simolin | 2009年6月 1日 (月曜日) 21時17分
Zu・Simolinさん、追加コメント、興味深く拝見しました。私はリヒテルも素敵ですが、やはりムーアの温かみが好みです。
確かに私も視覚や解説の情報に頼って演奏を聴いているので、まっさらな状態で聞いたらどういう判断をするのだろうと思います。ひょっとして普段と全く違う感想をもつかもしれない・・・。
例えば、CDの批評を生業とする専門家の方々が、演奏者や録音年などの情報を一切知らないまま録音を聴いて、批評を書いてみたらどうなるのでしょうね。一度やってみてもらいたいのですが。
投稿: フランツ | 2009年6月 1日 (月曜日) 22時26分