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ベンジャミン・ブリテン没後30年

Before life and after
 生命の前と後

A time there was - as one may guess
And as, indeed, earth's testimonies tell -
Before the birth of consciousness,
When all went well.
 ある時が存在していた -もう推測されているだろうし、
 実際、地球の証言が語っているように-
 意識が生まれる以前に、
 万事がうまくいっていた時が。

None suffered sickness, love, or loss,
None knew regret, starved hope, or heart-burnings;
None cared whatever crash or cross
Brought wrack to things.
 誰も病気に、愛に、喪失に苦しむことがなく、
 誰も後悔を、飢えた希望を、燃え上がる心を知らなかった。
 衝突もしくは反逆が
 事物を破壊することになろうが、気にかける者は誰もいなかった。

If something ceased, no tongue bewailed,
If something winced and waned, no heart was wrung;
If brightness dimmed, and dark prevailed,
No sense was stung.
 もし何かが終わっても、嘆き悲しむ声はなく、
 もし何かがたじろいだり、衰えたりしても、心が痛むことはなかった。
 もし明るさが弱まり、暗さが広がっても、
 感覚は痛まなかった。

But the disease of feeling germed,
And primal rightness took the tinct of wrong;
Ere nescience shall be reaffirmed
How long, how long?
 だが、感情という病いが芽生えると、
 原初の正義は悪の色合いに染まってしまった。
 無知が再び是認されるようになるまで、
 どれぐらい、どれぐらい?

歌曲集「冬の言葉(Winter Words)」第8曲:トマス・ハーディー(Thomas Hardy: 1840-1928)詩

※Emily Ezust氏のWebサイト"The Lied and Art Song Texts Page"では、アメリカの著作権法に抵触する可能性がある為、詩を掲載しない旨書かれていましたが、死後70年まで権利が持続することになったアメリカの新しい法律に従っても、ハーディーは1928年に亡くなっているので、1998年に権利が切れているものと判断して原詩と対訳を掲載しました(ハーディーはイギリス人ですが、アメリカの法律の適用を受ける理由も私には分かりませんでした)。掲載に問題がある場合はご指摘いただけると助かります。

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今年はベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten: 1913-1976)の没後30年にあたり、記念の録音が多くリリースされているようだ。「青少年のための管弦楽入門」は良く知られているが、彼の歌曲は一般にはあまり馴染みがないだろう。
私の手元には日本人として深くイギリス歌曲に踏み込んだ辻裕久&なかにしあかね夫妻の2枚のブリテン歌曲集がある。ブリテンのよきパートナーだった名テノール、ピーター・ピアーズを想定して書かれた歌曲を中心に、爽やかで感情豊かな辻氏の美声と表現、さらにパーソンズやヘル仕込みのなかにし氏の柔軟性に富んだ美しい演奏が、ブリテンの多彩な世界に誘ってくれる。ブリテンは膨大な民謡編曲も残しており、「庭の千草」として日本でもよく知られている「夏の名残のばら」の編曲も聴くことが出来る。早口な「オリバー・クロムウェル」は、ブリン・ターフェル&マーティノーのより速い演奏があり、まさに名人芸だったが、辻&なかにしはテンポ設定をやや控えめに抑えて、言葉をしっかり響かせて、日本人らしい味わいを感じさせる。第2集には、ハープ共演の作品(歌曲集「誕生日を祝う歌」など)もいくつかあり、声と予想以上によく融け合って、独特の親近感を醸し出している。
また、辻、なかにし御両人がブックレットに書かれている文章も素晴らしく、とても勉強になった。特に、第2集の解説書になかにしさんが書かれている文章で、ブリテンは日本ではイギリスの代表的な作曲家のように思われているが、イギリスでは彼が多種な要素を融合させている(欧大陸や東洋との折衷)ことから“傍流”と位置づけられている。しかし、そもそもイギリスという国自体が異なる要素を共存させて、折衷を繰り返してきており、ブリテンはそのようなイギリスの両極性の申し子と言えるのではないかという、イギリス芸術を日本人として外から見ることの出来る立場のなかにしさんならではの説はとても説得力があり、なるほどと納得させられた。

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Tsuji_nakanishi_britten_1●ベンジャミン・ブリテン歌曲集
ファウエムミュージックコーポレーション:FAUEM:FMC-5040
辻裕久(T);なかにしあかね(P)
録音:2001年8月3~4日、滋賀、ガリバーホール

ブリテン/歌曲集「冬の言葉」Op. 52[T.ハーディー詩](11月の黄昏に;真夜中のグレートウェスタン鉄道(旅する少年);セキレイと赤ん坊(皮肉);小さな古いテーブル;クワイヤマスターのお葬式(テナーマンズストーリー);誇り高き歌手達(つぐみ、フィンチ、ナイチンゲール);駅舎にて(または囚人とヴァイオリンを携えた少年);生命の芽生えの前と後);
「民謡編曲集」より(ある朝早く;農場の少年;ディーの陽気な粉ひき;夜霧の露;とねりこのしげみ;ああ せつない せつない;若く朗らかな未亡人;夏の名残の薔薇);
歌曲集「この島で」Op. 11[W.H.オーデン詩](いざ 華麗なる音楽で讃えよう;今や木の葉は落ち急ぎ;海の情景;ノクターン;この通り裕福なのは…)

Tsuji_nakanishi_britten_2●ベンジャミン・ブリテン歌曲集Ⅱ
ファウエムミュージックコーポレーション:FAUEM:FMC-5045
辻裕久(T);木村茉莉(HP);なかにしあかね(P)
録音:2004年8月17~18日、滋賀、ガリバーホール

ブリテン/歌曲集「誕生日を祝う歌」Op. 92[R.バーンズ詩](ハープ共演)(誕生日の歌;朝の散歩;ウィー・ウィリー;おいらの山羊;アフトンの流れ;冬;リージー・リンジー);
「8つの民謡集」より(ハープ共演)(神様!おいらかみさんもらったが…;レマディ;かわいいお寝坊さん;白い小麦;鳥追いの歌);
「トーマス・ムーアの詩によるアイルランド民謡集」より(復讐と栄光;真夜中に(モリーに捧ぐ);甘美なこだま);
「民謡編曲集」第1巻より(サリー・ガーデン;オリバー・クロムウェル);
カンティクル第5番「聖ナルシサスの死」Op. 89[T.S.エリオット詩](ハープ共演);
歌曲集「この子らは誰?」Op. 84[W.スーター詩](なぞなぞ(地球);若者の歌;悪夢;ついてない日;ねるとき;殺戮;なぞなぞ(君らも子供だった);ひょうきん者;この子らは誰?;夕食;子供達;樫の老木)

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◆歌曲集「冬の言葉」について(詩の内容は辻氏自身の訳を参照させていただきました)

生あるものの無常さや、時の流れを歌った詩が多いように感じたが、そのようなはかない感情を纏めた歌曲集のタイトルとして「冬の言葉」というのはなかなか合っているように感じた(「冬の言葉」はハーディーの詩集のタイトルだが、辻氏の解説によると、この詩集から採られた詩は第6曲のみという)。

1)「11月の黄昏に」
子供の頃に植えて、いまや大きく育った木々を見て、物質のはかなさを思うという歌。冬を目前にした黄昏時の夕映えを模しているのだろうか、ピアノの急速な分散音型が頻繁に現れる。絶えず揺れる歌の旋律が主人公の不安を表現している。

2)「真夜中のグレートウェスタン鉄道(旅する少年)」
真夜中の鉄道に乗っている少年はこの世の者ではなく、高き世界から罪深きこの世界に立ち寄ったのかと歌われる。神秘的な響きによって、不思議な少年の乗った鉄道が描かれている。ピアノにしばしば現れるため息のような短い音型は汽笛でも表しているのだろうか。独特のリズムも鉄道の動きを模しているかのようだ。

3)「セキレイと赤ん坊(皮肉)」
物語仕立てになっており、セキレイという鳥が荒っぽい牛や馬、犬にはびくともしないのに紳士が登場するや慌てて逃げる様を赤ん坊がじっと眺めてなにやら考え始めるという内容。「皮肉」という副題をもった詩の内容だが、素直に詩の内容を描写することによって巧まずして皮肉の効果を出そうとしたのだろうか。ピアノ高音部の細かいパッセージが特徴的な曲。セキレイが飛び立った後にこのパッセージは出てこなくなるので、セキレイの羽ばたきなのだろう。

4)「小さな古いテーブル」
きいきい鳴る古いテーブルに向けての歌。テーブルの立てる音にこれまでどんな歴史が刻まれてきたのかと問う最後の文は愛らしいテーブルに、時の重みを与えている。テーブルのきしむ音を模したピアノの上で歌も擬音を聞かせる。

5)「クワイヤマスターのお葬式(テナーマンズストーリー)」
葬式で亡くなった人を音楽で送る仕事をしていた聖歌隊指揮者が、自身が亡くなる際に好きな聖歌を歌って欲しいと願いながら、現実には叶えられなかった。しかし、亡くなった翌日に彼の埋葬された墓地で白衣の楽隊が演奏していたという内容。死んだマスターの夢をかなえたいという者に対して、時間やら天候やらの言い訳を並べ立てて反対する牧師のセリフに独特の低音のはずむようなリズムをピアノパートに与えて皮肉っているのが印象的だ。

6)「誇り高き歌手達(つぐみ、フィンチ、ナイチンゲール)」
昼夜と誇りをもって美しい歌を響かせる鳥たちも一、ニ年前にはまだ存在していなかったのだという内容。存在することの不思議さを感じさせられる。鳥たちの我が物顔の歌をピアノが仰々しく表現し、歌も力強く堂々と鳥たちの自信を表現する。

7)「駅舎にて(または囚人とヴァイオリンを携えた少年)」
ヴァイオリンを持って駅で列車を待つ少年が、護送されるために駅にいる囚人にヴァイオリンを弾いて聞かせ、その響きに乗せて囚人が歌うという内容。それぞれの人生を歩む者たちの一時の交流がほっとさせる。ピアノは前奏の段階からすでにヴァイオリンの哀愁に満ちた音を響かせ、囚人が荒っぽく歌う箇所では歌声部も高らかに表現する。

8)「生命の芽生えの前と後」
意識(consciousness)が生まれる前、感情(feeling)という病が芽生える前はあらゆることが問題なく運んでいたと歌う。アダムとエヴァの話だろうか。絶えず刻むピアノの和音の上で流麗な旋律のまま詩を語り、最後の"How long?"(どれぐらい)に至って高揚し、思いを込めて繰り返しながら締めくくる。

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ボストリッジ&ドレイク/リサイタル(2006年11月24日 トッパンホール)

イアン・ボストリッジ(Ian Bostridge)・テノール・リサイタル
ピアノ:ジュリアス・ドレイク(Julius Drake)

2006年11月24日(金)19:00開演 トッパンホール(東京)

シューベルト/春にD882(シュルツェ);ヴィルデマンの丘でD884(シュルツェ);愛らしい星D861(シュルツェ);深い悩みD876(シュルツェ);ブルックでD853(シュルツェ);ヘリオポリスよりⅠD753(マイアホーファー);ヘリオポリスよりⅡD754(マイアホーファー);夕暮れの情景D650(ジルベルト);静かな国へD403(ザーリス=ゼーヴィス);墓掘人の郷愁D842(クライガー・デ・ヤッヘルタ)
-休憩-
シューベルト/リーゼンコッペ山頂でD611(T.ケルナー);挨拶を贈ろうD741(リュッケルト);あのひとはここにいたのだD775(リュッケルト);ますD550(シューバルト);漁師の愛の幸せD933(ライトナー);漁師の歌D881(シュレヒタ);アテュスD585(マイアホーファー);スイートロケットD752(マイアホーファー);秘密D491(マイアホーファー);森のなかでD708(F.v.シュレーゲル)

[アンコール]シューベルト/別れD475(マイアホーファー)

※曲目表記はプログラム冊子に従った。

ボストリッジとドレイクによる歌曲コンサートに出かけてきた。トッパンホールは飯田橋、後楽園、江戸川橋のどこからもそこそこ歩かないと行けない。行きは後楽園から、帰りは飯田橋に向かったが、徒歩8分と書かれていた後楽園からホールまで15分以上かかってしまった。以前に来た時には無料シャトルバスが出ていて、帰りは飯田橋まで利用したのだが、現在はそのようなサービスはないらしい。

ボストリッジとドレイクは何年か前に一度聴いていて、今回は2回目である。今回はオール・シューベルト・プログラム。通好みの選曲と言えるかもしれないが、「ヴィルデマンの丘で」「ヘリオポリスよりⅡ」「墓掘人の郷愁」のようなF=ディースカウが好んで歌ったレパートリーと共に、「愛らしい星」「アテュス」「森のなかで」など、なかなか実演で聴けないような曲も含まれており、とても惹きつけられる選曲だった。前半はのどかな春の丘に座って失った恋を追憶する「春に」ではじまり、「冬の旅」のように雪の森を進みながら好きな人の心を開けない苦悩を歌う「ヴィルデマンの丘で」などの恋の悩みが続き、「ブルックで」「ヘリオポリスⅠ、Ⅱ」で猛々しい気概をもって前進しようと歌い、「夕暮れの情景」から「墓掘人の郷愁」で死の安らぎへの憧れがにじみ出てくる。後半はケルナーの詩による「リーゼンコッペ山頂で」で始まり、山頂の感動を胸に故郷や仲間への感謝の挨拶が歌われ、"Sei mir gegrüßt!"(わたしの挨拶を贈ろう!)で締めくくるその言葉が次のリュッケルト歌曲のタイトルとなる。リュッケルト歌曲2曲の後は「ます」をはじめ、水に因んだ曲が3曲続き、その後、ギリシャ神話による「アテュス」、可憐な「スイートロケット」(一般には「はなだいこん」として知られる曲)、シューベルトへの讃歌「秘密」といったマイアホーファー歌曲3曲の後、最後は比較的規模の大きな「森のなかで」で自然の霊気に触れよと結ばれる。

私はホール後ろから2列目のど真ん中の席だったが、こんな後ろの席までボストリッジの声はよく通る。とはいっても大音量の圧倒するような感じではなく、何を歌っているのかがはっきり聴きとれる声の通り方である。耳に直接入ってくるというよりも、前の方で演奏されている音楽が後ろでも聞き取れるという感じである。以前聴いたときが前の方の席だったので、余計にそう感じるのかもしれないが、彼が横を向こうが、下を向こうが、正面を向いて歌う時と殆ど声のボリュームに違いが感じられなかった。

後ろの席なので舞台の全体が視界に収まるのだが、それにしてもボストリッジはよく動く。向かって左下を向いて歌うことが特に多かったように感じたが、歌いながら歩き回ったり(時には瞬間移動のような早業も)、上体も前後左右によく揺らし、左手をポケットに突っ込んだり、ピアノに寄りかかったり、足を交差させたり、とにかくじっとしていない。これが演奏に支障を来たすのならば問題だろうが、動きながらも歌唱はしっかりしているので、歌唱と動きが連動しているのかもしれない。彼の歌は、歌の旋律を朗々と響かせるというタイプではないが、知的という形容も少し違う気がする。哲学者のようなユニークな視点をもって、突き詰めたものを表現しているという印象だ。一見取っ付きにくい雰囲気を全身から発散しているが、その歌は不思議な説得力があり、聴き手を感嘆させる。いつしか彼の提示する世界に引き込まれているという感じだ。

今回の演奏が始まる前に「前半と後半をそれぞれツィクルスとして演奏したいと演奏者が希望しています」という内容のアナウンスが流れ、実際に各曲はほとんど間を置かず、連続して演奏された。拍手も前半、後半それぞれの最後のみだったが、どちらもフライング拍手があったのに、他の客が同調しなかった為に一度拍手が収まり、ドレイクが手を下ろしてから再度拍手となったのが面白かった。

ドレイクの演奏はますます磨きがかかり、音楽の輪郭を明確に響かせ、美しいタッチでピアノを歌わせ、テンポは安定していて、見事に熟した演奏ぶりだった。ふたを全開にした楽器のコントロールも完璧だった。ただ、パワフルさが持ち味の「ヘリオポリスよりⅡ」では、ボストリッジの声に気遣ったのか、ペダルを控えめにして、音量も常に制御して、もうひとつ曲の性格を前面に出して欲しかった気もするが、総じて、これ以上ないほど魅力的なピアノだった。

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シューマン「哀れなペーター」(詩:ハイネ)

「哀れなペーター」は、ハイネの詩集「歌の本」の中の「ロマンツェ」に含まれる3編の連作詩に、シューマンが歌の年1840年に作曲した小さな歌曲集である。3曲はそれぞれ分かれているが、1、2曲目の楽譜の最後に終止線が付けられておらず、続けて演奏されることをシューマンは望んでいるのだろう。失恋したペーターがかつての恋人の結婚式を見ている場面にはじまり、いたたまれなくなり山頂でひとり泣き、ぬけがらになって墓に向かうという流れになっている。

●第1曲:「ハンスとグレーテが踊りながらくるくる回り」
4分の3拍子、ト長調。Nicht schnell(速くなく)。
シューベルトの「冬の旅」終曲の「ライアー弾き」を思わせるドレーライアーを模したかのような和音による2小節の前奏の後に、舞曲風のリズムに乗って、長調で歌われる。結婚式の響きの明るさにより、かつての恋人の晴れ姿を見ているペーターの惨めさが一層引き立っている。

●第2曲:「ぼくの胸に、痛みが居座っている」
2分の2拍子、ホ短調。Ziemlich schnell(かなり速く)。
ホ短調の主和音が鳴り響いた後、細かい音型で悲しみを切々と訴える歌が続く。

●第3曲:「哀れなペーターはよろめきながら通り過ぎる」
4分の3拍子、ホ短調。Langsam(ゆっくりと)。
最後の曲ではテンポをぐっと落として、生気を失ったペーターの様を描く。短調で貫かれた最終曲の最後の和音が長和音になり、最後にようやく哀れなペーターが墓で安息を得たことを感じさせる。

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Der arme Peter, Op. 53-3
 哀れなペーター

(1)
Der Hans und die Grete tanzen herum,
Und jauchzen vor lauter Freude.
Der Peter steht so still und so stumm,
Und ist so blaß wie Kreide.
 ハンスとグレーテが踊りながらくるくる回り、
 ただ喜びのあまり歓声をあげている。
 ペーターはこんなに静かに押し黙っている、
 チョークのような青白さだ。

Der Hans und die Grete sind Bräut'gam und Braut,
Und blitzen im Hochzeitsgeschmeide.
Der arme Peter die Nägel kaut
Und geht im Werkeltagkleide.
 ハンスとグレーテは花婿と花嫁、
 結婚式の装身具を身にまとって輝いている。
 哀れなペーターは爪を噛み、
 仕事着に身を包んで歩く。

Der Peter spricht leise vor sich her,
Und schauet betrübet auf beide:
Ach! wenn ich nicht gar zu vernünftig wär',
Ich täte mir was zuleide.
 ペーターは小声で独り言をつぶやき、
 二人を悲しげに見つめる。
 ああ!ぼくに理性がなかったなら
 自分を痛めつけていたことだろうよ。

(2)
"In meiner Brust, da sitzt ein Weh,
Das will die Brust zersprengen;
Und wo ich steh' und wo ich geh',
Will's mich von hinnen drängen."
 「ぼくの胸に、痛みが居座っている、
 その痛みが胸を破裂しようとしている。
 ぼくの立つところ、歩くところで
 痛みはぼくをそこから追い立てようとするのだ。」

"Es treibt mich nach der Liebsten Näh',
Als könnt's die Grete heilen;
Doch wenn ich der ins Auge seh',
Muß ich von hinnen eilen."
 「その痛みが、ぼくを好きな人の近くへと駆り立てる、
 グレーテが痛みを治してくれる気がして。
 だが、彼女の目を見つめると
 その場から急いで立ち去るしかない。」

"Ich steig' hinauf des Berges Höh',
Dort ist man doch alleine;
Und wenn ich still dort oben steh',
Dann steh' ich still und weine."
 「ぼくは山頂まで登り、
 そこでやっと一人きりになる。
 そして静かにその上で立ち上がると
 じっと動かず涙にくれるのだ。」

(3)
Der arme Peter wankt vorbei,
Gar langsam, leichenblaß und scheu.
Es bleiben fast, wie sie ihn sehn,
Die Leute auf den Straßen stehn.
 哀れなペーターはよろめきながら通り過ぎる、
 ひどくのろのろと、死人のように真っ青になって、おずおずと。
 彼を見ると、
 通りの人々はほとんど立ち止まってしまう。

Die Mädchen flüstern sich ins Ohr:
"Der stieg wohl aus dem Grab hervor."
Ach nein, ihr lieben Jungfräulein,
Der steigt erst in das Grab hinein.
 女の子たちはこう耳打ちしあう、
 「あの人、たぶんお墓から出てきたのね」と。
 ああ、ちがうよ、お嬢さん方、
 この人はようやくお墓に入ろうとしているんだ。

Er hat verloren seinen Schatz,
Drum ist das Grab der beste Platz,
Wo er am besten liegen mag
Und schlafen bis zum Jüngsten Tag.
 彼は大切な人を失った、
 だから墓こそが最良の場所なのだ、
 そこに横たわって
 最後の審判の日まで眠りにつくのが彼には一番よいのだろう。

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最近のシューベルト歌曲集を聴いて(ゲアハーヘル&フーバー/ヘンシェル&ドイチュ)

ここのところ以前のように新しい演奏家を熱心にチェックするということをしなくなり、知らない名前も随分増えてきたが、それでも何人かの若手演奏家の録音に感動することもある。最近聴いた新録音の中で特に素晴らしかった2枚のシューベルト歌曲集のCDをご紹介したいと思う。

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Gerhaher__huber__schubert●Abendbilder: Lieder von Franz Schubert(夕べの情景:フランツ・シューベルト歌曲集)
Christian Gerhaher(BR) Gerold Huber(P)
RCA RED SEAL: 82876777162
録音:2005年9月18~21日、Großer Konzertsaal, Hochschule für Musik und Theater München

シューベルト/きみと二人きりでいるとD866-2(ザイドル);夕べの情景D650(ジルベルト);天の火花D651(ジルベルト);ここにあることD775(リュッケルト);遠方への衝動D770(ライトナー);窓辺でD878(ザイドル);ブルックでD853(シュルツェ);漁師の恋の幸せD933(ライトナー);冬の夕べD938(ライトナー);弔いの鐘D871(ザイドル);アリンデD904(ロホリツ);漁師の歌D881(シュレヒタ);夕映えの中でD799(ラッペ);ムーサの息子D764(ゲーテ);あなたは憩いD776(リュッケルト);老人の歌D778(リュッケルト);歓迎と別れD767 (ゲーテ)

まず、クリスティアン・ゲアハーヘル("Gerhaher"の発音は、実際にはどういう表記が近いのだろうか?)(BR)とゲロルト・フーバー(P)によるシューベルトの歌曲集である(タイトルには2曲目の「夕べの情景」が掲げられている)。この2人はどちらも1969年にドイツのStraubingという所で生まれており、緊密なデュオ関係を長く続けているようだ。以前一度だけ(2002年11月2日)トッパンホールで彼らの演奏を聴いたことがあるが、その時のゲアハーヘルは生硬さが目立ち、あまりよい印象を受けなかった記憶がある(ピアノのフーバーは絶妙だったが)。

すでにこのコンビはシューベルトの3大歌曲集の録音をリリースしているが、個々の曲のアンソロジーははじめてである。そして今回のこの録音では驚くほどの成熟した演奏を聴かせてくれたのである。この録音でのゲアハーヘルは声の若さ、みずみずしさ、言葉の美しさは以前の録音のとおりだが、何よりもすごいのは曲への同化の仕方が本当にぴったりなのである。未消化な箇所や違和感がなく、自然な表情で一貫している。そしてどの曲もゲアハーヘルの歌唱によって実に魅力を増しているのである。彼の声はバリトンだが、重すぎず爽快で軽やかな響きがある。これがなんとも耳に心地よいのだ。「きみと二人きりでいると」での生き生きとした躍動感、「夕映えの中で」での真摯な表現、「歓迎と別れ」の言葉さばきの素晴らしさなど聴きどころは沢山ある。ピアノのフーバーはまだ若いのに、ベテランピアニストのような安定感は一体どこからくるのだろうか。安心してそのクッションのような優しい響きに身を委ねられる。

ありきたりなシューベルト歌曲のレパートリーに飽きた方には、例えば歌とピアノ右手が絶妙な二重唱を響かせる「遠方への衝動」、哀愁に満ちた「漁師の恋の幸せ」、よい意味でビーダーマイアー的なささやかな喜びにあふれた「冬の夕べ」などをお勧めしたい。

◎遠方への衝動D770: 「父よ、ぼくが雲を見たり、川辺に佇むときに、心に語りかけてくるものがあることなどあなたには思いもよらない。故郷の岩の谷はぼくにはあまりに狭すぎる。荒々しい衝動がぼくを森の内外へと駆り立てるのだ。」

◎漁師の恋の幸せD933: 「あの柳から光がちらちら漏れてきて、いとしい人の部屋の青白い光がぼくに合図を送る。ぼくたちがキスを交わすと、波がざわめき、浮き沈む。聞き耳を立てている人たちに聞こえないように。」

◎冬の夕べD938: 「私の周囲はこんなに静かでひっそりしている。私は人里離れた暗い中で一人きりで座る。ただ月の光だけが私の部屋にそっとさしこんでくる。遠く美しかった消え去った時を振り返り、愛のしあわせを想い、静かにため息をついてはひたすら想いにふける。」

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Henschel_deutsch_schubert●An den Mond: Chants nocturnes / Schubert(月に寄せて:夜の歌/シューベルト)
Dietrich Henschel(BR) Helmut Deutsch(P)
harmonia mundi: HMC 901822
録音:2003年5月、2004年1月、Teldex Studio Berlin

シューベルト/さすらい人が月に寄せてD870(ザイドル);憧れD879(ザイドル);戸外でD880(ザイドル);ユーリアの姿を垣間見たりんごの木に寄せてD197(ヘルティ);恋の陶酔D179(T.ケルナー);生きる勇気D883(シュルツェ);舟人D536(マイアホーファー);双子座に寄せる舟人の歌D360(マイアホーファー);水の上で歌うD774(シュトルベルク);海の静けさD216(ゲーテ);小人D771(コリーン);墓堀人の歌D869(ザイドル);夜曲D672(マイアホーファー);弔いの鐘D871(ザイドル);墓堀人の郷愁D842(クライガー);秋の夜に月に寄せてD614(シュライバー);さすらい人D649(F.v.シュレーゲル);ヴィルデマンの丘でD884(シュルツェ);悲しみD772(コリーン);ブルックでD853(シュルツェ)

ディートリヒ・ヘンシェル(BR)とヘルムート・ドイチュ(P)のシューベルト歌曲集はゲアハーヘル盤にも増して渋い選曲が目につく。これらのいくつかは先輩ディートリヒ(F=ディースカウ)も好んでリサイタルで歌っていたものだが、私がはじめてF=ディースカウの実演に出かけたときにも歌われた「さすらい人が月に寄せて」、「夜曲」、「弔いの鐘」、「墓堀人の郷愁」、「さすらい人」(シュレーゲルの詩による方)、「ヴィルデマンの丘で」などは今でも私の大のお気に入りの曲である。ほかに、絶えず流れる三連音に乗って切迫した気持ちを歌う「憧れ」、元気な「舟人」、身分違いの恋が引き起こすドラマが展開する「小人」や、深刻な「悲しみ」なども素晴らしく、「ブルックにて」はリサイタルの最後を締めるにふさわしいリズミカルな名作である。アルバムタイトルに「月に寄せて(An den Mond)」と掲げられているが、例えばゲーテの詩による「月に寄せて」が歌われているわけではなく、シュライバーの詩による「秋の夜に月に寄せて」に由来しているのだろう。

ヘンシェルの声は低い声から高い声までむらなく良く響き、語り口は説得力に富み、起伏に富んだ劇的な表現力で各曲のドラマを雄弁に描き出している。このあたりは師匠F=ディースカウ譲りといってもいいだろう。声はまろやか、かつ強靭でどのようなタイプの曲にも対応できる柔軟性がある。ゲアハーヘルよりは重厚さが強い。シューベルトの歌曲は演奏に作為が感じられると良さが失われてしまう。そういう意味でヘンシェルのどこまでも自然な性格を維持したまま聴かせる技術と音楽性は本当に非凡なものだと思う。唯一「水の上で歌う」だけは曲のもつ透明で繊細な響きと彼の声の相性が合わなかった感じがしたが、これは好みの問題であろう(高水準の歌唱であることに変わりはない)。他のどの曲においても作品自体のもつ魅力を見事なまでに引き出していた。いまやベテランの域に達したドイチュの演奏は良質なシューベルトのピアノ曲演奏を聴いているかのように歌心がすみずみまで行き届いている。極上のタッチで紡ぎ出される音のなんという美しさ!

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シューマン「ぼくの馬車はゆっくりと進む」(詩:ハイネ)

シューマンの歌曲集「詩人の恋」から漏れた4曲の中では演奏されることの多い作品。
ハイネの「歌の本」に収められたこの詩では、自然の輝きの中、馬車に揺られている主人公が、いとしい恋人のことを思っていると、そこに不思議な3つの姿があらわれ、飛び跳ねたり回ったりしながら去っていくという幻想的な光景が描かれている。

シューマンの曲は、4分の3拍子、変ロ長調で、"Nach dem Sinn des Gedichts"(詩の意味に従って)と指示されているのが興味深い。ピアノ前奏は「8分音符の下降形+16分音符の下降形」のリズムが繰り返され、のどかだがガタゴトと不均一な馬車の揺れを模しているようである。歌が始まっても、ピアノのこのリズムはしばらく続くが、第2節になり、これまでの自然の描写から自らのことに転換すると同時にスタッカートと休符による鋭いリズムに変わるが、これまでのpからppに音量が下がり、歌は同音反復が多いので、ささやき語るような感じになる。「8分音符の下降形+16分音符の下降形」をA、「スタッカートと休符による鋭いリズム」をBとすると「A-B-A-B」となるのだが、面白いことに詩の行数でいうと「4行-2行-2行-4行」となり、A、Bそれぞれにあてられた小節数はほとんど変わらないのに、行数の異なる歌声部の音価を伸縮させたり、言葉を繰り返したりしてうまく調節している。ピアノ後奏はシューマンらしく27小節の長大なもので、AとBのリズムが交互にあらわれ、曲を回想しながら終わる。

あまり知られていないが、この詩にはR.シュトラウスも作曲している("Waldesfahrt" Op. 69-4)。こちらはさらに手のこんだ描写が聴かれるが、シューマンの影響もあるように感じられる。

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Mein Wagen rollet langsam, Op. 142-4
 ぼくの馬車はゆっくりと進む

Mein Wagen rollet langsam
Durch lustiges Waldesgrün,
Durch blumige Täler, die zaubrisch
Im Sonnenglanze blühn.
 ぼくの馬車はゆっくりと進む、
 楽しげな森の緑を抜け、
 花いっぱいの谷々を通って。そこでは魔法のような魅力を放って、
 太陽のきらめきの中、花咲き乱れている。

Ich sitze und sinne und träume,
Und denk' an die Liebste mein;
Da grüßen drei Schattengestalten
Kopfnickend zum Wagen herein.
 ぼくは座って、思いにふけり、夢見る、
 そしてぼくの恋人のことを想う。
 その時、三つの幻影が
 馬車に向かってうなずき、挨拶をする。

Sie hüpfen und schneiden Gesichter,
So spöttisch und doch so scheu,
Und quirlen wie Nebel zusammen,
Und kichern und huschen vorbei.
 彼らはピョンピョン飛び跳ね、しかめっ面する、
 このようにあざ笑いながら、でもこんなにはにかんで。
 それから霧のように一緒にグルグル回って、
 クスクス笑い、サッと通り過ぎていく。

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シューマン「きみの頬をぼくの頬に寄せておくれ」(詩:ハイネ)

恋人の流す涙と主人公の流す涙を頬を寄せ合うことで合流させ、さらにお互いの心臓を押し付けることで二人の愛の炎を吹き上げようと歌う熱烈な愛の詩。
シューマンの曲も、ハイネの詩に負けないほど恋焦がれる思いを熱く表現する。4分の2拍子、ト短調で、Leidenschaftlich(情熱的に)と指示されている全37小節の短い作品。前奏もなく、いきなり歌が始まり、あっという間に終わる。ピアノは、心臓の鼓動を模しているかのような三連符が、左手は第1節の間、右手は後奏の直前まで一貫して現れる。歌は導音(#ソ)のまま終わり、ピアノも最後は半終止で、愛の憧れが終わらないことを表現しているのだろう。

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Lehn deine Wang' an meine Wang', Op. 142-2
 きみの頬をぼくの頬に寄せておくれ

Lehn deine Wang' an meine Wang',
Dann fließen die Tränen zusammen;
Und an mein Herz drück fest dein Herz,
Dann schlagen zusammen die Flammen!
 きみの頬をぼくの頬に寄せておくれ、
 そうすれば涙が合流するから。
 それからぼくの心臓にきみの心臓をぎゅっと押し付けておくれ、
 炎が一緒に吹き上がるから!

Und wenn in die große Flamme fließt
Der Strom von unsern Tränen,
Und wenn dich mein Arm gewaltig umschließt -
Sterb' ich vor Liebessehnen!
 そして大きな炎の中に
 ぼくたちの涙の川が流れるとき、
 そしてぼくの腕がきみを力強く抱くとき、
 ぼくは愛の憧れのあまり死ぬのだ!

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シュヴァルツコプフ日本公演曲目1970年

エリーザベト・シュヴァルツコプフ(Elisabeth Schwarzkopf)2回目の来日公演は1970年に1ヶ月にわたり、7箇所で10回にわたって行われた。共演者は前回同様ジェフリー・パーソンズ(Geoffrey Parsons)である。プログラムの種類は前回来日時より1種少ない4種類で、シューベルトとヴォルフは3種類、シューマン、リスト、ブラームス、R.シュトラウスは2種類に含まれている。今回は前回の来日時にあったマーラーやロシア歌曲、スイス民謡は選ばれず、新たにショパン、リスト、ヴォルフ=フェルラーリ、レーヴェなどが加わっている。プログラムDで、シューベルトの「エレンの歌」の第1、2曲が歌われているのに第3曲の「アヴェ・マリア」が歌われていないのがおもしろい。

1970年の曲目の中で現在までに彼女の録音で聴くことの出来ないのは、以下の通りである(以下、曲名の日本語表記は原則としてプログラム冊子の記載通り)。

●プログラムA:ブラームス「少女の言葉Op. 107-3」、「許しておくれよ、かわいい恋人よ」
●プログラムB:ショパン「私の恋人Op. 74-12」、ブラームス「夜鶯に寄せてOp. 46-4」
●プログラムC:ハイドン「彼女は自分の愛を口に出さない」、シューマン「東方のばらからOp. 25-25」、「春の旅路Op. 45-2」、「私のばらOp. 90-2」、「音楽師Op. 40-4」、「ジャスミンのしげみOp. 27-4」、「たのしい放浪者Op. 77-1」、ヴォルフ「セレナーデ」
●プログラムD:シューベルト「エレンの第一の歌D837」、「エレンの第二の歌D838」、リスト「あの国をご存知でしょうかS275」、レーヴェ「へぼ詩人トムOp. 135a」

上記のうち、ブラームスの「少女の言葉」と「夜鶯に寄せて」は1975年にパーソンズとスタジオ録音しているが、未発売のままである。レーヴェ「へぼ詩人トム」はDECCAのために最後に作られたレコードのために1979年1月4日にヴィーンでスタジオ録音されたが、お蔵入りとなった。

ヴォルフの膨大な録音を残している彼女だが、アイヒェンドルフ歌曲集の中の「セレナーデ」を録音していないのは意外である。

また、リストの「なんとも驚き入ったことだ」のようにライヴ録音の形では聴くことが出来るが、スタジオで録音されなかったものもあり、例えば自身のリートのレパートリーをくまなく録音したF=ディースカウに比べると必ずしも録音の数は多くないことが分かる。特に来日公演でも頻繁に歌われたシューマンの録音が極端に少ないのが不思議である。

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第2回来日:1970年1~2月

1月17日(土)19時 東京文化会館(プログラムA)
1月20日(火)19時 大阪フェスティバル・ホール(プログラムA)
1月23日(金)18時30分 福岡市民会館(プログラムB)
1月26日(月)18時30分 広島市公会堂(プログラムD)
1月29日(木)18時30分 神戸国際会館(プログラムD)
2月1日(日)18時30分 大阪フェスティバル・ホール(プログラムB)
2月4日(水)18時30分 愛知県文化講堂(名古屋)(プログラムA)
2月7日(土)19時 東京文化会館(プログラムC)
2月10日(火)19時 東京文化会館(都民劇場主催)(プログラムD)
2月13日(金)18時30分 札幌市民会館(プログラムD)

●プログラムA 共演:ジェフリー・パーソンズ(P)

シューベルト/緑野の歌D917;ズライカⅠD720;ズライカⅡD717;ミューズの子D764
ブラームス/あの下の谷の底では(Da unten im Tale);メロディーのようにOp. 105-1;少女の言葉Op. 107-3;許しておくれよ、かわいい恋人よ(Erlaube mir, Feinsliebchen)
シューマン/ズライカの歌Op. 25-9;くるみの木Op. 25-3;トランプ占いの女Op. 31-2
~休憩~
ヴォルフ/エオリアン・ハープに寄せて(An eine Äolsharfe);飽くことを知らぬ恋(Nimmersatte Liebe);眠れぬ者の太陽(Sonne der Schlummerlosen);夜の魔法(Nachtzauber);ジプシーの娘(Die Zigeunerin);あたしが女王様じゃないっていうのね(Du sagst mir, daß ich keine Fürstin sei);ちょっと黙ったらどう、いけすかないおしゃべりさん(Schweig' einmal still);あたしの恋人が歌っている(Mein Liebster singt);もはや私は乾いたパンを食べることはないでしょう(Ich esse nun mein Brot nicht trocken mehr);私の恋人はとてもおチビさん(Mein Liebster ist so klein);もう平和を締結しましょう(Nun laß uns Frieden schließen);ペンナにあたしの恋人がいる(Ich hab' in Penna einen Liebsten wohnen)

●プログラムB 共演:ジェフリー・パーソンズ(P)

シューベルト/独りずまいD800;恋人の近くにD162;子守歌D498;糸を紡ぐグレートヒェンD118
リスト/なんとも驚き入ったことだ(Es muß ein Wunderbares sein)S314;三人のジプシー(Die drei Zigeuner)S320
ショパン/少女の願い(Mädchens Wunsch)Op. 74-1;リトアニアの歌(Litauisches Lied)Op. 74-16;私の恋人(Mein Geliebter)Op. 74-12
~休憩~
ブラームス/夜鶯に寄せてOp. 46-4;子守歌Op. 49-4;私のまどろみはいよいよ浅くOp. 105-2;眠りの精(Sandmännchen);甲斐なきセレナーデOp. 84-4
ヴォルフ=フェルラーリ/「イタリア歌曲集」からの7つの歌~道を行く若者よ(Giovanottino che passi per via);わたしは浜辺に(Vo'fa' 'na palazzina alla marina);夜、わたしは出かけた(Vado di notte, come fa la luna);神様が断食を(Dio ti facesse star tanto digiuno);恋人よ、教えてちょうだい(Dimmi, bellino mio, com'io ho da fare);夜、ベッドに入るときに(Quando a letto vo'la sera);若者よ、いまのうちに(Giovanetti, cantate ora che siete)

●プログラムC 共演:ジェフリー・パーソンズ(P)

ハイドン/彼女は自分の愛を口に出さない(She never told her love)
グルック/流れる小川に(La rencontre imprévue: Einem Bach der fließt)
モーツァルト/夕べの思いK. 523;魔法使いK. 472;私のねがいK. 539
シューマン/「東方のばら」からOp. 25-25;春の旅路Op. 45-2;私のばらOp. 90-2;音楽師Op. 40-4;ジャスミンのしげみOp. 27-4;たのしい放浪者Op. 77-1
~休憩~
ヴォルフ/つれない娘(Die Spröde);心とけた娘(Die Bekehrte);眠っている幼児キリスト(Schlafendes Jesuskind);セレナーデ(Das Ständchen "Auf die Dächer...");エピファニアス(主顕祭)(Epiphanias)
R.シュトラウス/親しき幻Op. 48-1;母親の自慢話Op. 43-2;わが子にOp. 37-3;ばらのリボンOp. 36-1;あしたOp. 27-4

●プログラムD 共演:ジェフリー・パーソンズ(P)

シューベルト/春にD882;エレンの第一の歌「いこえ、戦士よ」D837;エレンの第二の歌「狩人よ、いこえ」D838;いらだちD795-7
ヴァーグナー/夢(Träume)
リスト/あの国をご存知でしょうか(Kennst du das Land?)S275
レーヴェ/ちっちゃな暮らしOp. 71;へぼ詩人トムOp. 135a
メンデルスゾーン/歌の翼にのせてOp. 34-2
~休憩~
ヴォルフ/「スペイン歌曲集」から~主よ、この大地に生い立つものは(Herr, was trägt der Boden hier);私を花で覆って下さい(Bedeckt mich mit Blumen);ああ、それは五月のことだった(Ach im Maien war's);あの人に言ってちょうだい(Sagt ihm, daß er zu mir komme);私の捲髪のかげに(In dem Schatten meiner Locken);ねえ、あなたですの、立派なお方(Sagt, seid ihr es, feiner Herr)
R.シュトラウス/東方の三博士Op. 56-6;夜Op. 10-3;父がいいましたOp. 36-3;あらしの日Op. 69-5

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シューマン「ぼくの恋は輝いている」(詩:ハイネ)

ハイネの詩による歌曲集「詩人の恋」から漏れた曲の一つ。
恋敵に対して、生命をかけて恋人を守る気持ちを、メルヒェンになぞらえて歌っているというところだろうか。
シューマンの作品は8分の12拍子、ト短調で"Phantastisch, markiert"(幻想的に、くっきりと)と指示されている。8分音符の分厚い和音が劇的にこの幻想シーンを演出する。歌は緊迫した調子ではじまり、メルヒェンの中で恋人同士の情景が描かれる箇所で優しい調子に変わるが、巨人が登場するあたりから緊迫の度合いが増し(ピアノ右手のリズムをずらすことによって緊迫感を強調している)、そのまま暗鬱な表情のうちに歌声部が終わる。しかし、ピアノ後奏の後半で突然晴れ間が覗いたかのように長い音価で明るい響きになり、主人公が墓の中でようやく安息を得たことを暗示しているかのようだ。

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Es leuchtet meine Liebe, Op. 127-3
 ぼくの恋は輝いている

Es leuchtet meine Liebe,
In ihrer dunkeln Pracht,
Wie'n Märchen traurig und trübe,
Erzählt in der Sommernacht.
 ぼくの恋は輝いている、
 暗く華やかに。
 悲しく暗鬱な、
 夏の夜に語られるメルヒェンのように。

"Im Zaubergarten wallen
Zwei Buhlen, stumm und allein;
Es singen die Nachtigallen,
Es flimmert der Mondenschein.
 「魔法の庭園を
 二人の恋人たちが無言で二人きりで歩いている。
 ナイティンゲールは歌い、
 月の光がまたたいている。」

"Die Jungfrau steht still wie ein Bildnis,
Der Ritter vor ihr kniet.
Da kommt der Riese der Wildnis,
Die bange Jungfrau flieht.
 「乙女は肖像のようにじっとしており、
 騎士が彼女の前にひざまずく。
 そのとき、荒野の巨人がやってきて、
 おののく乙女は逃げて行く。」

"Der Ritter sinkt blutend zur Erde,
Es stolpert der Riese nach Haus -"
Wenn ich begraben werde,
Dann ist das Märchen aus.
 「騎士は血を流して地面にくずおれ、
 巨人はよろけながら家に帰る。」
 ぼくが葬られるときがくれば、
 このメルヒェンは終わるのだ。

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シューマン「きみの顔」(詩:ハイネ)

シューマンがハイネの詩により「詩人の恋」というツィクルスを編もうとした際にもともと20曲を想定していたものの、最終的に4曲が省かれて現在の16曲になった。省かれた4曲はいずれも優れた作品だが、「詩人の恋」の中ではその居場所がなかったのかもしれない。
うち2曲は作品127の2、3曲目("Dein Angesicht"と"Es leuchtet meine Liebe")、残りの2曲は作品142の2、4曲目("Lehn' deine Wang'"と"Mein Wagen rollet langsam")で、すべて1840年(シューマンの歌の年)の作品である。

「きみの顔」の詩は、愛らしく美しい恋人の顔を夢に見るが、その中で死が恋人の瞳の光を奪ってしまうという内容で、主人公の心に潜む恋人との別れの不安があらわれているのかもしれない。4分の2拍子、変ホ長調で、Langsam(ゆっくりと)と指示されている。簡素なピアノの分散和音に乗って、優美な旋律が歌われるが、第2節のあとに再び第1節が歌われ、A-B-A’の構造をとる。シューマンは、この曲のように、詩の主人公の辛い心情を一見穏やかな長調で貫くことがあるが、詩を読み違えているのではなく、あえて穏やかさという仮面をかぶせているように思えてならない。例えば「でもとても蒼ざめて、とても苦痛に満ちているんだ」の箇所でリズムをわずかに遅らせて歌わせているのはシューマンの詩の読みが反映されていると考えてもいいのではないだろうか。

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Dein Angesicht, Op. 127-2
 きみの顔

Dein Angesicht so lieb und schön,
Das hab' ich jüngst im Traum gesehn,
Es ist so mild und engelgleich,
Und doch so bleich, so schmerzenreich.
 きみの顔はこんなに愛らしく美しい、
 このあいだきみの顔を夢で見た。
 それはとても穏やかで天使のよう、
 でもとても蒼ざめて、とても苦痛に満ちているんだ。

Und nur die Lippen, die sind rot;
Bald aber küßt sie bleich der Tod.
Erlöschen wird das Himmelslicht,
Das aus den frommen Augen bricht.
 そして唇だけは赤みを帯びているのだが、
 すぐに死がくちづけをして蒼ざめてしまう。
 天の光は消えてしまうことだろう、
 やさしい瞳から発していた光は。

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シューマン「あなたは花のように」(詩:ハイネ)

シューマンの歌曲集「ミルテ」Op.25の第24曲目。恋人を前にして、その美しさ、清らかさを花にたとえて称える。だが、花はいずれその美しさを失う。その一抹の不安が「悲しみがぼくの心にしのびこむ」という箇所で表現される。そして彼は恋人がいつまでも今のままでありますようにと祈るのである。
シューマンの最も名高い名作の一つで、静かな和音のうえを美しい歌が流れる。静謐さは一貫しているが、最後の2行で穏やかに盛り上がる。

ちなみにリストやヴォルフもこの詩に作曲している。

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Du bist wie eine Blume, Op. 25-24
 あなたは花のように

Du bist wie eine Blume
So hold und schön und rein;
Ich schau dich an, und Wehmut
Schleicht mir ins Herz hinein.
 あなたは花のように
 かくも愛らしく、美しく、清らかだ。
 ぼくはあなたを見つめる。すると悲しみが
 ぼくの心にしのびこむ。

Mir ist, als ob ich die Hände
Aufs Haupt dir legen sollt,
Betend, daß Gott dich erhalte
So rein und schön und hold.
 まるでぼくの両手を
 きみの頭にのせているような気持ちで
 祈るのだ、神があなたを
 こんなに清らかで、美しく、愛らしいままにしておかれますようにと。

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シューマン「ひとりぼっちの涙は何を望んでいるのだろう」(詩:ハイネ)

シューマンの歌曲集「ミルテ」Op.25の第21曲目。涙の姉妹(「涙」のドイツ語(Träne)が女性名詞なので「姉妹」と言っているのだろう)がみな流れ去ってしまったのに、最後にひとり残った涙が詩人の視界をいまだに曇らせているという失恋を引きずった者の歌。

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Was will die einsame Träne?, Op. 25-21
 ひとりぼっちの涙は何を望んでいるのだろう

Was will die einsame Träne?
Sie trübt mir ja den Blick.
Sie blieb aus alten Zeiten
In meinem Auge zurück.
 ひとりぼっちの涙は何を望んでいるのだろう。
 それはぼくの視界を曇らせる。
 昔から
 ぼくの目の中に残ったままなのだ。

Sie hatte viel leuchtende Schwestern,
Die alle zerflossen sind,
Mit meinen Qualen und Freuden
Zerflossen in Nacht und Wind.
 その涙には多くの光輝く姉妹がいたが、
 みな流れ去ってしまった。
 ぼくの苦しみや喜びとともに
 夜と風のうちに、流れ去っていった。

Wie Nebel sind auch zerflossen
Die blauen Sternelein,
Die mir jene Freuden und Qualen
Gelächelt ins Herz hinein.
 霧のように
 あの青い星たちまでもが消え去ってしまった。
 星たちは喜びも苦しみも
 ぼくの心に微笑みかけてくれたものだった。

Ach, meine Liebe selber
Zerfloß wie eitel Hauch!
Du alte, einsame Träne,
Zerfließe jetzunder auch!
 ああ、ぼくの恋自身も
 はかない吐息のように消え去った!
 なあ、昔からいるひとりぼっちの涙よ、
 おまえも今こそ流れ去ってしまうがいい!

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シューマン「はすの花」(詩:ハイネ)

シューマンは、独唱とピアノの為の歌曲のうち、ハイネの詩によって41曲作曲している。
そのうち9曲は「リーダークライス」Op.24、16曲は「詩人の恋」Op.48だが、“歌の年”1840年に作られた26曲からなる「ミルテ(Myrthen)」Op.25のうち3曲がハイネの詩によるものである。

「はすの花」は「ミルテ」の第7曲目。シューマン以外にも多数の作曲家の作曲意欲を掻き立てた美しい詩である。

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Die Lotosblume
 はすの花

Die Lotosblume ängstigt
Sich vor der Sonne Pracht,
Und mit gesenktem Haupte
Erwartet sie träumend die Nacht.
 はすの花は怖れている、
 太陽の輝きを。
 そして、頭を垂れて
 夢見心地で夜を待ちわびる。

Der Mond, der ist ihr Buhle,
Er weckt sie mit seinem Licht,
Und ihm entschleiert sie freundlich
Ihr frommes Blumengesicht,
 月は、はすの花の彼氏、
 彼はその光で彼女を目覚めさせる、
 すると親しげに
 彼女のやさしい花の顔をあらわにする。

Sie blüht und glüht und leuchtet,
Und starret stumm in die Höh';
Sie duftet und weinet und zittert
Vor Liebe und Liebesweh.
 彼女は花咲き、身を焦がし、照り輝き、
 そして無言で天を見つめる。
 彼女は匂い立ち、泣き、震える、
 恋と恋の痛みゆえに。

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