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東京・春・音楽祭/ハイドン《天地創造》(2009年3月29日 東京文化会館)

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2009-
NHK交響楽団 ハイドン《天地創造》

2009年3月29日(日) 16:00 東京文化会館 大ホール(5階L1列22番)

天使ガブリエル、エヴァ(ソプラノ):タチアナ・リスニック(Tatiana Lisnic)
天使ウリエル(テノール):セミール・ピルギュ(Saimir Pirgu)
天使ラファエル、アダム(バス):アイン・アンガー(Ain Anger)
合唱:東京オペラシンガーズ(Tokyo Opera Singers)
合唱指揮:ロベルト・ガッビアーニ(Roberto Gabbiani)
管弦楽:NHK交響楽団(NHK Symphony Orchestra,Tokyo)
指揮:レオポルト・ハーガー(Leopold Hager)

ハイドン/オラトリオ《天地創造》(Die Schöpfung) Hob.XXI:2

第1部
第2部
第3部
(休憩なし)

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上野で開催されている「東京のオペラの森」も今年で5回目を迎えるという。
今回から「東京・春・音楽祭-東京のオペラの森-」と名称も若干変えてあらたな装いで再スタートということらしい。
今回の期間中(3月12日~4月16日)、オペラ公演は一度もなく、しいていえばオペラアリアが含まれるコンサートがあるぐらいである。
だが来年には「パルジファル」、再来年には「ローエングリン」が予定されているそうだ。

今回私が聴いてきたのは、ハイドンの3つのオラトリオのうち、最も人気の高い《天地創造》である。
私はミュンヒンガー指揮ヴィーン・フィルによるLONDONレーベルの録音を持っているのみで、実演でこの作品を聴くのははじめてなので楽しみだった。

台本は、第1部と第2部が旧約聖書の「創世記」に基づき、第3部がイギリスのミルトンの「失楽園」に基づき英語で書かれたのだが、さらにスヴィーテン男爵が独訳したものにハイドンは作曲した。
従って、登場人物は旧約聖書に基づく第1部と第2部がが3人の天使(ガブリエル、ウリエル、ラファエル)、そして「失楽園」に基づく第3部がアダムとエヴァ、それに天使ウリエルである。
ミュンヒンガーの録音のように5人の登場人物にそれぞれ別の歌手をあてる場合もあるが、今回の公演はガブリエルとイブをソプラノのリスニック、ラファエルとアダムをバスのアンガーが兼ねて歌っていた。

休憩なしの約2時間の公演は若干疲れたが、第1~2部の厳粛な内容と、第3部のある意味普遍的な愛の歌とでは雰囲気が異なり、その違いをはっきり実感することの出来た得がたい体験であった。

日曜午後の上野駅公園口あたりは人・人・人ですごかった。
東京文化会館の小ホールはたまに来るのだが、大ホールに入ったのは一体何年ぶりだろうか。
久しぶりにこのホールの階段を5階の席までのぼっていったが、さすが老舗のホールだけあって5階席でも音響は私には充分満足できるものだった。
ただ座席が狭くて窮屈なのはいつか改善してほしいし、上の方の席まで階段を登るのが難しい人のためにエレベーターかエスカレーターでもあるといいのだが(ひょっとしたらあったのかもしれないが気付かなかった)。

3人の歌手はいずれも粒が揃っていて、いい人選だったと感じた。
特にソプラノのタチアナ・リスニックは声に全くむらがなく、どの音域でも芯のある心地よい声で魅了された(桜の色のような鮮やかなピンクのドレスで登場した)。
テノールのセミール・ピルギュも発音や語りが美しく、劇性と叙情性を併せ持った素晴らしい歌だった。
バスのアイン・アンガーは最初のうち声が出きらない感はあったものの、すぐに持ち直してしっかりとした低音を聞かせてくれた。
N響はたまに不揃いになるところはあったものの、積極的な姿勢でハイドンの大作の魅力を伝えてくれたと思う。
指揮のレオポルト・ハーガーはモーツァルトのレコード録音などで馴染みのある名前だったが、実演を聴いたのは今回がはじめてだった。
年齢を感じさせないエネルギッシュな指揮ぶりで、生き生きとしたハイドンを聞かせてくれた。

Haydn_die_schoepfung_20090329普段あまり聖書と縁のない生活をしている私でも、ハイドンの情景描写と心理描写の巧みさに引き込まれて楽しく聴くことが出来た。
中でもそれぞれの歌手が歌うアリアは単独で聴いても美しいものが多く、さらに聴き込んでみたいと思った。

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パーセル/男は女のためにつくられ

Man is for the woman made, Z. 605 no. 3
 男は女のためにつくられ

Man is for the woman made,
And the woman made for man;
As the spur is for the jade,
As the scabbard for the blade,
As for digging is the spade,
As for liquor is the can,
So man is for the woman made,
And the woman made for man.
 男は女のためにつくられ、
 女は男のためにつくられる。
 拍車が駄馬のためにあるように、
 さやが刀身のためにあるように、
 掘るために鋤があるように、
 酒のために缶があるように、
 男は女のためにつくられ、
 女は男のためにつくられる。

As the scepter to be sway'd,
As for night's the serenade,
As for pudding is the pan,
And to cool us is the fan,
So man is for the woman made,
And the woman made for man.
 王様が振り回す笏(しゃく)のように、
 夜のためにセレナードがあるように、
 プディングのために皿があるように、
 私たちを涼しくするために扇があるように、
 男は女のためにつくられ、
 女は男のためにつくられる。

Be she widow, wife or maid,
Be she wanton, be she stayed,
Be she well or ill array'd,
Whore, bawd or harridan,
Yet man is for the woman made,
And the woman made for man.
 未亡人だろうが、人妻だろうが、生娘だろうが、
 ふしだらだろうが、貞節だろうが、
 着こなしが良かろうが悪かろうが、
 娼婦だろうが、売春宿の女将だろうが、鬼婆だろうが、
 男は女のためにつくられ、
 女は男のためにつくられる。

詩:Peter Anthony Motteux (1660-1718)
曲:Henry Purcell (1659?-1695)

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イギリスの大作曲家ヘンリー・パーセルの生誕(約)350年を祝って、彼の歌をとりあげました。
Thomas Scottの芝居"The Mock Marriage"の付随音楽として作曲されたこの作品、芝居の中身が気になるところです(詩はMotteuxという人が作ったようです)。
男は女のために、女は男のためにあるのだということを様々な比喩を並べて表現しています。
パーセルの曲も軽快でとても楽しめます。

Judith Nelsonの古楽演奏(とても美しく清涼感にあふれた歌唱)
http://www.youtube.com/watch?v=vexYxL_yb2s

Gloria Davy(S) & Giorgio Favaretto(P)によるブリテン編曲の現代風演奏
(ブリテン編曲の華麗なピアノパートを往年の名手ファヴァレットが素敵に演奏し、デイヴィの歌も魅力的)
http://www.youtube.com/watch?v=uJPD3MJ0U1A

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ヴィンガー&ハルトマン/ヴォルフ歌曲集

ヴォルフ/ケラー、ゲーテ、メーリケ他の詩による歌曲集
(Hugo Wolf / Lieder nach Texten von Keller, Goethe, Mörike und anderen)
Winger_hartmann_wolfTACET: TACET 162
録音:2007年, Hannover Congress Centrum

マレット・ヴィンガー(Marret Winger)(S)
シュテフェン・ハルトマン(Steffen Hartmann)(P)

ヴォルフ(1860-1903)作曲
1.お入り、立派な兵隊さん(Tretet ein, hoher Krieger)(ケラーによる「昔の調べ」No.1)
2.愛する人がアトリのように歌うというのなら(Singt mein Schatz wie ein Fink)(ケラーによる「昔の調べ」No.2)
3.ねえ、青っぽい坊や(Du milchjunger Knabe)(ケラーによる「昔の調べ」No.3)
4.朝露の中、歩いていると(Wandl' ich in dem Morgentau)(ケラーによる「昔の調べ」No.4)
5.炭焼き女が酔っ払って(Das Köhlerweib ist trunken)(ケラーによる「昔の調べ」No.5)
6.明るい月が、なんと冷たく遠くに輝いていることか(Wie glanzt der helle Mond)(ケラーによる「昔の調べ」No.6)
7.ミニョンⅠ(Mignon I)(ゲーテ歌曲集)
8.ミニョンⅡ(Mignon II)(ゲーテ歌曲集)
9.ミニョンⅢ(Mignon III)(ゲーテ歌曲集)
10.ミニョン「あの国をご存知ですか」(Mignon (Kennst du das Land))(ゲーテ歌曲集)
11.フィリーネ(Philine)(ゲーテ歌曲集)
12.心変わりした娘(Die Bekehrte)(ゲーテ歌曲集)
13.つれない娘(Die Spröde)(ゲーテ歌曲集)
14.アナクレオンの墓(Anakreons Grab)(ゲーテ歌曲集)
15.響け、響け、私のパンデーロ(Klinge, klinge mein Pandero)(スペイン歌曲集)
16.私の巻き髪の陰で(In dem Schatten meiner Locken)(スペイン歌曲集)
17.あなたは一本の糸で(Du denkst mit einem Fädchen)(イタリア歌曲集)
18.もうどんなに長いこと待ち焦がれていたことでしょう(Wie lange schon)(イタリア歌曲集)
19.妖精の歌(Elfenlied)(メーリケ歌曲集)
20.捨てられた娘(Das verlassene Mägdelein)(メーリケ歌曲集)
21.あの季節だ(Er ist's)(メーリケ歌曲集)

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全く名前も演奏も知らない演奏家との出会いは不安と期待が入り混じる。
意欲的なヴォルフ歌曲の選曲を見て、とにかく聴いてみようと購入したところ、大正解だった!
この若手歌手の歌唱は、シュヴァルツコプフや白井光子の方向を引き継いでいるかのようだ。
声も魅力的なら技術も確か、そして深みのある表現力、これは大物の予感だ。
ブックレットの解説によれば、マレット・ヴィンガーはマティスやシュヴァルツコプフに師事し、F=ディースカウ、アーメリング、ギーベルのマスタークラスに参加したとある。
それを裏付けるような稀に見るほどの安定感である。
ケラー歌曲の諧謔も、ゲーテ歌曲の深刻さも、スペイン&イタリア歌曲での庶民の直接的な感情も、メーリケ歌曲の多様性も、全く見事に対応して歌っている。

先日聴いたキルヒシュラーガーの録音が素直に旋律美を聴かせていたのに対して、このヴィンガーはテキストと音楽にぐっと踏み込んでエキスを抽出したかのような歌唱である。「ミニョン」歌曲群を聴けば、両者の資質の違いは明らかである。

ピアニストのシュテフェン・ハルトマンも実に積極的な踏み込みで歌と拮抗している。
時に若さが顔をのぞかせることはあっても、決して作品を逸脱せずに果敢に立ち向かう姿勢は頼もしい。
テクニックも確かで、音色のパレットも豊かなので、ヴォルフの多彩な色合いを表現するのに不足しない。
今後が楽しみなピアニストである。

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ハイドン/怠惰礼賛

Lob der Faulheit, Hob. XXVIa no. 22
 怠惰礼賛

Faulheit, endlich muß ich dir
Auch ein kleines Loblied bringen! --
O!. . . Wie. . . sau -- er. . . wird es mir
Dich nach Würde zu besingen!
Doch ich will mein Bestes tun:
Nach der Arbeit ist gut ruhn.
 怠惰よ、ついに私はあなたに
 ささやかな賛歌を贈らねばなるまい!
 おお!...なんと...やっ...かい...なことか...
 威厳をもってあなたをたたえて歌うのは!
 だが私は最善を尽くしてみよう、
 仕事を終えた後の休息は格別なのだから。

Höchstes Gut, wer dich nur hat,
Dessen ungestörtes Leben. . .
Ach!. . . ich gähn!. . . ich. . . werde matt.
Nun, so magst du mir's vergeben,
Daß ich dich nicht singen kann:
Du verhinderst mich ja dran.
 最高の財産だ、あなたをただ持っている人は、
 その邪魔されない人生...
 ああ!...あくびが!...私は...疲れてきた。
 だから、許してほしい、
 私があなたのことを歌えないのを。
 だってあなたが、私が歌おうとするのを妨げているのだから。

詩:Gotthold Ephraim Lessing (1729-1781)
曲:Franz Joseph Haydn (1732-1809)

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レッシングの素敵な詩にハイドンがまたとびきり素敵な曲を付けています。

この詩の精神にのっとり、いつもの邪魔くさい解説はめんどう...くさ...い(笑)ので今回は省略!

仕事熱心な演奏家さんたちの録音もいっぱいありますが、皆さん、内心は「早く録音済ませて休みたいなぁ」なんて思っていたりして。

http://www.youtube.com/watch?v=tE2VYFLtVmw

↑こんな朗読聞いていたら、ますます更新をさぼりそうです(泣)

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ハイドン/誠実

Fidelity, Hob. XXVIa no. 30
 誠実

While hollow burst the rushing winds,
And heavy beats the show'r,
This anxious, aching bosom finds
No comfort in its pow'r.
 むなしく突風が起こり、
 激しくにわか雨が打ちつけるとき、
 この不安に痛む胸は
 その力の中に慰めを見出しません。

For ah, my love, it little knows
What thy hard fate may be,
What bitter storm of fortune blows,
What tempests trouble thee.
 というのは、ああ、わが愛する方、この胸はほとんど知らないのです、
 あなたの辛い運命がいかなるものなのか、
 どれほど辛い運命の嵐が吹きつけているのか、
 どんな暴風雨があなたを苦しめているのかを。

A wayward fate hath spun the thread
On which our days depend,
And darkling in the checker'd shade,
She draws it to an end.
 気まぐれな運命の女神が糸を紡いでおり、
 私たちの日々はその糸に依存しています。
 格子模様の影の中の暗闇で
 彼女は最後までその糸を引き寄せるのです。

But whatsoe'er may be our doom,
The lot is cast for me,
For in the world or in the tomb,
My heart is fix'd on thee.
 しかし、私たちの悲運がいかなるものであれ、
 宿命が私のために与えられているのです。
 というのは、この世であろうと墓の中であろうと
 私の心はあなたとともにあるのですから。

詩:Anne Hunter (née Home: 1742-1821)
曲:Franz Joseph Haydn (1732-1809)

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アン・ハンターの英語詩による「6つのオリジナル・カンツォネッタ 第1集」の最後に置かれた曲。

愛し合う二人の間に嵐のような辛い運命がふりかかるが、二人は常に一緒にいる運命なのですと“誠実”に力強く宣言する。
第3節第4行の"she"というのはおそらく「運命の女神」を指しているのではないかと思われる。
ギリシャ神話では「モイライ」という運命の女神三姉妹がいて、そのうちの一人が運命の糸の長さを割り当て、二人目が糸を紡ぎ、残りの一人が決められた長さで糸を切ったという(Wikipediaの記述による)。

ハイドンの歌曲の中でもとりわけドラマティックな作品で、劇的なピアノ曲に歌が付いたような印象。
ピアノ前奏から、テキスト第1節の嵐を先取りしたような激しいパッセージが上下にうねる。
歌も通作形式で書かれており、最終節はテキストが何度も繰り返され、規模が拡大されている。
曲はヘ短調で始まるが、ヘ長調で終わる。

2分の2拍子(アラ・ブレーヴェ記号)、Allegretto、ヘ短調。
最高音2点ヘ音、最低音1点ハ音。
全121小節。

アーメリング(S)デームス(P):PHILIPS:1980年録音:アーメリングは力強い歌声を聞かせ、クライマックスのフェルマータで華麗な装飾を付加して曲を彩っている。デームスのピアノもよく歌っている。

ミルン(S)ヴィニョールズ(P):Hyperion:2001年録音:芯のある声で運命に立ち向かう気持ちをドラマティックに表現している。ミルンは全く装飾を加えない。ヴィニョールズはここではやや控え目。

ホルツマイア(BR)クーパー(P):PHILIPS:1997年録音:クーパーのピアノは古典派の枠を飛び出てロマンティック。ホルツマイアもドラマを盛り込もうとしている。最後に控えめに装飾を加えている。

F=ディースカウ(BR)ムーア(P):EMI(ODEON):1959年録音:まるで4分の4拍子であるかのような遅めのテンポだが、歌、ピアノともに説得力のあるうまさを感じる。ただ、最終節のテキストの繰り返しを何故か一部省略しており、歌われない旋律があるのは、そのような版があるということだろうか。F=ディースカウは全く装飾を加えずに歌っている。

以下のHyperionレーベルのサイトを開き、Detailsの下にある音符のマークをクリックすると最初の数秒が試聴できます(ミルン&ヴィニョールズの演奏)。

http://www.hyperion-records.co.uk/tw.asp?w=W6835

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キルヒシュラーガー&ドイチュ/ヴォルフ歌曲集

ヴォルフ歌曲集(HUGO WOLF / SONGS)
Kirchschlager_deutsch_wolfSONY CLASSICAL: 88697391892
録音:2003年8月26-29日, Casino Baumgartner, Vienna

アンゲーリカ・キルヒシュラーガー(Angelika Kirchschlager)(MS)
ヘルムート・ドイチュ(Helmut Deutsch)(P)

ヴォルフ(1860-1903)作曲
1.アナクレオンの墓(ゲーテ歌曲集)
2.娘の初恋の歌(メーリケ歌曲集)
3.少年とみつばち(メーリケ歌曲集)
4.夜明け前のひととき(メーリケ歌曲集)
5.飽くことのない愛(メーリケ歌曲集)
6.捨てられた娘(メーリケ歌曲集)
7.出会い(メーリケ歌曲集)
8.ミニョンⅠ(ゲーテ歌曲集)
9.ミニョンⅡ(ゲーテ歌曲集)
10.ミニョンⅢ(ゲーテ歌曲集)
11.ミニョンの歌(ゲーテ歌曲集)
12.ジプシー娘(アイヒェンドルフ歌曲集)
13.災難(アイヒェンドルフ歌曲集)
14.夜の魔力(アイヒェンドルフ歌曲集)
15.眠られぬ者の太陽(「ハイネ、シェイクスピア、バイロン歌曲集」よりバイロン歌曲)
16.あらゆる美女もかなわない(「ハイネ、シェイクスピア、バイロン歌曲集」よりバイロン歌曲)
17.隠遁(メーリケ歌曲集)
18.春に(メーリケ歌曲集)
19.さようなら(メーリケ歌曲集)
20.考えてもみよ、おお心よ(メーリケ歌曲集)
21.旅路で(メーリケ歌曲集)
22.お入り、立派な兵隊さん(ケラーによる「昔の調べ」No.1)
23.愛する人がアトリのように歌うというのなら(ケラーによる「昔の調べ」No.2)
24.ねえ、青っぽい坊や(ケラーによる「昔の調べ」No.3)
25.朝露の中、歩いていると(ケラーによる「昔の調べ」No.4)
26.炭焼き女が酔っ払って(ケラーによる「昔の調べ」No.5)
27.明るい月が、なんと冷たく遠くに輝いていることか(ケラーによる「昔の調べ」No.6)

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以前に書籍にCDが付いた形でフランスで出版されたものと同一音源が最近純粋なCDパッケージで再発売された。
書籍の時は若干値段が高めだったこともあり、購入を見合わせていたのだが、今回通常の価格で再発されたことを喜びたい。
録音も今から6年も前に録音されたものだが、その分歌手の若々しい美声を堪能でき、今や重鎮のドイチュの名人芸も味わえる。

オーストリアのサルツブルク出身のメゾソプラノ歌手、キルヒシュラーガーの声は明るくて美しい。
ソプラノと間違えそうな透き通った清澄な美声で、作為もなく素直に明晰に歌を紡いでいく。
低声よりもむしろ高声が魅力的だ。
ヴォルフの歌曲に難解さを感じる向きには格好の入門となるのでないか。
ドイツ語は舞台発音と日常発音の折衷のように聞こえる。
"r"もあまり巻き舌を強調することはなく、母音化することが多い印象だ。
一方、声が軽めで、あまり声色に深さを加えようともしないため、「ミニョン」歌曲群や「捨てられた娘」などの深刻な表情が求められる作品では、聴き手の心を動かすまでには至らない感も残る。
とはいえ、訓練され、コントロールの行き届いた声と音楽はやはり素晴らしく、ヴォルフの曲を楽しく聴くには問題ない。
「ジプシー娘」や「眠られぬ者の太陽」など、往年のシュヴァルツコプフのような濃密な表情を期待してしまうと肩すかしをくらうほどあっさりしているが、これはこれで現代風の解釈として新鮮であり、そろそろシュヴァルツコプフの呪縛から聴き手も解き放たれるべきなのかもしれない。
「隠遁」のような旋律美がまさった素直な作品ではキルヒシュラーガーの美質が発揮されて素晴らしい。
今ならおそらくもっと成熟を求められるかもしれないが、6年前の30代後半の美声と若々しい表現は確かに貴重な記録である。

ドイチュは持てる音色、テクニック、音楽性、テンポ感覚、バランス感覚、詩の読解力の限りを尽くして、個々の全く異なる作品から見事なまでに魅力を惹き出す。
このピアノの多彩さと豊かでデリケートな響きは時に歌声以上に耳をそばだたせる。
ただただ素晴らしいの一言に尽きる。

選曲もさまざまな歌曲集から満遍なく名曲が集められており、珍しいケラーの詩による「昔の調べ」が全曲聴けるのも貴重である。
昨日3月13日はヴォルフの149回目の誕生日であった。
キルヒシュラーガーのストレートな美声と、ドイチュの練達の至芸で、ヴォルフの多彩な作品を聴くのも楽しいのではないか。

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プレガルディエン&ゲース/〈歌曲(リート)の森〉第3篇(2009年3月5日 トッパンホール)

〈歌曲(リート)の森〉~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第3篇
2009年3月5日(木) 19:00開演 トッパンホール(D列6番)

クリストフ・プレガルディエン(Christoph Prégardien)(T)
ミヒャエル・ゲース(Michael Gees)(P)

ハインリヒ・ハイネの詩による歌曲

シューマン作曲
1.海辺の夕暮れ Op.45-3
2.憎悪しあう兄弟 Op.49-2
3.きみの顔 Op.127-2
4.きみの頬を寄せたまえ Op.142-2
5.二人の擲弾兵 Op.49-1
6.ぼくの愛はかがやき渡る Op.127-3
7.ぼくの馬車はゆっくりと行く Op.142-4

シューベルト作曲
歌曲集《白鳥の歌》D957より
8.漁夫の娘
9.海辺で
10.都会
11.影法師
12.彼女の絵姿
13.アトラス

~休憩~

シューマン作曲
歌曲集《詩人の恋》 Op.48
14.うるわしい、妙なる5月に
15.ぼくの涙はあふれ出て
16.ばらや、百合や、鳩
17.ぼくがきみの瞳を見つめると
18.ぼくの心をひそめてみたい
19.ラインの聖なる流れの
20.ぼくは恨みはしない
21.花が、小さな花がわかってくれるなら
22.あれはフルートとヴァイオリンのひびきだ
23.かつて愛する人のうたってくれた
24.ある若ものが娘に恋をした
25.まばゆく明るい夏の朝に
26.ぼくは夢のなかで泣きぬれた
27.夜ごとにぼくはきみを夢に見る
28.むかしむかしの童話のなかから
29.むかしの、いまわしい歌草を

~アンコール~
1.シューマン/「リーダークライス」Op.24~第9曲「ミルテとばらで」
2.シューマン/「リーダークライス」Op.24~第3曲「ぼくは木々の下をさまよう」

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トッパンホール主催による〈歌曲(リート)の森〉~詩と音楽 Gedichte und Musik~もいよいよ最終回である。
パドモア&クーパーによる「冬の旅」、ボストリッジ&ドレイクによるシューマン&ブラームスに続いて、今回はクリストフ・プレガルディエンとミヒャエル・ゲースによるハイネの詩に焦点を絞った歌曲集である。

かつてF=ディースカウは前半にシューベルトの「白鳥の歌」の中からハイネの詩による6曲、そして後半にシューマンの同じくハイネの詩による「詩人の恋」を歌って、一夜のプログラムを組んでいた。
ザルツブルクでのムーアとのライヴ録音は現在も輸入盤で入手可能であろう。

今回のプレガルディエンとゲースによるハイネ歌曲集ではF=ディースカウのプログラムに、さらにシューマンの単独のハイネ歌曲7曲を追加するというボリュームの多いプログラムを披露した。
この7曲のうち4曲(Op.127とOp.142)はもともと「詩人の恋」に含める予定で作曲されたものである。

私にとってプレガルディエンを生で聴くのは今回が2度目である。
1度目はもう15年以上も前にオーストリアのフェルトキルヒでシューベルティアーデを聴いた時。
シューベルトの重唱曲をバンゼ、ツィーザク、ファスベンダー、ベーア、A.シュミットらと共に歌った楽しいコンサートだった(指揮者のような身振りで歌手たちを統率していた姿が今でも目に焼きついている)。
しかし、これまでプレガルディエンのソロ・リサイタルは一度も聴いたことがなく、今回がはじめてだった。

すでに白髪混じりの頭で登場したプレガルディエンは以前よりも恰幅がよくなった印象である。
若い頃の録音では端正だが単色な印象を受けることが多かったが、今回実際の歌唱を聴いて、声は多彩さを増し、語り口はもはや名人芸的な域に達し、血肉となった自在な表現を聴いて感銘を受けた。
高音は若干厳しくなりつつあるようで、飛びつくように音をとらえ、力みが感じられることもあったが、一方低音域ではテノールとは思えないほど充実した響きを出していた。
ドイツ語の発音の美しさはやはりネイティヴの強みだろう。
弛緩することなく快適なテンポで語るように歌う。
端正な良さはそのままに味わいを増した歌で、シューベルト最晩年の深みも、シューマンのロマンも魅力的に聴かせてくれた。
内面的な歌もドラマティックな歌も安心して身を委ねて聴いていられた。

ピアニストのミヒャエル・ゲースは、長髪を後ろで束ね、衣装の着こなしといい、愛嬌のあるステージマナーといい、どことなくチョコレート工場の有名俳優みたいな雰囲気である(容姿ではなく雰囲気です)。
ジャズもこなすというこのピアニストは演奏中も首を横に振ったり、スウィンギーなノリを見せ、純然たるクラシックピアニストとはどこか異なる印象だ。
積極的な音楽への姿勢は充分感じるものの、音の濁りも辞さず、アルペッジョを多用した崩し方は時にやり過ぎと感じられた。
とはいえ、「詩人の恋」の第1曲のアンニュイな演奏など美しい響きを聞かせる場面もあった。
ドラマティックな「アトラス」は実演で聴くと歌手への配慮からか控えめなピアノを聴くことが多いが、ゲースの雄弁な演奏は久しぶりに曲の立体感を見事に表現していたと感じた(中間部のアクセントが無視されていたのは残念だったが)。
概してゲースは演奏の性質上、シューベルトよりもシューマンがより合っていたようだ。

円熟して表現力を増したプレガルディエンの歌唱をたっぷり堪能した一夜だった。

Pregardien_gees_200903_chirashi

←コンサートのちらし

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ゲルハーヘル?ゲルハーエル?それとも・・・

3月6日の早朝5時5分(現地時間の5日21時5分)からドイツのネットラジオ局Deutschlandfunkで、バリトンのChristian GerhaherとピアニストGerold Huberによる昨年のシューマン・コンサートの模様が放送された。
今が旬の演奏家であり、その演奏をじっくり聴きたいという気持ちはあるが、朝5時に起きるのはなかなか辛い。
コンサートを聴くという目的だけなら断念したかもしれない。
しかし、今回はどうしても聴き逃したくなかった。
なぜなら、ドイツのアナウンサーはこのバリトン歌手の姓"Gerhaher"をどのように発音するのか知りたかったからだ。

日本での表記は「ゲルハーヘル」「ゲルハーエル」など定まっておらず、両方の表記が混在している状況だった。

さて、実際どうだったかであるが、アナウンサーから聞こえてきた発音は「ゲアハーアー」であった。
途中でピアニストのゲロルト・フーバーの話もあり、彼も「ゲアハーアー」と言っていたから間違いないであろう。

長年の疑問が解決されてすっきりした早朝であった(日常語の発音と舞台などでの発音は違うので「ゲルハーエル」という表記も間違いとはいえないだろう)。

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ちなみにラジオで放送された曲目などのデータは以下のとおり。

シューマン作曲

「ミルテ」Op.25より(自由な心/はすの花/ここではそっと漕いでおくれ/広場に夕風が吹き渡ると/あなたは花のよう/東方のばらより)

「詩人の恋」Op.48(全16曲)

「5つの歌」Op.40(においすみれ/母の夢/兵士/楽師/ばれてしまった恋)

哀れなペーターOp.53-3

「ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスター」による歌」Op.98aより(涙を流しながらパンを食べたことのない者/孤独にひたっている者/戸口に忍び寄り)

メランコリーOp.74-6

心の奥深くに苦悩を抱えOp.138-2

隠遁者Op.83-3

悲しみOp.39-9(アンコール曲)

クリスティアン・ゲアハーアー(BR)
ゲロルト・フーバー(P)

ライヴ録音:2008年7月5日, Ordenssaal des Residenzschlosses Ludwigsburg

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藤村実穂子&ヴィニョールズ/リーダー・アーベント~ドイツ・ロマン派の心をうたう~(2009年3月3日 紀尾井ホール)

紀尾井の室内楽vol.14
Fujimura_vignoles_090303藤村実穂子 リーダー・アーベント~ドイツ・ロマン派の心をうたう~
2009年3月3日(火)19時 紀尾井ホール(1階2列7番)

藤村実穂子(Mihoko Fujimura)(MS)
ロジャー・ヴィニョールズ(Roger Vignoles)(P)

シューベルト作曲
1.泉に寄せてD530
2.春にD882
3.ギリシャの神々D677b
4.泉のほとりの若者D300
5.春の想いD686b
 
ワーグナー作曲
《ヴェーゼンドンク歌曲集》
6.天使
7.止まれ!
8.温室で
9.痛み
10.夢

~休憩~
 
R.シュトラウス作曲
11.私の想いのすべてOp.21-1
12.君は心の冠Op.21-2
13.ダリアOp.10-4
14.私の心は黙り、冷たいOp.19-6
15.二人の秘密をなぜ隠すのOp.19-4
 
マーラー作曲
《リュッケルトの5つの歌》
16.あなたが美しさゆえに愛するなら
17.私の歌を見ないで
18.私は優しい香りを吸い込んだ
19.真夜中に
20.私はこの世から姿を消した

~アンコール~
1.シューベルト/夕映えの中でD799
2.R.シュトラウス/明日Op.27-4

(上記の日本語表記はアンコール曲を除き、プログラム冊子に従いました)

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なんと心地よい声なのだろう。
藤村実穂子の歌うリートの数々をはじめて聴いて、その癖のないすっきりした発声、ヴァーグナー歌手らしからぬ内面的な慎ましさ、そしてどの音域にいたるまでまろやかに練り上げられた美声にすっかり魅せられてしまった。
アルトではなくメゾソプラノなので重くなく、ソプラノに深みが加わったような声で、聴いていて本当に気持ちよい声である。
高声では響きが渋い光沢に輝く。
徒に声を張り上げたりせず、豊かな響きを徹底して追求しているように感じた。
初リサイタル・ツアーというのが信じがたいほど、どの作品も自分のものにしていて、危なげがない。
多忙なオペラ、コンサート出演の続く中、一体いつリートを勉強しているのだろうか。

登場した藤村は予想に反して小柄な女性であった。
しかし、その音楽は威厳に満ち、気品にあふれ、堂々たるオーラを発散していた。

正直なところ、ヴァーグナーを得意とする歌手たちの歌うリートは、強靭で大柄な声のパワーでメロディーを朗々と響かせる作品で魅力を発揮する一方、レパートリーは限定されているような印象を抱いていた。

しかし、今回の藤村が最初に歌ったシューベルトの5曲は、いずれも声の威力で圧倒する作品は含まれていない。
むしろ恋人へのひそやかな思いを繊細に歌った作品がほとんどである(当初予定されていた「ガニュメート」「ズライカ」が曲目変更されたのも彼女なりの選曲のこだわりゆえだろう)。
それらをなんの違和感もなく、各曲のサイズに合った表情で歌うのは、一般のリート歌手でもそうたやすいことではないだろう。
藤村はミニアチュールの鑑のような「泉のほとりの若者」において"Pappeln"(ポプラ)という言葉をなんとも愛らしく響かせた。
また「ギリシャの神々」では遠き時代への憧憬を繊細な光沢をもって表現した。
ヴァーグナー歌手にとって一番意外性のある選曲を最初にもってきて、見事なまでに歌いこなしてしまうこの歌手の並外れた能力と志の高さにすっかり驚嘆してしまった。

ヴァーグナーの「ヴェーゼンドンク歌曲集」やR.シュトラウスなどは、多くのヴァーグナー歌手たちがしばしばレパートリーにしているので、藤村にとっても本領発揮といったところだろうか。
しかし「ヴェーゼンドンク歌曲集」が今回ほど「リート」として響いたのは私にとってはじめての経験である。
「トリスタン」との関連からか巨大すぎる歌にまみれた過去の演奏からリートとしての繊細さを取り戻した藤村の歌唱だった。

休憩後のR.シュトラウスの第一声が歌われると、前半よりもずっと声が豊かに響くのを感じる。
声が充分に温まってきたのだろう。
ここでもヴァーグナー歌手が好みがちな「ツェツィーリエ」や「ひそやかな誘い」などは選曲されず、むしろ軽快で穏やかな表情をもった小品が選ばれていたのが興味深い。
「私の想いのすべて」などはユーモラスな表情さえ見せる。
その持ち駒の幅広さを存分に楽しめた選曲と歌唱であった。

最後の「リュッケルト歌曲集」は音数の少ない凝縮された世界がユニークだが、それゆえにただ旋律をなぞるだけでは表現し尽せない難曲である。
この曲集を選曲した時点で並々ならぬ意欲が伝わってくるが、藤村の歌唱はこれらの曲の趣を巧まずに表現するという境地に達していた。
最後に置かれた「私はこの世から姿を消した」は、世の喧騒から離れて諦念の境地に達した者の心境を歌うという難しい内容だが、表情をもった声で感動的に表現していた。

熱烈な拍手の嵐にこたえて歌われたアンコールも素敵だった。
やや早めながら自然への賛歌をスタイリッシュに歌った「夕映えの中で」、そして動きの少ない旋律で静謐感を見事に表現した「明日」、いずれも彼女の知的なコントロールと感情表現とのバランスの良さが光っていた。

彼女は前半をちらしの写真のような紫のドレス、後半をシックな赤いドレスに着替えて歌っていた。
舞台からはける時も常に顔を客席に向けて拍手にこたえていたのが印象的だった。
ヴィニョールズと手をとって拍手にこたえた後も手をつないだまま袖に引っ込み、また、拍手喝采にこたえて再登場する時も手をつないで登場したりするのは、歌劇場でのカーテンコールの流儀だろうか。
全曲彼女が日本語訳したものがプログラム冊子と共に配布されたのも、彼女の解釈を知るうえで興味深かった。

ロジャー・ヴィニョールズは録音などではすでにお馴染みのイギリスを代表する歌曲ピアニストだが、実演ではもう10年以上前だろうか、シュテファン・ゲンツとシューベルトを歌ったコンサートで聴いて以来、本当に久しぶりだった。
彼のピアノはテクニックや雄弁さで聴かせるタイプというよりは、曲の雰囲気づくりの上手さにその美質があるように思う。
どんな曲も彼が前奏を弾き始めると、すぐにその作品の世界が広がり、その空気の中で歌手が自由に表現することが出来るのである。
この日のヴィニョールズも各曲の異なる世界を見事に弾き分け、歌手を心地よく歌わせていた。
徒にルバートをかけることもなく快適なテンポを維持しながらがっしりした指で豊かな音を紡いでいた。
テクニックを聴かせようという気負いがない分、素直に作品に溶け込んでいるのではないだろうか。
蓋は全開だったが、歌を覆うことの全くない見事なまでのコントロールであった。
シュトラウス「明日」の美しいメロディーなどはヴィニョールズの歌心が滲み出た名演であった。

初リサイタルにしてこれほど完成度の高い歌唱を聞かせた藤村のさらなる表現の深化を今から楽しみにしたい。
ヴィニョールズのようにイギリス人から優れた歌曲ピアニストが多く輩出されるという事実も非常に興味深いことである。

このコンサートはNHKのTVカメラが入っていて、4月に放送されるようである。

終演後、会場から四谷駅へ向かう帰り道、ライトに照らされた雪の美しかったこと。

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ブリュッヘン&新日本フィル/ハイドン「ロンドン・セット」第4回(2009年2月28日 すみだトリフォニーホール)

フランス・ブリュッヘン・プロデュース
Bruggen_haydn_2009HAYDN PROJECT
「ロンドン・セット」全曲演奏会 第4回

2009年2月28日(土)15:00開演 すみだトリフォニーホール(1階6列3番)

新日本フィルハーモニー交響楽団(New Japan Philharmonic)
フランス・ブリュッヘン(Frans Brüggen)(C)

ハイドン(Franz Joseph Haydn: 1732-1809)作曲

交響曲第102番変ロ長調Hob.I-102
 I.  Largo - Vivace
 II. Adagio
 III.Menuetto: Allegro
 IV. Finale: Presto

交響曲第103番変ホ長調「太鼓連打」Hob.I-103
 I.  Adagio - Allegro con spirito
 II. Andante più tosto Allegretto
 III.Menuetto
 IV. Finale: Allegro con spirito

~休憩~

交響曲第104番ニ長調「ロンドン」Hob.I-104
 I.  Adagio - Allegro
 II. Andante
 III.Menuetto: Allegro
 IV. Finale: Spiritoso

~アンコール~
交響曲第104番ニ長調「ロンドン」~第4楽章

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ハイドン没後200年を記念したブリュッヘンのプロデュースによる新日本フィル・ハイドン・プロジェクトの最終回を当日券で聴いてきた。
第3回は右寄りの席だったが、今回は左端の席。
従って、第1ヴァイオリンやコントラバス奏者がよく見える一方、ブリュッヘンの指揮姿は若干見にくい位置だった。

今回は「ロンドン・セット」の最後であると同時に、ハイドン最後の交響曲でもある3曲が演奏された。

ブリュッヘンはいすに腰掛けて(すでに74歳という高齢だそうだ)最低限の動きで指揮をしていたように見えたが、充分に練習を積んだ楽団員を信用しているように感じた。
たまに不揃いに感じられる箇所もあったが、気になるほどではなく、奏者たちの熱意が伝わってくる積極的な演奏だったと思う。
ノンビブラートの清潔感のある響きも心地よかった。

最初に演奏された第102番は第1楽章序奏での弦の繊細なハーモニーが美しい。静と動、明と暗が交錯する充実した楽章であった。
終楽章のたたみかけるような細かな動きは気持ちを高揚させる。
ほかの2曲と違い、この曲ではクラリネットが使われていなかった。

第103番に付けられている「太鼓連打」というニックネームは那須田務氏のプログラムノートによると冒頭のティンパニのトレモロに由来するようで、今回のティンパニ奏者は装飾を加えていたようだ。
民族色の濃厚さゆえに親しみやすい音楽になっていたと感じた。

ハイドン最後の交響曲となった第104番は第1楽章冒頭の暗く重々しい序奏が主部の明るい主題と好対照をなしていてハイドンにもこんな深刻な表情があるのかと気付かされた。
ケルト風(?)舞曲調の最終楽章が聴いていて楽しく、アンコールでも再び演奏され喝采を浴びていた。

ただ素朴で明るく軽快なだけでないハイドンの多彩な側面を今回も知ることが出来て、とても充実した時間を過ごせた。
これだけハイドンばかりをコンサート会場で集中して聴く機会はなかなかないであろう。
今回の一連の企画と演奏の成功に心から拍手を贈りたいと思う。

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