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伴奏者の発言

このブログをはじめた当初、ジェラルド・ムーア(Gerald Moore:1899. 7. 30, Watford, Hertfordshire-1987. 3. 13, Penn, Buckinghamshire)のディスコグラフィーを作成したいと思っていた。実際ブログを使いはじめて、ブログという形態がディスコグラフィー作成にはあまり向いていないように感じ、その計画は後回しにしているが、いつか何らかの形で公表できるように資料集めは続けている。

ムーアの演奏の何がこれほど私の心に訴えかけてくるのだろうか。

彼の演奏に対してよく言われる批評が「歌手の表現しようとする内容を察知し、ぴったり合わせる」というもの。一方で「主張が足りない」と言われることも。これはひょっとしたら同じことの表裏かもしれない。歌手の音楽を優先させて一体になることは、自らの主張を抑えることにもなるからだ。同じことでも評者が対象をどのように見ているかによって長所にも短所にもなりうる(これは演奏に限ったことではないだろうが)。だが、私がムーアを多少贔屓目に見ていることを白状しつつも前述の意見を考えてみると、「主張が足りない」というのはちょっと違うように思う。彼の著書「伴奏者の発言(原題"The Unashamed Accompanist")」(大島正泰訳、音楽之友社)から彼の言葉を拾い出してみたい。

“声楽家と伴奏者の間の協力は五分五分の関係であって、たとえばベートーヴェンのクロイツェル・ソナタにおけるヴァイオリニストとピアニストの関係とまったく同様である。”

“伴奏者はヴァイオリニストが小さい音で弾けば、それに合せるために彼の音をおとし、楽器の上でささやきをあらわす。そして声楽家の声の中に涙にむせぶ追憶をきけば、それを反映しようとする。演奏の時にはお互いが考えることは一人称複数の形であり、彼らが思うことは一つの声、一つのピアノではなく、一つの音楽なのである。それが合奏の真の精神である。”

“彼(注:伴奏者のこと)は立派なピアニストにならなければならない。敏感な耳をもたなければならない。そして敏感な音楽的な頭脳を持たなければならない。さてまことに不思議なことであるが、彼はまたその肉体の組織の中に、すべての人間感情の宝庫であり、詩と情熱とロマンスの源であるもの、すなわちハートをもたなければならないのである。”

違った個性の声楽家と大物ピアニストのコンビは刺激的でわくわくさせられるが、それは一種のお祭りのようなもので、あえて異なる音楽性をぶつけることで聴き手に新鮮な印象を与えるという点で意義深いものだとは思う。

だが、そういう演奏が唯一絶対の理想的な共演のあり方という評価には断固反対である。一見刺激は少なくとも、「一人称複数」の演奏者たちが、「一つの音楽」を奏でるのを私はこれからも愛してやまないだろう。ムーアが「一つの音楽」をめざして切磋琢磨した演奏に、これ以上「主張」を求める必要があるのだろうか。

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投稿: e-アフィリ | 2006年7月30日 (日曜日) 14時22分

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