プライ日本公演曲目1971年(第2回来日)
第2回来日:1971年6月
ヘルマン・プライ(Hermann Prey)(BR)
レナード・ホカンソン(Leonard Hokanson)(P:プログラムA~C)
東京都交響楽団(プログラムD)
森正(もり・ただし)(C:プログラムD)
6月2日(水)19:00 東京文化会館:プログラムA
6月5日(土)19:00 東京文化会館:プログラムB
6月8日(火)18:30 神奈川県立音楽堂:プログラムB
6月10日(木)19:00 大阪フェスティバルホール:プログラムB
6月14日(月)19:00 東京文化会館:プログラムD(都民劇場)
6月16日(水)19:00 東京文化会館:プログラムD(都民劇場)
6月18日(金)19:00 東京文化会館:プログラムC
●プログラムA 共演:レナード・ホカンソン(P)
シューマン/歌曲集「詩人の恋」(Dichterliebe, Op. 48)
ヴォルフ/「アイヒェンドルフ歌曲集」より
期待(Erwartung)
音楽師(Der Musikant)
セレナード(Das Ständchen)
友人(Der Freund)
語らぬ愛(Verschwiegene Liebe)
兵士Ⅰ(Der Soldat 1)
なによりいいのは(Lieber alles)
学生(Der Scholar)
絶望した恋人(Der verzweifelte Liebhaber)
災難(Unfall)
愛の喜び(Liebesglück)
船乗りの別れ(Seemanns Abschied)
●プログラムB 共演:レナード・ホカンソン(P)
シューベルト/歌曲集「冬の旅」(Winterreise, D911)
●プログラムC 共演:レナード・ホカンソン(P)
シューベルト/歌曲集「美しき水車屋の娘」(Die schöne Müllerin, D795)
●プログラムD「都民劇場音楽サークル第190回定期公演」 共演:東京都交響楽団;森正(C)
ワーグナー/オペラ「ローエングリン」第1幕への前奏曲
マーラー/歌曲集「さすらう若者の歌」(Lieder eines fahrenden Gesellen)
~休憩~
ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲Op. 56a
マーラー/歌曲集「なき子をしのぶ歌」(Kindertotenlieder)
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ヘルマン・プライ2回目の来日は、初来日から10年後の1971年。
この頃にはすでにプライの知名度は前回とは比較にならないほど上がり、F=ディースカウのライバルと目されていたようだ。
プログラムはレナード・ホカンソン(プログラム冊子での表記はレオナルド・ホカンソンとなっている。彼はこの時が初来日)との3種類と、東京都交響楽団定期公演でのマーラーだった。
ホカンソンとのリサイタルでシューベルトの2つの歌曲集が歌われたのは特に目新しいことではないが、Aプログラムとして東京で1回だけ歌われた作品に「詩人の恋」と同時にヴォルフの「アイヒェンドルフ歌曲集」抜粋があったとは驚きである。
まさかプライが日本でヴォルフを歌っていたとは想像もしていなかった。
もちろん彼はコンラート・リヒターやギュンター・ヴァイセンボルンと「アイヒェンドルフ歌曲集」を録音しており得意なレパートリーであることは確かだが、1970年代の日本ではまだヴォルフが歌われることは稀だったのではないだろうか。
プログラム冊子によれば、全20曲中、12曲が歌われている。
実直だったり、豪快なキャラクターをもった人物の飾らぬ心情を歌った曲が選ばれているのは、前半の「詩人の恋」と対比させる意味も込められているのかもしれない。
ヴォルフの曲の中で「イタリア歌曲集」と共に最もプライに合った歌曲集といえるだろう。
「美しき水車屋の娘」は東京で1回披露されただけで、他の3公演が「冬の旅」というのは日本人の好みを反映した結果だろう。
マーラーの「さすらう若者の歌」は初来日時に小林道夫のピアノで披露しているが、1971年は「なき子をしのぶ歌」と共にオケとの共演である。
この公演を聴かれたさすらい人さんによると、この時のプライは音程があがり切らず不調だったようだ。
好不調の波が大きかったプライだが、それでも聴衆が彼を愛し聴き続けてきたのは聴き手を惹きつけてやまない何かがあったということなのだろう。
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