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プライ/シューベルティアーデ1977

「シューベルティアーデ」(SCHUBERTIADE)
Donath_prey_hokansonRESONANCE: 453 978-2
ライヴ録音:1977年6月29日、Hohenems, Austria

ヘレン・ドーナト(Helen Donath)(S)
マルガ・シームル(Marga Schiml)(A)
ペーター・シュライアー(Peter Schreier)(T)
ヘルマン・プライ(Hermann Prey)(BR)
ローベルト・ホル(Robert Holl)(BS)
レナード・ホカンソン(Leonard Hokanson)(P)

シューベルト
1.ダンスD826(ドーナト、シームル、シュライアー、ホル)
2.弁護士D37(シュライアー、プライ、ホル)
3.歌手ヨーハン・ミヒャエル・フォーグルの誕生日に寄せるカンタータD666(ドーナト、シュライアー、プライ)
4.光と愛D352(ドーナト、シュライアー)
5.祈りD815(ドーナト、シームル、シュライアー、ホル)
6.生きる喜びD609(ドーナト、シームル、シュライアー、ホル)
7.太陽に寄せてD439(ドーナト、シームル、シュライアー、ホル)
8.若者と死D545(シュライアー、プライ)
9.雷の中の神D985(ドーナト、シームル、シュライアー、ホル)
10.世界の創造者たる神D986(ドーナト、シームル、シュライアー、ホル)
11.古いスコットランドのバラードD923(シームル、プライ)
12.結婚式の焼肉D986(ドーナト、シュライアー、プライ)

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1998年に亡くなったヘルマン・プライ(Hermann Prey)の没後10年にあたる今年、彼の膨大な歌曲録音のいくつかをじっくり聴き直してみたいと思う。

プライは1970年代にオーストリアのホーエネムスで、シューベルトの全作品を作曲された順番で演奏するという目的で「シューベルティアーデ」と称する演奏会のシリーズを立ち上げ、その後、ニューヨークでも同様のコンサートを始めた。
結局作曲順の全曲演奏という目標は挫折したようだが、今でもオーストリアでは場所を変えながらも継続している。
私が一度だけ行ったシューベルティアーデはホーエネムスではなく、フェルトキルヒ(駅のアナウンスでは「フェルトキルフ」のように聞こえた)で行われ、A.シュミット&ヤンセンの「冬の旅」、シュライアー&シフのシューベルト「ゲーテ歌曲集」、それにバンゼ、ツィーザク、ファスベンダー、プレガルディエン、ベーア、シュミット、ヤンセン、リーガーという錚々たるメンバーによるシューベルトの重唱曲を聴いた。
どこまでいっても田園風景が続くこの美しい町(村?)の中で聴いたシューベルトは今でもいい思い出である。

以前Deutsche GrammophonからLPで出ていた1977年のシューベルティアーデ・ライヴをCD化したものがこの録音である。
シューベルトの重唱曲12曲のうち、プライは5曲に参加している。

最初にプライが参加しているのは「弁護士」というコミカルな三重唱曲である。
原曲はアン・デア・ヴィーン劇場の指揮者アントーン・フィッシャー(1778-1808)という人の作品らしく、D37というドイチュ番号が示すとおり、15歳の若かりしシューベルトによる編曲作品であるが、G.ジョンソンによれば、フィッシャーの原曲とはピアノパートがほとんど変わり、声の線も別物とのことである。
二人の弁護士をシュライアーとホルが演じ、支払いを滞納している顧客のセンプロニウスをプライが演じている。
支払いを督促し、法がすべてと語る弁護士たちと、これまでに用立てした飲食物も勘定に含めてほしいと訴える顧客が最後は法廷で決着しようと言って明るく終わる。
プライは素朴な青年をキャラクターそのものの美声で歌い、シニカルな表現にかけて無敵なシュライアーが金に目のくらんだ弁護士を見事に演じている。

10分以上かかる大曲「歌手ヨーハン・ミヒャエル・フォーグルの誕生日に寄せるカンタータ」はシューベルト歌曲を世間に広めた盟友フォーグルを讃えた内容だが、ソプラノとテノールが主役で、プライの歌う箇所はごくわずかである。
しかし、最後に「そしていつの日か歌手の言葉が消えるときが来ても/その魂は響き続けるのです」と歌うプライの声は温かく感動的である。

普段は独唱曲として歌われることの多い「若者と死」を、シュライアーと役割分担して歌っているのが興味深い。
この詩は「死と少女」の男性版(パロディー?)とでもいうような内容で、死を望む若者と死神との対話という形をとっている。
ここでは若者をシュライアー、そして死神をプライが歌っているが、後半の短い旋律で聞かせるプライの歌は静かに優しく死に誘う感じで、詩の内容を汲み取った表現といえるだろう。

「古いスコットランドのバラード」の詩に付けられた曲としてはレーヴェ作曲の「エドワード(エトヴァルト)」がより有名である。
ブラームスもこの詩に触発されたピアノ曲を書いており、よく知られた詩だったのだろう。
父親殺しをした息子と母親の対話の形で詩は進むが、最後にそれを唆した張本人が明らかになるという筋である。
こういう一見単純な有節歌曲ではオペラ歌手プライの本領発揮で、手に汗握る緊張感を演出する。
"Mutter, Mutter!"と語るときのプライの2音節目(-ter)がシューベルトの音符より常に前のめりになるのがいかにもプライらしい。
焦っている様を演出しているのだろう。
落ち着いた風を装うアルトのシームル(彼女も素晴らしい!)がリズムを正確に刻むのと好対照である。

「結婚式の焼肉」も10分近い大曲だが、時間の長さを感じさせない、よく出来た楽しい作品である。
結婚式を明日に控えた若いカップルが禁猟区で式の料理に出すうさぎ狩りをしているところを見張りのカスパルに見つかり、ムショ行きにすると脅されるも、最後には大目に見てもらい、式の肉も用意してくれることになったという内容である。
ここでも一見目立つのは若いカップル2人で、特にうさぎを追う役をするソプラノが"gsch! gsch! prr, prr."という音を立てるところなどコミカルな聴きどころと言えるだろう。
だが、途中から登場し厳しい態度で接していたのにカップルの口車に乗せられ、最後にはまんまと丸め込まれるカスパルの実直さこそこの曲の成功の鍵を握っているのではないか。
F=ディースカウもこの曲を録音しているが、プライはディースカウよりもかなり激昂しているように歌う。
聴衆を前にしていることがプライの表現をヒートアップさせ、そのムキになったような歌い方がカップルの表現と対照的で哀愁すら漂わせるのは芸の力だろう。
コンサートの最後に置かれるにふさわしい作品と演奏であった。

シューベルティアーデの企画にも携わっているプライは、他の歌手たちの後ろで見守るように数曲に参加するだけだが、ひとたび彼の声が加わると、途端に曲に温かさが増し、とろけるような美声で聴く者を魅了してしまうのはさすがと言うべきだろう。

アメリカ人のソプラノ歌手には清流のように透明な声でストレートに歌う一つの伝統があるように思われる。
アーリーン・オージェ、ドーン・アップショーといった名手と共にヘレン・ドーナトも同系列の一人だろう。
どこまでも健康的で明るいドーナトの声と表現はシューベルトの重唱曲で主旋律を朗々と響かせる時にその美質を発揮している。
マルガ・シームルというアルト歌手は私にとってはじめて聞く名前だが、ふくよかで包み込むような声はとても魅力的である。
シュライアーは持ち前の清潔さだけでなくライヴならではの熱さもあり、シューベルト歌手としての貫禄を感じさせる。
今やベテランのオランダ人、ローベルト・ホルは当時はそれほど知られていなかったのではないか。
ここでの重唱曲のようなレパートリーでは低音歌手は縁の下の力持ちに徹することが多いが、その存在感はすでに非凡さの片鱗を感じさせる。
粘りがあり重いホルの声は好き嫌いが分かれそうだが、丁寧な曲へのアプローチは誰もが認めるのではないか。

ホカンソンはプライのピアニストとしてお馴染みだが、歌曲だけでなく、独奏、コンチェルト、室内楽までオールラウンドにこなすピアニストである。
シュナーベルの最後の弟子の一人で、古き時代の名残を留めているということなのか、リズムやアゴーギクに独特の癖を見せることがあり、同様の癖のあるプライと組むと一層助長されることもあるが、それがいい方向に転ぶと彼ならではの効果を出す(例えば「古いスコットランドのバラード」でのリズムの切り方など)。
音色は鋭利さよりはまろやかさで聞かせるピアニストである。

amazon.deで中古盤がまだ入手できるようなので(1月12日現在)興味のある方はぜひ聴いてみてください。

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コメント

フランツさん
この頃にプライなどをよく聞いていたような。この録音を聞いたかどうかわかりませんが、かれの暖かい声は大好きです。
対して、ディースカウは上手だと思っても好きだと感じたことがありません。

投稿: Auty | 2008年1月13日 (日曜日) 00時21分

Autyさん、こんばんは。
プライの魅力はなんといってもその声の温かさですね。
でも彼のパートナーだったヘルムート・ドイチュの著書を読むと彼の性格は必ずしもその歌のイメージと一致していたわけではないようです。
私はどちらかというとディースカウ派ですが、たまにプライを聴くといいなと思います。

投稿: フランツ | 2008年1月13日 (日曜日) 00時44分

フランツさんこんにちは
このLPは珍しいですね。確か国内盤も出ていたとは思いますがCD化はされていないと思います。
ドイチュの本は読んでいないのですが翻訳も出ていたのでしょうか? どういう記述だったのか教えて下さいますか? 多分プライは見かけの陽気さよりはナイーブな人だったように思います。特にリート歌手としてはF=Dと常に比較されることに悩んだのはプライの方ではないかと思います。
EMIとDGがF=Dのレコードを大量に制作したのと比較してプライは初期の頃を除くとフィリップスやデンオンが中心なので損をしているようにも思います。没後10年を機に復活してほしいものです。

投稿: たか | 2008年1月13日 (日曜日) 12時50分

たかさん、こんにちは。
これはLPではなく海外でCD化されたものですが、国内ではまだ復活していないと思います。
以下のアマゾンのドイツサイトで中古盤が1件だけ残っているようです。
http://www.amazon.de/Resonance-Schubert-Schubertiade-Konzertmitschnitt-Hohenems/dp/B000024IC2/ref=pd_rhf_p_1

ドイチュの著書は奥様の鮫島有美子さんの翻訳で出ています。

ヘルムート・ドイチュ著『伴奏の芸術―ドイツ・リートの魅力』 (ムジカノーヴァ発行)
http://www.amazon.co.jp/%E4%BC%B4%E5%A5%8F%E3%81%AE%E8%8A%B8%E8%A1%93%E2%80%95%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E9%AD%85%E5%8A%9B-%E3%83%A0%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A1%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%A5/dp/494394549X/ref=pd_bbs_1?ie=UTF8&s=books&qid=1200204724&sr=8-1

伴奏の奥義と共に、共演者たちの素顔も書かれていて興味深い本です。
ドイチュはプライから学んだ多くのことをこの本の中で記して感謝しているのですが、一方でプライのかなりナイーヴで気難しい面も記しています。
例えばプライの「冬の旅」について、ホカンソンから聞いた話として「プライはテンポやダイナミックス、それに曲間にまで大変厳密な想定がある」と記し、一般に思われている頭で解釈するよりもその場の雰囲気で歌うというイメージと大きく異なる面を明らかにしています。
一方、ルチア・ポップ、アーウィン・ゲイジと共に4人でヴォルフの「イタリア歌曲集」を歌うことになった時、リハーサルでプライがピアノが大きすぎるので蓋を全部閉めるように言ったところ、ゲイジが「蓋を閉じたピアノでは弾きません」と反論したので、プライが「なんだって?気に入らないんならピアニストはさっさと家に帰るといい!」と怒り、結局このコンサートは無事妥協案を見出して開催されたのですが、ドイチュ曰く「この言葉(家に帰れ)をまともに受け止めなかったのは全くもって惜しいことだ!」とピアニストとしてのプライドを見せています。

プライがPHILIPSに残した膨大なリートエディションはかなり前に海外でCD化されたのですが、今は廃盤になっているようで、同様にEMIの2巻からなるリートのCD化も廃盤のようです。
今年はいい機会ですから復活を望みたいですね。

投稿: フランツ | 2008年1月13日 (日曜日) 15時31分

なるほど。面白そうな本ですね。私も読んでみます。プライは実際はいろいろ考える人だったと思います。冬の旅の解釈や歌い方も意識的にその都度変えているように思います。F=Dも細かいところではその都度違いますが、60年代以降は解釈としては大きく変わらず声の変化や伴奏者の違いによる影響の方が大きいように思います。

投稿: たか | 2008年1月13日 (日曜日) 23時49分

確かにプライの自伝なども読んでみると、しっかりした解釈の裏づけがあっての歌なんですよね。でも、それが前面に出てこない自然さがプライの持ち味なのでしょうね。「冬の旅」の解釈もそのうち比較しながら聴いてみたいと思います。

投稿: フランツ | 2008年1月14日 (月曜日) 00時58分

フランツさん、ご紹介くださっているCDに見覚えがあったので、棚を探すと出て来ました。
一度は聴いたのですが、内容もよくわからず、プライオンリーでなかったため、棚の奥へしまいこんでいました。

フランツさんの素晴らしい解説を得ましたので、改めて聴いてみたいと思います。
フランツさんの記事は本当に素晴らしいので、本なればなあと思うくらいです。

ヘルマンプライさんが案外?癇癪持ちなのは、自伝を読んでいて感じました。
はじめは少なからずショックでしたが、それも人間らしくていいと思える年齢に私もなりました。

1993年の音楽の友の宮本亜門さんとの対談でも、まだ23歳の頃、オーケストラと合わせている時「聞こえないぞ、とオーケストラピットからサインを送られ『こっちががなるんじゃなく、そっちが静かにしろ』とある指揮者に言ったと、語っていました。
やはり、若い頃から声を保つことを考えていたのでしょうね。今(1993年当時)の若い歌手は、無茶な扱いで声を失ってしまっていることも憂いていました。

この対談といい、自伝といい、ご自身のそういう癇癪持ちな面を隠してはいないという事でしょうね。
そういう部分もまた「ヘルマン・プライ」なのですね。

投稿: 真子 | 2013年1月21日 (月曜日) 19時27分

訂正

6行目→本になれば・・の間違いです。
失礼しました。

投稿: 真子 | 2013年1月21日 (月曜日) 19時30分

真子さん、こんにちは。
このCD、久しく聴いていなかったので、探して聴いてみたくなりました。
随分昔に書いた記事ですが、お褒めいただき有難うございます!
このころはせっせとCDを聴いて文章を書いていたのですが、最近はサボってばかりなので、またこのようなCDの感想も書いていけたらなぁと思います。
プライの癇癪については、一見歌のイメージからは想像出来ませんね。ただ、それだけプロ意識が強いということは言えるかもしれません。指揮者にたてついたというエピソードも、妥協しない姿勢の現れなのかもしれませんね。

投稿: フランツ | 2013年1月23日 (水曜日) 06時06分

フランツさん、是非またCDの感想・評などお聞かせください。
フランツさんの、歌手や、作品に対する温かいまなざしでの記事は、深い知識を得つつ、ほっこりさせてくれます。

プライさんは、練習中はとても厳しいけれど、終わると陽気なサニーーボーイに変わと、鮫島有美子さん談として93年のプログラムに書いてありました。
フランツさんがおっしゃるように、プロ意識が強いのだと私も思います。

投稿: 真子 | 2013年1月23日 (水曜日) 11時43分

真子さん、こんばんは。
「陽気なサニーボーイ」とは想像できますね!
鮫島さんはプライと友人だったそうなので、プライの人柄もよく知っているのでしょうね。

投稿: フランツ | 2013年1月25日 (金曜日) 23時55分

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