« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »

アーメリング初出音源(アルバン・ベルク/コンサートアリア「ワイン」)

久しぶりにエリー・アーメリングの録音が発売された。コンセルトヘボウ管弦楽団の1970年~1980年までの放送録音を収めた"Anthology of the Royal Concertgebouw Orchestra"(RCO: RCO 06004)という14枚組のCDの中に彼女の演奏が2曲含まれている。1つはバッハの結婚カンタータ「今ぞ去れ、悲しみの影よ」BWV202(オイゲン・ヨッフム指揮)、もう1つはアルバン・ベルクのコンサート・アリア「ワイン」(一般的には「ぶどう酒」と訳されるようだ)(エーリヒ・ラインスドルフ指揮)である。バッハはかつてTAHRAレーベルから出ていたものと同一音源だが、TAHRA盤がカンタータ全曲で1トラックだったのに対して、今回のRCO盤は9トラックに分けてあるので、途中のアリアを取り出して聴くのに便利である(歌唱の伸び伸びとした美しさは言うまでもない)。そして、ベルクの「ワイン」は初出音源であり、スタジオ録音もおそらくされていないので貴重な録音で、RCOに感謝である!アーメリングはベルクでは「ワイン」のほかにも「7つの初期の歌」や「アルテンベルク歌曲集」もレパートリーにしていたそうなので、いつか発見されることを期待したい。

ベルク(Alban Berg: 1885-1935)の「ワイン(Der Wein)」は、シャルル・ボドレール(Charles Baudelaire: 1821-1867)の「悪の華(Les fleurs du mal)」の中の詩に、彼同様象徴派のシュテファン・ゲオルゲ(Stefan George: 1868-1933)が独訳した3篇の詩をまとめて1曲にしたコンサート・アリア(Konzertarie)で、歌劇「ルル」作曲の合間に作られた。おそらく12音音楽といっていいのだろうが、詩に応じた音楽の描き分けが聴き取れて、詩が単なる素材にとどまっていないように感じられた。オーケストラ・パートも混沌としているようでいて、実は統率がとれているという感じで、案外詩の展開に沿っていて、知らず知らず惹き込まれる引力をもっているように思った。アーメリングの歌うベルクはまずその発音の明瞭さに驚かされる。難曲のはずなのに何でもないようにすっきりと歌ってしまう。聴き易くはない12音音楽がぐっと親しみやすくなるのは彼女ならではであろう。私はザビーネ・ハス(Sabine Hass)の歌った録音も聴いたが、ハスの濃密で爛熟した表現はアーメリングにはあまり無い特質である。ベルクの音楽が求めるものをより表現しているのはハスの方だろう。だがアーメリングのはっきりとした語り口と、ぴたっと決まる音程の見事さ、それに張りのある伸びやかな美声は、20世紀前半のこの種の音楽に馴染みの薄い私のような聴き手には一気に曲を身近な存在に感じさせてくれるのである。

Ameling_berg_rco"Anthology of the Royal Concertgebouw Orchestra 1970-1980"(RCO: RCO 06004)

CD8
バッハ/結婚カンタータ「今ぞ去れ、悲しみの影よ」BWV202 (22'43)
 Elly Ameling(S)
 Royal Concertgebouw Orchestra
 Eugen Jochum(C)
 1973年4月5日コンセルトヘボウでのライヴ録音

CD9
ベルク/コンサート・アリア「ワイン」 (13'00)
 Elly Ameling(S)
 Royal Concertgebouw Orchestra
 Erich Leinsdorf(C)
 1973年12月2日コンセルトヘボウでのライヴ録音

CD収録全曲の内容は以下のサイトにあります。
http://www.hmv.co.jp/Product/detail.asp?sku=2513439

----------------------------------------------------

Der Wein
 ワイン

1. Die Seele des Weines
 ワインの魂

Des weines geist begann im fass zu singen:
Mensch - teurer ausgestossener - dir soll
Durch meinen engen kerker durch erklingen
Ein lied von licht und bruderliebe voll.
 ワインの精が樽の中で歌い始めた。
 人間よ、親愛なる追放されし者よ、おまえに
 わが狭き牢獄を通して響かせよう、
 光と兄弟愛にあふれた歌を。

Ich weiss: am sengendheissen bergeshange
Bei schweiss und mühe nur gedeih ich recht
Da meine seele ich nur so empfange
Doch bin ich niemals undankbar und schlecht.
 私は知っている、焼けつくように暑い山の斜面で
 汗と苦心によってのみ私が良く育つことを。
 私の魂を私はこのようにしてのみ受け取るのだが、
 決して恩知らずでも、悪さをするわけでもない。

Und dies bereitet mir die grösste labe
Wenn eines arbeit-matten mund mich hält
Sein heisser schlund wird mir zum kühlen grabe
Das mehr als kalte keller mir gefällt.
 そして私を最も元気にしてくれるのは、
 働き疲れた者の口が私に当たるときだ。
 その熱い喉が私には涼しい墓になる、
 そこは冷たい貯蔵室よりも私のお気に入りなのだ。

Hörst du den sonntagsang aus frohem schwarme?
Nun kehrt die hoffnung prickelnd in mich ein:
Du stülpst die ärmel - stützest beide arme
Du wirst mich preisen und zufrieden sein.
 陽気な群集が日曜日に歌う歌が聞こえるかい?
 今や希望が泡立ちながら私の中で休憩している。
 あなたは袖を折り返して、両腕を支える、
 あなたは私を褒め称え、満足するであろう。

Ich mache deines weibes augen heiter
Und deinem sohne leih ich frische kraft
Ich bin für diesen zarten lebensstreiter
Das öl das fechtern die gewandtheit schafft.
 私はあなたの夫人の目を明るくし、
 あなたの息子に新鮮な力を貸し与える。
 私はこのか弱き人生の闘士にとって、
 剣士の機敏さを作り出す油となるのだ。

Und du erhältst von diesem pflanzenseime
Den Gott - der ewige sämann - niedergiesst
Damit in deiner brust die dichtkunst keime
Die wie ein seltner baum zum himmel spriesst.
 そして、あなたはこの植物の液から受け取るのだ、
 神、つまり永遠なる種蒔き人が注ぎ落とす液から、
 あなたの胸の中で詩歌が芽生えるように、
 珍しい木のように天に向けて芽吹く詩歌が。

  -------------------------

2. Der Wein der Liebenden
 恋する二人のワイン

Prächtig ist heute die weite
Stränge und sporen beiseite
Reiten wir auf dem wein
In den feenhimmel hinein!
 今日の彼方はきらめている、
 綱と拍車は脇にやり、
 ワインにまたがって
 妖精たちの天空へ進み行こう!

Engel für ewige dauer
Leidend im fieberschauer
Durch des morgens blauen kristall
Fort in das leuchtende all!
 天使は永遠に
 悪寒に苦しみながら、
 朝の青い結晶を通って
 輝く宇宙へと進むのだ!

Wir lehnen uns weich auf den flügel
Des windes der eilt ohne zügel.
Beide voll gleicher lust
 私たちはやさしくもたれかかる、
 手綱も無いまま、急ぐ風の翼に。
 二人とも同じほどの喜びにあふれて、

Lass schwester uns brust an brust
Fliehn ohne rast und stand
In meiner träume land!
 妹よ、寄り添って
 休まず立ち止まらず逃げようよ、
 わが夢の国へと!

  -------------------------

3. Der Wein des Einsamen
 孤独な男のワイン

Der sonderbare blick der leichten frauen
Der auf uns gleitet wie das weisse licht
Des mondes auf bewegter wasserschicht
Will er im bade seine schönheit schauen
 軽薄な女たちの奇妙なまなざし、
 我々に滑らせるそのまなざし、
 あたかもゆらめく水面の月の白光のようだ、
 月は水浴しながら己の美しさを見ようとする。

Der letzte thaler auf dem spielertisch
Ein frecher kuss der hagern Adeline
Erschlaffenden gesang der violine
Der wie der menschheit fernes qualgezisch -
 賭博台の上の最後のターラー銀貨、
 やせこけたアデリーネの無遠慮なキス、
 ヴァイオリンのたるんだ歌、
 それは人間が彼方から漏らす苦痛のうめき声のようだ。

Mehr als dies alles schätz ich - tiefe flasche -
Den starken balsam den ich aus dir nasche
Und der des frommen dichters müdheit bannt.
 これらすべてよりありがたいのは、深き瓶よ、
 あなたの中から失敬した強いバルサムだ。
 それは実直な詩人の疲労を封じ込めてくれる。

Du gibst ihm hoffnung liebe jugendkraft
Und stolz - dies erbteil aller bettlerschaft
Der uns zu helden macht und gottverwandt.
 あなたが詩人に与えてくれるのは、希望と愛と若き力、
 それに誇り-すなわち、あらゆる物乞いの素質、
 詩人は我らを英雄にも神の一族にもしてくれるのだ。

原詩:Charles Pierre Baudelaire (1821.4.9, Paris - 1867.8.31, Paris):L'âme du vin / Le vin des amants / Le vin du solitaire
訳詩:Stefan Anton George (1868.7.12, Büdesheim - 1933.12.4, Minusio)
曲:Alban Maria Johannes Berg (1885.2.9, Wien - 1935.12.24, Wien):1929年作曲

(訳注:名詞の最初が小文字なのは、ゲオルゲの原文がそのようになっているようです。)

----------------------------------------------------

余談だが、アルバン・ベルクには「私の両目を閉じて(Schliesse mir die Augen beide)」というシュトルム(名作「みずうみ(Immensee)」で知られる作家、詩人:Theodor Storm:1817-1888)の詩による短い歌曲が2種類ある。1回目は1907年、2回目は1925年の作曲だが、この20年近い経過でベルクの書法がすっかり変わった証言として聴き比べるのも興味深いと思う。マーガレット・マーシャル(S)&ジェフリー・パーソンズの演奏(DG:1984年8月録音)がなかなかいいが、確かジェシー・ノーマンもこの2種を録音していたと思う。

| | | コメント (2) | トラックバック (0)

シュヴァルツコプフ日本公演曲目1974年

シュヴァルツコプフ4回目の来日公演は、4種のプログラムで8都市9公演が行われた。演奏家としての来日はこの時が最後である。彼女の公演はこれまでもそうだったが、2日連続で行われることは一度もない。声の管理に留意して最高の状態で披露するためのスケジューリングなのだろう。

4種類中、作曲家のあらわれる回数は以下の通り。
4回:シューベルト、R.シュトラウス、ヴォルフ
3回:シューマン
2回:ブラームス、マーラー
1回:リスト、プフィッツナー、キルピネン、グリーグ、バッハ、グルック、モーツァルト

これまでの3回の来日公演では、全プログラムに共通の作曲家は1人もいなかったが、今回はシューベルト、R.シュトラウス、ヴォルフの3人の作品がすべてのプログラムに含まれているのが興味深い。

また、これまでの来日プログラムでは異なるプログラムに共通の作品を含めることは無かったが、今回の最後(12月10日)に行われた“さよなら”演奏会の曲目は、プログラムA~Cに含まれる曲も多く含んでいる。ドイツリートの歴史を辿るような彼女の十八番ばかり集めた一夜と言えるだろう。おまけに彼女の代名詞のような元帥夫人の一場面まで歌っている(元帥夫人の衣装をつけて歌ったそうである)。

今回の選曲の中で、現在までに録音で聴くことの出来ないレパートリーは以下の通りである。
プログラムA:シューベルト「春の思いD686」;同「春のあこがれD957-3」;ブラームス「ザラマンダーOp. 107-2」
プログラムB:シューベルト「辻音楽師D911-24」;プフィッツナー「孤独な女Op. 9-2」;キルピネン/歌曲集「愛の歌」第2集(全5曲)
プログラムC:グリーグ「ばらのつぼみOp. 18-8」

キルピネンの歌曲集「愛の歌」の中の「小さな歌」だけはDECCAへの最後のレコード用に1979年1月3日にヴィーンで録音されているが、残念ながらお蔵入りとなった。シュヴァルツコプフは「冬の旅」の中の曲を「菩提樹」以外録音で残さなかったが(「菩提樹」もライヴ録音だが)、「辻音楽師」をどのように歌ったのか聴いてみたいものである。

(以下、曲名の日本語表記は原則としてプログラム冊子の記載通り。整理番号のないものには原タイトルを併記。)

--------------------

第4回来日:1974年11~12月

11月12日(火)19時 東京文化会館(プログラムA)
11月15日(金)18時30分 千葉県文化会館(プログラムC)
11月18日(月)18時30分 宮城県民会館(プログラムC)
11月21日(木)19時 立川市市民会館(プログラムB)
11月25日(月)19時 大阪フェスティバル・ホール(プログラムA)
12月2日(月)18時30分 中日劇場(名古屋)(プログラムC)
12月4日(水)19時 東京文化会館(プログラムC)
12月7日(土)19時 藤沢市民会館(プログラムB)
12月10日(火)19時 東京厚生年金会館(“さよなら”演奏会)

●プログラムA 共演:ジェフリー・パーソンズ(P)

シューベルト/春の思いD686;春のあこがれD957-3;菩提樹D911-5;緑野の歌D917
シューマン/歌曲集「リーダークライス」Op. 39より(2.間奏曲;3.森の対話;4.静けさ;9.悲しみ)
ブラームス/静かな夜(In stiller Nacht);私のまどろみはいよいよ浅くOp. 105-2;ザラマンダーOp. 107-2
~休憩~
R.シュトラウス/「三つのオフィーリアの歌」Op. 67-1~3(どうしたら私は本当の恋人を;お早よう,今日はヴァレンタインのお祭;むき出しのまま棺台にのせられ)
ヴォルフ/フィリーネ(Philine);捨てられた娘(Das verlassene Mägdlein);あの国をご存じでしょうか(Kennst du das Land);どんなに長い間(Wie lange schon);あたしの恋人はとてもおチビさん(Mein Liebster ist so klein);いえ、お若い方(Nein, junger Herr);ペンナにあたしの恋人がいる(Ich hab' in Penna einen Liebsten wohnen)

●プログラムB 共演:ジェフリー・パーソンズ(P)

シューベルト/シルヴィアにD891;独りずまいD800;糸を紡ぐグレートヒェンD118;辻音楽師D911-24
シューマン/献呈Op. 25-1;くるみの木Op. 25-3;トランプを占う女Op. 31-2
リスト/三人のジプシー(Die drei Zigeuner)S320
プフィッツナー/孤独な女Op. 9-2
マーラー/ラインの伝説(Rheinlegendchen)
~休憩~
キルピネン/歌曲集「愛の歌(Lieder der Liebe)」第2集(ふるさと;小さな歌;お前のばらを胸につけて;千の山々を越えて;甘美なしめし合わせ)
R.シュトラウス/わが子にOp. 37-3;母親の自慢話Op. 43-2;あした!Op. 27-4
ヴォルフ/明るいお月様が(Wie glänzt der helle Mond);朝露の中を踏みわけて(Wandl' ich in dem Morgentau);炭焼きの女房が酔っぱらって(Das Köhlerweib ist trunken)

●プログラムC 共演:ジェフリー・パーソンズ(P)

シューベルト/音楽に寄せてD547;「ロザムンデ」のロマンスD797-5;子守歌D498;ますD550
グリーグ/最後の春(Letzter Frühling)Op. 33-2;すいれんを手にして(Mit einer Wasserlilie)Op. 25-4;ばらのつぼみ(Die Rosenknospe)Op. 18-8;おん身を愛す(Ich liebe dich)Op. 5-3
マーラー/魚に説教するパドヴァの聖アントニウス(Des Antonius von Padua Fischpredigt);ほのかな香りを(Ich atmet' einen linden Duft);いたずらっ子をしつけるために(Um schlimme Kinder artig zu machen)
~休憩~
ヴォルフ/春に(Im Frühling);思いみよ,おお心よ(Denk' es, o Seele);妖精の歌(Elfenlied);眠っている幼児キリスト(Schlafendes Jesuskind);隠棲(Verborgenheit);ことづて(Auftrag)
R.シュトラウス/親しき幻Op. 48-1;父がいいましたOp. 36-3;あらしの日Op. 69-5

●“さよなら”演奏会(Farewell Concert) 共演:ジェフリー・パーソンズ(P)

バッハ/御身はわがかたわらにBWV508
グルック/小川は流れる(La rencontre imprévue: Einem Bach der fließt)
モーツァルト/すみれK. 476;いましめK. 433(416c)
シューベルト/シルヴィアにD891;菩提樹D911-5;糸を紡ぐグレートヒェンD118;幸福D433
R.シュトラウス/楽劇「ばらの騎士」Op. 59:第1幕より~元帥夫人のエピソード(Da geht er hin ~ Der Herr Graf weiss ohnehin.)
~休憩~
ヴォルフ/あの国をご存じでしょうか(Kennst du das Land);捨てられた娘(Das verlassene Mägdlein);フィリーネ(Philine)
シューマン/くるみの木Op. 25-3;トランプを占う女Op. 31-2
ブラームス/私のまどろみはいよいよ浅くOp. 105-2;甲斐なきセレナーデOp. 84-4
ヴォルフ/どんなに長い間(Wie lange schon);いえ、お若い方(Nein, junger Herr);ペンナにあたしの恋人がいる(Ich hab' in Penna einen Liebsten wohnen)

--------------------

彼女の演奏が日本で披露されたのはこの年で最後だったが、公開講座の講師として1984年に再来日している。

彼女とジェフリー・パーソンズは1979年3月19日にチューリヒ・オペラ・ハウスでリサイタルを開いたが、その3日後に彼女を常にプロデュースしてきた夫のウォルター・レッグが亡くなり、それと共に彼女の演奏家としての経歴にピリオドが打たれた。

| | | コメント (2) | トラックバック (0)

シュヴァルツコプフ日本公演曲目1972年

シュヴァルツコプフ3回目の来日公演も前回同様1~2月で、6都市10公演が行われた。プログラムは5種類で、プログラムⅡ以外にヴォルフが含まれているのはいつものことである。だが、逆に考えれば、ヴォルフ歌いとして知られる彼女のリサイタルに、ヴォルフを含まないプログラムが必ず1種類あるというのは興味深い。主催者側の要望なのだろうか。

5種類中、作曲家のあらわれる回数は以下の通り。
4回:シューベルト、ヴォルフ
3回:ブラームス、マーラー
2回:シューマン、R.シュトラウス、グリーグ
1回:モーツァルト、リスト、レーヴェ、ラフマニノフ、ドヴォジャーク、チャイコフスキー、ムソルクスキー、民謡

ヴォルフと同じくシューベルトも4種類で歌っているが、前回来日時に「エレンの歌」1、2曲のみ歌って、3曲目の「アヴェ・マリア」が省かれたのに対して、今回は3曲ともまとめて披露している。シューマンは2回だけだが、プログラムⅡでは「リーダークライス」Op. 39全曲を披露している。グリーグを2回にわたり、計6曲歌っているのも興味深いが、ロシア歌曲も初来日時に続いて今回も披露している(プログラムⅤ)。ヴォルフにおいて言葉と音楽の結びつきを深く追求している彼女が、訳詩で他国の歌曲を歌うことに躊躇しないのも面白い。

今回の選曲の中で、現在までに録音で聴くことの出来ないレパートリーは以下の2曲のみである。
プログラムⅠ:ブラームス「夜鶯に寄せてOp. 46-4」
プログラムⅣ:ヴォルフ「郷愁」(「アイヒェンドルフ歌曲集」より)

(以下、曲名の日本語表記は原則としてプログラム冊子の記載通り。整理番号のないものには原タイトルを併記。)

--------------------

第3回来日:1972年1~2月

1月24日(月)18時30分 愛知県文化講堂(名古屋)(プログラムⅢ)
1月27日(木)19時 東京文化会館(プログラムⅠ)
1月30日(日)18時30分 東京文化会館(プログラムⅢ)
2月2日(水)19時 大阪フェスティバル・ホール(プログラムⅢ)
2月5日(土)18時30分 神奈川県立音楽堂(プログラムⅣ)
2月8日(火)18時30分 渋谷公会堂(プログラムⅣ)
2月11日(金)19時 京都会館(プログラムⅠ)
2月14日(月)19時 大阪フェスティバル・ホール(プログラムⅤ)
2月17日(木)19時 東京文化会館(都民劇場主催)(プログラムⅡ)
2月20日(日)19時 東京文化会館(プログラムⅤ)

●プログラムⅠ 共演:ジェフリー・パーソンズ(P)

シューベルト/緑野の歌D917;「ロザムンデ」のロマンスD797-5;私のクラヴィーアにD342;独りずまいD800
ヴォルフ/語れとはいわないで(Heiss mich nicht reden);ただあこがれを知る人だけが(Nur wer die Sehnsucht kennt);この姿のままで(So lasst mich scheinen);フィリーネ(Philine);あの国をご存じでしょうか(Kennst du das Land)
~休憩~
シューマン/ズライカの歌Op. 25-9;くるみの木Op. 25-3;二つのヴェネチアの歌Op. 25-17, 25-18(櫓の音をひそめよ;広場をわたって);トランプ占いをする娘Op. 31-2
ブラームス/夜鶯に寄せてOp. 46-4;あの下の谷間では(Da unten im Tale);セレナーデOp. 106-1
R.シュトラウス/いこえ、わが魂Op. 27-4;ばらのリボンOp. 36-1;あらしの日Op. 69-5

●プログラムⅡ 共演:ジェフリー・パーソンズ(P)

シューマン/歌曲集「リーダークライス」Op. 39(全12曲)
~休憩~
ブラームス/永遠の愛Op. 43-1;私のまどろみはいよいよ浅くOp. 105-2;狩人Op. 95-4
グリーグ/はじめての出会い(Erstes Begegnen)Op. 21-1;すいれんを手にして(Mit einer Wasserlilie)Op. 25-4;この世のつね(Lauf der Welt)Op. 48-3
民謡(Volkslieder)/すずしい谷間で(In einem kühlen Grunde)(フロードリヒ・グリュック作曲);なだめられた娘(Die Beruhigte);おお、愛らしい天使よ(O du liabs Ängeli)(スイス民謡);恋びと(Gsätzli)(スイス民謡)

●プログラムⅢ 共演:ジェフリー・パーソンズ(P)

モーツァルト/夕べの思いK. 523;警告K. 433(416c);わが感謝を受けよK. 383
シューベルト/エレンの歌ⅠD837;エレンの歌ⅡD838;エレンの歌ⅢD839
マーラー/ラインの伝説(Rheinlegendchen);ほのかな香りを(Ich atmet' einen linden Duft);いたずらっ子をしつけるために(Um schlimme Kinder artig zu machen)
~休憩~
ヴォルフ/春に(Im Frühling);捨てられた娘(Das verlassene Mägdlein);誰があんたを呼んだの(Wer rief dich denn?);私の捲髪のかげに(In dem Schatten meiner Locken);どんなに長い間(Wie lange schon);ジプシーの娘(Die Zigeunerin)
R.シュトラウス/夜Op. 10-3;父がいいましたOp. 36-3;あしたOp. 27-4

●プログラムⅣ 共演:ジェフリー・パーソンズ(P)

シューベルト/シルヴィアにD891;ズライカⅠD720;ズライカⅡD717;べにひわの求愛D552;糸を紡ぐグレートヒェンD118
ブラームス/メロディーのようにOp. 105-1;愛のまことOp. 3-1;ねえママ、欲しいものがあるの(Och Moder, ich well en Ding han);甲斐なきセレナーデOp. 84-4
~休憩~
リスト/三人のジプシー(Die drei Zigeuner)S320
マーラー/うき世の暮らし(Das irdische Leben)
レーヴェ/ちっちゃな暮らしOp. 71
グリーグ/最後の春(Letzter Frühling)Op. 33-2;はじめての桜草を手にして(Mit einer Primula veris)Op. 26-4;おん身を愛す(Ich liebe dich)Op. 5-3
ヴォルフ/さようなら(Lebe wohl);緑に祝福あれ(Gesegnet sei das Grün);花のところへ行くのだったら(Wenn du zu den Blumen gehst);郷愁(Heimweh)(アイヒェンドルフの詩による)

●プログラムⅤ 共演:ジェフリー・パーソンズ(P)

シューベルト/音楽に寄せてD547;子守歌D498;君はわがやすらいD776;ますD550;恋はいたるところにD239-6
ラフマニノフ/こどもたちに(To the Children)Op. 26-7
ドヴォジャーク/母が教えてくれた歌(Songs my mother taught me)Op. 55-4
ムソルクスキー/きのこ狩り(In den Pilzen)
チャイコフスキー/ただあこがれを知る人だけが(Nur wer die Sehnsucht kennt)
マーラー/魚に説教するパドヴァの聖アントニウス(Des Antonius von Padua Fischpredigt)
~休憩~
ヴォルフ/夜の魔法(Nachtzauber);クリストブルーメにⅠ(Auf eine Christblume 1);妖精の歌(Elfenlied);恋に気を許しちゃだめ(Trau nicht der Liebe);隠棲(Verborgenheit)
ヴォルフ/「イタリア歌曲集」より~もはや私は乾いたパンを(Ich esse nun mein Brot nicht trocken mehr);あたしが女王様じゃないっていうのね(Du sagst mir, dass ich keine Fürstin sei);ちょっと黙ったらどう(Schweig' einmal still);なみなみならぬご身分は(Wohl kenn' ich euern Stand);いえ、お若い方(Nein, junger Herr);ペンナにあたしの恋人がいる(Ich hab' in Penna einen Liebsten wohnen)

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

グリンカ没後150年

今日は、ミハイル・グリンカ(Михаил Иванович Глинка:1804.6.1, Novospasskoye - 1857.2.15, Berlin)の没後ちょうど150年目にあたる。それを記念して、グリンカの歌曲リストを公開したい。リストの作成には、グローヴのリスト、三省堂の「クラシック音楽作品名辞典」と共に、伊東一郎氏の訳による「グリーンカ歌曲歌詞対訳全集」(新期社:1980年初版発行)を参照させていただいた。

 グリンカ歌曲リスト

彼の歌曲は素朴で、チャイコフスキーのような濃厚さは希薄かもしれないが、繊細であったり、甘美であったり、時にはがっちりとした威勢のよい側面もあり、その多彩な性格は演奏者と聴衆のどちらにも好まれ、ロシア歌曲の広大なレパートリーの中でもとりあげられることが多い。

グリンカの数ある魅力的な作品の中で唯一の歌曲集の形態をとっているのが、「ペテルブルクとの別れ」である。12曲から成るこの歌曲集はクーコリニク(1809-1868)の詩によるもので、元は、グリンカが歌詞なしで作曲した「ボレロ」(第3曲)への詩をクーコリニクに依頼したことにはじまり、その後、クーコリニクの詩による歌曲をまとめて歌曲集として出版した。この頃、グリンカは家庭問題でペテルブルクを離れようとしていた為、「ペテルブルクとの別れ」というタイトルにしたそうである。

(以下の曲名、対訳などは上述の伊東氏の著書を参照しました。)

歌曲集「ペテルブルクとの別れ」(Прощание с Петербургом)
 詩:ネストール・クーコリニク(Нестор Васильевич Кукольник:1809.9.8, Saint Petersburg - 1868.12.8, Taganrog)

1)ロマンス:彼女は誰か、そしてどこにいるのか(叙事詩「ダヴィッド・リッチオ」より)
(Романс : Кто она и где она)
「見知らぬ女性に私は心ひかれ、風や雲は彼女を知っている。その彼女に出会う日が来ることを信じている」というような内容。上行する3つの音のモティーフによる前奏で始まり、歌もそのモティーフを引き継いでいる。秘めやかな音楽はどこか神秘的な女性像をイメージさせる。

2)ヘブライの歌(悲劇「ホールムスキイ公」より)
(Еврейская песня)
「天からたれこめた霧がパレスチナの墓をおおった。先祖は復興の時代を待っている」という内容。グリンカの弟子のユダヤ人のために書かれたそうだ。装飾音のついた歌はメランコリックで耳に残る。力強く壮大な印象。

3)ボレロ
(Болеро)
詩は恋人との熱烈な愛のやりとりに始まるが、後半は彼女が裏切ったときのことを思い描き、最後に振り切るように、おまえは裏切りはしないと自分に言い聞かせて終わる。グリンカが作ったこの曲に、彼自身の依頼でクーコリニクが後から詩を付けた。曲はボレロの厳格なリズムのもとで愛の讃歌が続き、「口づけは続く」と歌われるくだりでリズムが崩れて甘美な響きを聞かせるが、すぐにもとのリズムに戻る。

4)カヴァチーナ:長い間美しくきみは薔薇のように咲きほこっていた
(Каватина : Давно ли роскошно ты розой цвела)
彼女の美しかった人生の春は過ぎ去ったが、今目の前にいる彼女を誰にも渡さないと歌われる。ため息を表すような下降する音型の繰り返されるピアノ前奏の後で、もの哀しい歌が始まる。第1節3~4行目の「けれどはかないこの世の春は過ぎ去った」が何度も繰り返され、グリンカがこの箇所に重点を置いているのが伝わる。後半は「おまえをわたさない」と明るく決然と歌われる。

5)子守歌
(Колыбельная песня)
しっとりと暗さを帯びた美しい子守歌で、詩の3つの節をひとまとめにしてそれが2節分ある有節形式である。「お眠り、私の天使よ」と子守歌らしい優しい口調ではじまるが、途中で「黒雲」「苦しみ」「嵐」など物騒な描写が描かれ、この子をどうかお守りくださいと結ばれる。「ねんねんころり」に相当するという「バーユ・バーユシキ・バユー」が何度もあらわれて印象的である。

6)旅の歌
(Попутная песня)
詩は、汽船、雑踏、汽車などの旅の情景(1、3、5)と、彼方に待つ恋人への思い(2、4)が交互に現れる。1、3、5節は全く同じ詩節で、2節では心に秘めた思いは汽車よりも早く飛ぶと歌い、4節では自然の情景が目に入らないのは恋人の瞳のせいだと歌う。グリンカの曲も詩に合わせてA-B-A-B-Aの形で進む。リズミカルなピアノパートは汽車の走行の描写だろうか。歌は早口にまくしたてるように歌うが、軽快で明るいAと若干影を落とすBがいい対照を成している。

7)ファンタジヤ:とまれ,私の忠実な荒馬よ
(Фантазия : Стой,мой верный,бурный конь)
スペインを舞台にした詩で、敵の邸の前に荒馬をとめて、中に押し入り、敵を殺害した後、ヘニル川に身投げする。残された馬は墓の芝生で蹄を踏み鳴らすという情景が歌われる。殺害計画を馬に語る前半は勇ましく始まり、何も知らない彼女の描写と愛の言葉を歌う中間部は甘美な響きに変わり、夢が実現した後半は穏やかな響きで冷静に締めくくる。

8)バルカローラ:青空は眠りについた
(Баркарола : Уснули голубые)
青空が眠りにつき、夜が到来すると、恋人たちが愛に燃え上がり、船上で愛を歌うので、波よ、おまえたちは朝まで眠れないという内容。心地よい舟歌のリズムに乗り、ゆったりとした歌が大きく弧を描く。A-B-A-B-A’の構造だが、Aの最後に歌われるハミングが美しい。

9)古(いにしえ)の勲(いさお):騎士の歌
(Virtus antiqua : Рыцарский романс)
十字軍の騎士が戦に出かける港の設定で、勝っても負けてもあなたのもとに帰ってくると力強く歌う。音楽は軍歌の勇ましいリズムで一貫した3節の有節形式。

10)雲雀
(Жаворонок)
歌が響いているが、その歌い手の姿は見えない。しかし歌を送られた人は誰からの歌か分かるという相聞歌を描いた歌。雲雀は相聞歌の響く中、友人の頭上で歌っているという設定になっている。グリンカの歌曲の中で最も有名なものの1つ。ピアノパートのソロの箇所に雲雀の歌が美しく響く。歌は哀愁を帯びた極めて美しい旋律で耳に残る。ちなみに、「雲雀」はロシア語で「ジャーヴァラナク」と言うらしい。

11)モリーに:歌人に歌を求めるな(小説「ビュルガー」からの歌曲)
(К Молли:Не требуй песен от певца)
浮世の波に沈みこんだ時の歌びとに歌を求めてもうめき声にしかならない。彼を共感を持って迎え、たとえ戯れであっても彼に希望を与えたならば、明るく熱く言葉がほとばしり、力強く歌が響くだろうという内容。だから歌びとにつれない態度をとらないでと訴えているのだろう。グリンカの曲は、竪琴を思わせるようなアルペッジョの前奏で始まり、諭すような口調の旋律が歌われる。

12)別れの歌 <独唱+TTBの編成>
(Прощальная песня)
グリンカがペテルブルクを去る時に、クーコリニクが催した送別会で歌われたという。詩の内容もまさに別れを告げる当人の挨拶と彼を励ます者たちとの対話の形になっている。曲も詩に応じて独唱と男声合唱が交互に歌われる。行進曲の趣で、壮行会の歌として全く違和感のない音楽になっている。

Glinka_evtodieva_1_1COMPLETE SONGS AND ROMANCES: VOLUME ONE
DELOS: DE 3338
録音:2003年5,6,11月、2004年1月、St. Catherine Lutheran Church, St. Petersburg
Victoria Evtodieva(S)
Liudmila Shkirtil(MS)
Piotr Migunov(BS)
Yuri Serov(P)
The male group of the LEGE ARTIS Chamber Choir
(Boris Abalian: artistic director)
 歌曲集「ペテルブルクとの別れ」(全12曲)
 あなたと一緒ならどんなにかすばらしい
 告白
 おまえを愛する、いとしい薔薇よ
 彼女に
 かわいい娘
 あなたはすぐに私を忘れるでしょう
 聞こえるのはあなたの声か
 祝盃
 マルガレーテの歌
 おお、いとしい乙女よ
 アデーレ
 メリー
 フィンランドの入江
 ああ、前からわかっていたら
 心が痛むと言わないで

| | | コメント (2) | トラックバック (0)

シューベルト「ハ短調の歌曲(人生の夢)」D1A

シューベルトの現存する最初の完成された独唱歌曲は1811年3月30日という日付のついた「ハガルの嘆き」D5だが、おそらくそれ以前、1810年より前の作曲と推測されている歌曲断片がある。それはドイチュ番号D1Aが付与された「ハ短調の歌曲(Gesang in c)」である。この歌曲断片の厄介なところは声部の下に全くテキストが書かれていないことだ。その為に1969年に掲載された「新シューベルト全集」第4シリーズ、第6巻では「歌詞なし(ohne Text)」と表示されている。
全394小節から成り、構成は以下の通りである。

 1-64小節:Adagio 3/4
 65-159小節:Andante
 160-191小節:Adagio
 192-216小節:Allegro
 217-244小節:Adagio
 245-303小節:Allegro moderato 6/8
 304-305小節:4/4
 306-308小節:Allegro
 309-344小節:Con moto, a tempo
 344-345小節:Adagio (ピアノのみ)
 346-385小節:Andante 2/2
 386-394小節:Adagio 4/4

この構成を見ても分かるようにいろいろな楽想の音楽がつなぎ合わされており、完全に通作形式である。ピアノ前奏は34小節にもわたり、ゆったりと始まり、途中にメランコリックな美しい分散和音の箇所が続き、歌がはじめる前にまた切り詰めた音に戻る。
全体を通じて感じるのが、シューベルトは最初からシューベルトであったということ。13歳以前の彼がすでにキャリアのスタート時から、生と死の間を行き来しているかのような浮世離れした響きを聞かせているのである。

「乙女の嘆き」「屍の幻想」「父親を殺した男」など彼が初期に選択した詩のタイトルを挙げてみるだけで、陰鬱な題材に初期の彼が惹かれ、それを音で表現すべく試行錯誤を重ねた姿がイメージされてくる。

この歌曲のテキストは長く不明だったが、共通の楽想が一部使われている、同じく未完のD39の詩がガブリエーレ・フォン・バウムベルクによる「人生の夢(Lebenstraum)」であることがヴィーンのハインツ・シヒロフスキーによって突き止められ、このD1Aも「人生の夢」によるものではないかと推測されるようになった。

Reinhard Van Hoorickxという人が、歌声部の下にテキストを追加し、さらに音楽も補完したものがハイペリオンのシューベルト全集第33巻に収録されており、スティーヴン・ヴァーコウ(BR)&グレアム・ジョンソン(P)による気迫のこもった演奏で聴くことが出来る。12分を越す大作で、歌手の音域も「ほ」(327小節)から「一点イ」(391小節)まで2オクターヴ半もの広さに渡る。テキストは見事に歌の旋律に配置されており、シューベルトが頭の中に描いていたであろうイメージがこんな感じだったのだろうという一つの可能性が説得力をもって提示されている。

また、解説書で、ピアニストのジョンソンが研究者顔負けの博学ぶりを存分に発揮して有益な情報を与えてくれるのも素晴らしい。

--------------------------------

Gesang in c (Lebenstraum), D1A
  first setting
 ハ短調の歌曲(人生の夢)(未完)

1
Ich saß an einer Tempelhalle
Am Musenhain, umrauscht vom nahen Wasserfalle,
Im sanften Abendschein.
Kein Lüftchen wehte; - und die Sonn' im Scheiden
Vergüldete die matten Trauerweiden.
 私はムーサの森の前にある神殿の会堂に座っていた、
 周囲には近くの滝の音が響いている、
 穏やかな夕暮れの光の中で。
 風は吹いていなかった。そして太陽は別れ際に
 ぐったりしたシダレヤナギを金に染めた。

2
Still sinnend saß ich lange, lange da,
Das Haupt gestützt auf meine Rechte.
Ich dachte Zukunft und Vergangenheit, und sah
Auf einem Berg, dem Tron der Götter nah,
Den Aufenthalt vom heiligen Geschlechte,
Der Sänger alt' und neuer Zeit,
An deren Liede sich die Nachwelt noch erfreut.
Tot, unbemerkt, und längst vergessen schliefen
Fern in des Tales dunkeln Tiefen
Die Götzen ihrer Zeit, -
Im Riesenschatten der Vergänglichkeit.
 静かに物思いにふけりながら私は長いこと座っていた、そこに長いこと、
 頭を右手で支えながら。
 私は将来や過去のことに思いを馳せた、そして
 ある山の上の、神々の玉座の近くで
 聖なる一族が滞在しているのを見た。
 大昔から最近まで歌い手は
 その歌で後世の人に今でも喜びを与えている。
 死に絶え、気づかれることもなく、とうに忘れ去られて、
 遠くの暗い谷底深くで、
 彼らの時代の偶像たちは眠りについていた、
 無常の巨大な影の中で。

3
Und langsam schwebend kam aus jenem dunkeln Tale,
Entstiegen einem morschen Heldenmahle,
Jetzt eine düstere Gestalt daher,
Und bot (in dem sie ungefähr vorüberzog)
In einer mohnbekränzten Schale
Aus Lethes Quelle mir - Vergessenheit!
 そしてゆっくりとあの暗い谷から浮かんで来て、
 朽ち果てた英雄の宴から立ち昇るのは、
 さて、薄暗い物陰だ。
 そして(それはほぼ通り過ぎようとしていたが)
 ケシの花環で飾られた深皿に入れて、
 私に、レテ川の源泉から汲んだ「忘却」を差し出した!

4
Betroffen, wollt' ich die Erscheinung fragen:
Was dieser Trank mir nützen soll?
Doch schon war sie entflohn: ich sah's mit stillem Groll,
Denn meinen Wünschen konnt' ich nicht entsagen.
 驚いて、私はその幻に尋ねようとした、
 この飲み物は私にどんな効き目があるのかと。
 だが、すでに幻は消え去っていた。私はひそかに憤って、それを見た。
 なぜなら、私の欲求を抑えられなかったのだ。

5
Da kam in frohem Tanz, mit zephyrleichtem Schritt,
Ein kleiner Genius gesprungen
Und winkt und rief mir zu: "Komm mit,
Entreisse dich den bangen Dämmerungen
Sie trüben selbst der Wahrheit Sonnenschein!
Komm mit! Ich führe dich in jenen Lorbeerhain,
Wohin kein Ungeweihter je gedrungen.
Ein unverwelklich schöner Dichterkranz
Blüht dort für Dich im heitern Frühlingsglanz
Mit einem Myrtenzweig umschlungen."
Er sprach's, und ging mir schnell voran.
Ich folgte, voll Vertrauen, dem holden Jungen,
Beglückt in meinem süßen Wahn.
 その時、陽気に踊りながら、微風のごとき軽やかな足取りで
 小さな精霊が飛び跳ねながらやって来て、
 手を振って私に呼びかけた。「一緒においで、
 不安な黄昏から身を振りほどくのだ、
 それは真実の陽光さえ曇らせてしまう!
 一緒においで!きみをあの月桂樹の森に連れて行ってあげよう、
 そこは聖別していない者は入れないから。
 しおれることのない美しい詩人の花環が
 陽気な春の輝きの中できみのためにあそこに咲いているよ、
 ミルテの枝も絡みついているだろう。」
 精霊はそう言うと、すばやく私を先導してくれた。
 私は全幅の信頼を寄せて、この魅力的な若者についていった、
 甘美な幻想に喜びながら。

6
Es herrschte jetzt die feierlichste Stille
Im ganzen Hain. Das langersehnte Ziel,
Hellschimmernd sah ich's schon in ferner Schattenhülle
Und stand, verloren ganz im Lustgefühl.
"Nimm" (sprach er jetzt) "es ist Apollons Wille.
Nimm hin dies goldne Saitenspiel!
Es hat die Kraft in schwermutsvollen Stunden
Durch seinen Zauberton zu heilen all' die Wunden,
Die Mißgeschick und fremder Wahn dir schlug."
Mit zärtlich rührenden Akkorden,
Tönt es vom Süd bis zum Norden,
Und übereilt der Zeiten schnellen Flug
Sei stolz, sei stolz auf dein Besitz! Und denke:
"Von Allem, was die Götter sterblichen verleihen,
Ist dies das höchste der Geschenke!"
Und Du wirst es nicht entweihen.
 今や、厳かな静けさが、
 森全体を支配していた。ずっと待ち焦がれていた目的のもの、
 明るく微光を放ち、遠く影に覆われたものがすでに見えて、
 立ち上がった、うれしい気持ちで全く我を忘れて。
 「受け取りなさい」(今彼はそう言った)「アポロンの意思なのです。
 この黄金の弦を受け取りなさい!
 これは憂鬱な時に
 その魔法の音色で、あらゆる傷を癒す力があるのです。
 災難や見慣れぬ幻想があなたに付けた傷を。」
 優しく心に触れる和音で、
 南から北にいたるまでそれは響き渡る、
 時のすばやい飛翔より急いで。
 あなたが持っている弦に誇りを持ちなさい、誇りを!そしてこう思いなさい、
 「神々が死すべき定めの者にお授けになったあらゆるものの中で
 これは最高の贈り物だ!」と。
 そしてあなたはそれを瀆(けが)すことはないであろう。

7
Noch nicht vertraut mit ihrer ganzen Macht,
Sang ich zuerst nur kleine Lieder;
Und Echo hallte laut und fröhlich wieder.
 まだその弦の威力を信じられないまま、
 私はまずほんのささやかな歌を歌ってみた。
 するとこだまは大きく陽気に反響した。

詩:Gabriele von Baumberg (1768.3.24, Wien - 1839.7.24, Linz)
作曲:1810年より前(vor 1810)

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

アーメリングのシューベルト歌曲集(ゲイジ共演:1971年)

「岩の上の羊飼い:シューベルト歌曲集」

Ameling_gage_schubert_emi_1LP:東芝EMI:EMI Angel:EAC-50112
録音:1971年10月7-14日 Zehlendorf Studio, Germany

エリー・アーメリング(Elly Ameling)(S)
アーウィン・ゲイジ(Irwin Gage)(P)
ジョージ・ピーターソン(George Pieterson)(CL:D965)

シューベルト(Schubert)作曲
1)岩の上の羊飼い(Der Hirt auf dem Felsen)D965(ミュラー&シェジ詩)
2)春に(Im Frühling)D882(シュルツェ詩)
3)アマーリア(Amalia)D195(シラー詩)
4)アティス(Atys)D585(マイルホーファー詩)
5)水の上で歌う(Auf dem Wasser zu singen)D774(シュトルベルク詩)
6)湖上で(Auf dem See)D543(ゲーテ詩)
7)エルラフ湖(Erlafsee)D586(マイルホーファー詩)
8)鱒(Die Forelle)D550(シューバルト詩)
9)捕われた歌びと(Die gefangenen Sänger)D712(A.W.シュレーゲル詩)
10)浄化(Verklärung)D59(ポープ詩、ヘルダー訳)
11)若者と死(Der Jüngling und der Tod)D545(シュパウン詩)

(曲名の日本語表記はLPジャケット表記に従いました。)

アーメリング3枚目のシューベルト・アルバムは前回の1年後、同じEMIのために、はじめてアーウィン・ゲイジ(米:1939-)のピアノで録音された。アーメリングの共演者というとデームスやボールドウィン、ヤンセンがよく知られているが、実はゲイジとも録音、ステージ共にしばしば共演しているのである(日本公演での共演は無かったが)。

LPでは1~4曲目がA面で、5曲目以降がB面であった。解説の西野茂雄氏も指摘されているが、アーメリングの配置の妙のようなものがここでも発揮されていて、A面がのどかな牧歌的な情景ではじまり、後半は戯曲の一場面で緊張を増す。B面の前半は水にちなんだ様々な情景が描かれ、後半は内面的な思索、死を巡る思いが歌われる。

ここでのアーメリングは、前年(1970年)のデームスとのEMI録音以上に伸びやかな美声を惜しげもなく披露しており、硬さもとれて、個人的にはこのゲイジ盤の方がより魅力を感じる。

「岩の上の羊飼い」は65年のharmonia mundiへのデームスとの録音に続いて2回目だが、声がいい意味で落ち着きを増し、美声だけでなく、細やかな表情に聴き手の耳がより向かうような芸の深化がはっきりと感じられる。
「春に」や「湖上で」「エルラフ湖」のような作品で、彼女の温かく優美な特質がもっとも生かされているのは当然だろう。
だが、「アマーリア」や「アテュス」のような劇的なモノローグでも、彼女の語り口の精妙さが生きて、イメージが目に浮かぶように鮮明に伝わってくる。
また、「水の上で歌う」における詩の言葉に則して丁寧に表情を付けていくやり方はすでに堂に入っている。

彼女が1997年に来日した際の公開講座で「鱒」をとりあげた時、第2節の"Solang dem Wasser Helle, so dacht ich, nicht gebricht."の"so dacht ich"(そう思った)は弱く歌うようにと言っていたことを今も覚えているが、この録音でもまさにその通りに歌われているのが興味深い。

「捕われた歌びと」は籠に閉じ込められたナイティンゲールになぞらえて、地上の谷に捕らえられた人が不安の中で天上の明るさを歌うことが「ポエジー」なのだと歌う。この閉じ込められた鳥の嘆きの"Ach"という言葉に込められたアーメリングの声の表情が素晴らしい。

「若者と死」はクラウディウスの詩による有名な「死と少女」のパロディであることは明白だが、アーメリングは死を懇願する若者を明るめに溌剌と歌い、死神の慰撫する言葉の抑制した表現との対照をうまく表現していた。

アーウィン・ゲイジは共演専門のピアニストとしてはかなり大胆にペダルを使うが、音の粒立ちがそれで潰れてしまうことがないのはさすがである。「水の上で歌う」ではたゆたう波の反射を、技に溺れず絶妙なコントロールで表現していた。彼のピアノはリズミカルな進行よりも、包みこむような響きの色合いを重視しているように感じる。それ故に時に重く感じられることもあるが、その彩りの豊かさは他のピアニストにはあまりない彼の個性だろう。

コンセルトヘボウの首席奏者だったピーターソンは「岩の上の羊飼い」の牧歌を、歌うように表情豊かに吹いていた。

このLPは、「岩の上の羊飼い」「鱒」「若者と死」だけがCD化(EMI CLASSICS: 7243 5 72004 2 4)されたが、他の曲は未だに復活しないのが残念である。意欲的なプログラムを上り坂の頃のアーメリングの溌剌とした表現で堪能できるいいアルバムである。

今日はアーメリング74歳の誕生日だが、翌日の9日にはアムステルダムで公開講座を開くらしい。もうあちこちに出かけることはあまりないようだが、地元で後進の指導にあたるほどお元気なのはうれしいことである。

| | | コメント (2) | トラックバック (0)

シューベルト:マッティソン歌曲

これまで、シューベルト(1797-1828)のゲーテ、マイアホーファー、ミュラー、シラーの詩による独唱歌曲のリストを記してきたが、この4人に次いでシューベルトが多く作曲したのはフリードリヒ・フォン・マッティソン(Friedrich von Matthisson:1761.1.23, Hohendodeleben - 1831.3.12, Wörlitz)の詩である。
マッティソンは牧師の息子として生まれ、ハレで神学と哲学を学び(1778~1781年)、その後デッサウの学校の教師となった(1781年~1783年)。1795年~1811年までアンハルト=デッサウのルイーゼ王妃一家のもとに付き、その後ヴュルテンベルクのフリードリヒ1世に雇われる。フリードリヒ1世の死後はその後継者ヴィルヘルム1世に雇われ、1828年に辞職する。マッティソンはドイツ内外を旅行し、そこで知った有名無名の詩人たちから影響を受けた。彼の詩はエレガントで憂愁の色合いを帯び、当時大変人気が高かったという(Peter Clive著 "SCHUBERT AND HIS WORLD"を参照しました)。
彼の詩にシューベルトは断片2曲も含めて、29曲もの独唱歌曲を作曲したが、15歳から20歳までの限られた期間に集中しているのが特徴的である。「愛の声」に2回作曲されている他、「幽霊の踊り」は断片2回の後、3回目にようやく完成作品となったが、断片の2作がもし完成していたら3作目よりも劇的迫力に富んだ魅力的な曲になっていたかもしれない。「幽霊の踊り」の2作目(D15a)の間奏は、シラーの詩による「小川のほとりの若者」D30でも似た響きが使われている。この頃のシューベルトは意識的かどうかは不明だが、共通の楽想を異なる曲に使うことがあるようだ。マッティソン歌曲はあまり有名な作品はないが、小さなサロンで歌われた時に心にそっと触れてくるようなタイプの曲が多いのではないか。「追憶」D99、「心の近さ」D100などはなかなか良く出来た作品だと思う。個人的に好きなのは「愛の声」D187と「自然の楽しさ」D188である。また、ベートーヴェンの「アデライーデ」「追憶」とシューベルトとの聴き比べも興味深いだろう。

D15 幽霊の踊り(Der Geistertanz)(第1作)(断片) 1812年頃

D15a 幽霊の踊り(Der Geistertanz)(第2作)(断片) 1812年頃

D50 影(Die Schatten) 1813年4月12日

D95 アデライーデ(Adelaide) 1814年

D97 慰め-エリーザに(Trost. An Elisa) 1814年

D98 回想(Erinnerungen)(第1作)(全2稿) 1814年秋(第1稿)/1814年頃(第2稿)

D99 追憶(Andenken)(第1作) 1814年4月

D100 心の近さ(Geisternähe) 1814年4月

D101 回想(Erinnerung) 1814年4月

D102 祈る女(Die Betende) 1814年秋

D107 遠方からの歌(Lied aus der Ferne)(全2稿) 1814年7月(第1稿)/1814年7?月(第2稿)

D108 夕暮れ(Der Abend) 1814年7月

D109 愛の歌(Lied der Liebe) 1814年7月

D114 ロマンツェ(Romanze)(全2稿) 1814年9月(第1稿)/1814年9月29日(第2稿)

D115 ラウラに、彼女がクロップシュトクの「復活の歌」を歌ったとき(An Laura, als sie Klopstocks Auferstehungslied sang) 1814年10月2~7日

D116 幽霊の踊り(Der Geistertanz)(第3作) 1814年10月14日

D186 瀕死の女(Die Sterbende) 1815年5月

D187 愛の声(Stimme der Liebe)(第1作) 1815年5月

D188 自然の楽しさ(Naturgenuss)(第1作) 1815年5月

D275 子供の死を悼む花環(Totenkranz für ein Kind) 1815年8月25日

D413 恍惚(Entzückung) 1816年4月

D414 愛の精(Geist der Liebe)(第1作) 1816年4月

D415 嘆き(Klage) 1816年4月

D418 愛の声(Stimme der Liebe)(第2作) 1816年4月29日

D419 ユーリウスがテオーネに(Julius an Theone) 1816年4月30日

D507 酒宴歌(Skolie) 1816年12月

D508 人生の歌(Lebenslied) 1816年12月

D579a(旧D989) 完成(Vollendung) 1817年9?~10月

D579b(旧D989a) 大地(Die Erde) 1817年9?~10月

NAXOSの「ドイツ・シューベルト歌曲エディション第19巻」(8.557371-2)で、以上29曲全曲を聴くことが出来る。演奏はSimone Nold(S)、Marcus Ullmann(T)、Thomas Bauer(BR)といった若い3人の歌手と、ルート・ツィーザクのピアニストとしても知られるUlrich Eisenlohr(P)である。歌手の中ではバウアーが断トツに素晴らしいが、他の2人も健闘している。アイゼンローアは様式感をもって、各曲の魅力を引き出したいい演奏をしている。ピアノの出だしがそっくりな「愛の声」D187と「追憶」D99を並べて置いているのもセンスを感じさせる。このシリーズ、安価なうえに詩人ごとにまとめて聴けて、しかも演奏の質も高く、有難いCDである。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

ブリテン&ピアーズ、ヘフリガー&ニキーティナの来日公演

この前の日曜日のNHK「思い出の名演奏」で過去の2つの歌曲演奏が放送された。この枠で歌曲が放送されたのは初めてではないか。前半がピアーズ&ブリテンの50年以上前の演奏、後半がヘフリガー&ニキーティナのドイツ語訳による日本歌曲という興味深い内容だった。

ピアーズとブリテンの演奏会は、曲ごとに日本語のアナウンスが入るもので、当時の放送の様子がうかがえて面白かったが、これまで晩年の声を聴くことの多かったピーター・ピアーズがまだ若かった頃の美声を披露していたのがうれしかった。パーセルの歌2曲とブリテンのミケランジェロの詩による歌曲集、それにブリテンの編曲した有名な民謡3曲というプログラムは実に魅力にあふれた選曲で、ピアーズのほとんど動かないまま、表情豊かに歌う様は、曲の世界に感情移入するのをたやすくしてくれた。ブリテンの演奏は堅実だが、作曲家らしい自己主張もみられた(「サリー・ガーデン」の左手をスタッカート気味に弾いていたのが印象に残った)。

スイスのテノール、ヘフリガーはドイツ語訳による日本歌曲の録音を沢山残しているが、このコンサートではよく知られた作品を真摯な表現で聴かせてくれた。演奏前のインタビューでも誠実さが滲み出ていたが、歌もひたむきな表現が何の虚飾もなく迫ってくる。当時すでに高齢だったが、しっかりと基礎の出来ている人は芸で聴かせてくれるのだからすごいものである。これらの曲、日本人が聴けば日本歌曲であることは分かるが、何も知らせずに外国人が聴いたらどうだろうか。少なくとも「花」は日本歌曲とは思わないのではないか。ヘフリガーは日本歌曲が世界的に歌われる機会を増やすためにこれらの独訳の作品を歌っているとのことだが、それだけではなく、日本歌曲から日本語を除いたら、どれぐらい日本的な刻印が残っているのだろうかということも考えさせてくれる良い機会を与えてくれたように思う。ピアノのニキーティナは弾き方は柔和な感じだが、原曲を自分のものにしているような同化した演奏を聴かせていた。

本当は、この記事を書くために録画をもう1度見ようとしたのだが、悲しいかな、ビデオテープがデッキに巻きついてしまい、貴重な録画がおじゃんになってしまった(先週のコジェナーたちの放送も入っていたのだが)。

-ブリテン&ピアーズ来日公演-

パーセル/われ恋の傷手をのがれんとて
パーセル/男は女のためのもの
ブリテン/「ミケランジェロの7つのソネット」 Op. 22(愛と芸術/愛の支配/愛は光をもたらすもの/愛の願い/むなしき愛/愛のいさめ/美の破滅)
イギリス民謡、ブリテン編曲/ディー河の粉屋さん
アイルランド民謡、ブリテン編曲/サリーガーデンのほとりで
イギリス民謡、ブリテン編曲/オリヴァー・クロムウェル

ピーター・ピアーズ(Peter Pears)(T)
ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten)(P)
収録:1956年2月9日、旧NHKホール

-ヘフリガーが歌う日本歌曲-

山田耕筰(詩:北原白秋)/この道
山田耕筰(詩:北原白秋)/待ちぼうけ
近衛秀麿(詩:北原白秋)/ちんちん千鳥
岡野貞一(詩:高野辰之)/おぼろ月夜
岡野貞一(詩:高野辰之)/ふるさと
中田喜直(詩:内村直也)/雪のふるまちを
滝廉太郎(詩:武島羽衣)/花
滝廉太郎(詩:土井晩翠)/荒城の月
(以上独訳:村上紀子、マルグリット畑中)

エルンスト・ヘフリガー(Ernst Haefliger)(T)
イリナ・ニキーティナ(Irina Nikitina)(P)
収録:1992年11月8日、王子ホール

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »