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シューベルト三昧(2)

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2008~シューベルトとウィーン~

2008年5月4日(日)

今日は早起きしてチケット半券を提示すれば見れるという映画「未完成交響楽」を鑑賞するつもりだったが、だらだらしてしまい、結局コンサートだけ行くことにした。
今日もいまいちはっきりしない天気。

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15:00 Hall G409(カロリーネ・エステルハージ)
シューベルト;リスト編/「何処へ」 D795
シューベルト;リスト編/「君こそ我が憩い」 作品59-3 D776
シューベルト;リスト編/「春の想い」 D686
シューベルト;リスト編/ 「きけきけヒバリ」
シューベルト;リスト編/「さすらい人」
シューベルト;リスト編/「ます」 作品32 D550
シューベルト;リスト編/「菩提樹」 D911
シューベルト;リスト編/「セレナード」 D889
シューベルト;リスト編/「海の静寂」 D216
シューベルト;リスト編/「水の上で歌う」 作品72 D774
シューベルト;リスト編/「愛の便り」 D957
フランソワ・キリアン(François Killian)(ピアノ)

キリアンというピアニストははじめて聴いたが、まずプログラムの中身に興味をもってチケットをとったので、そういう意味では満足している。
これだけのリスト編曲のシューベルト歌曲集をまとめて聴ける機会はなかなかないだろう。
ラーザリ・ベルマンやエフゲニー・キーシンなどが弾くとシューベルトのテーマを借りたリストの作品という印象が強くなるが、今回のキリアンはあくまでもシューベルトに焦点を当てた演奏ぶりであった。
弱音の歌い方などは決して悪くないのだが、彼はどうみてもヴィルトゥオーゾではなく、リストの書いた音をとらえるだけで精一杯という感じが拭えない。
ペダルの使用を最低限に絞ったのもオリジナルの歌曲ならともかく、リスト編曲版では技巧の限界を目立たせる結果になっていたようだ。
しかし曲が進むにつれて調子をあげ、「水の上で歌う」などはなかなかいい演奏であった。
アンコールはベートーヴェンの曲。

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16:45 Hall B5(テレーゼ・グロープ)
ベートーヴェン/ 歌曲集「遙かなる恋人に寄す」 作品98
ウェーバー/「私の歌」 作品15-1
ウェーバー/「それは苦しみなのか、喜びなのか」 作品30-6
ウェーバー/「なぜ君の魅惑の環に惹かれるのだろう」 作品15-4
ウェーバー/「輪舞」 作品30-5
シューベルト/「ガニュメート」 D544
シューベルト/ 「プロメテウス」 D674
シューベルト/「魔王」 D328
シュテファン・ゲンツ(Stephan Genz)(バリトン)
ミシェル・ダルベルト(Michel Dalberto)(ピアノ)

久しぶりにゲンツの実演を聴いたが、かつて聴いた時の印象が甦ってくる。
その時はくりくりした眼が愛嬌をもって聴衆に向けられ、聴いていると歌っている彼とよく眼が合ったものだったが、今回も最初に眼が合い、過去のコンサートのことを思い出してしまった。
声は以前の若々しさにやや落ち着きが加わり、味わいが出てきた印象である。
声の質はオーラフ・ベーアに近くなってきたように感じたが、どの音域も無理なく響き、表現も作品に誠実に寄り添っていて、盛期の演奏に立ち会えているという喜びを感じながら聴きいっていた。
歌曲集の歴史を切り開いたベートーヴェンの「遙かなる恋人に寄す」は堂に入った素晴らしい歌唱で、その後のヴェーバーの4曲もなかなか実演で聴けないだけに貴重であった。
「それは苦しみなのか、喜びなのか」はブラームスの「マゲローネのロマンス」の3曲目と同じ詩だが、ヴェーバーの方が当然ながらずっと素朴である。
「輪舞」はコミカルな作品でゲンツもダルベルトも生き生きと楽しんで演奏していた。
最後の箇所はF=ディースカウが歌うとヨーデルのような効果が出て面白かったが、ゲンツはその点まだ若いのかもしれない。
多少生真面目なヨーデル(?)だった。
シューベルト3曲はそれぞれドラマをもった作品が並んでいるが、「ガニュメート」の最後の息の長いフレーズを表情豊かに決め、「プロメテウス」では劇的な表現を堂々と聞かせる。
「魔王」での歌唱も巧まずに役の歌い分けを自然に聞かせるところなど非凡な演奏で素晴らしかった。
ダルベルトのピアノも素晴らしいの一言である。
最近NHKの講座の再放送が流れているが、そこでもちょうど今シューベルトの最後のソナタのレッスンをやっていた。
この晩の演奏もどの曲からも音が生き生きと踊っている。
歯切れのよさとしっとりとした歌い方の両面を兼ね備え、どの一瞬にも豊かな音楽が息づいている。
「魔王」は右手の急速な三連符を左手で補助するまでは良かったが、時々トレモロでお茶を濁していたのがもったいない(それでもそうと気付かせないような巧みな演奏だったが)。彼なら三連符で弾けるような気もするのだが。
今回の曲の中では唯一「プロメテウス」だけは弾き方がおぼつかない箇所が散見され、準備不足で消化不良の印象を残した(「魔王」と順序を入れ替えたのはそのせいだろうか?)。
リサイタルや室内楽で超多忙の彼だから完璧を求めるのは酷か。
アンコールではシューベルトの「鳩の便り」D965Aを歌ってくれて感無量。
素晴らしいリーダーアーベントだった。

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18:30 Hall B5(テレーゼ・グロープ)
シューベルト/「つらい悲しみは過ぎ去り」 D53
シューベルト/「若々しい五月の生気」 D61(三重唱)
シューベルト/「ゴンドラを漕ぐ人」 D809(予告されていた「はるかなる人」 D331から変更)
シューベルト/ピアノ曲 変ホ長調 D946-2(ピアノ独奏)
シューベルト/「墓と月」 D893
シューベルト/「精霊の踊り」 D494
シューベルト/「墓(第1作)」 D330
シューベルト/即興曲変ト長調 作品90-3 D899-3(ピアノ独奏)
シューベルト/「夜」 D983C
シューベルト/「盗賊の歌」 D435
シューベルト/「安らい、地上の最も美しい幸せ」 D657
シューベルト/「矛盾」 作品105-1 D865
フランク・ブラレイ(Frank Braley)(ピアノ:D809, 946-2, 330, 899-3, 865)
コレギウム・ヴォカーレによる男声合唱(Choeur d'hommes du Cllegium Vocale Gent)
クリストフ・ジーベルト(指揮)

シューベルティアーデの親密な空間を再現したかのようなとても楽しいコンサートだった。
合唱とピアノリサイタルをジョイントしたような感じで、アットホームな一時を満喫した。
男声合唱は12人で、おそらく向かって左端にいたテノールが統率役のクリストフ・ジーベルトなのだろう。
それにしても、この演奏会、今回の音楽祭で同じメンバー、同じ曲目で6回も公演を行っている。
ピアニストのブラレイはこの他にもリサイタルやら樫本大進とのデュオにも出演しており、最も多忙な一人だっただろう。
このコンサート、6回中3回目だったが、惰性に陥らず、疲れも見せず、真摯な演奏を聴かせてくれたことに感激した。
合唱団はヴィブラートを抑えた声が美しく絡み、テノールはすっきりと高音が伸び、低声はどっしりした安定感のある響きで、よく訓練されているように感じた。
ブラレイのピアノは概してあっさりとした響きだが、タッチのコントロールなどはさすがに高い能力を感じさせた。
アンコールはうきうきするようなシューベルトの「ポンチ酒の歌」D277。

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コメント

コレボカは私もいました! フランツさんもいらっしゃったんですね!!

投稿: Auty | 2008年5月 6日 (火曜日) 09時23分

Autyさんもいらっしゃったそうですね。
シューベルトが友人たちと集った会はこんな感じだったのかもしれませんね。
とても楽しく充実した演奏でした。

投稿: フランツ | 2008年5月 6日 (火曜日) 11時58分

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