コジェナー&コシャーレク、シュトゥッツマン&セーデルグレンによる歌曲リサイタル(2007年1月21日NHK芸術劇場)
この前の日曜日に、NHKで2つの歌曲コンサートが放送された。
コジェナー(MS)&コシャーレク(P)によるトッパンホールでのリサイタルと、シュトゥッツマン(CA)&セーデルグレン(P)による紀尾井ホールでのシューベルト・リサイタルである。コジェナーもシュトゥッツマン&セーデルグレンも、過去に1度だけ実演を聴いたことがあるが、今回放映される公演には出かけていなかったので、新鮮な気持ちで楽しめた2時間弱だった。
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(以下、曲名表記はNHKの表記に従った。)
マグダレーナ・コジェナー(Magdalena Kožená)(メゾソプラノ)
カレル・コシャーレク(Karel Košárek)(ピアノ)
2006年6月21日トッパンホール
モーツァルト/海はなぎ、ほほえんでK. 152;老婆K. 517;すみれK. 476;夕暮れの情ちょK. 523
シューマン/歌曲集「女の愛と生涯」Op. 42(全8曲)
ドヴォルザーク/歌曲集「ロマの歌」Op. 55(全7曲)
ヴォルフ/「メーリケ歌曲集」より~新年に;四月の黄色いちょう;よう精の歌;眠れるみどり子イエス;別れ
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コジェナーのリサイタルは、ほかにモーツァルト2曲(魔術師K. 472;ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたときK. 520)と、ペトル・エベンという作曲家の「小さな悲しみ」という歌曲集が当日歌われたらしいが、放送では省かれた。
チェコ出身のコジェナーは録音でも祖国の作品を多く取り上げているが、ドイツ歌曲はそれほど録音していなかったのではないか。今回はドヴォルザークがチェコ語版で歌われた以外(放送で省かれたエベンを除き)、ドイツ歌曲が歌われたのが珍しく感じた。細身の美しい容姿は聴く前から彼女の声質を予感させるが、その予感通りのリリックで美しい声が響く。声種はメゾソプラノとのことだが、バーバラ・ボニーを思わせる清澄で爽やかな声と表現はむしろソプラノ的に聞こえる。ドイツ語の発音もかなり質が高いように感じたが、語末の子音(nなど)が若干しつこく感じられることもあった。
最初のモーツァルト「海はなぎ、ほほえんで」K. 152では、コジェナーは作曲当時は普通に行われていた歌の旋律への装飾を加え、穏やかな小品に華やかさを加えていた。続く「老婆」でも後半の節に装飾がされて、有節形式に彩りを与えていたが、それにしても「老婆」でのコジェナーの細かい表情づけはさすがオペラの舞台を踏んでいるだけの演技力であった。決して声の色を極端に変えているわけではないのだが、老婆を模した語りが冴えていて、とりわけ各節最後のトリルの扱いがシニカルかつユーモラスであった。シューマンの「女の愛と生涯」は個性的な表現ではないが、ストレートに女性のはじらい、ときめき、歓喜、母性、そして絶望をあらわしていた。その慎ましさがこの古めかしい歌曲集にはふさわしいのだろう。ドヴォルザークの「ロマの歌」とNHKが表記する歌曲集は、もちろん「ジプシーの歌」のことであるが、「ジプシー」という言葉に差別的な意味合いがあると言われていることにNHKが反応して、この言葉の代わりに「ロマ」と表記しているのだろう。今回のコジェナーの歌唱はチェコ語版で歌われたが、ドヴォルザークがドイツの歌手のために独訳に曲を付けたという事情もあってドイツ語で歌われるものを聴く機会の方が個人的には多かったので、なんだか別の曲みたいである。こういう時に、歌曲における言葉の響きというものがいかに音楽と一体となっているかを感じさせられる。コジェナーの歌唱はあまり奔放さを感じさせないが、必要な程度の力強さには不足していない。だが、やはり第3、4曲(第4曲は有名な「母が教えてくれた歌」)のような静かな曲で一層魅力的だったように感じた。ヴォルフの「メーリケ歌曲集」からは穏やかなミニアチュールが多く選曲されていたが、早めのテンポで前進していった「よう精の歌」は表現の力が特に抜きん出ていた。この曲の最後のセリフ"Guckuck"はちょっと威力があり過ぎてこわかったが。プログラム最後の「別れ」はいちゃもんをつけたがる批評家を階段から突き落として喝采をあげるというまさにヴォルフならではの作品であるが、この曲といい、「老婆」や、ショスタコーヴィチの歌曲集「風刺」(録音があるらしい)といい、コジェナーのシニカルな作品への傾倒がうかがえるのが興味深い(一見、そういう感じに見えないので)。
コジェナーの共演者、カレル・コシャーレクというチェコのピアニストは名前も演奏も私にとってははじめてだったが、また一人素晴らしいピアニストを知ることが出来た喜びでいっぱいである。とても余韻を大切にする音楽的な演奏をする人で、タッチや音色のパレットは多彩、ダイナミクスも詩の内容と見事にリンクして素晴らしかった。このような特質から、やはりシューマンの演奏がとりわけ味わい深かった。ドヴォルザークの「ロマの歌」の何曲かでは若干奔放さやリズムの乗りが欲しい箇所もあったが、ヴォルフの「別れ」における批評家のぶざまな姿の描写は雄弁かつ切れがあって、なかなか聴けないほどの名演奏だった。最近はピアノの蓋を全開にして弾く歌曲ピアニストが増えているようだが、コシャーレクも全開のピアノを巧みに操っていて見事だった。
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ナタリー・シュトゥッツマン(Nathalie Stutzmann)(コントラルト)
インゲル・セーデルグレン(Inger Södergren)(ピアノ)
2006年9月8日紀尾井ホール
シューベルト/漁師の歌D. 881b;あこがれD. 879;死とおとめD. 531;さすらい人D. 489;
歌曲集「白鳥の歌」D. 957より~愛のたより;兵士の予感;セレナード;遠い国で;アトラス;彼女の絵姿;影法師
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シュトゥッツマンのこの公演も、本当は「白鳥の歌」が全曲(「鳩の便り」はアンコールで)歌われたそうだが、放送時間の都合で抜粋の形になったのは残念だった。
正直なところ、これまでシュトゥッツマン(パリジェンヌなので、ステュッツマンと表記する方がいいのでは?)の歌は苦手だった。単なる好みの問題だが、私にとって彼女の声と表現はあまりに低く、重すぎたのである。だが、今回久しぶりに彼女の演奏を聴いて驚いた。なんという深く豊かな表現なのだろう。彼女はこんなすごい歌を歌う人だったのかと、とにかく驚嘆した。声はどんな箇所でも光沢を放ち、綻びもなく、強いところから弱いところまで充実した響きでムラがない。その声の低さが気にならなくなったどころか、むしろ非常に美しく感じる。これほどまでに180度感じ方が変わったのはどういうことなのだろう。あるいはシュトゥッツマンの表現が極端に変わったというのではなく、私自身がいろいろな演奏に接して、こういう演奏を受け入れることが出来るようになっただけかもしれない。聴く時期に応じて以前好きだった演奏や曲がそれほどでもなくなったり、逆に苦手なものが大好きになったりということは、程度の差こそあれ特に珍しいことではないだろうが、今回はまさにその極端な体験だったのかもしれない。「死とおとめ」や「さすらい人」の最後の音を低声歌手は1オクターヴ下の方を選んで歌うことがあるが、予想に反してシュトゥッツマンは高い方で歌っていた(「死とおとめ」ではかつて“ソプラノ”のジェシー・ノーマンが低い音を歌って驚嘆したものである)。相変わらずドイツ語の発音は明晰で見事である。シューベルトの多彩な側面を掘り下げながら、素直に丁寧に歌われた極上の歌たちだった。
セーデルグレンはシュトゥッツマンが高く評価しているピアニストで、カトリーヌ・コラール亡き後、常に共演しているが、彼女の演奏は素っ気無かったり、若干雑に感じるところがあり、どうも私には演奏の魅力があまり伝わってこないのである。シュトゥッツマンの声に合わせてかなり低く移調しているがゆえの弾きにくさももちろん無関係ではないだろう。だが、そのことを差し引いても、例えば「愛のたより」の間奏は小川のせせらぎというよりも時化の海のように力ずくに感じられた。一方彼女の資質が生きたのは「アトラス」で、持ち前のパワーを発揮して雄弁に表現していた。
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コメント
シュトゥッツマンは、私はシューマンの『愛と喜びは捨て去るのです』をずいぶん前にCDで聴いてから結構気に入っておりますし、『冬の旅』も深い低音と鋭い高音の万華鏡のような歌唱に魅了されてもおります。確かに好みもあるのでしょうね。梅津時比古氏は『冬の旅』に関する近著でシュトゥッツマンの『白鳥の歌』に関する言説も含め紹介されています(p332)が…………ドッペルゲンガー論はどうなのでしょうかしら。保留中です。
投稿: 辻森雅俊 | 2008年9月 8日 (月曜日) 00時27分
辻森さん、再びコメントを有難うございます。
私は以前はあまりシュトゥッツマンを好きではなかったですが、この時のテレビ放映を見て、彼女の素晴らしさに開眼しました。高低のどの部分も全くムラのない声と表現は女声版ゲルネという感じです。梅津さんの著書、買ったままあまり読んでいなかったのですが、該当箇所を見てみました。確かにシュトゥッツマンの説を引用していますね。「幻日」が主人公のドッペルゲンガーだったという解釈は斬新ですが、私も辻森さん同様今のところ、この説は保留にしたいという気持ちです。
投稿: フランツ | 2008年9月 8日 (月曜日) 01時38分