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シューマン「ベルシャザル」(詩:ハイネ)

ベルシャザルについては旧約聖書の「ダニエル書」第5章に記載がある。それによると、ネブカデネザルの息子であるベルシャザルはカルデアびとの王だったが、宴会を催している最中に、突然人の手があらわれて何か文字を書いて消えた。読める者が見つからない中、父ネブカデネザルの信頼の篤かったダニエルが呼ばれ、解読する。書かれているのは「メネ、メネ、テケル、ウパルシン」で、神があなたの治世を終わらせ、あなたの量をはかりで量ったところ足りないことがあらわれ、あなたの国は分かたれ、メデアとペルシャの人に与えられると解読される。ベルシャザルはその夜のうちに殺された。

なお、ベルシャザルがバビロニアの王である点、ベルシャザルがネブカデネザルの息子である点は史実ではなく、旧約聖書のエピソード自体も事実とは異なるようだ。

シューマンが“歌の年”1840年にハイネの詩に作曲した「ベルシャザル」は、作品番号57として単独で出版された。

シューマンの曲は、4分の4拍子、ト短調、全99小節で、冒頭に「最初は速すぎず、徐々に速めて(Im Anfange nicht zu schnell, nach und nach rascher)」という指示がある。歌声部は最高音が2点ト音、最低音が1点ハ音なので、約1オクターブ半の音域ということになる。

うねるようなピアノの分散和音にのって、全体に暗鬱な歌が通作形式で展開するが、歌声部の基本的なテーマは最後まで維持される。王が神を罵るくだりはシューマンの音楽にもその不遜さが響き、「我こそはバビロンの王なるぞ!」で頂点に達する。白い手があらわれ文字を書くあたりでそれまでの推進力から一転して、緊張感をはらんだ語りの要素が強まる。詩の展開に応じて歌、ピアノともに機敏に反応していき、シューマンの音楽がいかに詩に従ったものであるかが感じられる。

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Belsatzar, Op. 57
 ベルシャザル

Die Mitternacht zog näher schon;
In stummer Ruh' lag Babylon.
 すでに真夜中が迫っていた。
 バビロンは音もなく安らぎの中にあった。

Nur oben in des Königs Schloß,
Da flackert's, da lärmt des Königs Troß.
 ただ上方の王の城内だけは
 光がちらつき、王のお付きたちが大騒ぎしている。

Dort oben, in dem Königsaal,
Belsatzar hielt sein Königsmahl.
 あの上方で、王の広間で
 ベルシャザル王は宴を催していた。

Die Knechte saßen in schimmernden Reihn,
Und leerten die Becher mit funkelndem Wein.
 家来たちはきらびやかな列をなして座っており、
 きらめくワインの杯を飲み干した。

Es klirrten die Becher, es jauchzten die Knecht;
So klang es dem störrigen Könige recht.
 杯を重ねる音が鳴り、家来たちは喝采をあげた。
 独りよがりの王にもふさわしい響きだった。

Des Königs Wangen leuchten Glut;
Im Wein erwuchs ihm kecker Mut.
 王の頬がほてり輝いた。
 ワインで彼は気が大きくなってきた。

Und blindlings reißt der Mut ihn fort;
Und er lästert die Gottheit mit sündigem Wort.
 そして理性を失い王の心を大胆さが占め、
 彼は罪な言葉で神を冒涜する。

Und er brüstet sich frech und lästert wild;
Die Knechteschar ihm Beifall brüllt.
 彼は大胆に自慢して、野蛮に罵り、
 家来の一群は王に拍手喝采を浴びせる。

Der König rief mit stolzem Blick;
Der Diener eilt und kehrt zurück.
 王は誇りに満ちた眼差しで叫んだ。
 従僕は急ぎ去り、また戻ってくる。

Er trug viel gülden Gerät auf dem Haupt;
Das war aus dem Tempel Jehovas geraubt.
 王は頭上に多くの金の道具を付けた。
 それはエホバの寺院から盗んできたものだった。

Und der König ergriff mit frevler Hand
Einen heiligen Becher, gefüllt bis am Rand.
 それから王は邪悪な手で
 なみなみと注がれた聖なる杯をつかんだ。

Und er leert ihn hastig bis auf den Grund,
Und rufet laut mit schäumendem Mund:
 彼は急いで飲み干すと
 泡だらけの口で大声で叫んだ。

Jehova! dir künd' ich auf ewig Hohn -
Ich bin der König von Babylon!
 エホバよ!わしは永遠に御身に侮辱の言葉を投げかけよう、
 我こそはバビロンの王なるぞ!

Doch kaum das grause Wort verklang,
Dem König ward's heimlich im Busen bang.
 ところが恐ろしい言葉が響き止むやいなや
 王の胸はひそかに不安になった。

Das gellende Lachen verstummte zumal;
Es wurde leichenstill im Saal.
 耳をつんざくような笑い声は同時に押し黙り、
 広間は死んだような静寂となった。

Und sieh! und sieh! an weißer Wand,
Da kam's hervor wie Menschenhand;
 ほら見よ!見よ!白い壁に
 人の手のようなものが出てきたぞ。

Und schrieb und schrieb an weißer Wand
Buchstaben von Feuer, und schrieb und schwand.
 白い壁に書き続けているのは
 火の文字だ、さらに書き続け、消え去った。

Der König stieren Blicks da saß,
Mit schlotternden Knien und totenblaß.
 王はじっと見つめながら
 膝を震わせ死人のように蒼ざめて座っていた。

Die Knechteschar saß kalt durchgraut,
Und saß gar still, gab keinen Laut.
 家来の一群は恐怖に寒々として、
 全く静かに座っており、物音一つ立てなかった。

Die Magier kamen, doch keiner verstand
Zu deuten die Flammenschrift an der Wand.
 呪術師たちがやってきたが、誰一人
 壁に書かれた炎の文字の意味が分からなかった。

Belsatzar ward aber in selbiger Nacht
Von seinen Knechten umgebracht.
 だがベルシャザルはその夜のうちに
 家来たちに殺されてしまった。

詩:Heinrich Heine (1797.12.13, Düsseldorf - 1856.2.17, Paris)
曲:Robert Alexander Schumann (1810.6.8, Zwickau - 1856.7.29, Endenich)

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スゼーの歌うシベリウス

Gérard Souzay
Souzay_sibelius_inaINA: IMV071
ジェラール・スゼー(BR)
ドルトン・ボールドウィン(P:シベリウス、キルピネン)
ジャクリーヌ・ボノー(P:ヴォルフ)
スペイン国立管弦楽団;アタウルフォ・アルヘンタ(C:ドルムスゴー、ラヴェル)
アンドレ・ジラール室内管弦楽団;アンドレ・ジラール(C:ジョリヴェ)
ポール・ボノー管弦楽団;ポール・ボノー(C:ジョベール、カルヴィ、ウォレン)

シベリウス/花の運命Op. 88-6(独訳);二つの薔薇Op. 88-2(独訳);日の出Op. 37-3(仏訳);葦よそよげOp. 36-4;少女が野原で歌っているOp. 50-3(独語);静かな町Op. 50-5(独語);薔薇の歌Op. 50-6(独語);来たれ 死よ!Op. 60-1(独訳);はじめての口づけOp. 37-1
キルピネン/歌に寄せて;Den fjelden zu;古い教会;Fjeldlied
ヴォルフ/明け方に;主よ、この地には何が生えているのでしょうか;誰があなたのあんよを痛めたの
ドルムスゴー/「4つの古いスペインの歌」
ラヴェル/「ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ」
ジョリヴェ/「親密な詩」
ジョベール/Ah,la corde,la corde..., Op.33a-1;La belle mariée, Op.33-2
カルヴィ/Caravelle
ハリー・ウォレン/Vous le savez comme moi

フランスの名バリトン歌手ジェラール・スゼー(1918-2004)は言うまでも無く、フォレ、デュパルク、ドビュッシー、ラヴェル、プランクなどフランス歌曲の分野で並ぶ者のない功績を残した人だが、彼のレパートリーは祖国の歌に留まらず世界中にまたがっていることは比較的知られているだろう。シューベルト、シューマンなどのドイツ歌曲からファリャなどのスペイン歌曲、チャイコフスキーなどのロシア歌曲、さらには中田喜直まで歌っているが、グリーグなどの北欧歌曲も録音している。シベリウスは正規のスタジオ録音では1979年2月20日パリ録音の「夢なのか」Op. 37-4、ただ1曲が残されているのみなので、今回のCDリリースは歓迎すべきものである。このフランスINAレーベルから最近リリースされた初出音源ではシベリウスが9曲も歌われており、しかも選曲が通りいっぺんの有名曲ではないところがスゼーのこだわりを感じさせ興味深い。どちらかというと典型的な北欧歌曲というよりも、北欧の味わいが薄めの作品をあえて選んでいるかのようだ。シベリウスの演奏は1956年10月9日ヘルシンキでの録音というからスゼー37歳という若さである。ビロードにたとえられる声はまさにそのみずみずしさを堪能できるが、表現が美声に寄りかからないところがこの歌手の姿勢を物語っている。どの曲も声の色に感情がしっかり反映されていて、まるで熟練したベテランが歌っているような味わいの深さである。シベリウス歌曲の繊細さと劇性の同居した性格を描くのにスゼーの表現はどこをとってもまさに完璧で、時に凄みすら感じさせ、この意外な相性の良さには驚かされた。相棒のドルトン・ボールドウィン(1931-)は当時25歳。シベリウスの色合いを音で描き出す術をすでに身につけている彼もすごい才能である。そしてスゼーとの音楽作りにズレが皆無なのは言うまでも無い。

1.「花の運命」:花をテーマにした6曲からなるOp. 88の最後に置かれた曲。印象的なピアノの響きにのって、ゆったりとした曲調で死が近づき涙を浮かべる花を歌う。息の長い旋律を思いをこめて歌うスゼーの表現は感動的だ。
2.「二つの薔薇」:薔薇の美しさを讃えた歌。ゆったりとしたテンポで丁寧に誠実に歌うスゼー、装飾音が印象的なピアノを弾くボールドウィン、いずれも好演。
3.「日の出」:明け方に窓辺で外の戦の様子を伺う騎士とその恋人(妻?)を描写した内容。仏訳で歌われていることもあり、フォレの歌曲のようにも響く。静かな箇所からドラマティックに展開していく壮大な曲を真実味にあふれた声の色で表現するスゼーの名人芸が味わえる。
4.「葦よそよげ」:すでに死んだ少女に何があったのか、まわりの人たちが彼女を死に追いやったのだろうか。葦が揺れ、風がそよぐ様を描いたかのような流れるピアノの上を繊細に歌がはじまり、徐々に高揚していく。
5.「少女が野原で歌っている」:少女の歌が夕映えの中悲しげに響き、もし私が彼女のもとに行けたら私たちは分かり合えるだろうと歌う。和音が淡々とリズムを刻む中で印象的な悲しげな歌が歌われる。スゼーの内に感情を抑えながら歌う重みのある歌には胸を打たれた。今回の9曲の中でも白眉の素晴らしさ。
6.「静かな町」:日が暮れる直前の谷間の町の様子を描いた内容。印象派風の色合いをもった分散和音はどことなくシューベルトの「町(Die Stadt)」のピアノパートを想起させる。
7.「薔薇の歌」:メリスマティックな歌が不思議なピアノの響きを伴いながら明るく歌われる。まるでR.シュトラウスの曲みたいだ。
8.「来たれ 死よ!」:シェイクスピアの喜劇「十二夜」の中の歌。シベリウスの歌はひたすら重く、スゼーも深刻な表現を聴かせる。
9.「はじめての口づけ」:シベリウスの有名な歌曲の一つ。少女が夕べの星に向かって、はじめての口づけについて問いかけるという内容。歌、ピアノともに繊細な抑制とダイナミックな感情の爆発が交代する魅力的な作品。北欧歌手たちのボリューム感とは異なるが、スゼーは彼なりにダイナミックな表現を聴かせている。

※歌詞の内容は大束省三氏の訳を参照させていただきました。

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ハネケン氏を偲んで

ピアニスト、作・編曲者などとしてマルチに大活躍されていた羽田 健太郎さん(1949年1月12日、東京生まれ)が6月2日に58歳で病死したというニュースはあまりにも突然のことだった。日曜日の朝、早起きできた時だけではあったが、「題名のない音楽会21」の軽妙で穏やかな名司会と演奏を見ていたので、まさか病魔に冒されていたなどとは想像すらしていなかった。

今朝は番組で羽田さんを偲んで名場面がまとめられていたが、あらためてこのピアニストのポピュラー、ジャズからクラシックまでジャンルの垣根を越えた活動の広さと、どのジャンルにおいても中途半端にならず、しっかりとした音楽を聴かせていた能力を再認識させられた。「ラプソディ・イン・ブルー」など弾き振りをされていて、一見したところピアノと指揮であわただしいほどだが、曲を知り尽くしておられ、破綻がないどころか、軽妙でたっぷりとした歌心もあった素晴らしい演奏だった。ミッシェル・ルグランと共演した「シェルブールの雨傘」ではこの巨匠への限りない敬意に満ちていて、演奏だけでなく、その人間味に心あたたまるものを感じずにはいられなかった。番組スタッフの彼に対する愛情も感じられ、感動的な30分だった。

思えば、かなり昔にFM東京で故立川清登さんの後を継いで「音楽の森」という番組の司会をされた時に羽田さんの名前をはじめて知ったのだが、ジェラルド・ムーアの珍しい「音楽に寄せて」のソロ録音のSPが放送された時に「さすが歌にあふれた演奏ですね」ということをおっしゃっていたことを今でも覚えている。常にあたたかい視点で音楽と接してこられた人という印象が強く、残念このうえない。

別れは本当に突然にやってくるものだと訃報に接するたびに感じさせられる。どうぞゆっくりお休みください。

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ベーア&ドイチュ/シューマン歌曲集

シューマン/リート、ロマンツェ、バラーデ集(Lieder, Romanzen & Balladen)
Baer_deutsch_schumannEMI CLASSICS: 7243 5 56199 2 1
録音:1996年2月, No. 1 Studio, Abbey Road, London
オーラフ・ベーア(Olaf Bär)(BR)
ヘルムート・ドイチュ(Helmut Deutsch)(P)

シューマン/「E.ガイベルによる3つの詩」Op. 30(魔法の角笛をもった少年/小姓/イダルゴ(スペイン貴族))
「ある画家の歌集からの6つの詩」Op. 36(日曜日にライン川で/セレナーデ/無上のこと/日光に寄せて/詩人の癒し/愛の使い)[詩:ライニク]
「ロマンツェとバラーデ、第1集」Op. 45(宝を掘る男/春の旅/夕べ浜辺で)[詩:アイヒェンドルフ;アイヒェンドルフ;ハイネ]
「ロマンツェとバラーデ、第2集」Op. 49(二人のてき弾兵/敵対し合う兄弟/尼僧)[詩:ハイネ;ハイネ;フレーリヒ]
手袋Op. 87[詩:シラー]
「ロマンツェとバラーデ、第3集」Op. 53(ブロンデルの歌/ローレライ/哀れなペーター)[詩:ザイドル;ローレンツ;ハイネ]
ベルシャザルOp. 57[詩:ハイネ]
「デンマークと北ギリシャの5つのリート」Op. 40(においすみれ/母の夢/兵隊/楽師/漏らされた恋)[訳詩:シャミッソー]

オーラフ・ベーアは1957年ドレースデン生まれのバリトン歌手で、1985年にデビューアルバムの「詩人の恋」、「リーダークライス」Op. 39をジェフリー・パーソンズの共演でリリースした時、F=ディースカウの後継者という扱いでかなり騒がれたのが懐かしく思い出される。初来日した際には声の不調で本来の良さが堪能出来なかったが、その後再来日して爽やかな歌を聴かせてくれたものだった。最近は来日もなく、リートの録音も2000年を過ぎてからはリリースされていないのが寂しい(オペラの録音はあるようだが)。

ベーアのシューマンは前述した1985年7月録音の「詩人の恋」、「リーダークライス」Op. 39に次いで、1989年9月録音の「リーダークライス」Op. 25、「ケルナーの詩による12の歌曲集」Op. 35がリリースされ、3枚目のアルバムがここで扱う1996年2月録音のCDである。最初の2枚はジェフリー・パーソンズの共演だったが、パーソンズは残念ながら1995年に亡くなり、3枚目のアルバムは現在の歌曲界の第一人者ヘルムート・ドイチュが共演している。

このCDの特徴はその選曲にあるといえるだろう。シラーの詩による「手袋」以外はすべて“歌の年”1840年に作曲された作品を出版された形のまままとめて演奏している。こういう形の選曲によるシューマン歌曲集は非常に珍しいので、レパートリー的にも貴重な録音といえるのではないか。ハイネの歌曲やOp, 40のシャミッソー訳の歌曲集は比較的演奏されることが多いが、ガイベルによるOp. 30やライニクによるOp. 36はかなり聴く機会が少ないレパートリーである。

ベーアの声はデビュー録音から約10年後の録音にもかかわらず、爽やかで柔らかい美声は健在である。彼は豊かな声量で聴かせるタイプではないので、巨大なコンサートホールで聴くよりも録音でその良さを発揮するように思える。デビュー録音からすでに際立っていたドイツ語の発音の美しさも相変わらずで、言葉の比重の大きいシューマンを歌う時にこの特質が大きな強みになっている。「二人のてき弾兵」などハイネの詩が生き生きと語られているのを感じずにいられない。彼は声を張る時によく専門家から力みを指摘されていたが、録音では無理をする必要もないせいかあまり気にならない。「魔法の角笛をもった少年」のような明るく希望に満ち溢れた曲はベーアの歌が最も生き生きと輝く。一方「イダルゴ」のリズムにのった歌や「セレナーデ」のような甘い誘惑、さらに「宝を掘る男」でのドラマティックな表現なども彼の持ち味にさらに一味加わった役者ぶりを披露している。ガイベルの詩による「ある画家の歌集からの6つの詩」Op. 36のようなドラマよりも抒情を優先した作品群は彼の清涼感をまさに求めていたのではないか。簡素な抒情から劇的なバラードまで特有の気品で聴く者に違和感を抱かせずに聴かせてしまう技量はやはり彼が非凡な逸材である証ではないだろうか。個人的にはF=ディースカウよりもベーアの方がシューマンのロマンティックな世界を見事に描き出しているように思える。

ヴィーン出身のヘルムート・ドイチュの演奏はシューマンの描いた世界を最大限に読み解いて余すところなく表現した素晴らしいものだ。彼の美質の一つにそのタッチの素晴らしさがあると思う。作品によって、なめらかなレガートや、重厚な表現、軽快なリズムなど、あらゆるパレットを自在に駆使している。それに加え常に引き締まったテンポ設定は作品に推進力を与え、決してだれることがない。スマートだがすべきことはすべて表現し尽す彼の演奏から作品の魅力を教えてもらえるのは贅沢な喜びである。

最初に演奏される「E.ガイベルによる3つの詩」Op. 30と「ある画家の歌集からの6つの詩」Op. 36について簡単にご紹介しておきたい。

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「E.ガイベルによる3つの詩」Op. 30(希望に満ちた若者、けなげな小姓、自信みなぎるプレイボーイといった異なるタイプの男を歌った興味深い曲集)

1 「魔法の角笛をもった少年」陽気な若者が馬にまたがり広大な世界に繰り出し、各地で人々との交流をもちながら旅を続けるという内容で、生き生きとした勇壮な曲。希望に満ちた気持ちを反映したかのようなtraraの繰り返しが印象的。ベーアの爽やかな語り口がとても魅力的である。

2 「小姓」小姓としてお仕えさせてもらえるならば、恋人との逢瀬の見張り役でも何でもしますという健気な男の気持ちを歌った内容。詩に影響されてか、慎ましやかな曲調で貫かれている。地味だが詩の内容には一致しているように思える。丁寧なベーアの歌がこのつつましい曲にはよく合っていた。

3 「イダルゴ」2曲目とは一転してドン・ジョヴァンニのような放蕩男が女性とのアバンチュールやライバルとの決闘に繰り出すという内容。ツィターのつまびきを思わせるリズムに乗って、世慣れた男のセリフが堂々と歌われる。女性を誘惑するのにうってつけのベーアの声の魅力が感じられ、ドイチュの曲の性格に応じたタッチの巧みさも素晴らしい。

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「ある画家の歌集からの6つの詩」Op. 36(詩人のライニクは画家としても活動していた)

1 「日曜日にライン川で」日曜日にライン川のほとりを散歩する楽しさを歌い、最後にはドイツを賛美して終わる。和音の連打にのって穏やかに歌われる。素直な中にシューマンらしい才気もあり、なかなか魅力的な曲だ。

2 「セレナーデ」ギターをつまびくピアノパートの上で恋する女性を外に誘い出そうとする男の甘い恋歌が披露される。ベーアの甘い声はこの種の曲にぴったりだ。

3 「無上のこと」恋人の美しい瞳を見つめることやキスをすること以上に素敵なことがあるとはまさか想像もしていなかったという内容。これも和音連打のピアノの上で穏やかだがリズミカルに進む曲。

4 「日光に寄せて」明るい日の光に誘われて外に出るが、愛する相手のいない自分はそれゆえに苦しむという内容。付点のリズムが特徴的な曲。

5 「詩人の癒し」夢でみた美しい女性にある晩谷間で実際に会ったが彼女は妖精の女王だった。ぼくは別の女性をさがすことにしようという内容。和音の連打にのってはじまるが、詩の内容に従って通作的に展開していく。ただ基本的なテーマは繰り返され、統一感も配慮されている。かなりドラマティックな展開の曲で、曲集中のアクセントになっているように思う。ベーアも見事だが、ドイチュの雄弁な演奏は聴き応え充分である。

6 「愛の使い」東へと急ぐ雲に、恋人への言伝を頼むという内容。ゆったりとした曲想が4節続くので若干冗長さは免れないが、その甘美な抒情はシューマンらしいと言えるかもしれない。

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シューベルト「連禱」

Litanei, D343
 連禱

Ruh'n in Frieden alle Seelen,
Die vollbracht ein banges Quälen,
Die vollendet süßen Traum,
Lebenssatt, geboren kaum
Aus der Welt hinüberschieden:
Alle Seelen ruhn in Frieden!
 安らかに憩え、あらゆる魂よ、
 不安な苦しさを経験した魂、
 甘美な夢を見終えた魂、
 生に倦んだ魂、生まれたばかりで
 この世から別れた魂、
 あらゆる魂よ、安らかに憩え!

Und die nie der Sonne lachten,
Unterm Mond auf Dornen wachten,
Gott im reinen Himmelslicht
Einst zu sehn von Angesicht:
Alle, die von hinnen schieden,
Alle Seelen ruhn in Frieden!
 そして太陽に笑いかけることのなかった魂、
 月の下、茨の上で目を覚ましていた魂、
 清らかな天の光に包まれて神と
 かつて対面した魂、
 この世と別れた魂のすべて、
 あらゆる魂よ、安らかに憩え!
 
詩:ヤコービ(Johann Georg Jacobi: 1740.9.2, Gut Pempelfort bei Düsseldorf - 1814.1.4, Freiburg im Breisgau)
曲:シューベルト(Franz Peter Schubert: 1797.1.31, Himmelpfortgrund - 1828.11.19, Wien)

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