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ハイドンのオペラ《騎士オルランド》を聴く(2008年10月25日 北とぴあ さくらホール)

北とぴあ国際音楽祭2008
ハイドン(Haydn) オペラ《騎士オルランド(Orlando Paladino)》3幕の英雄喜劇(Dramma eroicomico)/イタリア語上演・日本語字幕付

Orlando_paladino2008年10月25日(土)午後3時開演

北とぴあ さくらホール(2階H列16番)

指揮:寺神戸 亮
演出:粟國 淳
管弦楽:レ・ボレアード(オリジナル楽器使用)

美術:横田あつみ
照明:笠原俊幸
衣装:増田恵美
舞台監督:大仁田雅彦

オルランド(Orlando)(騎士):フィリップ・シェフィールド(Philip Sheffield)(T)

アンジェーリカ(Angelica)(カタイ=中国の女王):臼木 あい(S)

ロドモンテ(Rodomonte)(バルバリアの王):青戸 知(BR)

メドーロ(Medoro)(アンジェーリカの恋人):櫻田 亮(T)

リコーネ(Licone)(エウリッラの父。羊飼い):根岸 一郎(T)

エウリッラ(Eurilla)(羊飼い):高橋 薫子(S)

パスクワーレ(Pasquale)(オルランドの従者):ルカ・ドルドーロ(Luca Dordolo)(T)

アルチーナ(Alcina)(魔女):波多野 睦美(MS)

カロンテ(Caronte)(三途の川の渡し守):畠山 茂(BSBR)

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ほとんどオペラ素人の私が久しぶりにオペラを見に行った。
演目は来年が没後200年のハイドン(1732-1809)による歌劇「騎士オルランド」。
北とぴあで毎年開催している音楽祭の今年のテーマは「魔法」。
そのトリの演目となっている。
この音楽祭、以前エディット・マティスのリサイタルを聴いたことがあるが、それ以来、何年ぶりかで王子駅近くの北とぴあに出かけた。
会場に開演40分前ごろに着き、1階の広間に入ると、片隅に小型のパイプオルガンが設置されており、ちょうどオペラ開演と同刻にはじまる無料のオルガンコンサートのリハーサルを女性のオルガニストが弾いていたので、思わぬ得をした気分で間近でしばし聞き入った。

「騎士オルランド」の実演を聴こうと思ったのは単純かつミーハーな理由なのだが、大好きなアーメリング(エウリッラ役)が録音した唯一のオペラ全曲のスタジオ録音の演目だったからだ。
PHILIPSに1976年に録音されたこのLPはドラティ指揮で、アーリーン・オジェーがアンジェーリカ役を歌っていたが、国内盤は出なかったようだ(海外ではCD化されている)。
2005年にアルノンクールがライヴ録音したものが2度目の正規録音で、これは国内盤が出たので、ようやくリブレットの対訳を見ることが出来た。

中国の女王アンジェーリカにはメドーロという恋人がいるが、その女王に思いを寄せる騎士オルランドは彼女を奪おうとし、同じく女王に好意を抱くロドモンテはオルランドと決闘するために追ってくる。
追われる身のアンジェーリカは恋人メドーロの身を案じ、魔女アルチーナの力を借りる。
嫉妬に狂うオルランドのために窮地に陥る場面でアルチーナが何度もアンジェーリカを救い、最後は三途の川の渡し守カロンテに命じてオルランドに忘却の水を浴びせさせ、恋心を忘れさせる。
オルランドはアンジェーリカとメドーロに対して脅威でなくなり、大団円という内容である。
途中で羊飼い娘エウリッラとオルランドの従者パスクワーレが恋仲になり、ドラマを進行させたり、ひっかきまわしたりしながら、コミカルな要素を加味している。

まずは演出の粟國淳をはじめとするスタッフの健闘を心から讃えたい。
過激で奇抜な要素は全くなく、あくまで内容に沿った丁寧なつくりであり、額縁風の背景のスクリーンに映し出される映像(空や海だったり、戦闘シーンの絵、さらに石から人間に戻るオルランドの映像には思わずどよめきが起こった)は控えめながらストーリーを分かりやすく伝えていたし、斜めにせり出した舞台に当てられた美しい照明や、時にびっくりするような白煙なども飛び出し、歌い手の衣装も印象的で(冥府の船乗りカロンテのメイクと衣装は夢に出てきそうだ)、音楽を壊さない範囲内で多くの効果を挙げることに成功したスタッフ陣の力は素晴らしかったと思う。
セリアとブッファの要素が融合したと言われるこのオペラの贅沢な味わいを堪能させてくれた。

2階の私の席からはオーケストラピットは最後列の管楽器奏者しか見えず、寺神戸氏の指揮姿を見ることは出来なかったが、真ん中あたりの男女の管楽器奏者が演奏の前や合間に仲良くしゃべっていたのがリラックスした雰囲気を感じさせた。
古楽器の良い意味での生々しい音が生命力を感じさせた。
特にテンポの大胆な流動は、指揮の寺神戸亮をはじめとする演奏者の原典研究の賜物なのだろう。

歌手はイギリス人のフィリップ・シェフィールドがタイトルロールを演じ、その従者である愛すべき道化パスクワーレを演じるのはイタリアのルカ・ドルドーロである。
そのほかのキャストはすべて日本の若手、中堅の実力派で固めている。

格別に素晴らしかったのは、中国の女王アンジェーリカを演じたソプラノの臼木あいであった。
その声は芯があり、どの音域も豊かでつややかな声をコントロールして悲劇のヒロインを真摯に悲痛さをこめて表現していて素晴らしかった。
リリックとコロラテューラ(魔女アルチーナよりもずっと技術的に難しそうな印象を受けた)の両要素が要求される難役だが、どちらの要素も見事なまでに歌いこなしていた。
出産のため降板した森麻季の代役を期待以上に果たしてくれ、素晴らしい歌手をまた一人知ることが出来た喜びを感じた。
また、現在の古楽界を支えているテノールの櫻田亮は、優柔不断で頼りないメドーロ役にしては立派すぎるぐらい堂々たる歌いぶりと美声でさすがと思わされた(オルランド役でも良かったかも)。
一方、コミカルな要素を代表する2人、オルランドの従者パスクワーレ役のルカ・ドルドーロと、羊飼いエウリッラ役の高橋薫子はその演技の絶妙な楽しさで聴衆の心を完全にとらえた。
ルカ・ドルドーロはどこまでが演技でどこまでが素なのか分からないような自然さで、気の弱い従者としての側面と、それでも強がってみせる側面をコミカルな演技と歌唱で表現していた。特にエウリッラへの愛で骨抜きになり、「アー」だの「エー」だのと母音でため息ばかりを繰り返す箇所は絶妙だった(「パ・パ・パ」のパパゲーノを思い出した)。
高橋薫子は仕草のどの一つをとっても可愛らしく愛嬌にあふれ、ほとんどの登場人物となんらかの絡みを見せながら、シリアスな時にも場を明るくする魅力的な役回りで聴衆に安心感を与えていた。
波多野睦美の演じた魔女アルチーナは、「夜の女王」の原型のようなイメージだが、あちらの邪悪な扱いではなく、登場人物たちの苦難を彼女の魔法一つで解決してしまうという「頼みの綱」的な存在である。
その威厳に満ちた役柄に、彼女は余裕をもった堂々たる演技と安定した歌唱で見事に同化していた。
タイトルロールを歌ったフィリップ・シェフィールドは初来日とのこと。
確かにイギリス人テノールの典型のような丁寧な歌いぶりは素晴らしいものの、オルランド(カール大帝の甥のロランがモデルと言われているそうだ)の狂気を表現するには人の良さが邪魔をしていたような感じがした。
だが痩身で背の高い彼は舞台上での見栄えはよく、適役を歌えば舞台上で映えたことだろう。
オルランドの敵、ロドモンテ役を歌う青戸知は20年近く前アーウィン・ゲイジのマスタークラスで「万霊節」を歌うのを聴いて以来である(その時は声の大きさが印象に残っている。ちなみにその時の彼のピアニストはヴォルフ全曲演奏会の松川儒だった)。
オルランドに対する丁々発止とした緊張感を表現しようという意欲が伝わってきた。

第1幕の後に約20分の休憩をはさみ、3時間近くの上演を終えて、私はただただハイドンのこのオペラを心ゆくまで楽しんだ。
これほどのメンバーを集め、美しい舞台を時間をかけて作り上げているものを、たった2回(23日と25日)の上演しか行わなかったのはもったいなかった。

来年はハイドンの没後200年。
彼の45曲ほどの歌曲と、無数の民謡編曲と同時に、彼のオペラにも目を向けてみようと思う。
私にとって、ハイドンのオペラは才気にあふれ、聴き手を楽しませるサービス精神と美しい音楽性の同居した親しみやすいエンターテインメントであった。
記念年にはCDだけでなく、DVDでも彼のオペラを楽しめるようになるだろうか。

ちなみに来年の北とぴあ音楽祭のテーマは「未知なるものへ」とのことで、グルックのオペラ「思いがけないめぐり会い、またはメッカの巡礼」が、同じく寺神戸指揮レ・ボレアードで上演されるそうだ。
このオペラの中の「流れる小川に」はシュヴァルツコプフの愛唱歌だった。
どんなオペラなのか来年も聴いてみようか。

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リンク集追加のお知らせ:辻乃森音楽師

たびたびご訪問くださる辻森さんがご自分のブログを立ち上げられましたので、ご本人の了解のもとリンク集に追加しました。
「辻音楽師」ならぬ「辻乃森音楽師」という名前が示しているように、シューベルトへの深い愛に貫かれた素敵なブログです。
辻森さんの紡ぐ言葉の美しさはそれ自体が「詩」のようで、シューベルトの音楽を聴いているかのように読む人の心にしみわたってきます。
自由な発想でシューベルトに迫っていこうという意気込みが伝わってきて、シューベルト愛好家必見です。
すでにいくつかの素敵な記事が投稿されています。
ぜひご訪問ください!

ブログ「辻乃森音楽師」

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没後15年のアーリーン・オジェーに寄せて

アメリカのソプラノ歌手アーリーン・オジェー(Arleen Augér: 1939.9.13, South Gate, Southern California - 1993.6.10, Barneveld, Leusden, the Netherlands)が亡くなって早いものでもう15年が経った。
彼女の名前をはじめて知ったのは、1980年代にFMラジオから流れてきた彼女の歌声だった。
ピアニストのライナー・ホフマンと共演した来日公演の放送だったが、当時シューベルトの歌曲が放送されるたびにカセットテープに録音して聴いていたことを懐かしく思い出す。
その後、ユリア・ハマリとの二重唱をコンラート・リヒターのピアノで演奏した海外のコンサートなども放送されたと記憶している。
シューベルトの「太陽に寄せて」や「春の歌」「恋はいたるところに」などの美しい小品をエアチェックしたカセットテープで何度も繰り返し聴いたものだった。

彼女の実演を聴いてみたいと思い来日公演のチケットを購入したのは1992年だった。
しかしチケット購入後、演奏会のキャンセルが告知され、払い戻しとなった。
この時は単なる風邪だろうと軽く考えており、いつか聴くことが出来るものと思っていた。
しかしその翌年に残念ながら彼女は脳腫瘍との壮絶な闘いの末、53年の生涯を閉じてしまったのである。
3度もの手術を受けたものの、回復することはなかった。
彼女が亡くなった当時、私はオーストリアに行っており、そのニュースを知らなかった。
帰国後、ある雑誌で彼女の死をはじめて知った時の衝撃を今でも思い出すことが出来る。

彼女の録音をはじめて購入したのは確かヴァルター・オルベルツと共演した徳間ジャパンから出ていたシューベルト歌曲集(1978年録音)のLPだったと思う。
「糸を紡ぐグレートヒェン」「ズライカ」などと共に「ミニョン」歌曲が多数含まれていた。
よく知られたD877だけにとどまらず、作曲家の若い頃に何度も繰り返し「ミニョン」の同じ詩に作曲した軌跡を聴き比べる楽しみを与えてくれた素晴らしい録音だった。

彼女はオペラや宗教曲でも膨大な録音を残しているが、歌曲の録音もかなりの量を残してくれた。
アンドレ・プレヴィン指揮ヴィーン・フィルとのR.シュトラウス「4つの最後の歌」(TELARC)など絶品だし、Hyperionレーベルのグレアム・ジョンソンによるシューベルト歌曲全集第9巻では、シューベルトのオペラ・アリアを核にした選曲で楽しませてくれた。
オルベルツとはBERLIN Classicsにハイドンの歌曲ばかりの録音(1980年10月録音)をしているし、同じくオルベルツと組んで1977年5月に録音した「女の愛と生涯」やミニョン歌曲群を含むシューマンの演奏も素晴らしかった。
DELOSレーベルには1988年3月に"Love Songs"と題した録音を残し、ドルトン・ボールドウィンと共に米英独仏伊西の名曲25曲のアンソロジーを演奏し、芸術性と娯楽性が同居した肩のこらない素晴らしい録音となっていた。
1978年5月のザルツブルクでのライヴ(ORFEO)ではハイドン、モーツァルト、シューベルト、ベートーヴェンなどの歌曲をハンマークラヴィーアを弾くエリック・ヴェルバと演奏し、古雅な一時を与えてくれた。
最近、BBC LEGENDSからボールドウィンとの1987年1月BBC放送録音が復刻され、シューマン、シューベルト、シェーンベルク、R.シュトラウスの歌曲を美しく歌っていた。

彼女の最後の録音となったのはアーウィン・ゲイジと1991年12月に録音したヴォルフのメーリケ&ゲーテ歌曲集(Hyperion)である。
すでに体調を崩していたそうだが、歌の形はいささかも崩れておらず、ヴォルフのユニークな世界を透明な美声で響かせていて、いくつかの賞を受賞したのが納得できる名盤である。

彼女の歌の一番の特徴は聴いてすぐに分かるその透明な美声である。
これ以上ありえないぐらいに澄み切った声は、天与のものであると同時に、それを維持する彼女の努力なくしてはありえないだろう。
透明だが冷たくならないのは、そのまろやかな声質にあるのではないか。
ドイツ語のディクションが完璧なうえ、旋律を実に正確に、しかも堅苦しさのない余裕をもって歌うその能力は高く評価されてよいと思う。
彼女がバッハのカンタータを大量に録音しているのも、その声質と表現力がおおいに評価されてのものと思われる。
実演を一度でも聴くことが出来たならと悔やんでみても、もう叶うことはないのが残念である。

1989年にオジェーは友人の音楽家ジョエル・レヴゼンを通じて、リビー・ラーセン(Libby Larsen: 1950.12.24, Wilmington, Delaware -)という作曲家と知り合い、彼女に「女の愛と生涯」のような新作を作曲してほしいと依頼した。
オジェーは気に入っていたイギリスの詩人エリザベス・ブラウニング(Elizabeth Barrett Browning: 1806.3.6 – 1861.6.29)の「ポルトガル語からのソネット」を題材にすることを提案して、この二人の友情から、6曲からなる歌曲集「ポルトガル語からのソネット(Sonnets from the Portuguese)」が生まれた。
1989年にアスペン音楽祭でジョエル・レヴゼン指揮で初演され、1991年11月に再演された。
その再演時のライヴ録音がKOCHから出ており、かつてポリグラムから国内仕様で発売された。
このCDは1993年「グラミー賞最優秀歌唱賞(GRAMMY Award Best Classical Vocal Performance)」を受賞している。

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「アーリーン・オジェーの芸術(The Art of Arleen Augér)」
Auger_revzen_2ポリグラム: KOCH: IDC-1704(3-7248-2 H1)
アーリーン・オジェー(Arleen Augér)(S)
1-6: ジョエル・レヴゼン(Joel Revzen)(C)セント・ポール室内管弦楽団とミネソタ管弦楽団のメンバー(Members of the Saint Paul Chamber Orchestra and the Minnesota Orchestra)
7-19: ジョエル・レヴゼン(Joel Revzen)(P)

リビー・ラーセン/「ポルトガル語のソネット(Sonnets from the Portuguese)」
1.テオクリタスはどう歌ったのだろう(I thought once how Theocritus had sung)
2.私の手紙が!(My letters!)
3.「同じ思いね」と答えるでしょう(With the same heart, I said, I'll answer thee)
4.もし私があなたのもとを去るのなら(If I leave all for thee)
5.ええ、そうです!(Oh, Yes!)
6.どれほどあなたを愛していることか(How do I love thee?)

パーセル作曲(7&9: ブリテン編曲)
7.音楽が恋の糧であるならば(If music be the food of love)
8.ニンフと羊飼い(Nymphs and Shepherds)
9.ばらの花より甘く(Sweeter than roses)

シューマン作曲
10.献呈(Widmung)
11.お母さん、お母さん(花嫁の歌Ⅰ)(Lied der Braut I)
12.あの人の胸にすがらせておいて(花嫁の歌Ⅱ)(Lied der Braut II)
13.兵士の花嫁(Die Soldatenbraut)
14.くるみの木(Der Nussbaum)

モーツァルト作曲
15.すみれ(Das Veilchen)
16.淋しい暗い森の中を(Dans un bois solitaire)
17.別れの歌(Trennungslied)
18.ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いた時(Als Luise die Briefe ungetreuen Liebhabers verbrannte)
19.ラウラに寄せる夕べの想い(Abendempfindung)

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亡くなる年の3月に彼女は作曲家ラーセンに宛てて手紙をしたためた。
「あなたは私たちのこのプロジェクトにおいて、私がいいたかったことを感動的なまでに形に作り上げてくれました。唯一残念なのが、もうこれを私が歌いつづけることができず、他の誰かがこれを歌う喜びと名誉を得るということです。なぜなら、この曲は歌いつがれて行かねばならないのですから。」

(KOCHのCDの解説(Rudy Ennis/梅園房良執筆)を参照しました。)

ちなみに彼女の父親はフランス系カナダ人で、姓がフランス風なのはそのためである(母親はイギリス系アメリカ人とのこと)。

彼女の録音が数多く残された幸運をかみしめて、彼女の芸術にあらためて耳を傾けたい。

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パドモア&クーパー/「冬の旅」(2008年10月9日 トッパンホール)

シリーズ<歌曲(リート)の森>~詩と音楽 Gedichte und Musik~第1篇
2008年10月9日(木)19:00 トッパンホール(B列4番)
マーク・パドモア(Mark Padmore)(T)
イモジェン・クーパー(Imogen Cooper)(P)

シューベルト(詩:ミュラー)/歌曲集「冬の旅(Winterreise)」D911
(おやすみ/風見鶏/凍った涙/凍りつく野/菩提樹/あふれ流れる水/河の上で/振り返り/鬼火/休み/春の夢/孤独/郵便馬車/白髪/カラス/最後の希み/村で/嵐の朝/惑わし/道しるべ/宿屋/勇気/幻の太陽/辻音楽師)

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イギリスのテノール歌手マーク・パドモアと、同じくイギリスのピアニスト、イモジェン・クーパーによる「冬の旅」を聴いた。
パドモアはメンデルスゾーンやシューマンの歌曲集(Hyperion)はあるものの、まだ歌曲の録音は少なく、主に古楽の演奏で知られている人である。
近く、ブレンデルの弟子のポール・ルイスというピアニストと「冬の旅」を録音するそうだ。
一方のクーパーは、バリトンのホルツマイアと共演して数々の歌曲録音(PHILIPS)を残しているので、すでに歌曲ピアニストとしてもベテランと言えるだろう。

薄い黒の背広で登場した40台後半のパドモアは外国の歌手としては小柄で痩身だが、白髪まじりの短髪に精悍な顔つきは舞台栄えしていた。
クーパーはシャツ、ジャケット、パンツと全身黒のコーデュロイ(多分)で統一していて、おしゃれである。
聴衆の拍手に応える時には右手を体の前に添えてお辞儀し、その物腰は常にエレガントであった。

パドモアは古楽を得意とするだけあり、実に正確に楽譜を音にするタイプのようだ。
身動きは殆どせず、もっぱら声だけで表現しているのが潔く、しかもドラマティックな表現の幅があり起伏に富み、几帳面さと劇性が同居した感じといえばいいだろうか。
高音は実に豊かに余裕をもって響く一方、テノール歌手の常で低声は若干の弱さがあるが、これは仕方ないのだろう。
ドイツ語の発音は見事で美しかったように思う。
バッハでのエヴァンゲリストを得意とするパドモアだけあって、彼の「冬の旅」は歌のメロディーに寄り添うよりは、朗誦に近い印象を受ける。
声そのものの質は必ずしも恵まれているというわけではないように感じたが(少なくとも私の好みでは)、シューベルトの旋律を生かしながら詩の言葉を生き生きと語る姿勢には感銘を覚えた。

第10曲「休み(Rast)」の各節の歌いおさめの箇所は、第1版の低音からあがって再び下るアーチ型の旋律と、第2版の高低高低のジグザグ進行の違いがあり、シュライアーが第1版を歌っている以外にはほとんどの歌手が第2版を歌っていたのだが、パドモアが今回第1版で歌っていたのを聴いて新鮮な印象を受けた。

クーパーはいつもながら丁寧にシューベルトの音を再現していく。
歌と対決するタイプではなく、一心同体になるように心掛けていたように思うが、それはほぼ完璧に実現されていたと思う。
蓋を全開に開け放ちながら、絶妙のコントロールで激しい曲でも決して歌声を覆うことはない。
「あふれ流れる水」では右手の三連符と左手のリズムを合わせるか、ずらすか、演奏者によって解釈の分かれるところだが、クーパーは合わせて弾いていた(シューベルトは当時すでに廃れつつあったバロック時代の記譜法を用いていた為に、リズムを合わせるのが彼の意図であるというのが定説になっているようだが、ピアニストによっては演奏効果を求めてずらして弾く人も多い。私はずらして弾く演奏の方が涙の落ちる様をよりリアルに表現できるような気がして好きである)。
「勇気」ではピアノ間奏となる筈のところでパドモアがタイミングを間違えて歌いだしてしまった箇所があったのだが、クーパーは全くたじろがず、うまくパドモアに合わせていたところなど、熟練の歌曲ピアニストのような臨機応変な対応を見せており見事だった。
「辻音楽師」でクーパーは斬新な試みをした。
前奏2小節であらわれるライアー(手回しオルガン)のドローンを模した装飾音を曲全体にわたって追加して弾いたのである(本物に近づけようとするかのように若干濁らせて弾いていた)。
この曲のピアノパートがライアーの響きを模していることは疑う余地もないことだし、クーパーの試みも一理あるとは思う。
ただ、彼女の試みを聴いて、シューベルトが前奏2小節にしか装飾音を付けなかったことも納得できたような気がするのである。
最初の2小節で聴き手にライアーの響きを感じさせることが出来れば、あとは聴き手の想像力が充分補うことが出来る。
装飾音を全体にわたって加えると歌とのアンサンブルの面でしつこく感じられて、歌のメッセージの訴求力が弱まってしまうような印象を受けた。

盛大な拍手に応えて何度も舞台に呼び戻された2人だったが、アンコール演奏はなかった(「冬の旅」の後ではアンコールは不要だろう)。

第3曲の前奏で携帯の着信らしき音が鳴り響き、せっかくの楽興の時を妨げられ残念だった。

そういえばクーパーはこの間の土日にアンドリュー・リットン指揮のNHK交響楽団と共演してシューマンのピアノ協奏曲を演奏し、土曜日にFMで生中継されたのを聴いたが、難度の高い技術が要求されるわりに労多くして効果が少ないと指摘されるこの曲をクーパーはいつも通り気負うこともなく丁寧に繊細に演奏していた。
オーケストラの一員になったかのような一体感で音楽の中に溶けこんだ演奏を聴かせていた。
もちろん美しい音は健在だったと感じた。
シューベルトのソロリサイタル、シューマンのコンチェルト、そして今回の歌曲演奏と、彼女の多面的な実力をたっぷり味わうことが出来て、満足である。
海外ではパドモア&クーパーのコンビで「美しい水車屋の娘」も演奏予定があるらしい。
こちらもいつか来日公演で聴きたいものである。

Padmore

Photo by Marco Borggreve
(この写真はパドモアのHPにある使用フリーの画像です:Photo use is free if credited: Marco Borggreve)

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ペーター・レーゼルのベートーヴェン(2008年10月2日 紀尾井ホール)

Roesel_recital_2008紀尾井の室内楽 vol. 9
ペーター・レーゼル ベートーヴェンの真影
ピアノ・ソナタ全曲演奏会 (第1期2008年) 第2回

2008年10月2日(木)19:00開演 紀尾井ホール(1階3列2番)

ペーター・レーゼル(Peter Rösel)(P)
(主催:新日鐵文化財団)

ベートーヴェン(Beethoven)作曲

ピアノ・ソナタ第9番ホ長調 Op. 14-1
 1. Allegro
 2. Allegretto
 3. Rondo: Allegro commodo

ピアノ・ソナタ第30番ホ長調 Op. 109
 1. Vivace, ma non troppo-Adagio espressivo
 2. Prestissimo
 3. Andante, molto cantabile ed espressivo

~休憩~

ピアノ・ソナタ第6番ヘ長調 Op. 10-2
 1. Allegro
 2. Allegretto
 3. Presto

ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調 Op. 57「熱情(Appassionata)」
 1. Allegro assai
 2. Andante con moto
 3. Allegro ma non troppo

[アンコール]
ベートーヴェン/7つのバガテル~第3番ヘ長調Op. 33-3

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前日のイモジェン・クーパーに続き、ペーター・レーゼルのベートーヴェン・リサイタルを聴いた。
今年から2011年まで毎年来日してベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲を弾くという企画のようで、すでに9月20日(土)15時開演で同じホールで第1回が催され、第20、17、29番が演奏されたのだが、残念ながらそちらのチケットは入手できなかった。
このシリーズ、すべてライヴ録音されて、キングレコードから順にCD発売されるそうだ。

今回は全曲シリーズの第2回。
前半をホ長調の初期、晩年作品でつなげ、後半はヘ長調、ヘ短調という同主調関係の2曲でまとめたプログラミングである。
関心の中心はやはり「熱情」ソナタだが、古典派の枠を抜け出そうとしているかのような晩年の傑作である第30番や、なかなか実演で接する機会の少ない第6、9番など、どの曲もじっくり向き合うに値する貴重な機会である。

レーゼルは昨年も実演を聴いたが、その時がなんと30年ぶりの日本でのリサイタルだったとのこと。
いかに旧東独出身の彼の知名度が低かったかを物語っている。
その時の演奏があまりにも素晴らしかったので、今回もためらうことなくチケットを購入した。

ソナタ第9番は、細かな音を刻む愛らしい第1楽章、
ターンタタンのリズムが繰り返される箇所の合間に叙情的な歌が挟まれる第2楽章、
奔流のように急速に畳み掛ける第3楽章からなり、緩徐楽章がないコンパクトだが親しみやすい作品である。

ソナタ第30番は、上下に行ったり来たりする音型ではじまり、内面的な深みを感じさせる音楽と交代しながら進む第1楽章、
焦燥感に満ちた強弱のコントラストの際立った短い第2楽章、
そして前2つの楽章のコンパクトさに比べて長大な規模をもつ、美しい歌に満ちた変奏曲の第3楽章という構成である。
第3楽章の標示に"cantabile(歌うように)"という指示が含まれているが、これはベートーヴェンの最後の3つのソナタすべてにあらわれるキーワードで、晩年の彼が新たな境地に足を踏み入れたことを示しているようだ。

ソナタ第6番は、目まぐるしく表情の変わる愛らしくユーモラスな第1楽章、
夢の中のようなおぼろげな寂しさを感じさせる第2楽章、
追いかけっこをしているようなリズミカルで急速な第3楽章からなり、このソナタも第9番同様、緩徐楽章がない。

最後を飾る「熱情」ソナタについては、あまりにも有名で特に紹介は不要だろう。

レーゼルの演奏は、昨年に聴いた演奏同様、全く虚飾を排した真摯な音楽への追求がなんとも素晴らしい。
巷に演奏家の"個性"という名の自己満足が前面に出て、作品そのものが後ろに隠れてしまう演奏の溢れている中、あくまで音楽そのものの核心を思い出させてくれるレーゼルの演奏を「地味」という形容で片付けることは私には出来ない。
第6番の第1楽章では一瞬音を忘れかけ、迷っている箇所があったもののすぐに調子を取り戻し、他のあらゆる箇所は全く危なげない安定したテクニックに裏付けられた豊かな音楽を聴かせてくれた。
特に最後の「熱情」ソナタは圧巻だった。
決して力づくではなく、必要なだけの劇性でこれだけ密度の濃い演奏が可能なのだとあらためて感じさせられた。

前日のこともあったので、眠気覚ましのガムを事前にかみ、演奏に臨んだものの、やはり前半は若干うつらうつらしてしまった。
休憩中に顔を洗い、冷却効果のあるペーパータオルで顔を拭いたところ、これが効果覿面で、後半は完全に眠気が消えて、演奏に集中することが出来た。
次回からはこの手でいこう。

アンコールの可憐なバガテルも含め、ベートーヴェンの広大な世界を最高の演奏でたっぷり堪能することが出来た。
来年の回も今から待ち遠しい。

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イモジェン・クーパーのシューベルト(2008年10月1日 東京文化会館小ホール)

Cooper_recital_20082008年10月1日(水)19:00開演 東京文化会館小ホール(1階H列17番)

イモジェン・クーパー(Imogen Cooper)(P)
(主催:日本アーティスト)

オール シューベルト プログラム(All Schubert programme)

3つの小品D946
 1. 第1番 変ホ短調 Allegro assai
 2. 第2番 変ホ長調 Allegretto
 3. 第3番 ハ長調 Allegro

ピアノ・ソナタ第16番イ短調 D845, Op. 42
 1. Moderato
 2. Andante, poco mosso
 3. Scherzo. Allegro vivace - Trio. Un poco più lento
 4. Rondo. Allegro vivace

~休憩~

ピアノ・ソナタ第17番ニ長調 D850, Op. 53
 1. Allegro vivace
 2. Con moto
 3. Scherzo. Allegro vivace
 4. Rondo. Allegro moderato

[アンコール]
シューベルト/12のエコセーズD781より

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イギリス出身でブレンデルなどに師事したピアニスト、イモジェン・クーパーのリサイタルを聴いた。
バリトン歌手のホルツマイアとの共演でその美しく粒立ったタッチにすっかり惹かれ、いつか実演を聴いてみたいと思っていたのだが、ようやく念願かなった。
しかも彼女が最も得意とするシューベルトのみによるプログラムで期待はふくらむ。

東京文化会館は音楽資料室をよく利用するものの、小ホールは本当に久しぶりで訪れた。
若干空席があるものの、ほぼ満席という客層は年配の方が多いという印象。
ピアノのコンサートでよく見かける音大の女性らしい人はあまりいなくて、現時点でのクーパーの受容がまだ若い層には広まっていないことを示しているようだ。
シルバーのシャツに黒のパンツというシックないでたちで登場したイモジェン・クーパーはすらりとした長身の女性だった。
50代後半とはとても思えないほど若々しい。
最初のうちこそ若干音が硬いかなという印象だったが、徐々に音が滑らかになり、会場を豊かな響きで満たした。
彼女はあまり体を動かさずに弾いていて、視覚的にも音楽に集中できるタイプだったのが良かった。
演奏はもう何も文句を言うこともないほどひたすら素晴らしく、音は磨かれて極めて美しく、そして柔らかい。
シューベルトの音楽を知り尽くした人による歌にあふれた演奏だった。
fでも決して音は汚れず、pでも音はしっかりとした芯をもち、その音色の多彩さとコントロールの妙味に感動した。
テンポも恣意的な揺れは一切なく、ここぞという時に若干引き伸ばす箇所もあるが、それが全く不自然にならないのは彼女のテンポ感覚の見事さによるのだろう。

それにしても長大なプログラムであった。
「3つの小品」で30分近く、ピアノ・ソナタ第16番も30分以上で、前半だけで1時間ほど。
休憩をはさんで、ピアノ・ソナタ第17番が40分ほど。
アンコールも含めて終演は9時15分ぐらいだった。
「3つの小品」は第1曲が有名で、私もこの曲は何度か耳にしていた。
切迫した急速な部分が全体にわたって何度も繰り返され、その合間に対照的な優しい部分が挿入されるという形である。
第2曲はいかにもシューベルトらしいゆったりとした歌にあふれた曲調が繰り返され、間にはさまれるエピソードとして急速な重音のトレモロによる暗雲が立ち込めたり、メランコリックな単音の歌が奏でられたりする。
第3曲は軽快でユーモラスな曲調が全体のテーマでトレモロによる華やかさも加味されるが、すぐにシューベルトらしい穏やかな歌が挿入される。
この小品集の最後を飾るにふさわしい華麗な曲であった。

ソナタ第16番は第1楽章冒頭の装飾音をまじえた寂しげな導入のテーマが印象的だが、すぐにがっしりしたたくましいリズムに受け継がれる。
最終楽章は無窮動曲のように細かい動きが連なり、魅力的。

ソナタ第17番はかなり規模が大きい作品だが、最終楽章のハイドンのような可愛らしいテーマが印象に残る。

実のところ会社帰りの平日のコンサートは眠気との闘いでもあり、今回のコンサートも意識と無意識の争いの中で聴いていたようなものだった。
なんというもったいない聴き方なのだろうとも思うが、クーパーの素晴らしい演奏で眠れるならばそれも贅沢の極みだと自分に言い聞かせてはみるものの、やはり残念。
平日のコンサートは前日に睡眠をたっぷりとっておかないとと反省した一夜であった。

シューベルトの音楽にどっぷり浸った良い時間だったが、最後まで朦朧とした中で聴くことになったのが正直心残り。
来週のマーク・パドモアとの「冬の旅」は自分自身のコンディションを整えて聴きたいものである。

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