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ベンジャミン・ブリテン没後30年

Before life and after
 生命の前と後

A time there was - as one may guess
And as, indeed, earth's testimonies tell -
Before the birth of consciousness,
When all went well.
 ある時が存在していた -もう推測されているだろうし、
 実際、地球の証言が語っているように-
 意識が生まれる以前に、
 万事がうまくいっていた時が。

None suffered sickness, love, or loss,
None knew regret, starved hope, or heart-burnings;
None cared whatever crash or cross
Brought wrack to things.
 誰も病気に、愛に、喪失に苦しむことがなく、
 誰も後悔を、飢えた希望を、燃え上がる心を知らなかった。
 衝突もしくは反逆が
 事物を破壊することになろうが、気にかける者は誰もいなかった。

If something ceased, no tongue bewailed,
If something winced and waned, no heart was wrung;
If brightness dimmed, and dark prevailed,
No sense was stung.
 もし何かが終わっても、嘆き悲しむ声はなく、
 もし何かがたじろいだり、衰えたりしても、心が痛むことはなかった。
 もし明るさが弱まり、暗さが広がっても、
 感覚は痛まなかった。

But the disease of feeling germed,
And primal rightness took the tinct of wrong;
Ere nescience shall be reaffirmed
How long, how long?
 だが、感情という病いが芽生えると、
 原初の正義は悪の色合いに染まってしまった。
 無知が再び是認されるようになるまで、
 どれぐらい、どれぐらい?

歌曲集「冬の言葉(Winter Words)」第8曲:トマス・ハーディー(Thomas Hardy: 1840-1928)詩

※Emily Ezust氏のWebサイト"The Lied and Art Song Texts Page"では、アメリカの著作権法に抵触する可能性がある為、詩を掲載しない旨書かれていましたが、死後70年まで権利が持続することになったアメリカの新しい法律に従っても、ハーディーは1928年に亡くなっているので、1998年に権利が切れているものと判断して原詩と対訳を掲載しました(ハーディーはイギリス人ですが、アメリカの法律の適用を受ける理由も私には分かりませんでした)。掲載に問題がある場合はご指摘いただけると助かります。

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今年はベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten: 1913-1976)の没後30年にあたり、記念の録音が多くリリースされているようだ。「青少年のための管弦楽入門」は良く知られているが、彼の歌曲は一般にはあまり馴染みがないだろう。
私の手元には日本人として深くイギリス歌曲に踏み込んだ辻裕久&なかにしあかね夫妻の2枚のブリテン歌曲集がある。ブリテンのよきパートナーだった名テノール、ピーター・ピアーズを想定して書かれた歌曲を中心に、爽やかで感情豊かな辻氏の美声と表現、さらにパーソンズやヘル仕込みのなかにし氏の柔軟性に富んだ美しい演奏が、ブリテンの多彩な世界に誘ってくれる。ブリテンは膨大な民謡編曲も残しており、「庭の千草」として日本でもよく知られている「夏の名残のばら」の編曲も聴くことが出来る。早口な「オリバー・クロムウェル」は、ブリン・ターフェル&マーティノーのより速い演奏があり、まさに名人芸だったが、辻&なかにしはテンポ設定をやや控えめに抑えて、言葉をしっかり響かせて、日本人らしい味わいを感じさせる。第2集には、ハープ共演の作品(歌曲集「誕生日を祝う歌」など)もいくつかあり、声と予想以上によく融け合って、独特の親近感を醸し出している。
また、辻、なかにし御両人がブックレットに書かれている文章も素晴らしく、とても勉強になった。特に、第2集の解説書になかにしさんが書かれている文章で、ブリテンは日本ではイギリスの代表的な作曲家のように思われているが、イギリスでは彼が多種な要素を融合させている(欧大陸や東洋との折衷)ことから“傍流”と位置づけられている。しかし、そもそもイギリスという国自体が異なる要素を共存させて、折衷を繰り返してきており、ブリテンはそのようなイギリスの両極性の申し子と言えるのではないかという、イギリス芸術を日本人として外から見ることの出来る立場のなかにしさんならではの説はとても説得力があり、なるほどと納得させられた。

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Tsuji_nakanishi_britten_1●ベンジャミン・ブリテン歌曲集
ファウエムミュージックコーポレーション:FAUEM:FMC-5040
辻裕久(T);なかにしあかね(P)
録音:2001年8月3~4日、滋賀、ガリバーホール

ブリテン/歌曲集「冬の言葉」Op. 52[T.ハーディー詩](11月の黄昏に;真夜中のグレートウェスタン鉄道(旅する少年);セキレイと赤ん坊(皮肉);小さな古いテーブル;クワイヤマスターのお葬式(テナーマンズストーリー);誇り高き歌手達(つぐみ、フィンチ、ナイチンゲール);駅舎にて(または囚人とヴァイオリンを携えた少年);生命の芽生えの前と後);
「民謡編曲集」より(ある朝早く;農場の少年;ディーの陽気な粉ひき;夜霧の露;とねりこのしげみ;ああ せつない せつない;若く朗らかな未亡人;夏の名残の薔薇);
歌曲集「この島で」Op. 11[W.H.オーデン詩](いざ 華麗なる音楽で讃えよう;今や木の葉は落ち急ぎ;海の情景;ノクターン;この通り裕福なのは…)

Tsuji_nakanishi_britten_2●ベンジャミン・ブリテン歌曲集Ⅱ
ファウエムミュージックコーポレーション:FAUEM:FMC-5045
辻裕久(T);木村茉莉(HP);なかにしあかね(P)
録音:2004年8月17~18日、滋賀、ガリバーホール

ブリテン/歌曲集「誕生日を祝う歌」Op. 92[R.バーンズ詩](ハープ共演)(誕生日の歌;朝の散歩;ウィー・ウィリー;おいらの山羊;アフトンの流れ;冬;リージー・リンジー);
「8つの民謡集」より(ハープ共演)(神様!おいらかみさんもらったが…;レマディ;かわいいお寝坊さん;白い小麦;鳥追いの歌);
「トーマス・ムーアの詩によるアイルランド民謡集」より(復讐と栄光;真夜中に(モリーに捧ぐ);甘美なこだま);
「民謡編曲集」第1巻より(サリー・ガーデン;オリバー・クロムウェル);
カンティクル第5番「聖ナルシサスの死」Op. 89[T.S.エリオット詩](ハープ共演);
歌曲集「この子らは誰?」Op. 84[W.スーター詩](なぞなぞ(地球);若者の歌;悪夢;ついてない日;ねるとき;殺戮;なぞなぞ(君らも子供だった);ひょうきん者;この子らは誰?;夕食;子供達;樫の老木)

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◆歌曲集「冬の言葉」について(詩の内容は辻氏自身の訳を参照させていただきました)

生あるものの無常さや、時の流れを歌った詩が多いように感じたが、そのようなはかない感情を纏めた歌曲集のタイトルとして「冬の言葉」というのはなかなか合っているように感じた(「冬の言葉」はハーディーの詩集のタイトルだが、辻氏の解説によると、この詩集から採られた詩は第6曲のみという)。

1)「11月の黄昏に」
子供の頃に植えて、いまや大きく育った木々を見て、物質のはかなさを思うという歌。冬を目前にした黄昏時の夕映えを模しているのだろうか、ピアノの急速な分散音型が頻繁に現れる。絶えず揺れる歌の旋律が主人公の不安を表現している。

2)「真夜中のグレートウェスタン鉄道(旅する少年)」
真夜中の鉄道に乗っている少年はこの世の者ではなく、高き世界から罪深きこの世界に立ち寄ったのかと歌われる。神秘的な響きによって、不思議な少年の乗った鉄道が描かれている。ピアノにしばしば現れるため息のような短い音型は汽笛でも表しているのだろうか。独特のリズムも鉄道の動きを模しているかのようだ。

3)「セキレイと赤ん坊(皮肉)」
物語仕立てになっており、セキレイという鳥が荒っぽい牛や馬、犬にはびくともしないのに紳士が登場するや慌てて逃げる様を赤ん坊がじっと眺めてなにやら考え始めるという内容。「皮肉」という副題をもった詩の内容だが、素直に詩の内容を描写することによって巧まずして皮肉の効果を出そうとしたのだろうか。ピアノ高音部の細かいパッセージが特徴的な曲。セキレイが飛び立った後にこのパッセージは出てこなくなるので、セキレイの羽ばたきなのだろう。

4)「小さな古いテーブル」
きいきい鳴る古いテーブルに向けての歌。テーブルの立てる音にこれまでどんな歴史が刻まれてきたのかと問う最後の文は愛らしいテーブルに、時の重みを与えている。テーブルのきしむ音を模したピアノの上で歌も擬音を聞かせる。

5)「クワイヤマスターのお葬式(テナーマンズストーリー)」
葬式で亡くなった人を音楽で送る仕事をしていた聖歌隊指揮者が、自身が亡くなる際に好きな聖歌を歌って欲しいと願いながら、現実には叶えられなかった。しかし、亡くなった翌日に彼の埋葬された墓地で白衣の楽隊が演奏していたという内容。死んだマスターの夢をかなえたいという者に対して、時間やら天候やらの言い訳を並べ立てて反対する牧師のセリフに独特の低音のはずむようなリズムをピアノパートに与えて皮肉っているのが印象的だ。

6)「誇り高き歌手達(つぐみ、フィンチ、ナイチンゲール)」
昼夜と誇りをもって美しい歌を響かせる鳥たちも一、ニ年前にはまだ存在していなかったのだという内容。存在することの不思議さを感じさせられる。鳥たちの我が物顔の歌をピアノが仰々しく表現し、歌も力強く堂々と鳥たちの自信を表現する。

7)「駅舎にて(または囚人とヴァイオリンを携えた少年)」
ヴァイオリンを持って駅で列車を待つ少年が、護送されるために駅にいる囚人にヴァイオリンを弾いて聞かせ、その響きに乗せて囚人が歌うという内容。それぞれの人生を歩む者たちの一時の交流がほっとさせる。ピアノは前奏の段階からすでにヴァイオリンの哀愁に満ちた音を響かせ、囚人が荒っぽく歌う箇所では歌声部も高らかに表現する。

8)「生命の芽生えの前と後」
意識(consciousness)が生まれる前、感情(feeling)という病が芽生える前はあらゆることが問題なく運んでいたと歌う。アダムとエヴァの話だろうか。絶えず刻むピアノの和音の上で流麗な旋律のまま詩を語り、最後の"How long?"(どれぐらい)に至って高揚し、思いを込めて繰り返しながら締めくくる。

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コメント

「冬の言葉」とはまたずいぶんと渋い、しかしいい選択をされましたね。ハーディの詩は私もまだ十分に鑑賞しきれていないところがあるのですが、フィンジなんかの歌曲でもいいのがたくさんあるのでいずれ取り上げたいと思っています。著作権はいずれにしても日本国内で紹介する分には国内法に従うはずなので、死後50年+戦時加算の10年少々が守れていますので問題ないはずです。
ブリテンは歌曲も、合唱付き声楽作品も、オペラも本当に多様で面白いです。最近聴いてものすごくインパクトを受けたのはイタリア語で歌われる強烈なミケランジェロのソネット、イタリア語がもう少しできれば弊サイトでもすぐにでも取り上げたところなのですが...
ランボーの詩につけたイルミナシオンも、今改めて詩をじっくり読みながら聴いてクラクラしています。うーん、確かにランボーもブリテンもあちらのケがあったんでしたね...ここまで露骨なことをしていたとは驚きです。

投稿: Fujii@歌曲会館 | 2006年12月 2日 (土曜日) 00時08分

Fujiiさん、コメント、有難うございます。
著作権は大丈夫のようですね。日本国内の法律で考えればいいということですね。ご指摘を有難うございました。
ハーディーの詩は私にとってはおそらくはじめてだったように思います。「冬の言葉」の詩は、大きな枠組みの中である種共通するテーマのものを集めた印象をもちましたが、ほかにもいろいろなタイプがあるのでしょうか。フィンジ歌曲のご紹介も楽しみにしています。
「ミケランジェロのソネット」や「イリュミナシオン」は未聴なのですが、特にランボーの詩は難解な感じですね。露骨な表現をどのように訳されるか残りも楽しみにしています。
以前ディカプリオがランボーに扮した映画がありましたが、ヴェルレーヌはランボーとの愛憎のゆえに牢獄行きとなり、そこでフォーレが「牢獄」として作曲したような静かな感動のある詩が生まれたということのようですね。

投稿: フランツ | 2006年12月 2日 (土曜日) 13時29分

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