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スティッチ=ランドル(シュティッヒ=ランダル)逝去

またもや往年の名花が天に召された。
アメリカのソプラノ歌手テリーサ・スティッチ=ランドル(テレーザ・シュティッヒ=ランダル)が、79歳で亡くなったそうだ(Teresa Stich-Randall: 1927.12.24. West Hartford, Connecticut — 2007.7.17. Wien)。

私が彼女の歌う歌曲にはじめて接したのは"World Singers"という6人の歌手とジェラルド・ムーアによるBBCの歌曲リサイタルのDVDだったが、チャーミングな容姿(歌う時の笑くぼが印象的)と、人肌の感じられる温かい美声、それに端正な表現力はなかなか魅力的であった。
彼女がこのDVDで披露していたのは以下の7曲。

1)見抜く目/ハイドン
2)クローエに/モーツァルト
3)夜と夢/シューベルト
4)春だ/シューマン
5)月の光/フォレ
6)グリーン/ドビュッシー
7)Hi Ho, the Preacher Man/ケンタッキー民謡

ドイツ、フランスの名歌がずらりと並んでいるが、とりわけ最後のケンタッキー地方の民謡は力強さと郷愁の織り交ざった素敵な曲で、それを歌うスティッチ=ランドルが心から楽しんで歌っていたのが素晴らしかった。
ご冥福をお祈りいたします。

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メンデルスゾーン「歌の翼にのって」(詩:ハイネ)

ハイネ歌曲の番外編として、メンデルスゾーンの最も有名な歌曲「歌の翼にのって」を訳してみた。“ガンジス川”や“ハスの花”のようなハイネの詩でお馴染みの言葉も出てくるのが興味深い。なお、岩波文庫の井上正蔵氏の解説によると、ハイネのいくつかの詩に見られる“ガンジス川”は、ボン大学在学中にA.W.シュレーゲルの講義に触発されたインド研究の影響らしい。原詩はハイネの詩集「歌の本(Buch der Lieder)」の「抒情挿曲」(「詩人の恋」の詩もある)に含まれている。メンデルスゾーンによる歌曲は1836年に出版された「6つの歌曲(6 Lieder)」Op. 34の2曲目で、8分の6拍子、変イ長調。A-A-A’の変形有節形式である(Aは原詩の2節分、A’は1節分)。冒頭の表示はAndante tranquilloである。歌声部の最高音は2点ヘ音、最低音は1点変ホ音で約1オクターブなので音域はそれほど広くない。メロディーは言うまでもなくきわめて甘く美しいもので、一度聴けば印象に残るほどである。歌曲としてよりも楽器用の編曲作品として知られているかもしれない。
私がこの曲をはじめて聴いたのはシュライアーとオルベルツによる録音だった。シュライアーの歌は、この曲の甘さを良い意味で程よく中和して、単なるBGMに陥らない格調高い清潔なもので本当に素晴らしかった。ピアノパートは分散和音に徹しているが、歌と絶妙なハーモニーを築き、特に間奏部分はメンデルスゾーンの才気を感じさせる。

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Auf Flügeln des Gesanges, Op. 34-2
 歌の翼にのって

Auf Flügeln des Gesanges,
Herzliebchen, trag ich dich fort,
Fort nach den Fluren des Ganges,
Dort weiß ich den schönsten Ort;
 歌の翼にのって、
 いとしい人、きみを連れて行こう、
 ガンジス川ほとりの野まで、
 そこはとても美しいところなんだ。

Dort liegt ein rotblühender Garten
Im stillen Mondenschein,
Die Lotosblumen erwarten
Ihr trautes Schwesterlein.
 そこには赤く花咲きほこった庭があるんだ、
 静かな月あかりの中で。
 ハスの花は
 親しい妹を待ちわびているよ。

Die Veilchen kichern und kosen,
Und schaun nach den Sternen empor,
Heimlich erzählen die Rosen
Sich duftende Märchen ins Ohr.
 スミレはくすくす笑ってじゃれ合い、
 星を見上げている。
 ひそかにバラは
 匂い立つメルヒェンをささやき合う。

Es hüpfen herbei und lauschen
Die frommen, klugen Gazelln,
Und in der Ferne rauschen
Des heil'gen Stromes Well'n.
 こちらに跳ねてきて、耳を澄ますのは、
 おとなしく賢いカモシカだ、
 遠くでは、
 聖なる川の波がざわめいている。

Dort wollen wir niedersinken
Unter dem Palmenbaum,
Und Lieb' und Ruhe trinken,
Und träumen seligen Traum.
 あそこで横になろうよ、
 シュロの木の下で、
 そして愛ややすらぎを飲み込んで、
 幸せな夢を見よう。

詩:Heinrich Heine (1797.12.13, Düsseldorf - 1856.2.17, Paris)
曲:Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy (1809.2.3, Hamburg - 1847.11.4, Leipzig)

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レジーヌ・クレスパン/フランス歌曲集

クレスパン/「夏の夜」ほか
Crespin_berliozDECCA: 460 973-2
録音:1963年9月、Victoria Hall, Genève(ベルリオーズ;ラヴェル)、
1967年5月、Kingsway Hall, London(ドビュッシー;プランク)

レジーヌ・クレスパン(Régine Crespin)(S)
スイス・ロマンド管弦楽団(L'Orchestre de la Suisse Romande)(ベルリオーズ;ラヴェル)
エルネスト・アンセルメ(Ernest Ansermet)(C)(ベルリオーズ;ラヴェル)
ジョン・ワストマン(John Wustman)(P)(ドビュッシー;プランク)

ベルリオーズ/歌曲集「夏の夜」
ラヴェル/歌曲集「シェエラザード」
ドビュッシー/歌曲集「3つのビリティスの歌」
プランク/オルクニーズの歌;ホテル;赤ちゃん水差し;ハートのクィーン;祭りに繰り出す若者たち;C;艶なる宴

先日亡くなった名ソプラノのレジーヌ・クレスパン(1927.2.23, Marseilles - 2007.7.5, Paris)はシューマンの「リーダークライス」Op. 39やシューベルトなどのドイツ歌曲もレパートリーにしていたようだが、今回彼女を偲んでフランス歌曲ばかりを集めたCDを聴いた。彼女はヴァーグナーを得意にしていたということからも分かる通り、よく通る豊かな声量を持っていたようだ。ただ、いわゆるヴァーグナー歌手達に共通する野太い重量感をあまり感じさせないのは、そのリリカルな声質によるところが大きいのだろう。強声よりもむしろ弱声で繊細に表現するところに彼女の美質が感じられ、歌曲との相性の良さを実感させられた。

ベルリオーズの6曲からなる歌曲集「夏の夜」は彼の歌曲中最も著名なもので、様々な歌手たちのレパートリーに加えられて聴く機会の多い作品である。1841年にゴティエの詩によってピアノ歌曲として作曲され、後にオーケストラに編曲されたが、現在はほとんどオケ歌曲として知られている。春に森で恋人と愛を語る「ヴィラネル」ではじまり、前日の舞踏会で乙女の胸を飾り、その胸の上で死を迎えたバラの精の歌「バラの精」、別れた恋人との隔たりの大きさを嘆く「君なくて」、死んだ彼女を思いながら海に出なければならない漁師の嘆きの歌「入江のほとり」(フォレの「漁師の歌」と同じテキスト)、恋人の墓の前で鳩の歌を聞きながら幻を見た詩人はもう二度とここには来ないと歌う「墓地で」、そして、恋人を船旅に誘う男と、愛の国に行きたいと伝える恋人との会話を歌った「未知の島」で締めくくられる。暗く重い内容の第2~第5曲を、明るく軽快な第1、6曲が包み込むという構成のこの歌曲集は、曲調が様々で1人の歌手による歌唱を必ずしも想定していないにもかかわらず、ここでのクレスパンのように1人の歌手で通して演奏されることが多い。クレスパンの爽やかな声に第1、6曲が適しているのは予想通りだが、「君なくて」の「帰ってきておくれ(Reviens)」の思いのこもった訴えかけなども絶妙な表現だった。

ラヴェルの「シェエラザード」はトリスタン・クランゾール(レオン・ルクレールの筆名)の詩による3曲からなる歌曲集で、こちらももともとピアノ歌曲として作曲され、後にオケに編曲された。千一夜物語で非情な王に毎晩各地の物語を聞かせるシェエラザードの話に惹かれた詩人が、東洋への憧れを歌った第1曲「アジア」は長めの詩で、曲は10分前後かかる。「アジアよ(Asie)」と繰り返し呼びかける箇所や、「私は見てみたい、恋や憎しみに死ぬ姿を」の盛り上がりなど、クレスパンの豊かでつやつやした美声がさわやかに表現していた。2曲目「魅惑の笛」はご主人様を寝かしつけた召使の女性が、恋人の吹く笛の音を聞いて、頬にその音が口づけのように飛んでくると歌う。魅力的な笛のメロディと歌が美しく妖しく対話する。クレスパンの強弱の幅の広さが感情の機微を素敵に表現している。3曲目「つれない人」は異国の若者の魅力的な容姿と歌に女性が惹かれ、家に招き入れようとするが、つれなく女性のように腰をふりながら去っていくと歌う。ゆったりとした薄い響きからけだるく白昼夢のような情景が浮かんでくる。クレスパンの表現は若干ストレートに過ぎるかもしれないが、見事な語り口であることは確かである。アンセルメ率いるスイス・ロマンド管の堅実だが異国情緒たっぷりの響きも魅力的だった。

ドビュッシーの「3つのビリティスの歌」(パンの笛;髪;ナイヤードの墓)は名作である。私も大好きな作品だが、本当に満足できる演奏にはなかなか出会えない。これまでもミッシェル・コマン、ロス・アンヘレス、ナタリー・ストュッツマン、ジャネット・ベイカー、アーメリングなどで聴いてきたが、どれも丁寧に作品を再現してはいるのだが、これらの作品のミステリアスな表現という点でもう少し欲しい気がするのである。クレスパンはなかなか雰囲気のある演奏をしていたが、やはり若干健康的に過ぎる感じも否めない。この曲集に対する私の理想が高すぎるだけなのかもしれない。だが、ドビュッシーの描き出した音楽は本来官能的な響きに満ち溢れているはずで、これを声で表現し尽くすことは歌手の課題であるように思うのである。

プランクの最初の2曲はアポリネールの詩による歌曲集「月並み」の第1、2曲目である。架空の町オルクニーズでの番人と出入りする者たちとのやりとりを歌った「オルクニーズの歌」は、町を出る物乞いが「心」を町に置いていき、町に入る荷車引きが結婚したいという「心」を町に持ち込むので、オルクニーズが「心」だらけになると歌われる。古風な装飾音が印象的な曲で、明瞭なクレスパンの語り口はある意味ナンセンスな詩にはきはきした生命力を付与していた。一方「ホテル」はホテルの一室に差し込む太陽の光で煙草に火をつけ一服したいと歌われる。アンニュイなクレスパンの歌がいかにも働きたくない者の倦怠感を絶妙な息遣いで表現している。
カレームの詩による歌曲集「くじ引き」からは「赤ちゃん水差し」「ハートのクィーン」が歌われる。キリンの奥さんには赤ちゃんキリンがいるのに何故私にはいないのかしらと嘆く水差しの声を魔法使いが聞き、願いを叶えるという「赤ちゃん水差し」は、その可愛らしく、コミカルな曲調にクレスパンのリリカルな声質が見事にマッチする。「ハートのクィーン」は月夜の窓辺でものうく肘をついてハートのクィーンが君を誘っているので、霧氷につつまれた女王の城についていきなさいと歌われる。ここではクレスパンの繊細で抑えた高音に惹き込まれる。
フォンブールの詩による歌曲集「村人の歌」の第2曲「祭りに繰り出す若者たち」は、帽子に花を挿した若者たちが祭りに繰り出し、踊り、飲み、けんかし、アヴァンチュールを楽しみ、溝で眠りこけて翌朝を迎えるという内容。たとえばスゼーならば早めのスピードで最後まで貫くが、ここでクレスパンは酔っ払って眠りにつく後半で徐々にテンポを落とし、詩の内容を忠実に反映させようとする。単に勢いにまかせないその姿勢には新鮮な感動を覚えた。
最後に「ルイ・アラゴンの2つの詩」(C;艶なる宴)が歌われる。ピエール・ベルナックの解説によれば、これら2曲は「1940年6月の悲劇的日々[ナチスによるフランス侵略]と、「見すてられたフランス」の混乱のさなかで、侵略軍を逃れてのフランス市民の避難の様を思い出させる」とのことである。「C(セー)」は、まさにベルナックの言う「悲劇的」な日々に避難するために渡ったCの橋を歌っているのだろう。橋のアーチを思わせる前奏の単音によるフレーズで始まり、「セー」の韻を踏んだ詩行が繰り返される。重く深刻な曲からクレスパンは真実味のある感動的な歌を聴かせてくれた。一方の「艶なる宴」は「~が見える」と早口言葉でまくしたてる詩行に一見意味はなさそうに思えるのだが、「橋の下を溺死人たちが流れてゆくのが見える」というような詩行にベルナックの解釈の妥当性を見ることが出来るだろう。最後に「人生が駆け足で走ってゆくのも(見える)」と締めるのがいかにもという感じである。プランクによる楽しげな曲調は究極の皮肉表現なのかもしれない。クレスパンはネイティヴの強みを生かして、早口言葉を明瞭に余裕をもって聞かせている。ピアノのワストマンがクレスパンの意図を汲み取り、決して易しくないであろうプランクのピアノパートで聞かせどころは前面で主張しつつ、ぴったりと一体感を保っているのが素晴らしかった。

パヴァロッティ、ニルソン、シュヴァルツコプフなど大物との共演の多いジョン・ワストマン(1930年生まれ)は、アメリカ、ミシガン州出身の歌曲ピアニスト。かなりルバートも使用しつつ決して重くならないのは巧みな手綱さばきによるのだろう。豊かな音楽性とバランス感覚が両立したピアニストであることが感じられた。

(ベルリオーズは高崎保男氏の対訳を、ラヴェルは窪田般彌氏の対訳を、プランクについてはEMIのプーランク歌曲全集の対訳や解説を参照させていただきました。)

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レジーヌ・クレスパン逝去

フランス往年の名歌手レジーヌ・クレスパン(Régine Crespin)が80歳で亡くなったそうだ(1927.2.23, Marseilles - 2007.7.5, Paris)。一般にはオペラ歌手として知られた人だが、歌曲も歌い、録音が残されている。週末にでもCDを引っ張り出してきて聴いてみようと思う。合掌。

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シューマン「悲劇」(詩:ハイネ)

昨年のシューマン&ハイネのダブルアニバーサリーに因んだ歌曲シリーズもようやく最後までこぎつけた。今回は3曲の連作になっている「悲劇」Op. 64-3である(「ロマンツェとバラーデ、第四集(Romanzen und Balladen Heft 4)」に含まれる)。シューマンの「歌の年」の翌年1841年の作曲とされている。最初の2曲は独唱曲、最後の曲はソプラノとテノールのための二重唱曲になっている為、独唱者の録音でも、最初の2曲のみをとりあげる人、3曲目を二重唱もしくは多重録音で録音する人に分かれる。なお、シューマンの楽譜では、第1曲と第2曲の最後に終止線がなく、単なる2重線なので、3曲が連続して演奏されることを望んでいたことは明白である。

第1曲:急速に、燃焼して(Rasch und mit Feuer)。4分の4拍子。ホ長調。全36小節。
音域は1点ホ音から2点イ音まで約1オクターブ半。
男が恋人に駆け落ちしようと誘うという内容で、シンコペーションのピアノに乗って切迫した調子で歌われる。第2節で調子が変わり、その後再度第1節が若干の変化をつけて繰り返される。ピアノパートは装飾音や付点音符、アゴーギクの変化など、ところどころにシューマネスクな香りを漂わせている。

第2曲:ゆっくりと(Langsam)。8分の6拍子。ホ短調。全29小節。
音域は1点ホ音から2点ハ音までの短6度という狭さである。
駆け落ちした男女の悲惨な顛末が第三者によって淡々と語られる。曲は切り詰めた音で深刻にぽつぽつ途切れながら歌われる。F=ディースカウはピアノパートにホルンの響きを感じているようだ(『シューマンの歌曲をたどって』:白水社:1997年)。

第3曲:ゆっくりと(Langsam)。4分の4拍子。ハ長調。全27小節。
音域は、ソプラノ声部が1点ニ音から2点ニ音までのちょうど1オクターブ、テノール声部が1点ハ音から2点イ音までの2オクターブ弱で、テノールの音域がソプラノの倍近い広さを求められている。
彼女の墓の上でおしゃべりを楽しんでいたカップルが理由も分からず涙するという内容。F=ディースカウの著書によると、もともとは合唱曲として意図されていたものが二重唱曲に変更され、テノール声部はピアノパートと一致しているので、二重唱曲にする必要はなかったのではと疑問を呈している。

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Tragödie, Op. 64-3
 悲劇

Entflieh mit mir und sei mein Weib,
Und ruh an meinem Herzen aus;
In weiter Ferne sei mein Herz
Dein Vaterland und Vaterhaus.
 ぼくと一緒に逃げて、ぼくの妻になっておくれ、
 そしてぼくの胸で休むがいい。
 はるか彼方でもぼくの心が
 きみの祖国や生家でありたい。

Entfliehn wir nicht, so sterb' ich hier
Und du bist einsam und allein;
Und bleibst du auch im Vaterhaus,
Wirst doch wie in der Fremde sein.
 逃げなければ、ぼくはここで死に、
 きみは孤独で一人ぼっちになってしまう。
 そしてきみが生家にとどまっていても
 異国にいるような気分になるだろう。

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Es fiel ein Reif in der Frühlingsnacht,   
Es fiel auf die zarten Blaublümelein:
Sie sind verwelket, verdorret.
 春の夜に霜が降り、
 やわらかい青い花々に霜が降りた。
 花々はしおれ、枯れてしまった。 

Ein Jüngling hatte ein Mädchen lieb;   
Sie flohen heimlich vom Hause fort,
Es wußt' weder Vater noch Mutter.
 若者がある娘を好きになった。
 彼らはひそかに家から逃げ、
 そのことを父も母も知らなかった。

Sie sind gewandert hin und her,
Sie haben gehabt weder Glück noch Stern,
Sie sind gestorben, verdorben.
 彼らはあちこちさまよったが、
 幸せも運もなく、
 彼らは死に絶えた。

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Auf ihrem Grab da steht eine Linde,
Drin pfeifen die Vögel im Abendwinde,
Und drunter sitzt auf dem grünen Platz,
Der Müllersknecht mit seinem Schatz.
 彼女の墓の上に一本の菩提樹が生えている。
 夕べの風の中、鳥たちはそこでさえずっている。
 下方の緑の広場に腰を下ろしているのは
 恋人と一緒の粉屋の下男だ。

Die Winde wehen so lind und so schaurig,
Die Vögel singen so süß und so traurig:
Die schwatzenden Buhlen, sie werden stumm,
Sie weinen und wissen selbst nicht warum.
 風がかくも優しく、不気味に吹いている。
 鳥はかくも甘美に、悲しげに歌っている。
 おしゃべりしている恋人たち、彼らは口を閉ざし、
 涙を流す、何故なのかさえ分からぬままに。

詩:Heinrich Heine (1797.12.13, Düsseldorf - 1856.2.17, Paris)
曲:Robert Alexander Schumann (1810.6.8, Zwickau - 1856.7.29, Endenich)

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アーメリングのシューベルト歌曲集(ムーアほか共演:1972年)

「シューベルト三重唱曲&四重唱曲集」

Ameling_moore_schubert_dgCD:ポリドール:Deutsche Grammophon:POCG-9022/9029
録音:1972年4月 Ufa Studio, Berlin, Germany

エリー・アーメリング(Elly Ameling)(S)
ジャネット・ベイカー(Janet Baker)(A:四重唱曲のみ)
ペーター・シュライアー(Peter Schreier)(T)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau)(BR)
ジェラルド・ムーア(Gerald Moore)(P)

シューベルト(Schubert)作曲

三重唱曲
1)結婚式の焼肉(Der Hochzeitbraten)D930(ショーバー詩)(10'35)
2)歌手ヨーハン・ミヒャエル・フォーグルの誕生日のためのカンタータ(Kantate zum Geburtstag des Sängers Johann Michael Vogl)D666(シュタードラー詩)(10'30)

四重唱曲
1)ダンス(Der Tanz)D826(メーラウ詩)(0'52)
2)誕生日讃歌(Geburtstagshymne)D763(詩人不明)(4'55)
3)無限なる者に寄せる讃歌(Hymne an den Unendlichen)D232(シラー詩)(3'19)
4)太陽に寄せて(An die Sonne)D439(ウーツ詩)(6'26)
5)埋葬の歌(Begräbnislied)D168(クロップシュトク詩)(3'16)
6)雷の中なる神(Gott im Ungewitter)D985(ウーツ詩)(5'19)
7)世界の創造者たる神(Gott der Weltschöpfer)D986(ウーツ詩)(2'22)
8)生きる喜び(Lebenslust)D609(詩人不明)(1'18)
9)祈り(Gebet)D815(フケー詩)(10'33)

(曲名の日本語表記はCD解説書の表記に従いました。)

アーメリングのおそらく唯一のドイチェ・グラモフォンへの録音は、F=ディースカウ&ムーアのシューベルト歌曲全集を補完するための重唱曲集である。ここでアーメリングが共演している3人の歌手たちのうち、ベイカーとはベートーヴェンのミサ曲やバッハのカンタータで、シュライアーとはメンデルスゾーンの「エリア」ですでに共演済みで、F=ディースカウとは初共演だったが、この録音の数年後バッハの「クリスマス・オラトリオ」で再度共演することになる。しかし、ムーアとの共演はおそらくこの録音が唯一だろう。三重唱曲についてはアーメリングが参加している上述の2曲以外にも、彼女の代わりにホルスト・R.ラウベンタール(T)が加わった5曲(D37, 277, 407, 88, 148)が同時に収録されている。

三重唱曲の2曲はいずれも10分を越す長大な作品だが、「結婚式の焼肉」はオペラの一場面を見ているようにコミカルなやりとりが繰り広げられて、楽しい。翌日に結婚式をひかえた若いカップルが式の料理のために禁猟区でひそかに兎狩りをしているが、それを見つけた猟師カスパルが牢獄へ送り込むと脅す。そこを宥めすかして、最終的にはカスパルを式に招待し、焼肉も彼が用意してくれることになるという内容である。アーメリングとシュライアーが若いカップルを生き生きした声で表現して魅力的だが、特にアーメリング演ずるテレーゼが兎を追う時に発する言葉"Gsch! gsch! prr, prr."が楽しい。
「歌手ヨーハン…」は、シューベルトの友人で、彼の歌曲を世に広めるのに尽力したテノール歌手フォーグルの誕生日を讃えた内容で、同じ節が何度も繰り返し歌われるため、10分以上もかかる。第2節はアーメリングのソロとなり、同じテキストが何度も繰り返されるので、数分間彼女とムーアのみのアンサンブルを聴くことが出来る。また、第4節は繰り返しはないが、再びアーメリングのソロとなる。この曲はほとんどソプラノとテノールのソロパートで占められ、バリトンの出番はほんのわずかに限られるが、F=ディースカウの存在感はさすがである。アーメリング、シュライアーともに真摯な表現でフォーグル讃歌を表現していた。

四重唱曲はアルトのジャネット・ベイカーが加わり、シューベルトを得意とする5人の演奏家たちの緊密で素晴らしいアンサンブルを楽しむことが出来る。軽快な「ダンス」はとても短いが、シューベルトの最も魅力的な重唱曲の一つに数えられるだろう。若者はダンスを楽しむが、首や胸が痛くなると楽しさが消えると歌われる。作詞者不詳の「誕生日讃歌」や、太陽に語りかける「太陽に寄せて」などを除くと全能なる神への呼びかけや讃歌が多く、テキストの内容も難解で若干重く厳粛な感があるが、この種の詩を重唱曲として作曲することにより、家族や友人たちの集いの場で神への信仰心に気軽に親しむことが出来たのかもしれない。

アーメリングは著名な同僚たちの前で若干声の硬さを感じる箇所があるものの、総じて動じずに堂々とした歌唱を披露している。彼女の声の若さと軽快さは、「結婚式の焼肉」や「ダンス」「生きる喜び」のような曲に特に適しているように感じられるが、一方、バッハなどで鍛えられたであろうスタイリッシュで真摯な表現は「無限なる者に寄せる讃歌」「祈り」などで生かされていた。

ジャネット・ベイカーは丁寧で温かい声でアンサンブルを支え、シュライアーはメロディーラインを格調高く歌い、F=ディースカウはアンサンブルの土台を特有の存在感で響かせていた。

ジェラルド・ムーアはレコーディング・キャリアのほとんど最後のものに数えられるこの録音で、複数の歌手たちを相手にしても全くズレのない一体感で音楽を作り上げるその技量を披露し、ただ脱帽するのみだ。強弱、フレージングから音の長短まで、あたかも歌手自身が弾いているかのように驚くほど一心同体の演奏を実現していた。

Ameling_moore_schubert_terzette_3 Ameling_moore_schubert_quartette_5 ←オリジナルLPジャケット

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