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ハイドン/心地よい苦痛

Pleasing Pain, Hob. XXVIa no. 29
 心地よい苦痛

Far from this throbbing bosom haste,
Ye doubts, ye fears, that lay it waste;
Dear anxious days of pleasing pain,
Fly never to return again.
 この速く鼓動する胸から遠くへ離れるのだ、
 汝ら、この胸を荒らす疑いよ、恐れよ。
 親愛なる、心地よい苦痛の不安な日々よ、
 飛んでいき、再び戻ってくるな。

But ah, return ye smiling hours,
By careless fancy crown'd with flow'rs;
Come, fairy joys and wishes gay,
And dance in sportive rounds away.
 だが、ああ、戻っておくれ、汝ら微笑む時間よ、
 花輪を冠した気楽な空想によって。
 来たれ、魔力あふれる喜びと陽気な願いよ、
 そしてふざけながら輪になって踊り続けよ。

So shall the moments gaily glide
O'er various life's tumultuous tide,
Nor sad regrets disturb their course
To calm oblivion's peaceful source.
 こうして瞬間は楽しげに
 様々な人生の荒れた潮の上を滑り行く、
 悲しい後悔の念もその進路を妨げることはないのだ、
 静かな忘却の平和な源泉への進路を。

詩:Anne Hunter (née Home: 1742-1821)
曲:Franz Joseph Haydn (1732-1809)

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アン・ハンターの英語詩による「6つのオリジナル・カンツォネッタ 第1集」の第5曲。
全3節の変形有節形式(全59小節)。

テキストは苦悩に去ることを願い、喜びの到来を願うという内容のようだが(非常に難しく、訳はあまり自信がないが)、ハイドンの曲は第1、3節目の後半で一時的に憂いの表情を見せるものの、全体的にはいつもながらの穏やかさが勝っており、苦悩を懐かしく回顧しているかのようだ。

ところで、第1節第3行にあらわれ、この詩のタイトルにもなっている「心地よい苦痛」とはどういうことだろうか。
「心地よい」のは(かつての)恋人との愛の日々だろうか。
実際の愛は苦しみと隣り合わせだったとしても「気楽な空想」は幸せだった愛の喜びだけを呼び戻すことが出来るということだろうか。

ピアノの間奏と後奏は"dance"(踊る)という言葉に由来したかのような陽気な音楽が奏され、前半の穏やかさと対照的なあわただしさが印象的。

8分の6拍子、Allegretto、ト長調。
最高音2点ト音、最低音1点ニ音。

アーメリング(S)デームス(P):PHILIPS:1980年録音:余裕のある語り口で苦痛を回想しているかのようだ。

オージェー(S)オルベルツ(P):BERLIN Classics:1980年録音:よく歌い生き生きと弾むオルベルツのピアノと対照的に、オージェーはあくまでも静かな語り口を貫いている。

ミルン(S)ヴィニョールズ(P):Hyperion:2001年録音:テンポが早すぎて若干せわしない印象だ。

以下のHyperionレーベルのサイトを開き、Detailsの下にある音符のマークをクリックすると最初の数秒が試聴できます(ミルン&ヴィニョールズの演奏)。

http://www.hyperion-records.co.uk/tw.asp?w=W6831&t=GBAJY0217414&al=CDA67174

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シューベルティアーデ2008のFM放送予定

NHK-FMで2月23日(月)~27日(金)まで昨年(2008年)のシューベルティアーデの模様が放送されます。
都合のつく方は聴いてみてはいかがでしょうか(私も7時半に帰宅できた日には聴きたいと思います)。

23日(月)午後7:30~午後9:10
シューベルト/“美しい水車屋の娘”D795
マーク・パドモア(T)
ティル・フェルナー(P)

24日(火)午後7:30~午後9:10
シューベルト/弦楽四重奏曲 イ短調D804“ロザムンデ”
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲 嬰ハ短調 作品131
ブリテン/弦楽四重奏曲 第3番 作品94から 第3楽章
ベルチャ弦楽四重奏団

25日(水)午後7:30~午後9:10
シューベルト/八重奏曲 ヘ長調D803
ポール・メイエ(CL)
カプソン弦楽四重奏団、ほか

26日(木)午後7:30~午後9:10
ブラームス/ワルツ集“愛の歌”作品52
ブラームス/4つの四重唱曲 作品92
ブラームス/3つの四重唱曲 作品64
ブラームス/ワルツ集“新しい愛の歌”作品65
ユリアーネ・バンゼ(S)
アンゲリカ・キルヒシュラーガー(MS)
イアン・ボストリッジ(T)
クリストファー・モルトマン(BR)
ジュリアス・ドレーク(P)
ヘルムート・ドイッチュ(P)

ヴォーン・ウィリアムズ/「ウェンロック・エッジで」
イアン・ボストリッジ(T)
ロジャー・ヴィニョールズ(P)
ベルチャ弦楽四重奏団

27日(金)午後7:30~午後9:10
シューベルト/“冬の旅”D911
ウェルナー・ギューラ(T)
クリストフ・ベルナー(P)

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(2009年3月1日(日)追記)

残念ながらこの週は忙しく、時間までに帰宅できなかったため、あまり聴くことが出来なかった。
月曜日のパドモア&フェルナーの「水車屋」は帰宅してラジオをつけたら「僕のもの(Mein)」をやっていたが、若干癖のあるパドモアの声も聴き進めるうちに水車屋の主人公にしっくり聞こえてくるのはやはり芸の力だろうか。近年ベートーヴェン・ツィクルスを日本でも行っているフェルナー(もう少し安ければ聴きたいのだが)のピアノは爽やかで美しい音だが若干とってつけたような表現があり、良くも悪くも若さの感じられる演奏と感じた。

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ブリュッヘン&新日本フィル/ハイドン「ロンドン・セット」第3回(2009年2月20日 すみだトリフォニーホール)

フランス・ブリュッヘン・プロデュース
HAYDN PROJECT
「ロンドン・セット」全曲演奏会 第3回

2009年2月20日(金)19:15開演 すみだトリフォニーホール(1階12列28番)

新日本フィルハーモニー交響楽団(New Japan Philharmonic)
フランス・ブリュッヘン(Frans Brüggen)(C)

ハイドン(Franz Joseph Haydn: 1732-1809)作曲

交響曲第99番変ホ長調Hob.I-99
 I.  Adagio - Vivace assai
 II. Adagio
 III.Menuetto: Allegretto
 IV. Finale: Vivace

交響曲第100番ト長調「軍隊」Hob.I-100
 I.  Adagio - Allegro
 II. Allegretto
 III.Menuetto: Moderato
 IV. Finale: Presto

~休憩~

交響曲第101番ニ長調「時計」Hob.I-101
 I.  Adagio - Presto
 II. Andante
 III.Menuetto: Allegretto
 IV. Finale: Vivace

~アンコール~
交響曲第101番ニ長調「時計」~第2楽章

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ハイドン没後200年を記念してオランダの名指揮者ブリュッヘンのプロデュースによるハイドン・プロジェクトが進行中である。
2月上旬の「天地創造」は聴けなくて残念だったが、交響曲シリーズのうち1度は聴いておこうと思い、全4回シリーズの第3回に出かけた。
会場のすみだトリフォニーホールは私にとってはじめてのホールだが、錦糸町駅から5分ぐらいの分かりやすい場所にあった。
また開演時間が7時15分というのも余裕が出来るので平日には好ましい設定だと思う。

登場したブリュッヘンは随分お年を召しておられる印象。
長身、痩身で足取りも覚束ない感じで、ゆっくりと中央までたどり着き、しっかりとお辞儀をしていたが、指揮台にのぼらずにお辞儀をしていたのは好感がもてた。
指揮台では椅子に座りながら指揮をしていたが、椅子に座って低くなっているうえに、譜面台が体の前に置かれているため、管楽器奏者はブリュッヘンの指揮を見ることが出来るのだろうかという気がしたが、その辺は練習時にあらかじめ了解しているのかもしれない。
また、オケの奏者も、譜面台が比較的高い位置に置かれているので、特に正面を向いている管楽器奏者は楽器が殆ど見えず、どの奏者が何を演奏しているのか音から推測するしかないという感じだった(ほかの席から見たら違ったのかもしれないが)。

ハイドンの「ロンドン・セット」は、ザロモンという人の委嘱によりロンドンで書かれて演奏された12曲の交響曲だが、今回のシリーズではそれをホーボーケンの番号順ではなく、ハロルド・ロビンソンによる作曲年順に並べて4回に分けて演奏しようという企画とのことだ。
今回はその3回目で第99番から第101番までの3曲が演奏された。
第100番「軍隊」や第101番「時計」はニックネームが付いているためによく知られるにいたった作品だが、ニックネームのない第99番もそれらに劣らず魅力的な作品であった(ニックネームの有無が知名度に大きな影響を与えるというのは興味深い事実ではある)。

新日本フィルはおそらくブリュッヘンの指示によるのだろうが、ノンビブラートで演奏していて、すっきりとした清潔感があった。
「時計」の第2楽章(最近やたらとTV番組のBGMに多用されている)ではヴィオラ奏者にアルペッジョでピツィカートさせていたのが珍しく興味深かった。
「軍隊」はトルコ風軍楽隊の音楽をとりいれた第2、4楽章に由来したニックネームのようだが、特に第4楽章の後半では、いったん舞台袖に引っ込んでいた打楽器チームが、ねじ回しのおもちゃの軍楽隊のように無表情で足を高くあげながら舞台上手から行進してきて、下手に消えていくという演出が面白かった。
軍楽隊を先導した人が床をたたいてリズムをとっていた指揮杖は、リュリが足に刺してそれがもとで亡くなったというあの杖だろうか。
また、第2楽章では、シンバル奏者がデクレッシェンドをしながら連打しているのを見て、この楽器に単なるアクセントとしてではない音楽的な要素を求めているハイドンという作曲家をあらためて見直した気持ちになった。

後半の「時計」も良かったが、それ以上に前半の2曲がオケの演奏にもまとまりと生気があって魅力的な演奏だったように感じた。

ハイドンの朴訥さ、清潔感、温かさ、切れの良さ、楽想の豊富さ、コントラスト、ユーモア、古典性、大胆さ、等々様々な要素がこれらの作品に混在していて、単にシンフォニーコンサートの前座的な扱いにとどまらない独自の魅力を感じることの出来た充実した時間だった。
私個人としてはモーツァルトの交響曲よりもこちらの方が好きかもしれない。
意欲的な企画を実行したブリュッヘンと新日本フィルに感謝したい。
28日(土)がこのシリーズの最終回である。

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歌曲ピアニスト、三浦洋一逝去

日本歌曲や合唱曲を中心に活動したピアニストの三浦洋一(1933.3.24.名古屋-2009.1.22.名古屋)が亡くなった。
新聞をとっていない私は音楽雑誌の訃報欄を見てはじめて知ったのだが、ネット上では結構広く報道されていたようだ。
ビクターの膨大な日本歌曲アンソロジーで三浦洋一氏がほとんどのピアノパートを引き受けていたのではなかっただろうか。
私は柴田南雄歌曲集のLPを持っているのみだが、一昔前の日本の歌曲ピアニストの代表格の一人だった(今でいう塚田佳男氏のような存在だったのではないだろうか)。
変り種としてはペトコフの歌うロシア民謡集の録音でも共演している。
彼の実演を聴くことが出来なかったのは本当に残念だが、もう一つ心残りなことがある。
ジェラール・スゼーが1982年に来日した際に録音したブラームス歌曲集のLPを購入しなかったことである。
いつものボールドウィンではなく、どういういきさつかは分からないが、三浦氏がこの時の共演者をつとめていた。
未だにCD化もされず、幻のままの録音である。
いつか中古店でひょっこり見つけることが出来ればいいのだが・・・。

ジェラール・スゼー/ブラームス・リーダー
ユピテル工業: YUPITERU: 25CL-0004
録音:1982年6月2~14日
ジェラール・スゼー(BR)三浦洋一(P)
ブラームス/言伝て;サッフォー風の頌歌;ぼくの恋は緑色;秘め事;もはやきみの許へは行くまい;いまいましい、おまえはぼくをまた;わが妃よ、そなたはなんと……;とわの愛;
かいなきセレナーデ;墓地で;誓い;日曜日;森のしじまに;あの娘のもとに;五月の夜;むかしの恋;ブラームスの子守唄

声楽や器楽のアンサンブルに生涯を捧げたピアニストのご冥福をお祈りいたします。

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(2009年3月22日追記)

音楽資料室で上記のブラームス歌曲集をとうとう聴くことが出来た。三浦氏のピアノは日本歌曲だけでなくドイツ歌曲も完全に知り尽くした人にのみ可能な演奏だった。清潔な音色でよく歌い、緩急も自在、歌手とのやりとりも完璧で、詩と音楽を深く理解し共感した演奏と感じ、本当に素晴らしかった。スゼーはすでに声自体は盛期を過ぎてはいるものの、しばらく聴き続けるとその声から違和感は消え去り、なんとも深い味わいのある表現に心を揺さぶられた。続けて2回聴き続けてしまったほどブラームスの真髄をとらえた歌唱だったと思う。この名演がいずれ復活することを切に祈りたい。

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エディット・マティス公開レッスンを聞く(2009年2月19日 ルーテル市ヶ谷センター)

エディット・マティス公開レッスン(Schöne Stimmen主催)
Mathis_200902192009年2月19日(木)18時15分 ルーテル市ヶ谷センター(自由席)

エディット・マティス(Edith Mathis)(講師)
田口久仁子(通訳)

1.川口聖加(S) 渡邊千春(P)
ハイドン/オラトリオ『四季』(Die Jahreszeiten)より~「ようこそ、深い森よ~何という喜び、何という安らぎ」(Willkommen jetzt, o dunkler Hain - Welche Labung für die Sinne)

2.岡戸仙子(S) 琴田恵理(P)
ブラームス/我が恋は緑(Meine Liebe ist grün)
ブラームス/私の眠りはますます浅くなり(Immer leiser wird mein Schlummer)
ブラームス/秘めごと(Geheimnis)

 ~休憩~

3.石井藍(MS) 鈴木ゆみ(P)
R.シュトラウス/わが思いのすべて(All mein Gedanken)
ブラームス/使い(Botschaft)
ヘンデル/『メサイア』(Messiah)より~「主は世の人々に侮られ、捨てられ」(He was despised and rejected)

4.山咲史枝(S?) 伊坪淑子(P)
プフィッツナー/昔語り(Sonst)
ヴェーバー/オペラ『魔弾の射手』(Der Freischütz)より~アガーテの祈り(Wie nahte mir der Schlummer)

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途中10分の休憩をはさんで3時間にも及ぶエディット・マティスの熱のこもったレッスンを見ながら、かつて実演で聴いた彼女のシューベルトやシューマンの名唱を懐かしく思い出していた。
彼女は生徒たちに模範を示す時に最初のうちは1オクターブ下げて口ずさむように歌の表情を伝えていたが、次第に実際の音程で模範を聞かせてくれる場面がしばしば出てきて、70を過ぎた人の声とは到底信じられないほどの美声とパワーで受講者、聴講者に望外の喜びを与えてくれた。
マティスが一ふしを歌うとあまりにも豊かな表情を伴って音楽が生き生きとはずんでいる。
そうした模範演奏から受講者が得たものはきっと多かったに違いない。
単なる愛好家である私も彼女の歌唱の秘密を少しだけ教えてもらえた気がした。

マティスの指導は、最初に受講者に1曲まるまる歌ってもらい、それから再度気になる箇所を少しずつ歌わせながら細かく指摘していくというやり方をとっていた。

マティスが受講者たちによく言っていたのは、フレーズがどこに向かっているのかを意識して歌うようにということだった。
つまり、1つのフレーズの中ですべての言葉が同等に重要なわけではない、大切に歌う目的地を目指してアーチを描くように(マティスは"Bogen"という言葉をよく使っていた)歌いなさいというのだ。

それから言葉の発音については細かく指摘していた。
『メサイア』の中の"despised"の最初の音節は「デ」ではなく「ディ」と発音するようにとか、「秘めごと」では"unsrer"の"s"をしっかり発音するように、等々。

ハイドンのオラトリオを歌った歌手にはよく歌えていると褒めながら、細かいところを少しずつ直していた。

「我が恋は緑」を歌った歌手には流れが停滞しないようにピアニストと共に前へ前へ進むようにと指摘していた。

「わが思いのすべて」を歌った歌手はとても豊かな声をもっていてマティスも気に入ったのか他に歌えないかと尋ね、急遽予定外だったブラームスの「使い」を歌うことになった。

また、プフィッツナーの「昔語り」を歌った歌手には馴染みの薄いこの曲の歌詞の内容を説明させた後に再度歌わせて、「演劇を見ているようでした」と褒めていた。
日本の聴衆の前でこの曲を歌うときにはプログラムに歌詞の内容を記して理解してもらうことが大事だとも。
『魔弾の射手』ではアリアは特に問題ないのでレチタティーヴォを再度歌うようにと言い、受講者と一緒に歌いながら細かい表情を指導していた。

基本的には歌手への指導が中心だったが、例えば『魔弾の射手』を弾くピアニスト(非常にいい演奏だった)には「そこはクラリネットの響きで」と注文を出したりもしていた。

「そこでブレスを入れてもいいけれど、本当は入れずに歌う方がもっといいのではないか」「私だったらこう歌うけれど、そうしなければならないということではなく、最終的にあなた自身の歌い方を見つけてください」とも言っていた。
歌手の基本的な弱点を修正すると共に、歌い方を強制するのではなく、こういう方法もありますよとヒントを与えるという穏やかで真摯なマティスの姿勢に大いに感銘を受けた一夜であった。

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シュライアーの2種のメンデルスゾーン歌曲集(オルベルツ/エンゲル)

今年が生誕200年のフェーリクス・メンデルスゾーン=バルトルディ(Felix Mendelssohn-Bartholdy: 1809-1847)は、ヴァイオリン協奏曲や「フィンガルの洞窟」序曲、「夏の夜の夢」などでよく知られている作曲家である。
短命だが裕福な家系に生まれ、その明朗、優美な作風は幅広く愛されている。
大規模な作品だけでなく、ピアノ・ソロのための小品集「無言歌」も有名で、特に「春の歌」や「ヴェネツィアの舟歌」などは実際に弾いたことのある方も多いのではないか。
それとは別にチェロとピアノのための「無言歌」という作品もあり、ジャクリーン・デュ・プレがジェラルド・ムーアと録音しており、包み込むような美しい作品で印象に残っている。

メンデルスゾーンは独唱歌曲も多く作曲しているが、その中で飛び抜けて有名な「歌の翼に」を除くと残念ながらそれほど知られているとは言えない。
しかし、歌曲においても優美で耳あたりのよい作風は貫かれ、一度聴くとその魅力にとりつかれてしまう。

ドイツ、マイセン出身のテノール、ペーター・シュライアー(1935年生まれ)はオペラ、宗教曲だけでなく、歌曲の歌い手としてもコンサートや録音で活躍してきたが、1971年と1993年という20年もの間隔をあけてメンデルスゾーン歌曲集の録音を2回行っている。
1971年の録音(BERLIN Classics / DG)はドイツ、アーヘン出身のヴァルター・オルベルツ(1931年生まれ)と共演して22曲、そして1993年の録音(BERLIN Classics)はスイス、バーゼル出身のカール・エンゲル(1923-2006)と共演して24曲歌っている。

●1度目の録音

Schreier_olbertz_mendelssohnユニバーサルミュージック: DG: UCCG-4337
BERLIN Classics: 0092182BC
録音:1971年9月27~30日、Lukaskirche, Dresden

ペーター・シュライアー(Peter Schreier)(T)
ヴァルター・オルベルツ(Walter Olbertz)(P)

メンデルスゾーン作曲
1.春の歌Op. 47-3(2'17)*
2.挨拶Op. 19-5(1'47)*
3.春の歌Op. 34-3(2'50)
4.春の歌Op. 19-1(1'45)*
5.旅の歌Op. 57-6(1'50)
6.問いOp. 9-1(1'12)
7.新しい愛Op. 19-4(1'52)*
8.月Op. 86-5(2'00)*
9.もうひとつの五月の歌(魔女の歌)Op. 8-8(2'05)*
10.恋の歌Op. 34-1(1'42)*
11.狩の歌Op. 84-3(2'27)
12.ゆりかごのそばでOp. 47-6(3'25)
13.歌の翼にOp. 34-2(3'22)*
14.古いドイツの春の歌Op. 86-6(2'10)
15.葦(あし)の歌Op. 71-4(3'25)*
16.ヴェネツィアのゴンドラの唄Op. 57-5(2'05)*
17.旅の歌Op. 34-6(2'30)*
18.はじめての失恋Op. 99-1(3'15)
19.秋にOp. 9-5(2'00)
20.羊飼の歌Op. 57-2(2'55)*
21.冬の歌Op. 19-3(2'30)*
22.小姓の歌(1'45)*

(上記の日本語表記は原則として国内盤CD(UCCG-4337)に従いましたが、Op. 8-8はCDの記載「魔女の春の歌」から、Op. 71-4は「あしの歌」から上記に変えました)
HMVのサイトで上記の録音全曲が試聴できます)

●2度目の録音

Schreier_engel_mendelssohnBERLIN Classics: BC 1107-2
録音:1993年10月、Westdeutscher Rundfunk, Köln. Funkhaus Wallrafplatz, Großer Sendesaal

ペーター・シュライアー(Peter Schreier)(T)
カール・エンゲル(Karl Engel)(P)

メンデルスゾーン作曲
1.歌の翼にOp. 34-2(2'54)*
2.葦(あし)の歌Op. 71-4(3'00)*
3.月Op. 86-5(1'47)*
4.小姓の歌(1'49)*
5.春の歌Op. 9-4(2'53)
6.旅の歌Op. 34-6(2'47)*
7.夜ごとの夢にOp. 86-4(1'42)
8.ヴェネツィアのゴンドラの唄Op. 57-5(1'42)*
9.はるかな女性にOp. 71-3(1'26)
10.春の歌Op. 19-1(1'30)*
11.恋の歌Op. 34-1(1'46)*
12.お気に入りの場所Op. 99-3(2'35)
13.冬の歌Op. 19-3(2'35)*
14.挨拶Op. 19-5(1'40)*
15.初すみれOp. 19-2(2'11)
16.そのとき僕は木陰で横になっているOp. 84-1(3'45)
17.恋の歌Op. 47-1(1'56)
18.朝の挨拶Op. 47-2(1'53)
19.旅路でOp. 71-5(2'01)
20.夜の歌Op. 71-6(2'42)
21.羊飼の歌Op. 57-2(4'05)*
22.春の歌Op. 47-3(2'36)*
23.新しい愛Op. 19-4(1'56)*
24.もうひとつの五月の歌(魔女の歌)Op. 8-8(2'06)*

1度目の録音は最近ユニバーサルミュージックからDGレーベルの音源としてCD復活(UCCG-4337)を遂げたが、「世界初CD化」という触れ込みは誤りで、すでにBERLIN ClassicsがCD化していたので、「国内初CD化」と言うべきだろう。
2度目の録音もBERLIN Classicsから発売された後、国内盤としても発売されていた。

上記の曲目の後に*印を付けたものは1度目と2度目で重複して歌っている曲を示している。
つまり、2度目の再録音では全24曲中、半数以上の14曲も重複して歌っているのである。
1度目でのみ歌っている曲は8曲、2度目でのみ歌っている作品は10曲であり、シュライアーの録音におけるメンデルスゾーン歌曲のレパートリーは計32曲ということになる。
名歌手たちが「冬の旅」を何度も再録音するように、シュライアーが十八番のメンデルスゾーン歌曲を再び録音したくなったとしても不思議はない。
2度目の録音では8曲もの新レパートリーを聴くことが出来ること、さらに14曲の共通するレパートリーの聴き比べ(ピアニストも含めて)が出来ることを喜びたい。

ペーター・シュライアーは70歳を機に歌手活動から引退してしまったが、最後まで清冽で爽快な声を維持していたのは高音歌手としてはすごいことではないか。
この2種の録音でも36歳と58歳という20年以上の歳月の流れがあるにもかかわらず、それを感じさせない声と表現には驚かされる。
彼は旧東ドイツの聖歌隊出身ということで小さい頃から歌唱の基本を叩き込まれてきたのだろう、どのタイプの曲を歌っても安定した音楽と美しい言葉さばきを聞かせてくれる。
ドイツ語のほれぼれするほどの美しい発音は彼の魅力の一つだが、それ以上に過剰さのない表現の節度が素晴らしかった。
1980年代に入り、多少濃淡を大きくとる傾向が見られたが、それでも作品を逸脱しない範囲内であったと思う。
このメンデルスゾーンの録音でも、1971年の録音が清流のような清清しさで貫かれていたのに対し、1993年盤では若干高音が苦しい箇所もあるものの殆ど問題なく、危なげのない安定した歌唱はそのままで、さらに言葉の一言一言への重みが加わって味わい深くなっている。
このような変化を聞くのも特定のリート歌手を追い続けていく楽しみの一つである。

1971年盤の共演者ヴァルター・オルベルツは、ハンス・アイスラーのピアノ曲の初演や、ハイドンのピアノソナタ全集の録音、さらにシュライアー、オージェー、ヴァイオリニストのズスケなどとの共演者としても知られている。
この録音でも一貫して作品に同化した歌心を感じさせて、ただただ素晴らしい。
こういうピアノで歌えるシュライアーは恵まれているといえるだろう。
もともと美しくしっかりとした音色を聞かせるピアニストではあるが、その長所がこの録音では際立っていてすべてがプラスに働いている。
「歌の翼に」の分散和音がこれほど美しく響くのも珍しく、一方「もうひとつの五月の歌(魔女の歌)」でのあらん限りのテクニックでリズミカルに盛り立てるその手腕には驚き、この作品演奏でのベストのピアニストの一人と感じた。

1993年盤の共演者カール・エンゲルはオールマイティのピアニストであるが、もともと歌曲の演奏には定評があり、F=ディースカウやプライなどとの名演はよく知られている。
シュライアーとも何度も共演して気心の知れた間柄であるだけにここでも堅実、かつテクニシャンぶりを存分に発揮している。

メンデルスゾーンの歌曲は上述の曲目を見ても分かるとおり季節をテーマにした曲が多いが、とりわけ「春の歌」が多い。
このテーマで以前に記事を書いているので興味のある方はご覧ください。
http://franzpeter.cocolog-nifty.com/taubenpost/2007/04/post_5dcd.html

個人的に好きなメンデルスゾーンの歌曲は沢山あるが、特に「もうひとつの五月の歌(魔女の歌)」「ヴェネツィアのゴンドラの唄」「葦(あし)の歌」「夜の歌」「新しい愛」などは奇跡のような素晴らしい作品である。
複雑さはなく、素直に聴き手の心に入ってくるのがメンデルスゾーンの音楽の魅力である。

曲のタイプを大雑把に分類すると次のような感じだろうか。

・憂いを帯びた曲:「葦(あし)の歌」「ヴェネツィアのゴンドラの唄」
・ピアノが技巧的な曲:「もうひとつの五月の歌(魔女の歌)」
・静謐さで訴えてくる曲:「夜の歌」
・穏やかな曲:「挨拶」
・リズミカルな曲:「新しい愛」「小姓の歌」
・歌声部に半音進行を取り入れた曲:「月」
・ドラマティックな展開のある曲:「旅の歌」Op. 34-6

最後にシュライアーの歌ったメンデルスゾーンの映像が動画サイトにあったのでご紹介したい。
珍しく管弦楽に編曲されたもので3曲歌っている(「歌の翼に」「新しい愛」「挨拶」)。
多少映像と音がずれているのでその点はご了承ください。
1989年ベルリン録音、クラウス・ペーター・フロール(C)

http://www.youtube.com/watch?v=Z-M16Ao3NmU

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ハイドン/絶望

Despair, Hob. XXVIa no. 28
 絶望

The anguish of my bursting heart
Till now my tongue hath ne'er betray'd.
Despair at length reveals the smart;
No time can cure, no hope can aid.
 私のはちきれそうな心の苦悶を
 今まで私の口は決して漏らしませんでした。
 絶望がついに苦悩を明かしました。
 時は癒すことが出来ず、希望も救うことが出来ないのです。

My sorrows verging to the grave,
No more shall pain thy gentle breast.
Think, death gives freedom to the slave,
Nor mourn for me when I'm at rest.
 墓に近づいている私の悲しみは、
 もはやあなたの穏やかな胸を苦しめることはないでしょう。
 考えてもごらんなさい、死は奴隷の身に自由を与えるのです。
 私が安らいでいるときにも私のために悲しまないでください。

Yet, if at eve you chance to stray
Where silent sleep the peaceful dead,
Give to your kind compassion way,
Nor check the tears by pity shed.
 しかし、もし間際にあなたがたまたま、
 押し黙って平穏な死の眠りについている場所からはぐれてしまったならば、
 あなたの親切な慈悲心に身をまかせてください、
 哀れんで涙が流れるのを気にもしないで。

Where'er the precious dew drop falls,
I ne'er can know, I ne'er can see;
And if sad thought my fate recalls,
A sigh may rise, unheard by me.
 どこで貴い露の滴が落ちていても
 私には知ることも、見ることも出来ません。
 そして悲しい思いが私の運命を思い出したならば
 溜息が漏れるかもしれませんが、私が聞くことはないのです。

詩:Anne Hunter (née Home: 1742-1821)
曲:Franz Joseph Haydn (1732-1809)

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アン・ハンターの英語詩による「6つのオリジナル・カンツォネッタ 第1集」の第4曲。
全4節の有節形式だが、最初の2節しか演奏されないことが多い(Henle版のハイドン全集(1960年)では楽譜の歌声部の下に最初の2節分が記載され、第3、4節は楽譜下の余白に別に記載されている)。

私が死んでも悲しまないでくださいという詩の内容は数年前に巷ではやった流行歌を思い起こさせるが、anguish(苦痛)、smart(心痛)、sorrow(悲しみ)といった言葉を重ねることで、この詩の主人公の苦しい心情をあらわしている。

穏やかなゆったりとしたホ長調の前奏は詩の苦悩を予感させない。
歌の旋律も一見苦悩を強調することはなく、静かに歌われるが、各節後半でテキストに応じて若干曲の趣も変わり、動きが出てくる。
ハイドンの曲は苦悩から距離を置いた視点で冷静に歌っているようだ。
4分の3拍子、Adagio。歌声部の最高音は2点ホ音、最低音は1点嬰ニ音。

アーメリング(S)デームス(P):PHILIPS:1980年録音:穏やかな音楽の中にさりげない味わいを織り込む熟した歌と演奏だった。最初の2節のみの演奏。

ミルン(S)ヴィニョールズ(P):Hyperion:2001年録音:噛んでふくめるような味わいのある歌だった。ヴォニョールズも歌声部と共によく歌っていた。最初の2節のみの演奏。

以下のHyperionレーベルのサイトを開き、Detailsの下にある音符のマークをクリックすると最初の数秒が試聴できます(ミルン&ヴィニョールズの演奏)。

http://www.hyperion-records.co.uk/tw.asp?w=W6829

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アーメリングの映像

オランダの名花エリー・アーメリング(Elly Ameling: 1933.2.8生まれ)は今日76歳を迎えた。
彼女のファンとして何か記念の記事を書こうと思ったのだが、それよりも今回はネット上で見られる映像をご紹介して彼女の偉業をたたえることにしたい。

私がアップしたものではないので、こちらに引用するのも若干気が引けるが、この動画共有サイトの機能に他サイトへのリンクも含まれているので、リンクさせていただきたいと思う(もし不都合があればリンクは外します)。

おそらく1980年のプエルト・リコでのカザルス音楽祭のライヴと思われる映像で、ピアノ共演は阿吽の呼吸のドルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)。

この日の演奏のうちまだアップされていないものもあるが、かなり出揃っているので、以下に当日のプログラムと動画へのリンクを記しておきたい(リンクしていないものはまだアップされていない曲)。

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シューマン作曲
1.献呈Op. 25-1
2.はすの花Op. 25-7
3.くるみの木Op. 25-3

歌曲集「女の愛と生涯」Op. 42
4.第1曲)彼にお会いして以来
5.第2曲)誰よりも素晴らしい彼
6.第3曲)私には分からない、信じられない
7.第4曲)私の指にはめた指輪よ
8.第5曲)手伝ってちょうだい、姉妹たち
9.第6曲)やさしい友よ、あなたはいぶかしげに私を見つめています
10.第7曲)わが心に、わが胸に
11.第8曲)今あなたは私にはじめての苦痛を与えました

12.フォレ/夢のあとにOp. 7-1
13.ドビュッシー/歌曲集「忘れられた歌」~それは物憂い恍惚
14.ドビュッシー/マンドリン
15.プランク/歌曲集「きまぐれな婚約」~ヴァイオリン
16.ショソン/ハチドリOp. 2-7
17.デュパルク/悲しい歌
18.ロドリーゴ/歌曲集「4つの愛のマドリガル」~ポプラの林へ行ってきた
19.グァスタヴィーノ/バラと柳
20.サティ/エンパイア劇場の歌姫
21.アーン/ラスト・ワルツ
22.シェーンベルク/ギーゲルレッテ

アンコール
23.シューベルト/ハナダイコンD752
24.ガーシュウィン/バイ・シュトラウス

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彼女がどれほど言葉を大切にしているか、大ホールでも明瞭に伝えようとしていたかが分かる。
彼女の魅力を端的に示しているのはサティ「エンパイア劇場の歌姫」(20)だろう(演奏前に彼女自身の解説があり、歌詞に出てくる「グリーナウェイの帽子」について説明している)。
個人的には特にドビュッシー「それは物憂い恍惚」(13)やプランク「ヴァイオリン」(15)が気に入っている。

ボールドウィンの切れのいい演奏も聞きものである(「マンドリン」「ヴァイオリン」など)。

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(追記:アーメリングのネット放送)

オランダのネットラジオで9日(月)の日本時間21時3分(現地時間13時3分)からアーメリングが出演した1991年のユトレフトでのライヴ公演が放送されます。
マラルメ歌曲集やマーラーは昨年発売された5枚組の放送録音集にも収録されていますが、ドビュッシー「放蕩息子」やモーツァルトのアリアは聴く価値があるのではないでしょうか。
また当日のコンサートの全貌が聴けるという意味でも楽しみです。
興味のある方は聴いてみてください。

http://www.radio4.nl/page/programma/14/2009-02-09

エリー・アーメリング(S)エト・スパンヤールト(C)オランダ放送室内管弦楽団

モーツァルト/歌劇「イドメネオ」~序曲
サティ(ドビュッシー編)/ジムノペディ第1番&第3番
ドビュッシー(スパンヤールト編)/ステファヌ・マラルメの3つの詩(溜息;むなしい願い;扇)
ドビュッシー/カンタータ「放蕩息子」~前奏曲;リアの歌;行列;舞曲風エール
ヴェーバー(マーラー編)/「三人のピント」~間奏曲
マーラー/「リュッケルト歌曲集」~私はほのかな香りを吸った;私はこの世から忘れられ
モーツァルト/哀れな私,私は一体どこにK369

モーツァルト/ああ話しているのは私ではないK369

1991年6月1日, ユトレフト、フレーデンブルフ音楽センター(Muziekcentrum Vredenburg in Utrecht)録音

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ハイドン/牧歌

A Pastoral Song, Hob. XXVIa no. 27
 牧歌

My mother bids me bind my hair
With bands of rosy hue,
Tie up my sleeves with ribbons rare,
And lace my bodice blue.
 お母さんが私に言うのよ、
 バラ色のバンドで髪を束ねなさいって。
 袖を珍しいリボンで結んで、
 青い胴着(ボディス)のひもを締めなさいって。

For why, she cries, sit still and weep,
While others dance and play?
Alas! I scarce can go or creep,
While Lubin is away.
 どうして、とお母さんは叫ぶの、じっと座ってしくしく泣いているの、
 ほかの子たちが踊ったり遊んだりしているときに?
 ああ!私はほとんど出かけたりこっそり抜け出したりできないの、
 ルビンがいない間には。

'Tis sad to think the days are gone,
When those we love were near;
I sit upon this mossy stone,
And sigh when none can hear.
 あの日々が去ってしまったと思うと悲しいわ、
 愛する人々がそばにいた日々。
 私はこの苔むした石に座って
 溜息をつくの、誰にも聞かれないときに。

And while I spin my flaxen thread,
And sing my simple lay,
The village seems asleep, or dead,
Now Lubin is away.
 そして亜麻の糸を紡いで
 簡単な歌を歌うの。
 村は眠っているか死んでいるかのよう。
 いまはルビンがいないのだから。

詩:Anne Hunter (née Home: 1742-1821)
曲:Franz Joseph Haydn (1732-1809)

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アン・ハンターの英語詩による「6つのオリジナル・カンツォネッタ 第1集」の第3曲。
詩は、遠く離れた恋人ルビンを思う娘の気持ちを歌っている。
2詩節分を歌の1節とした全2節の有節形式。
この曲集の他の作品同様、ピアノの前奏は長く、歌が入っても歌と独立した動きをところどころで見せている。
イ長調の一見のどかな雰囲気の作品だが、各節最後の2行では歌声部がとぎれとぎれになり、心痛にあえぐ様をあらわしているかのようだ。
8分の6拍子、Allegretto。歌声部の最高音は2点ホ音、最低音は1点ホ音で音域が一オクターヴ内におさまっている。

オージェー(S)オルベルツ(P):BERLIN Classics:1980年録音:オージェーはゆっくりと噛みしめるように歌い、透明な美声が静かに悲しみを浮き立たせて素晴らしい。オルベルツも澄んだ音色で素敵なサポートを聞かせる。

アーメリング(S)デームス(P):PHILIPS:1980年録音:アーメリングはテキストに応じて細やかな表情を付けるが、最終行で淋しげに声を絞り込むところは絶妙。歌の表情とぴったり合わせたデームスも味がある。

ミルン(S)ヴィニョールズ(P):Hyperion:2001年録音:ミルンの声と表現は特にこの曲と合っているようで、しっとりとした情感がとても良かった。ヴィニョールズも丁寧な表現が美しい。

以下のサイトの3曲目の「試聴」マークをクリックすると、最初の1分ほどが聴けます(James Griffetという男声が女声の歌を歌っています)。
http://musico.jp/contents/contents_index.aspx?id=r6SYLC&afl=bsearch.goo.ne.jp

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ハイドン/回想

Recollection, Hob. XXVIa no. 26
 回想

The season comes when first we met,
But you return no more.
Why cannot I the days forget,
Which time can ne'er restore?
O days too fair, too bright to last,
Are you indeed forever past?
 はじめて私たちが出会った季節がやってきます、
 でもあなたはもう戻ってきません。
 あの日々をどうして私は忘れることができないのでしょう、
 時が決して戻すことの出来ない日々を。
 おお、あまりに美しくあまりにまぶしいために続かなかった日々よ、
 あなたは本当に永遠の過去なのですか?

The fleeting shadows of delight
In memory I trace;
In fancy stop their rapid flight
And all the past replace.
But ah! I wake to endless woes,
And tears the fading visions close.
 喜びにおけるつかの間の影を
 私は記憶の中にたどります。
 空想の中でその素早い飛行は止まり、
 すべては過去に取って代わります。
 しかしああ!私は無限の苦悩に目覚め、
 涙は色あせていく夢想を閉じるのです。

詩:Anne Hunter (née Home: 1742-1821)
曲:Franz Joseph Haydn (1732-1809)

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アン・ハンターの英語詩による「6つのオリジナル・カンツォネッタ 第1集」の第2曲。
全2節の有節形式。
歌はヘ長調の穏やかな調子で始まり、失った恋を静かに落ち着いて回想しているように感じられる。
ハイドンの歌曲はテキストの同じ箇所を数回繰り返す傾向があるが、この曲でも何度も繰り返すことによって主人公の苦しみを強調しているかのようだ。
4分の3拍子、Adagio。歌声部の最高音は2点イ音(一オクターブ低い1点イ音と選択できる)、最低音は1点ハ音。

アーメリング(S)デームス(P):PHILIPS:1980年録音:アーメリングは若干重みを増した声で曲の陰影をうまく表現している。デームスも歌手とぴったり同調した演奏を聴かせている。

ミルン(S)ヴィニョールズ(P):Hyperion:2001年録音:ミルンは高音で若干余裕がなくなるが、テキストに反応した細やかな表情を聴かせている。ヴィニョールズは繊細で余韻のある演奏。

F=ディースカウ(BR)ムーア(P):EMI(ODEON):1959年録音:F=ディースカウはめりはりのある説得力に満ちた歌で魅力的。ムーアはすみずみまでよく歌い、素晴らしい。第1節しか演奏されていないのが残念。

YouTubeにカウンターテノールのアンドレーアス・ショルがこの曲を歌っている映像がありました(共演者はMarkus Märkl)。
http://jp.youtube.com/watch?v=FryvHq0g2u8

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