フィフティ・フィフティの関係-ドルトン・ボールドウィン
歌曲のピアニストとして多くの演奏や録音を行っているドルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin:1931.12.19-2019.12.12)は、アメリカ、ニュージャージー州(New Jersey)サミット(Summit)に生まれ、ジュリード音楽院、オーバーリン音楽院のピアノ科を首席で卒業。声楽家になりたかったが、声に恵まれなかったため伴奏者として歌曲の道にすすむことを決意。パリでナディア・ブランジェとマドレーヌ・リパッティに師事し、ロッテ・レーマン、エリー・アーメリング、アーリーン・オージェー、ニコライ・ゲッダ、ジョゼ・ヴァン・ダムなどの歌手たちや、ピエール・フルニエ、ヘンリク・シェリング、ヴィア・ノヴァ四重奏団などの楽器奏者たちと共演している。だが、ボールドウィンにとって最も緊密な関係を築いたのはフランスのバリトン、ジェラール・スゼーであった。スゼーの初期の共演者、ジャクリーヌ・ロバン=ボノー(Jacqueline Robin Bonneau:1917-2007)が飛行機嫌いで、スゼーの活動が諸外国に及ぶようになるとボノーに変わる共演者が必要になり、徐々にボールドウィンとの共演が増えていったらしいが、後にスゼーは彼以外のピアニストとはほとんど組まなくなった(『スゼーの肖像』(家里和夫著、春秋社)によると、スゼーとの初共演は1952年の南米演奏旅行だったらしい)。
ボールドウィンがかつてスゼーと共に来日した際に雑誌『ショパン』(1984年6月号)の「声楽・オペラとピアニスト」という特集の一環として行われたインタビューはアンサンブルに特化したピアニストの思いが伝わってくる。その中から心に残る言葉をいくつか。
“「歌」とか「弦」は…ピアノを弾く技術やテクニック以前の音楽性というものを悟らせてくれる、たいへん貴重な栄養素であると思います”
“私が声楽家や弦楽奏者との協演を好むのは、私自身のためですが、同時に私は、その恩恵を声楽家や弦楽奏者にもまごころをこめてお返ししたい、と希いながらピアノを弾いているつもりです”
“お互い50=50(フィフティ・フィフティ)の関係で音楽創造に協力しあう仲の私たちは、演奏をつうじて、究極的には聴衆と50=50で音楽享受の歓びをわかちあうことになる、と信じております”
“スゼーのような素晴らしい声楽家の伴奏ピアニストをつとめるとき私は、彼が思いのままに最高の音楽を聴衆に贈ることができるよう、彼の芸術のための柔かい、あたたかいベッドをセットする気持ちでピアノを弾いているのです”
ソリストになれなかったから仕方なく「簡単な」伴奏をするという人がいるらしいが、そういう気持ちを抱いたままでは「伴奏」というきわめて難しい分野を極めることは難しいだろう。共演するピアニストが歌手とフィフティ・フィフティであることが、聴衆とのフィフティ・フィフティの関係をつくりだす。この過小評価されているジャンルで声高ではないが、身をもってその存在意義を知らしめた一人として、上述のボールドウィンの言葉は重みをもって心に響いてこないだろうか。
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