ヴォルフ歌曲全曲演奏会Ⅹ:初期歌曲集(2006年9月26日 浜離宮朝日ホール)
すでにシリーズ10回目となるヴォルフ歌曲全曲演奏会を聴いてきた。
全12回で完了とのことで、あと2回は来年の7月と10月だそうだ。
ヴォルフ歌曲全曲演奏会 シリーズⅩ「初期歌曲集」~さまざまな詩人によるヴォルフ歌曲の源泉~
9月26日(火)19時開演 浜離宮朝日ホール
林田明子(S) 加納悦子(MS) 太田直樹(BR) 松川儒(P)
歌:林田明子
1)愛の春(Liebesfrühling)(ファラースレーベン:詩)(1878年8月9日作曲:18歳)
2)つばめの帰郷(Der Schwalben Heimkehr)(ヘルロスゾーン:詩)(1877年8月~12月9日作曲:17歳)
3)金色にかがやく朝(Der goldene Morgen)(詩人不詳)(1876年5月1日作曲:16歳)
4)朝露(Morgentau)(詩人不詳)(1877年6月6~19日作曲:17歳)
5)つつましい恋(Bescheidene Liebe)(詩人不詳)(1876年または1877年作曲:16歳または17歳)
歌:太田直樹
6)ある墓(Ein Grab)(パイトル:詩)(1876年12月8~10日作曲:16歳)
7)真珠採り(Perlenfischer)(ロケット:詩)(1876年5月3日作曲:16歳)
8)旅の歌(Wanderlied)(詩人不詳)(1877年6月14~15日作曲:17歳)
9)セレナーデ(Ständchen)(ケルナー:詩)(1877年3月25日~4月12日作曲:17歳)
歌:加納悦子
10)夜と墓(Nacht und Grab)(チョッケ:詩)(1875年8月作曲:15歳)
11)夕暮の鐘の音(Abendglöckchen)(ツースナー:詩)(1876年3月18日~4月24日作曲:16歳)
12)旅の途上でⅠ(Auf der Wanderschaft 1)(シャミッソー:詩)(1878年3月20日作曲:18歳)
13)旅の途上でⅡ(Auf der Wanderschaft 2)(シャミッソー:詩)(1878年3月23日作曲:18歳)
14)想い(Andenken)(マティソン:詩)(1877年4月23~25日作曲:17歳)
~休憩~
歌:林田明子
15)太陽がほんとうに明るくかがやくように(So wahr die Sonne scheinet)(リュッケルト:詩)(1878年2月8日作曲:17歳)
16)糸を紡ぐ娘(Die Spinnerin)(リュッケルト:詩)(1878年4月5~12日作曲:18歳)
17)小鳥(Das Vöglein)(ヘッベル:詩)(1878年5月2日作曲:18歳)
18)泉のほとりの子ども(Das Kind am Brunnen)(ヘッベル:詩)(1878年4月16~27日作曲:18歳)
歌:太田直樹
19)ビーテロルフ(Biterolf)(シェッフェル:詩)(1886年12月26日作曲:26歳)
20)別れたあと(Nach dem Abschiede)(ファラースレーベン:詩)(1878年8月31日~9月1日作曲:18歳)
21)そうなのだ、美しい人!ぼくははっきりとそういった(Ja, die Schönst'! Ich sagt' es offen)(ファラースレーベン:詩)(1878年8月11日作曲:18歳)
22)旅先で(Auf der Wanderung)(ファラースレーベン:詩)(1878年8月10日作曲:18歳)
23)ヴァルトブルク城の見張りの歌(Wächterlied auf der Wartburg)(シェッフェル:詩)(1886年1月24日作曲:26歳)
歌:加納悦子
24)ろばになったボトムの歌(Lied des transferierten Zettel)(シェイクスピア:原詩、A.W.v.シュレーゲル:訳詩)(1889年5月11日作曲:29歳)
25)少年の死(Knabentod)(ヘッベル:詩)(1878年5月3~6日作曲:18歳)
26)夜のあいだに(Über Nacht)(シュトゥルム:詩)(1878年5月3~6日作曲:18歳)
27)休むのだ、休むのだ(Zur Ruh', zur Ruh')(ケルナー:詩)(1883年6月16日作曲:23歳)
ヴォルフの歌曲は「メーリケ歌曲集」(53曲)、「ゲーテ歌曲集」(51曲)、「アイヒェンドルフ歌曲集」(20曲、後に17曲に減らす)、「スペイン歌曲集」(44曲)、「イタリア歌曲集」(46曲)のような大きな歌曲集が著名だが、これ以外にも多くの歌曲が作られている。ヴォルフの最初の重要な作品は「メーリケ歌曲集」だが、便宜上それ以前の曲を初期の作品と名付けるならば、今回の選曲ではシェイクスピアの原詩による「ろばになったボトムの歌」を除きすべてが初期歌曲集ということになる。メーリケよりも後に作られた「ろばになったボトムの歌」が今回のプログラムに含まれた意図は分からないが、他の作品とは異色なこの曲の置き場所として、今回が最適だと判断されたのかもしれない。
今回の演奏会では、これまで楽譜の形でしか接することの出来なかった最初期の作品の多くを実際の音として聴くことが出来るという本当に貴重な機会だった。私はこのシリーズはゲーテ歌曲集からずっと聴いているが、今回の演奏会は私にとって最も収穫の多いものであった。これまで未聴だった作品が次々披露されるのにわくわくさせられた。この場にいられる幸せを感じずにいられなかった。ただ、ほとんど知られていない作品ばかりなので空席が少なからずあったのは仕方ないのだろう。
ヴォルフの現存する最初の歌曲はハインリヒ・チョッケの詩による「夜と墓」である。ヴォルフ15歳の夏に作曲され、2節の有節形式である。夜は生きる者に憩いの時間を与えるが、目覚めるとまた苦悩が待っている。一方、墓に眠る者は忘れられる宿命にあるが、苦悩の世界に目覚めることはもうないと歌われる。シューベルトの最初期の歌曲が陰鬱なテーマのものが多かったのに似て、ヴォルフも暗いテーマでその創作活動をスタートさせたことになる。ヴィーンの"Musikwissenschaftlicher Verlag"から1976年に出た全集楽譜では第1節の最終行の歌詞にミスが見られたが、この夜の加納さんの歌唱も配布パンフレットの歌詞も正しく訂正されていた。この歌曲、「ゆっくり、そして表情豊かに(Langsam und ausdrucksvoll)」というヴォルフの指定があり、4分の4拍子、ハ短調で感傷的な雰囲気に覆われている。ピアノパートはうねるような三連符がほぼ途切れることもなく流れ、その上を単純素朴な歌が乗る。その単純な歌とピアノの三連符が一瞬だけ途切れる。それは各節最終行の"weckt euch zu"(おまえたちを目覚めさせる)の箇所で、歌声部の上に"Recit.(レチタティーヴォ)"と記されている。言葉へのこだわりの小さな小さなつぼみをここに見てはいけないだろうか。加納さんと松川さんはこの最初の歌曲を1つの芸術作品として聴かせていた。
ヴィンツェンツ・ツースナーの詩による16歳の作品「夕暮の鐘の音」ではピアノの両手を交差させる箇所がしばしば出てくる。ヴォルフなりの音楽上の考えもあるのだろうが、見栄えも考慮しているのではないだろうか。
同じく16歳の時の「金色にかがやく朝」はピアノ後奏が11小節もある。後奏に特別な重みを与えるのはシューマンを意識してのことだろうか。
シャミッソーの詩による「旅の途上で」は相次いで作曲された2つのバージョンを並べて演奏した。調は同じホ短調で、楽想もほぼ同じであるが、拍子を4分の4拍子から8分の6拍子に変えている。ヴォルフは後にメーリケの詩による「旅路で」という作品でも8分の6拍子を使っているが、歩みのリズムはこの拍子がより好ましいと数日のうちに改めた若きヴォルフの思考の軌跡を追うことが出来る2つのバージョンである。
ヘッベルの詩による「少年の死」(18歳の作品)は明らかにブラームスの影響が濃厚である。後年ひどくブラームスを攻撃したヴォルフも若かりし頃はブラームスを訪問して自作を見てもらったりしたのである。後年のヴォルフにすれば抹消したい過去の一つだろう。だが、この作品はよくまとまった小バラードとして立派に鑑賞に堪えると思う。松川さんはペダルを多用して、ブラームス的な要素を前面に出すのを避けたように感じた(故意か偶然かは分からないが)。
シェッフェルの詩による2曲は、メーリケ歌曲集の1年強ぐらい前の作品で、初期とはいえ、かなりヴォルフ色が見え隠れしている。だが「ビーテロルフ」のリズムは、詩の特徴も関係しているのだろうが、シューベルトのレルシュタープ歌曲「遠い国で」を彷彿とさせる。
この夜の最後に置かれたユスティーヌス・ケルナーによる「休むのだ、休むのだ」は若かりし頃のシューベルトやシューマンに倣った作品を経て、ヴォルフらしい作品に至った終着点として松川さんがこの曲を最後に選んだようだ。ヴォルフ特有の半音階進行がはっきりと使われ、加納さんの思いのこもった歌唱は真に感動的だった。
この夜はソプラノの林田さん、メゾソプラノの加納さん、バリトンの太田さんの3人が歌い分けていた。加納さんは過去のヴォルフ・シリーズでも聴いて、その実力は強く印象付けられていたが、ほかの2人は今回はじめて聴いた。
林田さんはヴィーンで活動されている方とのことで、ドイツ語の発音も美しければ、声もリリックで非常に魅力的(個人的に好みのタイプの声であった)、旋律の運びも見事で、実力者との印象を受けた。
太田さんも常に安定した美声で、発音も明瞭で、なんの心配もなく音楽に身を委ねられた。
今回の3人はこれまでのヴォルフ・シリーズの中でもとりわけ実力者が揃っていたように感じた。
加納さんは小柄な体全体を使って表現する。初期作品だからといって一切手抜きをしない姿勢が伝わってきた。林田さんと共に全曲暗譜で歌ったのも驚異的である。加納さんのあたかもクリスタ・ルートヴィヒを思わせる深い声は、「夜のあいだに」や「休むのだ、休むのだ」で特にその素晴らしさを発揮したが、シェイクスピアの「夏の夜の夢」による「ろばになったボトムの歌」の演奏はこれまで聴いたこの曲の演奏の中で最もロバそのものであった。
松川さんの演奏も初期作品ゆえの弾きにくさといったものを一切感じさせない演奏ぶりでどの箇所もしっかり弾きこまれていることが伝わってきた。ステージでのトークで見せるユーモラスな面だけでなく、人知れずヴォルフの音楽を追究しているであろうその姿勢に拍手を贈りたい。
4人のトークの中でも言われていたが、ヴォルフの初期歌曲もなかなか捨てたものではないと思う。未熟な点はもちろんあるものの単なる若書きでない魅力がこれらの作品に宿っていることを音を通して実感できたことが大きな収穫であった(4人の演奏の素晴らしさによるところも大きいであろう)。
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