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アーメリングのシューベルト歌曲集(デームス共演:1970年)

「シューベルト歌曲集」

Ameling_demus_schubert_emi録音:1970年1月10~13日、ツェーレンドルフ・エレクトローラ・スタジオ、ドイツ
(Electrola Studio Zehlendorf, Germany)

エリー・アーメリング(Elly Ameling)(S)
イェルク・デームス(Jörg Demus)(P)

シューベルト(Schubert)作曲
1)糸を紡ぐグレートヒェン(Gretchen am Spinnrade)D118(詩:J.W.v.ゲーテ)
2)歌の中の慰め(Trost im Liede)D546(詩:F.v.ショーバー)
3)音楽に寄す(An die Musik)D547(詩:F.v.ショーバー)
4)ガニメード(Ganymed)D544(詩:J.W.v.ゲーテ)
5)春のおもい(Frühlingsglaube)D686(詩:L.ウーラント)
6)恋はいたるところに(Liebe schwärmt auf alle Wegen)D239(詩:J.W.v.ゲーテ)
7)笑いと涙(Lachen und Weinen)D777(詩:F.リュッケルト)
8)セレナーデ:きけ、きけ、ひばり(Ständchen: Horch, horch, die Lerch')D889(原詩:W.シェイクスピア)
9)ズライカⅠ:吹きかようものの気配は(Suleika 1: Was bedeutet die Bewegung?)D720(詩:M.v.ヴィレマー)
10)ズライカⅡ:ああ、湿っぽいお前の羽ばたきが(Suleika 2: Ach, um deine feuchten Schwingen)D717(詩:M.v.ヴィレマー)
11)エレンの歌Ⅰ:憩いなさい、兵士よ(Ellens Gesang 1: Raste, Krieger! )D837(原詩:W.スコット)
12)エレンの歌Ⅱ:狩人よ、狩を休みなさい!(Ellens Gesang 2: Jäger, ruhe von der Jagd!)D838(原詩:W.スコット)
13)エレンの歌Ⅲ:アヴェ・マリア(Ellens Gesang 3: Ave Maria)D839(原詩:W.スコット)

(曲名の日本語表記は11、12曲目以外はCD解説書に従いました。)

アーメリング2番目のシューベルト・アルバムはEMIの為に36才の時に録音され、前回同様イェルク・デームスと共演している。

選曲面では、「糸を紡ぐグレートヒェン」だけが前回と重複している。シューベルトのよく知られた作品が多く選ばれているが、一方で「歌の中の慰め」のように、当時としては珍しかったであろう選曲もあり、さらに後半で「ズライカ」の2曲、「エレンの歌」の3曲を並べて歌っているのは彼女のプログラミングの意欲と気配りを示しているだろう。

この録音におけるアーメリングの声は相変わらず若々しく美しいが、若干硬さが感じられる時がある。5年前の録音があまりにも無理なく声が前に出ていたのでそれと比較してしまうせいかもしれないが、以前ほど楽に声が出るというわけではないようだ。5年前の録音が声のつややかさを前面に出したものだとすると、こちらはより言葉に寄り添って、言葉の響きと対応するシューベルトの音楽を誠実に再現しようとしているように感じられる。楷書風ではあるが決して四角四面というわけではなく、血の通った温かさがある。アーメリングによって生命力を吹き込まれたシューベルトの音楽が大空に羽ばたいているかのようだ。優美であると同時に、気分に流されない厳格さもあり、人の感情を声に乗せることをあたかも簡単なことのように実現している。喜怒哀楽のうち、怒りや哀しみはほかに多くの名歌手たちの名唱を思い出せるだろうが、声で笑い、楽しさを伝えることにかけて彼女は全く傑出しているように思う(「恋はいたるところに」「きけ、きけ、ひばり」などによく表れている)。また、発語の明瞭さは彼女のとりわけ優れた美質の一つだろう。どの言葉もクリアーに響いている。

「ズライカ」の艶っぽい世界はアーメリングにかかると健全な親しみやすさを増す。この2曲に官能の響きを求める向きには物足りないのかもしれないが、彼女の弱声の見事な響きが音楽の美しさをストレートに引き出していることは否定できないのではないか。例えば「ズライカⅡ」に聴かれる言葉に応じた声の絞りこんだ表現は彼女が詩の世界にさらに深く踏み込もうとした証であろう。「エレンの歌」の3曲はアーメリングの声質と表現が最も発揮される類の作品群であり、実際、彼女の歌唱は、狩りをしていた兵士を眠りに誘う1・2曲、けなげに岩窟で聖母に慈愛を求める3曲目(アヴェ・マリア)ともに心が洗われるような名唱である。

デームスはいつも通りの味のある表現でアーメリングの描き出す緊密な世界にゆとりを与えているように感じられた。彼のピアノは歌と緊密な一体感を目指すというよりは、もっと自由に愛嬌のあるおしゃべりを楽しんでいるといった趣だ。「音楽に寄す」では単純な和音から温かい歌を紡ぎ出し、本当に素晴らしかった。

東芝EMIからかつてCD化された際にはモーツァルト歌曲集(1969年12月録音)とのカップリング編集盤だった為、「エレンの歌Ⅰ・Ⅱ」が省かれたのが残念である。
このCDジャケットの彼女の写真は、おそらく1972年の初来日のリサイタルの際に撮影されたものと思われる。

なお、ドイツEMI Electrolaから出ているLPではズライカの2曲とエレンの歌の3曲がA面で、他がB面になっているので、その曲順がオリジナルなのかもしれない。

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コメント

フランツさん
アーメリンク大好きです。このディスクは私も持っています。

実は「ズライカ」ってあんまり好きじゃないのですが、おっしゃるとおりアーメリンクの声だと清潔に感じますね。

実はゲーテのシューベルト歌曲ってあまり好きになれなくて、このディスクでもそれ以外のもっと素朴な歌が好きだったりします。

投稿: Auty | 2007年9月30日 (日曜日) 23時26分

Autyさんもアーメリングをお好きだそうですね。
「ズライカ」はなかなか一筋縄ではいかない歌だと思います。官能的すぎるとシューベルトから離れてしまうし、かといって艶っぽさが皆無だとシューベルトの狙いと異なってしまう。アーメリングは彼女の清潔な特質を生かしながらも得意な弱声を駆使して曲の持ち味も残していると思います。
シューベルトのゲーテ歌曲はかなり個性的なので好悪が分かれるのかもしれませんね。私は「グレートヒェン」とか「トゥーレの王」など、ゲーテ歌曲も好きです。

投稿: フランツ | 2007年9月30日 (日曜日) 23時56分

フランツさん
全部聞いたわけではないですが(一度は聞いたかな)例のフィッシャーディースカウのボックスを持っているので、私はシューベルトの歌曲は好きだと思います。

ゲーテの詩があまり好きじゃないんだと思います。特に恋愛の詩は、愛の炎が燃えまくっているような歌詞で、それが音楽によって増幅されるのが嫌なようです。

ゲーテの詩はさまざまな詩形を駆使し、疑いなくドイツ文学史に燦然と輝いていますが、それと好き嫌いは別で、逆に「トゥーレの王」のようなバラード(で良いのかな?)はたんたんとしていて好きです。昔「ドイツ語講座」のカセットテープで聞いたからかもしれません。

有名なグレートヒェンは凄い曲だと思いますが、こっちまで彼女の不安が伝染するので、やっぱりあまり聞かないですね(笑)。

投稿: Auty | 2007年10月 3日 (水曜日) 06時59分

立派と思うのと好き嫌いは別物というのはとても良く分かります。私もゲーテは偉大だと思いますが、メーリケやアイヒェンドルフの詩の方がより身近に感じられる気がします。ゲーテの説教臭いいくつかの詩も私にはあまりピンとこないことがありますが、そういう詩にヴォルフが素晴らしい音楽を付けていたりするので、作曲家を触発するものも秘めているのでしょうね。

投稿: フランツ | 2007年10月 4日 (木曜日) 01時11分

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