プライ日本公演曲目1984年(第6回&第7回来日)
第6回来日:1984年2~3月
ヘルマン・プライ(Hermann Prey)(BR)
ヘルムート・ドイッチェ(Helmut Deutsch)(P)
読売日本交響楽団
ブルーノ・ヴァイル(Bruno Weil)(C)
2月22日(水)19:00 ゆうぽうと簡易保険ホール:プログラムA
2月24日(金)18:30 福岡郵便貯金ホール:プログラムA
2月26日(日)15:00 名古屋市民会館大ホール:プログラムB
2月28日(火)19:00 大阪フェスティバルホール:プログラムA
3月1日(木)19:00 ゆうぽうと簡易保険ホール:プログラムB
3月3日(土)19:00 ゆうぽうと簡易保険ホール:プログラムC
●プログラムA 共演:ヘルムート・ドイッチェ(P)
シューベルト/歌曲集「冬の旅」(Winterreise)D911
●プログラムB「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、フランツ・シューベルトによる歌曲とバラード」 共演:ヘルムート・ドイッチェ(P)
シューベルト作曲
第1部(1814~1816)
歌びと(Der Sänger)D149
あこがれ(Sehnsucht)D123
憩いなき恋(Rastlose Liebe)D138
海の静けさ(Meeres Stille)D216
漁師(Der Fischer)D225
トゥーレの王(Der König in Thule)D367
宝掘り(Der Schatzgräber)D256
魔王(Erlkönig)D328
~休憩~
シューベルト作曲
第2部(1816~1822)
プロメテウス(Prometheus)D674
人間の限界(Grenzen der Menschheit)D716
ガニュメート(Ganymed)D544
御者クロノスに(An Schwager Kronos)D369
耽溺(Versunken)D715
秘めごと(Geheimes)D719
遠く離れたひとに(An die Entfernte)D765
逢う瀬と別れ(Willkommen und Abschied)D767
●プログラムC「オペラ・アリアの夕べ」 共演:読売日本交響楽団;ブルーノ・ヴァイル(C)
モーツァルト作曲
歌劇<ドン・ジョヴァンニ>序曲(Overture Don Giovanni)
ドン・ジョヴァンニのアリア:
“みんな楽しくお酒をのんで”(酒の歌)(Fin ch'han dal vino calda la testa)
“窓辺においで”(セレナード)(Deh! vieni alla finestra, o mio tesoro)
歌劇<フィガロの結婚>序曲(Overture Le Nozze di Figaro)
フィガロのアリア:
“もう飛ぶまいぞ、この蝶々”(Non più andrai, farfallone amoroso)
伯爵のレチタティーヴォとアリア:
“もうあんたの勝ちだといったな~溜息をついている間に”(Hai già vinto la causa! - Vedrò, mentr'io sospiro)
歌劇<魔笛>序曲(Overture Die Zauberflöte)
パパゲーノのアリア:
“おいらは鳥さし”(Der Vogelfänger bin ich ja)
“かわいい娘か女房が”(Ein Mädchen oder Weibchen wünscht Papageno sich!)
~休憩~
ワーグナー作曲
歌劇<ニュルンベルグのマイスタージンガー>前奏曲(Vorspiel Die Meistersinger von Nürnberg)
ハンス・ザックスの“にわとこ”のモノローグ(Fliedermonolog of Hans Sachs "Wie duftet doch der Flieder")
歌劇<タンホイザー>序曲より(Overture Tannhäuser)
ヴォルフラムのアリア:
“この高貴なるつどいを見渡すと”(Blick's ich umher in diesem edlen Kreise)
“夕星の歌”(An den Abendstern "O du, mein holder Abendstern")
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ヘルマン・プライ6回目の来日は、前回から4年後の1984年。
前回はオペラ公演のみだったので、歌曲演奏会は6年ぶりということになる。
また、これまではオケとの共演は歌曲のみが歌われていたのに対し、今回ははじめてオペラアリア集が歌われている。
ピアニストのヘルムート・ドイチュ(1945年Wien生まれ)とも日本初共演である。
オーケストラは第3回来日時にも共演した読売日本交響楽団が務めている(今回も主催は読売新聞社)が、ブルーノ・ヴァイル(1949年Hahnstätten生まれ)とは初共演である。
曲目については、再び「冬の旅」が3公演で歌われ、前回のオペラ公演を除いてすべての来日公演で歌われたことになる。
さらにBプログラムとしてゲーテの詩によるシューベルトの歌曲集16曲が初期と後期作品に分けて歌われたが、1982年3月にIntercordレーベル(国内盤はテイチク発売)に録音された24曲のシューベルトのLP録音とほぼ同じ選曲と順序となっている
(LPに含まれていないのは「人間の限界」のみで、他はすべてLPの最初の15曲がそのままの順序で歌われた)。
実は私がはじめてプライの実演に接したのは、3月1日の五反田で行われたこのBプロで、音楽の授業でインパクトを受けた「魔王」が著名な歌手の歌で聴けるとあってかなり興奮して聴きに行ったものだった。
プライはどの曲も遅めのテンポで噛みしめるように歌っていた。
ドイチュも硬質のタッチでリズミカルな「御者クロノスに」や「逢う瀬と別れ」など、これ以上はないぐらい遅めのテンポ設定を貫く(プライの指示であろうことは確かである)。
だが、その遅めのどっしりしたテンポでしっかりと歌われるプライの語りはきっと当時の私の心を打ったことだろう。
当時のメモによると、「プライはいつもの暖かい歌を聴かせていたし、ドイッチュのピアノも深い解釈によってていねいに演奏していた」とある。
歌曲を聴き始めて間もない頃の私でもプライの声に温かさを感じていたということになる。
その声の魅力は熱烈なマニアだけでなく初心者にも訴えるものがあったということなのだろう。
3月1日のアンコールはメモによるとシューベルトの「ムーサの息子」「川辺にて」「野ばら」「あらゆる姿の恋する男」「さすらい人の夜の歌Ⅱ」(順不同)の5曲だったようだ。
プログラム冊子にはピアニストのドイチュの初来日は1980年と書かれているが、音楽年鑑などを見ているとすでに70年代後半に膨大な数の日本人歌手と共演していることが分かった。
どういうきっかけで日本での活動をはじめたのか興味がもたれるところだ。
鮫島有美子さんのご主人であることは言うまでもないが(この当時はまだ鮫島さん曰く「友だち」だったようだ)、ゼーフリート、シュトライヒ、コトルバシュといった往年のプリマ・ドンナたちとの共演で相当鍛えられたようだ。
プライとのリハーサルも時にはかなり辛い思いをしたそうだが、そういう経験を経て、現在の第一人者の位置を築いてきたというのは感慨深い。
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第7回来日:1984年4月
アンネ・ゾフィー・ムター(Anne-Sophie Mutter)(VLN)
ルチア・ポップ(Lucia Popp)(S)
小林一男(T)
ヘルマン・プライ(Hermann Prey)(BR)
東京芸術大学音楽学部(合唱)
東京放送児童合唱団
NHK交響楽団
ヴォルフガング・サヴァリッシュ(Wolfgang Sawallisch)(C)
4月29日(日) 19:15 NHKホール
●日独交歓・NHK交響楽団特別演奏会
プフィッツナー/「ハイルブロンのケートヒェン」序曲
ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調Op. 26
オルフ/「カルミナ・ブラーナ」
プライは上述のように1984年2~3月に来日してリート公演を行っているが、同じ年の4月下旬に「日独交歓・NHK交響楽団特別演奏会」に出演するため再来日している。
当日の公演はテレビ放映時に見た記憶がある。
オルフという作曲家も「カルミナ・ブラーナ」という作品もこの時初耳だった。
ルチア・ポップの美しい舞台姿と声、プライのリートとは違ったワイルドな歌唱が印象に残っている。特にプライのファルセットをはじめて聴いて、面白い作品だなと思ったのを覚えている。
まだサヴァリッシュも若々しかった。
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コメント
フランツさん、ごぶさたしております。
私はこのとき、ゆうぽうとの「アリアの夕べ」に行きました。アンコールで「なんでも屋の歌」を歌ったのですが、前奏にのって舞台袖から小走りで登場してきたプライのカッコよさが、今も目に焼きついています。もちろん最高音Aの輝かしさもすばらしいものがありました。
終演後、楽屋口に並んで「なんでも屋」の楽譜にサインをいただいたのですが、プライに「ゼンガー?」と尋ねられて言葉に詰まってしまったことが、昨日のことのように思い出されました。
もう「永遠青年」のプライが亡くなって10年も経ってしまうのですね。
投稿: 竹 | 2008年4月19日 (土曜日) 21時00分
竹さん、お久しぶりです。
竹さんは「アリアの夕べ」を聴かれたそうですね。貴重なお話を有難うございます。声も好調だったようですね。プライの十八番ばかりが並んだレパートリーで、当時は前回のフィガロしかオペラを披露していなかった彼だけにきっと待望のプログラムだったのではないでしょうか。
プライに「ゼンガー?」と声をかけられたとはいいですね。
私もプライとドイチュのサインをいただきましたが、カメラを向けると2人とも愛想のいい笑顔でこちらを見てくれたのがいい思い出です。
投稿: フランツ | 2008年4月19日 (土曜日) 22時16分
フランツさんこんにちは。
1984年のコンサートは、1982年3月にIntercordレーベルから出たLPとほぼ同じだったということですね。
幸い私は、このLPを持っています。
フランツさんの記事によりその頃を偲べることが分かり嬉しいです。
70年代までにはなかった厳しさがこのLPにはあり、ゲーテの詩を若い頃よりさらに読み込まれたということでしょうか。
フランツさんや竹さんのエピソードを拝見していますと、人懐っこいプライさんの笑顔が思い出されます。
ドイチュさんには、バーバラー・ボニーのコンサート時にサインをいただきました。
とても気さくな方でした。
カルミナ~はユーチューブで見てとても良かったので、海外版を~リージュン0だったので~アマゾンで購入しましたが、映像方法が違うと言う事で観られませんでした(><)
プライさんのファルセット、初めて聞きました。
バリトンにこんな声を出させるオルフ、ある意味すごい人ですね。
投稿: 真子 | 2013年4月 4日 (木曜日) 15時19分
真子さん、こんにちは。
IntercordのLPはプライの円熟期の到来を告げる重要な録音だったと思います。「御者クロノスに」は最初にこちらのゆっくりテンポの録音を聴いたので、後で若かりし頃のエンゲルとの録音を聴いて、急速なテンポに度肝を抜いた記憶があります。解釈も時とともに変わっていくよい例だと思います。
真子さんもお持ちとのこと、きっとすり減るほど聴きこんでおられることでしょう。
ドイチュはそういえばボニーとも共演していましたね。最近ドイチュも日本でのステージはご無沙汰ですが、また聴いてみたいものです。
「カルミナ」のファルセットははじめて聴いた時、衝撃でした!
「カルミナ」のPAL方式のDVDはパソコンにDVDドライヴが付いていれば視聴できるかもしれません。今はPAL方式でも見れるDVDプレーヤーも売っていますので、せっかくの映像をなんとかご覧になれるといいですね。
投稿: フランツ | 2013年4月 6日 (土曜日) 17時32分
フランツさん、こんにちは。
フランツさんは「御者クロノスに」は先にIntercord盤を聴かれたのですね。
私は、70年代の甘い声のシューベルトが先に入っていましたので、プライさんの厳しい一面をみた気がしました。
どちらにも、甲乙つけがたい魅力を感じています。
60年代の情熱がほとばしるような歌唱も好きです(最近50年代の録音もいくつか手に入れました)。
80年代半ば以降、DENONの録音あたりから、声が急速に渋くなっていきましたね。
声の甘さが減った分、淡々と歌っていた70年代より歌い方に甘さが加わったり、一人の歌手の中での
移り変わり(メッセージ)をきくのも興味深いです。
「カルミナ」は、パソコンも試したのですが、残念ながら映りませんでした。
そのうち、プレーヤーを買おうと思っています。
海外版でもグラモフォンの「マイスタージンガー」と「セヴィリア」(ヴンダーリヒとのドイツ語版)は観られました。
グラモフォンありがとう!です。
この、リュージョンや映像方式は地域別による先行発売でハリウッドの興行成績に影響が出るから・・、ということだそうですね。
オペラなんて映画と関係ないので、オールフリーにして欲しいです。
投稿: | 2013年4月 8日 (月曜日) 12時07分
すみません。
2013年4月 8日 (月曜日) 12時07分に投稿したの私です。
記名し忘れました。
投稿: 真子 | 2013年4月 8日 (月曜日) 23時35分
真子さん、こんばんは。
DVDの国ごとの方式は、ハリウッドの事情がからんでいたのですか。リージョンコードもそうですが、字幕も何カ国語もある中で日本語だけがないのも何とかしてほしいですね。オペラなどはやはり日本語字幕がついていてほしいです。
プライの歌は80年代になるとぐっと渋みを増しましたね。若い時とは異なる魅力が感じられて、これはこれでいいですね。
投稿: フランツ | 2013年4月10日 (水曜日) 21時49分