演奏家の引き際-ロッテ・レーマンの場合
かつて名伴奏者と謳われたジェラルド・ムーア(Gerald Moore)がステージからの引退を表明した際、長くEMIを牛耳ってきたプロデューサーのウォルター・レッグは、彼のお気に入りの歌手3人に共演のアポをとり、1967年2月にロンドンで彼のためにフェアウェル・コンサートを催した。
ムーアはテレビでの演奏やLP録音についてはさらに5年ほど継続した。
メッゾ・ソプラノのクリスタ・ルートヴィヒ(Christa Ludwig)や、ソプラノのエリー・アーメリング(Elly Ameling)、テノールのペーター・シュライアー(Peter Schreier)は、引退表明後に世界中でフェアウェル・コンサートのツアーを催し、各地のファンに別れを告げた。
ソプラノのE.シュヴァルツコプフ(Elisabeth Schwarzkopf)は、世界各地でのフェアウェル・コンサートを長年かけて徐々に催してきたが、1979年3月19日に催したチューリヒのリサイタルの3日後に主君のウォルター・レッグが亡くなったのをきっかけに演奏活動を辞めて、指導者に専念した。
一方、メッゾソプラノのブリギッテ・ファスベンダー(Brigitte Fassbaender)や、バリトンのD.フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau)は、突然引退を表明して、フェアウェル・コンサートを催すこともなく歌手としての活動を終えてから、前者は歌劇場の演出家として、後者は指揮者、ナレーターなどとしての活動を継続した。
往年のメッゾ・ソプラノのエレーナ・ゲーアハルト(Elena Gerhardt)の場合は、ムーアの自叙伝「お耳ざわりですか」(1982年 音楽之友社)によると、1947年3月に共演者のムーアに対して「この次のリヴァプールでの演奏会が、私の最後の演奏会になると思うわ」と打ち明け、リヴァプールの聴衆には何も知らされないまま演奏会が催され、そのまま演奏活動から幕を下ろしたのだという。
それでは、20世紀前半の名ソプラノ、ロッテ・レーマン(Lotte Lehmann: 1888.2.27, Perleberg - 1976.8.26, Santa Barbara, CA)の場合はどうだったのか。
ここに1枚の実況録音がある。
"LOTTE LEHMANN: The New York Farewell Recital (1951)"と題されている。
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「ロッテ・レーマン:ニューヨーク・フェアウェル・リサイタル(1951)」
VAI Audio: VAIA 1038
録音:1951年2月 Town Hall
ロッテ・レーマン(Lotte Lehmann)(S)
ポール・ウラノウスキー(Paul Ulanowsky)(P)
シューマン
1.献呈Op. 25-1
2.おお殿方よOp. 37-3
3.セレナーデOp. 36-2
4.誰があなたをこれほど傷つけたのかOp. 35-11
5.昔の響きOp. 35-12
メンデルスゾーン
6.月Op. 86-5
7.ヴェネツィアのゴンドラの歌Op. 57-5
コルネーリウス
8.一つの音Op. 3-3
9.子守歌Op. 1-3
ヴァーグナー
10.夢
フランツ
11.音楽のためにOp. 10-1
12.セレナーデOp. 17-2
13.おやすみOp. 5-7
14.まだ覚えているかいOp. 16-5
15.これもあれもOp. 30-5
シューベルト
歌曲集「美しい水車屋の娘」D795より
16.どこへD795-2
17.小川への感謝D795-4
18.知りたがり屋D795-6
19.涙の雨D795-10
20.好きな色D795-16
21.小川の子守歌D795-20
22.音楽に寄せてD547
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レーマンはこのリサイタルの前にニューヨークでの最後のリサイタルということを明かしていなかった。
前半のプログラム終了時に彼女はとうとう切り出した。
「私は自分自身の葬式を祝いたいとは思わないので、事前に発表したくなかったのですが、これがニューヨークでの私の最後のリサイタルです。」
これを聞いて聴衆は思わず「ノー!」と叫ぶ。
「有難う。そう言ってくださると思っていました。」とレーマンは感謝の気持ちを聴衆と共演者のウラノウスキーに語る。
その時の彼女の言葉はこのCDには含まれていないが、YouTubeで聞くことが出来る。
http://www.youtube.com/watch?v=6ZStXBXrGqc&feature=related
アンコールで「最後に「音楽に寄せて」を歌ってみます。」と言って、彼女の最後の絶唱が始まる。
これは最後の舞台になんとふさわしい曲なのだろうか。
音楽への愛惜の思いをこめた彼女の歌が力強く響き渡る。
しかし、最後の一言"[Du holde Kunst,] ich danke dir dafür!"([いとしい芸術よ、]あなたに感謝します)は涙で言葉にならず、ウラノウスキーがそっと歌の旋律を弾いて幕は下りたのだった。
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コメント
フランツさん、たいへん感動的な記事をありがとうございます。フィッシャー=ディースカウが、歌手は2度死ぬと語ったことばを思い出し、思わず涙してしまいました。
You Tubuで、レーマンの"An die Musik"を聴いたところですが、ことばに配慮したブレスを守ろうという姿勢と、豊かな声を残したまま引退したいという気持ちが表れており、心打たれました。親戚の家に同じレコードがあることを知り、なんだか嬉しいです。個人的なことですが、かつて声楽家の方々を対象にシューベルトの演奏法について講演を行った時、最後に私のピアノで、"An die Musik" を全員で歌ったことがあります。プロの方々が数十名で声を合わせた時の、この歌の力に圧倒され、弾きながら感無量でした。「もう一度歌いましょう」と言いたかったところですが、全神経を集中して後奏を弾き、余韻を残して止めました。この歌を詩作してくれただけでも、ショーバーには感謝しています。さらに昔のことですが、共著した最初のドイツ語テキストでもこの曲を取り上げ、MIDIを使ってカラオケ録音をしました(笑)
前回の記事も、思い出多いアイヒェンドルフとシューマンの「悲しみ」"Wehmut"を取り上げてくださって、フランツさんのお好きな曲と知り、喜びを分かち合ったような気がします。引き続き文化の秋、芸術の秋を楽しんでくださいね。
投稿: 渡辺美奈子 | 2008年9月27日 (土曜日) 22時25分
渡辺さん、こんばんは。
いつもコメントを有難うございます。
今回あらためて、このフェアウェル・コンサートのCDを聴き、余力を残して引退するレーマンの美学を感じました。まだ歌えるのに自ら幕を引くのは勇気のいることだと思います。そんな彼女の「音楽に寄せて」は1曲に彼女の思いが詰まっているようで感動的です。
渡辺さんにとっても思い出深い曲とのことですね。シューベルトに悪い遊びを教えたショーバーですが、このような詩を作ってくれたことにはやはり感謝しなければなりませんね。
投稿: フランツ | 2008年9月28日 (日曜日) 00時06分