プライ日本公演曲目1961年(初来日)
第1回来日:1961年4~5月
4月27日(木)京都(会場名不明):プログラムB
4月29日(土)18:30 東京文化会館大ホール:プログラムA(東京世界音楽祭)
5月2日(火)厚生年金会館:プログラムB(同館開館記念)
●プログラムA 共演:小林道夫(Michio Kobayashi)(P)
J.S.バッハ(Bach)/「シェメリ歌曲集」からの抜萃曲(Songs from Schemelli Liederbuch)
かいば桶のそばに立ちて(Ich steh an deiner Krippen hier)
主とともにゆかん(Lasset uns mit Jesu ziehen)
おゝ汝を信ずるもののいかに幸いなるかな(O, wie selig seid ihr doch ihr Frommen)
わが主よ、今汝れゆかんとする(So gehst du nur, mein Jesu, hin)
マーラー(Mahler)/歌曲集「さすらう若者のうた(Lieder eines fahrenden Gesellen)」
恋人の結婚式の日がきたら(Wenn mein Schatz Hochzeit macht)
朝に野をゆけば(Ging heut' morgens übers Feld)
わが胸にするどいヤイバ(Ich hab' ein glühend Messer)
あのかわいい青い眼が(Die zwei blauen Augen)
~休憩~
フォルトナー(Fortner)(1907-1987)/「4つのヘルダーリン歌曲集(Vier Gesänge nach Worten von Hölderlin)」
運命の女神のもとで(An die Parzen)
ヒューペリオンの運命の歌(Hyperions Schicksalslied)
謝罪(Abbitte)
沈め、美しき太陽よ!(Geh unter, schöne Sonne)
ヘンツェ(Henze)(1926-2012)/「5つのナポリ歌曲集(Fünf neapolitanische Lieder)」
死がすべての美女を襲うのだ(Aggio saputo ca la morte vene)
美女達が洗濯に来る泉のほとりで(A l'acqua de li ffuntanelle)
私は十三カ月もある娘を恋していた(Arnaie 'na nenne pe' tridece mise)
娘は他の男共の望みをよそに(Arnaie 'nu ninno cu' sudore e stiente)
小さな木よ(Arbero piccerillo, te chiantaie)
●プログラムB 共演:小林道夫(P)
シューベルト(Schubert)/歌曲集「冬の旅(Winterreise)」(全24曲)
(バッハ、マーラー、フォルトナーの曲目の日本語表記については、プログラム冊子及び挿入された曲目の紙にほぼ従いました)
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ヘルマン・プライ(Hermann Prey: 1929.7.11, Berlin – 1998.7.22, Krailling)の没後10年を記念して、彼の過去の来日公演をこれから調べていきたいと思う。
プライの初来日は1961年で、先輩のF=ディースカウより2年も前のことである。
当時、上野に本格的なクラシックホールとして東京文化会館が開館し、そのお披露目に「東京世界音楽祭」(4月17日~5月6日)という催しが開かれたそうだが、その一環としてプライの公演が実現したようだ。
当時はプライよりもバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルやアイザック・スターンの公演が注目されたようだ。
彼は当時あまり日本でレコードが出ておらず、客席も空席が目立ったそうだが、プログラムAを見ると、いかにプライが日本の初お披露目で自分の歌いたい曲目を意欲的に選曲したかが感じられる。
私は1980年代以降のプライしか生では聴いていないのだが、毎回のように「冬の旅」ばかり歌わされていたイメージが強かったので、この初来日時のプログラミングにはただ驚かされる。
「さすらう若者のうた」は若かりしプライにはぴったりの選曲だと思うが、バッハをリートリサイタルの冒頭に置くというのはなかなか無いのではないだろうか。
「シェメリ歌曲集」と題された通奏低音付きの69曲のうち、バッハの真作と認められているのはたった3曲だけだとか。
プライが歌ったのがどの曲なのか、残念ながら今のところ調べが付いていない(プログラム冊子にも4曲の内訳は掲載されていなかった)(2013年8月4日追記:上記の通り、曲目が判明しました。東京文化会館音楽資料室の野呂信次郎氏寄贈プログラムに曲目を印刷した1枚の紙がはさまっていました)。
フォルトナーは1987年に亡くなった作曲家だが、ヘルダーリーンの詩による4曲、いずれも聴きやすく劇性と叙情がうまくミックスされた魅力的な作品群である。
プライはPHILIPSに録音を残しており、それを聴くと彼の声と曲との相性は良いと思う。
現在も健在(追記:2012年10月27日没)のドイツの作曲家ヘンツェによる「ナポリ歌曲集」はイタリア語の作品で、F=ディースカウのために作曲されたそうだ。
フォルトナーとヘンツェの演奏について当時の新聞批評によれば、「頭から理解できないほどの新規をねらわず、共に音楽的な演奏で快く受けとることができた」(朝日新聞1961年5月1日付:「呂」と署名あり)とのことである。
さらに彼の声について「共鳴箱の中で響くようなやわらかいりっぱな美声をもち、真情を吐露した歌唱で、その優秀さを示した」(同上)と評価されている。
初来日時のもう1つのプログラムはやはり「冬の旅」。彼はキャリアの最初から最後まで「冬の旅」を歌い続けてきたわけである。
共演のピアニストは小林道夫。
彼は、楽器奏者はもちろんのこと、ヒュッシュ、ヘフリガー、F=ディースカウ、ホッター、アーメリング、マティス、ヤノヴィツなど、名だたる声楽家たちの来日公演時にもしばしば共演しており、いかに歌曲ピアニストとして高く評価されていたかがうかがえる。
ヤノヴィツの公演で彼のピアノに接したことがあるが、控えめなペダルの使用によるスリムな音で歌の世界を構築していき、過剰さを廃した必要最低限の響きで作品の本来の姿を表現していて、その妙技にとても感激した記憶がある。
そのスマートさは彼がバッハを得意としていることと無縁ではないだろうと推測している。
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コメント
お、それは私の生まれた年。。って年ばらしてどうすんのよ>自分。
小林道夫さんって名手ですよね。
投稿: Auty | 2008年2月16日 (土曜日) 21時51分
フランツさん、今晩は!
よく古い記録がありましたね。
1961年に私は、上野でプライの「冬の旅」を聴いたと思ってましたが、記録によると、厚生年金の方になってますね。
私の記憶違いか、あるいは、その1,2年後のことなのか・・。
まあ、いずれにしても、まだあまり知られていなかったプライのコンサートを聴いたことは、今となっては貴重な経験だったことになりますね。
投稿: Clara | 2008年2月16日 (土曜日) 22時31分
Autyさん、こんばんは。
そうでしたか。生まれた年に起きたことを図書館にある過去の新聞冊子で調べてみたことがありますが、私の場合は川端康成がノーベル賞を受賞したり、三億円事件が起きたりという年でした。
小林道夫さんは最近ライフワークの「ゴルトベルク変奏曲」を録音したようなので聴いてみようと思っています。
投稿: フランツ | 2008年2月16日 (土曜日) 22時36分
私にとっても、プライのこのときの来日とDFDの初回来日は、話でしか知らない時代のものです。
プログラムAは、挑戦的なものですよね。ヘンツェの歌曲は1956年作曲ですから、ほんとうに世に出てから間もないだったわけです。
この次の来日がヴォルフのアイヒェンドルフ歌曲を取り上げたときでしたっけ?この輝きはすごかった。
でも、森正=都響とのマーラー2曲は、ずっとぶら下りっぱなしで、けっこうつらかった記憶があります。
投稿: さすらい人 | 2008年2月16日 (土曜日) 22時45分
Claraさん、こんばんは。
東京文化会館の音楽資料室には過去の貴重なプログラムが保管されていて閲覧できるようになっています。ただ、最近は演目表も書庫にしまってしまったそうで、別の資料で必要なプログラムの時期を調べて請求しなければならなくなったのが若干不便になりました。
プライの2回目の来日は10年後の1971年だそうなので、Claraさんがお聴きになったのは1961年の厚生年金ホールの方かもしれませんね。あるいは非公式にほかの日の公演があったかもしれません。
それにしても当時のプライの歌を生で聴かれたというのはいいですね。
投稿: フランツ | 2008年2月16日 (土曜日) 22時46分
さすらい人さん、こんばんは。
71年のプライを聴かれたのですね。確かに資料によるとプライは71年に「詩人の恋」とヴォルフ「アイヒェンドルフ歌曲集」を組み合わせたプログラムを歌っています(プライが日本でヴォルフを歌っていたという事実にも驚いています)。
ヘンツェの曲は当時出来たてほやほやだったのですね。F=ディースカウが自伝で一時期プライがなんでも自分のまねをするので戸惑っていたというようなことを書いていましたが、彼のために作られたヘンツェの曲をプライが歌ったこともあるいは快く思っていなかったのかもと想像してしまいます(その後、2人の関係は改善されたそうですが)。
プライは音程の不安定な時と好調な時の差が結構多かったようですね。マーラーの日が不調だったのですか。貴重な体験談を有難うございます。
投稿: フランツ | 2008年2月16日 (土曜日) 22時59分
フランツさん、その時一緒に聴いたのは、同年代の4人でした。
機会があったら訊いてみようと思いますが、みんな、だんだん忘れる量が多い年頃なので、あてになりません。
プライは、そのずっと後にも一度聴いており、それは武蔵野文化会館だったように思うのですが、それも「冬の旅」だったとすると、それと間違えているかも知れません。
友だちのなかでも、クラシックの音楽環境に恵まれた人は、少数派。
そんな友だちの影響で、私もやっと、音楽会に行き始めた頃でした。
今思うと、猫に小判でしたね。
投稿: Clara | 2008年2月17日 (日曜日) 01時26分
Claraさん、私も過去の思い出は結構曖昧になっているので、記録を見て確認したりしています。プライは私が確認した限りではほぼ毎回「冬の旅」を歌っているので、そのうちのいずれかにお聴きになったのかもしれませんね。時期はともかく、若かりしプライの声を聴かれたというのは貴重なことですね。うらやましい限りです。
投稿: フランツ | 2008年2月17日 (日曜日) 01時56分
フランツさん、こんにちは。
今日はヘルマン・プライさんの命日ですね。
いつの間にか15年という月日が流れました。
フランツさんのこのブログを知り、「没後10年を記念して」書いて下さったこの記事に、(時代の新しい方から)コメントさせて頂き、いつの頃からか、
最後2つの記事は、プライさんのお誕生日と命日にコメントさせていただこうと決めていました。
フィッシャー=ディスカウさんの大ファンでいらっしゃるフランツさんが、このようにヘルマンプライさんの来日の貴重な資料を掘り起こし、素晴らしい記事を書いてくださったことに敬意を表するとともに、感謝致します。
初来日時、そして日本最後の公演でも歌ってくれた「冬の旅」を聴いて、プライさんを忍びたいと思います。
投稿: 真子 | 2013年7月22日 (月曜日) 14時40分
真子さん、こんばんは。
今日はプライの命日なのですね。
もう15年も経ってしまったのかと思うと、感慨深いものがあります。
真子さんはこれまで私のプライの記事をさかのぼるようにコメントをくださり、そして命日に今回の記事へのコメントを決めておられたと聞き、とても有難く感じております。
このプライのシリーズは随分昔に書いたものですが、真子さんのおかげで、こうして久しぶりに記事を読み返すことが出来、さらに私の記事を喜んでくださっているということを知ることが出来、本当にうれしく思っています。有難うございます!
プライは万年青年のイメージのまま、ずっとこれからも聴き続けていきたいですね。またプライの魅力を教えてくださいね。
投稿: フランツ | 2013年7月22日 (月曜日) 23時36分