藤村実穂子&ヴィニョールズ/リーダー・アーベント~ドイツ・ロマン派の心をうたう~(2009年3月3日 紀尾井ホール)
紀尾井の室内楽vol.14藤村実穂子 リーダー・アーベント~ドイツ・ロマン派の心をうたう~
2009年3月3日(火)19時 紀尾井ホール(1階2列7番)
藤村実穂子(Mihoko Fujimura)(MS)
ロジャー・ヴィニョールズ(Roger Vignoles)(P)
シューベルト作曲
1.泉に寄せてD530
2.春にD882
3.ギリシャの神々D677b
4.泉のほとりの若者D300
5.春の想いD686b
ワーグナー作曲
《ヴェーゼンドンク歌曲集》
6.天使
7.止まれ!
8.温室で
9.痛み
10.夢
~休憩~
R.シュトラウス作曲
11.私の想いのすべてOp.21-1
12.君は心の冠Op.21-2
13.ダリアOp.10-4
14.私の心は黙り、冷たいOp.19-6
15.二人の秘密をなぜ隠すのOp.19-4
マーラー作曲
《リュッケルトの5つの歌》
16.あなたが美しさゆえに愛するなら
17.私の歌を見ないで
18.私は優しい香りを吸い込んだ
19.真夜中に
20.私はこの世から姿を消した
~アンコール~
1.シューベルト/夕映えの中でD799
2.R.シュトラウス/明日Op.27-4
(上記の日本語表記はアンコール曲を除き、プログラム冊子に従いました)
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なんと心地よい声なのだろう。
藤村実穂子の歌うリートの数々をはじめて聴いて、その癖のないすっきりした発声、ヴァーグナー歌手らしからぬ内面的な慎ましさ、そしてどの音域にいたるまでまろやかに練り上げられた美声にすっかり魅せられてしまった。
アルトではなくメゾソプラノなので重くなく、ソプラノに深みが加わったような声で、聴いていて本当に気持ちよい声である。
高声では響きが渋い光沢に輝く。
徒に声を張り上げたりせず、豊かな響きを徹底して追求しているように感じた。
初リサイタル・ツアーというのが信じがたいほど、どの作品も自分のものにしていて、危なげがない。
多忙なオペラ、コンサート出演の続く中、一体いつリートを勉強しているのだろうか。
登場した藤村は予想に反して小柄な女性であった。
しかし、その音楽は威厳に満ち、気品にあふれ、堂々たるオーラを発散していた。
正直なところ、ヴァーグナーを得意とする歌手たちの歌うリートは、強靭で大柄な声のパワーでメロディーを朗々と響かせる作品で魅力を発揮する一方、レパートリーは限定されているような印象を抱いていた。
しかし、今回の藤村が最初に歌ったシューベルトの5曲は、いずれも声の威力で圧倒する作品は含まれていない。
むしろ恋人へのひそやかな思いを繊細に歌った作品がほとんどである(当初予定されていた「ガニュメート」「ズライカ」が曲目変更されたのも彼女なりの選曲のこだわりゆえだろう)。
それらをなんの違和感もなく、各曲のサイズに合った表情で歌うのは、一般のリート歌手でもそうたやすいことではないだろう。
藤村はミニアチュールの鑑のような「泉のほとりの若者」において"Pappeln"(ポプラ)という言葉をなんとも愛らしく響かせた。
また「ギリシャの神々」では遠き時代への憧憬を繊細な光沢をもって表現した。
ヴァーグナー歌手にとって一番意外性のある選曲を最初にもってきて、見事なまでに歌いこなしてしまうこの歌手の並外れた能力と志の高さにすっかり驚嘆してしまった。
ヴァーグナーの「ヴェーゼンドンク歌曲集」やR.シュトラウスなどは、多くのヴァーグナー歌手たちがしばしばレパートリーにしているので、藤村にとっても本領発揮といったところだろうか。
しかし「ヴェーゼンドンク歌曲集」が今回ほど「リート」として響いたのは私にとってはじめての経験である。
「トリスタン」との関連からか巨大すぎる歌にまみれた過去の演奏からリートとしての繊細さを取り戻した藤村の歌唱だった。
休憩後のR.シュトラウスの第一声が歌われると、前半よりもずっと声が豊かに響くのを感じる。
声が充分に温まってきたのだろう。
ここでもヴァーグナー歌手が好みがちな「ツェツィーリエ」や「ひそやかな誘い」などは選曲されず、むしろ軽快で穏やかな表情をもった小品が選ばれていたのが興味深い。
「私の想いのすべて」などはユーモラスな表情さえ見せる。
その持ち駒の幅広さを存分に楽しめた選曲と歌唱であった。
最後の「リュッケルト歌曲集」は音数の少ない凝縮された世界がユニークだが、それゆえにただ旋律をなぞるだけでは表現し尽せない難曲である。
この曲集を選曲した時点で並々ならぬ意欲が伝わってくるが、藤村の歌唱はこれらの曲の趣を巧まずに表現するという境地に達していた。
最後に置かれた「私はこの世から姿を消した」は、世の喧騒から離れて諦念の境地に達した者の心境を歌うという難しい内容だが、表情をもった声で感動的に表現していた。
熱烈な拍手の嵐にこたえて歌われたアンコールも素敵だった。
やや早めながら自然への賛歌をスタイリッシュに歌った「夕映えの中で」、そして動きの少ない旋律で静謐感を見事に表現した「明日」、いずれも彼女の知的なコントロールと感情表現とのバランスの良さが光っていた。
彼女は前半をちらしの写真のような紫のドレス、後半をシックな赤いドレスに着替えて歌っていた。
舞台からはける時も常に顔を客席に向けて拍手にこたえていたのが印象的だった。
ヴィニョールズと手をとって拍手にこたえた後も手をつないだまま袖に引っ込み、また、拍手喝采にこたえて再登場する時も手をつないで登場したりするのは、歌劇場でのカーテンコールの流儀だろうか。
全曲彼女が日本語訳したものがプログラム冊子と共に配布されたのも、彼女の解釈を知るうえで興味深かった。
ロジャー・ヴィニョールズは録音などではすでにお馴染みのイギリスを代表する歌曲ピアニストだが、実演ではもう10年以上前だろうか、シュテファン・ゲンツとシューベルトを歌ったコンサートで聴いて以来、本当に久しぶりだった。
彼のピアノはテクニックや雄弁さで聴かせるタイプというよりは、曲の雰囲気づくりの上手さにその美質があるように思う。
どんな曲も彼が前奏を弾き始めると、すぐにその作品の世界が広がり、その空気の中で歌手が自由に表現することが出来るのである。
この日のヴィニョールズも各曲の異なる世界を見事に弾き分け、歌手を心地よく歌わせていた。
徒にルバートをかけることもなく快適なテンポを維持しながらがっしりした指で豊かな音を紡いでいた。
テクニックを聴かせようという気負いがない分、素直に作品に溶け込んでいるのではないだろうか。
蓋は全開だったが、歌を覆うことの全くない見事なまでのコントロールであった。
シュトラウス「明日」の美しいメロディーなどはヴィニョールズの歌心が滲み出た名演であった。
初リサイタルにしてこれほど完成度の高い歌唱を聞かせた藤村のさらなる表現の深化を今から楽しみにしたい。
ヴィニョールズのようにイギリス人から優れた歌曲ピアニストが多く輩出されるという事実も非常に興味深いことである。
このコンサートはNHKのTVカメラが入っていて、4月に放送されるようである。
終演後、会場から四谷駅へ向かう帰り道、ライトに照らされた雪の美しかったこと。
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コメント
フランツさん、今晩は!
私は3月1日、別会場での藤村美穂子を聴いて、すっかり、魅せられてしまったのですが、3日の紀尾井ホールも同じプログラムだと知り、フランツさんがどんな感想を持たれるかと、とても楽しみでした。
更に、いい演奏会だったようですね。
さすがフランツさん、一曲一曲丁寧に、良く踏み込んで聴いていらっしゃって、大変共感しました。
ピアノも素晴らしかったですし、ステージマナーも、好感が持てました。
また機会があったら、是非聴きたいと思わせるような演奏会でした。
1日の公演は、マチネーだったので、終わったのが、午後5時近く。
西に向かう駅までの道の真上に、幻みたいな青い太陽が見えて、めまいを起こしそうな、不思議な気持ちになりました。
投稿: Clara | 2009年3月 5日 (木曜日) 23時15分
Claraさん、こんばんは。
早速のコメントを有難うございます!
所沢でのコンサートが素晴らしかったと伺い、この日のコンサートを楽しみにしていました。
実際に聴いた藤村さんは、小柄な体から実に訓練された声が響いていて、とても気持ちのいい歌でした。
今後もオペラと並行してリートを歌い続けて、さらなる深みを目指してほしいと期待したい気持ちでいっぱいです。
ヴィニョールズのピアノもどこまでも行き届いた素敵な演奏でしたね。
私が会場をあとにした時には雪が降っていたのですが、Claraさんの時は太陽の不思議な光が見えたそうですね。「幻の太陽」でしょうか。自然の織り成す神秘ははかりしれないですね。
投稿: フランツ | 2009年3月 5日 (木曜日) 23時58分
藤村実穂子のことは当方のブログでも触れたことがあり、ぜひリサイタルに行きたかったのですが、都合がつかず、行けませんでした。きっと、すばらしいリサイタルであったことでしょう!
投稿: anator | 2009年3月 6日 (金曜日) 00時52分
anatorさん、おはようございます。
はじめて藤村さんを聴いたのですが、彼女はとてもリートに向いていると感じました。
今回の好評を受けて、きっとまたリサイタルを開いてくれるのではないでしょうか。
NHKで来月放映されるようですのでぜひお聴きになってみてください。
ブログの記事も週末に拝見したいと思います。
投稿: フランツ | 2009年3月 6日 (金曜日) 07時12分
フランツさん、今晩は!
今ごろになってですが、藤村実穂子さんの名前、最初に美穂子と間違って入力したまま、気づかずにおりました。
自分のブログでも、そう書いてあったのを、たまたま読み直して気づいた次第です。折角感動して聴いたのに、歌手の名前を間違えてはイケマセンでしたね。外国人の場合は、日本語表記が、複数あっても仕方がないのですが、日本人の場合は、漢字の間違いは、とても失礼なことですよね。
不注意でした。訂正させて戴きます。
投稿: Clara | 2009年3月15日 (日曜日) 01時09分
Claraさん、こんばんは!
日本人の名前は同じ読みでも漢字が何種類もあって難しいですね。
私も自分のブログで間違いに気付くとこっそり直したりしています。
もしご本人が読んでおられたとしたら、Claraさんの誠意は充分伝わったと思いますよ。
投稿: フランツ | 2009年3月15日 (日曜日) 02時41分
フランツさん!
以前から、Taubenpost FranzさんのBlogを読ませていただきながら、その含蓄の深さ、またプロと思われるふしのある音楽にたいする理解の深さに、感嘆の思いです。Haydnの歌曲の訳も参考にさせていただきました。藤村さんがまだ、芸大の学生のときに、原田先生のクラスでの歌曲の演奏会を聞かせていただいたとき、声に癖がなく、やわらかく伸びる声で、この方はこれから、もっと成長なさるだろうと思い、楽屋に見ず知らずなのに会いに行きました。その後、ラジオなどで彼女の演奏会の録音を聞かせていただきましたが、残念ながら、まだ、舞台に接していません。彼女のことが気になっていて、オフィシャルのホームページを拝見させていただきましたが、歌手人生にすべてをかけて生きていらっしゃるのが良くわかりました。歌曲の深みにはまりたい私ですが、今だに、その戸口でうろうろしています。今年のNHKでのニューイヤーオペラコンサートには、病気のために出演なさらなかったようなので、どうなさったのかと思っています。ご一緒に彼女を励ましていけたらと思います。
投稿: Morgenkind | 2010年2月 1日 (月曜日) 02時34分
Morgenkindさん、はじめまして。
ご訪問とコメントを有難うございます。
過分なるお褒めの言葉をいただき恐縮です。
私は学生時代はちょっと音楽の勉強をしていたこともあったのですが、今は全く別の仕事をしているアマチュアです。プロではない立場から好きなことを言うのがこのブログですので、間違いも多々あることと思います。もしお気付きの時にはお知らせくださいね。
藤村さんは原田さん門下なのですか。それならば歌曲に造詣が深いのも納得ですね。私はこのリサイタルの時にはじめて彼女の声を聴いたのですが、一般的にヴァーグナー歌手と言われている人たちとは肌合いの異なる細やかさと鍛錬の賜物であろう美声に心奪われました。
ニューイヤーオペラコンサートでも彼女が当初出演する予定だったようですね。ご病気だとしたら心配です。声のために生活のすべてを捧げている彼女のこと、いずれステージに復帰される日をお互いに気長に待ちましょう。
今後ともよろしくお願いいたします!
投稿: フランツ | 2010年2月 2日 (火曜日) 22時00分