フリッツ・ヴンダーリヒ/ライフ・アンド・レジェンド:生涯と伝説
昨年で没後40年だったドイツの名テノール、フリッツ・ヴンダーリヒ(1930.9.26, Kusel - 1966.9.17, Heidelberg)を記念したDVDが海外より1年遅れで国内でも発売された。ヴンダーリヒといえば、多くのオペラファンはタミーノの名演を思い出すであろう。だが彼は、レパートリーは必ずしも多くないもののリートにも積極的に取り組み、特に「詩人の恋」はあまたの名演の中で未だにベスト演奏の1つだと思っている。
これまで録音を通じて彼の美声とみずみずしい表現に接してきたが、今回初めて彼の歌う姿や家族や同僚とのくつろいだ姿が映像で見られ、さらに彼を偲ぶ多くの人(夫人エーファから恩師や同僚、友人)のインタビューも盛り込まれ、35歳の若さで散ったヴンダーリヒを様々な角度から知ることが出来る作品に仕上がっている。
(これから先はネタばれもあるので、まだ知りたくない方は気をつけてください。)
ヴンダーリヒの一見順風満帆に思えるキャリアも実際にはそうでなかったことが語られている。彼は指揮者の父親とヴァイオリニストの母親という音楽一家に生まれるが、ナチスの台頭と共に父親は追いつめられ、最終的には自ら命を絶つ。この時、フリッツはわずか5歳。それ以来女手一つで母親はフリッツたち子供を養い、フリッツも生活費の足しにするためにアコーディオンやピアノ、ホルンを習い、各地の祭りなどで演奏する。フリッツの音楽の才能に気付いた母は、指揮者エメリヒ・スモーラの薦めに従い、彼をフライブルクの音楽学校に入学させる。フリッツは当時ホルンを専攻していたが、最終的には声楽に力を注ぐようになり、入学試験の試験官だった盲目の女性マルガレーテの前でシューベルトの「道しるべ」を歌った。彼女曰く「出来は素晴らしく、情感はたっぷりで温かみがあった」。ヴンダーリヒが彼女に「俗っぽかったか」と尋ね、彼女が「少しね」と答えると、「だから学びたい」と言ったそうだ。他の人のエピソードでもヴンダーリヒは似たようなことを言っており、自分の意欲を積極的にアピールするタイプだったようだ。それは、長く辛い経験をした少年時代があったからこその成功願望だったのかもしれない。
1954年に「魔笛」のタミーノを歌い、その成功により2つの終身雇用の依頼が舞い込む。1つはフライブルクでの主役、もう1つはシュトゥットガルトでの端役で、ヴンダーリヒはシュトゥットガルトを選ぶ。
最初は端役だったが、当初タミーノを歌う予定だったヨーゼフ・トラクセルが機転を利かせ、1959年ヴンダーリヒにタミーノを歌わせる機会を与え、彼の輝かしい道が開かれた。
その後、ベーム指揮で「無口な女」を歌ったり、各地で成功を収め、テレビ出演にも進出し、依頼は殺到した。
ヘルマン・プライとの交友は、エーファ夫人曰く「互いに共鳴しあっていた」。うまが合っていたのだろう。プライによれば、ヴンダーリヒはプライに音楽上のヒントを与え、プライは逆に演技上の助言をしたとのこと。
歌曲のピアニストとしてロルフ・ラインハルトを抜擢して1963年3月にミュンヒェンで催したリサイタルでは、「歌い方がオペラのアリアみたいで、プログラムも単調」との酷評が出て、ヴンダーリヒを悩ませる。その時にプライの助言に従ってフーベルト・ギーゼンの門を叩き、彼との共演が始まった。ギーゼンといくつかの名盤を残して結果的には彼のリート歌手としての成功のきっかけとなったのだろう。F=ディースカウはギーゼンについて辛口のコメントをしているが、テクニックを超えた歌手との相性という意味ではヴンダーリヒとギーゼンは理想的なコンビだったのではないだろうか。
また、彼は成功の裏で心の均衡を自然に求め、自分自身だけの時間を大切にしたそうで、成功した人にしか分からないプレッシャーの大きさがあったのであろう。故郷クーゼルの友人たちとも連絡を取り続け、彼らに支えられてきたと夫人も語っている(友人たちと一緒の映像もある)。
1966年ニューヨークのメトロポリタン歌劇場からのオファーを受け、気乗りのしないままサインすると、出発する前にエディンバラでギーゼンとリサイタルを開き、さらにシュヴァーベンに狩りに出かける。その翌日に出かけた知り合いの館の階段から足をすべらせてそれが原因で35年の生涯を閉じる。この時のことを語る友人ペーター・カーガー氏が涙に声を詰まらせるのに対して、エーファ夫人は事態を受け止めようとしたと冷静に語っているのが好対照だった。
クリスタ・ルートヴィヒやブリギッテ・ファスベンダー、アンネリーゼ・ローテンベルガーといった往年の名歌手がインタビューに応じて、久しぶりに姿を現しているのもとても興味深かったし、現役のトマス・ハンプソンやロランド・ビリャソンがヴンダーリヒを絶賛しているのも今なお彼の名唱が生き続けているのを実感させられた。
さらに特典として、ペルゴレージの歌劇「音楽の先生」、モーツァルトの歌劇「魔笛」、R.シュトラウスの歌曲「舟歌」Op. 17-6、エックの歌劇「サン・ドミンゴの婚約」、チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」の映像で彼の名唱を目にすることが出来る。
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コメント
私もヴンダーリヒ大好きです!
「詩人の恋」「水車屋」「タミーノ」どれも良いですね。「マラソン・マン」の冒頭にも流れるし。。
ナチスの台頭と共に父親は追いつめられ、最終的には自ら命を絶つ。
**
これは知りませんでした。このDVDほしいです!!
投稿: Auty | 2007年9月19日 (水曜日) 08時38分
Autyさん、コメント有難うございます。
ヴンダーリヒの歌は本当に聴き惚れてしまいますね。
これほど美声のドイツテノールはなかなかいないのではないでしょうか。
そんな彼も辛い幼児体験を経ているのですね(私もこのDVDで知りました)。
「マラソン・マン」には「水車屋」の「知りたがり屋」が使われているそうなので、今度レンタル店で探してみます。
投稿: フランツ | 2007年9月20日 (木曜日) 01時51分
「歌曲」を検索していたところ貴ページに出会いました。すばらしい文章の数々ですね。私も自分のページで「うた」をとりあげることが多いのですが、足元にも及ばない気がします。これからも拝見させていただければと思います。よろしくお願いいたします。
投稿: 竹 | 2007年9月21日 (金曜日) 21時00分
竹さん、はじめまして。ご訪問とコメントを有難うございます。過分なお褒めの言葉、恐縮です。
私も竹さんのブログを早速拝見させていただきましたが、竹さんの文章も充分素敵ですよ。特にF=ディースカウの神奈川県民ホールのリサイタルについては私も出かけたので懐かしい思いがします。今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: フランツ | 2007年9月21日 (金曜日) 23時11分
知られざる逸話、といえば、カウンター・テナーの米良美一さんも本を出していて、その自伝を語っています。アマゾンで注文しました。ヨッヘン・コワルスキも何か病気だということを読みましたが、米良さんもそうだったようです。12月にクリスマスコンサート行きます♪
投稿: Auty | 2007年9月24日 (月曜日) 23時02分
拙ブログリンクありがとうございます。
最近放置しているので、ゲーテの「ドイツリート研究会」授業ももうすぐ始まるし、何かアップデートしなきゃ(汗)(汗)。
投稿: Auty | 2007年9月24日 (月曜日) 23時04分
コワルスキも米良さんも病気だったのですか。知りませんでした。コワルスキは随分前に一度だけ「詩人の恋」などのリートのリサイタルを聴いたことがあります。カウンターテノールの人も古楽ばかりでなく歌曲に目を向ける人が増えてきたようですね。米良さんのクリスマスコンサート、楽しんできてください。
Autyさんのブログの更新についてはマイペースでご無理のないようにしてください。
投稿: フランツ | 2007年9月25日 (火曜日) 03時11分