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ヴォルフ歌曲全曲演奏会Ⅹ:初期歌曲集(2006年9月26日 浜離宮朝日ホール)

すでにシリーズ10回目となるヴォルフ歌曲全曲演奏会を聴いてきた。
全12回で完了とのことで、あと2回は来年の7月と10月だそうだ。

ヴォルフ歌曲全曲演奏会 シリーズⅩ「初期歌曲集」~さまざまな詩人によるヴォルフ歌曲の源泉~
9月26日(火)19時開演 浜離宮朝日ホール
林田明子(S) 加納悦子(MS) 太田直樹(BR) 松川儒(P)

歌:林田明子
1)愛の春(Liebesfrühling)(ファラースレーベン:詩)(1878年8月9日作曲:18歳)
2)つばめの帰郷(Der Schwalben Heimkehr)(ヘルロスゾーン:詩)(1877年8月~12月9日作曲:17歳)
3)金色にかがやく朝(Der goldene Morgen)(詩人不詳)(1876年5月1日作曲:16歳)
4)朝露(Morgentau)(詩人不詳)(1877年6月6~19日作曲:17歳)
5)つつましい恋(Bescheidene Liebe)(詩人不詳)(1876年または1877年作曲:16歳または17歳)

歌:太田直樹
6)ある墓(Ein Grab)(パイトル:詩)(1876年12月8~10日作曲:16歳)
7)真珠採り(Perlenfischer)(ロケット:詩)(1876年5月3日作曲:16歳)
8)旅の歌(Wanderlied)(詩人不詳)(1877年6月14~15日作曲:17歳)
9)セレナーデ(Ständchen)(ケルナー:詩)(1877年3月25日~4月12日作曲:17歳)

歌:加納悦子
10)夜と墓(Nacht und Grab)(チョッケ:詩)(1875年8月作曲:15歳)
11)夕暮の鐘の音(Abendglöckchen)(ツースナー:詩)(1876年3月18日~4月24日作曲:16歳)
12)旅の途上でⅠ(Auf der Wanderschaft 1)(シャミッソー:詩)(1878年3月20日作曲:18歳)
13)旅の途上でⅡ(Auf der Wanderschaft 2)(シャミッソー:詩)(1878年3月23日作曲:18歳)
14)想い(Andenken)(マティソン:詩)(1877年4月23~25日作曲:17歳)

~休憩~

歌:林田明子
15)太陽がほんとうに明るくかがやくように(So wahr die Sonne scheinet)(リュッケルト:詩)(1878年2月8日作曲:17歳)
16)糸を紡ぐ娘(Die Spinnerin)(リュッケルト:詩)(1878年4月5~12日作曲:18歳)
17)小鳥(Das Vöglein)(ヘッベル:詩)(1878年5月2日作曲:18歳)
18)泉のほとりの子ども(Das Kind am Brunnen)(ヘッベル:詩)(1878年4月16~27日作曲:18歳)

歌:太田直樹
19)ビーテロルフ(Biterolf)(シェッフェル:詩)(1886年12月26日作曲:26歳)
20)別れたあと(Nach dem Abschiede)(ファラースレーベン:詩)(1878年8月31日~9月1日作曲:18歳)
21)そうなのだ、美しい人!ぼくははっきりとそういった(Ja, die Schönst'! Ich sagt' es offen)(ファラースレーベン:詩)(1878年8月11日作曲:18歳)
22)旅先で(Auf der Wanderung)(ファラースレーベン:詩)(1878年8月10日作曲:18歳)
23)ヴァルトブルク城の見張りの歌(Wächterlied auf der Wartburg)(シェッフェル:詩)(1886年1月24日作曲:26歳)

歌:加納悦子
24)ろばになったボトムの歌(Lied des transferierten Zettel)(シェイクスピア:原詩、A.W.v.シュレーゲル:訳詩)(1889年5月11日作曲:29歳)
25)少年の死(Knabentod)(ヘッベル:詩)(1878年5月3~6日作曲:18歳)
26)夜のあいだに(Über Nacht)(シュトゥルム:詩)(1878年5月3~6日作曲:18歳)
27)休むのだ、休むのだ(Zur Ruh', zur Ruh')(ケルナー:詩)(1883年6月16日作曲:23歳)

ヴォルフの歌曲は「メーリケ歌曲集」(53曲)、「ゲーテ歌曲集」(51曲)、「アイヒェンドルフ歌曲集」(20曲、後に17曲に減らす)、「スペイン歌曲集」(44曲)、「イタリア歌曲集」(46曲)のような大きな歌曲集が著名だが、これ以外にも多くの歌曲が作られている。ヴォルフの最初の重要な作品は「メーリケ歌曲集」だが、便宜上それ以前の曲を初期の作品と名付けるならば、今回の選曲ではシェイクスピアの原詩による「ろばになったボトムの歌」を除きすべてが初期歌曲集ということになる。メーリケよりも後に作られた「ろばになったボトムの歌」が今回のプログラムに含まれた意図は分からないが、他の作品とは異色なこの曲の置き場所として、今回が最適だと判断されたのかもしれない。

今回の演奏会では、これまで楽譜の形でしか接することの出来なかった最初期の作品の多くを実際の音として聴くことが出来るという本当に貴重な機会だった。私はこのシリーズはゲーテ歌曲集からずっと聴いているが、今回の演奏会は私にとって最も収穫の多いものであった。これまで未聴だった作品が次々披露されるのにわくわくさせられた。この場にいられる幸せを感じずにいられなかった。ただ、ほとんど知られていない作品ばかりなので空席が少なからずあったのは仕方ないのだろう。

ヴォルフの現存する最初の歌曲はハインリヒ・チョッケの詩による「夜と墓」である。ヴォルフ15歳の夏に作曲され、2節の有節形式である。夜は生きる者に憩いの時間を与えるが、目覚めるとまた苦悩が待っている。一方、墓に眠る者は忘れられる宿命にあるが、苦悩の世界に目覚めることはもうないと歌われる。シューベルトの最初期の歌曲が陰鬱なテーマのものが多かったのに似て、ヴォルフも暗いテーマでその創作活動をスタートさせたことになる。ヴィーンの"Musikwissenschaftlicher Verlag"から1976年に出た全集楽譜では第1節の最終行の歌詞にミスが見られたが、この夜の加納さんの歌唱も配布パンフレットの歌詞も正しく訂正されていた。この歌曲、「ゆっくり、そして表情豊かに(Langsam und ausdrucksvoll)」というヴォルフの指定があり、4分の4拍子、ハ短調で感傷的な雰囲気に覆われている。ピアノパートはうねるような三連符がほぼ途切れることもなく流れ、その上を単純素朴な歌が乗る。その単純な歌とピアノの三連符が一瞬だけ途切れる。それは各節最終行の"weckt euch zu"(おまえたちを目覚めさせる)の箇所で、歌声部の上に"Recit.(レチタティーヴォ)"と記されている。言葉へのこだわりの小さな小さなつぼみをここに見てはいけないだろうか。加納さんと松川さんはこの最初の歌曲を1つの芸術作品として聴かせていた。

ヴィンツェンツ・ツースナーの詩による16歳の作品「夕暮の鐘の音」ではピアノの両手を交差させる箇所がしばしば出てくる。ヴォルフなりの音楽上の考えもあるのだろうが、見栄えも考慮しているのではないだろうか。

同じく16歳の時の「金色にかがやく朝」はピアノ後奏が11小節もある。後奏に特別な重みを与えるのはシューマンを意識してのことだろうか。

シャミッソーの詩による「旅の途上で」は相次いで作曲された2つのバージョンを並べて演奏した。調は同じホ短調で、楽想もほぼ同じであるが、拍子を4分の4拍子から8分の6拍子に変えている。ヴォルフは後にメーリケの詩による「旅路で」という作品でも8分の6拍子を使っているが、歩みのリズムはこの拍子がより好ましいと数日のうちに改めた若きヴォルフの思考の軌跡を追うことが出来る2つのバージョンである。

ヘッベルの詩による「少年の死」(18歳の作品)は明らかにブラームスの影響が濃厚である。後年ひどくブラームスを攻撃したヴォルフも若かりし頃はブラームスを訪問して自作を見てもらったりしたのである。後年のヴォルフにすれば抹消したい過去の一つだろう。だが、この作品はよくまとまった小バラードとして立派に鑑賞に堪えると思う。松川さんはペダルを多用して、ブラームス的な要素を前面に出すのを避けたように感じた(故意か偶然かは分からないが)。

シェッフェルの詩による2曲は、メーリケ歌曲集の1年強ぐらい前の作品で、初期とはいえ、かなりヴォルフ色が見え隠れしている。だが「ビーテロルフ」のリズムは、詩の特徴も関係しているのだろうが、シューベルトのレルシュタープ歌曲「遠い国で」を彷彿とさせる。

この夜の最後に置かれたユスティーヌス・ケルナーによる「休むのだ、休むのだ」は若かりし頃のシューベルトやシューマンに倣った作品を経て、ヴォルフらしい作品に至った終着点として松川さんがこの曲を最後に選んだようだ。ヴォルフ特有の半音階進行がはっきりと使われ、加納さんの思いのこもった歌唱は真に感動的だった。

この夜はソプラノの林田さん、メゾソプラノの加納さん、バリトンの太田さんの3人が歌い分けていた。加納さんは過去のヴォルフ・シリーズでも聴いて、その実力は強く印象付けられていたが、ほかの2人は今回はじめて聴いた。
林田さんはヴィーンで活動されている方とのことで、ドイツ語の発音も美しければ、声もリリックで非常に魅力的(個人的に好みのタイプの声であった)、旋律の運びも見事で、実力者との印象を受けた。
太田さんも常に安定した美声で、発音も明瞭で、なんの心配もなく音楽に身を委ねられた。
今回の3人はこれまでのヴォルフ・シリーズの中でもとりわけ実力者が揃っていたように感じた。
加納さんは小柄な体全体を使って表現する。初期作品だからといって一切手抜きをしない姿勢が伝わってきた。林田さんと共に全曲暗譜で歌ったのも驚異的である。加納さんのあたかもクリスタ・ルートヴィヒを思わせる深い声は、「夜のあいだに」や「休むのだ、休むのだ」で特にその素晴らしさを発揮したが、シェイクスピアの「夏の夜の夢」による「ろばになったボトムの歌」の演奏はこれまで聴いたこの曲の演奏の中で最もロバそのものであった。
松川さんの演奏も初期作品ゆえの弾きにくさといったものを一切感じさせない演奏ぶりでどの箇所もしっかり弾きこまれていることが伝わってきた。ステージでのトークで見せるユーモラスな面だけでなく、人知れずヴォルフの音楽を追究しているであろうその姿勢に拍手を贈りたい。

4人のトークの中でも言われていたが、ヴォルフの初期歌曲もなかなか捨てたものではないと思う。未熟な点はもちろんあるものの単なる若書きでない魅力がこれらの作品に宿っていることを音を通して実感できたことが大きな収穫であった(4人の演奏の素晴らしさによるところも大きいであろう)。

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カール・エンゲル逝去

ソリスト、室内楽奏者、そして歌曲の演奏者として素晴らしい演奏を聴かせてくれたピアニストのカール・エンゲル(Karl Engel: 1923年6月1日、スイスのBirsfelden生まれ)が9月3日(2日説もある)、スイスのChernexで亡くなったそうだ。享年83歳。1990年代にもシュライアーとメンデルスゾーンやヴォルフを録音して、まだまだ現役だと思い込んでいたのだが、時は確実に流れていた。カザルスのような巨匠や、マティス、ファスベンダー、シュライアー、F=ディースカウ、プライといった声楽家たちからしばしば共演の依頼があったという事実だけでも彼のすごさはうかがえるだろう。残念ながら実演に接することはなかったが、一度ロス・アンヘレスのリサイタルに出かけた際、同時期に来日していたエンゲルらしき人が会場の前にいたのを見たことがある。NHKの録画放送でも、モーツァルトのピアノ四重奏曲を弾く姿を見た記憶があるが、この人は万能な音楽家だったと思う。それにもかかわらず(それゆえにか)、スポットライトを浴びるタイプではなかった。一般には地味なピアニストという印象なのかもしれないが、彼の演奏は決して地味ではなかった。テクニックの面ではとても高いものを持っていたように思う。彼の演奏する技巧的な歌曲は、かゆい所に手が届く痛快な弾きっぷりを聴かせてくれる(例えば、シュライアーとのメンデルスゾーン「魔女の歌」など)。エディト・マティス、シュライアーと共演したヴォルフ「イタリア歌曲集」(DG)でのエンゲルの千変万化の演奏は万華鏡のように多彩で、ほかのピアニストたちを寄せ付けない名人芸であった(未だにCD化されないのが不思議なほど)。シューベルトの30分近くかかる壮大なバラード「水中に潜る男(潜水者)」のプライ、F=ディースカウとの録音、とりわけ前者との緻密な構成感で引き締まった演奏は名演の誉れ高い。F=ディースカウとは、エンゲル同様スイス出身のオットマル・シェックの歌曲集などでも共演している。F=ディースカウが自伝の中で、プライが自分の真似をして困惑していた時期があると言い、プライが何々をしたのも自分の4年後と列挙する中に、カール・エンゲルを共演者に迎えたのも自分の4年後と言っていたのが思い出される(その後、F=ディースカウとプライは和解したそうだ)。

エンゲルの弾くモーツァルトのソナタや協奏曲の全集は国内外でCD化されているようだ。私は協奏曲20番と21番のLPを持っているが、きわめてオーソドックスだが、どこにも綻びがない。ある意味優等生的かもしれない。個性で勝負する演奏ではないと思うが、作品への誠実な姿勢は好感をもって聴くことの出来るものである。

エンゲルはシューマンのピアノ曲も全集を録音しているようだが、私はそのうちの1枚のCDを持っている。「謝肉祭」(普段演奏されることのあまり無い「スフィンクス」も演奏している)や「蝶々」「アベック変奏曲」などが、彼らしい、きれいな音で丁寧に演奏されている。シューマネスクなもつれた絡み合いよりも、健全でさわやかなシューマンだった(ルバートを最低限に抑え、屈折したところの少ない清潔な演奏は人によっては物足りないと思うかもしれないが、こういうシューマンも悪くないと思う)。

例えば、バレンボイムやリヒテルが歌曲のピアノを弾くと特別な企画との印象を受けるが、同じソリストでもエンゲルの場合はごく普通の仕事という印象がある。彼の名前はブレンデルよりもジェラルド・ムーアと並んで論じられる方が違和感がない。バレンボイムが歌曲を弾く時、聴き手はピアニストがどれだけ歌とぶつかり、スリリングにやり合うかに注目する。だが、エンゲルに対して聴き手は丁々発止のやり取りを求めない。彼の演奏は完全に熟達した歌曲ピアニストの風格である。それでいながら高度なヴィルトゥオジティーが備わっているのだから、歌手にとっても聴き手にとってもこれほど理想的な演奏者はなかなかいない。独奏もコンチェルトも室内楽も演奏するが、とりわけ歌曲ピアニストとして最高の一人であったということに異論のある人は殆どいないのではないか。

まだまだ弾き続けているという印象があり、亡くなったという実感がない。膨大な数の素晴らしい録音を残してくれたことに感謝!ご冥福を心よりお祈りいたします。

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バーバラ・ボニー個人的都合で引退?

前回、バーバラ・ボニーのDVDの記事を書いていた時には全く知らなかったのだが、8月1日付けのIMGのサイトで発表されたところによると、個人的都合(personal circumstances)により、ボニーは今後の演奏活動を行わないとして、すでに決まっていた予定をすべてキャンセルしたそうだ。単に一時的な休業というわけではなく、どうやら引退ということのようだ。50歳を迎えて心境の変化があったのか、それとも健康上の理由なのか真相は分からないが、いずれにしても彼女の下した結論はそれなりの決意があってのことなのだろう。ただ、これから円熟期に入ろうという時に突然聴けなくなってしまったのは残念でならない。

http://www.playbillarts.com/news/article/5065.html

以前一度だけ彼女の実演をヘルムート・ドイチュの共演で聴いたことがあるが、その時の黒いドレスに身を包んだ凛とした舞台姿が今でも印象に残っている(ブラームスやバーバーが歌われた)。来年も来日の予定があったらしいのだが、もう実演に接することは出来なくなってしまった。もっと聴いておけばよかったと悔やんだところで後の祭りである。

彼女の歌曲録音の最も初期のものはピアニスト、コルト・ガルベンのプロデュースによるDGのツェムリンスキー歌曲集だろう。それに続き、パーソンズのピアノによるR.シュトラウス&ヴォルフ歌曲集がリリースされると彼女の名前が一気に知られるようになり、その後、モーツァルト、シューベルト、メンデルスゾーン姉弟、シューマン夫妻、リスト、ヴォルフ「イタリア歌曲集」、フォレ、北欧歌曲集などが次々に録音され、名実ともに歌曲演奏の第一人者となった(私が聴いた中では、特にメンデルスゾーンとシューマンが素晴らしかった)。

彼女はオペラも宗教曲も歌うが、オペラに関してはあまり貪欲にあれこれ歌おうという感じではなかったようだ。教育活動にもっと時間を割きたいというようなことを確か言っていたと思うので、演奏だけの人生というものに疑問を感じていたのかもしれない。

モーツァルトの息子クサーファーの歌曲集が最近リリースされたのでいずれ入手したいと思うが、それより前だが比較的最近にリリースされた録音に"My name is Barbara"と題されたイギリス&アメリカ歌曲集がある。このタイトルは、バーンスタインの自作詞による歌曲の曲名であり、同時にボニーの名前「バーバラ」にも掛かっている。共演はマルコム・マーティノーで、クィルター、グリフェス、コープランド、ブリテン、バーンスタイン、バーバーのまとまった歌曲集ばかりが選ばれている。私はクィルターの歌曲集の1曲目"Weep you no more, sad fountains"をアーメリングの録音で知り、大好きなのだが、ボニーが歌うとまるで別の曲のように響く。前者はしみじみと慈しむように弱声で聴かせ、後者はつやのある美声(若干渋みを増したが)で旋律美を浮かび上がらせる。

ボニーの演奏はみずみずしく余裕をもって響くその透明な(だが無色ではない)歌声がなんとも魅力的だ。馴染みのない曲たちが彼女の歌でどれほど魅力を増していることか。そういう意味でも稀有の存在だった彼女の演奏をあらためてじっくり味わってみたいと思う。

"My name is Barbara"
Barbara Bonney(S) Malcolm Martineau(P)
録音:2005年2月21~24日、St Martin's, East Woodhay, Hampshire, England
ONYX: ONYX 4003

クィルター(Roger Quilter: 1877-1953)/7つのエリザベス朝抒情詩"Seven Elizabethan Lyrics" (Weep you no more; My life's delight; Damask roses; The faithless shepherdess; Brown is my Love; By a fountainside; Fair house of Joy)
グリフェス(Charles T. Griffes: 1884-1920)/フィオナ・マクラウドの3つの詩"Three poems of Fiona Macleod" (The lament of Ian the Proud; Thy dark eyes to mine; The rose of the night)
コープランド(Aaron Copland: 1900-1990)/4つの初期歌曲集"Four early songs" (Night; A summer vacation; My heart is in the East; Alone)
ブリテン(Benjamin Britten: 1913-1976)/この島国でOp.11"On this island" (Let the florid music praise!; Now the leaves are falling fast; Seascape; Nocturne; As it is, plenty)
バーンスタイン(Leonard Bernstein: 1918-1990)/ソプラノとピアノのための5つの童謡集「音楽なんて大嫌い!」"I hate music!" (My name is Barbara; Jupiter has seven moons; I hate music!; A big Indian and a little Indian; I'm a person too)
バーバー(Samuel Barber: 1910-1981)/4つの歌Op.13"Four songs" (A nun takes the veil; The secrets of the old; Sure on this shining night; Nocturne)

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バーバラ・ボニー&マルコム・マーティノー/シューマン「詩人の恋」と、“北欧の「詩人の恋」”

TDKから「シャトレ座リサイタル」シリーズとして、8枚の歌曲リサイタルDVDが国内リリースされることになった。
ラインナップは、既に発売されているのが「ボニー&マーティノー」「オッター&フォシュベリほか」「マクネアー&ヴィニョールズ」で、これから発売されるのが「バンブリー&ドイチュ」「ロット&G.ジョンソン」「アップショー&カリッシュ」「ボストリッジ&ヴィニョールズ」「ハンプソン&リーガー」である。
実はこのうちマクネアーとアップショー以外の6枚はすでに輸入盤で入手していたのだが(国内盤が出るとは思わなかったので)、演奏だけでなく、歌手とピアニストの充実したコメントも多く収録されており、日本語字幕が欲しいので、買い換えることにした。

第1弾として発売された「ボニー&マーティノー」のDVDを早速見てみた(以下、演奏者のインタビューの内容にも触れているので、ネタバレを望まない方はDVDを視聴した後でご覧になった方がいいかもしれません)。

Bonney_martineau_2001 TDKコア:TDBA-0111
Barbara Bonney(S) Malcolm Martineau(P)
2001年1月31日、パリ、シャトレ座(Châtelet)におけるライヴ収録

●Part 1
シューマン(Schumann: 1810-1856)/歌曲集「詩人の恋」Op.48(全16曲)

●Part 2 : 北欧の「詩人の恋」(A Scandinavian Dichterliebe)
シベリウス(Sibelius: 1865-1957)/三月の雪の上のダイヤOp.36-6
ステンハンマル(Stenhammar: 1871-1927)/バラに寄すOp.8-4
グリーグ(Grieg: 1843-1907)/睡蓮をつけてOp.25-4
ステンハンマル/少女は逢引から戻ったOp.4b-1
シベリウス/迷いOp.17-4
ステンハンマル/アダージョOp.20-5
グリーグ/君を愛すOp.5-3
ステンハンマル/フィルギアOp.16-4
アルヴェーン(Alfvén: 1872-1960)/さあ私の心をあげる
シベリウス/ファースト・キスOp.37-1
ステンハンマル/森で
シューベリ(Sjöberg: 1861-1900)/楽の音
シベリウス/夢だったのかOp.37-4

●アンコール
シューマン/くるみの木Op.25-3
リスト(Liszt: 1811-1886)/僕がまどろむ時N11
アルヴェーン/森は眠っているOp.28-6

バーバラ・ボニーは1956年アメリカ、ニュージャージー州Montclair出身のリリック・ソプラノで、歌曲の録音も数多い。現在はオペラよりもリサイタルに力を入れているようだ。つやのある美声に、若々しい容姿も相まって、人気が高い。

マルコム・マーティノーは1960年イギリスのEdinburgh出身のピアニストで、いまや歌曲演奏の第一人者となった。フェリシティー・ロット、マグダレーナ・コジェナー、トマス・アレンなど膨大な歌手たちから共演を求められている。

「詩人の恋」が男声の専売特許だった時代はいまや過ぎ去った。古くはロッテ・レーマンの録音があるものの、女声がこの歌曲集に進出したのはこの20年ぐらいだろう。ファスベンダー、シェーファーなどがレパートリーにして、ボニーもDECCAにCD録音しているが、今回のマーティノーとの映像はライヴ収録であり、広い会場で客を前にして歌ったものとしてスタジオ録音とは異なるところもあるだろう。ボニーはインタビューの中で19世紀のソプラノ歌手、イェニー・リント(Jenny Lind: 1820-1887:「スウェーデンのナイティンゲール」と呼ばれた歌手)がすでに1850年(「詩人の恋」作曲の10年後)にこの歌曲集を歌っていることを指摘している。
ボニーいわく、新鮮なレパートリーが欲しくなり「詩人の恋」を歌うことにしたが、大切なのは性別ではなく、情熱と純粋な恋心とのこと。低声用に移調した版がいい場合はバリトン譜やテノール譜を使用したと述べ(テノールとソプラノは声の切れ目が違うそうだ)、オリジナルの調の流れにこだわりはないようだ(2度下げた第5曲と原調の第6曲のつながりはやや違和感を感じたが)。

ボニーのドイツ語の発音はごつごつした感じが少なく、流麗に響く。独特の粘りのある発声が時に母音の明暗の区別をぼやかしている印象を受ける箇所がある。若干舌足らずな響きに感じられる箇所もあるものの、総じて模範的な発音なのだろう。

今回ボニーのライヴ歌唱を聴いて、はじめて彼女の声で「詩人の恋」を聴いた時の抵抗感が確実に薄まっているのをはっきりと感じた。慣れというものは不思議なものである。声だけで聴くと、男声の時と異なり、浮世離れした存在、例えば天使が歌っているようなイメージを感じるが、映像で歌っている姿を見ると、彼女が主人公になりきって歌っているのが明らかになる。ヴィブラートをかける時に舌や喉が小刻みに振動するのが見て取れるのも映像ならではだろう(彼女の安定したヴィブラート技術は肉体的鍛錬の賜物なのだろう)。
普段早めのテンポで軽く歌われることの多い第3曲「ばら、ゆり、鳩」では、テンポを抑えてしっとりと歌い、7曲目「恨まないよ」の最後に「Ich grolle nicht(恨まないよ)」と繰り返す箇所は男声で聴くのとは明らかに異なる印象を受ける(言葉で形容するのは難しいが)。12曲目「明るい夏の朝」最後の「trauriger, blasser Mann(悲しみ青ざめた方)」を重く、抑えた声の色に変えたのが印象的だ。最終曲「昔の忌まわしい歌々」は低音箇所も多いが、野太い声を厭わず使って、声質とのギャップを効果的に響かせている。ボニーの歌声は濃い響きの時と薄い響きの時があるが、ハイネの自嘲的な要素を意図的に描き分けようとしているのかもしれない。

ピアニストのマーティノーは、すでに70回この歌曲集を演奏しているそうで、ハイネの詩はどれも内容が結末で暗転するが、それをピアノ後奏が表現していると語る。例えば第6曲のオルガンを模した後奏の途中で彼がテンポを落とす箇所など、不吉な未来を予感させ、マーティノーの言う「結末の暗転」を演奏に反映させていると言えるだろう。彼の演奏は鋭利さ、切れのよさはあまり感じられないが、余韻に富んだ内的な表現に優れていた。手や体を必要以上に動かさないのも、音楽に集中している様がうかがえて、視覚的にも好ましいと思った。

この歌曲集が本来男声用歌曲であることには変わりないが、女声が進出することによって新たな視点が開けてくるのは意義深いことだろう。バリトンのマティアス・ゲルネがヨーロッパ各地で「女の愛と人生」を歌っているようだが、ボストリッジならともかく、いかついゲルネが歌うとどうなるのか一度聴いてみたいものだ。

ハイネの「詩人の恋」は、繊細で傷つきやすいがゆえにあえて自嘲表現をとることによって、他人から傷つけられる前に予防線を張っているという印象を受けてしまうのだが、後半のボニーが選んだ北欧歌曲にそのような要素はないようだ(私は北欧の言葉を全く解さないので、あくまで日本語字幕を読む限りだが)。
ボニーは“北欧の「詩人の恋」”というテーマで選曲した経緯について語っている。それによると、当初はステンハンマルとシベリウスだけを歌うつもりだったが、それだと重くなってしまうので、他の作曲家の作品も組み合わせて、「詩人の恋」と対になるようにしたとのこと。連続性を狙い、調も揃え、退屈しないようにテンポも工夫したそうだ。そうして形成されたボニーによるツィクルスは、シベリウス、ステンハンマル、グリーグ、アルヴェーン、シューベリの5人による13曲になった。

ツィクルス冒頭に置かれたシベリウスの「三月の雪の上のダイヤ」は、太陽の光に映える雪をダイヤにたとえているのだろうか。
続くステンハンマルの「バラに寄す」は、このボニーによるツィクルス中でもとりわけ美しい小品で、民族色を感じさせる印象的なピアノ前奏の後、バラをあげる人は誰もいない、母も姉も弟も、そして恋人も…と歌われる。ドイツリートでも似たような内容の詩は見られるが、民謡的な素朴な詩にもの哀しい歌が印象的に響き、胸を打たれた。
次のグリーグのイプセンの詩による「睡蓮をつけて」は歌い始めを先取りした短いピアノ前奏で始まり、マリーという娘に語りかける内容である(母親の言葉なのか、彼氏の言葉なのか、よく分からないが)。「白い翼のついた花」と形容される睡蓮のうしろで水の精が寝たふりをしているという忠告めいた内容のようだ。はじめの楽節が最後に再び繰り返される。繊細で静かな「バラに寄す」の次に、この細かい動きの曲をもってきて、ボニーの言っていた「退屈しないようにテンポも工夫した」一例であろう。彼女の弱声が光っていた。
ステンハンマル「少女は逢引から戻った」はもの哀しい前奏で始まる。逢引から帰ってきた娘と母親との対話の形をとり、「どうして手が赤いの?」-「バラのとげが刺さったの」、「どうして唇が赤いの?」-「野いちごの汁が付いたから」と母親の追究を交わそうとするが、「どうして頬が青ざめているの?」と聞かれ、とうとう真実を明かすというもの。これも似たような内容の詩をほかに見出せるだろう。ボニーが後奏で見せる悲痛な顔の表現は、歌っていない時でも表現が続いていることを思い起こさせられる。
シベリウスの「迷い」は道にはぐれて2人きりになった時に相手を意識し始めて「あなたの輝くような微笑には聖人でも抗えないでしょう」と軽快にユーモラスに歌った短い作品。前の深刻な曲とよいコントラストを成している。
ステンハンマルの「アダージョ」は「水が揺れ、風が戯れる」と始まり、自然の情景が静かに描写され、「白鳥の歌」伝説も織り込みながら、「いないのはお前だけ」と歌われる。辛い人生を歩み、物乞いとなった今も恋人のもとに行くことを望むという内容。ゆりかごのようなリズムがピアノに一貫して流れている。
グリーグの「君を愛す」は今回の北欧歌曲の中でも最も有名な作品だろう。「私の真の想いは君だけ」と歌う熱烈なラヴ・ソング。ボニーはテンポをたっぷり揺らして、想いを込めて歌っている。
ステンハンマルの「フィルギア」は慰めの守り神フィルギアへの呼びかけの形をとる。昼間の苦しみを、夜に現れる「美を追い求める乙女」が忘れさせてくれると歌われる。細かく劇的なピアノに乗って激しく歌われる。
次にアルヴェーンという作曲家の作品が続く。ボニーいわく、アルヴェーンはスウェーデンの重要な作曲家で、ステンハンマルよりも人気があったとのこと。彼の歌は庶民的で流行歌のようなもので、分かりやすく美しいと語る。マーティノーも、彼の歌曲はポップスのようで、単純だが心を打つと述べる。「さあ私の心をあげる」はゆったりとしたテンポで、恋を知った女性が、私の心はもうあなたのものと歌う。
シベリウスの「ファースト・キス」は歌声部を先取りした、暗く憂鬱な前奏で始まる。宵の星に娘が語りかける形をとり、シベリウスらしい暗い曲調が感動的な曲。
ボニーが「スウェーデン最大の作曲家」と評するステンハンマルの「森で」は、ボニーによれば「北欧の最も完璧な歌曲と言う人が多い」とのこと。蘭("nattviol"はドイツ語の"Nachtviole"とは別の花らしい)やつぐみを称え、彼らに心の苦しみを訴える。森のざわめきや風のそよぎを思わせる繊細なピアノの上で美しく歌われる。
シューベリの「楽の音」はユッシ・ビョルリングがよく歌ったそうで、昼間の喧騒に苦しんだ心が音楽に癒されると歌われる。
“北欧の「詩人の恋」”を締めくくるのは、シベリウスの「夢だったのか」。過去の恋を回想し、あれは夢だったのかと自問する。ボニーは低音のドスの利いた響きから高音のクライマックスまで、シベリウスの音楽の魅力を表現し尽くした。マーティノーはこの曲について「伴奏と声が別に動く。対比による効果を狙ったのでしょう」と語る。よく考え抜かれた音で繊細、かつ重厚な響きを聴かせていた。
恋の思い出を夢の中に封じ込めて、ボニーのツィクルスは終わる。シューマン&ハイネの世界と厳密に対応したものではないが、多面的な恋の曲を組み合わせて、北欧歌曲の幅と奥行きを聴き手に印象づけることには成功しているのではないか。彼女の選曲のセンスは賞賛に値するだろう。
アンコールはシューマンのこの上なくロマンティックな「くるみの木」、このコンサート唯一のフランス語によるリストの「僕がまどろむ時(夢に来ませ)」。そして最後はアルヴェーンの「森は眠っている」という歌曲。六月の夜(「六月」を歌った歌は珍しいのではないか)に森の中で眠る彼女の傍らにいる幸せを歌っている。神秘的な美しい作品で、R.シュトラウスやマルクスを思わせる。恋する女性の笑い声を模すピアノの描写が印象的。

男声ばかりの「詩人の恋」に新風を吹き込む歌唱と、北欧のほの暗く、心を揺り動かされるような作品、演奏を堪能できる、充実したリーダーアーベントだった。

※DVDの訳詩(黒田享氏による)を参考にさせていただきました。

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ロッテ・レーマン没後30年

歌曲とオペラの両面で活躍した、今年が没後30年にあたる往年の名ソプラノ歌手ロッテ・レーマン(Lotte Lehmann: 1888.2.27, Perleberg - 1976.8.26, Santa Barbara, California)が1935年~1937年に録音した歌曲を集めたCDがNAXOSから出た。彼女は1938年にアメリカに移るので、それ以前のヨーロッパでの録音ということになるのだろう。

ロッテ・レーマンの歌曲録音集 第1集 1935-1937
Lehmann_balogh Lotte Lehmann(S) Ernö Balogh(P)
NAXOS Historical: 8.111093

1)モーツァルト(Mozart: 1756-1791)/クローエに寄す(An Chloe)K. 524(1935年10月17日録音)
2)モーツァルト/秘めごと(Die Verschweigung)K. 518(1935年10月17日録音)
3)シューベルト(Schubert: 1797-1828)/「美しい水車小屋の娘」~焦燥(Ungeduld)D. 795-7(1935年10月17日録音)
4)シューベルト/夕映えの中で(Im Abendrot)D. 799(1935年10月17日録音)
5)シューマン(Schumann: 1810-1856)/トランプ占いをする娘(Die Kartenlegerin)Op. 31-2(1935年10月17日録音)
6)シューマン/「リーダークライス」~森のささやき(Waldesgespräch)Op. 39-3(1935年10月17日録音)
7)ブラームス(Brahms: 1833-1897)/死は冷たい夜(Der Tod, das ist die kühle Nacht)Op. 96-1(1935年10月17日録音)
8)ブラームス/テレーゼ(Therese)Op. 86-1(1935年10月17日録音)
9)ブラームス/青春歌その1「わたしの恋は緑にもえ」(Meine Liebe ist grün)Op. 63-5(1935年10月17日録音)
10)ヴォルフ(Wolf: 1860-1903)/「ゲーテ歌曲集」~第29曲:アナクレオンの墓(Anakreons Grab)(1935年10月17日録音)
11)ヴォルフ/「スペイン歌曲集」~世俗歌曲集第2曲:私の巻き毛のかげで(In dem Schatten meiner Locken)(1935年10月17日録音)
12)バログ(Balogh: 1897-1989)/叱らないで(Do not Chide)(1936年3月13日録音)
13)グレチャニノフ(Gretchaninov: 1864-1956)/わが故郷(My native Land)(1936年3月13日録音)
14)ウォース(Worth: 1888-1967)/真夏(Midsummer)(1936年3月13日録音)
15)ソデーロ(Sodero: 1886-1961)/おやすみ、赤ちゃん(Fa la Nanna, Bambin)(1936年3月13日録音)
16)チマーラ(Cimara: 1887-1967)/春の歌(Canto di primavera)(1936年3月13日録音)
17)ベートーヴェン(Beethoven: 1770-1827)/汝を愛す(Ich liebe dich)WoO. 123(1936年3月13日録音)
18)伝承曲/おやすみ、愛しい我が子よ(Schlafe, mein susses Kind)(1936年3月13日録音)
19)R.アーン(Hahn: 1874-1947)/牢獄より(D'une prison)(1936年3月13日録音)
20)グノー(Gounod: 1818-1893)/アテネの聖マリア(Vierges d'Athenes)(1936年3月13日録音)
21)プフィッツナー(Pfitzner: 1869-1949)/グレーテル(Gretel)Op. 11-5(1937年3月16日録音)
22)マルクス(Marx: 1882-1964)/幸せな夜(Selige Nacht)(1937年3月16日録音)
23)ヴォルフ/「メーリケ詩集」~第48曲:こうのとりの使い(Storchenbotschaft)(1937年3月16日録音)
24)ヴォルフ/「メーリケ詩集」~第17曲:庭師(Der Gärtner)(1937年3月16日録音)
25)ヴォルフ/「イタリア歌曲集」~第10曲:あなたは細い一本の糸で私をつり上げ(Du denkst mit einem Fädchen mich zu fangen)(1937年3月16日録音)
26)フランツ(Franz: 1815-1892)/音楽に(Für Musik)Op. 10-1(1937年3月16日録音)
27)フランツ/おやすみ(Gute Nacht)Op. 5-7(1937年3月16日録音)
28)イェンゼン(Jensen: 1837-1879)/君が頬を寄せよ(Lehn' deine Wang' an meine Wang')Op. 1-1(1937年3月16日録音)
29)シューベルト/糸を紡ぐグレートヒェン(Gretchen am Spinnrade)D. 118(1937年3月16日録音)
30)シューベルト/子守歌(Wiegenlied)D. 498(1937年3月16日録音)
31)シューマン/「ミルテの花」~君は花のごとく(Du bist wie eine Blume)Op. 25-24(1937年3月16日録音)
32)シューマン/「リーダークライス」~春の夜(Frühlingsnacht)Op. 39-12(1937年3月16日録音)

NAXOS Historicalというシリーズで往年の名演を安価でまとめて聴けるのはありがたい。
このシリーズでは同年生まれのエリーザベト・シューマン(Elisabeth Schumann: 1888.6.13 - 1952.4.23)の録音集も出ているので、いつかそちらについても触れてみたい。

さて、このCDについてだが、全32曲がたった3日で録音されているのにまず驚かされる。
1935年10月17日はモーツァルトからヴォルフまでドイツ歌曲の王道を11曲、
1936年3月13日はこのCD全曲の共演ピアニストであるハンガリーのエルネ・バログ(Ernö Balogh: 1897.4.4, Budapest - 1989. 6.2, Michellville)の作品や、ロシア、アメリカ、イタリア、フランス歌曲など珍しいレパートリーが9曲、
1937年3月16日は王道作曲家たちと同時にプフィッツナー、マルクス、フランツ、イェンゼンのような小道に咲く可憐な花たちも取り上げて12曲録音している。

レーマンの歌から最も強く感じられるのは、その「熱さ」であろう。2~3分の各曲から彼女の情熱が強く表出される。だが、例えばヴァーグナー歌手たちが歌曲を歌う時の豪快で大柄な歌とは違い、曲のスタイルを逸脱しない範囲内での渾身の表現である。従って、彼女の歌は第三者の視点ではなく、一人称の歌として現れる。エレガントでコケティッシュなエリーザベト・シューマンとは好対照である。レーマンのようなまばゆいほどの強靭な表現はすでに過去のものとなっている感もあるが、だからこそスマートな歌が主流の現代において彼女の真摯な表現に耳を傾ける価値は大いにあるように思える。その無骨なほどの正直な表現はテクニックを超えた力があるのではないだろうか。
このCDのモーツァルト「秘めごと」の各節最後のリフレイン箇所をぜひ聴いていただきたい。その深い思いの込め方に彼女の真価が聞き取れるのではないか。シューマンの「トランプ占いをする娘」における巧みな演技力による語り口も見事である。ネイティヴだからといって、これほど自然に語れるものではなかなかないと思う。ウォースの「真夏」はドビュッシーのような色合いと北欧歌曲のような味わいを兼ね備えた歌曲だったが、彼女のストレートなパッションが素直に生きていた。イェンゼンの「君が頬を寄せよ」は初めて聴いたが、シューマンが同じ詩に付けた曲とあまりにも違うのが興味深かった(レーマンはここで弱声を美しく聴かせている)。ブラームスの「わたしの恋は緑にもえ」は彼女の美質が最も発揮される類の曲と言えるだろう。その一方で、ローベルト・フランツの小さく繊細な歌たちにレーマンがどれほど慈しむように息吹を吹き込んでいることか。往年のスタイルも捨てたものではないと思わずにはいられない。

エルネ・バログはレーマンの共演ピアニストとして名高い人だが、作曲家としても活動していた人である。ヴォルフの「こうのとりの使い」などを聴く限り、技術的にもなかなか高いものを持っていたようだが、レーマンの率直な表現と一致した素直な演奏を聴かせている。切れのよさよりは味わいで聞かせるタイプのようだ。

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アーメリングのブラームス歌曲集

エリー・アーメリングは初期から後期まで、ほぼ10年おきに3回まとまったブラームス歌曲集を録音している。共演者はノーマン・シェトラー、ドルトン・ボールドウィン、ルドルフ・ヤンセンと、それぞれ異なる。

1)Elly Ameling(S) Norman Shetler(P)(全18曲)
Ameling_shetler_brahms deutsche harmonia mundi: 74321 266152(CD)
録音:1968年6月29~30日 Viersen

ブラームス/あなたがほんの時折微笑んでくれたらOp. 57-2;私は夢を見たOp. 57-3;ああ、このまなざしをそらしてOp. 57-4;そよがぬなまぬるい大気Op. 57-8;あの谷に菩提樹が立っている;娘は語るOp. 107-3;娘の歌Op. 107-5;甲斐なきセレナーデOp. 84-4;ああ、お母さん、欲しいものがあるの;セレナーデOp. 106-1;日曜日の朝にOp. 49-1;あの下の谷に;お姉ちゃん;静かな夜に;素敵な恋人よ、裸足で来たら駄目だよ;雨のあいだOp. 58-2;おお涼しい森よOp. 72-3;永遠の愛についてOp. 43-1

2)Elly Ameling(S) Dalton Baldwin(P)(全18曲)
Ameling_baldwin_brahmsPHILIPS: X-7834(国内LP)(半分ほどCD化されている)
録音:1977年1月22~27日 Concertgebouw, Amsterdam

ブラームス/郷愁Op. 63-8;狩人Op. 95-4;アグネスOp. 59-5;いちご畑でOp. 84-3;春Op. 6-2;悲しむ娘Op. 7-5;甲斐なきセレナーデOp. 84-4;スペインの歌Op. 6-1;森で飾られた丘からOp. 57-1;子守歌Op. 49-4;使いOp. 47-1;はやくおいでOp. 97-5;恋人の誓いOp. 69-4;あなたの青い目Op. 59-8;娘は語るOp. 107-3;永遠の愛についてOp. 43-1;砂男(眠りの精);わが眠りはますます浅くなりOp. 105-2

3)Songs by Brahms
Ameling_jansen_brahms Elly Ameling(S) Rudolf Jansen(P)(全23曲)
Hyperion: CDA66444(CD)
録音:1990年8月14~18日

ブラームス/湖上にてOp. 59-2;ナイティンゲールに寄せてOp. 46-4;野の孤独Op. 86-2;甲斐なきセレナーデOp. 84-4;おお涼しい森よOp. 72-3;秘密Op. 71-3;わが傷ついた心Op. 59-7;愛の誠Op. 3-1;あなたの青い目Op. 59-8;狩人Op. 95-4;「マゲローネのロマンツェ」~別れはなくてはならないものなのかOp. 33-12;わが眠りはますます浅くなりOp. 105-2;夢遊病者Op. 86-3;使いOp. 47-1;黄昏が上方より降り来たりOp. 59-1;霜が降りOp. 106-3;わが愛は緑Op. 63-5;五月の夜Op. 43-2;テレーゼOp. 86-1;私たちは歩き回ったOp. 96-2;メロディーのようにOp. 105-1;ナイティンゲールOp. 97-1;「マゲローネのロマンツェ」~憩え、かわいい恋人よOp. 33-9

このうち重複して演奏されている曲は以下のとおり。

●1、2、3で重複
 甲斐なきセレナーデOp. 84-4

●1、2で重複
 娘は語るOp. 107-3
 永遠の愛についてOp. 43-1

●1、3で重複
 おお涼しい森よOp. 72-3

●2、3で重複
 狩人Op. 95-4
 使いOp. 47-1
 あなたの青い目Op. 59-8
 わが眠りはますます浅くなりOp. 105-2

従って、この3種に録音されたブラームスのレパートリーは重複を除くとちょうど50曲となる。
シェトラー盤での爽やかな風が吹き抜けるような若々しい歌声(まだ硬さを残した蕾のような感もあるが)、
ボールドウィン盤での盛期の声による充実した、地に足のついた表現、
そしてヤンセン盤での熟してますます深く心に寄り添い染み込んでくる歌
と3種それぞれの良さがある。
「甲斐なきセレナーデ」の10年ごとの表現のなんと進化していることだろう。

レパートリーの変遷を追うのも興味深いだろう。
シェトラー盤ではブラームス編曲の「ドイツ民謡集」から6曲歌われているが、ボールドウィン盤では「子供の民謡集」から有名な「眠りの精」が歌われ、ヤンセン盤ではそれらの民謡集からは1曲も含まれていない。
ヤンセン盤で目につくのが歌曲集「マゲローネのロマンツェ」から2曲歌われていることだ。この歌曲集には女声が歌う設定の曲が2曲あるが、アーメリングはそれらではなくあえて男声の歌曲から美しい2曲を選択した。そのあたりも彼女のこだわりだろう(日本公演でもこの2曲は披露された)。

さらにオムニバス盤の中でもブラームスは多く取り上げられている。

4)Elly Ameling(S) Dalton Baldwin(P)
EMI: TOCE-8956(国内CD)
録音:1972年9月6~11日 Gemeindehaus Studio, Zehlendorf, Berlin
ブラームス/あの下の谷に

5)Elly Ameling(S) Dalton Baldwin(P)
PHILIPS: X-7806(国内LP)
録音:1976年9月10~14日 Kleine zaal, Concertgebouw, Amsterdam
ブラームス/ああ、お母さん、欲しいものがあるの;お姉ちゃん

6)Elly Ameling(S) Dalton Baldwin(P)
CBS SONY: 28AC 1242(国内LP)
録音:1979年10月 Holland
ブラームス/娘の唇はバラのように赤い

7)Elly Ameling(S) George Szende(VLA) Dalton Baldwin(P)
EMI: EAC-80485(国内LP)
録音:不明
ブラームス/宗教的な子守歌Op. 91-2

8)Elly Ameling(S) Rudolf Jansen(P)
PHILIPS: 28CD-896; 422 333-2(CD)
録音:1988年2月22~25日 La Chaux-de-Fonds, Switzerland
ブラームス/砂男(眠りの精);甲斐なきセレナーデOp. 84-4;子守歌Op. 49-4

「娘の唇はバラのように赤い」と「宗教的な子守歌Op. 91-2」は彼女唯一の録音なので、最終的な録音レパートリーは52曲となった。

アーメリングの選んだピアニストにはずれはない。
アメリカ出身でヨーロッパを本拠地にするシェトラー(1931-)の堅実で安定した演奏、
同じくアメリカ出身で、アーメリングとの結びつきも強いボールドウィン(1931-)の歌を知り尽くしたさり気ない巧みさ(「恋人の誓い」など絶品)、
アーメリングと同じオランダ出身のヤンセン(1940-)の立体的でニュアンスの豊かな演奏
と三者三様、リートの「ピアノパート」を味わう楽しみを実感させてくれる。

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