ボストリッジ&ドレイク/マーラー&ベルリオーズ歌曲集(2008年11月26日(水) 東京オペラシティコンサートホール)
イアン・ボストリッジ・テノール・リサイタル2008年11月26日(水)19:00 東京オペラシティコンサートホール(B席:3階L1列53番)
イアン・ボストリッジ(Ian Bostridge)(T)
ジュリアス・ドレイク(Julius Drake)(P)
マーラー(Mahler)作曲
「若き日の歌(Lieder und Gesänge aus der Jugendzeit)」より
1.春の朝(Frühlingsmorgen)
2.思い出(Erinnerung)
「子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)」より
3.この世の生活(Das irdische Leben)
4.死んだ鼓手(Revelge)
5.美しいトランペットが鳴り響く所(Wo die schönen Trompeten blasen)
「さすらう若人の歌(Lieder eines fahrenden Gesellen)」 (全曲)
6.第1曲 恋人の婚礼の時(Wenn mein Schatz Hochzeit macht)
7.第2曲 今朝、野辺を歩けば(Ging heut' morgen übers Feld)
8.第3曲 私の胸の中には燃える剣が(Ich hab' ein glühend Messer in meiner Brust)
9.第4曲 恋人の青い眼(Die zwei blauen Augen von meinem Schatz)
~休憩~
ベルリオーズ(Berlioz)作曲
歌曲集《夏の夜(Les nuits d'été)》(全曲)
10.第1曲 ヴィラネル(Villanelle)
11.第2曲 ばらの精(Le spectre de la rose)
12.第3曲 入り江のほとり(Sur les lagunes)
13.第4曲 君なくて(Absence)
14.第5曲 墓地にて(Au cimetiére)
15.第6曲 知られざる島(L'île inconnue)
~アンコール~
16.ブラームス(Brahms)/荒野を越えて(Über die Heide)Op. 86-4
17.ブラームス/秘密(Geheimnis)Op. 71-3
18.シューマン(Schumann)/月夜(Mondnacht)Op. 39-5
19.ブラームス/家もなく、故郷もなく(Kein Haus, keine Heimat)Op. 94-5
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当初行く予定ではなかったこのコンサートだが、トッパンホールでの彼らのコンサートが素晴らしかったのでこちらも聴きたくなり、急遽会場に出かけ当日券で聴くことが出来た。
すっかりクリスマス仕様のイルミネーションで彩られたオペラシティは、今年も残りわずかになったことを思い起こさせる。
S席~B席まで残っていたが、最近様々なコンサートに出かけて散財しているので、今回はB席を購入した(3階左側)。
マーラー自作の詩による「さすらう若人の歌」や、テオフィール・ゴティエの詩によるベルリオーズの「夏の夜」は有名な歌曲集であり、人気も高いが、普段オーケストラ版で歌われることが多く、ピアノ版もオケの発想でつくられた音楽をピアノにそのまま移し変えたような印象がある(ピアノ版が先に作られたようだが、最初からオケに編曲することを想定していたのではないだろうか)。
従ってピアニストにとっては、オケの響きをピアノで再現するという点、さらに「夏の夜」の場合あまりピアニスティックでない書法をいかに音楽的に聞かせるかという点において、かなりの難題を突きつけられているように思う。
その点、この夜のジュリアス・ドレイクはパーフェクトに近い充実した演奏を聴かせてくれた。
ホールの大きさに考慮したのであろう、トッパンホールの時よりもピアノの蓋を広く開け(それでも全開ではなかったが)、彩り豊かなタッチで雄弁な音楽をつくりあげていた。
特に「死んだ鼓手」での演奏はピアノ1台でオケに匹敵する音楽を再現して素晴らしかった。
「この世の生活」は飢えた子供と母親の対話を描いているが、最後にドレイクが響かせた不気味な低音はこの詩の悲劇を暗示しているように感じられた。
ボストリッジは長身だが、横幅も奥行きも薄く、F=ディースカウが「あんなに痩せていて歌が歌えるのだろうか」と訝ったというのが頷けるほどの痩身である。
だが、天上桟敷の私の席まで彼の声は充分届き、声量は問題ない(大ホールでリートを歌うことの多い現代は、繊細さだけでなく声のボリュームも求められるので、歌手にとって要求されるものが多くなり、ちょっと気の毒な気もする)。
また、3階から見るとボストリッジがいかによく動き回っているかがはっきり分かる。
歌を習ったことのない私のような素人の見方だと、普通歌う時には足を適度に開き、重心を体で支えて声を出すような印象があるのだが、ボストリッジは強声を響かせる時でも片足を軽くあげたり、膝を曲げたり、あちらこちら歩いてみたり、こんな姿勢でよく安定した声が出るものだと不思議な気がするが、逆に動きを止めてしまうと彼にとっては歌いにくいのかもしれない。
マイルドでしなやかな声の彼は一見なんでもないかのようにさらりと歌う。
あたかもちょっと鼻歌を歌う時の延長のような感じだが、それでもよく聴くとしっかりと言葉は発音され、詩の内容に反応して表情を変化させているのが感じられる。
苦心の跡をほとんど感じさせないのが彼のすごさだろう。
「美しいトランペットが鳴り響く所」の弱声は特に美しかった。
また「さすらう若人の歌」をテノールで聴くのは珍しく、新鮮な印象を受けた。
トッパンホールの時もそうだったが、今回も曲間をほとんど中断せず、続けて演奏したのは、集中力を妨げられたくなかったのかもしれない。
聴衆もドレイクの仕草からそのことを察していて、前半のマーラーの様々な曲集からのアンソロジーも一連の歌曲集のように聴いていた。
後半が「夏の夜」全6曲だけというのは一見短いように感じられるが、長めの曲がいくつかあるため、物足りなさは感じなかった。
ベルリオーズの曲の性格なのか、あまりフランス歌曲特有の匂いたつような香気は感じられないが、性格の異なる構成曲は歌手とピアニストに様々な能力を要求しており、特に1人の歌手で歌い通すのはそれほど容易なことではないのだろう。
その点、ボストリッジの歌唱は出来不出来がなく、どの曲にも息を吹き込んでいたと思う。
ただ、3曲目「入り江のほとり」にたびたび現れる高音ではじまる箇所では、そんな彼でさえ意気込んで高音にアタックしているのが感じられ、ボストリッジにとっても挑戦だったのではないか。
大ホールで聴く限界なのかもしれないが、フランス語特有の響きは彼の歌唱からはあまり感じられなかったが、それでも発音が悪いということではなく、よく歌っていたと思う。オケ版の時には感じられないようなピアノ版特有の親密感があったのが良かった。
アンコールではブラームスやシューマンが歌われ、個人的にはうれしい選曲だった。
特に美しい分散和音に乗った繊細な「秘密」はボストリッジの声によく合っていたと感じた。
アンコールの最後はブラームスの「家もなく、故郷もなく」。
30秒あるかないかというぐらいにあっという間に終わり、声の負担も少なく、最後は盛り上がって終わるので、案外知られざるアンコール向きの作品かもしれない。
今回、トッパンホールも含めて多くのブラームス歌曲を披露したボストリッジ。
いずれブラームス歌曲集の録音が聴ける日がくるのではないだろうか。
なお、今回ボストリッジのパンフレットは1000円で販売され、よく売れていたようだ。
ここのところ、無料で配布されるパンフレットに慣れていたので、久しぶりにお金を出して手に入れたが、若干高いとは感じたものの、美しい装丁で、歌詞対訳も含め中身も充実していたので、記念になると思う。
今後のボストリッジとドレイクの活動に期待したい。
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