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伴奏者の発言

このブログをはじめた当初、ジェラルド・ムーア(Gerald Moore:1899. 7. 30, Watford, Hertfordshire-1987. 3. 13, Penn, Buckinghamshire)のディスコグラフィーを作成したいと思っていた。実際ブログを使いはじめて、ブログという形態がディスコグラフィー作成にはあまり向いていないように感じ、その計画は後回しにしているが、いつか何らかの形で公表できるように資料集めは続けている。

ムーアの演奏の何がこれほど私の心に訴えかけてくるのだろうか。

彼の演奏に対してよく言われる批評が「歌手の表現しようとする内容を察知し、ぴったり合わせる」というもの。一方で「主張が足りない」と言われることも。これはひょっとしたら同じことの表裏かもしれない。歌手の音楽を優先させて一体になることは、自らの主張を抑えることにもなるからだ。同じことでも評者が対象をどのように見ているかによって長所にも短所にもなりうる(これは演奏に限ったことではないだろうが)。だが、私がムーアを多少贔屓目に見ていることを白状しつつも前述の意見を考えてみると、「主張が足りない」というのはちょっと違うように思う。彼の著書「伴奏者の発言(原題"The Unashamed Accompanist")」(大島正泰訳、音楽之友社)から彼の言葉を拾い出してみたい。

“声楽家と伴奏者の間の協力は五分五分の関係であって、たとえばベートーヴェンのクロイツェル・ソナタにおけるヴァイオリニストとピアニストの関係とまったく同様である。”

“伴奏者はヴァイオリニストが小さい音で弾けば、それに合せるために彼の音をおとし、楽器の上でささやきをあらわす。そして声楽家の声の中に涙にむせぶ追憶をきけば、それを反映しようとする。演奏の時にはお互いが考えることは一人称複数の形であり、彼らが思うことは一つの声、一つのピアノではなく、一つの音楽なのである。それが合奏の真の精神である。”

“彼(注:伴奏者のこと)は立派なピアニストにならなければならない。敏感な耳をもたなければならない。そして敏感な音楽的な頭脳を持たなければならない。さてまことに不思議なことであるが、彼はまたその肉体の組織の中に、すべての人間感情の宝庫であり、詩と情熱とロマンスの源であるもの、すなわちハートをもたなければならないのである。”

違った個性の声楽家と大物ピアニストのコンビは刺激的でわくわくさせられるが、それは一種のお祭りのようなもので、あえて異なる音楽性をぶつけることで聴き手に新鮮な印象を与えるという点で意義深いものだとは思う。

だが、そういう演奏が唯一絶対の理想的な共演のあり方という評価には断固反対である。一見刺激は少なくとも、「一人称複数」の演奏者たちが、「一つの音楽」を奏でるのを私はこれからも愛してやまないだろう。ムーアが「一つの音楽」をめざして切磋琢磨した演奏に、これ以上「主張」を求める必要があるのだろうか。

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シュライアー&シェトラー/シューマン歌曲集

7月29日はローベルト・シューマンの150回目の命日であると同時に、昨年歌手活動から引退した名テノール、ペーター・シュライアーの71歳の誕生日でもある。

Schumann_20060727 シュライアーは1970年代前半にシューマンの主だった歌曲をまとめて録音しており、BERLIN Classicsから4枚組のCDで復活している。曲数は114曲にも及び、全歌曲の3分の1を優に越している。F=ディースカウ&マティスがDGに1974年から録音した膨大なシューマン歌曲大全集にもない作品もいくつかシュライアーの歌で聴くことが出来る(「私は行くまいOp. 51-3」「憧れOp. 51-1」「心の近くOp. 77-3」「私の音はひっそりと明るくOp. 101-1」「歌びとの慰めOp. 127-1」)。
ピアノは、シュライアーが自伝の中で絶賛していたアメリカ出身のノーマン・シェトラーで、清潔で美しい演奏は若きシュライアーの声にとてもよく合っていた。

BERLIN Classics:0090682BC

Peter Schreier(T) Norman Shetler(P)

1972年~1974年、Studio Lukaskirche, Dresden録音

CD1(1972、1974年録音)
「詩人の恋」Op. 48(全16曲);「リーダークライス」Op. 24(全9曲);「ミルテ」Op. 25より(はすの花Op. 25-7;孤独な涙はどういうつもりで流れるのかOp. 25-21;君は花のようだOp. 25-24);君の顔Op. 127-2;君の頬を寄せておくれOp. 142-2;私の馬車はゆっくりと進むOp. 142-4;「哀れなペーター」Op. 53-3(全3曲)

CD2(1972/1974年録音)
「リーダークライス」Op. 39(全12曲);春の旅Op. 45-2;セレナーデOp. 36-2;微笑んだまなざしだけがOp. 27-5;日光に寄せてOp. 36-4;私は行くまいOp. 51-3;陽気な旅人Op. 77-1;世捨て人Op. 83-3;魔法の角笛をもった少年Op. 30-1;小姓Op. 30-2;イダルゴ(スペイン貴族)Op. 30-3;憧れOp. 51-1;告白Op. 74-7;「スペインの恋の歌」Op. 138より(おお、その娘のなんと愛らしいことかOp. 138-3;ああ、娘はなんと怒っていることかOp. 138-7;ロマンツェOp. 138-5);「若者のための歌のアルバム」Op. 79より(ジプシーの歌ⅠOp. 79-7;ジプシーの歌ⅡOp. 79-8)

CD3(1972/1973年録音)
「ミルテ」Op. 25より(献呈Op. 25-1;東方のばらよりOp. 25-25);ジャスミンの茂みOp. 27-4;「ミルテ」Op. 25より(くるみの木Op. 25-3;自由な心Op. 25-2;ひとり腰を下ろしOp. 25-5;置くな、乱暴者よOp. 25-6;護符Op. 25-8);夜の歌Op. 96-1;においすみれOp. 40-1;母の夢Op. 40-2;兵士Op. 40-3;楽師Op. 40-4;漏れた恋Op. 40-5;月に寄せてOp. 95-2;心の近くOp. 77-3;娘の憂鬱Op. 142-3;ローレライOp. 53-2;ことづてOp. 77-5;「ミルテ」Op. 25より(ヴェネツィアの歌ⅠOp. 25-17;ヴェネツィアの歌ⅡOp. 25-18);「若者のための歌のアルバム」Op. 79より(春の挨拶Op. 79-4;てんとう虫Op. 79-14);天は一粒の涙を流したOp. 37-1;私は吸い込んだOp. 37-5;翼よ!翼!Op. 37-8;「ミンネシュピール(愛の戯れ)」Op. 101より(私の音はひっそりと明るくOp. 101-1;わが美しい星Op. 101-4);「ミルテ」Op. 25より(終わりにOp. 25-26)

CD4(1972/1973年録音)
「ユスティーヌス・ケルナーの12の詩」Op. 35(全12曲);歌びとの慰めOp. 127-1;ゆきのはなOp. 96-2;彼女の声Op. 96-3;「ニーコラウス・レーナウの6つの詩、およびレクイエム」Op. 90(全7曲)

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フィフティ・フィフティの関係-ドルトン・ボールドウィン

Baldwin_van_dam 歌曲のピアニストとして多くの演奏や録音を行っているドルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin:1931.12.19-2019.12.12)は、アメリカ、ニュージャージー州(New Jersey)サミット(Summit)に生まれ、ジュリード音楽院、オーバーリン音楽院のピアノ科を首席で卒業。声楽家になりたかったが、声に恵まれなかったため伴奏者として歌曲の道にすすむことを決意。パリでナディア・ブランジェとマドレーヌ・リパッティに師事し、ロッテ・レーマン、エリー・アーメリング、アーリーン・オージェー、ニコライ・ゲッダ、ジョゼ・ヴァン・ダムなどの歌手たちや、ピエール・フルニエ、ヘンリク・シェリング、ヴィア・ノヴァ四重奏団などの楽器奏者たちと共演している。だが、ボールドウィンにとって最も緊密な関係を築いたのはフランスのバリトン、ジェラール・スゼーであった。スゼーの初期の共演者、ジャクリーヌ・ロバン=ボノー(Jacqueline Robin Bonneau:1917-2007)が飛行機嫌いで、スゼーの活動が諸外国に及ぶようになるとボノーに変わる共演者が必要になり、徐々にボールドウィンとの共演が増えていったらしいが、後にスゼーは彼以外のピアニストとはほとんど組まなくなった(『スゼーの肖像』(家里和夫著、春秋社)によると、スゼーとの初共演は1952年の南米演奏旅行だったらしい)。

 

ボールドウィンがかつてスゼーと共に来日した際に雑誌『ショパン』(1984年6月号)の「声楽・オペラとピアニスト」という特集の一環として行われたインタビューはアンサンブルに特化したピアニストの思いが伝わってくる。その中から心に残る言葉をいくつか。

 

“「歌」とか「弦」は…ピアノを弾く技術やテクニック以前の音楽性というものを悟らせてくれる、たいへん貴重な栄養素であると思います”

 

“私が声楽家や弦楽奏者との協演を好むのは、私自身のためですが、同時に私は、その恩恵を声楽家や弦楽奏者にもまごころをこめてお返ししたい、と希いながらピアノを弾いているつもりです”

 

“お互い50=50(フィフティ・フィフティ)の関係で音楽創造に協力しあう仲の私たちは、演奏をつうじて、究極的には聴衆と50=50で音楽享受の歓びをわかちあうことになる、と信じております”

 

“スゼーのような素晴らしい声楽家の伴奏ピアニストをつとめるとき私は、彼が思いのままに最高の音楽を聴衆に贈ることができるよう、彼の芸術のための柔かい、あたたかいベッドをセットする気持ちでピアノを弾いているのです”

 

ソリストになれなかったから仕方なく「簡単な」伴奏をするという人がいるらしいが、そういう気持ちを抱いたままでは「伴奏」というきわめて難しい分野を極めることは難しいだろう。共演するピアニストが歌手とフィフティ・フィフティであることが、聴衆とのフィフティ・フィフティの関係をつくりだす。この過小評価されているジャンルで声高ではないが、身をもってその存在意義を知らしめた一人として、上述のボールドウィンの言葉は重みをもって心に響いてこないだろうか。

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ラフマニノフ&グリンカ歌曲集/ヴィシネフスカヤ&ロストロポーヴィチ

ラフマニノフ&グリンカ歌曲集

ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(Galina Vishnevskaya)(S)

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(Mstislav Rostropovich)(P)

Deutsche Grammophon:00289 477 6195

1975年12月録音

ラフマニノフ(1873-1943)作曲
夜は悲しいOp. 26-12(ブーニン詩);歌わないで、美しい女(ひと)よOp. 4-4(プーシキン詩);音楽Op. 34-8(ポロンスキー詩);春の流れOp. 14-11(チュッチェフ詩);ヴォカリーズOp. 34-14

グリンカ(1804-1857)作曲
疑い(クーコリニク詩);私はあのすばらしい一時を覚えている(プーシキン詩);あなたと一緒だとなんとすばらしいのだろう(ルィンジン詩);彼女に(ミツキェヴィチ原詩/ゴリツィン訳);あなたを知るとすぐに(デリヴィク詩);ヴェネツィアの夜(コズロフ詩);「ペテルブルクとの別れ」~ひばり(クーコリニク詩);「ペテルブルクとの別れ」~舟歌(クーコリニク詩)

Rachmaninov_20060720 ソプラノ歌手ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(1926.10.25.Leningrad生まれ)と、チェリストでピアニスト、指揮者でもあるムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1927.3.27.Baku生まれ)夫妻はロシア歌曲演奏の名コンビだが、今年がヴィシネフスカヤの生誕80年にあたるのを記念してDGからラフマニノフ&グリンカ歌曲集がはじめてCD復活した。
よく歌われる曲を中心に選ばれているようだが、「夜は悲しい」「音楽」「ヴェネツィアの夜」は私にとっては初めて聴く作品だった。
グリンカの選曲がラヴソングのオンパレードの感があるのに対して、ラフマニノフの方は自然や音楽への思いなど特定の異性ではないものに向けた作品が中心のように感じた。
ヴィシネフスカヤの声は時に白井光子を思わせるような清澄な響きもあるが、ロシア人特有の芯のある強靭な歌声がメランコリックなメロディーによく映える。強靭ではあるが同時に繊細な感覚があり、これらの歌曲の小世界をデリケートに描いていると思う。ロストロポーヴィチは完全に余技の域を越えた演奏を聴かせている。ピアノが美しい単旋律を響かせることの多いこれらの作品で彼は慈しむように1音1音を歌わせている。歌曲のピアニストとしても味のあるいい演奏を聴かせてくれる。

まず、ラフマニノフの歌曲5曲から。

「夜は悲しい」は、心に憂いと愛を抱きながら、夢のような夜の悲しさを歌った曲で、ヴィシネフスカヤのロマンティックで静かに抑えた表現が美しい。ロストロポーヴィチのピアノ低声部の歌わせ方が見事だった。

有名な「歌わないで、美しい女(ひと)よ」は、異国での暮らしとそこで出会った娘を思い出してしまうから、そのグルジアの歌を歌わないでくれという内容。詩の中で美しい女性が歌うグルジアの歌をピアノパートが美しく表現する。歌声部が対旋律を奏で、ピアノが主役になる箇所があり、実に美しくピアノで歌っている。深い思い入れが感じられる演奏だが、やり過ぎないところがいい。

「音楽」は、妙なる音の波が広がり、私をとらえると歌われる。繊細なガラスのような曲。ピアノ後奏の最後の和音が長和音になり、希望を託しているかのようだ。ソプラノにしてはかなり低い声域の音も実に表情をこめて歌っている。

「春の流れ」は、雪どけの水はいたるところで春の到来を告げるという内容。ヴィシネフスカヤは、第2節最後の最高音が若干叫び声のようになってしまった以外は、この急速な歌を生き生きと堂々と表現していた。ピアノも難曲だが雪解け水の奔流をこれだけ見事に表現できればこれ以上望むものはない。

キャスリーン・バトルの蠱惑的な歌唱が記憶に残る「ヴォカリーズ」でも、ヴィシネフスカヤの芯の通った渋い光沢のある歌声は、歌詞がないのにネイティヴの味がしっかり伝わってくるように感じられる(たっぷり7分以上かけて歌っている)。

続いてグリンカの歌曲8曲。

「疑い」は、恋敵に嫉妬して疲れ果てたすえに彼女が再び自分のもとに戻ってくることを夢想するという内容。耳に残るピアノのメロディーとストレートに苦悩を訴える歌声が印象的な作品でグリンカの歌曲中有名な1曲。太い声を出し、ヴィヴラートの荒さもいとわず、苦悩を情熱的に歌い感動的。前奏、後奏のメロディもとても音楽的な演奏で素晴らしかった。

「私はあのすばらしい一時を覚えている」は、感情の移ろいが実に自然に生き生きと表現されていて聴きものだ。特に“つかのまの幻のように”という箇所で声を柔らかくしたり、再会後に歓喜のあまり鼓動が鳴る箇所で力強く表現するなど、彼女の幅の広い表現力を堪能できた。

「あなたと一緒だとなんとすばらしいのだろう」は、ピアノの下降音型が耳に残る。詩の内容に反してほの暗い曲調だが、幸せすぎて不安という感情の反映なのだろうか。全3節の有節形式だが、各節最後の2行の、あなたの姿を見ると心が震えたり、理性を失ったり、歓喜におぼれたりするという箇所の歌い方がなんとも思いがこもっている。

「彼女に」は、恋する女性への賛美が3拍子系の舞曲風のリズムに乗って軽快に歌われるが、力強さと細やかさの両方の表現が可能な彼女ならではの歌だった。

「あなたを知るとすぐに」は、恋人をたたえ、あなたは明るさや気高さを私の心に生み出すと歌う。分散和音に乗って、恋に陶酔する気持ちをひそやかに歌い、ヴィシネフスカヤの表現も詩に合わせてういういしい。

「ヴェネツィアの夜」は、春の夜のヴェネツィアの情景が幻想的に描かれる。長短のリズムに乗って(シューベルトの「ゴンドラの船頭」D. 808が思い出される)、楽しげな旋律が歌われる。ヴィシネフスカヤも楽しんで歌っている。

以下の2曲は歌曲集「ペテルブルクとの別れ」からの選曲である(歌曲集といっても内容の関連があるわけではなく、家庭問題のため、ペテルブルクを離れようと考えていたことからこのタイトルのもと、クーコリニクの詩による作品をまとめたそうだ)。

「ひばり」は、最も知られたグリンカ歌曲の1つで、天と地の間に歌が響き、風がその歌を運ぶが、歌を送られた女性には誰から送られたのか分かるだろうという内容。真摯な歌が胸に響く。

「舟歌」は、夜の光が水面に照り映えているかのようなきらきらしたピアノの響きのうえで、のどかなバルカローレが魅力的に歌われる。節の最後に何度かあらわれるハミング風のヴォカリーズ箇所は舟歌の特徴なのだろうか(シューベルトの「舟乗り」D. 694にも同様のハミングがあらわれる)。ヴィシネフスカヤは、このヴォカリーズの抑えた歌いぶりと他の箇所の力強さを対照的に描いていて引き込まれる。

目下、「詩と音楽」サイトでFujiiさんがこのCDのグリンカ歌曲集の各曲を順に投稿するシリーズを始めておられます。訳詞や解説など充実していますので、チェックしてみてください。

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アーメリング日本公演曲目1997年

第12回来日:1997年5月

Ameling_baldwin_1997_55月8日(木)19:00 フィリアホール(横浜)
5月15日(木)19:00 熊本県立劇場コンサートホール

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●さよならコンサートアンコール公演 共演:ドルトン・ボールドウィン(P)

シューマン(Schumann)/献呈Op. 25-1;「リーダークライス」~悲しみOp. 39-9;くるみの木Op. 25-3;「女の愛と人生」Op. 42(全8曲)

~休憩~

シューベルト(Schubert)/ミニョン“あの国を御存知ですか”D. 321;ミニョンの歌“語れとおっしゃらないで”D. 877-2;ミニョンの歌“ただ憧れを知る者だけが”D. 877-4;ミニョンの歌“私をこのままの姿でいさせて”D. 877-3;ますD. 550;はなだいこん(夜咲きすみれ)D. 752;夕映えの中でD. 799;笑ったり泣いたりD. 777;はじめての喪失D. 226;エレンの歌Ⅲ“アヴェ・マリア”D. 839

5月8日アンコール:野ばらD. 257(シューベルト);小さなものでも私たちを魅了できる(ヴォルフ);シルヴィアにD. 891(シューベルト);幸福D. 433(シューベルト)

アーメリングは1996年4月に来日してさよならコンサートを行ったが、売り切れで聴けなかった人がいたことからその翌年再来日して横浜と熊本でアンコール公演を行った。今回は前半をシューマンの歌曲が占め、後半は前回歌ったシューベルトの歌曲を中心に、「ます」「はなだいこん」があらたに加わっている(この年はちょうどシューベルト生誕200年だった)。私は横浜公演を聴きに行ったが、声の調子は前年よりもむしろ良かったように思えた。特別なコンサートという感覚は前回以上に希薄で、一貫して温かい雰囲気に満ちていたように記憶している。アンコールのうちの1曲でヴォルフの「イタリア歌曲集」の第1曲「小さなものでも私たちを魅了できる」が歌われたが、ドイツリートという小規模の芸術に一生を捧げた彼女の気持ちを代弁しているかのようだった。この後、演奏者として舞台に立つことはなかったが、マスタークラスの指導者として何度も来日しているようだ(私は1997年の公開講座を聴講して以降は出かけていないが)。

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シューマン「リーダークライス」Op. 24の録音

シューマンの歌曲集「リーダークライス(Liederkreis)」Op. 24の録音を、把握している範囲で声種の高い方から列記してみたい(未聴のものもあります)。

ブリギッテ・ファスベンダー(MS)アーウィン・ゲイジ(P):1984年10月録音:DG

ナタリー・ステュッツマン(A)インゲル・セデルグレン(P):1997年5月録音:RCA

イアン・ボストリッジ(T)ジュリアス・ドレイク(P):1997年7月録音:EMI CLASSICS

ペーター・シュライアー(T)ノーマン・シェトラー(P):1972年1月録音:BERLIN Classics

ペーター・シュライアー(T)クリストフ・エッシェンバハ(P):1988年録音:Teldec

ペーター・シュライアー(T)アンドラーシュ・シフ(P):2002年7月録音:ORFEO

オーラフ・ベーア(BR)ジェフリー・パーソンズ(P):1989年9月録音:EMI

トーマス・E・バウアー(BR)ウタ・ヒールシャー(P):2004年10月録音:NAXOS

シュテファン・ゲンツ(BR)クラール・テル・ホルスト(P):1996~1997年録音:Claves

マティアス・ゲルネ(BR)ヴラディーミル・アシュケナージ(P):1997年4月録音:DECCA

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR)ヘルタ・クルスト(P):1956年9月録音:EMI

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR)イェルク・デームス(P):1965年5月録音:DG

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR)クリストフ・エッシェンバハ(P):1974年1月録音:DG

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR)小林道夫(P):1974年10月17日ライヴ録音:TDK

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR)ハルトムート・ヘル(P):1991年5月ライヴ録音:ERATO

トマス・ハンプソン(BR)ヴォルフガング・サヴァリシュ(P):1994年10月録音:EMI

クリストファー・モルトマン(BR)グレアム・ジョンソン(P):2002年11~12月録音:Hyperion

ヘルマン・プライ(BR)レナード・ホカンソン(P):1971~1972年録音:PHILIPS

ヘルマン・プライ(BR)レナード・ホカンソン(P):1985年5月録音:DENON

アンドレーアス・シュミット(BR)ルドルフ・ヤンセン(P):1997年9月録音:hänssler

ボー・スコウフス(BR)ヘルムート・ドイチュ(P):1996年1月録音:SONY CLASSICAL

ジェラール・スゼー(BR)ドルトン・ボールドウィン(P):1956年4月録音:TESTAMENT

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歌曲投稿サイト「詩と音楽」への投稿

ココログのメンテナンスが終わり、さすがに入力が楽に出来るようになりました。

ところで、リンクさせていただいている「クラシック招き猫」が今月末で残念ながら休止となります。その関連サイトの「梅丘歌曲会館・詩と音楽」はこれまで甲斐さんと共同管理者だった藤井さんがお一人で管理して今後も継続されることになりました。甲斐さんには本当にお世話になりました。またいつか投稿の形ででも復帰されることをお待ちしております。

私は昨年11月にこのブログを立ち上げて以降、ブログ更新に手いっぱいで、「詩と音楽」サイトへの投稿はご無沙汰していたのですが、久しぶりに投稿して、本日サイトにアップしていただきました。よろしければご覧ください。

●メンデルスゾーン/もう一つの五月の歌(魔女の歌)

 更新情報

 訳詞・コメント

●ヴォルフ/湖上にて

 更新情報

 訳詞・コメント

●シューマン/歌曲集「リーダークライス」Op. 24(全9曲)

 更新情報

 訳詞・コメント:

 第1曲:朝起きると自問する

 第2曲:私をあちこちせき立てる

 第3曲:私は木々の下を歩いた

 第4曲:いとしい恋人よ、かわいい手を僕の心臓に置いてごらん

 第5曲:わが苦悩の美しいゆりかご

 第6曲:待て、待て、荒くれた船乗りよ

 第7曲:山や城は見下ろしている

 第8曲:はじめはほとんど落ち込みそうになり

 第9曲:愛らしくいとしいミルテやばらで

同時に管理人の藤井さんがショスタコーヴィチ、アイアランド、グリンカの投稿をされていますので、ぜひご覧ください。特にショスタコーヴィチの「日本の詩人の詩による6つの歌曲」の第4曲の詩人はこれまで不詳とされていたそうですが、藤井さんが詩人を突き止めました。音楽界の大発見だと思います。

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アーメリング日本公演曲目1996年

第11回来日:1996年4月

Ameling_baldwin_1996_44月5日(金)19:00 福岡シンフォニーホール
4月11日(木)19:00 紀尾井ホール
4月16日(火)19:00 イシハラホール(大阪)
4月23日(火)19:00 仙台青年文化センターコンサートホール

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●さよならコンサート 共演:ドルトン・ボールドウィン(P)

シューベルト(Schubert)/「ロザムンデ」~ロマンツェD. 797;孤独な男D. 800;泉のほとりの若者D. 300;水の上で歌うD. 774;戸外でD. 880;エレンの歌Ⅰ“憩え、兵士よ”D. 837;エレンの歌Ⅱ“狩人よ、狩を休んで”D. 838;エレンの歌Ⅲ“アヴェ・マリア”D. 839

~休憩~

シューベルト/ミニョン“あの国を御存知ですか”D. 321;ミニョンの歌“語れとおっしゃらないで”D. 877-2;ミニョンの歌“ただ憧れを知る者だけが”D. 877-4;ミニョンの歌“私をこのままの姿でいさせて”D. 877-3;月に寄せてD. 193;夕映えの中でD. 799;「ヴィラ・ベラのクラウディーネ」~恋はあらゆる道にあるD. 239-6;笑ったり泣いたりD. 777;はじめての喪失D. 226;子守歌D. 867

4月11日アンコール:至福D. 433(シューベルト);はなだいこんD. 752(シューベルト);歌の翼にOp. 34-2(メンデルスゾーン)

エリー・アーメリング(Elly Ameling)は、1995年のアメリカ公演を皮切りに世界各国でさよならコンサートを開き、故郷オランダでの1996年1月のコンサートをもって日本以外でのコンサートを締めくくった。まだ早いという声の寄せられる中、彼女の信念は変わらなかったという。1996年4月23日の仙台公演が、彼女の引退コンサートツアーの最後となった。ピアニストは、前回公演まで4回連続で同行したルドルフ・ヤンセンではなく、1980年代前半まで緊密な関係を築いてきたドルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)であった。私は4月11日の紀尾井ホール公演を聴いたが、コンサートは引退公演ということを忘れてしまうほど淡々といつものアーメリングの歌が進んでいった。確かに声のコントロールは以前のような完璧さではなかったが、声の美しさ、温かさは相変わらず保たれていた。まだ熟れ過ぎない状態のうちに一線を離れるというのは彼女の美学なのかもしれない。お得意のシューベルトのみによるプログラムは、エレンの歌やミニョンの歌を揃えたり、水に因んだ曲や夕暮れ・夜の曲を並べたりと、彼女らしい配慮は相変わらずである。私はこれが最後だと思うと本当にどの歌声も聴き漏らしたくないというほど集中して聴く意気込みだったが、何の気負いもない彼女の演奏は普段のコンサートと殆ど変わらず、正規のプログラムが終わっても涙や感傷とは全く無縁のさばさばしたものであった。NHKからの録画伺いを辞退したという彼女の気持ちを察すると我々が感じる以上に自ら引き際を感じていたのだろう。アンコールで彼女のトレードマークのような「至福」が聴けて、彼女にどれほど至福の時を与えてもらったことか、ただ感謝の気持ちのみであった。アーメリングはこの時の雑誌のインタビューで「もう歌わないと決めるとまた歌いたくなるところはありますね。どこか小さな町でこっそり歌うかも」というようなことを言っていたが、幸いそれが実現するのである。

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歌手なしの歌曲集:アーウィン・ゲイジ

アメリカ人歌曲ピアニスト、アーウィン・ゲイジ(Irwin Gage)は1939年9月4日、Clevelandでハンガリー人の父とロシア人の母の間に生まれた。ミシガン大学、イェール大学で学んだ後、ヴィーンでエリック・ヴェルバなどに師事、詩への強い関心が彼を歌曲の世界に引き入れた。1973年にはクラウディオ・アッバード指揮ヴィーン・フィルと共演して「ソリスト」デビューしたが、彼の本領は言うまでもなく歌曲である(一度、アライサのリサイタルの途中でロッシーニの短いピアノソロ曲の演奏を聴かせてくれたことがある)。例えばジェフリー・パーソンズやヘルムート・ドイチュが歌曲と器楽曲のどちらをも活動の場に含めているのに対して、ゲイジは完全に歌曲専門のようだ。彼の共演者リストのごく一部を見るだけでもいかに歌手たちの信頼が厚いかが窺える。アーメリング、オージェー、グルベローヴァ、ヤノヴィツ、ノーマン、ポップ、ファスベンダー、C.ルートヴィヒ、アライサ、コロ、シュライアー、F=ディースカウ、クラウセ、プライ…、綺羅星のような豪華な面子である。さらに彼の子供のような若い世代の共演者たち(シェーファー、ヘンシェルなど)も加わり、現在も演奏や教育活動を続けている。

そんなゲイジがかつて"LIEDER without singer"というタイトルで、シューベルト、ブラームス各1枚の録音を出している。タイトル通り、歌曲を歌手抜きで演奏しようというものである。こういうと、リストなどの独奏用トランスクリプションを思い浮かべてしまうが、この録音では作曲者の作った歌曲のピアノパートに全く手を加えず、そのまま演奏しているのである。同様の録音をジョン・ウストマンやイェルク・デームスなども出していたが、彼らのCDはカラオケという用途を前面に押し出した、練習用録音であった。それに比べて、このゲイジの録音はカラオケを意図したものではない。例えばブラームスの「墓地で」をこの演奏に合わせて歌おうとしても待ってくれない箇所があることに気付くだろう。ここで彼は歌曲のピアノパートだけを「鑑賞」の対象として提示してくるのである。実際聴いてみると、自分でピアノパートのみを楽譜を見ながら弾いて楽しむ感覚が思い出されてきた(もちろん私などと比較するのはおこがましいほどの超一流の演奏だが)。ゲイジは思ったほど濃い味付けはしない。歌手と一体になった形を知り尽くした人による演奏は、歌手がいなくても「ピアノ曲」ではなく「歌曲」として演奏する。例えば「糸車に向かうグレートヒェン」では、詩の情景と主人公の心理描写のリンクした細かい音型が剥き出しにされる。それは歌とピアノとの共演という従来馴染んだ形と比較すると最初は何か足りない感覚がする。しかし、聴き進むうちに一つの「無言歌」となる。核となる旋律が無いまま音楽は展開していき、そこにシューベルトがどれほどの役割を与えているのかが見えてくる。ゲイジが目指したのはそういう感覚ではないか。それに比べると2曲目の「夕星」はもともとピアノ高声部が歌声部をそのままなぞるため、ゲイジは歌手とピアニストの一人二役を披露することになる。

シューベルト(Schubert)/糸車に向かうグレートヒェンD. 118;夕星D. 806;セレナーデD. 957-4;ますD. 550;ばらD. 745;春の想いD. 686;春にD. 882;死と乙女D. 531;音楽に寄せてD. 547;はとの便りD. 965A;野ばらD. 257;ガニュメーデースD. 544;夕映えの中でD. 799;菩提樹D. 911-5;泉のほとりの若者D. 300;歌(シルヴィアに)D. 891;孤独な男D. 800(1984年2月Hamburg録音)

ブラームス(Brahms)/夜に跳ね起きてOp. 32-1;エオリアン・ハープにOp. 19-5;昔の恋Op. 72-1;五月の夜Op. 43-2;おお来たれ、やさしい夏の夜Op. 58-4;娘の歌Op. 85-3;きみの青い目Op. 59-8;子守歌Op. 49-4;使いOp. 47-1;墓地でOp. 105-4;なんとあなたは、わが女王よOp. 32-9;セレナーデOp. 106-1;野の孤独Op. 86-2;湖上でOp. 59-2;娘は語るOp. 107-3;甲斐なきセレナーデOp. 84-4;日曜日Op. 47-3;永遠の愛についてOp. 43-1(1984年2月Hamburg録音)

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アーメリング日本公演曲目1992年

第9回来日:1992年8月

8月20日(木)19:00 メルパルクホール(福岡)
8月25日(火)19:00 ザ・シンフォニー・ホール(大阪)
8月28日(金)19:00 東京芸術劇場

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●アジア・ユース・オーケストラ・コンサート 共演:諏訪内晶子(VLN);アジア・ユース・オーケストラ;ルーカス・フォス(C)

武満徹(Takemitsu)/鳥は星形の庭に降りる

バッハ(Bach)/ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調BWV 1042

~休憩~

マーラー(Mahler)/交響曲第4番ト長調

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第10回来日:1992年11月

Ameling_1992_japan11月21日(土)19:00 上越文化会館(リサイタルA)
11月24日(火)19:00 府中の森芸術劇場ウィーンホール(リサイタルB)
11月26日(木)19:00 津田ホール(リサイタルA)
11月28日(土)18:00 昭和女子大学人見記念講堂(リサイタルB)
11月30日(月)19:00 津田ホール(リサイタルB)

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●リサイタルA 共演:ルドルフ・ヤンセン(P)

シューベルト(Schubert)/春にD. 882;春の想いD. 686;はなだいこんD. 752;笑って、泣いてD. 777;エルラフ湖D. 586;水の上で歌うD. 774;娘の嘆きD. 191;恋人の近くD. 162;アマーリアD. 195;娘D. 652;若い尼僧D. 828

~休憩~

シューベルト/憧れ“ただ憧れを知る者だけが”D. 310;リアーネD. 298;ミノーナD. 152;イーピゲネイアD. 573;ガニュメデスD. 544;ギリシャの神々D. 677;ムーサの息子(ミューズの子)D. 764

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※11月26日津田ホールでのアンコール
シューベルト(Schubert)/アヴェ・マリアD839
シューベルト/幸福D433
シューベルト/ナイチンゲールにD497

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●リサイタルB 共演:ルドルフ・ヤンセン(P)

モーツァルト(Mozart)/別れの歌K. 519;ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いた時K. 520
ハイドン(Haydn)/さすらい人
モーツァルト/すみれK. 476
ハイドン/彼女は恋を語らなかった
モーツァルト/クローエにK. 524

ブラームス(Brahms)/「マゲローネのロマンス」~別れはなければならないものなのかOp. 33-12;あなたの青い目Op. 59-8;私たちは歩き回ったOp. 96-2;狩人Op. 95-4;「マゲローネのロマンス」~憩え、かわいい恋人よOp. 33-9;甲斐なきセレナーデOp. 84-4

~休憩~

プランク(Poulenc)/「くじびき」;矢車菊;C

ヴォルフ(Wolf)/ねえ、あなたなの、素敵な方;飽くことのない愛;捨てられた娘;フィリーネ;ミニョン“あの国を御存知ですか”

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※11月24日府中でのアンコール
モーツァルト/警告(男たちはいつもつまみ食いしたがる)K433
中田喜直(Nakada)/おやすみなさい
メンデルスゾーン(Mendelssohn)/歌の翼にOp. 34-2

※11月30日津田ホールでのアンコール
ハイドン/別れの歌
中田喜直/おやすみなさい
モーツァルト/警告(男たちはいつもつまみ食いしたがる)K433
ショソン(Chausson)/ハチドリOp. 2-7

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1992年はアーメリング(Elly Ameling)が唯一年に2回来日した年である。ルーカス・フォス(Lukas Foss)指揮アジア・ユース・オーケストラの独唱者として、アジア各国をめぐり、最終公演となった日本で3回マーラーの交響曲第4番第4楽章を歌っている。彼女は1967年12月にハイティンク指揮コンセルトヘボウ管(PHILIPS)と、1978年5月にプレヴィン指揮ピッツバーグ響(EMI)と録音を残しており、お得意のレパートリーである。しかし、池袋の天井桟敷で聴いた演奏は、彼女の実演に接してきた中で唯一残念な思い出となった。東京芸術劇場は、59歳の彼女の声にとってあまりにも大きすぎた。

それに比べて、適切な広さのホールで歌った秋の2種類のリサイタルは、レパートリーといい、純度の失われていない美しい声や表現といい、彼女の演奏を心ゆくまで満喫できた。リサイタルAはオール・シューベルトで、お得意の曲のほかに、1989年のハイペリオンへの録音で新たに加わったレパートリー(「憧れ」「リアーネ」「ミノーナ」)も早速披露された。特に「ミノーナ(Minona)」は10分以上かかるバラードで、なかなか耳に出来ない作品だが、彼女の巧妙な語りで聴くと、決して駄作ではないことが分かる。緊張感の持続した演奏で聴くと10分があっという間に過ぎていくのである。プログラムの前半は春と自然、若い女性の気持ちを歌ったもの、後半は1815年作曲の珍しい3曲に続き、最後のブロックはギリシャ神話に因んだ作品で締めくくっている。リサイタルBは、録音でも定評のあるハイドンとモーツァルトを交互に並べたブロックではじまり、1990年に録音されたレパートリーも含まれたブラームス6曲で前半を締めくくり、後半はプランクの愛嬌のある歌曲集「くじびき」と戦争の傷跡を刻んだ2曲、最後はヴォルフのスペイン、メーリケ、ゲーテ歌曲集から5曲という内容である。声のコントロールに若干苦心しているところもあったものの、全体的にとても満足できる演奏だったように記憶している。選曲も相変わらず意欲的で、新しい側面を惜しげもなく披露してくれたと思う。プランク(プーランク)の「矢車菊」「C」だけは彼女の録音で聴くことが出来ない。

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