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プライ日本公演曲目1993年(第10回来日)

第10回来日:1993年10~11月

ヘルマン・プライ(Hermann Prey)(BR)
鮫島有美子(S)
ミヒャエル・エンドレス(Michael Endres)(P)
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
東京フィルハーモニー交響楽団
大阪センチュリー交響楽団
名古屋フィルハーモニー交響楽団
NHK交響楽団
井上道義(C)
飯守泰次郎(C)
ホルスト・シュタイン(Horst Stein)(C)

10月8日(金)18:45 松本:ザ・ハーモニーホール:プログラムA
10月10日(日)18:00 東京:サントリーホール:サントリーホール7周年記念ガラ・コンサート
10月12日(火)19:00 秋田:秋田アトリオン音楽ホール:プログラムB
10月14日(木)18:30 松山:松山市総合コミュニティーセンターキャメリアホール:プログラムA
10月15日(金)19:00 志度:志度音楽ホール:プログラムA(ハイドン・フェスティバルIN志度)(演奏前に原田茂生のミニ・レクチュア「シューベルトの歌曲について」あり)
10月18日(月)19:00 東京:オーチャードホール:ヘルマン・プライ&鮫島有美子
10月21日(木)19:00 大阪:ザ・シンフォニーホール:ヘルマン・プライ&鮫島有美子
10月24日(日)18:30 名古屋:愛知県立芸術劇場コンサートホール:ヘルマン・プライ&鮫島有美子
10月27日(水)19:00 東京:マードレ松田ホール:国際シューベルト協会・日本リヒャルト・シュトラウス協会合同例会:シューベルト『冬の旅』抜粋&R.シュトラウス歌曲(※)
10月29日(金)19:00 東京:東京芸術劇場:プログラムA
10月31日(日)19:00 茅ヶ崎:茅ヶ崎市民文化会館:プログラムB
11月2日(火)19:00 武蔵野:武蔵野市民文化会館:プログラムB
11月5日(金)18:45 東京:NHKホール:NHK交響楽団演奏会
11月6日(土)14:15 東京:NHKホール:NHK交響楽団演奏会
11月8日(月)18:00 松戸:聖徳学園川並記念講堂:プログラムB
11月10日(水)13:30 横浜:神奈川県立音楽堂:プログラムA
11月12日(金)19:00 焼津:焼津市文化センター:プログラムB

(※10月27日の情報についてはgoethe-schubertさんより教えていただきました。「1) シューベルト『冬の旅』をめぐって 2) リヒャルト・シュトラウスの歌曲をめぐって」というテーマに沿って話と演奏が行われたそうです。『冬の旅』からは「おやすみ」全部、「休息」と「孤独」は抜粋が歌われ、R.シュトラウスは、「あしたOp. 27-4」「ひそやかな誘いOp. 27-3」「献呈Op. 10-1」が歌われたそうです。この記事のコメント欄でgoethe-schubertさんが当日の様子を書いてくださっているので、ぜひご覧ください。有難うございました。)

●プログラムA 共演:ミヒャエル・エンドレス(P)

シューベルト(Schubert)/歌曲集「美しき水車小屋の娘」(Die schöne Müllerin)D795
(さすらい/どこへ/とまれ/小川への感謝/憩の夕べに/好奇心の強い男/焦燥/朝の挨拶/水車屋の花/涙の雨/わがもの/休み/緑のリュートのリボンにそえて/狩人/嫉妬と誇り/好きな色/いやな色/しおれた花/水車屋と小川/小川の子守歌)

●プログラムB 共演:ミヒャエル・エンドレス(P)

シューベルト/歌曲集「冬の旅」(Winterreise)D911
(お休み/風見の旗/凍った涙/かじかみ/菩提樹/あふれる涙(水の流れ)/川の上で/回想/鬼火/憩い/春の夢/孤独/郵便馬車/霜おく頭/からす/最後の希望/村で/嵐の朝/幻覚/道しるべ/宿屋/勇気/幻の太陽/辻音楽師)

●サントリーホール7周年記念ガラ・コンサート《響~歌え、いま賑わしきとき》 共演:松本美和子(S);グローリア・スカルキ(MS);小林一男(T);アンドレアス・シュミット(BR);ナルシソ・イエペス(GT);ジャン=ピエール・ランパル(FL);工藤重典(FL);オーレル・ニコレ(FL);中川昌三(FL);豊嶋泰嗣(VLN);堤剛(VLC);アンナー・ビルスマ(バロックVLC);エヴェリン・グレニー(PERC);舘野泉(P);練木繁夫(P);渡邊順生(Fortepiano);ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団;コンサート・マスターズ(弦楽合奏);小山貢社中(津軽三味線100人);スペイン国立バレエ団;二期会合唱団;藤原歌劇団合唱部;栗友会合唱団;東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団;井上道義(C)他

R.シュトラウス/献身(ヘルマン・プライ)
グレニー/リトル・プレイヤー(エヴェリン・グレニー)
ヴェルディ/歌劇『椿姫』より「乾杯の歌」(松本美和子;小林一男)
グリーグ/君を愛す(舘野泉)
タルレガ/アルハンブラの思い出(ナルシソ・イエペス)
ほか

●ヘルマン・プライ&鮫島有美子 共演:鮫島有美子(S)東京フィルハーモニー交響楽団(10月18日);大阪センチュリー交響楽団(10月21日);名古屋フィルハーモニー交響楽団(10月24日);飯守泰次郎(C)

モーツァルト(Mozart)作曲
『フィガロの結婚』より
序曲
5...10...
たとえばもし
自分で自分がわからない
もう飛ぶまいぞ、この蝶々

モーツァルト作曲
『イドメネオ』より
序曲
父よ、兄よ、さようなら

モーツァルト作曲
『魔笛』より
恋人か女房があればいいが
パパゲーナ!

シュトラウス(Johann Strauss 2)作曲
『こうもり』より
序曲
あの上品な態度

カールマン(Kalman)作曲
『伯爵夫人マリツァ』より
ウィーンに愛をこめて

リンケ(Lincke)作曲
マーチ「陽気な羊飼い」

シュトルツ(Stolz)作曲
『お気に入りの家来』より
私の心の王様

カールマン作曲
『チャールダーシュの女王』より
ヨイ、ママン

レハール(Lehár)作曲
『メリー・ウィドウ』より
ヴィリアの歌
おお祖国よ、マキシムへ行ったが
唇は黙っていてもヴァイオリンはささやく

●NHK交響楽団第1214回定期演奏会 共演:NHK交響楽団;ホルスト・シュタイン(C)

シューベルト作曲
竪琴弾きの3つの歌D478(レーガー編曲)
夕焼けにD799(レーガー編曲)
音楽にD547(レーガー編曲)
プロメテウスD674(レーガー編曲)
ひめごとD719(ブラームス編曲)
馭者クロノスにD369(ブラームス編曲)
セレナードD957-4(モットル編曲)
彼女の絵姿D957-9(ウェーベルン編曲)
魔王D328(リスト編曲)

R.シュトラウス(Richard Strauss)/交響詩「英雄の生涯」作品40

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ヘルマン・プライ10回目の来日は、前回から3年後の1993年。
ピアニストは日本で初共演となる若手のミヒャエル・エンドレス(1961年Sonthofen, Germany生まれ)。
F=ディースカウとヘルの年齢差は27歳だが、プライとエンドレスはより差の開いた32歳である。
巨匠は年を重ねると若手のエネルギーを欲するものなのだろうか。
今回はプライのこれまでの来日公演中、最も多岐に渡るプログラムが披露されている。
十八番のシューベルトの2大歌曲集のほか、鮫島有美子とのオペラ&オペレッタのデュオ・コンサート、サントリーホールのガラコンサート、さらにN響定期でシューベルトのオーケストラ歌曲まで歌っている。
公演期間も1ヶ月以上に及んでいる。

私は東京芸術劇場で「美しき水車小屋の娘」を聴いたが、彼がこの歌曲集を歌うのを生で聴くのは初めてだった。
残念ながらこの時の演奏がどうだったのか思い出すことが出来ない。
ただ、志度音楽ホールでの「水車屋」の演奏はNHKで放映されたので、そのビデオを見ればどんな状態だったか分かると思う(いつになるか分かりませんが、このビデオが見つかったら、見て感想を追記したいと思っています)。

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(2008年7月20日追記)

10月15日の志度音楽ホールにおける「美しき水車小屋の娘」の録画テープをさきほど見終わって、胸が熱くなった。
どうも最近は涙腺がゆるくなってきて仕方がない。
プライはもはや若かりし頃のように声を朗々と張り上げたり、高音を余裕をもって響かせることが出来るわけではないのだが、一言一言を噛みしめるように語るように歌う。
何の苦もなく声が出ていたころにはどうやっても出なかったであろう芸の深みと味わいが一貫して伝わってきて、その真摯な舞台姿と共に心に響いてくる(彼は殆ど不動なのだが、顔の表情が豊かで主人公になりきって歌う。まさに万年青年の呼び名にふさわしい)。
「涙の雨」ではフレーズの終わりまで慈しむように大切に歌っていたのが印象的だ。
それにしても19曲目の「水車屋職人と小川」はなんとすごい曲なのだろう。
私にとってはほとんど奇跡といってもいいほどの詩と音楽の感動的な結びつきと感じられた。
この曲でのプライの穏やかな悟り切ったような微笑みと歌唱にこみあげてくるものをこらえられなかった。
この歌曲集を聴いてこんなに感傷的な気持ちになったのはいつ以来だろう。

演奏前のインタビューで今でも頂上に向けて登っている最中であるとの言葉があり、その向上心を持ち続ける姿勢がこのような深く心に響く歌唱を可能にしているのだと感じた。

エンドレスのピアノは爽やかで美しい音と明瞭なリズム感でプライをしっかり支え、時にリードしていたのが頼もしく、非凡な才能を終始感じさせた。

最後に「あなたにとってシューベルトとは?」との質問にプライはこう答えた。
"Zentrum des Lebens.(人生の中心です)"

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デカメロン物語~14世紀イタリアの恋歌とダンス(目白バ・ロック音楽祭)(2008年6月15日 立教大学第一食堂)

NEC古楽レクチャーコンサート
デカメロン物語~14世紀イタリアの恋歌とダンス

2008年6月15日(日)15時開演 立教大学第一食堂

レクチャー:細川哲士(ほそかわさとし)
       上尾信也(あがりおしんや)
 
演奏:アドリアン・ファン・デル・スプール(Adrian Rodriguez van der Spoel)(ヴォーカル/中世リュート)
    春日保人(かすがやすと)(ヴォーカル/フルート)

    五十嵐柾美(いがらしまさみ)(ダンス)

    アントネッロ(Anthonello)
        濱田芳通(はまだよしみち)(コルネット/リコーダー)
     西山まりえ(ヴォーカル/オルガネット/中世ハープ)
     石川かおり(フィーデル)

    藤沢エリカ(ヴォーカル)
    わだみつひろ(パーカッション)

第1部:レクチャー

 ~休憩~

第2部:演奏とダンス

1.作者不詳:ロッシ写本より/彼女が手と美しい顔を洗うあいだ(Lavandose le mane)(Madrigale)
2.ヤコポ・ダ・ボローニャ(Jacopo da Bologna)/私が不死鳥であった時は(Fenice fu)(Madrigale)
3.フランチェスコ・ランディーニ(Francesco Landini)/春が来た(Ecco la primavera)(Ballata)
4.作者不詳:ロンドン写本より/イスタンピッタ「美徳の始まり」(Istampitta 'Principio de virtu')
5.作者不詳:ロッシ写本より/美しい城から(Dal bel castel)(Madrigale)
6.ゲラルデッロ・ダ・フィレンツェ(Gherardello da Firenze)/私は愛する(I' vo' bene)(Madrigale)
7.フランチェスコ・ランディーニ/思いに耽けって(Chosi pensoso)(Ballata)
8.作者不詳:ロンドン写本より/イスタンピッタ「ベリカ」(Istampitta Belicha')
9.ロレンツォ・ダ・フィレンツェ(Lorenzo da Firenze)/刈り入れの後に(A poste messe)(Caccia)
    
アンコール1曲(曲名は分かりませんでした)

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目白バ・ロック音楽祭が5月30日(金)から6月15日(日)にかけて目白界隈の様々な施設で開催された。
主催のスタッフの一人が学生時代の先輩であることもあり、私でも名前ぐらいは以前から知っていたのだが、何分古楽は全く疎いので、いつも気付いた時には終わっていたという感じだった。
今年はClaraさんのレポートを拝見して、何か行こうと思っていたのだが、気付いたらあと1週間ぐらいで終わりという時期だった。
この最終日の「デカメロン物語」など面白そうだと思っていたのだが、ぴあでは「予定枚数終了」と出ており、音楽祭のHPでも入手できないようになっていたので諦めていたところ、「当日券あり」とHPに書いてある旨Claraさんからご連絡をいただき、急遽会場に向かった。

会場は立教大学の第一食堂というところ。
立教大学ははじめて行ったが、池袋駅西口から歩いて10分ほどのところにあった。
レンガ造りの建物の壁は葉に覆われ、伝統の重みを感じさせる閑静な雰囲気が味わい深い。
公式ブログの写真で演奏会場を見ることが出来るが、食堂とは思えない趣のある会場で、高い天井に大きな窓がいくつかあり、そこから差し込む光があたかも教会の中にいるような気分にさせてくれる。

ランディーニやトレチェント音楽については授業で名前を知っている程度で、音を聴いたことは殆どなかったと思うので、このプログラムは楽しみだった。
ボッカッチョによって「デカメロン」が書かれた時代に作られ歌われた世俗的な作品を集めた内容で、音楽自体が直接「デカメロン」と関係あるわけではない。
だが、男女の愛を扱ったこれらの詩を音楽版デカメロンと位置付けた企画は面白いと思った。

中世、ルネッサンス時代の世俗的な声楽曲は歌詞があけっぴろげで露骨な愛の歌が多いというイメージだった。
例えばヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデの詩にグリーグやF.マルタンが作曲した歌曲をイメージすれば分かりやすいかもしれない。
バッラータ(踊りの曲に由来する)やカッチャ(狩りの歌)といったジャンルの違いも私には聴いただけではその違いがよく分からないのだが、典雅な響きなのに詩の内容は現在にも通用するようなあっけらかんとした愛の歌というギャップがとても面白く感じた。

アントネッロという濱田氏率いる3人のアンサンブルは古楽界ではすでに知らぬ者のない団体。
歌手はアルゼンチン出身のアドリアン・ファン・デル・スプールの美しい高音と、春日保人の柔軟な低音のヴォーカルがほかのメンバーの歌声と見事なアンサンブルを築いていた。
数曲を除いて、五十嵐柾美が音楽に合わせてダンスを披露し、時に清楚に、時に艶かしく、柔らかい体躯で表現していて、視覚的にも楽しめた。

それにしても、古楽の演奏者というのはすごいなとこのコンサートを聴いてつくづく思った。
この日の演奏者7人のほとんどが複数の役割を兼ねて、どれも単なる間に合わせのレベルとはかけ離れた高度な技を聞かせていたのだから、その器用さには驚かされる。
古楽の複雑な声部を歌ったかと思うと、次の曲ではリュートやフルートをこなすなど、相当な訓練の賜物なのだろう。
古楽器に疎い私だが、西山さんの演奏していた手持ちオルガンのオルガネットという楽器は興味深かった。
左手で蛇腹のような箇所を動かし、右手で鍵盤(のようなボタン?)を演奏するのだが、数本のパイプがついていて、携帯型パイプオルガンといった感じ。
この西山さんもオルガネットとハープを持ち替え、さらによく通るヴォーカルまで披露したのだから凄い。

前半のレクチャーは40分ほど。
この時代の詩が生まれる背景(例えば戦争で20歳以上の男がいなくなり、より若い男との恋愛詩が生まれた、など)を話されたのが印象に残っている。
細川氏は「吟遊詩人」という言い方は適切ではなく、「叙情詩人」と言うべきだという持論をもっておられるそうだが、その根拠についても出来れば話してほしかった。

トレチェント(14世紀)のイタリアの男女の恋歌を美しいハーモニーと素敵な演出で満喫できた貴重な体験だった。
古楽もいろいろ探索していくと面白そうだなと思えたのが収穫だった。
とはいえ、あまりにも広大な世界なので、少しずつ機会を見つけて今後も聴いていけたらと思う。

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ゲルネ&レオンスカヤ/シューベルト歌曲集「憧れ」

バリトンのマティアス・ゲルネ(1967年3月31日Karl-Marx-Stadt(現Chemnitz)生まれ)がシューベルト歌曲集のCDシリーズをスタートさせた。
レコ芸のインタビューによると、ゲルネ自身が仏ハルモニア・ムンディに直接電話をかけて、200曲以上のシューベルト歌曲のシリーズを録音したいと申し出てOKが出たのだとか。
完成の暁にはシューベルトの全歌曲の3分の1を彼の歌唱で聴くことが出来ることになる。
共演するピアニストは巻によって変わるそうで、三大歌曲集ではエッシェンバッハと共演する予定とのこと(ソリスト偏重ではなく、専門の歌曲ピアニストとの共演も望みたい)。
1人の歌手によるこれだけまとまったシューベルトの録音はF=ディースカウ、プライ、S.ローレンツ以来だろうか。
現在最も安定した歌を聴かせてくれる歌手の盛期の演奏が記録に残されるのは有難いし、今後が楽しみなシリーズである。

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Goerne_leonskaja_schubert_1憧れ:マティアス・ゲルネ・シューベルト・エディション1
(Sehnsucht: MATTHIAS GOERNE SCHUBERT EDITION 1)
harmonia mundi: HMC 901988
録音:2007年2~3月、Teldex Studio Berlin

マティアス・ゲルネ(Matthias Goerne)(BR)
エリザベト・レオンスカヤ(Elisabeth Leonskaja)(P)

シューベルト作曲
1.冥府への旅(Fahrt zum Hades)D526(詩:マイアホーファー)
2.自ら沈み行く(Freiwilliges Versinken)D700(詩:マイアホーファー)
3.泣く(Das Weinen)D926(詩:ライトナー)
4.漁夫の愛の幸せ(Des Fischers Liebesglück)D933(詩:ライトナー)
5.冬の夕べ(Der Winterabend)D938(詩:ライトナー)
6.メムノン(Memnon)D541(詩:マイアホーファー)
7.双子座に寄せる舟人の歌(Lied eines Schiffers an die Dioskuren)D360(詩:マイアホーファー)
8.舟人(Der Schiffer)D536(詩:マイアホーファー)
9.憧れ(Sehnsucht)D636(詩:シラー)
10.小川のほとりの若者(Der Jüngling am Bache)D638(詩:シラー)
11.エンマに(An Emma)D113(詩:シラー)
12.巡礼者(Der Pilgrim)D794(詩:シラー)
13.タルタロスの群れ(Gruppe aus dem Tartarus)D583(詩:シラー)
14.希望(Hoffnung)D295(詩:ゲーテ)
15.人間の限界(Grenzen der Menschheit)D716(詩:ゲーテ)

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シリーズ第1巻はシラーの詩による「憧れ」をタイトルに冠し、15曲が演奏されている。
「エンマに」「希望」を除くと、中期から晩年にかけての作品が中心になっている。
詩人もゲーテ、シラー、マイアホーファーといったシューベルトの付曲数ベスト5に入る人たちによる曲が中心で、それに晩年に作曲したライトナーの曲が含まれている。
渋みあふれる選曲だが、どれも低声歌手にふさわしいレパートリーが厳選されていて、まずは声の特質に合った曲で聴き手にアピールしようという意志が伝わってきた。
聴き手は「冥府への旅」の“小舟(Nachen)”に乗ってシューベルトの世界に漕ぎ出し、人生の荒波に時に抗い(「舟人」「憧れ」)、時に絶望して(「小川のほとりの若者」)、理想を見失いそうになりながら(「巡礼者」)、泣くことで傷を癒し(「泣く」)、希望を持ち続け(「希望」)、限られた生をもった人間が幾世代にもわたって“無限の鎖(unendliche Kette)”をつないでいく「人間の限界」まで様々な局面を音楽で体験する。
神話に由来するテーマを扱ったものもいくつかあるが、「自ら沈み行く」は太陽が冷たい水に身を浸そうと沈んでいくと歌われ“俺は受け取らずに与えるだけなのだ”と太陽の宿命をマイアホーファーらしいペシミズムで織り込みつつ壮麗で堂々たる音楽になっている。

第1巻はゲルネ39歳の時の録音。
ゲルネは包み込むようなまろやかな声がどの音域でも心地よく響き、不安定なところは皆無ですでに完成された歌唱に身を委ねることが出来る。
私はどちらかというとハイバリトンが好みなので、ゲルネのような低めの声(バスバリトンといってもいいぐらい?)は熱心に聴くタイプではないのだが、このディスクでの見事な歌唱には全く脱帽である。
同じ低声でも例えばロベルト・ホルなどはその粘っこさが時に重すぎるように感じることがあるのだが、ゲルネの歌唱は声の重さに引きずられることがなく推進力が感じられ、どこまでもコントロールが行き届いているので、作品本来の魅力が損なわれることなく提示されているのがすごいと思う。
言葉の発音は美しいが決して語り重視にならず、常に旋律に素直に寄り添った歌い方は、シューベルト歌唱の1つの理想と感じられた。

シリーズ最初の共演者はグルジア(旧ソ連)の首都Tbilisi出身のエリザベト・レオンスカヤ。
彼女の歌曲演奏といえばファスベンダーとの「マゲローネのロマンス」が思い出されるが、あれから久しぶりの歌曲演奏ではないだろうか(少なくとも録音の上では)。
ますます磨かれた音と、決して押し付けがましくはないが積極的な曲へのアプローチは、どこをとっても借り物でない、作品を熟知した演奏を聴かせている。
「タルタロスの群れ」のクライマックスでのドラマティックな演奏や「人間の限界」の前奏における荘厳な表現力は特に印象深い。
前に前にという演奏ではなく、ここぞというところでどっしりした存在感を示しながら、作品の自然な流れに沿って豊かな音楽を聴かせている。
ソロピアニストが単なる企画としてではなく、愛着をもって歌曲と真摯に向き合っているのが感じられるのはそう頻繁にあるわけではない。
そういう意味で、レオンスカヤという名手を得た第1巻は大成功だといっていいだろう。

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ジャーノット&シュマルツ/リサイタル(2008年6月6日紀尾井ホール)

コンラッド・ジャーノット バリトン・リサイタル
2008年6月6日(金)19:00 紀尾井ホール
 
バリトン:コンラッド・ジャーノット(Konrad Jarnot)
ピアノ:アレクサンダー・シュマルツ(Alexander Schmalcz)

Jarnot_schmalcz_2008_pamphletベートーヴェン/連作歌曲《遙かなる恋人に寄す》Op. 98(丘の上に腰をおろし/灰色の霧の中から/天空を行く軽い帆船よ/天空を行くあの雲も/五月は戻り、野に花咲き/愛する人よ、あなたのために)

シューベルト/白鳥の歌 D957~ハイネの詩による6つの歌曲(アトラス/彼女のおもかげ/漁夫の娘/まち/海辺にて/影法師)

 ~休憩~

シューマン/詩人の恋 Op. 48(うるわしい、妙なる五月に/ぼくの涙はあふれ出て/ばらや、百合や、鳩/ぼくがきみの瞳を見つめると/ぼくの心をひそめてみたい/ラインの聖なる流れの/ぼくは恨みはしない/花が、小さな花がわかってくれるなら/あれはフルートとヴァイオリンのひびきだ/かつて愛する人のうたってくれた/ある若ものが娘に恋をした/まばゆく明るい夏の朝に/ぼくは夢のなかで泣きぬれた/夜ごとにぼくは君を夢に見る/むかしむかしの童話の国から/むかしの、いまわしい歌草を)

アンコール
 1.シューマン/あなたは花のようだ Op. 25-24
 2.ブラームス/五月の夜 Op. 43-2
 3.R.シュトラウス/献身 Op. 10-1
 4.R.シュトラウス/ツェツィーリエ Op. 27-2
 5.シューマン/ひそかな涙 Op. 35-10
 6.シューマン/はすの花 Op. 25-7

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コンラッド・ジャーノットは1972年イギリスのBrighton生まれで現在はドイツに住んでいる。
ロンドンのギルドホール音楽演劇学校(Guildhall School of Music and Drama, London)でRudolf Piernayに師事、レナータ・スコットやブリギッテ・ファスベンダーのマスタークラスに参加し、1998年以降は定期的にF=ディースカウのレッスンも受けている。
2006年5月のラ・フォル・ジュルネでモーツァルトの「レクイエム」を歌うために初来日していたそうだが、リサイタルは今回がはじめてとのこと。
すでにいくつかのCDを通じてその歌唱に触れていたが、そのレパートリーが一風変わっていて、R.シュトラウスの「4つの最後の歌」やラヴェルの「シェエラザード」、ヴァーグナーの「ヴェーゼンドンクの5つの詩」のような、これまで女声専門といってもいい曲をいずれもピアノ版で録音している。
だが、「4つの最後の歌」などは歌詞の内容からすれば男声が歌っても全くおかしくない(というより詩人が男性なので、むしろ男性が歌っていなかったのが不思議なくらいだ)ので、これを機にほかの男声歌手も進出するかもしれない(とはいえ高音での息の長いフレーズはバリトンよりはテノールの方が歌いやすそうだが)。
今やバリトンのゲルネが「女の愛と生涯」を歌う時代、男女のレパートリーの垣根は徐々に取り払われていくのだろう。
そういえばジャーノットもレッスンを受けたというメゾソプラノのファスベンダーは、「冬の旅」「詩人の恋」やシューベルトの「竪琴弾きの歌」などに果敢に取り組んでいたものだった。

紀尾井ホールで開かれたリサイタルは、最近頻繁に来日しているアレクサンダー・シュマルツとの共演で、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンの有名な作品が披露された。
比較的多くのソロ録音をすでに残しているジャーノットだが、今回のレパートリーはまだ録音がリリースされていないので、これらのスタンダードナンバーをどのように聴かせてくれるのか楽しみだった。
実際に聴いた彼の声はバリトンといってもゲルネのような重みのある声質ではなく、むしろゲアハーヘルのようなハイバリトンで、ゲアハーヘルよりさらに高い印象だった。
高音は響きがこなれていて、耳障りになることがなく充実している。
一方、低声も悪くはないのだが若干弱いところもあるようで、シューベルトの「まち」の中間部の低声は不安定さが感じられた。
それから、一聴してすぐに感じたのがドイツ語の見事なまでの美しさ。
彼の生まれがイギリスだと知らずに聴いたら、間違いなくドイツ人だと思っただろう。
イギリス人の多くから感じられる外国人の発音するドイツ語という印象が皆無であるだけでもすごいが、その発音の美しさはドイツ人が歌ってもなかなか感じられないほどではないか。
若干子音(特に語尾)を強調気味に歌っていたのが特徴的だったが、自然な舞台発音だったと思う。

彼はいい意味でF=ディースカウの影響をはっきり打ち出している歌手のように感じた。
これまで聴いた何人ものディースカウ門下の中でも解釈や声質など、最も近いものを感じた。
だが、単なるコピーというのではなく、きっちり充実した音楽として聴かせていたので、全く二番煎じといった感じはしない。
言葉を大事にしつつも、音楽の流れが途切れることもない。
「遙かなる恋人に寄す」は丁寧な表現が印象的で、「白鳥の歌」ではハイネ歌曲の深く、切り詰めた音を真正面からとらえて劇的な表現力を聴かせていた。
「詩人の恋」は言葉を大切にした歌唱で作品の魅力を素晴らしく再現していた。
「ぼくは恨みはしない」の最高音も余裕をもって響かせており、それが技術的なレベルを超えた表現力に裏付けられていた。

シュマルツはこれまでに聴いた印象と特に大きく変わることはない。
相変わらず美しいタッチで作品を完璧に手中におさめていたし、恣意的なところが一切なく、自然な流れを貫いていたのも気持ちよかった。
とりわけ「影法師」での畳み掛けるような長い和音の連続は、音の重みや色合いを曲の展開に応じて反映させていてとても素晴らしかった。
一方、いつもながら歌手の声を消さない音量上の気配りも常に感じられたが、それが「アトラス」のような激しさを特徴とする作品には物足りなさを感じさせる結果になり、そこまで控えめにならなくてもという瞬間が少なからずあったのが惜しいところだ。
「詩人の恋」もシューマン特有のアンニュイな雰囲気はあまり感じられず、健全で素直なシューマンといった感じだった。
だが、曲と曲をつなぐ間の素晴らしさは特筆すべきだろう。
プログラムの解説によると、2007年はエヴァ・メイ、ゲルネ、グレイス・バンブリーと3回も来日したのだとか。
引く手あまたの注目株のますますの精進を期待したい。

8時半ごろには正規のプログラムが終わってしまったが、その後6曲もアンコールを演奏してくれた。
どれも見事な演奏だったが、有名なわりに実演で聴く機会の少ないブラームスの「五月の夜」を歌ってくれたのが個人的にはうれしかった。
心のこもったいい演奏だった。
シューマンの「ひそかな涙」ではジャーノットの張りのあるのびやかな高音が会場内を満たした。

なお、NHKのテレビカメラが会場内の数箇所に設置されていて、プログラムにも「テレビ収録がございます」との注意書きがあったので、いずれ放映されると思う。
私はBSを入れていないので、教育テレビでも放送してくれるといいのだが。

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プライ日本公演曲目1990年(第9回来日)

第9回来日:1990年11月

Prey_hokanson_1990_pamphletヘルマン・プライ(Hermann Prey)(BR)
レナード・ホカンソン(Leonard Hokanson)(P)
東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)
NHK交響楽団(NHK Symphony Orchestra)
佐藤功太郎(Kotaro Sato)(C)
ヴァーツラフ・ノイマン(Václav Neumann)(C)

11月2日(金)19:00 秋田:アトリオン音楽ホール:プログラムA
11月3日(土)18:00 甲府:山梨県民文化ホール:プログラムA
11月5日(月)18:45 水戸:水戸芸術館:プログラムA
11月6日(火)19:00 横浜:神奈川県立音楽堂:プログラムA
11月8日(木)19:00 大阪:ザ・シンフォニーホール:プログラムA
11月10日(土)13:30 大阪:金蘭短期大学佐藤講堂:プログラムA
11月12日(月)19:00 東京:サントリーホール:プログラムB
11月15日(木)19:00 東京:NHKホール:NHK交響楽団第1125回定期演奏会
11月16日(金)19:00 東京:NHKホール:NHK交響楽団第1125回定期演奏会
11月19日(月)19:00 東京:サントリーホール:プログラムA
11月22日(木)19:00 東京:サントリーホール:プログラムC

●プログラムA 共演:レナード・ホカンソン(P)

シューベルト(Schubert)/<冬の旅>(Winterreise)D911
(おやすみ/風見/凍った涙/氷結/ぼだい樹/雪どけの水流/凍った川で/かえりみ/鬼火/休息/春の夢/孤独/郵便馬車/霜おく頭/からす/最後の希望/村で/あらしの朝/まぼろし/道しるべ/宿/勇気/幻の太陽/辻音楽師)

●プログラムB 共演:レナード・ホカンソン(P)

シューマン(Schumann)/<12の詩>(12 Gedichte)Op. 35
(あらしの夜のたのしさ/愛と歓びは捨て去るのです/旅するよろこび/はじめての緑/森への憧れ/亡き友の酒盃に寄す/さすらい/ひそかな愛/問い/ひそかな涙/だれがおまえを傷つけたのか/むかしのラウテ)

 ~休憩~

シューマン/<詩人の恋>(Dichterliebe)Op. 48
(うるわしい、妙なる五月に/ぼくの涙はあふれ出て/ばらや、百合や、鳩/ぼくがきみの瞳を見つめると/ぼくの心をひそめてみたい/ラインの聖なる流れ/ぼくは恨みはしない/花が、小さな花がわかってくれるなら/あれはフルートとヴァイオリンのひびき/かつてあのひとの歌ってくれた/ある若者がある娘に恋をした/まばゆく明るい夏の朝に/ぼくは夢のなかで泣きぬれた/夜ごとにぼくはきみの夢を見る/むかしむかしの童話の国から/いまわしい歌草を)

●プログラムC「オペラ・アリアの夕べ」 共演:東京フィルハーモニー交響楽団;佐藤功太郎(C)

モーツァルト(Mozart)作曲
<フィガロの結婚>序曲(<Le nozze di Figaro> Overture)
フィガロのアリア「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」(Non più andrai, farfallone amoroso)

モーツァルト作曲
<魔笛>序曲(<Die Zauberflöte> Overture)
パパゲーノのアリア「おいらは鳥刺し」(Der Vogelfänger bin ich ja)

モーツァルト作曲
<コシ・ファン・トゥッテ>序曲(<Cosi fan tutte> Overture)
グリエルモのアリア「彼に眼を向けなさい」(Rivolgete a lui lo sguardo)

ロルツィング(Lortzing)作曲
<密猟者>序曲(<Der Wildschütz> Overture)
伯爵のレシタティーヴォとアリア「やさしい朝の太陽はなんと晴れやかにかがやき」(Wie freundlich strahlt die holde Morgensonne)

クロイツァー(Kreutzer)作曲
<グラナダの夜営>より狩人のロマンス「ぼくは射撃手だ」(<Nachtlager in Granada> Ein Schütz' bin ich)

ワーグナー(Wagner)作曲
<タンホイザー>序曲(<Tannhäuser> Overture)
ヴォルフラムの歌「ああ!わたしのやさしい夕星よ」(O! du mein holder Abendstern)

ワーグナー作曲
<ニュルンベルグのマイスタージンガー>よりハンス・ザックスのモノローグ「にわとこのモノローグ」(<Die Meistersinger von Nürnberg> Flieder-monolog)
<ニュルンベルグのマイスタージンガー>前奏曲(<Die Meistersinger von Nürnberg> Prelude)

●NHK交響楽団第1125回定期演奏会 共演:NHK交響楽団;ヴァーツラフ・ノイマン(C)

マーラー/「亡き子をしのぶ歌」

マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」

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ヘルマン・プライ9回目の来日は、前回から2年後の1990年。
ピアニストは1973年以来日本で共演していなかったレナード・ホカンソン(1931.8.13, Vinalhaven, Maine, US - 2003.3.21, Bloomington, Minnesota, US)が久しぶりに登場した。
オーケストラは初共演の佐藤功太郎(1944年東京生まれ)指揮、東京フィルハーモニー交響楽団が務めている。

曲目については、再び「冬の旅」がすべての地方で歌われ、1980年を除いてすべての来日公演で歌われたことになる。
私は「冬の旅」ではなく、サントリーホールで1回だけ披露されたシューマン歌曲の夕べ(11月12日)を聴きに行った。
「詩人の恋」は1971年に日本公演で披露していたが、ユスティーヌス・ケルナーによる「12の詩」は彼にとって日本初披露である。
「はじめての緑」や「だれがおまえを傷つけたのか」「むかしのラウテ」などは単独でもよく歌われる曲であるし、プライも80年代にDENONレーベルにホカンソンと12曲まとめて再録音していた。
この時も安いP席(舞台後ろ側の席)で聴いたのだが、プライの歌うシューマンを生で聴くのはこの時がはじめてだった。
この演奏会のころはすでに感想メモを取らなくなっていたので、どのような演奏だったのかはっきりとは思い出せない。
ただ、ホカンソンの実演を聴いたのははじめてで(同時に最後になってしまったが)、弾く姿をかなり間近で見れた記憶が残っている。

ところで、ホカンソンだが、現在もご健在で悠々自適な生活を送っているのだろうと思いこんでいたのだが、実はすでに亡くなっていて、今年が没後5年ということを最近知った。
当時音楽メディアでは報道されたのだろうか、そうだとしたら私が見過ごしていただけなのだが。

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