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堅実かつ雄弁なピアニスト:ルードルフ・ドゥンケル

旧東ドイツ出身の歌手たち、例えばドレースデン出身のテーオ・アーダム(BSBR)やマイセン出身のペーター・シュライアー(T)の共演者として知られているルードルフ・ドゥンケル(Rudolf Dunckel: 1922.3.10 - 1995.12.16)はドレースデン出身のピアニストである。
彼はドレースデン音楽演劇アカデミーでシャウフス=ボニーニに学び、ベルリーン・ハンス・アイスラー音楽大学で教授職に就いていたほか、独奏や室内楽活動、さらに夫人のピアニスト、エーファ・アンダー(Eva Ander)とのデュオコンサートなどもやっていたようだが、よく知られていたのは歌曲の演奏だろう。
彼の実演を聴いたのはただ一度、1992年のアーダムとの来日公演で、複数の作曲家の作品を並べ、後半に「詩人の恋」が演奏されたような気がする(パンフレットが出てこないので曖昧な記憶に頼っているが)。

彼の演奏は堅実に地道にやるべきことをやるピアニストという印象が強いが、シュライアーと組んだドヴォジャーク「ジプシーの歌」とブラームスの「ドイツ民謡集」の録音では、そういうイメージを超えた雄弁で大胆な演奏を披露していて素晴らしく、今でも折にふれて聴き返している。

以前から気にはなっていたのだが、入手していなかったジークフリート・フォーゲル(BSBR)との「冬の旅」が久しぶりに国内盤で復活したので、先日購入して聴いてみたのだが、ここでのドゥンケルがまた素晴らしかった。
フォーゲルは低声歌手のイメージとは異なり、甘美さに徹している。
声の質だけでなく、表現もソフトで、音程もあがり切らない箇所が散見され(すでに1曲目から!)、こんなに緊張感のない緩い「冬の旅」はなかなか無いだろう(厳格、あるいは劇的な演奏に飽きた向きには新鮮かもしれないが)。
それに対してドゥンケルは終始起伏に富んだ雄弁な主張をしてフォーゲルを見事にリードしている。
その音は低く移調した演奏にありがちなこもった曖昧さは微塵もなく、タッチには鋭利さすら感じさせるほどである。
そんなわけで、この録音はフォーゲルよりもドゥンケルの演奏の素晴らしさが際立っていた。

余談だが、この曲集の第16曲目「最後の希望」の第1節は、
Hie und da ist an den Bäumen
Manches bunte Blatt zu seh'n,
(ここかしこの木々には
多くの色づいた葉が見られる)
と始まるのだが、
実はヴィルヘルム・ミュラーの原詩の2行目は
Noch ein buntes Blatt zu seh'n
(まだ一枚の色づいた葉が見られる)
となっていて、シューベルトが故意か間違いかは定かでないが、上記のように変更してしまっている。
これまでの多くの歌手たちがシューベルトの変更した歌詞で歌っているのに対して、私の知る限り唯一ヘルマン・プライだけがミュラーの原詩に戻して歌っていた(その是非はここでは問わないことにする)。
ところが、今回のフォーゲルもプライ同様ミュラーの原詩に戻して歌っているのが興味深かった。
あまり深く考えずにさらっと歌っているように見える(ごめんなさい)フォーゲルも事前の下調べを歌に反映させていたのだ。

ドゥンケルは1968年3~4月に前述のシュライアーとのドヴォジャーク&ブラームス歌曲集を録音し、その後はテーオ・アーダムとシューベルトの「冬の旅」、「ハイネ歌曲集」、ブラームス「四つの厳粛な歌」、ヴォルフ「ミケランジェロ歌曲集」、さらにレーヴェ、リスト、マーラー歌曲集なども録音してきた。
ローベルト・フランツやフランク・マルタンがプログラミングされたコンサートのライヴ録音もかつて出ていたから、かなりのレパートリーがアーダム&ドゥンケル・コンビで録音されていたことになる。
ほかにはインゲボルク・ヴェングロルとのヴォルフ「イタリア歌曲集」抜粋、プフィッツナー、レーガー歌曲集や、夫人とのベートーヴェンの4手用ソナタOp.6なども録音されているようだ。

旧東独のおそらくしっかりとしたメソッドを経て、堅実だが時にあっと思わせる音色や解釈を聴かせるこのピアニストを今一度じっくり聴き返してみたい。

なおドゥンケルが1995年に亡くなった後は、彼と共演してきたアーダムはドゥンケル夫人のアンダーとも共演しているようだ。

Vogel_dunckel_winterreise シューベルト/歌曲集「冬の旅」作品89(D911)
キングレコード: Deutsche Schallplatten: KICC 9505
録音:1982年5月2~12日、Lukaskirche, Dresden
ジークフリート・フォーゲル(Siegfried Vogel)(BSBR)
ルドルフ・ドゥンケル(Rudolf Dunckel)(P)

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ヒュンニネン&ライッコネン/クーラ、メリカント、シベリウス歌曲リサイタル(2007年11月12日 紀尾井ホール)

~舘野泉プロデュース/フィンランドの心を歌う~
ヨルマ・ヒュンニネン バリトン・リサイタル
2007年11月12日(月) 19:00 開演 紀尾井ホール

ヨルマ・ヒュンニネン Jorma Hynninen(Bariton)
イルマリ・ライッコネン Ilmari Räikkönen (Piano)

トイヴォ・クーラ Toivo Kuula(1883-1918)作曲
秋の気配 Syystunnelma, Op. 2-1 (Eino Leino)
炎をみつめて Tuijotin tulehen kauan, Op. 2-2 (Eino Leino) 
朝の歌 Aamulaulu, Op. 2-3 (Eino Leino)
夏の夜、教会の墓地で Kesäyö kirkkomaalla, Op. 6-1 (V.A.Koskenniemi)
エピローグ Epilogi, Op. 6-2 (V.A.Koskenniemi)
来て、愛する人よ Tule armaani, Op. 27-1 (V.A.Koskenniemi)

オスカル・メリカント Oskar Merikanto(1868-1924) 作曲
私は生きている! Ma elän!, Op. 71-1 (Larin Kyosti) 
なぜに私は歌う Mikai laulan, Op. 20-2 (J.H.Erkko) 
夕暮れに Illansuussa, Op. 69-2 (V.A.Koskenniemi) 
バラッド Ballaadi, Op. 69-4 (Ilmari Kianto)
海にて Merella, Op. 47-4 (J.H.Erkko) 
嵐の鳥(フルマかもめ) Myrskylintu, Op. 30-4 (Kasimir Leino) 

~休憩~

ジャン・シベリウス Jean Sibelius (1865-1957) 作曲
葦よそよげ Säv,säv,susa, Op. 36-4 (Gustav Froding) スウェーデン語
わたしは1本の木 Jag är elt trad, Op. 57-5 (Ernst Josephson) スウェーデン語
水の精 Nocken, Op. 57-8 (Ernst Josephson) スウェーデン語
黒い薔薇 Svarta rosor, Op. 36-1 (Ernst Josephson) スウェーデン語
海辺のバルコニーで Påverandan vid havet, Op. 38-2 (Viktor Rydberg) スウェーデン語
夕べに Illalle, Op. 17-6 (A.V.Forsman-Koskimies) フィン語

タイスへの賛歌 Hymni Thaisille, JS. 97 (A.H.Borgstrom) 英語→スウェーデン語?訳
テオドーラ Teodora, Op. 35-2 (Bertel Gripenberg) スウェーデン語
口づけの望み Kyssens hopp, Op. 13-2 (J.L.Runeberg) スウェーデン語
春はいそぎゆく Varen flyktar nastrigt, Op. 13-4 (J.L.Runeberg) スウェーデン語
狩人の少年 Jagargossen, Op. 13-7 (J.L.Runeberg) スウェーデン語
逢引きから帰った乙女 Flickan kom ifran sin älsklings mote, Op. 37-5 (J.L.Runeberg) スウェーデン語

[アンコール]
シベリウス/夢なりしかOp. 37-4
メリカント/人生にOp. 93-4
シベリウス/泳げ青いカモ

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シベリウス没後50年を記念して、ピアニスト舘野泉がプロデュースしたヨルマ・ヒュンニネンのリサイタルを聴いてきた。
ピアノ共演はイルマリ・ライッコネン。

ヒュンニネンはシベリウス歌曲の録音を聴いていたが実演は初めてで、しかもクーラやメリカントの歌曲を聴くのも初めてだった。

今回は開演前に20分ほど舘野泉さんのプレトークがあり、もう1人の男性と対談のような形で北欧歌曲と演奏者について語っていた。
メリカントはフィンランドでは人気があるが、若干軽い作風に見られがちということ、
シベリウスは他のジャンルで知られているが歌曲も重要であるということ、
ヒュンニネンは歌曲歌いとして素晴らしいというような話の内容だったと思う。
お元気そうな舘野氏を見て、彼の実演も聴いてみたいものだと思った(ブラームス編曲の「シャコンヌ」などを収めた左手のための作品集のCDが素晴らしかった)。

ステージに颯爽と登場したヒュンニネン(1941年生まれ)は長身でダンディな印象で、オペラの舞台に立ってもさぞ舞台映えするだろうと思わせるものがあった。
一方のライッコネンは1976年生まれというからまだ31歳の若さだが、プログラムに掲載されている写真に比べると大分貫禄が出てきた感じだ。

前半最初の6曲はトイヴォ・クーラの歌曲。
クーラは酒宴の席で酔った兵士と口論になって射殺されてしまったそうで、35年の短い生涯だった。
ヒュンニネンによれば「生きていたら、シベリウスと同じくらいフィンランドを代表する偉大な作曲家になっていた」ほどの人で、管弦楽曲、室内楽曲、合唱曲など様々なジャンルの作品を残しているらしい。
約50曲の歌曲のうち、独唱歌曲は20数曲とのこと。
出身地のオストロボスニア地方の音楽に影響を受けているそうで、大束省三氏曰く「悲哀と感傷が漂っている」。
初めて聴いた6曲のクーラ歌曲、確かに冷たい空気感の中でせつない旋律に心を揺り動かされるような気がする。
「朝の歌」という曲が軽快で明るい印象を受けた以外には、ほとんど静かに心を揺さぶるタイプの曲だったように記憶している。

クーラの後に演奏されたのはオスカル・メリカントの6曲。
ヒュンニネンの初めて録音したLPがメリカント歌曲集で、フィンランドで非常に評判になったそうだ。
彼の作品は軽いスタイルとみなされがちで、そういうことがかえってフィンランド人にとって親しみやすさを感じさせるのかもしれない(トスティやフォスターのような感じだろうか)。
実際聴いた印象もいい意味で俗っぽい分かりやすさがあったような気がするが、最後に演奏された「海にて」と「嵐の鳥(フルマかもめ)」のドラマティックな迫力が強く訴えかけてきた。

休憩後はすべてシベリウス歌曲で6曲ずつ2ブロックに分けて演奏された。
これらの曲はDECCAの全集録音で予習していたし、何曲かはヒュンニネン自身の録音でも聴いていたので、演奏そのものに集中することが出来る。
最初の「葦よそよげ」は有名な作品で、高音域での流れるピアノ前奏は一見抒情的な内容を予感させるが、インガリルという女性が悩みぬいたうえ、湖に沈んだという暗い内容を反映した短いバラードになっている。

厳格なアルペッジョではじまる「わたしは1本の木」は畳み掛けるようなリズムが印象的で、夏の盛りのはずの1本の木から嵐が葉を落としてしまい、身を隠す雪を待ち望むという内容を重厚な音楽で描いている。

水のざわめきや、少年と水の精の弦の響きを描写した「水の精」に続き、シベリウスの最も有名な歌曲「黒い薔薇」が演奏された。
棘のある薔薇が私の胸で育ち、それが私に苦痛を掻き立てると歌われる。
ほとばしるアルペッジョの上で緊迫感を増す歌が、いやがうえでも聴き手の心をざわつかせる。

「海辺のバルコニーで」は苦渋に満ちた主張の強い前奏に導かれて深刻な歌が続く。
永遠の岸辺にたどりつけない波を歌った第1節、いずれ死ぬ運命にある星の光を歌った第2節と重みのある内容を反映しているが、神を予感してあらゆるものが沈黙に沈むと歌う第3節で「沈黙」と相反するような劇的な盛り上がりを見せるのが詩を表面的にとらえないシベリウスの感受性を感じさせて興味深かった。

シベリウスの最初のブロックを締めくくる「夕べに」でようやく明るい曲が選ばれ、聴き手も緊張から開放されて一息つくことが出来る。
ちらつく星の光を模すピアノの上で、同音を基本とする優しく語りかける歌が、昼間の仕事疲れがあっても夕べには恋人のもとに行くことが出来る喜びを表現する。

シベリウスの後半ブロックは作品番号のない「タイスへの賛歌」で始まった。
この曲はシベリウスが作曲した唯一の英語歌曲らしいが、ヒュンニネンの発音はどう考えても英語ではなかったからスウェーデン語訳(またはフィンランド語?)だったのではないだろうか。
アテネの遊女であるタイスの美しさは一度見た者は忘れることが出来ないと歌われる。
まさしく恋に目をくらまされた男の真剣な告白の歌である。

続く「テオドーラ」はシベリウス歌曲の中で最も個性的な部類に入るのではないだろうか。
ピアノの低音でうなるように響いては消えるパッセージはテオドーラの引きずるドレスの衣ずれの音なのか、アクセサリーの揺れる音なのか、語りに付けられたメロドラマのように「間」に意味を持たせたようなピアノパートである。
静かな満月の夜に忍び足で近づいてくる皇后テオドーラに官能的な欲情を抱く男のなんとも妖しい作品である。

大人の男の気持ちを歌った2曲の後に、若者のういういしい恋心を歌った初期の3曲「口づけの望み」「春はいそぎゆく」「狩人の少年」が歌われ、最後は有名な「逢引きから帰った乙女」で締めくくられた。
恋人との逢引きから帰った娘と母親との対話というありがちなシチュエーションが歌われるが、この種のテキストの常として、恋人との逢引きの末裏切られ、お墓を用意してと歌われる。
シベリウスの音楽は詩に対応してドラマティックな展開を見せ、聴き手をその世界に引きずり込む。
ヒュンニネンのプログラミングの妙味を感じさせられた。

ヒュンニネンの歌唱はなんといっても語り口の絶妙さが印象に残る。
60台半ばですでに声の艶に頼れない時期でありながら、力強い箇所での迫力は凄まじいものがあり、一方ささやくような弱声の箇所でのなんとも味のある表現は芸で聞かせる境地に達したことを感じさせた。
クーラの静かな佇まいから、メリカントの軽快さ、そして奥の深いシベリウスの世界まで(中でも「テオドーラ」での名唱は素晴らしかった)、その守備範囲の広さに驚かされ、また、北欧歌曲と一くくりに出来ないような多彩な世界の対応力は未だにこの分野の第一人者の地位が揺るがないことを実感させられた。

Hynninen_20071112_chirashi

ライッコネンは、舘野氏が「これからのフィンランド楽壇を担っていく貴重な才能」と評価するのも頷ける音楽性とテクニックを兼ね備えた見事な演奏だった。
北欧の環境を反映したかのような特有のほの暗い重さと情熱を身をもって会得している強みが感じられた。

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内藤明美メゾソプラノリサイタル(2007年11月9日 東京オペラシティ リサイタルホール)

没後50年に因み オトマール・シェック「若き日の歌」
2007年11月9日(金)19:00 東京オペラシティ リサイタルホール
内藤明美(MS)
平島誠也(P)

シェック作曲

山のあなたo. Op. No. 11(ブッセ)
やすらぎの谷Op. 3-1(ウーラント)
葦の歌ⅠOp. 2-1「彼方には陽も沈みゆき」(レーナウ)
葦の歌ⅡOp. 2-2「空は曇りて雲は飛ぶ」(レーナウ)
葦の歌ⅢOp. 2-3「こもりたる森の小径を」(レーナウ)

別れOp. 3-3(ウーラント)
さよならOp. 3-4(ウーラント)
礼拝堂Op. 3-2(ウーラント)
九月の朝Op. 7-1(メーリケ)
捨てられた娘Op. 6-1(シュヴァーベン民謡)

エリーザベトOp. 8-1(ヘッセ)
知らせOp. 8-3(ヘッセ)
二つの谷からOp. 8-2(ヘッセ)
非難o. Op. No. 27(ヘッセ)

~休憩~

美しいところOp. 14-3(フライ)
思い出Op. 10-1(アイヒェンドルフ)
森の湖Op. 15-1(ロイトホルト)
わが母にOp. 14-1(メーリケ)
眠りよ 眠りOp. 14-4(ヘッベル)
プラハ学生の旅の歌Op. 12-2(アイヒェンドルフ)

ペレグリーナⅠOp. 15-6「人言うに 恋人は杭に」(メーリケ)
ペレグリーナⅡOp. 17-4「かつて神聖であった愛の」(メーリケ)
秋にOp. 17-2(ウーラント)
春の教会墓地Op. 17-3(ウーラント)

[アンコール]
シェック/山のあなたo. Op. No. 11
レーガー/マリアの子守歌
山田耕筰/赤とんぼ
島原の子守唄

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いつもお世話になっている歌曲投稿サイト「詩と音楽」の甲斐さんに声をかけていただき、メゾソプラノの内藤明美さんとピアニストの平島誠也さんによるオトマール・シェックの歌曲のみによるリサイタルを聴いてきた。
シェックは今年が没後50年のアニバーサリーなので、それに因んでのプログラミングだが、歌曲創作に人一倍力を注ぎ、重要な歌曲作曲家でありながら知名度は必ずしも高くないシェックの歌曲ばかりを実演で聴けるということはどれほど貴重なことだろうか。
しかも、後年の熟した作品ではなく、シェックの若かりし頃の作品ばかりで一晩のプログラムを組むというのは今後もなかなか無い快挙ではないだろうか。

シェックの歌曲創作はシューベルトからヴォルフに至る大家たちをリスペクトしているのが感じられるが、彼らの作曲している多くの詩に果敢にチャレンジしていながら、メーリケの「ペレグリーナ」作品群の中でヴォルフが作曲している2編を避けているのが興味深い。
特に「ペレグリーナⅡ」は深刻なピアノパートも含め、惹き込まれる名曲だった。
上田敏の「海潮音」で有名なブッセの「山のあなた」には素直な旋律が付けられ、リサイタルの最初とアンコールの2回歌われた。
ブラームスも同じ詩に作曲している「捨てられた娘」(ブラームスの題名は「悲しむ娘」Op. 7-5)はシュヴァーベン民謡の詩により、ブラームス歌曲の深い悲しみとは異なり、民謡的な素朴さを追求しているようだ。
ヘッセの詩による4曲はいずれもなかなか魅力的な作品だが、特にたゆたうような響きが聞かれる「エリーザベト」が美しく素晴らしかった。
アイヒェンドルフの「プラハ学生の旅の歌」は3節からなる歌曲で、ヴォルフのアイヒェンドルフ歌曲に通ずる物語展開の面白さがあり楽しかった。
プログラム最後の「春の教会墓地」はしっとりとした趣が印象的で、平島さんのピアノ後奏が深い思いを反映した美しさだった。
アンコールは4曲歌われたが、ドイツリートとは全く異なる世界をもった「島原の子守唄」の感動的な歌唱には驚かされた。
ほんの数分の中で1つのドラマがくっきり浮かび上がってくるようで、内藤さんの持ち駒の豊かさを感じさせられた。
ちなみに内藤さんは前半では髪を束ね青いドレスで登場し、後半では鮮やかな赤いドレスに衣装を変え、髪もほどき、さらにペレグリーナを歌うセクションではショールをまとい、奔放な放浪癖のある女性を演出していた。

寡聞にして私はこれまで内藤さんのお名前も演奏も存じ上げなかったのだが、今回、その歌唱を聴き、甲斐さんが絶賛しておられたのが納得できる素晴らしい名唱であった。
これほどリートの歌唱に適性をもった歌手にはそう出会えるものではない。
声はどこをとっても美しく練られているばかりか、色合いの豊富さと深みがあって、1曲1曲に思いが込められているのがしっかりと伝わってくる。
そのドイツ語は明晰でネイティヴのような自然さだった。
珍しい作品を演奏する人の中には手探りで危なっかしい演奏を聴かされることもあるものだが、内藤さんは暗譜で完全にご自分の血肉とされていた。
これは平島さんのピアノにも感じられ、芸術家としての誠実で真摯な姿勢に感銘を受けた。
客席はほとんどがお弟子さんで占められていた感もあり、一般の歌曲ファンと思われる客層があまりいなかったのは残念だが、派手なプロモーションはなさらない主義なのかもしれない。

平島氏のピアノは見事なまでの完成度の高さで、自在に操る音色の美しさはベテランならではの底力のようなものを感じさせられた。
特に「ペレグリーナⅡ」での深みのある表現が素晴らしかった。

内藤明美という屈指の名歌手を知ることが出来、さらに平島誠也という現役最高の歌曲ピアニストの妙技を味わえて、とても収穫の多いコンサートだった。
今後は是非このコンビでの録音を望みたいものである。

なお、今回は甲斐さんと初めてお会いできたばかりか、甲斐さんのお知り合いの方たちとも知り合えて、充実した楽しい時間を過ごすことが出来た。
同じ趣味を持つ方たちと時間を共有する楽しみを感じられて感謝!

Naito_hirashima_200711

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ヴォルフ歌曲全曲演奏会(第12回)(2007年10月31日 浜離宮朝日ホール)

ヴォルフ歌曲全曲演奏会(全12回)SeriesXII 《最終回》
2007年10月31日(水)19:00 開演 浜離宮朝日ホール
《イタリア歌曲集第2巻》、《ミケランジェロ歌曲集》、バイロンの詩による歌曲
 
天羽明惠(あもうあきえ)(S)
ロッキー・チョン(Locky Chung)(BR)
松川儒(まつかわまなぶ)(P)

イタリア歌曲集第2巻
「どんな歌をおまえにうたってあげたらいいのだろう」(BR)
「やんごとないあなたの御身分のことはよくわかっていますわ」(S)
「あなたが朝はやくに寝床から起き出すと」(BR)
「すてきだわみどり色って、またその服を着ているひとも!」(S)
「あなたの亡くなったお母さんに幸あらんことを」(BR)
「ああ、あなたのお家がガラスのように透けて見えたら」(S)
「やっとのことで疲れた体をベッドに横たえたと思ったら」(BR)
「きのうの晩、ぼくが真夜中ごろ目が覚めたとき」(BR)
「きみがぼくをちらりと眺めて、そしてくすくす笑い」(BR)
「もしあなたが天国に召されるようなことがあれば、いとしい人」(S)
「ぼくが死んだら、体を花でいっぱいに覆っておくれ」(BR)
「わたしはもう乾いたパンを食べることはないでしょう」(S)
「いろんなひとがわたしに話してくれたことによると」(S)
「私の恋人が私を食事に招んで暮れたの」(S)
「なにをそんなにかっかと怒っているの、いとしいひと」(S)
「どうしてわたしが陽気に笑ったりしていられましょう」(S)
「きみを愛するあまり、ずいぶんと時間を無駄にしてしまった!」(BR)
「もうこれ以上うたいつづけられない、だって風が」(BR)
「ちょっと黙ったらどう、しつこいおしゃべり屋さん!」(S)
「ああ、おまえは知っているか、ぼくはおまえのために」(BR)
「わたしが貴族の出でもないくせになんて言うわね」(S)
「奈落があの人の小屋を呑み込むがいい」(S)
「あんなもったいぶった女は、好きなようにさせておくさ」(BR)
「ペンナにわたしのいいひとがいる」(S)

~休憩~

バイロンの詩による2つの歌曲
「眠られぬものの太陽」(BR)
「どんな美女もかないはしない」(BR)

ミケランジェロ歌曲集
「わたしはしばしば思う」(BR)
「この世に生を享けたものはすべて滅びる」(BR)
「わたしの魂は感じえようか」(BR)

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ピアニストの松川儒がプロデュースしてフーゴ・ヴォルフの完成された歌曲全曲(314曲)を12回に分けて演奏するという2003年12月から続いていたシリーズの最終回を聴いてきた。
前回の11回目(7月11日)は気が付いた時にはすでに終わっていて悔しい思いをしたので、最終回を聴くことが出来て幸いだった。
当日券を求めたのだが、最前列の左寄りという特等席が残っていて、松川氏の演奏をこれまでで最も近くから見ることが出来た。
今回はヴォルフ晩年の名作「イタリア歌曲集」第2巻とバイロンの詩による歌曲2曲、それに絶筆となった「ミケランジェロ歌曲集」が演奏され、濃密な時間をたっぷり満喫することが出来た。全曲翻訳詩なのが興味深い(ヴォルフは晩年にオリジナルのドイツ詩に霊感を感じなくなったのだろうか)。

「イタリア歌曲集」はイタリアの詩にパウル・ハイゼがドイツ語訳したものに付曲した全46曲の歌曲集で、今回は第2部の全24曲がヴォルフの出版時の順序を入れ替えて演奏された。
ヴォルフの決めた順序で演奏されることもあるが、演奏者の意思が反映された順序で演奏されることも多く、よりドラマティックな展開にすることも可能である。
今回は前半に交響曲で言えば緩徐楽章のような静かで美しい作品が配置され、後半は男女の激しい攻防戦で劇的なやりとりを楽しめる構成になっていた。
合間に演奏者の語りも入り、流れを伝える工夫が感じられた。
歌手は、このシリーズお馴染みの2人、天羽明惠と韓国出身のロッキー・チョン。
歌を歌うたびに舞台の左右を大きく移動して、付いては離れの関係を演じていたのがオペラの場面を見ているようだった(後半でチョンが松川の座る椅子に一緒に腰掛ける場面は楽しかった)。
天羽のコケティッシュな表情と声の演技力は、南国の開放的な性格と見事にマッチして女性のもつ喜怒哀楽を余すところなく表現していた。
声は美しく、テクニックも充分で、愛嬌たっぷりのその歌は女性のしたたかさを存分に伝えてきた。
一方のロッキー・チョンはこの歌曲集がイタリアの原詩によりながらもドイツの魂をもっていることを実感させ、恋に不器用な男の悲哀をじわじわと滲ませて、素晴らしい演者だった。

休憩後はすべてロッキー・チョンの歌唱だった。
バイロンの原詩による2曲のうち、「眠られぬものの太陽」はシュヴァルツコプフの録音が印象深いが、チョンが歌うと、シュヴァルツコプフの冷たい空気とは違った温もりが感じられ、これはこれでなかなか良かったと思う。
「どんな美女もかないはしない」はイタリア歌曲集の美しい歌曲に匹敵するような響きが心地よい。

「ミケランジェロ歌曲集」は彫刻家ミケランジェロの詩の独訳に付けた3曲(さらに1曲作曲していたが、後に破棄している)からなり、賞賛と非難の両方を浴びながらも世の人々に知られていることは確かだと歌う第1曲、生者必滅の運命を歌う第2曲、壮大な恋人讃歌の第3曲、いずれも骨太なイメージがつきまとうのはハンス・ホッターの名唱が刷り込まれているからだろうか。
チョンの歌はいい意味で若さが感じられ、枯れた諦観は微塵もない。
そういう意味では第3曲の甘美な世界が最も合っていたかもしれない。

ピアノの松川儒は一貫してヴォルフ歌曲の積極的な解釈者だった。
時に思い入れが強くなり、テンポの揺れが大きくなることもあったが、実演ではそれがむしろプラスに働き、聴衆も感情移入しやすくなったのではないか。
ヴォルフの初期作品を含めた全歌曲を演奏したのはおそらく彼一人だけだろう。
ヴォルフ歌曲の全貌を質の高い演奏で聴かせてくれた松川氏と、歌手たちに心から感謝したい。

12回のシリーズに出演した歴代の歌手たちは以下の13人。

天羽明惠(S: 1,7,11,12)
釜洞祐子(S: 2,4,9)
森野由み(S: 5)
林田明子(S: 10)
加納悦子(MS: 2,6,10)
井坂惠(MS: 3,8)
吉田浩之(T: 3)
永田峰雄(T: 5,9)
福井敬(T: 8)
ロッキー・チョン(BR: 1,4,6,11,12)
三原剛(BR: 2)
太田直樹(BR: 3,10)
ヘルマン・ヴァレン(BR: 7)

第1回:メーリケ作品集
第2回:メーリケ作品集
第3回:アイヒェンドルフ作品集
第4回:ゲーテ作品集
第5回:ゲーテ作品集
第6回:ゲーテ作品集
第7回:ハイネ、レーナウ作品集
第8回:ライニク歌曲集、スペイン歌曲集「宗教編」
第9回:スペイン歌曲集「世俗編」
第10回:さまざまな詩人によるヴォルフ歌曲の源泉
第11回:イプセン《ソールハウグの宴》、ケラー歌曲集、イタリア歌曲集第1巻
第12回:イタリア歌曲集第2巻、バイロン作品集、ミケランジェロ歌曲集

なお、会場に貼ってあった記載によれば、11月15日19時30分~21時10分にNHK-FMで11回目の演奏会が放送されるそうだ。
今回もNHKらしきテレビカメラが入っていたので、放送されるかもしれない(BSを見れない私は地上波での放送を祈るのみ)。

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