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フローリアン・プライ&グガバウアー指揮読売日響/「冬の旅」(2009年1月15日 サントリーホール)

読売日響 第510回 名曲シリーズ
2009年1月15日(木)19:00 サントリーホール(C席:1階1列8番)

フローリアン・プライ(Florian Prey)(BR:「冬の旅」)
読売日本交響楽団(Yomiuri Nippon Symphony Orchestra, Tokyo)
ワルター・グガバウアー(Walter E. Gugerbauer)(C)

モーツァルト/交響曲第40番ト短調K. 550

~休憩~

シューベルト(鈴木行一編曲)/「冬の旅(Winterreise)」D. 911(全曲)

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木曜日に今年初のコンサートに出かけた。
演目は、ヘルマン・プライの息子フローリアンの独唱によるオーケストラ編曲版の「冬の旅」である。
これは通常の歌曲リサイタルではなく、読売日響の公演なので、前半にモーツァルトの交響曲第40番が演奏され、「冬の旅」は後半であった。
サントリーホールの1列目に座ったのははじめてだったが、ここがC席で、すぐ後ろの2列目がB席というのが面白い。
音響上のハンディでもあるのだろうか。
コンサート会場の音響の良し悪しを聞き分ける耳をもっているわけではないので、音響よりも演奏者の見やすい席の方が魅力的だ。
そういう意味で理想的な席でコンサートを楽しむことが出来た。

鈴木行一氏の編曲は奇をてらうことのない原曲に寄り添ったものに感じられるが、確かにピアノパートの各音に適切な楽器の音色を当てはめ、時々作品から逸脱しない程度に効果を加える。
それはシューベルト歌曲のピアノパートを鈴木氏が読み解いた1つの解釈と言えるだろう。
例えば「鬼火」では弦楽器はお休みして、管楽器のみで浮遊する鬼火を表現する。
一方「幻日」では低弦が美しいハーモニーを奏でる。
「からす」のメランコリックなメロディーは弦楽器によって美しく再現されていたし、「宿屋」での弦楽器の厚みのあるハーモニーも魅力的だった。
「最後の希望」の葉がはらはら落ちる描写は原曲における斬新さが様々な楽器によってさらに強調されて興味深かった。
「嵐の朝」での迫力はオーケストラの編曲の良さが最も生かされていた。

フローリアンは長身で痩せていて、父親の面影も残しながらもより今風である。
私の席から見た横顔は凛々しく、オペラの舞台でもきっと見る者を喜ばせることが出来るだろうと思われた。
CDで「水車屋」を聴いた時はやはり親子だなぁと感じたが、実際に聴いたフローリアンの声は予想以上にテノラールであまり父親との相似は感じなかった。
父ヘルマンのような腹の底から湧き出てくるような野太いボリューム感はフローリアンにはなく、細身の声を丁寧に歌声にしていくという印象だ。
「孤独」あたりで疲れが出たのか若干父親を思わせるあがりきらない音程も聴かれたが、全体的には正確な音程を維持していてその点ではおおむね安心して聴けた。
今の彼は直球の表現が魅力だろう。
ことさらに深刻な表情を作るよりもストレートにシューベルトの音を表現し、作品が自ずと発する趣に身を委ねるという姿勢と感じた。
父親が初演した作品を歌い終えて、拍手にこたえる笑顔には安堵の表情が感じられた(余談だが、終曲の最後の音が終わると同時に余韻にひたる間もなく拍手が起こったのはオーケストラのコンサートだから仕方のないことかもしれないが、若干残念だった)。
父親の跡を徒に追うのではなく、自分の個性を生かそうとしているのは好感をもてた。
今後のさらなる精進に期待したいものである。

指揮者のグガバウアーは配布された冊子によるとかつてはヴィーン少年合唱団の指揮者として活動していたようだ。
曲の途中でミュラーの歌詞を声に出さずに口づさんでいる場面も見られたが、自由に動きながら細かくオケに指示を出す姿勢からは作品への愛情が感じられた。

終曲「ライアー弾き」の後奏でヴァイオリン奏者が一斉に構えたので最後のフレーズを弾いて締めくくるのかと思ったら盛り上がる箇所での1度きりのピツィカートだった。
このようなオケの息吹を間近で体感できたのも大きな収穫だった。

ピアノの発想でつくられた音楽をオケに当てはめたための難しさがあったと思われるが、読売日本交響楽団はよく演奏していたと思う。
前半のモーツァルトではより自在に生き生きとした表現を聴かせてくれた。

読響のプログラム冊子は無料で配布されるにもかかわらず上質の紙を使いカラーページも多く中身も様々な記事が盛り込まれ、かなり気合の入った内容だったのがうれしい驚きだった。

「冬の旅」が原曲だけで完成した音楽である以上オーケストレーションすることに対して疑問をもつ人がいてもおかしくないだろう。
だが、「冬の旅」がオーケストレーションされることによって、オーケストラのコンサートにしか行かない方にもリートを聴く機会が得られ、関心をもつ人が増えるかもしれないということは否定できないだろう。
逆にリートばかり聴いている私にとっても、今回モーツァルトの40番の交響曲をじっくり堪能できたのだから、双方のファンにとって良いことではないだろうか。

F_prey_gugerbauer_2009

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コメント

フランツさん、お早うございます。
フロリアン・プライの「冬の旅」、オーケストラとの共演という珍しい試みで、また違った味わいのある演奏会だったようで、良かったですね。
フランツさんの記事で、その場の雰囲気が良く伝わってきました。
最前列は、歌曲を聴くには、良い場所だと思います。
歌手の表情や息づかいも分かりますし、聴く方にも、一体感が得られますものね。
私も、聴きたかったなあと思います。
良い週末になって、良かったですね。
いろいろな「冬の旅」、解釈も、歌唱もそれぞれでしょうが、聴く人の思い入れも加わってのコンサート、フランツさんにとっては、ヘルマンの頃からのご縁ですから、特に素晴らしい巡り合わせになりましたね。

投稿: Clara | 2009年1月17日 (土曜日) 09時24分

音響よりも演奏者の見やすい席の方が魅力的
**
同感です。P席も美味しい。1列目ははじっこでもいいなあ、凄いです。フローリアンって素敵な響きの名前ですね。

投稿: Auty | 2009年1月17日 (土曜日) 10時09分

Claraさん、こんにちは。
コンサートの雰囲気をお伝えできてうれしく思います。
父親のコンサートを何度も聴いてきて、今その息子の「冬の旅」を聴くことが出来るというのはやはり感慨深いものがあります。
フローリアンが父親の歌い方を真似たりせずに自分の個性を生かした歌を聴かせてくれたのが素晴らしかったと思います。
カリスマ的なオーラを放射するタイプではないかもしれませんが、地道に歌曲を追求していってもらえればいいと思います。
Claraさんも機会がありましたらお聴きになってみてください。
どうぞよい週末をお過ごしください!

投稿: フランツ | 2009年1月17日 (土曜日) 12時03分

Autyさん、こんにちは。
1列目は音響的に特に不都合は感じませんでしたからC席の値段で聴けたのはお得でした。
P席については私もかつて随分利用しました。確かに声は反対側に飛んでいってしまうのですが、演奏者の息遣いを視覚で楽しめるという意味ではいい席ですね。

投稿: フランツ | 2009年1月17日 (土曜日) 12時10分

こんばんは。お父さんのために作られた管弦楽アレンジを受け継いでいるのですね。管弦楽アレンジのシューベルトの歌曲というのはプライ以外にやる人があまりいないので頼もしいですね。

投稿: たか | 2009年1月19日 (月曜日) 00時14分

たかさん、こんばんは。
父親の残したものを受け継いでいけるというのは息子にとっても感慨深いのではないかと思います。フローリアンはヘルマンよりも音程はしっかりしていましたし、地道に活動してくれればいいなと思います。オケ編曲の歌曲はなかなか聴く機会がないので貴重な体験でした。

投稿: フランツ | 2009年1月19日 (月曜日) 00時46分

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