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エディット・マティス/シューマン&ブラームス歌曲集(ピアノ:G.ウィス)

「シューマン&ブラームス歌曲集」

Mathis_wyss_schumann_brahms日本コロムビア: DENON: COCO-78947
エディット・マティス(Edith Mathis)(S)
ジェラール・ウィス(Gérard Wyss)(P)
録音:1994年5月20~22日、スイス放送局、スタジオ・ベルン

シューマン/歌曲集「リーダークライス」Op. 39(全12曲)
ブラームス/永遠の愛Op. 43-1;きみの青い瞳Op. 59-8;わたしの愛はみどりOp. 63-5;ひびきOp. 7-3;民謡Op. 7-4;悲しみに沈む娘Op. 7-5;なげきOp. 69-1;乙女Op. 95-1;スペインの歌Op. 6-1;夢遊病の人Op. 86-3;テレーゼOp. 86-1;わたしの想いはあなたのもとでOp. 95-2;あこがれOp. 14-8;黄金は愛にまさるOp. 48-4;わたしがあなたに捧げたものOp. 95-7;なげきOp. 105-3;雨の歌(作品番号なし);乙女の歌Op. 107-5;ナイチンゲールにOp. 46-4;メロディのようにOp. 105-1;子守歌Op. 49-4

(上記の演奏者名表記および曲目表記は解説書に従いました。)

エディット・マティス(1938(36?).2.11, Luzern, Switzerland -)はアーメリングやアーリーン・オージェ、ルチア・ポップ、バーバラ・ボニーなどと並び、歌曲演奏のリリックな側面の魅力を最も開花させたリート歌手である。ただ、彼女の場合、リートの録音があまり多くなく、一般的にはオペラのスブレット役や宗教曲の歌手というイメージの方が強いかもしれない。

彼女のリリカルな歌は爽やかで愛らしいが、声に硬質な芯があり、メタリックな光沢がある感じだ。明暗をはっきりさせた楷書風の歌い方のため、ドイツ語のかっちりした響きとぴったり合致する印象を受けることが多い。テンポを過剰に動かしたり、これ見よがしに技巧をひけらかしたりすることは皆無で、作品そのものを誠実に再現する。テンポ設定は概して早めで、すっきりとしたスマートな表現であるが、語り口の自然なうまさで詩の言葉に深く息を吹き込んでいる。

シューマンの「リーダークライス(Liederkreis)」Op. 39(直訳すると「歌の環」ということで「歌曲集」を意味する)はアイヒェンドルフの12編の詩による作品で、ロマン派の詩人たちの得意とした自然描写と、それを外から眺め、ひっそりと己に思いを向ける詩が集められている。神秘的な第1曲「異国で」や、静謐な美しさで魂の飛翔を歌った第5曲「月夜」など魅力的な曲が連なっており、これまでも男女を問わず録音が多い。マティスは以前F=ディースカウがDGレーベルに録音したシューマン歌曲全集の女声用補完集を録音していたが、この「リーダークライス」は彼女にとって初録音である。録音当時50台後半とは思えないほど彼女の声の美しさはキープされていて、高音から低音まで表現にほとんど無理はない。彼女の含蓄に富んだ表現は、アイヒェンドルフの描き出す木々のざわめきや夜の冷え冷えした空気、月の光や星のまたたきなどを、目に見えないスクリーンに映し出すかのようである。第10曲「たそがれどき」では警告の声色を印象的に響かせる。最終曲「春の夜」での春の到来と恋人を得た喜びの二重の歓喜の表現が、決して派手ではないのに本当にうれしそうで、表現の幅の広さを実感させられる。

ブラームスの選曲も、有名作品ばかりでもなく、かといって通好みの渋さ一辺倒でもなく、バランスよく当時の彼女に合った作品ばかり選択されていて見事なプログラム構成だと思う。彼女がリサイタルでよく歌い、以前に録音もしている「ドイツ民謡集」から1曲も選ばなかったのは意識的なのだろう。中では「民謡(Volkslied)Op. 7-4」と「黄金は愛にまさる(Gold überwiegt die Liebe)Op. 48-4」の繊細な表現が際立って素晴らしかった。「ナイチンゲールに(An die Nachtigall)Op. 46-4」の切迫した表現も胸に迫ってくる。

マティス同様スイス出身のジェラール・ヴィス(1944, Porrentruy, Switzerland -)は以前ホルツマイアの来日公演の際に共演していたが、スキンヘッドで重厚な外見が印象に残っている。このマティスとの録音では堅実な演奏を聴かせており、作品の世界を決してはみ出さない抑制された表現で一貫している。ただ、若干遠慮しすぎたきらいもあり、あと少し作品への深い踏み込みがあればさらに良かっただろう。

彼女は1963年のベルリン・ドイツ・オペラの一員として初来日しているが、1974年にはご主人ベルンハルト・クレーのピアノでリート演奏会を開いている。参考までに曲目を記しておきたい。

1974年11月7日(木)19:00 東京文化会館
エディット・マティス(Edith Mathis)(S)
ベルンハルト・クレー(Bernhard Klee)(P)

モーツァルト/すみれK. 476;ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いた時K. 520;夕べの思いK. 523;淋しい森の中でK. 308(295b);魔法使いK. 472
メンデルスゾーン/初すみれOp. 19a-2;少女の嘆き;月Op. 86-5;ズライカOp. 34-4;夜の歌Op. 71-6
ヴェーベルン/早春;花のあいさつ;愛のすがた;発見
 ~休憩~
ブラームス/許しておくれよ、きれいな娘さん;あの下の谷間では;太陽はもう輝きはしない;静かな夜に;はだしで来ちゃだめだよ、かわいい恋人よ;愛と春ⅠOp. 3-2;愛と春ⅡOp. 3-3;ほんの時折りでもあなたがほほえめばOp. 57-2;私は夢に見たOp. 57-3;時折りはやさしい光がOp. 57-6;あなたの青い瞳Op. 59-8;傷ついた私の心Op. 59-7

メンデルスゾーンなどはまさに彼女にうってつけのレパートリーだろうが、ヴェーベルンを歌っているのは意外な気がする。

私も彼女の演奏は小松英典とのデュオ(コルト・ガルベンのピアノによるシューマン)と、北とぴあでのシューベルト(イェルク・デームスのピアノ)を聴きに行ったことがあり、いずれもいささかの衰えもないぴんと張った声と表現で彼女の熟した芸を堪能させてもらった良い記憶が残っている。また、ラジオでドビュッシーの「忘れられた歌」全曲(たしか小林道夫氏のピアノ?)を聴いたこともあり、彼女の意外な選曲に驚かされたものだった。

ヘフリガー同様、彼女も草津の演奏会の常連であり、円熟期に入ってしばしば日本でリートを聴かせてくれた。現在はもう演奏活動をしていないのかもしれないが、いくつかの録音でその名唱を楽しむことは出来る。彼女のリートの録音はいずれも優れたものばかりで外れが全くないが、とりわけヴォルフの「イタリア歌曲集」全曲(DG)など、この歌曲集の最高の演奏の1つだと思う。いずれCD化されることを期待したい。

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ヘフリガーの歌うヤナーチェク「消えた男の日記」

「ヤナーチェク/消えた男の日記(Tagebuch eines Verschollenen)」
Haefliger_janacek_original_lpユニバーサルミュージック: DG: UCCG-3410(ただし、左のジャケット写真はオリジナルLP)
エルンスト・ヘフリガー(Ernst Haefliger)(T:1-9, 11-12, 14-22)
ケイ・グリフェル(Kay Griffel)(A:9-11)
女声合唱(Frauenchor)(9-10)
ラファエル・クーベリック(Rafael Kubelik)(P)
録音:1963年11月25-27日、Gemeindesaal, Neumünster Kirche, Zürich

ヘフリガー44歳の時に録音されたヤナーチェク(Leoš Janáček: 1854.7.3, Hukvaldy, Moravia - 1928.8.12, Ostrava)の「消えた男の日記」をあらためて聴いてみた。原語はチェコ語(原題: Zápisník zmizelého)だが、ここではカフカの作品編纂や伝記で知られる作家マックス・ブロート(Max Brod: 1884.5.27, Praha – 1968.12.20, Tel Aviv)によるドイツ語訳で歌われている。原詩はチェコの鉄道会社職員のオゼフ・カルダ(Ozef Kalda, 1871 - 1921)が匿名で新聞に発表したもので、1917~1919年に作曲された。

村に住む農夫の若者が突然現れたジプシーの娘に惚れ込み、結ばれた後、罪の意識から村を捨て駆け落ちをするという内容。なお、このCDの日本語対訳はドイツ語と対応していない箇所もあるので、おそらくチェコ語の原詩の訳だと思われる。以下のタイトルと大意はドイツ語訳から訳した(ブロートの著作権が継続中なので、大意にとどめてあります。大意は、意味が通るように言葉を付け加えてたり言い換えたりしている箇所もあります)。登場人物は若い農夫のヤン(原詩では「ヤニーチェク」のようだ)と、ジプシー娘ゼフカで、情景描写を歌う女声合唱も加わる。

1)若いジプシー娘に会った(Traf eine junge Zigeunerin):「私を深く見つめていたジプシー娘のことが頭から離れない」という内容。

2)まだいるのか、このジプシー娘は?(Ist sie noch immer da):「あのジプシー娘がさすらいをやめてこの地にとどまっている。よそへ行ってくれればいいのに」という内容。

3)蛍の戯れが茂みの端に広がり(Wie der Glühwürmchen Spiel):「蛍が戯れる茂みで待っていると、二つの目が輝いている。神様、お許しを」という内容。

4)つばめがもう巣で朝のさえずりをしている(Zwitschern im Nest schon die Schwalben):「つばめもさえずる朝がやってきたが、一晩中いばらの中にいるようだった」という内容。

5)今日は耕すのもつらい(Heut' ist's schwer zu pflügen):「眠れなかったので畑を耕すのはつらい」という内容。

6)そら!馬鹿どもよ(Heissa! ihr Öchselein):「仕事仲間よ、あのハンノキの方を振り返るなよ、そこでスカーフを見せている娘よ、塵と消えるがいい」という内容。

7)犂先の棒はどこにいった?(Wo ist das Pflöcklein hin):「犂先の棒がなくなったので、ハンノキの茂みに行って探してこよう」という内容。

8)馬鹿どもよ、心配して振り返って見るなよ(Seht nicht, ihr Öchselein):「ハンノキの端に黒いゼフカが立っている。あの邪悪な眼差しにいつでも抵抗してやる」という内容。

9)よく来たわね、ヤン(Sei willkommen, Jan):「よく来たわね、私におびえているの-そんなことはない、木を切りに来ただけだ-その前に私の歌を聴いて、“陰鬱な歌が彼の心を甘美さで満たす”」という内容。アルト、テノール、合唱による。

10)あの上方におられる神よ、言い給え(Gott dort oben, sag):「神よ、なぜジプシーをお創りになったのですか。ヤン、もっと近くで横になってよ-彼女がシャツをはだけると、彼は驚いて頭に血がのぼった」という内容。アルト、合唱による。

11)野原の端から(Von der Heidin Wangen):「ジプシーが寝るところを見たくない?-彼女は小石をどけて、枝を脇にやって、ベッドをつくった-クッションは森の地面、布団は空の装飾よ-彼女はスカート1枚だけで横になる。ぼくの純潔を失うのはなんと哀しいことか」という内容。アルト、テノールによる。

12)暗いハンノキの森(Dunkler Erlenwald):「森の娘の黒さやそのひざの白さなどを決してぼくは忘れられない」という内容。

13)(ピアノ独奏):ここで若者とジプシー娘が愛し合うさまをピアノ・ソロで表現する。

14)太陽が昇り(Sonn' ist aufgegangen):「ぼくが失ったものを誰が返してくれるのか」という内容。

15)馬鹿どもよ、突っ立っていないで俺を見るのだ(Meine grauen Ochsen):「仕事仲間よ、告げ口したら鞭打ちだぞ。だが一番困るのは、家で母親の顔を見ることが出来るかということ」という内容。

16)俺はなんということをしてしまったのだ(Was hab' ich da getan?):「なんということをしてしまったのだ。ジプシー夫妻がぼくの親になるなんて。明るく歌うひばりが飛び去り、誰も哀しみを慰めてくれない」という内容。

17)逃げろ、運命が呼んだら(Flieh, wenn das Schicksal ruft):「誰も運命から逃れられない。月明かりの中、ハンノキの方へ急ぎ、葉っぱをどかすとそこに快楽がある」という内容。

18)それ以外考えられない(Nichts mehr denk ich):「ゼフカと過ごすこと以外なにも考えられない。夜がずっと続けば永遠に愛し続けられるのに」という内容。

19)カササギが飛び去り(Wie die Elster wegfliegt):「妹のシャツを誰が盗んだか知られたら妹はもうぼくと口をきいてくれないだろう。ぼくの人生は全く変わってしまった」という内容。

20)立派な女性がいて(Hab' ein Jüngferlein):「彼女のスカートが腰あたりまでまくられた」という内容。

21)お父さん、誤ちをおかした日々をのろいます(Vater, dem Tag' fluch ich):「罪を犯した者は悔い改め、嘆きます。父よ、ぼくも運命を背負わなければなりません」という内容。

22)さようなら、故郷よ(Leb denn wohl, Heimatland):「さようなら、故郷よ、家族よ。詫びることさえ出来たなら。ゼフカが腕に息子をかかえてもうあそこに待っている」という内容。

ヘフリガーは持ち前の硬質な声で主人公になりきった表現を聴かせている。決して器用さや、芝居っけ、声の甘美さで聴かせるタイプではないが、彼のもともと持ち合わせている気品や純朴な特質が、無垢な若者の心の不安やときめき、痛みなどを小細工なしにストレートに表現するため、真実味が感じられていつのまにか共感して聴いてしまう。テクニックは完全に後ろに隠れ、歌手の音楽性や人格が前面に出た歌唱と言えるだろう。第3曲最後の神に助けを求める箇所の歌いぶりなど真に迫っていて素晴らしかった。最終曲の最後に2箇所最高音が出てくるが、ここでのヘフリガーの声が胸に突き刺さってくる。
9~11曲目だけに登場するジプシー娘役のケイ・グリフェルは包容力のある、よく練り上げられた声と表現を聴かせていて、全く違和感がない名唱である。
9、10曲目のみの女声合唱は、その団体名すらCDに表記されていないので、あるいは臨時編成なのかもしれないが、オフ気味の録音であまり巧さが前面に出ていないのが神秘的でかえって良かった。
指揮者として著名なクーベリックの珍しいピアノ演奏は、作品への深い共感が感じられ、彩り豊かに情景描写や心理描写を表現し、テクニック面でも問題なく、単なる余技を越えた演奏である。民族舞曲調の第20曲などリズミカルな名演だし、ピアノ独奏の第13曲はある意味、曲集中の一つのクライマックスを雄弁な表現力で築きあげた。

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エルンスト・ヘフリガー逝去

スイスの名テノール歌手、エルンスト・ヘフリガー(Ernst Haefliger: 1919.7.6, Davos - 2007.3.17, Davos)が3月17日(土)、スイス、ダヴォスの自宅で急性心不全の為亡くなったそうだ。2ヶ月前にNHKで1992年の来日公演が放送されたばかりだが、彼もすでに87歳、天寿を全うしたと言えるのだろう。

ヘフリガーはチューリヒ音楽院で歌とヴァイオリンを学び、ジュネーヴでフェルナンド・カプリ(Fernando Capri)、ヴィーンでユーリウス・パツァーク(Julius Patzak)に師事した。1942年にジュネーヴで「ヨハネ受難曲」を歌ってデビューし、指揮者フェレンツ・フリッチャイ(Ferenc Fricsay)の助言によりオペラも歌い始める。1943年から1952年までチューリヒ歌劇場に所属、その後1974年までベルリン・ドイツ・オペラで歌った。1971年にはミュンヒェン音楽大学の教授に就任した。

ヘフリガーについて語る時に第一に挙げるべきなのはバッハ歌いとしての側面であろう(とりわけ受難曲でのエヴァンゲリストとして)。また、世界各国で多数のオペラに出演し、1966年にはベルリン・ドイツ・オペラの一員として初来日している。1980年以降は草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバルにしばしば参加し、演奏と指導を行ってきたので、日本人にも馴染みの深い存在と言えるだろう。

私がヘフリガーの実演を聴けたのはただ1度だけ、岡田知子さんのピアノによるブラームスの「マゲローネのロマンス」の時だった。確かカザルスホールだったと思うが、この時は語りに加藤剛さんの録音が使われていた記憶がある。すでに高齢だったが、作品への真摯な姿勢には敬服したものだった。

ヘフリガーは若い頃から歌曲を積極的に歌っていたようだ。シューベルトの三大歌曲集はもちろん、シューマン「詩人の恋」やブラームス「マゲローネのロマンス」、ベートーヴェン「遥かな恋人に」のほか、ヤナーチェク「消えた男の日記」やヘフリガーと同じくスイス人のシェックの歌曲も歌っている。名手、小林道夫さんとは「美しい水車屋の娘」や「冬の旅」を録音し、ヨーロッパでの演奏も共に行っている。80年代に入ってからClavesレーベルに録音したシューベルトの三大歌曲集は、イェルク・エーヴァルト・デーラー(ヘフリガー同様、草津の常連)のハンマーフリューゲルの響きが当時まだ珍しかったことも相俟って、大きな話題になったものだった。そしてもちろんドイツ語訳による日本歌曲の演奏と録音も後年の彼を語るうえで忘れることが出来ない。日本歌曲の価値を世界に問おうとする彼の使命感は、ある意味、地域密着型の歌曲演奏の供給のあり方に一石を投じたものと言えるかもしれない。ドイツ語で歌われることによって「日本」の味わいは薄まっても、日本人が近藤朔風の訳詩で「野ばら」を歌うことによって知らないうちにドイツリートに親しむのに似た効果を期待できるのかもしれない。しかしヘフリガーはそんな大それたことをしている感じもなく、何の気負いもなく、ドイツリートのように日本歌曲を歌い、新鮮な喜びを与えてくれた。

彼の歌はその崩れのないフォルムが高く評価されてきたが、オラトリオなどで培われたであろう端正な形式感覚はリート演奏でも遺憾なく発揮されている。そのスタイリッシュで無駄のないメロディの流れは、聴き手が曲の世界にストレートに入り込むことを容易にしてくれる。彼の歌唱どれ1つをとっても、恣意的な歪みが皆無であり、ヘフリガーという代弁者を通じて作曲家の生の声を聴いているかのようである。

彼のDGに録音したリート演奏をClavesから再発売したものが手元にあったのであらためて聴いてみたが、誠実でひたすら真っ直ぐな彼の歌唱はとにかく清々しく、聴いていて本当に気持ちがいい。若き日のみずみずしい声は魅力的だが、彼は後年になってもそれほど声の鮮度が落ちなかったのはすごいことだと思う。こういうタイプの歌手はなかなか他にいないであろう。この寄せ集めのCDの選曲はなかなか良く出来ていて、ドイツリートの著名な作曲家の作品が網羅されている。この中には3曲のオットマル・シェックの歌曲も含まれているが、「追悼(Nachruf)」Op. 20-14と題されたアイヒェンドルフの詩による美しい歌曲を聴きながらヘフリガーのご冥福を祈りたいと思う。

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Haefliger_klustヘフリガーを讃えて《ヘフリガー/ドイツ・リート集》(HOMMAGE A ERNST HAEFLIGER)
キングレコード: Claves: 270E 7042 (50-8907)

エルンスト・ヘフリガー(Ernst Haefliger)(T)
ヘルタ・クルスト(Hertha Klust)(P:1-15)
ジャクリーヌ・ボノー(Jacqueline Bonneau)(P:16-18)
エリック・ヴェルバ(Erik Werba)(P:19)
録音:1956年11月Berlin(1-8)、1958年8月&1959年8月München(9-18)、1962年10月Berlin(19)

1-4)シューベルト/愛の声D412;泉のほとりの若者D300;シルヴィアにD891;ミューズの子D764
5-8)ブラームス/森の静寂Op. 85-6;たよりOp. 47-1;私たちはさまよい歩きOp. 96-2;小太鼓の歌Op. 69-5
9-10)シューマン/くるみの木Op. 25-3;月夜Op. 39-5
11-13)シェック/わが母にOp. 14-1;追悼の辞Op. 20-14;ささやかな願いOp. 24a-7
14-15)ヴォルフ/旅路;庭師
16-18)シューマン/ぼくは樹々の下をさまようOp. 24-3;恋人ちゃん、ぼくの胸にお手々をあててごらんOp. 24-4;ぼくの苦悩の美しいゆりかごOp. 24-5
19)ベートーヴェン/「遙かなる恋人に寄す」Op. 98

(このCDはおそらく現在は入手困難だと思います。)

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(2007年4月1日(日)追記)

かつて聴きに行ったヘフリガーの来日公演のプログラムが出てきたので、ご紹介しておきます。

「エルンスト・ヘフリガー・リサイタル」
Haefliger_program1995_11995年9月3日(日)午後7時30分開演
東京・カザルスホール

ブラームス/歌曲連集「マゲローネのロマンス」作品33

エルンスト・ヘフリガー(T:第1~10、12、14~15曲)
蒲原史子(S:第11、13曲)
岡田知子(P)
加藤剛(語り:テープ録音による)

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カレーラス/スペイン歌曲集

ホセ・カレーラスといえばパヴァロッティ、ドミンゴと共に「三大テノール」と呼ばれて久しいが、どちらかというとオペラの貴公子的なイメージの強い彼も歌曲の録音を残してくれている。ピアニストのマーティン・カッツと共演して録音した「スペイン歌曲集」と題されたCDには、スペイン歌曲の重要な作曲家の名作がたっぷり収録されていて、スペイン歌曲初心者の入門としてもぴったりである。

「7つのスペイン民謡~スペイン歌曲集」
Carreras_katz_falla日本フォノグラム: PHILIPS: PHCP-3834
ホセ・カレーラス(José Carreras)(T)
マーティン・カッツ(Martin Katz)(P)
録音:1984年1月20~23日&7月30日, Henry Wood Hall, London

1-7)ファリャ/「7つのスペイン民謡」(ムーア人の織物;ムルシア地方のセギディーリャ;アストゥリア地方の歌;ホタ;子守歌;歌(カンシオン);ポロ)
8-10)モンポウ/歌曲集「夢のたたかい」(君の上には、ただ花ばかり;今宵おなじ風が;君の気配は海のよう)
11)ヒナステーラ/もの忘れの木の歌
12-13)グァスタビーノ/バラと柳;鳩のあやまち
14-15)オブラドルス/心よ、なぜにお前は;いちばん細い髪の毛で
16-20)トゥリーナ/「歌のかたちの詩」(献呈;けっして忘れないで;唄(カンターレス);2つの恐れ;恋に夢中)

(上記の曲名表記はCD表記に従っています。)

6人の作曲家を生年順で並べると、
ファリャ(Manuel de Falla y Matheu: 1876.11.23, Cádiz, Spain - 1946.11.14, Alta Gracia, Córdoba)
→トゥリーナ(Joaquín Turina Pérez: 1882.12.9, Sevilla, Spain - 1949.1.14, Madrid, Spain)
→モンポウ(Federico Mompou: 1893.4.16, Barcelona, Spain - 1987.6.30, Barcelona, Spain)
→オブラドルス(Fernando Jaumandreu Obradors: 1897, Barcelona, Spain - 1945, Barcelona, Spain)
→グァスタビーノ(Carlos Vicente Guastavino: 1912.4.5, Santa Fé, Argentina - 2000.10.28, Santa Fé, Argentina)
→ヒナステーラ(Alberto Evaristo Ginastera: 1916.4.11, Buenos Aires, Argentina - 1983.7.25, Genève, Switzerland)
となる。
このCDが録音された時(1984年)にはご健在だったモンポウやグァスタビーノもすでに亡くなってしまった。

ファリャの「7つのスペイン民謡」は、スペイン歌曲の中で最も良く知られた作品の一つだろう。第1曲の「ムーア人の織物(エル・パーニョ・モルーノ)」というタイトルは、解説の濱田滋郎氏によると民俗的な舞曲の形式名とのこと。上等の布地にしみがついてしまったので値打ちがなくなったと歌われ、“布地”というのが比喩であることを感じさせる。ピアノや歌の独特な節回しに民俗色を聴き取ることが出来る。第5曲の「子守歌」(不思議な響きが異空間に誘うかのようだ)が一般的な子守歌である点を除くと、曲集中のほとんどの曲の詩が“恋”にまつわる内容になっているようだ。第2曲「ムルシア地方のセギディーリャ」では、不実な恋人を人手をわたる銅貨にたとえ、第3曲「アストゥリア地方の歌」では、慰めを求めて松に寄りかかると、松は私と一緒に泣いてくれたと歌う。恋人を失った涙なのかもしれない(雨がしとしと降っているようなしっとりしたピアノパートが印象的。とめどない涙を暗示しているのだろうか)。第4曲「ホタ」では、人はおれたちが話しているところを見たことがないので好きではないのだろうと言っているが、心に聞いてくれればそうでないことが分かるのにという内容で、恋する者同士だけが分かる秘密めいた心のうちはシューベルトが作曲したゲーテの「ひめごと」にも通じるテーマだろう。第6曲の「歌」では、不実な恋人への恨みつらみをぶちまけ、最後の第7曲「ポロ」では、第1節で胸に秘めた悲しみを誰にも言うまいと嘆くが、第2節では恋の悩みであることを早くも打ち明ける。曲集の最後をしめくくるにふさわしい激しい歌である。

モンポウの「夢のたたかい」は3曲から成る歌曲集で、第1曲「君の上には、ただ花ばかり」の美しさは筆舌に尽くしがたい。亡くなった恋人の上にまかれた花の吐息になって、恋人と共に息絶えたいと歌われる(この曲をモンポウ自身のピアノでロス・アンヘレスが歌っている映像がDVDで出ているので、興味のある方はご覧ください)。第2曲「今宵おなじ風が」は、恋人同士の情熱的な愛の情景が歌われ、モンポウの曲は同じリズムが繰り返され、一風変わった不思議な響きを聞かせる。第3曲「君の気配は海のよう」は、恋人を言い表すのに風景ではたとえることが出来ず、夢とは異なり限りがない存在だと表現する。解説の濱田氏がデュパルクを思わせると表現されたのも納得できる充実した作品。

ヒナステーラの「もの忘れの木の歌」はウルグアイの曲調で作られているそうだが、タンタタタンのリズムが最後の数行を除き一貫していて心地よい。心の悩みをもった人が「もの忘れの木」の下に悩みを「忘れ」に行くが、私がそこで寝た時、「恋人を忘れる」ということを忘れてしまったという内容。最後の落ちの箇所で動きが止まりクライマックスを築き、また元の調子に戻る。

グァスタビーノの2曲はいずれも非常に美しく印象に残る歌である。「バラと柳」はシューベルトの「野ばら」やモーツァルトの「すみれ」と同種の内容。その美しい歌とピアノはきわめて演奏効果が高いと思われる。以前アーメリングがこの曲を録音して、ステージでも聴かせてくれた時、最後にピアノのメロディに合わせて美しいハミングを歌っていたが、カレーラスはこの箇所で歌っていない。楽譜を持っていないので未確認だが、あれはアーメリングの独断での追加だったのだろうか。

オブラドルスはスペイン人歌手が好んで歌う作曲家であろう。「いちばん細い髪の毛で」では、きみの髪の毛で鎖を編むのは傍につなぐため、きみの家の水がめになれたらきみが水を飲むたびにキスできるのにという単純な詩の内容で、オブラドルスの繊細な編曲が詩を凌駕してしまっている感もある。美しいアルペッジョのピアノと繊細この上ない歌は、カレーラスの優しい声とカッツの繊細なタッチで素晴らしく演奏されていた。

最後を飾るトゥリーナの「歌のかたちの詩」は全曲、あるいは抜粋で比較的よくとりあげられるレパートリーだろう。第1曲の「献呈」では、普段伴奏を専門にしているピアニストのソロ演奏が聴ける貴重な作品である。この曲のテーマは第4曲でも再びあらわれる。死ぬ前にこれまで憎んできた人は許してやるが、愛したお前だけは許さないという第2曲、お前からのがれようとするほど身近に感じてしまうという第3曲、昨晩お前は「そんなに近づくとこわい」と言ったくせに今夜は「そんなに離れたらこわい」と言うという第4曲、ヴィーナスよ、あなたを時間をかけて思慮深く愛そうと言う言葉に対し、ヴィーナスは、短くても狂ったように愛してほしいと答えるという第5曲、いずれも愛し合う男女の一場面が生き生きと描かれている。トゥリーナの音楽もスペイン情緒全開で、濃密な感情を表現している。

ホセ・カレーラス(1946-)のテノールとしてはやや重めな声は、これらの小品に細やかな陰影を加え、解放的なだけではない奥行きを与えている。作品のそこかしこに込められた悲哀を表現するのにうってつけの声と表現だと言えるのではないか。「歌のかたちの詩」の第3曲「唄」での深い情の込もった声は凄みすら感じられた。「恋に夢中」では力強い声の威力に有無を言わせぬ感動を与えてくれた(それが単なる声の誇示に留まらないのも彼の美質の一つであろう)。

マーティン・カッツ(1945-)の名前をはじめて知ったのは、80年代にキリ・テ・カナワのリサイタルがTVで放映された時だった。その時の丸刈りの頭が印象に残っている。カッツの演奏は、アメリカ人らしいスマートさ、器用さに加えて、ピアノを歌わせることへの志向を感じさせ、さりげない味わいが織り込まれる。「歌のかたちの詩」の第1曲のソロでは歌曲集の中での位置づけを感じながら情熱を盛り込み、第2曲以降の演奏と自然につないでいたのが素晴らしかった。「バラと柳」での美しい演奏も印象的。

2007年3月現在、このCDは入手が難しいようです。演奏も素晴らしく、見事な選曲なので、いつか復活するといいのですが。

(濱田滋郎氏の対訳と解説を参照させていただきました。)

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ジェラルド・ムーア没後20年

イギリスが生んだ歌曲演奏の伝説的ピアニスト、ジェラルド・ムーア(Gerald Moore: 1899.7.30 - 1987.3.13)が亡くなってから今日でちょうど20年が経った。この偉大なピアニストは私がクラシック音楽にのめり込むきっかけを与えてくれた人であり、今でも最も尊敬する音楽家である。

まず、彼の経歴を振り返ってみたい。

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Moore_unashamed_accompanist1899年7月30日:イギリス、ハートフォードシャー州(Hertfordshire)ウォトフォード(Watford)で、3人兄弟の長男として誕生。

幼少時代、ウォトフォード音楽学校(Watford School of Music)でウォリス・バンディー(Wallis Bandey: 1878-?)から最初のピアノのレッスンを受ける。

1913年:家族でカナダのトロントへ移住し、そこでマイクル・ハンバーグ(Michael Hambourg: 1855-1916)にピアノを学び、独奏者、伴奏者として最初のリサイタルを開く。

1919年:イギリスに戻り、マイクル・ハンバーグの息子のマーク・ハンバーグ(Mark Hambourg: 1879-1960)に学ぶ。また、リサイタル・ツアーの伴奏者を引き受ける。

1921年:レコード録音の長いキャリアをHMVで始める(ヴァイオリニストのルネ・シュメー(Renée Chemet: 1888-?)と共演)。

1925年:ムーアが芸・技を彼から学んだと後に述懐したテノール歌手ジョン・コーツ(John Coates: 1865-1941)の伴奏者を始める。

1929年:カナダ人と結婚(3~4年後離婚。後にイーニッド(Enid Kathleen)と再婚)。

1931年:初めてパリで演奏する(ラインホルト・ファン・ヴァーリヒと共演)。

1945年:パブロ・カザルス(Pablo Casals: 1876-1973)と初共演。

1950年3月4日:ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(Victoria de los Angeles: 1923-2005)と彼女のロンドン・デビュー・リサイタルで初共演(ウィグモア・ホール)。

1951年10月:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau: 1925-)と初共演(EMIへの録音:「美しい水車屋の娘」「遥かな恋人に」ほか)。

1965年10~11月:初来日して、日本人歌手たちと共演。公開レッスンも開く。
1965年10月21日(木):中山悌一(BR):シューベルト/「冬の旅」(東京文化会館)
1965年10月22日(金):野崎幸子(MS):モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ワーグナー、ヴォルフ(神奈川県立音楽堂)
1965年10月24日(日):川村英司(BR):ブラームス/「四つの厳粛な歌」;シューマン/「詩人の恋」(日生劇場)
1965年11月1日(月):市来崎(いちきざき)のり子(MS):シューマン、R.シュトラウス他(毎日ホール(大阪))
1965年11月5日(金):佐々木成子(A):シューベルト(イイノホール)
1965年11月9日(火):三宅春恵(S):モンテヴェルディ、カッチーニ、グルック、ヘンデル、シューマン、石井歓、團伊玖磨、ブラームス、R.シュトラウス(東京文化会館(小))
1965年11月11日(木):平田黎子(S);木村宏子(MS);築地利三郎(BSBR):<日本フーゴー・ヴォルフ協会例会>ヴォルフ(虎の門ホール)
1965年11月12日(金):<ジェラルド・ムーア歌曲・伴奏法特別公開レッスン>(第一生命ホール)

1967年2月20日:ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール(Royal Festival Hall)で引退演奏会に出演(シュヴァルツコプフ、デ・ロス・アンヘレス、F=ディースカウが共演)。

1987年3月13日:イギリス、バッキンガムシャー州(Buckinghamshire)ペン(Penn)で就寝中に死去(87歳)。

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次に、ムーアの膨大な共演者リストの一部を。

1)ソプラノ歌手
エリー・アーメリング
イソベル・ベイリー
リーサ・デラ・カーサ
マッティウィルダ・ドッブス
キルステン・フラグスタート
マルタ・フックス
アグネス・ギーベル
リア・ギンスター
エリーザベト・グリュンマー
デイム・ジョーン・ハモンド
エーリカ・ケート
ゼルマ・クルツ
フリーダ・ライダー
アンネリーゼ・ローテンベルガー
ジョーン・サザーランド
エリーザベト・シューマン
エリーザベト・シュヴァルツコプフ
レナータ・スコット
イルムガルト・ゼーフリート
エリサベト・セデルストレム
テレサ・スティッチ=ランドール
デイム・マギー・テイト
ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス
ヨー・フィンセント

2)メッゾ・ソプラノ&アルト歌手
デイム・ジャネット・ベイカー
テレサ・ベルガンサ
アストラ・デズモンド
キャスリーン・フェリア
エレーナ・ゲールハルト
エリーザベト・ヘンゲン
クリスタ・ルートヴィヒ
ナン・メリマン
ケルスティン・メイアー
フローラ・ニールセン

3)テノール歌手
ヴィクター・カーン
ジョン・コーツ
カール・エルプ
ニコライ・ゲッダ
ヴェルナー・クレン
ホルスト・R.ラウベンタール
ジョン・マコーマック
ラウリツ・メルヒオル
ヘドル・ナッシュ
ユーリウス・パツァーク
ヘルゲ・ロスヴェンゲ
アクセル・シェッツ
ルードルフ・ショック
ペーター・シュライアー
セット・スヴァンホルム
フェルッチョ・タリアヴィーニ

4)バリトン&バス歌手
ピエール・ベルナック
ヴァルター・ベリー
キム・ボルイ
フョードル・シャリヤピン
ボリス・クリストフ
ピーター・ドーソン
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
ティート・ゴッビ
ロイ・ヘンダーソン
ハンス・ホッター
ゲールハルト・ヒュッシュ
ロバート・アーウィン
ヘルベルト・ヤンセン
アレクサンダー・キプニス
ベンジャミン・ラクソン
ヘルマン・プライ
ティッタ・ルッフォ
ベルナルト・セネルステット
ルートヴィヒ・ヴェーバー

5)管楽器奏者
リチャード・アドニー(FL)
レオン・グーセンス(OB)
ハインリヒ・ゴイザー(CL)
レジナルド・ケル(CL)
ジャーヴァス・ド・ペイアー(CL)
フィリップ・ジョーンズ(TRP)
デニス・ブレイン(HRN)

6)ヴァイオリン奏者
ギラ・ブスタボ
ルネ・シュメー
ミッシャ・エルマン
シモン・ゴルトベルク
アルテュール・グリュミオー
イダ・ヘンデル
ヨセフ・ハッシド
サー・イェフディ・メニューヒン
ナタン・ミルステイン
ヴォルフガング・シュナイダーハン
ヨーゼフ・シゲティ
ティボル・ヴァルガ

7)ヴィオラ奏者
ウィリアム・プリムローズ
バーナード・ショア
ライオネル・ターティス

8)チェロ奏者
パブロ・カザルス
ガスパール・カサド
ジャクリーン・デュ・プレ
エマヌエル・フォイアーマン
ピエール・フルニエ
ビアトリス・ハリソン
アンドレ・ナヴァラ
ヤーノシュ・シュタルケル
ギリェルミーナ・スッジア
ポール・トルトリエ

9)その他
ステュアート・ナッセン(CB)
ダニエル・バレンボイム(P)
ルース・ファーモイ(P)
グレアム・ジョンソン(P)
ラリー・アドラー(Harmonica)

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ムーアの膨大な録音の中にはソロ演奏も少数だが含まれている。私の把握している限りでは以下の通り。

バルトーク/「子供のために」より~第5、7、31、22、13、71、54、42、10、16、1、55、3、30番(HMV: B.9882, B.9883)

バルトーク/「ルーマニアのクリスマス・キャロル」より~第1巻第5&2曲、第2巻第9曲(HMV: B.9883)

バルトーク/「ミクロコスモス」より~第97、128、113、125、130、138、100、139、116、109番(HMV: B.10409, B.10410)

ヘラー/練習曲ホ長調Op. 45-9(HMV: B.9936)

シューベルト(ムーア編)/音楽に寄せてD547(全2節)(HMV: B.9936)

シューベルト(ムーア編)/音楽に寄せてD547(1節のみ)(EMI)(CD化されている)(1967年2月20日ロンドン・ライヴ)

トゥリーナ/「歌の形の詩」より~献呈(EMI)(CD化されている)(ニコライ・ゲッダの歌曲集)

私は「ミクロコスモス」抜粋とヘラーの練習曲を除くすべてを聴くことが出来たが、バルトーク「子供のために」における温かい血の通った演奏は素晴らしかった。引退記念コンサートでの「音楽に寄せて」の染み入るような歌心の豊かさはあらためて言うまでもないだろう。

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ムーアは演奏の手引きから肩の凝らないエッセー、自叙伝まで何冊かの著作を残している。邦訳されているものも多いのでご覧になった方もいらっしゃるだろう。

1)The Unashamed Accompanist (London, 1943, 3/1984) 伴奏者の発言(大島正泰訳:音楽之友社:1959)

2)Singer and Accompanist: The Performance of Fifty Songs (London, 1953, 2/1982) 歌手と伴奏者(大島正泰訳:音楽之友社:1960)

3)Am I Too Loud?: Memoirs of an Accompanist (London, 1962) お耳ざわりですか-ある伴奏者の回想-(萩原和子・本澤尚道共訳:音楽之友社:1982)

4)The Schubert Song Cycles with thoughts on performance (London, 1975) シューベルト三大歌曲集 : 歌い方と伴奏法(竹内ふみ子訳:シンフォニア:1983)

5)Farewell Recital (London, 1978)

6)Poet's love: the Songs and Cycles of Schumann (London, 1981)

7)Furthermoore: Interludes in an Accompanist's Life (London, 1983)

「伴奏者の発言」では伴奏は生まれつきのものではなく、習得できる技術であると言い、その奥義をジャンルごとに説き明かす。
「歌手と伴奏者」では各国の歌曲を50曲とりあげて、主に演奏のヒントを与える。
「お耳ざわりですか」はムーアの自伝で、伴奏者としての道のりを特有のユーモアを交えて著す。シャリヤピンやカザルスなど共演者たちのエピソードも楽しめる。
「シューベルト三大歌曲集」はその名の通り、「美しい水車屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」の全曲の演奏法を説く。
"Farewell Recital"は、1967年の引退コンサートなど、彼の半生を振り返るエッセイ。
"Poet's love"は所有していないが、「詩人の恋」などシューマンの歌曲について書かれているようだ。
"Furthermoore"もエッセイ集で、23の章から成る。

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ジェラルド・ムーアの演奏と語りを今や映像で見ることが出来る。
N.ゲッダ、T.スティッチ=ランドール、J.サザーランド、E.シュヴァルツコプフ、K.ボルイ、C.ルートヴィヒと共演した"WORLD SINGERS"というDVDには、かつてBBCで放送された歌曲リサイタルがモノクロ映像だがたっぷり収録されている(150分)。手首はやわらかく、上体の動きは必要最低限に留めながら、歌手と息を合わせた妙技を目と耳で味わうことが出来る。

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ルチア・ポップ/スラヴ歌曲集

ソプラノ歌手のルチア・ポップ(Lucia Popp: 1939.11.12, Uhorška Veš (Bratislava) - 1993.11.16, München)は、歌曲の歌い手として私の好きな一人である。
細く、メタリックな光沢をもった透明な美声はそれだけでも十分魅力的だが、細かいヴィブラートを付けて歌われるその歌は知性的で、詩のメッセージを優しく的確に伝えてくれる。コロラトゥーラ出身ながらリリックで繊細な表現を聴かせる。故井上直幸さんのピアノ共演で東京で開いたリサイタルの翌年に亡くなってから、もう14年が経ってしまった。そんな彼女の演奏の中で特に素敵な録音「スラヴ歌曲集」について記してみたい。

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Popp_parsons_dvorakルチア・ポップ/スラヴ歌曲集

クラウンレコード: PALETTE/ACANTA: PAL-1092
ルチア・ポップ(Lucia Popp)(S)
ジェフリー・パーソンズ(Geoffrey Parsons)(P)
録音:1979年8月24~26日、Bavaria Studio, München

ドヴォルザーク(Dvořák)/“民謡の調べで”作品73 
1)娘が草を刈っていた (Žalo dievča, žalo trávu) (no.2)
2)ああ、ここにはないの (Ach, není tu) (no.3)
3)エイ、俺の馬は天下一 (Ej, mám já koňa faku) (no.4)
4)おやすみ (Dobrú noc) (no.1)

プロコフィエフ(Prokofieff)/“ロシア民謡(独唱用編曲)”作品104より
5)茶色の瞳 (Кари глазки) (no.10)
6)緑の木立 (Зелёная рощица) (no.2)
7)修道僧 (Чернец) (no.12)
8)白い小雪 (Снежки булыу) (no.5)

コダーイ(Kodály)/“ピアノと声楽のためのハンガリー民俗音楽”より
9)森は緑の時がきれい (Akkor szép az erdö mikor zöld)
10)若さはあの鷹のよう (Ifjúság mint sólyom madár)
11)馬車、荷車、馬車、橇 (Kocsi szekér, kosci szán)
12)恋人を呼ぶ (Elkiáltom magamat)

ヤナーチェク(Janáček)/“モラヴィアの民俗詩による歌曲”より
13)恋 (Łáska)
14)分からないの (Nejistota)
15)歌う娘 (Zpĕvulenka)
16)あの人の馬 (Koníčky milého)
17)ムギナデシコ (Koukol)
18)ハシバミの実 (Oříšek léskový)
19)花の魔力 (Kvítí milodĕjné)
20)手紙 (Psaníčko)
21)慰めの涙 (Slzy útěchou)

(上記の日本語表記はすべてCD記載の通り)

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ドヴォジャーク

1)「娘が草を刈っていた」
娘が草運びを若者に頼むと、俺との結婚に反対したご両親に頼むがいいと断り、未練の気持ちを訴えるという内容。活気のある曲。

2)「ああ、ここにはないの」
ここには私を喜ばせるものは無い。私の貰うものは欲しくないものばかり。心のない男を押し付けないでほしいという内容。前曲とこの曲をつなげて配置しているのはなかなかよく考えられていると思う。ゆったりとした優しいピアノの響きの上で心に響く印象的な旋律が歌われる。

3)「エイ、俺の馬は天下一」
天下一の馬を持っていた。シジュウカラを飼っていた。火花のような恋人もいたが、俺を裏切りほかの男に心変わりしたと歌われる。各節とも最初のうちは冷静に事情を報告しているが、最後の行で雰囲気が一転し、切々と歌われる。ここでも前の曲の次にこの曲が配置されたのはドヴォジャークの意図を感じる。

4)「おやすみ」
本来はこの“民謡の調べで”の第1曲に配置されているもの。詩は穏やかで、ありがちな子守歌だが、その哀しげなメロディーは心を揺さぶられるほど美しい!全2節の有節形式。

プロコフィエフ

5)「茶色の瞳」
茶色の瞳の恋人と離れ、会えない気持ちを嘆き、獣に私の体を引き裂かせて心臓を恋人に届けさせたいと歌う。細かい音型のピアノに乗って、深刻な歌を響かせる。右手の三連符(おそらく)と左手の低音の旋律の動きや、後奏の感じなど、どことなくブラームスを思わせる。

6)「緑の木立」
緑の木立はどうして花を咲かさず、ナイティンゲールはどうして歌わないのかという問いに対して、あの人が来ないから、振り向いてくれないからと答える歌。ぽつぽつと刻むピアノの上で問いが低い音で歌われ、答える箇所は一転して流れるような響きになり、最後に元の調子に戻る。

7)「修道僧」
修道僧が散歩をしていると、向こうからお婆さんの群れ、若い女性の群れ、年頃の娘の群れが次々とやってくる。最初は修行の身であるから惑わされないように自分に言い聞かせていたが、最後には祈りはもう十分、結婚したっていいじゃないかと開き直るという内容。早口な歌は終始コミカルで、韻を踏んだ言葉の羅列が楽しい。ピアノはリズミックな箇所と旋律的な箇所が交代したり交差したりして縦横無尽に活躍する。一見メカニックで情を排したようなピアノの書法がかえってユーモラスな味を出している。プロコフィエフの面目躍如たる作品。

8)「白い小雪」
雪は野原を覆うが、私の悲しみは覆い隠せない。だが、私の涙が尽きるころには雪も溶けて緑が生い茂るだろうという内容。ゆったりとした息の長い旋律が歌われ、最後には気持ちが浄化されたかのように希望を感じさせて終わる。

コダーイの4曲はいずれもハンガリー情緒豊かで耳に残る作品ばかりである。とりわけ「若さはあの鷹のよう」は、鷹のような自由さに憧れながらもそれが出来ない者の苦悩と祈りが歌われるが、1曲の芸術歌曲として通用する内容の充実と訴求力の強さを感じる。
「馬車、荷車、馬車、橇」は(おそらく)意味のないリフレイン"libilibi lim, lom,..."がコミカルで、ピアノの洒落た響きも楽しい。

ヤナーチェクの9曲は作風の異なる様々な曲が選ばれて、ポップの選曲眼のうまさを感じさせられた。
中でも私が一番印象に残ったのは「あの人の馬」という曲。「馬の駆け足を思わせる音画的手法」(解説の佐川吉男氏の表現)として、ピアノの片手は早いスピードでスケールを繰り返し、もう片方の手による後打ちのリズムも加わり、軽快で実に楽しい作品になっている。
「歌う娘」はピアノの独特なユニゾンの響きの上で民族色の濃いメロディが印象的である。
あなたを愛しているのか私には分からないけれど、今晩家に来れば母が教えてくれると歌う「分からないの」や、林の小枝で庭を作り、そこにムギナデシコの種を蒔くのはあなたのためと歌う「ムギナデシコ」では、細かい同音(あるいはオクターヴ)反復がピアノに聴かれ、佐川氏曰くツィンバロンに影響を受けた書法とのこと。
個性の強い曲の中で、素朴な民謡風の「ハシバミの実」はほっと一息つける小品である。
私が鳥ならあの人の庭の上から見てみたい、すると恋人は私に手紙を書いていると歌われる「手紙」は、流れるピアノの分散和音の上で懐かしいような優しい歌が歌われ、民族色の強い他の曲とは違った普遍的な魅力が感じられた。
アルバム最後を締めくくる「慰めの涙」は、まるでシュヴァルツコプフが好んで歌ったスイス民謡のような簡素で気楽な3拍子の曲で、「歌うのが好きな人もいれば涙に慰められる人もいる、だから私が泣いていても放っておいて」という詩の内容と一見合わないようにも感じられる。だが、悲しみを明るく歌い飛ばすのも民謡の魅力の一つなのかもしれない。

解説によるとポップはこの録音で、チェコ語、スロヴァキア語、ロシア語、ハンガリー語をすべて原語で歌っているという。その発音がどうこうということは私には分からないが、明瞭な言葉の響きはとても心地よい。その音楽への姿勢は、いつも通り誇張を排し、作品に誠実に向き合っているのが感じられる。美しい高音は繊細であると同時に華やかで、一時も飽きることなく、一気にこれらの小さな民謡たちを最後まで魅力的に聴かせてくれる。

ヤナーチェクの「あの人の馬」はコジェナー&G.ジョンソンの録音(DG)もあるが、あちらが競争しているような早いテンポで若干あわただしい感があるのに比べ、ポップたちのテンポはちょうどいい感じで、印象的なメロディが楽しげに歌われ、パーソンズの弾く馬の表現と後打ちのリズムも素晴らしい。また、プロコフィエフ「修道僧」での二人の絶妙な表現と、ドヴォジャーク「おやすみ」でのこの上なく美しい子守歌の演奏もとりわけ印象的だった。

ジェフリー・パーソンズの数多い録音の中でもこのCDはベストの一つだと思う。「節度がある」という評は共演ピアニストにとってはあまり有難くない言葉だろうが、良い意味で彼の演奏には考え抜かれたコントロールの妙味があり、行き過ぎない範囲でそれぞれの音に最大の息吹を吹き込んでいるとでも言ったらいいだろうか。確かに彼の演奏に民謡のもつ粗野なエネルギーはあまり求められないだろうが、落ち着いた響きの中から作曲家の意図したであろう響きが見事なまでに浮かび上がってくる。卓越したリズム感覚と素晴らしく美しい音色で貫かれ、そのテクニックの巧みさは「修道僧」などに遺憾なく発揮されていた。

上記のCDはすでに廃盤になっているかもしれませんが、手にする機会がありましたらぜひ聴いてみていただけたらと思います。

(佐川吉男氏によるCD解説と、橋本ダナ氏(プロコフィエフ以外)、一柳富美子氏(プロコフィエフ)による訳詩を参照させていただきました。)

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ツェムリンスキー「夕暮れのハーモニー」(ボドレールの原詩による)

前回のベルク作曲「ワイン」の記事のためにボドレールの詩の独訳を翻訳してみて、この詩人の詩の面白さを再認識し、他に独訳された彼の詩による歌曲を探してみたところ、ドビュッシーのボドレール歌曲集で使われている"Harmonie du soir"の独訳にツェムリンスキーが作曲していることを知り、訳してみた。この詩も「悪の華」に含まれ、独訳はアントーン・エングレルトという人による。
この曲が含まれているCD(SONY CLASSICAL: SK 57 960)もたまたま持っていたので、ルート・ツィーザク(S)&コルト・ガルベン(P)の演奏を聴いてみたが、かなり色彩感豊かな音楽になっている。ドビュッシーの曲とは全く雰囲気は違うものの、詩にも出てくるワルツのリズムを基調にして、色合いを音で表現しようとしているように感じられた。

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Harmonie des Abends
 夕暮れのハーモニー

Es naht sich der Abend mit düsterem Schweigen,
Den zitternden Blüten ein Weihrauch entquillt;
Die Luft ist mit kreisenden Düften erfüllt.
O schmerzlicher Walzer, o schmachtender Reigen!
 薄暗く沈黙した夕暮れが近づき、
 震える花々から香が湧き出る。
 大気は旋回する香りに満たされている。
 おお、苦悩のワルツよ、おお、喘ぐ輪舞よ!

Den zitternden Blüten ein Weihrauch entquillt.
Wie ein Herz, das gekränkt ward, erzittern die Geigen.
O schmerzlicher Walzer, o schmachtender Reigen!
Ernst prangt wie ein Altar des Äthers Gefild.
 震える花々から香が湧き出る。
 傷ついた心のように、ヴァイオリンは震える。
 おお、苦悩のワルツよ、おお、喘ぐ輪舞よ!
 天空の祭壇のように野は厳粛に輝きわたる。

Wie ein Herz, das gekränkt ward, erzittern die Geigen,
Wie ein Herz, dem es bangt, wenn der Tag sich verhüllt;
[Ernst prangt wie ein Altar des Äthers Gefild.]
Die Sonne, sie scheint sich verblutend zu neigen.
 傷ついた心のように、ヴァイオリンは震える、
 昼が身を隠すときの不安な心のように。
 [天空の祭壇のように野は厳粛に輝きわたる。]
 太陽、それは血を流し息絶えながら傾いていくようだ。

Ein Herz, dem es bangt, wenn der Tag sich verhüllt,
Sucht Strahlen, die aus der Vergangenheit steigen.
Die Sonne, sie scheint sich verblutend zu neigen.
Gleich einer Monstranz in mir leuchtet dein Bild.
 昼が身を隠すときの不安な心は
 過去から立ち昇る光線を捜し求める。
 太陽、それは血を流し息絶えながら傾いていくようだ。
 聖体顕示台さながら私の中であなたの姿が輝くのだ。

O schmerzlicher Walzer, o schmachtender Reigen!
 おお、苦悩のワルツよ、おお、喘ぐ輪舞よ!

原詩:Charles Pierre Baudelaire (1821.4.9, Paris - 1867.8.31, Paris)
訳詩:Anton Englert (?-?)
曲:Alexander Zemlinsky (1871.10.14, Wien - 1942.3.15, Larchmont, New York):1916年作曲

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ボドレールの詩は各節2、4行目が次の節の1、3行目にそのまま使われているが、エングレルトによる訳詩もおおよそその通りになっている。ただし、第3節がツェムリンスキーの曲では3行分しかなく、第2節の第4行(天空の祭壇のように野は厳粛に輝きわたる)が第3節第3行に流用されていない。これはエングレルトの訳詩がもともとこうなっているのか、それともツェムリンスキーによる省略なのかは調べがつかなかった。ただ、第1節の第4行(おお、苦悩のワルツよ、おお、喘ぐ輪舞よ!)が曲の最後に再度繰り返されているのは、おそらくツェムリンスキーによる追加なのではないだろうか。

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