ペーター・レーゼル・ピアノ・リサイタル(2007年4月29日 紀尾井ホール)
昨日、ドイツのピアニスト、ペーター・レーゼル(Peter Rösel)のリサイタルを聴いてきた。レーゼルは1945年ドレースデン生まれで、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ヴェーバー、シューマン、ブラームス、チャイコフスキー、ラフマニノフ、プロコフィエフなどのピアノ独奏曲や協奏曲、さらに室内楽や、ペーター・シュライアーとの歌曲演奏(ブラームス歌曲集や「マゲローネのロマンス」の録音など)といったレパートリーをもち、まさに万能型のピアニストである。私が彼の名前を知ったのはおそらくブラームス独奏曲全集の録音だったと思うが、特にブラームス晩年の小品Op. 117~119の演奏を聴いて、作品が自ずと発散するモノローグの味わいをごく自然に表現したレーゼルの演奏に非常に好ましい気持ちを抱いたものだった。
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ペーター・レーゼル・ピアノ・リサイタル
2007年4月29日(日)3:00pm
紀尾井ホール
ハイドン/ピアノ・ソナタ第52番 変ホ長調 Hob.XVI,52
ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op. 111
~休憩~
シューベルト/ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960
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プログラムはハイドン、ベートーヴェン、シューベルトの最晩年の作品ばかりを集めた意欲的なものだったが、ブラームスが含まれていないのが個人的には残念。今回初めて彼の演奏に接したが、録音を通じて抱いていた彼の演奏のイメージと大きく変わることはなく、あくまでも誠実、忠実に作品に息を吹き込んでいくというタイプの演奏であった。すでに白髪になっていた彼の演奏ぶりは端正で、上体を必要以上に揺らすことはほとんどなく、腕の動きも最低限で、視覚的にも音楽に集中しやすいピアニストであった。テクニックが安定しているので難所も安心して聴いていられる。
最初のハイドンのソナタは以前ヘブラーの実演で聴いたことのある作品で、若干残響が多く響きが不明瞭に感じられる感もあったが、作品を真正面から見据えた正攻法のアプローチによる演奏は演奏家の「我」が入り込むことの一切ない、心地よいものだった。
ベートーヴェンの最後のソナタは壮大な傑作だが、全く息切れすることもない、レーゼルの緻密な構築感はただただ見事である。第2楽章の長大な変奏形式も自然な流れの中で物思うようなさりげない深さが良かった。
休憩後のシューベルト最後のソナタをレーゼルは中庸のテンポで始め、時々入る低音のトリルのどよめきも雷鳴にはならず、遠方からかすかに聞こえる不吉な音といった感じだった。シューベルトの「歌心」をこれだけ自然な進行の中で感じさせるのはやはり彼のもつ芸の力にほかならないだろう。ややもすると単調、長大というレッテルを貼られがちな彼のソナタでレーゼルはさらりとした感触のうちに豊かな歌を紡ぎ、ひとときも飽きさせることがなかった。このソナタの第1楽章のリピートを省略するかどうかという事は好事家の関心の1つだが(省略することによって、全く日の目を見なくなる箇所がある為)、ここでレーゼルはリピートを省略していた。これも1つの見識だと思う。2楽章の静寂の歌をレーゼルはほとんど大げさな表現を加えることなく見事に歌わせていた。3、4楽章も決して手を抜かず、若干頭でっかちな構成のこのソナタの等身大の魅力を素直に表現していて素晴らしかった。4楽章の左手にしばしば入る流れを妨げるような音を、音の威力で表現せず、独特の間合いで表現していたのが印象的だった。
それにしてもシューベルト晩年のソナタを聴くといつも思うのが、なんと休符に重要な意義を与えた作品なのだろうということ。音の鳴らない箇所に音楽の役割を与えてしまうという発想、ただものではないと感じてしまう。余白や間に趣を感じる日本人の感性にやはりシューベルトは合っているのかもしれない。
ほぼ満席の客席からの静かだが熱さを湛えた拍手に応え、アンコールは3曲。
1曲目は私の知らない曲だったが、2曲目のバッハ「主よ、人の望みの喜びよ」はまさに会場が一瞬にして神々しい空気に満たされた。マイラ・ヘスの編曲したものと若干異なっていた(手を加えていた?)ようにも感じられたが気のせいかもしれない。やわらかい弱音の連続でこれほど心に迫ってくるとは本当に感動的だった。
だが、アンコールの最後で私の念願かない、ブラームスの間奏曲Op. 117-1が演奏され、感無量であった。CDで何度も聴いたあの響きがホールを満たし、その一見スマートな演奏スタイルの中から垣間見える優しい肉声が聞こえてくるかのようだった。
旧東ドイツ出身ということが彼の知名度の拡大を遅らせているということがあるいは言えるのだとしても、多くの録音だけでなく、こうして実演でもこのピアニストの力量が分かった今、もっと多くの人に聴かれるべきピアニストの一人であると強く思った。
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