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プライ日本公演曲目1988年(第8回来日)

第8回来日:1988年11月

Prey_deutsch_1988_pamphletヘルマン・プライ(Hermann Prey)(BR)
ヘルムート・ドイッチェ(Helmut Deutsch)(P)
バイエルン国立歌劇場(Bayerische Staatsoper)
ウォルフガング・サヴァリッシュ(Wolfgang Sawallisch)(C)

11月13日(日)15:00 NHKホール:バイエルン国立歌劇場
11月18日(金)17:00 NHKホール:バイエルン国立歌劇場
11月22日(水)18:30 宇都宮市文化会館:リサイタル
11月24日(金)18:30 群馬音楽センター:リサイタル
11月26日(日)19:00 サントリーホール:リサイタル
11月28日(火)19:00 茨城県立県民文化センター:リサイタル
(?12月3日(土)15:00 神奈川県民ホール:バイエルン国立歌劇場)(12月3日はプライとネッカーのどちらがベックメッサーとして出演したか不明)

●バイエルン国立歌劇場公演

ワーグナー/楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(Die Meistersinger von Nürnberg)(プライはベックメッサー役)

 ハンス・ザックス:ベルント・ヴァイクル(Bernd Weikl)/テオ・アダム(Theo Adam)
 ポーグナー:クルト・モル(Kurt Moll)/ヤン=ヘンドリック・ローターリング(Jan-Hendrik Rootering)
 ワルター:ルネ・コロ(René Kollo)/ヨーゼフ・ホプファーヴィーザー(Josef Hopferwieser)
 ダーヴィット:ペーター・シュライヤー(Peter Schreier)
 エヴァ:ルチア・ポップ(Lucia Popp)
 マグダレーナ:コルネリア・ヴルコップフ(Cornelia Wulkopf)
 ベックメッサー:ヘルマン・プライ(Hermann Prey)/ハンス=ギュンター・ネッカー(Hans Günter Nöcker)
 コートナー:アルフレート・クーン(Alfred Kuhn)
 フォーゲルゲザング:ケネス・ガリソン(Kenneth Garrison)
 ナハティガル:マルコ・シンデルマン(Marco Schindelmann)
 ツォルン:ウルリヒ・レス(Ulrich Reß)
 アイスリンガー:ヘルマン・サペル(Hermann Sapell)
 モーザー:クラース・アーカン・アーンシェ(Claes H. Ahnsjö)
 オルテル:ウォルフガング・ラオホ(Wolfgang Rauch)
 シュヴァルツ:クリスチャン・ベッシュ(Christian Boesch)
 フォルツ:ハンス・ヴィルブリンク(Hans Wilbrink)
 夜警:ヤン=ヘンドリック・ローターリング(Jan-Hendrik Rootering)/クルト・モル(Kurt Moll)/ヘルマン・サペル(Hermann Sapell)
 バイエルン国立歌劇場合唱団(Der Chor der Bayerischen Staatsoper)
 バイエルン国立管弦楽団(Das Bayerische Staatsorchester)
 指揮:ウォルフガング・サヴァリッシュ(Wolfgang Sawallisch)

 演出:アウグスト・エヴァディング(August Everding)
 装置・衣装:ユルゲン・ローゼ(Jürgen Rose)
 合唱指揮:ウド・メアポール(Udo Mehrpohl)

●リサイタル 共演:ヘルムート・ドイッチェ(P)

シューベルト/歌曲集「冬の旅」(Winterreise)D911
(おやすみ/風見の旗/凍った涙/かじかみ/菩提樹/あふれる涙/川の上で/回想/鬼火/休息/春の夢/孤独/郵便馬車/白くなった頭/からす/最後の希望/村にて/嵐の朝/まぼろし/道しるべ/宿/勇気/まぼろしの太陽/辻音楽師)

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ヘルマン・プライ8回目の来日は、前回から4年後の1988年。
今回はバイエルン国立歌劇場の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」公演でベックメッサーを歌うための来日で、同時に「冬の旅」のリサイタルを4箇所で歌った。
前回来日時のオペラ・アリア・プログラムでもハンス・ザックスの“にわとこ”のモノローグは歌っていたが、ベックメッサー役、しかも全曲を披露したのはこの時が最初で最後であった。
バイエルン国立歌劇場は「マイスタージンガー」を11月13日、18日、23日(以上NHKホール)、12月3日(神奈川県民ホール)の4回公演しているが、ベックメッサー役はプライとハンス=ギュンター・ネッカーのダブルキャストになっている。
そのうち、13日と18日はプライ、23日はネッカーが歌ったことが、たかさんのブログ他で分かったが、12月3日はどちらが歌ったのか分からなかった。
プライは「冬の旅」を連続して歌った後なので、ネッカーが歌った可能性の方が高いかもしれない。
「冬の旅」のピアニストは前回に続き、ヘルムート・ドイチュとの2度目の共演である。
「冬の旅」は1980年のフィガロ出演時を除いて、連続披露の記録を続けている。
私は26日のサントリーホールでの「冬の旅」を安価なP席で聴いたのだが、当時つけていた自分のメモを読むと、この時のプライの「豊麗な声」に感激している。
プライの声は録音で聴くと、その温かみのある声の印象が強いが、体の奥から湧き出てくるような豊かな声のボリュームは実演に接してはじめて感じたものだった。
この時はP席(ステージの後ろ)だったため、プライの声が反対側に響いていくのを惜しく思いつつも、かなり近くから彼の歌う姿を見ることが出来た貴重な体験だった。
この時も音程が上がりきらない箇所はあったが、80年代にDENONレーベルに録音したビアンコーニとの録音と基本的には近い解釈だったようだ。
「かじかみ」「回想」のような早目の曲をあえてゆっくり歌うのもこの当時のプライの特徴だが、全体的に自然でおおらかな歌唱だったとメモに書いている。
当時の私はこの演奏から絶望よりも希望を感じ取ったようだ。

ちなみにバイエルン国立歌劇場の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」以外の公演は、「アラベラ」「コシ・ファン・トゥッテ」「ドン・ジョヴァンニ」で、「ミサ・ソレムニス」「第九交響曲」「ワーグナーのガラ・コンサート」も披露されているが、プライはそれらには出演していないようだ。

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シューベルトの想い出~「流れ」D565

Der Strom, D565
 流れ

Mein Leben wälzt sich murrend fort,
Es steigt und fällt in krausen Wogen,
Hier bäumt es sich, jagt nieder dort
In wilden Zügen, hohen Bogen.
 私の人生は不平を漏らしながら転がり進む、
 さざ波を立てて上ったり落ちたりしつつ。
 ここで立ち止まるかと思えば、あちらで下へ駆り立てる、
 荒々しい動きで、高い弧を描いて。

Das stille Tal, das grüne Feld
Durchrauscht es nun mit leisem Beben,
Sich Ruh ersehnend, ruh'gen Welt,
Ergötzt es sich am ruh'gen Leben.
 静かな谷や緑の野原を
 今、かすかに震えながらざわめき抜ける。
 憩いを望み、穏やかな世界を望みながら、
 穏やかな人生を楽しんでいる。

Doch nimmer findend, was es sucht,
Und immer sehnend tost es weiter,
Unmutig rollt's auf steter Flucht,
Wird nimmer froh, wird nimmer heiter.
 だが、求めるものは決して見出せず、
 常に望みを抱きながら轟音を立ててさらに流れる。
 不機嫌に絶えず逃避しつつ転げまわり、
 決して陽気にも快活にもなることはない。

詩:不明
曲:Franz Peter Schubert (1797.1.31, Himmelpfortgrund - 1828.11.19, Wien)

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シューベルトの歌曲を聴きはじめたばかりの頃、F=ディースカウが神奈川県民ホールに来てシューベルトの夕べを開くことを知った。
1983年10月21日の公演はハルトムート・ヘルのピアノで正規のプログラムが18曲、アンコールが5曲の計23曲が演奏された。
当時学生だった私にはあまりにも高価なチケット代だったが、そのような体験を私のシューベルト探索のはじめの頃に出来たというのは今思うと貴重なことだったと思う。
ほとんど聴いたことのない曲ばかりで組まれたプログラムだったが、後に歌曲全集のLPを持っていた知人に無理を言って、同じ曲目を聞かせてもらった。
その中で特に気に入った曲が「流れ」という1分少々の短い作品だった。
冒頭から細かい分散和音で激しく上下に動き回るピアノパートにすっかり魅せられて、インターネットなどなかった時代なので輸入楽譜店に葉書で問い合わせてペータース版の第7巻を購入したものだった。
下手の横好きで前奏と後奏だけはとりあえず指が覚えたが、忍耐力のない私はそれだけで満足して練習するのをやめてしまった。
当時F=ディースカウ以外の歌手でも聴いてみようと探してみてもほとんど録音がなかったと思うが(クルト・モルによるこの曲の演奏が発売された時は喜んで購入したものだった)、F=ディースカウ自身はムーア、リヒテル、ヘルなどと繰り返し録音しており、愛着も深かったのだろう。

この曲の草稿には「シュタードラー氏の想い出のために」と記されているそうで、1817年の夏にシューベルトの神学校時代の友人アルベルト・シュタードラー(Albert Stadler: 1794.4.4, Steyr, Austria - 1888.12.5, Wien)がヴィーンを離れる際に作曲された。
そのため、このテキストがかつてはシュタードラーの手によるものとされてきたが、シューベルト自身による詩という説もあり、はっきりしていない。
人生という荒波にもまれて苦しむというかなりネガティブな内容だが、シューベルトの畳み掛けるように押し寄せる音の波で見事に表現されている。
F=ディースカウもその著書「シューベルトの歌曲をたどって」(原田茂生訳、1976年白水社)の中で、「最初のアウフタクトが始まるやいなや聴き手を激しい興奮にひきずり込む」と述べているのも納得できる知られざる名作である。

F=ディースカウ&ヘルが1991年にニュルンベルクのコンサートで演奏した際のライヴ映像がYouTubeにアップされている。
声は衰えたが、さすがに手の内に入った歌唱で、詩の内容を全身で表現している。
ヘルのピアノも若々しく、すでに後年の個性の片鱗が聞かれるようだ。
http://www.youtube.com/watch?v=_1lKTxpNYq0

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ゲルハーヘル&フーバーによる「冬の旅」(16日NHK芸術劇場放映)

今年の1~2月に、6年ぶりにバリトンのクリスティアン・ゲルハーヘル(Christian Gerhaher)が来日した。
19年にもわたるパートナーというピアニストのゲロルト・フーバー(Gerold Huber)と共に、シューベルトの3大歌曲集を歌い、さらにヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)指揮のN響とは東京、名古屋、岡山を回って「さすらう若者の歌」を歌った。
私は残念ながらチケットを入手できず実演を聴けなかったのだが、16日の教育テレビで、2月1日(金)王子ホールでの「冬の旅」の演奏が放映されたので見てみた。

ゲルハーヘルはとても明晰で高めのよく響く声をもっており、いわゆるハイ・バリトンといってよいだろう。
そのため、軽い曲から深刻な曲まで幅広く対応可能な声質に恵まれているということが言えると思う。
低めのバリトンだとどうしても重くなりやすいところがあるが、ゲルハーヘルの明るい声は個人的には好みのタイプの声であり、言葉もはっきりと美しく響くのが魅力的である。

さて、テレビで放映された「冬の旅」だが、視覚的に見て、彼は師匠のF=ディースカウとは異なり、ほとんど動かない。
直立不動に近いといってもいいのではないか。
顔の表情もディースカウのように芝居がかったところがなく、必要最低限の表情の変化が見られるぐらいである。
歌の再現以外の諸要素を極力排除したところに彼の演奏のポリシーがあるようだ。
だが、声のきめは細かく、発音も明晰、強弱も詩に応じて的確に変化をつける等、30台後半のまさに脂の乗り切った彼の歌唱は見事である。
唯一低声は若干響きが弱くなることがあるが、これは時間が解決してくれるのではないだろうか。
「冬の旅」はどんな大歌手にとっても一筋縄でいかない難曲だろうが、ゲルハーヘルは現時点で彼が出来る最高の歌を聴かせてくれたように思う。
「道しるべ」の同音を繰り返して「誰も戻ってきた者のない道を行かなければならない」と歌うところの声の表情など絶品であった。
最終曲の「ライアー弾き」でゲルハーヘルは若干早めのテンポで、ボリュームを適度に抑えたまま最後まで貫いた。
彼の表現した「冬の旅」は立ち止まるよりは前へ前へと突き進む推進力が感じられて、これはこれで魅力的な1つの解釈のあり方だと思った。
決して明るいわけではない、しかし絶望した主人公になりきるのでもなく、もっと冷静な語り部として自制心の働いた歌唱であった。
インターネットで見た彼のインタビューによると「センチメンタル」であることを好まないとのこと。
つまりやりすぎのコントロールされていない表現を戒めた態度で歌唱に臨んでいるらしい。
独りよがりにならずに、作品に敬意をもつこと、この彼の信条がそのまま、この「冬の旅」の彼の表現を言い尽くしていたように思う。

ゲロルト・フーバーは相変わらず美しいタッチを繊細にコントロールして、柔らかめの音で歌を包み込んでいた(「からす」でのおそろしいほどの美しさ!)。
いくつかの曲ではフーバーの思い入れのあるテンポの緩みがゲルハーヘルの推進力とは若干異質に感じた箇所もあったものの、概して解釈はぴったり一致していたと思う。
特に「かじかみ」や「勇気」のような劇的な曲でもいたずらに音を荒げないまま詩の内容を表現し尽くしていたのは見事だった。

インターネットの情報を総合すると、今年の来日スケジュールは以下のようだったようだ。
ゲルハーヘルにとって連続して三大歌曲集を歌ったのははじめての経験とのこと。
3回とも聴けた人はその貴重な場に居合わせたことになるだろう。

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2008年公演

1月23日(水)19:00 東京・サントリーホール:マーラー「さすらう若者の歌」;シューベルト/交響曲第8番ハ長調D944(NHK交響楽団;ヘルベルト・ブロムシュテット(C))

1月24日(木)19:00 東京・サントリーホール:マーラー「さすらう若者の歌」;シューベルト/交響曲第8番ハ長調D944(NHK交響楽団;ヘルベルト・ブロムシュテット(C))

1月26日(土)18:45 名古屋・愛知県芸術劇場コンサートホール:マーラー「さすらう若者の歌」;シューベルト/交響曲第8番ハ長調D944(NHK交響楽団;ヘルベルト・ブロムシュテット(C))

1月27日(日)15:00 岡山・岡山シンフォニーホール:マーラー「さすらう若者の歌」;シューベルト/交響曲第8番ハ長調D944(NHK交響楽団;ヘルベルト・ブロムシュテット(C))

1月30日(水)19:30 東京・王子ホール:シューベルト「美しい水車屋の娘」D795(ゲロルト・フーバー(P))

2月1日(金)19:30 東京・王子ホール:シューベルト「冬の旅」D911(ゲロルト・フーバー(P))

2月3日(日)15:00 東京・王子ホール:シューベルト「白鳥の歌」D957より第1曲~第7曲、遠くへの憧れD770、冬の夕暮れD938、漁夫の愛の幸せD933/「白鳥の歌」D957より第8曲~第14曲(ゲロルト・フーバー(P))

2月5日(火)18:45 名古屋・しらかわホール:シューベルト「白鳥の歌」D957より第1曲~第7曲、遠くへの憧れD770、冬の夕暮れD938、漁夫の愛の幸せD933/「白鳥の歌」D957より第8曲~第14曲(ゲロルト・フーバー(P))

2月7日(木)19:00 大阪・いずみホール:シューベルト「冬の旅」D911(ゲロルト・フーバー(P))

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ヘンドリックス&ペンティネン/シューマン歌曲集

Robert Schumann / Lieder
Hendricks_pontinen_schumannArte Verum: ARV-002
録音:2002年8月30日~9月2日、2003年3月12日~15日, Royal Academy Hall of Music in Stockholm, Sweden
バーバラ・ヘンドリックス(Barbara Hendricks)(S)
ロラント・ペンティネン(Roland Pöntinen)(P)

シューマン(1810-1856)作曲

献呈(Widmung, Op. 25-1)
わが麗しの星(Mein schöner Stern, Op. 101-4)
花嫁の歌Ⅰ(Lied der Braut I, Op. 25-11 )
花嫁の歌Ⅱ(Lied der Braut II, Op. 25-12 )

兵士の花嫁(Die Soldatenbraut, Op. 64-1)
捨てられた娘(Das verlassene Magdelein, Op. 64-2)
春だ(Er ist's, Op. 79-23)

あの国をご存知ですか(Kennst du das Land, Op. 98a-1)
ただ憧れを知る者だけが(Nur wer die Sehnsucht kennt, Op. 98a-3)
話せと言わないで(Heiß mich nicht reden, Op. 98a-5)
悲しい音色で歌わないで(Singet nicht in Trauertönen, Op. 98a-7)
私をこのままの姿でいさせて(So laßt mich scheinen, Op. 98a-9)

あなたは花のよう(Du bist wie eine Blume, Op. 25-24)
哀れなペーター(Der arme Peter, Op. 53-3)
はすの花(Die Lotosblume, Op. 25-7)
孤独な涙は何を望む(Was will die einsame Träne, Op. 25-21)

はじめての緑(Erstes Grün, Op. 35-4)

歌曲集「女の愛と生涯」(Frauenliebe und -leben, Op. 42)
1. 彼に会ってからというもの(Seit ich ihn gesehen)
2. 彼は、あらゆる男性の中でもっとも立派な方(Er, der Herrlichste von allen)
3. 私には分からない、信じられない(Ich kann’s nicht fassen, nicht glauben)
4. ねえ、私の指にはまっている指輪よ(Du Ring an meinem Finger)
5. 手伝って、妹たち(Helft mir, ihr Schwestern)
6. やさしい友よ、あなたは不思議そうに私を見ています(Süßer Freund, du blickest)
7. わが心に、わが胸に(An meinem Herzen, an meiner Brust)
8. 今あなたは私にはじめての苦痛を与えました(Nun hast du mir den ersten Schmerz getan)

月夜(Mondnacht, Op. 39-5)
くるみの木(Der Nußbaum, Op. 25-3)

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先日、ラ・フォル・ジュルネで久しぶりの実演に接したバーバラ・ヘンドリックス。
声は年齢による重さを加えていたものの味わいを深めたシューベルトの歌唱はとても素晴らしかった。
会場のCDショップで彼女の新しいシューマン歌曲集が販売されていたので、早速購入して聴いてみた。
これまでEMIなどで多くの録音を残してきた彼女だが、数年前から自身のレーベルArte Verumを立ち上げ、メジャーレーベルで録音できなかった作品などを精力的にリリースしていくようだ(すでにスペイン歌曲やプランク、シューベルトの歌曲集が出ている)。

今回の彼女にとっておそらく初のシューマン歌曲集は、女声歌手の多くがレパートリーにもつ「女の愛と生涯」のほかに、「ミルテOp. 25」「リーダークライスOp. 39」「ヴィルヘルム・マイスターOp. 98a」歌曲集などからの代表的な作品がほぼ網羅されていて、女声用シューマン歌曲の有名どころをこの1枚で知ることが出来る好選曲になっている。
特に「ヴィルヘルム・マイスター」歌曲集(ミニョン、フィリーネ)はシューベルトやヴォルフに比べて歌われる機会がずっと少ないので、貴重な録音である。

2002~2003年にかけての録音ということは50台半ばの歌唱ということになる。
今から5年ほど前の録音だが、最初の「献呈」を聴いて、声自体は重くなり、ヴィブラートも太くなっているという印象をもった。
もともとが軽く細めの声を絞り出すようにして歌う歌手なので、声の変化は低声歌手より目立つのは仕方ないだろう。
だが、聴き進めていくうちにそんなことはどうでもよくなってきた。
とにかく歌の熟度が明らかに濃くなっているのだ。
声のパワーも減退するどころかさらに充実しているのではないか。
全身全霊を傾けた歌唱といえばいいだろうか。
恋する人への情熱的な「献呈」では、力強く愛を歌い上げ、「兵士の花嫁」ではコミカルな一面も披露する。
ミニョンの歌曲群では薄幸な少女の心情を深く掘り下げて、心に食い込んでくる歌を聞かせてくれた。

3曲からなる小さな歌曲集「哀れなペーター」は元恋人のグレーテが恋敵のハンスと結婚式をあげる場面ではじまり、絶望したペーターは山の上で涙を流し、ついには墓の中で眠ることを望むという内容である。
失恋した男性の気持ちを歌った歌だが、ヘンドリックスの声と表現はこの歌曲集にぴったりはまっていて、深い心情を引き出して感動的だった。

歌曲集「女の愛と生涯」はシャミッソーのあまりにも卑下しすぎた詩の内容ゆえに悪評高い作品だが、そのためかシューマンの曲自体も割りを食っているきらいがある。
しかし女声歌手の貴重なレパートリーとして多くの録音が残されているのは言うまでもない。
ここでのヘンドリックスは丁寧に女性の慎ましやかな心情を歌っていくが、夫を失った悲しみを歌った最終曲ではかなり劇性を前面に出して悲痛さを表現しているのが興味深かった。

長い孤を描くフレーズが印象的なアイヒェンドルフの詩による名作「月夜」では、一般的に静謐さを保った歌唱が多い中、あえて力強く歌いあげていたのが珍しくもあり、詩で語られる魂の飛翔の彼女なりの解釈なのだろうと受け取った。

アルバム最後を飾るのは有名な「くるみの木」。
優美で心地よい歌声が繊細な濃淡を描きながらシューマン・アルバムは締めくくられる。

ヘンドリックスはEMI時代はシューベルトではラドゥ・ルプー、ドビュッシーではミッシェル・ベロフ、モーツァルトではマリア・ジョアン・ピレシュというように、その分野の著名なソリストと組み、レコード会社側の思惑が見え隠れする共演が多かったが(結果的には成功していたと思うが)、最近はスタファン・シェイヤ(1950年生まれ)、ルーヴェ・デルヴィンイェル(1966年生まれ)などスウェーデンのピアニストとの共演が多いようだ。
ヘンドリックスはアメリカ出身だが、スウェーデン国籍を取得しているので、彼らとの共演はヘンドリックスの自発的な意思によるものだろう。
ロラント・ペンティネンは1963年スウェーデンのストックホルム生まれのピアニストで、ソリストとして多くの録音を出している。
このアルバムでのペンティネンはソリストとしての個性を前面に打ち出すことはせず、ヘンドリックスの音楽と一体になった演奏を披露している。
彼の音の美しさと停滞することのない自然な音楽の流れは、とかくルバートで揺れ動きすぎる演奏の多いシューマンの曲からかえって新鮮な魅力を引き出していた。

難民を支援するための音楽を離れた精力的な活動がヘンドリックスの演奏に及ぼした影響というものを安易に言ってはいけないのかもしれない。
だが、そうしたことを含めた人生経験の深みはやはりこの歌曲集の中の奥行きの深さに全く無縁ではないと思った。

この素敵な歌曲集はamazonのサイトで試聴することが出来る。
http://www.amazon.co.jp/Schumann-Lieder-Robert/dp/B000O77Q8I/ref=sr_1_5?ie=UTF8&s=music&qid=1211013918&sr=1-5

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シューベルト三昧(3)

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2008~シューベルトとウィーン~

2008年5月5日(月)

「熱狂の日」参戦の最終日もあいにくの曇り空。
だが暑すぎるよりは快適に鑑賞できるのかもしれない。
会場に着いたら小雨が降っていた。
あまりにも忙しく会場間を駆け回っていた昨日までと違い、今日はすべて指定席なので、並ばなくて済み、多少時間的な余裕があると思っていた(実は時間的な余裕が一番ないのは今日だということに後で気付くのだが)。
少し屋台を覗いたり、地下のCDショップや関連グッズなども見てみたが、常に盛況だった(ヘンドリックスの珍しいシューマン歌曲集を購入した)。
隣の広場ではキッズプログラムで女の人と子供達が原語で「野ばら」を何度も歌ったり、リズムを打ったりしているのが聞こえてきた。

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16:30 Hall C(マイアーホーファー)
シューベルト/ ズライカⅠ「吹き通うものの気配は」 D720
シューベルト/ ズライカⅡ「ああ、湿っぽいお前の羽ばたきが」 D717
シューベルト/「愛らしい星」 D861
シューベルト/「夜と夢」 D827
シューベルト/「若い尼僧」 D828
シューベルト/「君こそ我が憩い」D776
シューベルト/「さすらい人の夜の歌」 D768(プログラム表記のD224は誤り)
シューベルト/「ミューズの息子」 D764
シューベルト/「トゥーレの王」 D367
シューベルト/「糸を紡ぐグレートヒェン」 D118
バーバラ・ヘンドリックス(Barbara Hendricks)(ソプラノ)
ルーヴェ・デルヴィンイェル(Love Derwinger)(ピアノ)

久しぶりに見たヘンドリックス、黒いシックな衣装に身を包んで登場したが、多少ふくよかになっただろうか。
いつまでも華奢で若いイメージをもっていた彼女ももう59歳だが、そうは見えない。
演奏前にアナウンスがあり、アーティストの希望で2曲目と6曲目の後のみに拍手してくださいとのこと、大衆的な音楽祭でも彼女はやはりプログラミングのまとまりに気を遣うリート歌手であるということだろう。
最初の「ズライカ」はまだ声も温まっていない印象を受けたが、これは歌手のリサイタルなら誰でもそうなので特に気にすることもなかろう。
彼女の声には特有のコクがあり、それが他の誰とも違った味わいを生む。
この日の歌唱も細身の声を絞り出すように押し出して、広い会場を充分に満たしていた。
以前のような余裕がないのは年齢を考えれば当然であろう。
「君こそ我が憩い」は2回ある高音のクライマックスで音程が上がりきらず、移調の必要性を感じた。
しかし、ほかの曲はどの曲もシューベルトのメロディーラインを丁寧に歌い、よく知られた手垢のついた作品に新鮮さを与えていた。
ドイツ人が歌うシューベルトとは異なるが、彼女のアプローチは逆にドイツ人には歌えない雰囲気を醸し出しており、それが彼女の強みだろう。
特に「糸を紡ぐグレートヒェン」はほかの曲の歌唱よりも一段と素晴らしかった。
きっとほかのどの曲よりも歌いこんでいるのではないだろうか。
その細やかな表情の変化は詩の言葉に繊細に反応し、燃え上がり、最後は放心して終わる。
それがヘンドリックスにしか出せないドラマになっていたのが素晴らしい。
歌の味わいは声の下降と反比例して増していくのだろう。
アンコールは「ます」と「アヴェ・マリア」。
「アヴェ・マリア」は3節ともフルで歌ったので、次に聴く演奏会が始まる時間を大幅に過ぎてしまったが、最後まで聴いて正解だった。
真摯な祈りの表現は心を洗ってくれたかのようだ。
ピアノはルーヴェ(綴りはLove)・デルヴィンイェルというスウェーデン人。
彼女とよく組んでいるようだが、ソリストとしても活動しているようだ。
同じソリストでもダルベルトの伴奏とデルヴィンイェルの伴奏は随分違った。
ダルベルトが歌とピアノの2重奏を目指していたとするならば、デルヴィンイェルは歌と一体になるタイプの演奏だ。
ヘンドリックスの声に溶け込みながら、清冽な響きを残したまま主張するところはする。
ダルベルトの異質さの併置に対して、デルヴィンイェルは同化したうえでの主張。
ソリストの伴奏はこうで、専門の伴奏者の伴奏はこうで、と大きく括る評論を見ることが多いが、そんなに単純なものでもなかろう。
ソリストの伴奏も、専門家の伴奏も、千差万別なのだから。

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17:15 Hall B7(ショーバー)
シューベルト/「ゴンドラを漕ぐ人」 D809
シューベルト/「セレナード」 D920
シューベルト/ 詩篇第23篇「神はわが牧者」 D706
シューベルト/「水上の精霊の歌」 D714
シューベルト/「挽歌(女たちの挽歌)」 D836
シューベルト/「夜」 D983c
オーサ・オルソン(Åsa Olsson)(メゾ・ソプラノ)
ベン・マルティン・ワイヤンド(ピアノ)
カペラ・アムステルダム(Cappella Amsterdam)
ダニエル・ロイス(Daniel Reuss)(指揮)

ヘンドリックスのコンサートが5分遅れで始まり、アンコールを2曲も歌ってくれたので、こちらの会場に着いたのが、17時35分ごろで、すでに「水上の精霊の歌」(ピアノだけの伴奏だった)の途中だった(この曲だけ立ち見することになったが、次の曲で誘導された席についた時よりもよく見えたので、立ち見のままの方が良かったかも)。
そのためにメゾ・ソプラノのオーサ・オルソンという人の歌唱はとうとう聴けずじまいだった。
45分という枠組みはあくまで目安であって、もっと余裕をもった予定を立てなければということを次回からの教訓にしたい。
今回の3日間のコンサートの中で唯一だぶって演奏されたのを聴いたのがここで最後に歌われた「夜」という合唱曲。
この曲、スタンダードナンバーなのだろうか。
短いが、確かに美しい。
パンフレットを引用すると「弱声で“ハモりっぱなし”という、男声合唱の最も魅力的なエッセンスだけを取り出して音楽にしたような作品」とのこと。
合唱団は男女各16人構成で、初日の最初に「ミサ曲第5番」を聴かせてくれた合唱団だった。
男女とも優れた響きだったと思うが、慌てて会場にやってきたため、なんだか落ち着かないうちに終わってしまった感じだ。
ただ、アンコールを3曲も歌ってくれたのがせめてもの救いだ。
アンコールはすべてブラームスで、「憧れ」Op. 112-1、「夜に」Op. 112-2、「夕べの歌」Op. 92-3。
特に「憧れ」はメランコリックで非常に美しい作品。
スキンヘッドの小柄なピアニストも愛嬌のあるステージマナーで印象的だったが、演奏はしっかりしたものだった。

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19:00 Hall B7(ショーバー)
シューベルト/交響曲第8番ハ長調 D944 「グレイト」
ヴュルテンベルク室内管弦楽団(Württembergisches Kammerorchester Heilbronn)
ルーベン・ガザリアン(Ruben Gazarian)(指揮)

こちらも5分遅れで団員が登場したので、1時間後の「ロザムンデ」に間に合うかはらはらしながら聴きはじめたが、まだ30代半ばのアルメニアの指揮者ガザリアンは、早めのテンポで躍動感のある演奏をして、8時3分前には終わり、無事次のコンサートに駆け込みセーフだった。
この「グレイト」(なぜドイツ語でなく英語の通称なのか不思議ではある)、「天国的な長さ」というシューマンがほめ言葉として使ったフレーズが独り歩きして、あたかも退屈な曲のような烙印を押されがちだが、シューベルト的であることは確かだが、こうしてじっくり聴いてみると決して長すぎるというわけでもないのが分かる。
よく出来た作品に思えるのだが、弛緩した演奏だとシューベルトの魅力よりも長さの方が目立ってしまうのかもしれない。
その点、この指揮者はいい意味で若さを前面に出す。
しっかりと指示を出しているのだが、時々洗練されていない無骨な動きがあり、それが何故か微笑ましく受け取れる。
ベテランのオーケストラ(3日に聴いたミサ曲と同じオケ)もひなびた味を出しながら若い指揮者のエネルギッシュな采配に見事に応えていた。

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20:00 Hall C(マイアーホーファー)
シューベルト/劇付随音楽「キプロスの女王ロザムンデ」 D797
1.序曲(「魔法の竪琴」序曲D644)
2.間奏曲第1番ロ短調
3.亡霊の合唱「深みの中に光が」(男声合唱)
4.バレエ音楽第1番
5.間奏曲第2番ニ長調
6.ロマンス「満月は輝き」(メゾ・ソプラノ独唱)
7.間奏曲第3番変ロ長調
8.羊飼いのメロディ
9.羊飼いの合唱「この草原で」(混声合唱)
10.狩人の合唱「緑の明るい野山に」(混声合唱)
11.バレエ音楽第2番
林美智子(Michiko Hayashi)(メゾ・ソプラノ)
晋友会合唱団(Shin-yu Kai Choir)
フランス国立ロワール管弦楽団(Orchestre National des Pays de la Loire)
ペーテル・チャバ(Peter Csaba)(指揮)

これは今回の多くのコンサートの中でも特に印象深い演奏だった。
「熱狂の日」コンサートの最後がこのコンサートで良かったと本当に思う。
曲を熟知しているハンガリーの指揮者の安定した采配と、光沢のある洗練されつくしたロワール管の見事な響き、それに完璧な晋友会合唱団の歌唱と非の打ち所がない名演だった。
1曲だけ歌った林美智子は初めて聴いたが、よく響く声と恵まれた美貌はオペラなどではさぞ映えることだろうと思った。
メゾ・ソプラノといってもいろいろいるようで、彼女は包容力よりはソプラノ歌手を低めにしたような感じだ。
もう少しこの曲の悲哀感も響かせて欲しい気がするが、それには年輪が必要かもしれない。
この1曲を歌うために彼女がどうやって入退場するのか気になったが、1曲前の「間奏曲第2番」が始まる前に静かに登場し(拍手なし)、座って待機し、「満月は輝き」を歌い終わった後、次の「間奏曲第3番」の間着席し、それが終わってから静かに退場した。
それにしてもこの付随音楽、こうしてじっくり聴いてみると名曲揃いだ。
有名な「序曲」(といっても借り物だが)や、テーマがいろいろ使いまわしされていることで有名な「間奏曲第3番」、それに女声歌手の十八番「満月は輝き」はよく知られているし、さらに「バレエ音楽第2番」なども楽興の時第3番との相似が指摘されているほどで、独奏楽器のアンコールピースに編曲されて親しまれている。
だが、暗い響きが印象的な「間奏曲第1番」と、同じテーマを展開させた「バレエ音楽第1番」はシューベルトの闇の側面を魅力的に響かせているし、一方「羊飼いのメロディ」~「羊飼いの合唱」~「狩人の合唱」の流れは朴訥とした田園風景を特に管楽器と合唱の美しい響きで表現して大変魅力的に感じた。
この付随音楽の魅力をこれほどまでに表現してくれたペーテル・チャバと演奏者たちに感謝したい。
余談だが、"Rosamunde"という名前、直訳すれば「バラの口」となる。
なかなか洒落た名前だと思うが、現在こういう名前の人はいるのだろうか。

なお、この日のホールCの午後の演奏はNHK-FMで生中継されたようで、リスト研究家の野本氏とアナウンサーの坪郷氏が公開ブースで語っていた。
ヘンドリックスと「ロザムンデ」のどちらもTVカメラが入っていたので、いずれ放送されるのだろう(地上波で放送されるかどうかは分からないが)。

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はじめての「ラ・フォル・ジュルネ」体験、1日のうちに3~4公演聴くという経験をこれまでしたことがなかったので、最初は疲れてしまうのではないかと心配もしたが、始まってみればあっという間の3日間だった。
最後に聴いた「ロザムンデ」が終わった後はたっぷり聴けた充実感と同時に、まだ聴ける、もっと聴きたいという寂しさが沸き起こってきたのが予想外だった。
だが、連休最終日は家でゆっくり体を休めることにしたいと思う。

今回はシューベルトの作品を様々なジャンルにわたって聴くことの出来たとても貴重な機会だった。
歌曲だけでないシューベルトの様々な面を知ることが出来て、さらにシューベルトが身近な存在になったような気がする。
欲を言えば室内楽(例えば「アルペジョーネ・ソナタ」や「ます五重奏曲」)も聴きたかったが、それは個別のコンサートでいつか聴くことにしよう。

それからチケットが取りにくい点は何らかの改善を望みたいところだ。
会場が小さく、値段設定も低いのだから贅沢は言えないのだろうが、人気の公演は広めのホールを使うなどの対策は出来そうな気がする。
多くのボランティアを動員しての係員の方たちもみな手際よく案内してくれて気持ちよかったが、声を枯らすほどの口頭での案内はもう少し少なくても良かったかもしれない。
欲を言えばプログラム冊子の扱いがコンサートによってばらばらで、入場時に手渡ししてくれるところもあれば、テーブルに置いてあるだけのところもあり、テーブルに置くのなら「一部ずつプログラムをお取り下さい」というような案内が欲しかった気がする(私以外にも気付かずに後でもらっていた人も少なからずいたので)。
私は最初のミサ曲の時はこの無料プログラムがあることにとうとう気付かなかった。
今後の対応に期待したい。

今回の一連のコンサートすべてに共通していたのは、とにかく聴衆の拍手の熱さである。
これだけ熱狂的に拍手されたら演奏者もうれしいに違いないと思うような反応が、私の聴いたすべてのコンサートで見られた。
一般のコンサートでこれだけ熱狂的な反応が見られるのはそう多くないのではないか。
そういう意味で、クラシックに馴染みの薄い人たちからマニアが教わったことは大きかったと思う。

シューベルト中心のプログラミングでこれだけ集客できるというのはうれしい驚きであった。
もちろん様々な企画の魅力と、知名度の浸透、交通の便のよさなども関係しているのだろうが、シューベルトの魅力に負うところも少なからずあったのではないかと信じている。
故ヘルマン・プライがオーストリアやアメリカで開催したシューベルティアーデ、日本でもやれるのではなかろうか。

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シューベルト三昧(2)

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2008~シューベルトとウィーン~

2008年5月4日(日)

今日は早起きしてチケット半券を提示すれば見れるという映画「未完成交響楽」を鑑賞するつもりだったが、だらだらしてしまい、結局コンサートだけ行くことにした。
今日もいまいちはっきりしない天気。

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15:00 Hall G409(カロリーネ・エステルハージ)
シューベルト;リスト編/「何処へ」 D795
シューベルト;リスト編/「君こそ我が憩い」 作品59-3 D776
シューベルト;リスト編/「春の想い」 D686
シューベルト;リスト編/ 「きけきけヒバリ」
シューベルト;リスト編/「さすらい人」
シューベルト;リスト編/「ます」 作品32 D550
シューベルト;リスト編/「菩提樹」 D911
シューベルト;リスト編/「セレナード」 D889
シューベルト;リスト編/「海の静寂」 D216
シューベルト;リスト編/「水の上で歌う」 作品72 D774
シューベルト;リスト編/「愛の便り」 D957
フランソワ・キリアン(François Killian)(ピアノ)

キリアンというピアニストははじめて聴いたが、まずプログラムの中身に興味をもってチケットをとったので、そういう意味では満足している。
これだけのリスト編曲のシューベルト歌曲集をまとめて聴ける機会はなかなかないだろう。
ラーザリ・ベルマンやエフゲニー・キーシンなどが弾くとシューベルトのテーマを借りたリストの作品という印象が強くなるが、今回のキリアンはあくまでもシューベルトに焦点を当てた演奏ぶりであった。
弱音の歌い方などは決して悪くないのだが、彼はどうみてもヴィルトゥオーゾではなく、リストの書いた音をとらえるだけで精一杯という感じが拭えない。
ペダルの使用を最低限に絞ったのもオリジナルの歌曲ならともかく、リスト編曲版では技巧の限界を目立たせる結果になっていたようだ。
しかし曲が進むにつれて調子をあげ、「水の上で歌う」などはなかなかいい演奏であった。
アンコールはベートーヴェンの曲。

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16:45 Hall B5(テレーゼ・グロープ)
ベートーヴェン/ 歌曲集「遙かなる恋人に寄す」 作品98
ウェーバー/「私の歌」 作品15-1
ウェーバー/「それは苦しみなのか、喜びなのか」 作品30-6
ウェーバー/「なぜ君の魅惑の環に惹かれるのだろう」 作品15-4
ウェーバー/「輪舞」 作品30-5
シューベルト/「ガニュメート」 D544
シューベルト/ 「プロメテウス」 D674
シューベルト/「魔王」 D328
シュテファン・ゲンツ(Stephan Genz)(バリトン)
ミシェル・ダルベルト(Michel Dalberto)(ピアノ)

久しぶりにゲンツの実演を聴いたが、かつて聴いた時の印象が甦ってくる。
その時はくりくりした眼が愛嬌をもって聴衆に向けられ、聴いていると歌っている彼とよく眼が合ったものだったが、今回も最初に眼が合い、過去のコンサートのことを思い出してしまった。
声は以前の若々しさにやや落ち着きが加わり、味わいが出てきた印象である。
声の質はオーラフ・ベーアに近くなってきたように感じたが、どの音域も無理なく響き、表現も作品に誠実に寄り添っていて、盛期の演奏に立ち会えているという喜びを感じながら聴きいっていた。
歌曲集の歴史を切り開いたベートーヴェンの「遙かなる恋人に寄す」は堂に入った素晴らしい歌唱で、その後のヴェーバーの4曲もなかなか実演で聴けないだけに貴重であった。
「それは苦しみなのか、喜びなのか」はブラームスの「マゲローネのロマンス」の3曲目と同じ詩だが、ヴェーバーの方が当然ながらずっと素朴である。
「輪舞」はコミカルな作品でゲンツもダルベルトも生き生きと楽しんで演奏していた。
最後の箇所はF=ディースカウが歌うとヨーデルのような効果が出て面白かったが、ゲンツはその点まだ若いのかもしれない。
多少生真面目なヨーデル(?)だった。
シューベルト3曲はそれぞれドラマをもった作品が並んでいるが、「ガニュメート」の最後の息の長いフレーズを表情豊かに決め、「プロメテウス」では劇的な表現を堂々と聞かせる。
「魔王」での歌唱も巧まずに役の歌い分けを自然に聞かせるところなど非凡な演奏で素晴らしかった。
ダルベルトのピアノも素晴らしいの一言である。
最近NHKの講座の再放送が流れているが、そこでもちょうど今シューベルトの最後のソナタのレッスンをやっていた。
この晩の演奏もどの曲からも音が生き生きと踊っている。
歯切れのよさとしっとりとした歌い方の両面を兼ね備え、どの一瞬にも豊かな音楽が息づいている。
「魔王」は右手の急速な三連符を左手で補助するまでは良かったが、時々トレモロでお茶を濁していたのがもったいない(それでもそうと気付かせないような巧みな演奏だったが)。彼なら三連符で弾けるような気もするのだが。
今回の曲の中では唯一「プロメテウス」だけは弾き方がおぼつかない箇所が散見され、準備不足で消化不良の印象を残した(「魔王」と順序を入れ替えたのはそのせいだろうか?)。
リサイタルや室内楽で超多忙の彼だから完璧を求めるのは酷か。
アンコールではシューベルトの「鳩の便り」D965Aを歌ってくれて感無量。
素晴らしいリーダーアーベントだった。

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18:30 Hall B5(テレーゼ・グロープ)
シューベルト/「つらい悲しみは過ぎ去り」 D53
シューベルト/「若々しい五月の生気」 D61(三重唱)
シューベルト/「ゴンドラを漕ぐ人」 D809(予告されていた「はるかなる人」 D331から変更)
シューベルト/ピアノ曲 変ホ長調 D946-2(ピアノ独奏)
シューベルト/「墓と月」 D893
シューベルト/「精霊の踊り」 D494
シューベルト/「墓(第1作)」 D330
シューベルト/即興曲変ト長調 作品90-3 D899-3(ピアノ独奏)
シューベルト/「夜」 D983C
シューベルト/「盗賊の歌」 D435
シューベルト/「安らい、地上の最も美しい幸せ」 D657
シューベルト/「矛盾」 作品105-1 D865
フランク・ブラレイ(Frank Braley)(ピアノ:D809, 946-2, 330, 899-3, 865)
コレギウム・ヴォカーレによる男声合唱(Choeur d'hommes du Cllegium Vocale Gent)
クリストフ・ジーベルト(指揮)

シューベルティアーデの親密な空間を再現したかのようなとても楽しいコンサートだった。
合唱とピアノリサイタルをジョイントしたような感じで、アットホームな一時を満喫した。
男声合唱は12人で、おそらく向かって左端にいたテノールが統率役のクリストフ・ジーベルトなのだろう。
それにしても、この演奏会、今回の音楽祭で同じメンバー、同じ曲目で6回も公演を行っている。
ピアニストのブラレイはこの他にもリサイタルやら樫本大進とのデュオにも出演しており、最も多忙な一人だっただろう。
このコンサート、6回中3回目だったが、惰性に陥らず、疲れも見せず、真摯な演奏を聴かせてくれたことに感激した。
合唱団はヴィブラートを抑えた声が美しく絡み、テノールはすっきりと高音が伸び、低声はどっしりした安定感のある響きで、よく訓練されているように感じた。
ブラレイのピアノは概してあっさりとした響きだが、タッチのコントロールなどはさすがに高い能力を感じさせた。
アンコールはうきうきするようなシューベルトの「ポンチ酒の歌」D277。

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シューベルト三昧(1)

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2008~シューベルトとウィーン~

ゴールデンウィークの音楽祭としてすでに4回目になる「熱狂の日」音楽祭。
この時期は出かけてしまうことが多く、私は今年がはじめての参加である。
有楽町の国際フォーラムの有料公演だけでも2日から6日まで一日中今年のテーマのシューベルトが流れるという私にとってはまさに垂涎の企画だが、5日連続で聴く自信もなかったので、3日から5日までに絞り11公演のチケットを購入した(オークションでなんとか入手した白井さん以外はかろうじて電子ぴあで購入出来たが、あっという間に完売の公演がほとんどで、この音楽祭の認知度の高さに驚かされた)。
なお、各ホールにシューベルトにゆかりの深い人名が付けられているのも面白いアイディアである。

2008年5月3日(土)

はじめて出かけたラ・フォル・ジュルネはあいにくの曇り空。時々小雨がぱらつく。
それでも外ではオープンカフェのような席が並び、家族連れなどで賑わい、人だかりの中無料コンサートが開かれている。

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14:30 Hall C(マイアーホーファー)
シューベルト/ミサ曲第5番イ長調D678
ユッタ・ベーネルト(Jutta Böhnert)(ソプラノ)
マルフリート・ファン・ライゼン(Margriet van Reisen)(メゾ・ソプラノ)
トマス・ウォーカー(Thomas Walker)(テノール)
デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン(David Wilson-Johnson)(バス)
カペラ・アムステルダム(Cappella Amsterdam)
ヴュルテンベルク室内管弦楽団(Württembergisches Kammerorchester Heilbronn)
ダニエル・ロイス(Daniel Reuss)(指揮)

最初に聴いたのは「ミサ曲第5番」。
シューベルトの6曲のラテン語によるミサ曲の中でも人気の高いこの作品をはじめて生で聴いたが、独唱者、合唱団、オーケストラ、指揮者、それぞれが高い力を備えた人たちだったようで、50分ほどが弛緩することなく充実した響きに満たされていた。
こまかめのヴィブラートがうるさくならずに清潔な歌唱を聞かせたベーネルト、低音の包むような深みを備えたライゼン、真摯な表現を聴かせたウォーカー、重厚な声で円熟味あふれる支えとなったウィルソン=ジョンソンといった独唱者と共に、混声合唱団、オーケストラの質の高い演奏がこの美しい作品を魅力的に響かせていた。
こういう曲をいつか教会でも聴いてみたいものである。

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15:30 Hall B7(ショーバー)
シューベルト/ピアノ曲変ホ長調D946-1
シューベルト/ピアノソナタ第17番ニ長調D850
デジュー・ラーンキ(Dezsö Ranki)(ピアノ)

シフ、コチシュと共にハンガリーを代表するピアニストとして名前は知っていたが、なかなか聴く機会がなかった。
舞台に登場したラーンキは端正な容姿は変わらぬものの、すっかり白くなった髪が否応なく年月の経過を示していた。
最初のうちこそ若干硬さが感じられたものの、徐々に調子が出て、シューベルトの美しい響きを再現していた。
豊かな歌心とともに弱音のコントロールが素晴らしく、若干硬質の強音よりも弱音での美しさに惹かれた。
決して技巧家ではないが、シューベルトを弾くのに理想的な演奏家の一人だと感じた。
個性的な第17番のソナタを見事に弾きこなし、豊かな一時だった。
ただ、演奏中の彼はかなり鼻息が荒く、それがちょっと気になった。
なお、この会場は広い部屋に椅子を並べたような感じだが、ステージの背景の白壁が不思議と異空間を作り出していていい雰囲気だった。

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17:00 Hall D7(ヒュッテンブレンナー)
シューベルト/「シラーの<ギリシアの神々>の一節」 D677
シューベルト/「孤独な人」 D800
シューベルト/「冬の夕べ」 D938
シューベルト/「さすらい人の月に寄せる歌」 D870
シューベルト/「弔いの鐘」 D871
シューベルト/「野外で」 D880
シューベルト/「さすらい人」 D649(プログラム表記のD493は誤り)
シューベルト/「星」 D684(1節のみ)(プログラム表記のD939は誤り)
シューベルト/「流れ」 D693(1節のみ)
シューベルト/「ばら」 D745
シューベルト/「蝶々」 D633
シューベルト/「マリア」 D658
シューベルト/「それらがここにいたことは」 D775
シューベルト/「シルヴィアに」 D891
白井光子(Mitsuko Shirai)(メゾ・ソプラノ)
ハルトムート・ヘル(Hartmut Höll)(ピアノ)

先日紫綬褒章を受章したばかりの白井光子はギラン・バレー症候群の克服後初の国内お披露目ということだが、ステージに登場してすぐに状況の説明があった。
風邪で声の調子が悪く、中声域が出ないとのことで、今朝病院で注射を打ってきたとのこと。
そんなわけで、全曲1オクターブ(!)下げての歌唱。
リートの夕べというより、練習の場に居合わせたような印象。
ところどころ彼女らしい響きも垣間見えたものの、声のボリュームは充分とはいえない。
いわゆる有名曲の寄せ集めとは一線を画した素晴らしい選曲ながら、正直シューベルトの歌が聞こえてこないもどかしさを感じながら最後まで聞くことになってしまった。
だが彼女としてはおそらく並々ならぬ努力でようやくここまでこぎつけて、キャンセルしたくなかったのかもしれない。
一日も早い完治を祈りたい。
演奏会の最後には「お聴き苦しかったと思いますが、次の「冬の旅」は頑張って歌いたい」と話していた(「冬の旅」はヘンドリックスの公演と時間が重なっていたのでチケットをとらなかった)。
顔色はよさそうだし、「蝶々」では明るい笑顔すら見せていたので、あとは体の楽器を整えることだろう。
ちなみにヘル氏の右足はもう完全によさそうで、ペダリングに難はないように見える。
いつもなら白井さんと「対決」しているかのような過激なピアノを弾くヘルだが、今日は白井さんを全面的に支えていたのが印象的だ(それでも「弔いの鐘」では自己主張が強すぎたが)。
過度な主張を極力排したことにより、ヘルが本来もっている豊かな歌心が浮かび上がっていたように感じた。
これまで常に完璧な歌を披露してきた白井が、晴れの復帰公演で不調の状態を晒してまでもあえて出演にこだわったのはどんな気持ちなのだろうと思いを馳せた時間だった。

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18:30 Hall B5(テレーゼ・グロープ)
<シューベルトのピアノ連弾作品全曲シリーズ第3回>
シューベルト/3つの英雄的行進曲 D602
シューベルト/3つのポロネーズ (6つのポロネーズ D824より抜粋):第1番ニ短調、第2番ヘ長調、第3番変ロ長調
シューベルト/ハンガリー風ディヴェルティメント D818
クリスティアン・イヴァルディ(Christian Ivaldi)(ピアノ:D602&D824プリモ)
ジャン=クロード・ペヌティエ(Jean-Claude Pennetier)(ピアノ:D818プリモ)

この日最後に聴いたのは、フランスの名手2人による連弾曲。
これこそ円熟の技というのだろう。
落ち着いた過不足のない音のイヴァルディ(1938年生まれ)と、華麗で大きめの音を響かせるペヌティエ(1942年生まれ)という個性の違いも、1台のピアノで1つの音楽を作り上げるといううえでは全く妨げにならない。
どの音も芯がしっかりしていて指は思ったような音が響き、シューベルトの音楽に安心して浸れるという演奏。
この境地に達した演奏はそう聴けるものではないだろう。
あまり馴染みのない作品ばかりを素晴らしい演奏で堪能した。
「ハンガリー風ディヴェルティメント」の3楽章は「ハンガリーのメロディー」として有名なソロの曲と同じ素材を使っているが、この楽章だけで15分ほどかかる大作だ。
次々に披露される異なった美しい音楽の連続に身を委ねるのがシューベルトの魅力だろう。

※(2)(3)に続く

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