最近のシューベルト歌曲集を聴いて(ゲアハーヘル&フーバー/ヘンシェル&ドイチュ)
ここのところ以前のように新しい演奏家を熱心にチェックするということをしなくなり、知らない名前も随分増えてきたが、それでも何人かの若手演奏家の録音に感動することもある。最近聴いた新録音の中で特に素晴らしかった2枚のシューベルト歌曲集のCDをご紹介したいと思う。
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●Abendbilder: Lieder von Franz Schubert(夕べの情景:フランツ・シューベルト歌曲集)
Christian Gerhaher(BR) Gerold Huber(P)
RCA RED SEAL: 82876777162
録音:2005年9月18~21日、Großer Konzertsaal, Hochschule für Musik und Theater München
シューベルト/きみと二人きりでいるとD866-2(ザイドル);夕べの情景D650(ジルベルト);天の火花D651(ジルベルト);ここにあることD775(リュッケルト);遠方への衝動D770(ライトナー);窓辺でD878(ザイドル);ブルックでD853(シュルツェ);漁師の恋の幸せD933(ライトナー);冬の夕べD938(ライトナー);弔いの鐘D871(ザイドル);アリンデD904(ロホリツ);漁師の歌D881(シュレヒタ);夕映えの中でD799(ラッペ);ムーサの息子D764(ゲーテ);あなたは憩いD776(リュッケルト);老人の歌D778(リュッケルト);歓迎と別れD767 (ゲーテ)
まず、クリスティアン・ゲアハーヘル("Gerhaher"の発音は、実際にはどういう表記が近いのだろうか?)(BR)とゲロルト・フーバー(P)によるシューベルトの歌曲集である(タイトルには2曲目の「夕べの情景」が掲げられている)。この2人はどちらも1969年にドイツのStraubingという所で生まれており、緊密なデュオ関係を長く続けているようだ。以前一度だけ(2002年11月2日)トッパンホールで彼らの演奏を聴いたことがあるが、その時のゲアハーヘルは生硬さが目立ち、あまりよい印象を受けなかった記憶がある(ピアノのフーバーは絶妙だったが)。
すでにこのコンビはシューベルトの3大歌曲集の録音をリリースしているが、個々の曲のアンソロジーははじめてである。そして今回のこの録音では驚くほどの成熟した演奏を聴かせてくれたのである。この録音でのゲアハーヘルは声の若さ、みずみずしさ、言葉の美しさは以前の録音のとおりだが、何よりもすごいのは曲への同化の仕方が本当にぴったりなのである。未消化な箇所や違和感がなく、自然な表情で一貫している。そしてどの曲もゲアハーヘルの歌唱によって実に魅力を増しているのである。彼の声はバリトンだが、重すぎず爽快で軽やかな響きがある。これがなんとも耳に心地よいのだ。「きみと二人きりでいると」での生き生きとした躍動感、「夕映えの中で」での真摯な表現、「歓迎と別れ」の言葉さばきの素晴らしさなど聴きどころは沢山ある。ピアノのフーバーはまだ若いのに、ベテランピアニストのような安定感は一体どこからくるのだろうか。安心してそのクッションのような優しい響きに身を委ねられる。
ありきたりなシューベルト歌曲のレパートリーに飽きた方には、例えば歌とピアノ右手が絶妙な二重唱を響かせる「遠方への衝動」、哀愁に満ちた「漁師の恋の幸せ」、よい意味でビーダーマイアー的なささやかな喜びにあふれた「冬の夕べ」などをお勧めしたい。
◎遠方への衝動D770: 「父よ、ぼくが雲を見たり、川辺に佇むときに、心に語りかけてくるものがあることなどあなたには思いもよらない。故郷の岩の谷はぼくにはあまりに狭すぎる。荒々しい衝動がぼくを森の内外へと駆り立てるのだ。」
◎漁師の恋の幸せD933: 「あの柳から光がちらちら漏れてきて、いとしい人の部屋の青白い光がぼくに合図を送る。ぼくたちがキスを交わすと、波がざわめき、浮き沈む。聞き耳を立てている人たちに聞こえないように。」
◎冬の夕べD938: 「私の周囲はこんなに静かでひっそりしている。私は人里離れた暗い中で一人きりで座る。ただ月の光だけが私の部屋にそっとさしこんでくる。遠く美しかった消え去った時を振り返り、愛のしあわせを想い、静かにため息をついてはひたすら想いにふける。」
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●An den Mond: Chants nocturnes / Schubert(月に寄せて:夜の歌/シューベルト)
Dietrich Henschel(BR) Helmut Deutsch(P)
harmonia mundi: HMC 901822
録音:2003年5月、2004年1月、Teldex Studio Berlin
シューベルト/さすらい人が月に寄せてD870(ザイドル);憧れD879(ザイドル);戸外でD880(ザイドル);ユーリアの姿を垣間見たりんごの木に寄せてD197(ヘルティ);恋の陶酔D179(T.ケルナー);生きる勇気D883(シュルツェ);舟人D536(マイアホーファー);双子座に寄せる舟人の歌D360(マイアホーファー);水の上で歌うD774(シュトルベルク);海の静けさD216(ゲーテ);小人D771(コリーン);墓堀人の歌D869(ザイドル);夜曲D672(マイアホーファー);弔いの鐘D871(ザイドル);墓堀人の郷愁D842(クライガー);秋の夜に月に寄せてD614(シュライバー);さすらい人D649(F.v.シュレーゲル);ヴィルデマンの丘でD884(シュルツェ);悲しみD772(コリーン);ブルックでD853(シュルツェ)
ディートリヒ・ヘンシェル(BR)とヘルムート・ドイチュ(P)のシューベルト歌曲集はゲアハーヘル盤にも増して渋い選曲が目につく。これらのいくつかは先輩ディートリヒ(F=ディースカウ)も好んでリサイタルで歌っていたものだが、私がはじめてF=ディースカウの実演に出かけたときにも歌われた「さすらい人が月に寄せて」、「夜曲」、「弔いの鐘」、「墓堀人の郷愁」、「さすらい人」(シュレーゲルの詩による方)、「ヴィルデマンの丘で」などは今でも私の大のお気に入りの曲である。ほかに、絶えず流れる三連音に乗って切迫した気持ちを歌う「憧れ」、元気な「舟人」、身分違いの恋が引き起こすドラマが展開する「小人」や、深刻な「悲しみ」なども素晴らしく、「ブルックにて」はリサイタルの最後を締めるにふさわしいリズミカルな名作である。アルバムタイトルに「月に寄せて(An den Mond)」と掲げられているが、例えばゲーテの詩による「月に寄せて」が歌われているわけではなく、シュライバーの詩による「秋の夜に月に寄せて」に由来しているのだろう。
ヘンシェルの声は低い声から高い声までむらなく良く響き、語り口は説得力に富み、起伏に富んだ劇的な表現力で各曲のドラマを雄弁に描き出している。このあたりは師匠F=ディースカウ譲りといってもいいだろう。声はまろやか、かつ強靭でどのようなタイプの曲にも対応できる柔軟性がある。ゲアハーヘルよりは重厚さが強い。シューベルトの歌曲は演奏に作為が感じられると良さが失われてしまう。そういう意味でヘンシェルのどこまでも自然な性格を維持したまま聴かせる技術と音楽性は本当に非凡なものだと思う。唯一「水の上で歌う」だけは曲のもつ透明で繊細な響きと彼の声の相性が合わなかった感じがしたが、これは好みの問題であろう(高水準の歌唱であることに変わりはない)。他のどの曲においても作品自体のもつ魅力を見事なまでに引き出していた。いまやベテランの域に達したドイチュの演奏は良質なシューベルトのピアノ曲演奏を聴いているかのように歌心がすみずみまで行き届いている。極上のタッチで紡ぎ出される音のなんという美しさ!
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コメント
はじめまして。30年ほど前に高校生時代、一時的に合唱部に呼ばれて、ドイツ語の歌曲を歌った記憶があります。このたび、12月に2週間、ドイツに研修で行くことになりました。そこで、記憶に残っているその名曲を練習して、現地の方々と一緒に歌いたくなったのですが、なにせ、曲名も作曲者名も歌詞も分かりません。こちらが検索で見つかったので、書き込み及びご教示のお願いをしている次第です。歌詞は冒頭文だけしか思えていませんが以下の通りです。「ジールベル ブラーーベル モーンデンシャインーーー フェール エーー ダーースーーー」という感じでした。
とても美しいフレーズでゆったりとした曲でした。こんな情報で伝わるかどうか不安ですが、よろしくお願い致します。
投稿: とうたか | 2008年10月 4日 (土曜日) 09時12分
とうたかさん、はじめまして。
ご訪問とコメントを有難うございます。
さてお尋ねの曲はシューベルトの合唱曲「墓と月」D893ではないかと思います。
以下のリンク先に歌詞と楽譜、さらにMIDI音源も付いていますので、ご確認ください。
http://www.cpdl.org/wiki/index.php/Grab_und_Mond_(Franz_Schubert)
楽譜のPDFファイル
http://wso.williams.edu/cpdl/sheet/schb-gra.pdf
MIDI音源
http://wso.williams.edu/cpdl/sound/schb-gra.mid
ドイツでの研修と演奏のご成功をお祈りいたします。
投稿: フランツ | 2008年10月 4日 (土曜日) 10時53分
フランツ様へ
おはようございます。「とうたか」です。この度は突然の不躾なお願いも関わらず、私の願いを叶えて頂いてありがとうございます。早速上記にある三つのURLをすべて訪問しました。歌詞を読んで苦笑いする部分もありましたが、ジールベルブラーメルはシルバーブルーだったことが分かるなど、感動でした。当時も歌詞の解説を聞いたように思いますが、意味など分からずに歌っていた私でした。
MIDI音源は練習に使える部分と使えない部分がありますが、楽譜は凄い。男性四部合唱だったのかもしれません。私は何パートだったかさえ思えていなかったのです。いやー本当に良かった。ありがとうございます。
リンクしてある『こだわりクラッシック』さんにも書き込みをしたので、そちらにもこれから御礼の書き込みを致します。
早々の対応、本当にありがとうございました。
投稿: とうたか | 2008年10月 5日 (日曜日) 08時08分
とうたかさん、こんにちは。
ご丁寧なご返事を有難うございました。
目的の曲はやはり「墓と月」でよかったようですね。安心しました。
この曲、美しい作品なので、シューベルトの合唱曲の夕べなどでは歌われるようですが、一般のドイツ人の方にはあるいは馴染みが薄いかもしれません。
それではよい旅になりますよう祈っております。
投稿: フランツ | 2008年10月 5日 (日曜日) 13時47分