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ヴォルフ歌曲全曲演奏会(第12回)(2007年10月31日 浜離宮朝日ホール)

ヴォルフ歌曲全曲演奏会(全12回)SeriesXII 《最終回》
2007年10月31日(水)19:00 開演 浜離宮朝日ホール
《イタリア歌曲集第2巻》、《ミケランジェロ歌曲集》、バイロンの詩による歌曲
 
天羽明惠(あもうあきえ)(S)
ロッキー・チョン(Locky Chung)(BR)
松川儒(まつかわまなぶ)(P)

イタリア歌曲集第2巻
「どんな歌をおまえにうたってあげたらいいのだろう」(BR)
「やんごとないあなたの御身分のことはよくわかっていますわ」(S)
「あなたが朝はやくに寝床から起き出すと」(BR)
「すてきだわみどり色って、またその服を着ているひとも!」(S)
「あなたの亡くなったお母さんに幸あらんことを」(BR)
「ああ、あなたのお家がガラスのように透けて見えたら」(S)
「やっとのことで疲れた体をベッドに横たえたと思ったら」(BR)
「きのうの晩、ぼくが真夜中ごろ目が覚めたとき」(BR)
「きみがぼくをちらりと眺めて、そしてくすくす笑い」(BR)
「もしあなたが天国に召されるようなことがあれば、いとしい人」(S)
「ぼくが死んだら、体を花でいっぱいに覆っておくれ」(BR)
「わたしはもう乾いたパンを食べることはないでしょう」(S)
「いろんなひとがわたしに話してくれたことによると」(S)
「私の恋人が私を食事に招んで暮れたの」(S)
「なにをそんなにかっかと怒っているの、いとしいひと」(S)
「どうしてわたしが陽気に笑ったりしていられましょう」(S)
「きみを愛するあまり、ずいぶんと時間を無駄にしてしまった!」(BR)
「もうこれ以上うたいつづけられない、だって風が」(BR)
「ちょっと黙ったらどう、しつこいおしゃべり屋さん!」(S)
「ああ、おまえは知っているか、ぼくはおまえのために」(BR)
「わたしが貴族の出でもないくせになんて言うわね」(S)
「奈落があの人の小屋を呑み込むがいい」(S)
「あんなもったいぶった女は、好きなようにさせておくさ」(BR)
「ペンナにわたしのいいひとがいる」(S)

~休憩~

バイロンの詩による2つの歌曲
「眠られぬものの太陽」(BR)
「どんな美女もかないはしない」(BR)

ミケランジェロ歌曲集
「わたしはしばしば思う」(BR)
「この世に生を享けたものはすべて滅びる」(BR)
「わたしの魂は感じえようか」(BR)

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ピアニストの松川儒がプロデュースしてフーゴ・ヴォルフの完成された歌曲全曲(314曲)を12回に分けて演奏するという2003年12月から続いていたシリーズの最終回を聴いてきた。
前回の11回目(7月11日)は気が付いた時にはすでに終わっていて悔しい思いをしたので、最終回を聴くことが出来て幸いだった。
当日券を求めたのだが、最前列の左寄りという特等席が残っていて、松川氏の演奏をこれまでで最も近くから見ることが出来た。
今回はヴォルフ晩年の名作「イタリア歌曲集」第2巻とバイロンの詩による歌曲2曲、それに絶筆となった「ミケランジェロ歌曲集」が演奏され、濃密な時間をたっぷり満喫することが出来た。全曲翻訳詩なのが興味深い(ヴォルフは晩年にオリジナルのドイツ詩に霊感を感じなくなったのだろうか)。

「イタリア歌曲集」はイタリアの詩にパウル・ハイゼがドイツ語訳したものに付曲した全46曲の歌曲集で、今回は第2部の全24曲がヴォルフの出版時の順序を入れ替えて演奏された。
ヴォルフの決めた順序で演奏されることもあるが、演奏者の意思が反映された順序で演奏されることも多く、よりドラマティックな展開にすることも可能である。
今回は前半に交響曲で言えば緩徐楽章のような静かで美しい作品が配置され、後半は男女の激しい攻防戦で劇的なやりとりを楽しめる構成になっていた。
合間に演奏者の語りも入り、流れを伝える工夫が感じられた。
歌手は、このシリーズお馴染みの2人、天羽明惠と韓国出身のロッキー・チョン。
歌を歌うたびに舞台の左右を大きく移動して、付いては離れの関係を演じていたのがオペラの場面を見ているようだった(後半でチョンが松川の座る椅子に一緒に腰掛ける場面は楽しかった)。
天羽のコケティッシュな表情と声の演技力は、南国の開放的な性格と見事にマッチして女性のもつ喜怒哀楽を余すところなく表現していた。
声は美しく、テクニックも充分で、愛嬌たっぷりのその歌は女性のしたたかさを存分に伝えてきた。
一方のロッキー・チョンはこの歌曲集がイタリアの原詩によりながらもドイツの魂をもっていることを実感させ、恋に不器用な男の悲哀をじわじわと滲ませて、素晴らしい演者だった。

休憩後はすべてロッキー・チョンの歌唱だった。
バイロンの原詩による2曲のうち、「眠られぬものの太陽」はシュヴァルツコプフの録音が印象深いが、チョンが歌うと、シュヴァルツコプフの冷たい空気とは違った温もりが感じられ、これはこれでなかなか良かったと思う。
「どんな美女もかないはしない」はイタリア歌曲集の美しい歌曲に匹敵するような響きが心地よい。

「ミケランジェロ歌曲集」は彫刻家ミケランジェロの詩の独訳に付けた3曲(さらに1曲作曲していたが、後に破棄している)からなり、賞賛と非難の両方を浴びながらも世の人々に知られていることは確かだと歌う第1曲、生者必滅の運命を歌う第2曲、壮大な恋人讃歌の第3曲、いずれも骨太なイメージがつきまとうのはハンス・ホッターの名唱が刷り込まれているからだろうか。
チョンの歌はいい意味で若さが感じられ、枯れた諦観は微塵もない。
そういう意味では第3曲の甘美な世界が最も合っていたかもしれない。

ピアノの松川儒は一貫してヴォルフ歌曲の積極的な解釈者だった。
時に思い入れが強くなり、テンポの揺れが大きくなることもあったが、実演ではそれがむしろプラスに働き、聴衆も感情移入しやすくなったのではないか。
ヴォルフの初期作品を含めた全歌曲を演奏したのはおそらく彼一人だけだろう。
ヴォルフ歌曲の全貌を質の高い演奏で聴かせてくれた松川氏と、歌手たちに心から感謝したい。

12回のシリーズに出演した歴代の歌手たちは以下の13人。

天羽明惠(S: 1,7,11,12)
釜洞祐子(S: 2,4,9)
森野由み(S: 5)
林田明子(S: 10)
加納悦子(MS: 2,6,10)
井坂惠(MS: 3,8)
吉田浩之(T: 3)
永田峰雄(T: 5,9)
福井敬(T: 8)
ロッキー・チョン(BR: 1,4,6,11,12)
三原剛(BR: 2)
太田直樹(BR: 3,10)
ヘルマン・ヴァレン(BR: 7)

第1回:メーリケ作品集
第2回:メーリケ作品集
第3回:アイヒェンドルフ作品集
第4回:ゲーテ作品集
第5回:ゲーテ作品集
第6回:ゲーテ作品集
第7回:ハイネ、レーナウ作品集
第8回:ライニク歌曲集、スペイン歌曲集「宗教編」
第9回:スペイン歌曲集「世俗編」
第10回:さまざまな詩人によるヴォルフ歌曲の源泉
第11回:イプセン《ソールハウグの宴》、ケラー歌曲集、イタリア歌曲集第1巻
第12回:イタリア歌曲集第2巻、バイロン作品集、ミケランジェロ歌曲集

なお、会場に貼ってあった記載によれば、11月15日19時30分~21時10分にNHK-FMで11回目の演奏会が放送されるそうだ。
今回もNHKらしきテレビカメラが入っていたので、放送されるかもしれない(BSを見れない私は地上波での放送を祈るのみ)。

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コメント

314曲とは凄いです!
それと、「リートなのにオペラのよう」(別に悪い意味ではなく)というのは、ゲルネのシューベルトでも感じました。
声量のある歌手が感情をここぞとばかりこめると、オペラみたいになるのですね。
私はもっとこぢんまりしたほうが好きですが、有名な歌手は大きなホールで歌うので仕方ないとも言えますね。
ひさびさにゲーテの「ドイツリートクラス」で「白鳥の歌」の「わが宿」と「アトラス」の解説と音楽を聴きました。CDはフィッシャーディースカウの若い頃のもので、ボックスCDのときとは声がぜんぜん違って驚きました。

投稿: Auty | 2007年11月 4日 (日曜日) 09時49分

F=ディースカウでさえ、ヴォルフの初期作品は全曲の録音をしていないのですから、今回のシリーズは空前絶後の大イベントだったと思います。松川氏は一見いともたやすく成し遂げてしまったようにすら感じさせますが、実際には人選や聴衆の動員、弾きにくい初期作品の演奏など、決して楽な道のりではなかったと思います。とにかく脱帽のシリーズでした。
ゲルネは劇性のある歌い方をすることがありますが、やはり大ホールで歌うということが大きく影響しているのでしょうね。
「わが宿」と「アトラス」は「白鳥の歌」の中でも重々しい激情を爆発させる作品で印象的です。F=ディースカウも初期は新鮮な歌声ですね。Autyさんの訳詩を楽しみにしています。

投稿: フランツ | 2007年11月 4日 (日曜日) 14時14分

「わが宿」と「アトラス」
**

風邪で体調悪かったので、この暗くて重~い曲に、まったりシンクロしました。

ああっ、さぼっている!
訳詞をやらなくては。ゲーテの「ミューズの子」は嘘を書いたような気が..(汗)(汗)。

明日は東京モーターショーに行きます☆彡

投稿: Auty | 2007年11月 5日 (月曜日) 00時17分

風邪、早く良くなるといいですね。

東京モーターショーではドイツ車をチェックされるのですか。楽しんできてくださいね。

翻訳の方はいろいろ立ちふさがる問題があるようですが、Autyさんの前向きな姿勢でそれらも乗り越えていつか素敵な翻訳本が出版されるのを楽しみにしています。

投稿: フランツ | 2007年11月 5日 (月曜日) 00時41分

フランツさん☆彡
背中を押されて授業の記憶があるうちに、「Aufenthalt」と「Atlas」を楽天ブログに載せました。
ゲルネCDの対訳を横に置きながら、先生に言われたことや、教室で気づいたことを書き込んだので、なんだか説明的です。
「Aufenthalt」では「Krone」(樹冠)という難しい言葉が出てきましたが、樹林において、樹木の枝や葉の茂っている部分(だから「梢」という訳もある)。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]とあったので、「Krone」一語が「木々の枝や葉が高いところで」という訳になりました。技術翻訳ではこんなことできないので嬉しい。
最後の「私の中に住み着いて離れようともしない。」は高橋健二さんの『クヌルプの思い出』の最後の文章を真似しました。

「苦悩」続きで「アトラス」は「世にも不幸な」はゲルネ・リブレットがとてもよかったので真似してしまいました。mussは「運命」としました。ゼウスとの戦いに負けた運命がこれだったからです。
unertraeglichというのはunertraegbarと違って「自分が」我慢できないという意味なのだそうで、「自分の力で運びきれぬ」とし、最後の節は「all or nothing」を望んだということなので、「全か無を」を追加しました。この訳には「失敗すればすべてを失う、すべてを賭けた」(英辞郎)という意味もあるので、ゼウスに弓を引くということは、それだけの覚悟があったのだとも考えられます。

elendは「異境」が語源の「惨めな」という意味ですが要するに「苦悩」と同じと判断してそう書きました。

翻訳のお金のことは、多くの人が最初5年くらいはなかなかドイツ語が来なかったとか、いまでも英語の仕事をしているとか、ドイツ語のトップではないから専門分野の仕事をするのを生き甲斐にしているとか、いろいろ現実的に折り合いをつけている人が多いです。私の場合はどんなふうになるかわかりませんが、生きていくための仕事だから折り合いは付けます。

仕事がちょっと落ち着いているので、ヘッセの訳もSeehundehuette(コミュ)に書いてみようと思います。。

投稿: Auty | 2007年11月 6日 (火曜日) 13時51分

Autyさんの「Aufenthalt」と「Atlas」の訳詩を拝見しました。「Aufenthalt」は「旅の空、私の居場所」と訳されていて印象的でした。技術翻訳の厳格な用語の選択とは違って、文学作品における言葉の自由さはAutyさんのファンタジーを開放させることが出来て、楽しんで訳しておられるように感じました。「all or nothing」の賭けに敗れた末の「世にも不幸な」アトラスという解釈、とても分かりやすく学ばせていただきました。今後も既訳にない新鮮な視点での訳を楽しみにしています。
それから「生きていくための仕事だから折り合いは付け」るというお言葉、重みをもって伝わってきました。ますますのご活躍を祈っております。

投稿: フランツ | 2007年11月 8日 (木曜日) 00時10分

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