オランダのネットラジオRadio4の番組"BIS"が12月に特集しているエリー・アーメリングの第3回放送が17日(日本時間18日早朝)にあったが、そこで彼女の歌うR.シュトラウスの「四つの最後の歌」をはじめて聴くことが出来た。
radio4.nl/page/programma/3/2007-12-17
(冒頭にhttp://www.を付けてください)
ページ中ほどの"Beluister de laatste uitzending"をクリックすればストリーミング放送が聴けます(おそらく次回放送日の前まで)。
ダウンロードの場合は前回の記事の追記をご覧ください。
放送された内容は以下の通り。
1.R.シュトラウス/「四つの最後の歌」(春;九月;眠りにつくとき;夕映えの中で):アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団;ヴォルフガング・サヴァリッシュ(C)(1983.11.23,コンセルトヘボウ)
2.マーラー/リュッケルトの詩による歌曲集より~やさしい香りを吸いこみ;私はこの世に忘れられ:オランダ放送室内管弦楽団;エト・スパンヤールト(C)(1991.6.1,ユトレフト)
3.a)シューマン/「ミルテ」~ズライカの歌Op. 25-9
b)ヴォルフ/ユーフラテス川を渡っていたとき
c)シューベルト/ズライカⅡ
:以上ルドルフ・ヤンセン(P)(1988.2.7,コンセルトヘボウ)
4.シューベルト/「エレンの歌」Ⅰ~Ⅲ, D837~839(憩え、兵士よ;狩人よ、狩をやめて;アヴェ・マリア):ドルトン・ボールドウィン(P)(1978.4.14,コンセルトヘボウ)
5.フォレ/歌曲集「イヴの歌」(全曲)(楽園;最初の言葉;燃えるばら;神の輝きのように;夜明け;流れる水;目覚めているか、太陽の香り;白いばらの香りの中で;たそがれ;おお死よ、星くずよ):ドルトン・ボールドウィン(P)(1974.11.25)
6.ラヴェル/歌曲集「シェエラザード」(全曲)(アジア;魅惑の笛;つれない人):アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団;ハンス・フォンク(C)(1981.1.8,コンセルトヘボウ)
7.シューマン/歌曲集「女の愛と生涯」Op. 42(全曲)(彼に会ってからというもの;彼は誰よりも素敵な人;私には分からない;私の指にはめた指輪よ;手伝って、妹たち;やさしい友よ、あなたはいぶかしげに私を見つめています;我が心に、我が胸に;いまあなたははじめて私を苦しめました):ルドルフ・ヤンセン(P)(1983.2.7,ユトレフト)
8.a)シューマン/悲しい響きで歌わないでOp. 98a-7;話せと言わないでくださいOp. 98a-5
b)シューベルト/ただ憧れを知る者だけがD. 877-4;私をこのままの姿でいさせてくださいD. 877-3
c)ヴォルフ/ミニョン"あの国をご存知ですか"
:以上ルドルフ・ヤンセン(P)(1988.2.7,コンセルトヘボウ)
アーメリングは引退公演のために来日した1996年に雑誌のインタビューで、最も録音したかったのはR.シュトラウスの「四つの最後の歌」だったが、かなわなかったので、サヴァリッシュ&コンセルトヘボウ管と共演した放送用の録音がいつかCD化されることを望んでいると言っていた。
それから10年以上経っても一向にCD化される気配がなく半ば諦めかけていたところ、今回の放送で聴くことが出来て感無量である。
「四つの最後の歌」を構成している「春」「九月」「眠りにつくとき」「夕映えの中で」の4曲はシュトラウス(1864-1949)最晩年の1948年に作曲された作品で、「夕映えの中で」がアイヒェンドルフ、他の3曲がヘルマン・ヘッセの詩による。
これら4曲をまとめたのは作曲家の意図ではないものの、特に「春に」を除く3曲はいずれも死の雰囲気が濃厚なため、まとめて演奏することに全く違和感がない。
むしろ抜粋での演奏だと物足りなく感じられるであろう。
さて、アーメリングの歌だが、1983年11月の録音ということは彼女50歳の時の歌唱である。
声がまだ衰えをみせる前の円熟期で、特に低声の充実が顕著にあらわれた頃なので、まさに時期を待って満を持して披露したのであろう。
シュトラウス特有の息の長い孤を描いた旋律線はアーメリングのイメージとは一見なかなか結びつかないが、実際に聴いてみると、彼女はシュトラウスにも対応可能なテクニックは完璧に備えていることがあらためて分かる。
倦怠感や爛熟した響きは、常に清潔、健全なイメージで見られていた彼女とは相反する世界のように思えるが、「春」の冒頭"In dämmrigen Grüften / träumte ich lang"の歌いだしを聴けば「これがアーメリング?」と耳を疑うような低声の充実した響きが確認できるであろう。
しかし彼女の最大の強みはおそらく弱声の絶妙なコントロールではないだろうか。
生死の中をふわふわ漂っているようなこれらの歌曲の響きの中で、シュトラウスが長い音価を付けた言葉を彼女はしばしばかなり抑えた音量で通す。
そこには大声を張り上げた時には得られない耳と心が吸い寄せられるような感覚があり、アーメリングの弱声の表現力を再認識させられるのだ。
特に「夕映えの中で」の最後の言葉"Tod"(死)を聴いていただきたい。
この1語に彼女のエッセンスが詰まっているように思う。
シュヴァルツコプフやヤノヴィッツで聴き馴染んだ光沢のある演奏とはまた異なった室内楽的な親密さを伴ったアーメリングの歌唱はこの歌曲集の代表的な演奏とは言えないかもしれないが、あまたの名演の中で確かに充分な存在意義を主張し得るものだと思う。
手綱を引き締めたサヴァリッシュのスマートなリードで、コンセルトヘボウ管の色彩感豊かな美しい響きがアーメリングに同調しているのが素晴らしい。
この日はほかにも録音のないマーラーのリュッケルト歌曲2曲も貴重であるほか、シューマン、フォレ、ラヴェルの代表的な歌曲集も堪能できる(フォレの「イヴの歌」だけはライヴ音源ではないかもしれない)。
また、シューベルトの「エレンの歌」3曲をまとめて歌ったのは彼女が走りかもしれない。
もちろん第3曲の「アヴェ・マリア」の美しさは言うまでも無い。
3と8のルドルフ・ヤンセンとの1988年ライヴの曲目は、1989年に津田ホールでも披露された「ゲーテに寄せて」と題されたプログラムとおそらく同一内容からとられたものと推測される。
特に8の3人の作曲家によるフィリーネやミニョンの歌は彼女ならではのプログラミングと言えるだろう。
「ただ憧れを知る者だけが」での深い思いのこもった表現は彼女の絶えざる訓練の賜物ではなかろうか。
ボールドウィンのスマートな中で多くを語る表現力や、ヤンセンの立体的な色彩感も聴きどころだろう。
来週はRadio4 "BIS!"のアーメリング特集第4回(来年も続くようである)。ピエルネの「ベツレヘムの子供たち」やマーラーの交響曲第4番などが放送される予定である。
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Im Abendrot
夕映えの中で
Wir sind durch Not und Freude
Gegangen Hand in Hand;
Vom Wandern ruhen wir
Nun überm stillen Land.
私たちは苦楽の中を
手に手をとりあって歩んできた。
旅はもう終わりにして
静かなところで休もうではないか。
Rings sich die Täler neigen,
Es dunkelt schon die Luft,
Zwei Lerchen nur noch steigen
Nachträumend in den Duft.
あたりでは、谷が傾き、
すでに大気は暗くなっている。
二羽のひばりはまだ
香りたつ中、夢見心地で上っていく。
Tritt her und laß sie schwirren,
Bald ist es Schlafenszeit,
Daß wir uns nicht verirren
In dieser Einsamkeit.
こちらへおいで、ひばりには飛ばせておけばいい、
じきに眠る時間だ、
私たちが道に迷わないように、
この孤独の中で。
O weiter, stiller Friede!
So tief im Abendrot,
Wie sind wir wandermüde -
Ist dies etwa der Tod?
おお広大で静かな平穏!
夕映えの中でこんなに深く。
私たちは旅することに疲れきった、
もしやこれが死というものなのか?
詩:Josef Karl Benedikt von Eichendorff (1788.3.10, Schloß Lubowitz bei Ratibor - 1857.11.26, Neiße)
曲:Richard Strauss (1864.6.11, München - 1949.9.8, Garmisch-Partenkirchen)
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