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内藤明美&平島誠也/シューベルト「冬の旅」(2009年1月30日 日暮里サニーホールコンサートサロン)

独演コンサートシリーズ シューベルト三大歌曲集
Naitoh_hirashima_2009012009年1月30日(金)19:00 日暮里サニーホールコンサートサロン(全席自由)

内藤明美(Naitou Akemi)(MS)
平島誠也(Hirashima Seiya)(P)

シューベルト/「冬の旅(Winterreise)」D911

1.おやすみ(Gute Nacht)
2.風見の旗(Die Wetterfahne)
3.凍れる涙(Gefrorne Tränen)
4.かじかみ(Erstarrung)
5.菩提樹(Der Lindenbaum)
6.あふるる涙(Wasserflut)
7.川の上で(Auf dem Flusse)
8.かえりみ(Rückblick)
9.鬼火(Irrlicht)
10.休息(Rast)
11.春の夢(Frühlingstraum)
12.孤独(Einsamkeit)
13.郵便馬車(Die Post)
14.霜おく頭(Der greise Kopf)
15.からす(Die Krähe)
16.最後の希望(Letzte Hoffnung)
17.村にて(Im Dorfe)
18.あらしの朝(Der stürmische Morgen)
19.幻(Täuschung)
20.道しるべ(Der Wegweiser)
21.宿屋(Das Wirtshaus)
22.勇気(Mut)
23.幻の太陽(Die Nebensonnen)
24.辻音楽師(Der Leiermann)

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シューベルトの誕生日を翌日にひかえた1月30日、日暮里サニーホールコンサートサロンで、メゾソプラノの内藤明美とピアニスト平島誠也による「冬の旅」を聴いた。
この長崎県出身コンビの実演を聴くのは2007年のシェックのコンサート以来2度目となる。
そして、女声の歌う「冬の旅」を生で聴くのも白井光子に続いて2度目である。

今年に入って、フローリアン・プライ&読響、淡野太郎&武久源造と「冬の旅」ばかり聴いているが、この歌曲集ほど演奏者にとっても聴き手にとってもチャレンジを投げかける作品はそう多くないのではないだろうか。
ぎりぎりの精神状態を歌い、弾き、そして聴くのだから、いい演奏であればあるほど、終わった後にぐったり疲れる。
そういう意味で、今回の内藤&平島の演奏は緊張感の途切れることのないもので、「辻音楽師」が終わってようやく呪縛から解き放たれた気分だった。
ドレスに黒いジャケットをまとって舞台に登場した瞬間から内藤は言い知れぬ緊張感をみなぎらせていたが、それはすでに「冬の旅」の世界に入り込んでの登場と映った。
「壮絶」という言葉で形容したらよいだろうか、内容が「冬の旅」ということもあってか、内藤の歌は感情の起伏を前面に押し出したものだった。
ドイツ語の発音の美しさや、音程の完璧さといったレベルをとうに超えた実力を備えていることは前回のシェックのコンサートで了解済みだったが、安定した実力に安住せず、全力でこの大きな歌曲集にぶつかっていこうとする姿はやはり壮絶という以外の言葉が見当たらない。
自らぎりぎりの状況に追い込んでの歌唱といったらいいだろうか。
そのため、1曲1曲の密度が濃く、ある曲が終わると次の曲が始まるまでの間にかろうじて息をつけるという状況である。
息苦しいほどの緊迫感は、この歌曲集が失恋した男の旅というだけでない、普遍的な心の旅でもあることを思い出させる。
素晴らしい解説を執筆された山崎裕視氏はクリスタ・ルートヴィヒの言葉を引用している。

“冬の旅”の歌い手は男性であろうと女性であろうと、音楽や詩を、さらには人間的な情動をはるかに超えた状態にまで自己と聴衆を置かねばならない。
それは私たちを、意識するかしないかに関わらず、もはや戻ることのできぬ目標に向かって一歩ずつ近づける連れ立ちの旅なのである。

ルートヴィヒの「冬の旅」はあたかも母親目線のような第三者的な優しい包容力を感じさせるものだった。
しかし、内藤の「冬の旅」はあくまで自身の中に主人公を置いた歌であった。
男声歌手が歌うとさりげなく響く"Fremd bin ich eingezogen"も、内藤が歌うと激しい慟哭の歌となる。
女声であることを生かしたアプローチといえないだろうか。
「うまい」「深い」といった次元を超えた、言葉を失うような「冬の旅」の絶唱であった。

平島誠也のピアノは持ち前の美しく清冽な音色を生かしつつも、シューベルトの音楽そのものに語らせようという姿勢を貫く。
一見なにげない表現の中に磨きぬかれた響きの彫琢がある。
「辻音楽師」の最後の1ふし「私の歌にあなたのライアーを合わせてくれないか」で歌と共に盛り上がったあと、一瞬の間を置き、再び何事もなかったかのようにライアーの淡白な響きに戻すという解釈はこれまでのどのピアニストからも聴かれなかった新しい響きではっとさせられた。

さきほど触れた山崎氏の解説では、氏の師匠であった柳兼子との貴重な思い出と共に、彼女自身が「冬の旅」を歌っていたこと、さらに「お蝶夫人」で一世を風靡した三浦環までもがその晩年に自身の日本語訳で「冬の旅」や「水車屋」を歌っていたという貴重な情報を交えて、読み応えのある「女性歌手の“冬の旅”」論を執筆されている。

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ハイドン/人魚の歌

The Mermaid's Song, Hob. XXVIa no. 25
 人魚の歌

Now the dancing sunbeams play
On the green and glassy sea,
Come, and I will lead the way
Where the pearly treasures be.
 今、踊る日の光が
 緑映える鏡さながらの海に戯れています。
 いらっしゃい、私が道案内しましょう、
 真珠の宝のあるところへ。

Come with me, and we will go
Where the rocks of coral grow.
Follow, follow, follow me.
 私といっしょにいらっしゃい、行きましょう、
 珊瑚礁が広がるところへ。
 ついて、ついて、ついていらっしゃい。

Come, behold what treasures lie
Far below the rolling waves,
Riches, hid from human eye,
Dimly shine in ocean's caves.
Ebbing tides bear no delay,
Stormy winds are far away.
 来て、ご覧なさいな、どんな宝物が
 うねる波のはるか下にあるのかを。
 宝は、人の目からかくれて、
 かすかに海の洞穴に輝いているのです。
 遅れると引き潮になるし、
 嵐の風ははるかかなたです。

Come with me, and we will go
Where the rocks of coral grow.
Follow, follow, follow me.
 私といっしょにいらっしゃい、行きましょう、
 珊瑚礁が広がるところへ。
 ついて、ついて、ついていらっしゃい。

詩:Anne Hunter (née Home: 1742-1821)
曲:Franz Joseph Haydn (1732-1809)

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ハイドンの歌曲の中でも最も魅力的な作品の一つ。
アン・ハンターの英語詩による「6つのオリジナル・カンツォネッタ 第1集」の第1曲。
人魚が宝物を餌に人間を海底へと誘うという内容である。
ハイドンの音楽はハ長調の天真爛漫な明るさで描かれ、人間を誘い込む妖艶さとはほど遠い。
しかし「北風と太陽」の話ではないが、明るさはしばしば人を油断させる。
ハイドンの意図がその心理をついているとしたらなかなかの確信犯ではないか!
規模の大きいピアノ前奏(21小節!)は細かい音型がコロコロ踊り、水面が陽光にきらめいている様や、人魚がすいすい泳ぐ様を模しているかのようだ。
歌が入る直前には歌のリフレイン(Follow, follow, follow me)が先駆けて演奏される。
歌は2節の有節形式で、音程の跳躍や装飾が多く、歌い手にとってかなりの技巧が要求されるように思われる。
ピアノの高音はほぼ歌をなぞるが、かなり装飾されて生き生きと雄弁に響く。
4分の2拍子、Allegretto。歌声部の最高音は2点ト音、最低音は1点ハ音。

アーメリング(S)ボールドウィン(P):EMI:1972年録音:1980年の全集における味わいのある歌もいいが、このオムニバス盤での歌唱はどこまでも伸びる美声が最高に魅力的。ボールドウィンも速めのテンポで生き生きと演奏している。

オージェー(S)オルベルツ(P):BERLIN Classics:1980年録音:オージェーは光沢のある声で丁寧に歌い素晴らしい。オルベルツのどの音にも気を配ったデリケートな演奏はオージェーの歌とぴったり合致している。

ミルン(S)ヴィニョールズ(P):Hyperion:2001年録音:ミルンは細かい表情の付け方がうまい。2回目のリフレインで簡素な装飾を加えているのが興味深い。ヴィニョールズはさりげなさの中に味わいを盛り込んでいる。

YouTubeでこの曲を聴くことが出来ます。
http://jp.youtube.com/watch?v=WOWvJuo5CgQ

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淡野太郎&武久源造/「冬の旅」(2009年1月23日 サントリーホール ブルーローズ)

淡野太郎バリトン・リサイタル
Tanno_takehisa_20092009年1月23日(金)19:15 サントリーホール ブルーローズ(自由席)
淡野太郎(Taro Tanno)(BR)
武久源造(Genzoh Takehisa)(P)

シューベルト/「冬の旅(Winterreise)」作品89
(さらば/風見/凍った涙/凍りつき/菩提樹/洪水/川面で/回顧/鬼火/休息/春の夢/孤独/
郵便/白髪頭/カラス/最後の望み/村で/嵐の朝/たぶらかし/道しるべ/宿屋/から元気/幻日/ライアー弾き)

~アンコール~
バッハ/あなたがそばにいたら(Bist du bei mir) BWV508

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淡野太郎と武久源造による「冬の旅」をサントリーホールの小ホールで聴いた。
この2人の実演は随分前に一度聴いたことがあり、その時はアグネス・ギーベルや淡野弓子も加わり、シューマンの独唱曲や重唱曲が演奏されたのだった。

この日のコンサート、淡野太郎にとって初リサイタルとのこと。
配布されたプログラム冊子には淡野自身によってこれまでの軌跡と「冬の旅」を選ぶまでの経緯が記されていたが、ファンダーステーネやポルスターの教えに感謝しながらも、「受け売りのままで演奏しては意味がない」「これが私の音楽です。どうぞお聴きください」と心境を述べている。
古楽の分野で幅広く活躍しているようだが、歌曲にも目を向けているのはうれしい。
客席は満席とはいかないまでもかなりの入りだった。

さて、この日の演奏、淡野の思いの強さが伝わってくるものだった。
全曲の訳詩と解説も執筆し、充分な考察のもと歌っているようだ。
ドイツ語の発音がとてもしっかりしていて歯切れがよい。
これはとても大事なことだろう。
第1曲「さらば」(淡野自身の訳)の冒頭の"Fremd(余所者として)"という言葉から怒りのような激情が込められる。
全体を小オペラのようにドラマチックに表現しようという積極性は充分に感じられた。
歌詞に応じた声色の使い分けや歌の安定感などは今後の課題だろう。
淡野の歌曲における出発点として好感のもてるコンサートだったと思う。
これからのさらなる研鑽に期待したい。

武久源造のピアノはこれまでに聴き慣れた歌曲ピアニストに比べるとかなり個性的に感じられる。
かなりアルペッジョを加えて演奏する。
テンポは大きくゆらし、強弱の幅も大きく、時に荒くなるのもいとわない。
しかし、聴き進めるにつれ、不思議なほど心に訴えかけてくるものを感じずにいられなかった。
決して洗練されたスマートな演奏ではないのだが、アカデミックな演奏が失ってしまいがちな純粋無垢な響きがいたるところに息づいている。
最後の数曲では曲間にハンカチで目を拭きながら演奏していたが、演奏しながらも音楽に感動できる感受性の豊かさは視力と引き換えに授かったものだろうか。

アンコールのバッハでは淡野も気負いから解放されたかのようにのびのびと歌って締めくくった。

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ハンス・ホッター生誕100年に寄せて

1月19日は、往年の名バスバリトン、ハンス・ホッター(Hans Hotter: 1909.1.19, Offenbach am Main - 2003.12.6, Grünwald)の生誕100年の記念日にあたる。
彼の歌う「冬の旅」やレーヴェのバラード、シューマンのケルナー歌曲、ブラームスの歌曲、ヴォルフ「ミケランジェロ歌曲集」などはゆるぎない定評を得ており、愛聴している方も多いだろう。

私がはじめて彼のレコードを買ったのはジェラルド・ムーアとの「冬の旅」か「白鳥の歌」だったと思うが、同じムーアとの共演でもF=ディースカウとのあまりの違いに驚いた記憶がある。
とにかく「低い」というのが彼を聴いた第一印象だった。
「バスバリトン」というからにはバスとバリトンの中間なのだろうが、それにしては低すぎないかと感じていた。
当時中高生だった私には彼の声は渋すぎたのだ。
その頃音楽の友ホールで小林道夫とのミニコンサートとレクチャーを行う広告を見たと思うが、今思うと70代で来日して歌っていたというのは驚異的であり、聴かなかったことが悔やまれる。
結局彼の実演に接することはなかったが、レコードを通じて徐々に彼の声の低さにも慣れてくると、その唯一無二とも言える特有の温かい声の感触に惹かれていった。
低音の響きから滲み出る味のある心地よさとでも言ったらいいだろうか。
EMIのブラームス歌曲集(ムーア共演)など、「メロディーのように」ではじまり「裏切り」で終わるレコードを一体何度繰り返し聴いたことだろう。

1980年代だったと思うがFMでホッターのライヴが放送された時、余白の時間にホッターの歌う「辻音楽師」の異なる演奏を何種類も流して比較していたことがあった。
ホッターは4回「冬の旅」を録音しているが、その時はそれ以外の演奏(ライヴ?)もあったはずなのでエアチェックしなかったのが残念である。
いつかCDのボーナストラックかなにかで復活しないものだろうか。

ホッターのリート録音というとやはり「冬の旅」が真っ先に思い出されるが、正規の録音として発表されている4種類は以下の通りである(CD-Rでは1982年6月24日のコンラート・リヒターとのライヴ録音も出ている)。

Hotter_werba_winterreise1.ミヒャエル・ラウハイゼン(Michael Raucheisen)(P):DG:1942年11月&1943年, Berlin
2.ジェラルド・ムーア(Gerald Moore)(P):EMI:1954年5月24-29日, EMI Studio, London
3.エリック・ヴェルバ(Erik Werba)(P):DG:1961年12月15-18日, Brahmssaal, Musikverein, Vienna
4.ハンス・ドコウピル(Hans Dokoupil)(P):SONY:1969年4月2日, 東京文化会館大ホール(live)

4番目のドコウピルとの共演は東京でのライヴ録音なので別格として、最初の3つのスタジオ録音を見るとまさに歌曲ピアニストの代表格と次々に共演していることに気付く。
ホッターはヘルムート・ドイチュの著書「伴奏の芸術―ドイツ・リートの魅力」(1998年 ムジカノーヴァ)への寄せ書きの中で「特別な位置を占めている」パートナーとしてラウハイゼンとムーアの名を挙げている。
1970年代の歌曲録音ではジェフリー・パーソンズとも録音しており、ホッターが共演者に一流のピアニストを欲したことは注目に値する点だろう。

ハンス・ホッターがオペラの分野で果たした功績についてはきっと多くの方々が述べておられることだろう。
しかし、歌曲の分野においてもホッターがシュヴァルツコプフやヒュッシュ、F=ディースカウと並んでユニークな存在であったことは疑う余地もない。
朴訥で、去るものは追わず、来るものは拒まずと評されることのある彼の歌唱だが、実は人間味あふれる愛情に満ちたものであるように思わずにはいられない。
こういうタイプの歌手は今後あらわれないのではないだろうか。
そう思うと残された録音の数々が一層かけがえのないものに感じられるのである。

ホッターがシューマン「二人の擲弾兵」を歌った映像(ピアノはムーアだが映っていない)
http://jp.youtube.com/watch?v=7AAR-C5z3lg

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フローリアン・プライ&グガバウアー指揮読売日響/「冬の旅」(2009年1月15日 サントリーホール)

読売日響 第510回 名曲シリーズ
2009年1月15日(木)19:00 サントリーホール(C席:1階1列8番)

フローリアン・プライ(Florian Prey)(BR:「冬の旅」)
読売日本交響楽団(Yomiuri Nippon Symphony Orchestra, Tokyo)
ワルター・グガバウアー(Walter E. Gugerbauer)(C)

モーツァルト/交響曲第40番ト短調K. 550

~休憩~

シューベルト(鈴木行一編曲)/「冬の旅(Winterreise)」D. 911(全曲)

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木曜日に今年初のコンサートに出かけた。
演目は、ヘルマン・プライの息子フローリアンの独唱によるオーケストラ編曲版の「冬の旅」である。
これは通常の歌曲リサイタルではなく、読売日響の公演なので、前半にモーツァルトの交響曲第40番が演奏され、「冬の旅」は後半であった。
サントリーホールの1列目に座ったのははじめてだったが、ここがC席で、すぐ後ろの2列目がB席というのが面白い。
音響上のハンディでもあるのだろうか。
コンサート会場の音響の良し悪しを聞き分ける耳をもっているわけではないので、音響よりも演奏者の見やすい席の方が魅力的だ。
そういう意味で理想的な席でコンサートを楽しむことが出来た。

鈴木行一氏の編曲は奇をてらうことのない原曲に寄り添ったものに感じられるが、確かにピアノパートの各音に適切な楽器の音色を当てはめ、時々作品から逸脱しない程度に効果を加える。
それはシューベルト歌曲のピアノパートを鈴木氏が読み解いた1つの解釈と言えるだろう。
例えば「鬼火」では弦楽器はお休みして、管楽器のみで浮遊する鬼火を表現する。
一方「幻日」では低弦が美しいハーモニーを奏でる。
「からす」のメランコリックなメロディーは弦楽器によって美しく再現されていたし、「宿屋」での弦楽器の厚みのあるハーモニーも魅力的だった。
「最後の希望」の葉がはらはら落ちる描写は原曲における斬新さが様々な楽器によってさらに強調されて興味深かった。
「嵐の朝」での迫力はオーケストラの編曲の良さが最も生かされていた。

フローリアンは長身で痩せていて、父親の面影も残しながらもより今風である。
私の席から見た横顔は凛々しく、オペラの舞台でもきっと見る者を喜ばせることが出来るだろうと思われた。
CDで「水車屋」を聴いた時はやはり親子だなぁと感じたが、実際に聴いたフローリアンの声は予想以上にテノラールであまり父親との相似は感じなかった。
父ヘルマンのような腹の底から湧き出てくるような野太いボリューム感はフローリアンにはなく、細身の声を丁寧に歌声にしていくという印象だ。
「孤独」あたりで疲れが出たのか若干父親を思わせるあがりきらない音程も聴かれたが、全体的には正確な音程を維持していてその点ではおおむね安心して聴けた。
今の彼は直球の表現が魅力だろう。
ことさらに深刻な表情を作るよりもストレートにシューベルトの音を表現し、作品が自ずと発する趣に身を委ねるという姿勢と感じた。
父親が初演した作品を歌い終えて、拍手にこたえる笑顔には安堵の表情が感じられた(余談だが、終曲の最後の音が終わると同時に余韻にひたる間もなく拍手が起こったのはオーケストラのコンサートだから仕方のないことかもしれないが、若干残念だった)。
父親の跡を徒に追うのではなく、自分の個性を生かそうとしているのは好感をもてた。
今後のさらなる精進に期待したいものである。

指揮者のグガバウアーは配布された冊子によるとかつてはヴィーン少年合唱団の指揮者として活動していたようだ。
曲の途中でミュラーの歌詞を声に出さずに口づさんでいる場面も見られたが、自由に動きながら細かくオケに指示を出す姿勢からは作品への愛情が感じられた。

終曲「ライアー弾き」の後奏でヴァイオリン奏者が一斉に構えたので最後のフレーズを弾いて締めくくるのかと思ったら盛り上がる箇所での1度きりのピツィカートだった。
このようなオケの息吹を間近で体感できたのも大きな収穫だった。

ピアノの発想でつくられた音楽をオケに当てはめたための難しさがあったと思われるが、読売日本交響楽団はよく演奏していたと思う。
前半のモーツァルトではより自在に生き生きとした表現を聴かせてくれた。

読響のプログラム冊子は無料で配布されるにもかかわらず上質の紙を使いカラーページも多く中身も様々な記事が盛り込まれ、かなり気合の入った内容だったのがうれしい驚きだった。

「冬の旅」が原曲だけで完成した音楽である以上オーケストレーションすることに対して疑問をもつ人がいてもおかしくないだろう。
だが、「冬の旅」がオーケストレーションされることによって、オーケストラのコンサートにしか行かない方にもリートを聴く機会が得られ、関心をもつ人が増えるかもしれないということは否定できないだろう。
逆にリートばかり聴いている私にとっても、今回モーツァルトの40番の交響曲をじっくり堪能できたのだから、双方のファンにとって良いことではないだろうか。

F_prey_gugerbauer_2009

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プレガルディエン&ゲースのネットラジオ放送予定(12日17時5分~)

エストニアのインターネットラジオ局「Klassikaraadio」で、日本時間の今日17時5分から18時30分まで、クリストフ・プレガルディエン&ミヒャエル・ゲースの歌曲の夕べが放送されるようです。

シューマン、マーラー、ブラームス
2008年8月22日, Bad Reichenhall

http://klassikaraadio.err.ee/saated?saade=224&d=2009-01-12&tm=10:05

興味のある方は時間になったら以下にアクセスしてお聴きください。

Windows Mediaで聴く
mms://213.35.156.21/klassikaraadio

Real Audioで聴く
http://klassikaraadio.err.ee/gfx/klassik.ram

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シューマン作曲
歌曲集「詩人の恋」(全16曲)

マーラー作曲
誰がこの歌をつくったのだろう
高遠なる知性の讃美
ラインの伝説
原光
美しいトランペットの鳴り渡るところ
起床合図(死んだ鼓手)
私はこの世に忘れられ

ブラームス/野の孤独Op. 86-2
シューマン/ミルテとばらでOp. 24-9
シューマン/月夜Op. 39-5

後半のマーラーがプレガルディエンの声と表現に合っているような気がした。
特に「私はこの世に忘れられ」は曲が素晴らしく、印象に残る。
ピアノのミヒャエル・ゲースもプレガルディエンと互角に表現していたと感じた。

実は録音しておいて後でじっくり聴くつもりだったので、音量も小さく、あまり付きっきりでは聴いていなかったのだが、録音に失敗してしまい残念。
次回からは注意しなければ。

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「クラシック・アーカイブ」を見る

昨夜、NHK教育テレビで過去の外来演奏家の貴重な映像を集めた「ETV50クラシック・アーカイブ~和洋名演名舞台~-第2部・世紀の名演奏-」(22:45-0:30)が放送された。
休み明けの仕事疲れか睡魔に勝てずビデオ録画しておき、さきほど見たところである。
進行役はお馴染みの池辺晋一郎さんと、ギタリストの村治佳織さん。

白黒映像のカラヤン指揮ヴィーン・フィルの「未完成」(1959年)から、クライバー指揮バイエルン国立管のベートーヴェン第7番全曲(1986年)までいずれも超有名人ばかりの貴重な記録である。
3大テノールの映像などを聴くとやはり彼らの声の魅力は並外れていたのだろうなと思うが、「アドリアーナ・ルクヴルール」でカレーラスが歌うのを見守るカバリエが声に出さずに一緒に口を動かしていたのが面白かった。
グラナードスの「スペイン舞曲」を弾くセゴビアの指は太く、かえって弾きにくかったのではないかと思ったり、20年ほど前のアルゲリッチのラヴェルのコンチェルトを見て、まだスタイルも良く美しい一方、その二の腕の太さに驚いたりと、映像ならではの面白さがあり、釘付けになって一気に見終わってしまった。

1980年代にブームになったロシア出身のブーニン、キーシン、レーピンもまだ若く懐かしかった。
1983年に初来日して「ひびの入った骨董」などと言われてしまったホロヴィッツの映像も出てきたが、ベートーヴェンのソナタ第28番を弾く彼は「ひび」が入っておらずホロヴィッツの魅力が健在だったように思う。
ミケランジェリの技巧の凄さも印象的だったし、デル・モナコとゴッビが共演した映像も貴重な記録だろう。

だが私としては、やはり「美しい水車屋の娘」の「どこへ」を歌うシュライアーの映像が最もうれしかった。
1980年に来日した時の録画で、コンラート・ラゴスニクのギターとの共演である。
シュライアーはラゴスニクと並んで椅子に腰掛け、物語を読み聞かせるように静かに噛んでふくめるような味わいをもって歌う。
ギターの典雅な響きはごく内輪の集まりでのアットホームな雰囲気を醸し出し、シュライアーは主人公になりきるのではなく第三者の立場で語っていたように感じられた。

クライバーの映像を見るのははじめてだが、このカリスマ指揮者が練習の時には楽団員に徹底的にしこみ、本番では自由に楽しんで指揮しているという池辺さんの話も含め興味深かった。
池辺さんのオヤジギャグに苦笑せざるをえない村治さんが若干気の毒だったが・・・(慣れると結構はまりますが)。

放送内容は以下のリンク先をどうぞ(最初にhttp://を付けてください)。

cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2009-01-09&ch=31&eid=33155

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リンク集追加のお知らせ:ブログ「人間美術館」

いつもご訪問くださるClaraさんのブログ「人間美術館」をリンク集に追加しました。

ご本人によると「今までに出会った美しい人や場面、音楽、美術、文学作品などについて心の赴くままに綴っていきます。」とのことです。
Claraさんは幅広い好奇心と豊かな人生経験を生かして、繊細かつ筋の通ったお人柄が滲み出た素晴らしい文章を紡いでおられます。
単なる芸術鑑賞メモではなく、そこに必ずClaraさんの視点、感性が加わるのがとても素晴らしい点だと思います。
評論家ではない、一般の視点で素直に心の内を吐露するということは出来そうでなかなか難しいのではないでしょうか。
また、日常のちょっとした一場面が描かれていて微笑ましく感じることもしばしばです。
心の豊かな人生を送ろうとする時、Claraさんの記事は必ずなにかしらのヒントを与えてくれると思います。
特に、若い世代の方たちは新たな視点に目を開かされる記事も多いと思われます。
Claraさんから発せられるメッセージにぜひ目を通していただきたいです。
そんなわけで私はひそかにClaraさんの書かれる文章を「人生勉強のテキスト」と呼んでいるのです。

また、「人間美術館」のリンク集には別館の「森の時間-風の色」が含まれています。
こちらは、さらに生活密着型の優しい時間が流れていておすすめです。

ぜひご訪問ください!

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リンク集追加のお知らせ:ブログ「夜の断想」

ピアニストのゲルハルト・オピッツの記事などでコメントをくださったanatorさんのブログ「夜の断想」をリンク集に追加しましたので、ご紹介します。
「ヨーロッパ文学、クラシック音楽などを巡る断想を、気まぐれに綴っていきます」とのことです。
1つ1つの記事がコンパクトにまとめられて読みやすく、しかも内容は多岐に渡り、とても学ぶことの多いブログです。
文学作品もクラシック音楽にしても、これほどコンパクトなのに必要な情報はしっかり詰め込まれているというのは、ブログ記事の1つの理想といってもいいのではないでしょうか。
オピッツが弾くリストのコンチェルトなども紹介されていますが、オピッツとリストは一見結びつかないイメージがあるので、記事を読んで聴いてみたくなりました。
皆さんも「夜の断想」の記事から何かあらたな出会いがあるかもしれませんよ。
ぜひご訪問ください。

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明けましておめでとうございます

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
皆様の新年はいかがでしたでしょうか。

連日公園に集まる方々の表情が報道され、一向に上向く気配のない状況に不安を感じつつも、出来るだけ早く良くなることを願っております。

今年は珍しく初詣に出かけ、はじめて厄払いをしてもらいました。
体の変わり目の時期にさしかかり、徐々に無理がきかなくなってくるようです。
最近は疲れが抜けるのが遅くなったような気もします。
無理をせずにマイペースにいきたいと思います。

紅白歌合戦の録画の前半をさきほど見ていました。最近は「つまらない」という声が増え、私の身内などもほとんど見なくなりました。あまりにも嗜好が多様化して「家族みんな」で楽しむというのはもはや無理なのでしょう。でも、浜崎あゆみで始まり、エンヤで終わった前半を見た限りでは私にとってはあきることのない刺激的なパフォーマンスの連続でした。NHKらしい時代がかった演出もそれなりに楽しめ、歌手たちの特別なステージにかける思いの強さがびんびん伝わってきました。

新年は暇な時間が多かったので、何年も読んでいなかった「カフカ短篇集」(池内紀訳)の中の数篇を読みました。ストーリーに白黒ついていないと満足できなかった若い頃はカフカの作品を読んでも消化不良になるだけでしたが、今になって読んでみると、これはこれで面白いと感じました。なんだか変だけれども、その雰囲気をそのまま味わえばいいという感じでしょうか。こ難しく解釈するよりも純粋にその奇妙な世界に浸っていると、これは結構、後に引く面白さがあると思いました。なかでも「雑種(Eine Kreuzung)」という小品が気に入りました。機会があれば何か訳してみようかななどと無謀にも思ってしまいました。

今年も昨年同様週1回ぐらいのペースで投稿していこうと思っております。
本年も何卒よろしくお願いいたします。

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