F=ディースカウ/メンデルスゾーン歌曲集
フェーリクス・メンデルスゾーン(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn-Bartholdy:1809年2月3日Hamburg-1847年11月4日Leipzig)の歌曲というと「歌の翼に」のみがよく知られているぐらいで、ほかにしいて挙げれば「新しい恋」「挨拶」「ヴェネツィアの舟歌」などがたまに歌われるぐらいだろうか。しかし、彼の歌曲の世界は宝石箱のようだ。簡素な作品が多いが、歌の旋律は実に魅力に富み、ピアノの響きも単なる伴奏からは得られない染み入るような味わいを持っている。
最近、F=ディースカウの歌った「メンデルスゾーン歌曲集」全2巻が国内盤として廉価で復活した。ピアノはリートの演奏でも超一流の指揮者、ヴォルフガング・サヴァリシュである。以前輸入盤としては2枚組で出ていたが、今回は2枚がばら売りである。F=ディースカウは歌のスタイルを保ちながら、一語一語に息を吹き込み、隅々まで行き届いた表現力でそれぞれの歌がもつ魅力を最大限に引き出している。「歌の翼に」など、彼としては珍しいぐらいたっぷりした情感をこめて美しいメロディーに寄り添った歌を聴かせている。サヴァリシュは引き締まったテンポ感覚といい、テクニックといい、歌とのバランスといい、そして作品の解釈といい、最高のメンデルスゾーン演奏を披露してくれる。このコンビの最高の録音の一つではないか。
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Dietrich Fischer-Dieskau(BR);Wolfgang Sawallisch(P)
録音:1970年9月8、10、13、15日、Studio Zehlendorf, Berlin
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メンデルスゾーン歌曲集第1巻:東芝EMI:TOCE-13315
新しい恋Op. 19a-4;挨拶Op. 19a-5;歌の翼にOp. 34-2;旅の歌Op. 34-6;朝の挨拶Op. 47-2;夜ごとの夢にOp. 86-4;春の歌Op. 47-3;遠く離れた人にOp. 71-3;あしの歌Op. 71-4;旅立ちに際してOp. 71-5;恋歌Op. 47-1;春の歌Op. 19a-1;初すみれOp. 19a-2;旅の歌Op. 19a-6;冬の歌Op. 19a-3;恋歌Op. 34-1;おお青春よOp. 57-4;私は木蔭に横たわっているOp. 84-1;刈り入れの歌Op. 8-4;民謡Op. 47-4
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メンデルスゾーン歌曲集第2巻:東芝EMI:TOCE-13316
さすらいの歌Op. 57-6;夜の歌Op. 71-6;森の城;小姓の歌;春の歌Op. 34-3;ゆりかごのそばでOp. 47-6;木の葉が聞き耳を立てていたOp. 86-1;慰めOp. 71-1;狩の歌Op. 84-3;ふたつの心が離れる時Op. 99-5;月Op. 86-5;ヴェネツィアの舟歌Op. 57-5;花冠;最初の喪失Op. 99-1;魔女の歌Op. 8-8;ラインへの警告;古いドイツの歌Op. 57-1;羊飼いの歌Op. 57-2;眠りやらぬ眼のともしび;別れ行きつつOp. 9-6
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主な曲について
●もう一つの五月の歌(魔女の歌)(Andres Maienlied (Hexenlied))Op. 8-8:ルートヴィヒ・ヘルティ(Ludwig Christoph Heinrich Hölty)の詩:ト短調:8分の6拍子:Allegro vivace:3節の変形有節形式:メンデルスゾーンの歌曲の中で、最もドラマティックな曲。ピアノはトレモロや急速な分散音型、さらに低声部のうなりのような音型が魔女たちの狂宴を見事に描写する。タイトルの「もう一つの五月の歌」とは、Op.8-7が「五月の歌」(詩人は別)で、それに対して「もう一つの」と付けられているようだが、アーウィン・ゲイジによると、「もう一つの五月」とは人間社会ではない「魔女の世界の五月」をあらわしていると言っていた。こういう解釈もありだと思う。:「つばめが飛び、春が勝利の声をあげると、花環にする花をもたらしてくれる。ワタシタチはそっと扉を出て、華やいだダンスをしに飛んでいく。火のドラゴンが屋根の上を飛び回り、ワタシタチにバターや卵をくれるのよ。近所の人たちは火花が飛ぶのが見えて火の前で十字を切っているわ。」
●新しい恋(Neue Liebe)Op. 19a-4:ハイネ(Heinrich Heine)の詩:嬰ヘ短調:4分の4拍子:Presto:有節形式に近い通作形式:妖精が馬を駆る様子を模したかのようなリズミカルな12小節の前奏に続いて、早口で歌われる。:「かつて森の月明かりの中、妖精たちが馬を駆っているのを見た。妖精の女王が私の横を通るとき、微笑みながらうなずいた。これは新しい恋なのか、それとも死を意味するのだろうか。」
●挨拶(Gruss)Op. 19a-5:ハイネの詩:ニ長調:4分の2拍子:Andante:2節の有節形式:ゆったりしたピアノ右手の主音連打に乗って優美な旋律が流れる。15小節の短い曲。:「静かに私の心を愛らしい鐘の音が通っていく。小さな春の歌よ、遠方まで響き渡れ。すみれの花ほころびるあの家まで響かせよ。ばらを見かけたら私からの挨拶を伝えておくれ。」
●歌の翼に(Auf Flügeln des Gesanges)Op. 34-2:ハイネの詩:変イ長調:8分の6拍子:Andante tranquillo:3節の変形有節形式:分散和音のピアノに乗って、美しいメロディーが一貫して流れる。各節途中でよぎる陰がアクセントになっている。器楽曲に編曲されるほどきわめて有名な作品。:「歌の翼にのせて君をガンジス川のほとりに連れて行こう。そこにある素晴らしい場所を知っているんだ。そこの棕櫚の木の下に腰掛け、愛とやすらぎを飲みこみ、幸せな夢を見ようよ。」
●春の歌(Frühlingslied)Op. 47-3:ニーコラウス・レーナウ(Nikolaus Lenau)の詩:変ロ長調:8分の9拍子:Allegro assai vivace:わずかな変化をもった3節の有節形式:数曲ある「春の歌」と題された彼の歌曲の中で最も知られた作品。急速な分散和音と、非分散和音を交代させながら、湧き上がる春の喜びを表現した曲。第3節のみ「Der die Seele hielt bezwungen(心を抑えつけたままの[冬の悲しみの中で])」の箇所でリタルダンド記号があらわれ、旋律ではなく、速度で詩の内容を反映させようとしているのが興味深い。:「暗い森の中を、やさしい春の朝の時が通る。森を通り、天からかすかな愛の知らせが吹き渡る。緑の木は幸せを感じつつ耳を澄ませ、あらゆる枝で浸っている。心を抑えつけたままの冬の悲しみの中で、おまえのまなざしが静かに温かく春の力で私の中に入り込んできた。」
●ヴェネツィアの舟歌(Venetianisches Gondellied)Op. 57-5:トマス・ムーア(Thomas Moore)の原詩による:ロ短調:8分の6拍子:Allegro non troppo:通作形式:舟歌にお馴染みの8分の6拍子のリズムで揺れるようなピアノの上を優美で憂いを帯びたメロディーが耳に残る。シューマンが同じ原詩(訳は若干異なる)による明るい歌曲を作っている。:「広場を夕風が渡るとき、分かっているね、ニネッタ、だれがここで佇み待っているのか。ぼくは船乗りの服に身をつつみ、震えながらきみに言うのだ「ボートは用意してあるよ」と。さあ、おいで、月を雲が隠しているうちに。潟を通って、恋人よ、逃げよう。」
●葦の歌(Schilflied)Op. 71-4:ニーコラウス・レーナウの詩:嬰ヘ短調:8分の6拍子:Andante con moto:通作形式:ほの暗いピアノの分散和音の上を美しい旋律が歌われる。曲の最後に恋人の思い出がよぎる箇所で明るくなり、甘美な表情で終わる。:「動きひとつない池の上に月のやさしい輝きがとどまっている、そのほの白い光を葦の緑の花環に編みこみながら。泣きながら私は視線を落とさずにいられない。もっとも深いところにある心の中を甘い君の思い出がよぎるのだ、静かな夜の祈りのように。」
●夜の歌(Nachtlied)Op. 71-6:アイヒェンドルフ(Josef Freiherr von Eichendorff)の詩:変ホ長調:4分の2拍子:Adagio:A-A-B形式:静かな中に深い思いのこもった感動的な歌。ピアノ・バス声部をシンコペーションにしてわずかに動きを与えている。:「明るい昼は過ぎた。遠方から鐘の音が聞こえる。こうして時は夜の間、旅を続け、思ってもみない多くのものを取り去ってしまう。鮮やかな喜びはどこにいった?友人の慰めや誠実な胸のうち、恋人のかわいい容姿は?私と共に目覚めているものはないのか?さあ、元気を出そうよ、いとしいナイティンゲールよ、明るい響きの滝よ、共に神をたたえよう、明るい朝が輝くまで。」
●月(Der Mond)Op. 86-5:エマーヌエル・ガイベル(Emanuel Geibel)の詩:ホ長調:4分の3拍子:Andante:2節の変形有節形式(第2節は拡大されている):右手と左手のずれたリズムが一貫するピアノに乗って、歌は同音反復の多い旋律ではじまり、下降音型で締めくくる。下降音型最後の4音が半音階で降りてくるのが印象的である。:「私の心は、すべての梢がざわめく暗い夜のようだ。その時、月が輝きに満ちて雲間からそっと昇ると、ほら!森が押し黙り、深く聞き耳を立てているよ。きみは愛に満ち溢れた明るい月なのだ。天のやすらぎに満ち溢れた一瞥を私に投げかけておくれ、ほら!この荒れ狂った心が静まっているよ。」
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