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堅実かつ雄弁なピアニスト:ルードルフ・ドゥンケル

旧東ドイツ出身の歌手たち、例えばドレースデン出身のテーオ・アーダム(BSBR)やマイセン出身のペーター・シュライアー(T)の共演者として知られているルードルフ・ドゥンケル(Rudolf Dunckel: 1922.3.10 - 1995.12.16)はドレースデン出身のピアニストである。
彼はドレースデン音楽演劇アカデミーでシャウフス=ボニーニに学び、ベルリーン・ハンス・アイスラー音楽大学で教授職に就いていたほか、独奏や室内楽活動、さらに夫人のピアニスト、エーファ・アンダー(Eva Ander)とのデュオコンサートなどもやっていたようだが、よく知られていたのは歌曲の演奏だろう。
彼の実演を聴いたのはただ一度、1992年のアーダムとの来日公演で、複数の作曲家の作品を並べ、後半に「詩人の恋」が演奏されたような気がする(パンフレットが出てこないので曖昧な記憶に頼っているが)。

彼の演奏は堅実に地道にやるべきことをやるピアニストという印象が強いが、シュライアーと組んだドヴォジャーク「ジプシーの歌」とブラームスの「ドイツ民謡集」の録音では、そういうイメージを超えた雄弁で大胆な演奏を披露していて素晴らしく、今でも折にふれて聴き返している。

以前から気にはなっていたのだが、入手していなかったジークフリート・フォーゲル(BSBR)との「冬の旅」が久しぶりに国内盤で復活したので、先日購入して聴いてみたのだが、ここでのドゥンケルがまた素晴らしかった。
フォーゲルは低声歌手のイメージとは異なり、甘美さに徹している。
声の質だけでなく、表現もソフトで、音程もあがり切らない箇所が散見され(すでに1曲目から!)、こんなに緊張感のない緩い「冬の旅」はなかなか無いだろう(厳格、あるいは劇的な演奏に飽きた向きには新鮮かもしれないが)。
それに対してドゥンケルは終始起伏に富んだ雄弁な主張をしてフォーゲルを見事にリードしている。
その音は低く移調した演奏にありがちなこもった曖昧さは微塵もなく、タッチには鋭利さすら感じさせるほどである。
そんなわけで、この録音はフォーゲルよりもドゥンケルの演奏の素晴らしさが際立っていた。

余談だが、この曲集の第16曲目「最後の希望」の第1節は、
Hie und da ist an den Bäumen
Manches bunte Blatt zu seh'n,
(ここかしこの木々には
多くの色づいた葉が見られる)
と始まるのだが、
実はヴィルヘルム・ミュラーの原詩の2行目は
Noch ein buntes Blatt zu seh'n
(まだ一枚の色づいた葉が見られる)
となっていて、シューベルトが故意か間違いかは定かでないが、上記のように変更してしまっている。
これまでの多くの歌手たちがシューベルトの変更した歌詞で歌っているのに対して、私の知る限り唯一ヘルマン・プライだけがミュラーの原詩に戻して歌っていた(その是非はここでは問わないことにする)。
ところが、今回のフォーゲルもプライ同様ミュラーの原詩に戻して歌っているのが興味深かった。
あまり深く考えずにさらっと歌っているように見える(ごめんなさい)フォーゲルも事前の下調べを歌に反映させていたのだ。

ドゥンケルは1968年3~4月に前述のシュライアーとのドヴォジャーク&ブラームス歌曲集を録音し、その後はテーオ・アーダムとシューベルトの「冬の旅」、「ハイネ歌曲集」、ブラームス「四つの厳粛な歌」、ヴォルフ「ミケランジェロ歌曲集」、さらにレーヴェ、リスト、マーラー歌曲集なども録音してきた。
ローベルト・フランツやフランク・マルタンがプログラミングされたコンサートのライヴ録音もかつて出ていたから、かなりのレパートリーがアーダム&ドゥンケル・コンビで録音されていたことになる。
ほかにはインゲボルク・ヴェングロルとのヴォルフ「イタリア歌曲集」抜粋、プフィッツナー、レーガー歌曲集や、夫人とのベートーヴェンの4手用ソナタOp.6なども録音されているようだ。

旧東独のおそらくしっかりとしたメソッドを経て、堅実だが時にあっと思わせる音色や解釈を聴かせるこのピアニストを今一度じっくり聴き返してみたい。

なおドゥンケルが1995年に亡くなった後は、彼と共演してきたアーダムはドゥンケル夫人のアンダーとも共演しているようだ。

Vogel_dunckel_winterreise シューベルト/歌曲集「冬の旅」作品89(D911)
キングレコード: Deutsche Schallplatten: KICC 9505
録音:1982年5月2~12日、Lukaskirche, Dresden
ジークフリート・フォーゲル(Siegfried Vogel)(BSBR)
ルドルフ・ドゥンケル(Rudolf Dunckel)(P)

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コメント

フランツさんこんばんは。
わざわざ是非は問わないと書かれているのになんですが、歌詞の変更部分、シューベルトの音楽は冒頭からはらはらと枯葉が落ちる林を描写していると思いますので、意図的な変更のように思いました。しかし原詩だと、有名なオー・ヘンリーの「最後の一葉」そっくりになり印象的ですね。雪に閉ざされた真冬とすると、こちらの方が自然でもありますが。興味深いお話ありがとうございます。

投稿: 甲斐 | 2007年11月24日 (土曜日) 23時24分

甲斐さん、こんばんは。
確かにシューベルトの前奏ははらはら落ちる葉を描写していますね。おっしゃるように意図的という可能性も充分にあると思います。
オー・ヘンリーの「最後の一葉」は感動的ですね。残った一枚の葉に命を託すという考え方は世界共通のものなのかもしれませんね。

投稿: フランツ | 2007年11月25日 (日曜日) 00時17分

ヘルマン・プライの素朴なドイツ民謡のレコードが好きでした。「私の恋人のくちびるは赤い」とか..声もやさしいバリトンで癒されました。

ドイツリートにはシューベルトをはじめ有節歌曲民謡風のものが多いです。テンポはすこし速いものからアップテンポまで。私は音楽や複雑な詩よりこういうのが好きなので、ウォルフなんかのゆっくりで詩の内容が複雑(?)な「芸術歌曲」をあまり聞かないのかもしれません。

クヌルプがひねり出すような、書きとめたらなんでもないような歌が一番好きなようです。小説なんかもそういう傾向があり、要するに単純なんですね。

投稿: Auty | 2007年11月25日 (日曜日) 08時03分

Autyさん、こんにちは。
プライは民謡が好評ですね。私も一応録音をもっているのですが、あまりじっくりと聴いたことがなかったので、今度聴いてみます。
ドイツリートは民謡とは切り離せないと思います。確かにヴォルフは複雑な作品が多いですが、民謡調の簡素な曲もあることはありますよ。以前F=ディースカウが「ドイツには純粋な意味での民謡はない」というようなことを言っていたのを思い出しました。
クヌルプというのはヘッセの作品だそうですね。今度読んでみたいと思います。

投稿: フランツ | 2007年11月25日 (日曜日) 12時28分

フランツさん
クラシック全般に精通しているわけではないので、日記と直接関係ないコメントですみません。
クヌルプはおすすめです。
ガラス玉遊戯もいいけど、この素朴なクヌルプが。3つの話があります(早春、クヌルプの思い出・夏、クヌルプの最期・冬)。私はいまのところ真ん中の夏が一番好きです。

投稿: Auty | 2007年11月26日 (月曜日) 09時17分

Autyさん、
私もクラシック全般には全然精通していませんよ。歌曲に偏った聴き方をしているので、知らない作品は数限りなくあります。でも、ふとした時に新しい曲の良さを感じることが出来た時はうれしいものです。
これからもお互い新しい曲との素敵な出会いをしたいものですね。
Autyさんお勧めのクヌルプも近く購入したいと思います。3つの話があるのですか。楽しみです。

投稿: フランツ | 2007年11月26日 (月曜日) 21時39分

甲斐さんからこのページをご紹介いただきました。私は、2行目の詩句に関して、フィッシャー=ディースカウのことばを借りれば、「ミュラーの詩に戻すことが許される箇所」と思っており、ミュラーの詩句で口ずさんでおりました。でも、プライが歌っていたのですね。ヘルマン・プライの大ファンでありながら、そのことに気づかず、甲斐さんをとおして、フランツさんから教えてもらったことになります。今日もう一度聞き直して、改めて感動しました。ありがとうございました。この曲に限れば、シューベルトの音楽は「晩秋の旅」ですが、作曲当時の彼を思うと、テキスト変更に気持ちをこめていたような気がします。

投稿: goethe-schubert | 2008年6月27日 (金曜日) 22時11分

goethe-schubertさん、こんばんは。
プライは「最後の希望」の"Noch ein buntes Blatt zu sehn"という原詩にこだわっていたようです。
1枚だけ残った葉をつけた木があちこちにあり、この木に残っていた葉は落ちてしまった、では次の木はどうだろうか、と視点を次々に移しながら、落葉しない木があることを願いながら己の希望とだぶらせるという解釈だとミュラーの原詩の方が一層効果的だと思います。
でもシューベルトが意図的かそうでないかは別として"Manches bunte Blatt'"と記している以上、それが尊重されるのも正しい判断だと思います。おっしゃるようにシューベルトが気持ちを込めてあえて変更したという可能性もありますね。落葉といえば日本人の感覚からいうと秋ですが、「冬の旅」の文脈の中になんの違和感もなく、むしろ効果的にこの詩が存在しているのは興味深いことだと思います。

投稿: フランツ | 2008年6月28日 (土曜日) 02時22分

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