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シューマン作曲史

ローベルト・シューマン(Robert Schumann)が一時期に特定のジャンルに集中して作曲することは前回の記事に記したが、いつごろ、どの曲を作曲したのか年代順に列記するとはっきりするのではないかと思い、試みてみたい。

1829-1830 アベック変奏曲Op.1(P独奏)

1829-1831 蝶々Op.2(P独奏)

1832 パガニーニの奇想曲による練習曲Op.3(P独奏)

1832-1833 クララ・ヴィークの主題による即興曲Op.5(P独奏)

1832-1835 ピアノ・ソナタ第1番嬰ヘ短調Op.11(P独奏)

1833-1835 謝肉祭Op.9(P独奏)

1833-1838 ピアノ・ソナタ第2番ト短調Op.22(P独奏)

1835-1836 ピアノ・ソナタ第3番ヘ短調Op.14(P独奏)

1836-1838 幻想曲ハ長調Op.17(P独奏)

1837 ダヴィット同盟舞曲集Op.6(P独奏)
   幻想小曲集Op.12(P独奏)
   交響的練習曲Op.13(1852、1861年改訂)(P独奏)

1838 子供の情景Op.15(P独奏)
   クライスレリアーナOp.16(1850年改訂)(P独奏)
   8つのノヴェレッテOp.21(P独奏)

1838-1839 アラベスク ハ長調Op.18(P独奏)

1839 花の曲Op.19(P独奏)
   4つの夜曲Op.23(P独奏)
   3つのロマンスOp.28(P独奏)

1840 主要な独唱歌曲の大半(「リーダークライスOp.24/Op.39」「ミルテOp.25」「女の愛と人生Op.42」「詩人の恋Op.48」など)
   ヴィーンの謝肉祭の道化芝居Op.26(P独奏)

1841 交響曲第1番変ロ長調「春」Op.38
   交響曲第4番ニ短調Op.120(1851改訂)

1841-1845 ピアノ協奏曲イ短調Op.54

1842 弦楽四重奏曲第1~3番Op.41-1~3
   ピアノ五重奏曲変ホ長調Op.44

1844-1853 ゲーテのファウストからの場面

1845-1846 交響曲第2番ハ長調Op.61

1847-1850 歌劇「ゲノフェーファ」Op.81

1847-1851 ピアノ三重奏曲第1~3番Op.63、80、110

1848 東洋の絵Op.66(P連弾)

1848-1849 森の情景Op.82(P独奏)
      付随音楽「マンフレット」Op.115

1849 幻想小曲集Op.73(HRN,P)
   「ヴィルヘルム・マイスター」によるリートとゲザング、およびミニョンのためのレクイエムOp.98
   「スペインの歌芝居」Op.74
   「ミンネシュピール(愛の戯れ)」Op.101
   「スペインの愛の歌」Op.138
   多数の無伴奏合唱曲

1850 交響曲第3番変ホ長調「ライン」Op.97
   チェロ協奏曲イ短調Op.129

1851 ヴァイオリン・ソナタ第1&2番Op.105&121

1853 おとぎ話Op.132(CL,VLA,P)

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シューマンの作曲

今年没後150年を迎えたシューマン(Robert Schumann:1810.6.8, Zwickau-1856.7.29, Endenich)が一時期に特定のジャンルを集中的に作曲したことはよく知られている。クラーラと恋に落ち、彼女の父でシューマンのピアノ教師だったフリードリヒ・ヴィークに交際を猛反対され、それでも交際を続け、ついに裁判まで起こした時期にはピアノ曲が集中的に作曲された。裁判を重ね、ついに結婚が認められた1840年はシューマンの「歌の年」で、独唱歌曲が120曲以上(全歌曲の半分にあたる)作られた。そしてその翌年からは交響曲など器楽曲の比重が高くなっていく。喜多尾道冬氏の解説によると、シューマンは歌の年の前年まで「リートの作曲は器楽曲のそれに劣り、すぐれた芸術とは思えない」と言っていたそうだが、歌曲を集中的につくりはじめてから「歌を作るとはなんてすてきなことだろう。そのよろこびを長いこと忘れていた」とクラーラに書き送っている。さらに「それは指を通して鳴らすような音楽とはまったくちがって、もっと直接的で、もっとメロディに満ちている」と言っている。指を通して鳴らすピアノ曲から、より直接的に気持ちを伝えることの出来る歌曲というジャンルに移っていったのは、多くの障害を克服していくことでより燃え上がるクラーラへの想いを反映しているのだろう。

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アーメリング日本公演曲目1989年

第8回来日:1989年

エリー・アメリング(Elly Ameling) (S)
ルドルフ・ヤンセン(Rudolf Jansen) (P)

Ameling_1989_japan10月31日(火)18:30 津リージョンプラザ(リサイタルA)
11月3日(金)19:00 サントリーホール(リサイタルA)
11月5日(日)15:00 ノバホール(筑波)(リサイタルA)
11月6日(月)19:00 ザ・シンフォニー・ホール(大阪)(リサイタルA)
11月9日(木)19:00 長野県伊那文化会館(リサイタルA)
11月11日(土)19:00 藤沢市民会館(リサイタルA)
11月14日(火)19:00 津田ホール(リサイタルB)

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●リサイタルA 共演:ルドルフ・ヤンセン(P)

ドビュッシー(Debussy)/「3つのビリティスの歌」(パンの笛/髪/水の精(ナイヤード)の墓)
ドビュッシー/「ステファーヌ・マラルメの3つの詩」(ため息/むなしい願い/扇)
ドビュッシー/「華やかな饗宴第1集」(ひめやかに/操り人形/月の光)

ラヴェル(Ravel)/「5つのギリシャ民謡集」(花嫁のめざめ/向うの教会で/どの男が/乳香を集める女の歌/なんと楽しい)

~休憩~

ヴォルフ(Wolf)/「スペイン歌曲集」より~憎々し気な眼つきでぼくを見ようと;わたしを花でつつんでね;さあ、もう行くときよ、いとしいひと!;棕櫚の樹をめぐって飛ぶものたち;罪を負い、辛苦のはてにわたしは来ました

ロドリーゴ(Rodrigo)/ポプラの林に行ってきた
オブラドルス(Obradors)/いちばん細い髪の毛で
グァスタビーノ(Guastavino)/バラと柳
トゥリーナ(Turina)/カンターレス
グラナードス(Granados)/控え目なだて男

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※11月11日藤沢でのアンコール
シューベルト(Schubert)/ハナダイコンD752
シューベルト/幸福D433
メンデルスゾーン(Mendelssohn)/歌の翼にOp. 34-2

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●リサイタルB「ゲーテに寄せて」 共演:ルドルフ・ヤンセン(P)

ベートーヴェン(Beethoven)/五月の歌Op. 52-4;悲しみの喜びOp. 83-1
モーツァルト(Mozart)/すみれK. 476
シューベルト(Schubert)/遠く離れた彼女にD. 765
レーヴェ(Loewe)/釣り人Op. 43-1
シューマン(Schumann)/ズライカの歌Op. 25-9
ヴォルフ(Wolf)/私がユーフラテス川を舟で渡っていたとき
シューベルト/ズライカⅡD. 717
レーヴェ/「ファウスト」からの場面Op. 9-9-1
シューベルト/糸車に向かうグレートヒェン(糸を紡ぐグレートヒェン)D. 118

~休憩~

ヴォルフ/アナクレオンの墓
メンデルスゾーン(Mendelssohn)/恋する娘が手紙を書くOp. 86-3
ブラームス(Brahms)/黄昏が上方より下り来てOp. 59-1
リスト(Liszt)/喜びにあふれ、苦しみに満ちS. 280
ヴォルフ/つれない娘
シューマン/悲しい音色で歌わないでOp. 98a-7;話せと言わないでくださいOp. 98a-5
シューベルト/ただ憧れを知る者だけがD. 877-4;私をこのままにさせてくださいD. 877-3
ヴォルフ/ミニョン“あの国を御存知ですか”

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※11月14日津田ホールでのアンコール(すべてゲーテの詩による)
シューベルト/ジングシュピール「ベラ荘のクラウディーネ」D239~恋はいたるところに
シューベルト/悲しみの喜びD260
シューベルト/ムーサの息子(ミューズの子)D764

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アーメリング8回目の来日は、56歳の1989年のことで、ちなみに同じ年にはハイペリオン・レーベルに「シューベルト・エディション第7巻」を録音している。この時はプログラムAを全国で披露し、津田ホールのためだけにゲーテの詩による作品による別プログラムを用意したという感じである。リサイタルAはとても意欲的な選曲で、前半をドビュッシーの代表的な歌曲集3つとラヴェルの「ギリシャ民謡集」、後半はスペインの詩のドイツ語訳によるヴォルフの「スペインの歌の本」から5曲、それに続き、スペイン歌曲5曲(いずれも彼女の十八番)でしめくくるという内容である。前半、後半ともに通好みの作品から、親しみやすい作品に移るように配列されており、アーメリングらしい気遣いと同時にレパートリーの幅の広さも印象づけられる。私は藤沢で聴いたが、ヴォルフまでは聴衆の反応もいまいちで、曲の難解さに戸惑っている感があったが、最後のバラエティに富んだ、親しみやすいスペイン歌曲のプロックでようやく距離が縮まったという様子だったのを覚えている。ただ、私個人としてはドビュッシーの名作3つや、当時彼女の録音がまだリリースされていなかったヴォルフなど、食い入るように舞台上の歌唱に耳を澄ませて、珍しい作品の実演に接することの出来た幸運を充分に満喫した思い出がある。鮮やかな青いドレスに身を包んだアーメリングの声はまだ充分に美しく、誠実で丁寧な曲へのアプローチは好感のもてるものだった。このAプロのレパートリーで録音が残されなかったのはトゥリーナ「カンターレス」だけである。

一方、ゲーテの詩による津田ホールのみのリサイタルBは、私が聴いた彼女の実演の中でもトップに挙げたいぐらい素晴らしいものだった。彼女の録音で聴けない曲が4曲もある(「五月の歌」「「ファウスト」からの場面」「喜びにあふれ、苦しみに満ち」「つれない娘」)というのも、ベテランの域に達してなお、新しいレパートリーの開拓に意欲を見せていた証だろう。レーヴェやリストの珍しい作品に接することの出来た喜びもあり、ブラームスの知られざる傑作を発見できた喜びもあったが、このコンサートの白眉は前半最後の「糸車に向かうグレートヒェン」だった。ここで歌われた歌は従来のアーメリングへの一般的なイメージを覆すに充分なものだった。まさにグレートヒェンが乗り移ったかのような壮絶な想いの表出があった。同様に後半最後のヴォルフ「あの国を御存知ですか」は、いつになくドラマティックで豊満な歌声が、同様に劇的かつ繊細な演奏を聴かせたヤンセンと共に会場を満たした。せめてライヴ録音でもされていれば、この感動を再体験できたのだが、その望みはかなわず、心の奥底にひっそりよき思い出を残すのみである。

Ameling_1989_fujisawa_chirashi

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F=ディースカウ/メンデルスゾーン歌曲集

フェーリクス・メンデルスゾーン(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn-Bartholdy:1809年2月3日Hamburg-1847年11月4日Leipzig)の歌曲というと「歌の翼に」のみがよく知られているぐらいで、ほかにしいて挙げれば「新しい恋」「挨拶」「ヴェネツィアの舟歌」などがたまに歌われるぐらいだろうか。しかし、彼の歌曲の世界は宝石箱のようだ。簡素な作品が多いが、歌の旋律は実に魅力に富み、ピアノの響きも単なる伴奏からは得られない染み入るような味わいを持っている。

Mendelssohn_20060619 最近、F=ディースカウの歌った「メンデルスゾーン歌曲集」全2巻が国内盤として廉価で復活した。ピアノはリートの演奏でも超一流の指揮者、ヴォルフガング・サヴァリシュである。以前輸入盤としては2枚組で出ていたが、今回は2枚がばら売りである。F=ディースカウは歌のスタイルを保ちながら、一語一語に息を吹き込み、隅々まで行き届いた表現力でそれぞれの歌がもつ魅力を最大限に引き出している。「歌の翼に」など、彼としては珍しいぐらいたっぷりした情感をこめて美しいメロディーに寄り添った歌を聴かせている。サヴァリシュは引き締まったテンポ感覚といい、テクニックといい、歌とのバランスといい、そして作品の解釈といい、最高のメンデルスゾーン演奏を披露してくれる。このコンビの最高の録音の一つではないか。

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Dietrich Fischer-Dieskau(BR);Wolfgang Sawallisch(P)

録音:1970年9月8、10、13、15日、Studio Zehlendorf, Berlin

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メンデルスゾーン歌曲集第1巻:東芝EMI:TOCE-13315

新しい恋Op. 19a-4;挨拶Op. 19a-5;歌の翼にOp. 34-2;旅の歌Op. 34-6;朝の挨拶Op. 47-2;夜ごとの夢にOp. 86-4;春の歌Op. 47-3;遠く離れた人にOp. 71-3;あしの歌Op. 71-4;旅立ちに際してOp. 71-5;恋歌Op. 47-1;春の歌Op. 19a-1;初すみれOp. 19a-2;旅の歌Op. 19a-6;冬の歌Op. 19a-3;恋歌Op. 34-1;おお青春よOp. 57-4;私は木蔭に横たわっているOp. 84-1;刈り入れの歌Op. 8-4;民謡Op. 47-4

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メンデルスゾーン歌曲集第2巻:東芝EMI:TOCE-13316

さすらいの歌Op. 57-6;夜の歌Op. 71-6;森の城;小姓の歌;春の歌Op. 34-3;ゆりかごのそばでOp. 47-6;木の葉が聞き耳を立てていたOp. 86-1;慰めOp. 71-1;狩の歌Op. 84-3;ふたつの心が離れる時Op. 99-5;月Op. 86-5;ヴェネツィアの舟歌Op. 57-5;花冠;最初の喪失Op. 99-1;魔女の歌Op. 8-8;ラインへの警告;古いドイツの歌Op. 57-1;羊飼いの歌Op. 57-2;眠りやらぬ眼のともしび;別れ行きつつOp. 9-6

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主な曲について

●もう一つの五月の歌(魔女の歌)(Andres Maienlied (Hexenlied))Op. 8-8:ルートヴィヒ・ヘルティ(Ludwig Christoph Heinrich Hölty)の詩:ト短調:8分の6拍子:Allegro vivace:3節の変形有節形式:メンデルスゾーンの歌曲の中で、最もドラマティックな曲。ピアノはトレモロや急速な分散音型、さらに低声部のうなりのような音型が魔女たちの狂宴を見事に描写する。タイトルの「もう一つの五月の歌」とは、Op.8-7が「五月の歌」(詩人は別)で、それに対して「もう一つの」と付けられているようだが、アーウィン・ゲイジによると、「もう一つの五月」とは人間社会ではない「魔女の世界の五月」をあらわしていると言っていた。こういう解釈もありだと思う。:「つばめが飛び、春が勝利の声をあげると、花環にする花をもたらしてくれる。ワタシタチはそっと扉を出て、華やいだダンスをしに飛んでいく。火のドラゴンが屋根の上を飛び回り、ワタシタチにバターや卵をくれるのよ。近所の人たちは火花が飛ぶのが見えて火の前で十字を切っているわ。」

●新しい恋(Neue Liebe)Op. 19a-4:ハイネ(Heinrich Heine)の詩:嬰ヘ短調:4分の4拍子:Presto:有節形式に近い通作形式:妖精が馬を駆る様子を模したかのようなリズミカルな12小節の前奏に続いて、早口で歌われる。:「かつて森の月明かりの中、妖精たちが馬を駆っているのを見た。妖精の女王が私の横を通るとき、微笑みながらうなずいた。これは新しい恋なのか、それとも死を意味するのだろうか。」

●挨拶(Gruss)Op. 19a-5:ハイネの詩:ニ長調:4分の2拍子:Andante:2節の有節形式:ゆったりしたピアノ右手の主音連打に乗って優美な旋律が流れる。15小節の短い曲。:「静かに私の心を愛らしい鐘の音が通っていく。小さな春の歌よ、遠方まで響き渡れ。すみれの花ほころびるあの家まで響かせよ。ばらを見かけたら私からの挨拶を伝えておくれ。」

●歌の翼に(Auf Flügeln des Gesanges)Op. 34-2:ハイネの詩:変イ長調:8分の6拍子:Andante tranquillo:3節の変形有節形式:分散和音のピアノに乗って、美しいメロディーが一貫して流れる。各節途中でよぎる陰がアクセントになっている。器楽曲に編曲されるほどきわめて有名な作品。:「歌の翼にのせて君をガンジス川のほとりに連れて行こう。そこにある素晴らしい場所を知っているんだ。そこの棕櫚の木の下に腰掛け、愛とやすらぎを飲みこみ、幸せな夢を見ようよ。」

●春の歌(Frühlingslied)Op. 47-3:ニーコラウス・レーナウ(Nikolaus Lenau)の詩:変ロ長調:8分の9拍子:Allegro assai vivace:わずかな変化をもった3節の有節形式:数曲ある「春の歌」と題された彼の歌曲の中で最も知られた作品。急速な分散和音と、非分散和音を交代させながら、湧き上がる春の喜びを表現した曲。第3節のみ「Der die Seele hielt bezwungen(心を抑えつけたままの[冬の悲しみの中で])」の箇所でリタルダンド記号があらわれ、旋律ではなく、速度で詩の内容を反映させようとしているのが興味深い。:「暗い森の中を、やさしい春の朝の時が通る。森を通り、天からかすかな愛の知らせが吹き渡る。緑の木は幸せを感じつつ耳を澄ませ、あらゆる枝で浸っている。心を抑えつけたままの冬の悲しみの中で、おまえのまなざしが静かに温かく春の力で私の中に入り込んできた。」

●ヴェネツィアの舟歌(Venetianisches Gondellied)Op. 57-5:トマス・ムーア(Thomas Moore)の原詩による:ロ短調:8分の6拍子:Allegro non troppo:通作形式:舟歌にお馴染みの8分の6拍子のリズムで揺れるようなピアノの上を優美で憂いを帯びたメロディーが耳に残る。シューマンが同じ原詩(訳は若干異なる)による明るい歌曲を作っている。:「広場を夕風が渡るとき、分かっているね、ニネッタ、だれがここで佇み待っているのか。ぼくは船乗りの服に身をつつみ、震えながらきみに言うのだ「ボートは用意してあるよ」と。さあ、おいで、月を雲が隠しているうちに。潟を通って、恋人よ、逃げよう。」

●葦の歌(Schilflied)Op. 71-4:ニーコラウス・レーナウの詩:嬰ヘ短調:8分の6拍子:Andante con moto:通作形式:ほの暗いピアノの分散和音の上を美しい旋律が歌われる。曲の最後に恋人の思い出がよぎる箇所で明るくなり、甘美な表情で終わる。:「動きひとつない池の上に月のやさしい輝きがとどまっている、そのほの白い光を葦の緑の花環に編みこみながら。泣きながら私は視線を落とさずにいられない。もっとも深いところにある心の中を甘い君の思い出がよぎるのだ、静かな夜の祈りのように。」

●夜の歌(Nachtlied)Op. 71-6:アイヒェンドルフ(Josef Freiherr von Eichendorff)の詩:変ホ長調:4分の2拍子:Adagio:A-A-B形式:静かな中に深い思いのこもった感動的な歌。ピアノ・バス声部をシンコペーションにしてわずかに動きを与えている。:「明るい昼は過ぎた。遠方から鐘の音が聞こえる。こうして時は夜の間、旅を続け、思ってもみない多くのものを取り去ってしまう。鮮やかな喜びはどこにいった?友人の慰めや誠実な胸のうち、恋人のかわいい容姿は?私と共に目覚めているものはないのか?さあ、元気を出そうよ、いとしいナイティンゲールよ、明るい響きの滝よ、共に神をたたえよう、明るい朝が輝くまで。」

●月(Der Mond)Op. 86-5:エマーヌエル・ガイベル(Emanuel Geibel)の詩:ホ長調:4分の3拍子:Andante:2節の変形有節形式(第2節は拡大されている):右手と左手のずれたリズムが一貫するピアノに乗って、歌は同音反復の多い旋律ではじまり、下降音型で締めくくる。下降音型最後の4音が半音階で降りてくるのが印象的である。:「私の心は、すべての梢がざわめく暗い夜のようだ。その時、月が輝きに満ちて雲間からそっと昇ると、ほら!森が押し黙り、深く聞き耳を立てているよ。きみは愛に満ち溢れた明るい月なのだ。天のやすらぎに満ち溢れた一瞥を私に投げかけておくれ、ほら!この荒れ狂った心が静まっているよ。」

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岩城宏之の「冬の旅」

指揮者、岩城宏之氏(いわきひろゆき:1932年9月6日-2006年6月12日)の著書を学生時代に図書館で拾い読みしたことがある(書名は失念してしまった)。あけっぴろげな文章が印象的だったように記憶する。彼は数々の病魔と闘いながら、今年も車椅子で舞台に立っていたそうだ。そんな彼の「冬の旅」の録音が残っている。音楽監督を務めるオーケストラ・アンサンブル金沢を振って、ヘルマン・プライ(Hermann Prey)が歌ったものである。このコンビでかつてDGにシューベルトのオーケストラ編曲歌曲集を録音した際、「冬の旅」からの数曲を鈴木行一(すずきゆきかず)が編曲したものをプライが気に入り、全曲の編曲を鈴木が担当することになったそうだ。プライ最晩年の歌であり、前のめりになりがちな彼特有のリズムに動じることもなく、岩城率いるオケの演奏は落ち着いたくすんだような響きでオリジナルのイメージを保ったまま安定した演奏を聴かせている(OEK自主制作:OEK-1001:1997年10月7日、MünchenのPrinzregententheaterでのライヴ録音)。鈴木の編曲はピアノパートで歌の対旋律を響かせる箇所など管楽器を使うことが多いようだが、変に浮き立たず、原曲の響きを裏切ることはない。「おやすみ(Gute Nacht)」のスタッカート気味のぽつぽつした連打は主人公の失意の歩みと同時に変わることなく降りつづける雪までイメージされる。「宿(Das Wirtshaus)」など弦の響きに強く引き込まれる。

ルーマニア生まれのハンガリー人作曲家、ジェルジ・リゲティ(György Sándor Ligeti:1923年5月28日-2006年6月12日)にも歌曲があるそうだ。「梅丘歌曲会館 詩と音楽」で藤井さんが投稿されているのでぜひご覧になってください。

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アーメリング日本公演曲目1987年

第7回来日:1987年

Ameling_1987_japan11月25日(水)19:00 神奈川県民ホール小ホール(リサイタルA)
11月29日(日)18:30 サントリーホール(リサイタルB)
12月1日(火)18:30 広島厚生年金会館(リサイタルC)
12月4日(金)19:00 ザ・シンフォニー・ホール(大阪)(リサイタルC)
12月6日(日)14:00 バロックザール(京都)(リサイタルA)
12月8日(火)19:00 サントリーホール(リサイタルC)
12月10日(木)18:45 ザ・ハーモニーホール(松本)(リサイタルC)

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●リサイタルA 共演:ルドルフ・ヤンセン(P)

シューマン(Schumann)/献呈Op. 25-1;はすの花Op. 25-7;くるみの木Op. 25-3

シューマン/歌曲集「女の愛と生涯」Op. 42(あの方にお会いして以来/あの方はすべての男性の中で一番すばらしい方/分からないわ、信じられないわ/私の指に光る指環よ/手伝って頂戴、妹たち/やさしい友よ、あなたは不思議そうに/私の心に、私の胸に抱かれた/いまあなたは私にはじめて苦しみをお与えになりました)

~休憩~

シューベルト(Schubert)/恋人のそばにD. 162;おとめの嘆きD. 191;アマーリアD. 195;おとめD. 652;若い尼D. 828

シューベルト/水の上にて歌えるD. 774;鱒D. 550;野ばらD. 257;ミューズの子D. 764

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※11月25日横浜でのアンコール
ホアキン・ニン(Nin)/(曲名不明。クリスマスにちなんだ民族色豊かな歌。「アンダルシアのビリャンシーコ」?)
ホアキン・ニン/(曲名不明。クリスマスにちなんだ静かな歌)
シューベルト/幸福D433

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●リサイタルB 共演:ルドルフ・ヤンセン(P)

ハイドン(Haydn)/人魚の歌
モーツァルト(Mozart)/わたしの慰めよK. 391
シューベルト(Schubert)/愛の言葉D. 410
ブラームス(Brahms)/野に独りいてOp. 86-2;甲斐なきセレナードOp. 84-4

メンデルスゾーン(Mendelssohn)/夜の歌Op. 71-6
ヴォルフ(Wolf)/世をのがれて
シューマン(Schumann)/言づてOp. 77-5
R.シュトラウス(Strauss)/たそがれの夢Op. 29-1
マルクス(Marx)/ノクターン
R.シュトラウス/あらしの日Op. 69-5

~休憩~

グノー(Gounod)/おいで、芝生は緑
フォーレ(Fauré)/忍び音にOp. 58-2
カプレ(Caplet)/からすときつね
プーランク(Poulenc)/飛んでいる
デュパルク(Duparc)/嘆きの歌;ミニョンのロマンス

カントルーブ(Canteloube)/オ・ウプ!
レディ・ジョン・スコット(Lady John Scott)/想い馳せよ、わが上に
オブラドルス(Obradors)/いちばん細い髪の毛で
トスティ(Tosti)/セレナード

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●リサイタルC 共演:ルドルフ・ヤンセン(P)

シューマン(Schumann)/献呈Op. 25-1;はすの花Op. 25-7;くるみの木Op. 25-3

シューマン/歌曲集「女の愛と生涯」Op. 42(あの方にお会いして以来/あの方はすべての男性の中で一番すばらしい方/分からないわ、信じられないわ/私の指に光る指環よ/手伝って頂戴、妹たち/やさしい友よ、あなたは不思議そうに/私の心に、私の胸に抱かれた/いまあなたは私にはじめて苦しみをお与えになりました)

~休憩~

サティ(Satie)/優しく(ピアノ・ソロ);お前が欲しい
アーン(Hahn)/友情
プーランク(Poulenc)/愛の小径
サティ/ランピールの歌姫
コスマ(Kosma)/枯葉

ジョビン(Jobim)/イパネマの娘
ジーツィンスキ(Sieczynski)/わが夢の町ウィーン
ガーシュウィン(Gershwin)/私の彼氏;プレリュード第1番(ピアノ・ソロ)
エリントン(Ellington)/ソフィスティケイテッド・レディ
ガーシュウィン/ミルウォーキーのいとこ

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アーメリング8回目の来日公演は3種類のリサイタルである。私は初日の横浜公演で彼女の実演にはじめて接することが出来た。1984年録音の「フランス歌曲集」のジャケット写真と同じ衣装で現れた実物のアーメリングは小柄な女性だったが、ステージマナーは気取ったところがなく、親しみやすい雰囲気に満ちていた。録音で感じていたそのままの人がステージに立っていたという感じだ。実際の彼女の声はやはり美しかった。彼女の生の声に触れられた喜びでいっぱいだったことをいまだに覚えている。この時(リサイタルA)は前半にシューマンの「ミルテ」から3曲と歌曲集「女の愛と生涯」全曲、後半はシューベルトの有名な作品の中に若干のあまり知られていない曲を織り交ぜたプログラムであった。シューマンの「献呈」、シューベルトの「アマーリア」「おとめ」「野ばら」は日本公演では初披露だった(録音はされている)。横浜公演のアンコールでは1ヶ月後がクリスマスということで、ホアキン・ニンのクリスマス歌曲2曲が歌われた。

リサイタルBは独仏英伊西の歌の花束である。サントリーホールでただ1回披露されただけだが、今にして思えば聴いておけば良かったと後悔するほどの興味を引かれる内容である。前半は特定の作曲家の歌曲集として録音されたもの、後半はオムニバス盤から選ばれたものが多いようだ。マルクスの「ノクターン」、R.シュトラウスの「あらしの日」、デュパルクの「嘆きの歌」は彼女の録音で聴くことが出来ないレパートリーである(有名な「あらしの日」は前回1985年の公演でも歌っている)。

リサイタルCは前半のシューマンはAプロと同じで、後半は前回の来日公演でも披露したポピュラーソングと、それに合ったクラシック歌曲の混成プロで、今回の公演のメインプログラムのようだ。このプログラムのサントリーホールでのコンサートはNHKで放送されたが、アーメリングは曲と曲の間で軽妙な英語の解説を加え、詩の内容を簡単に説明してから歌うという形をとっていた(プログラム冊子でも、ポピュラーソングは「歌詞の掲載の必要がありません」という彼女の意思により掲載されていなかった)。彼女はあるインタビューで、ポピュラーソングを歌うと、声が衰えたからポピュラーソングしか歌えないとか、否定的なことをしばしば言われたと述懐しているが、前半をクラシック歌曲、後半をポピュラーソングというプログラムを組むことにより、そうでないことを実証しようとしたのだろう。彼女のポピュラーソングへの関心は、以前の記事でも書いた通り、経歴のごく初期から続いているのである。Cプロの中ではピアノ・ソロの2曲を除くと「わが夢の町ウィーン」以外はすべて彼女の録音で聴くことが出来るものばかりである。「馴染みの町でしか演奏しない」というポピュラーソングを今回は4箇所ものホールで披露したことになる。ちなみにサントリーホール公演のアンコールは「バイ・シュトラウス」(ガーシュウィン)、「カステラーノ」「アンダルシア」(以上ニン)、「鱒」(シューベルト)だった。

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ブリギッテ・ファスベンダー

BRIGITTE FASSBAENDER Lieder Vol. 1

EMI CLASSICS:7243 5 85303 2 2

Karl Engel(P);Erik Werba(P);Irwin Gage(P)

シューマン/ジプシーの歌ⅠOp. 79-7;ジプシーの歌ⅡOp. 79-8(エンゲル:P)

リスト(ダルベール編)/3人のジプシーS. 320(エンゲル:P)

チャイコフスキー/ジプシーの歌Op. 60-7(エンゲル:P)

ドヴォジャーク/「ジプシーのメロディー」Op. 55(全7曲)(エンゲル:P)

ブラームス/「ジプシーの歌」Op. 103(全8曲)(エンゲル:P)

ブラームス/テレーゼOp. 86-1;静かな夜に;あの下の谷底に;鍛冶屋Op. 19-4;もうあなたの許に行くまいOp. 32-2;死、それは涼しい夜Op. 96-1;荒野を越えてOp. 86-4;墓地でOp. 105-4;ナイティンゲールに寄せてOp. 46-4;郷愁Ⅱ「おお戻る道が分かればいいのだが」Op. 63-8(ヴェルバ:P)

リスト/おお!夢に来ませS. 282;マルリングの鐘S. 328;昔、トゥーレに王がいたS. 278(ゲイジ:P)

Fassbaender_lieder_vol_1

ブリギッテ・ファスベンダー(Brigitte Fassbaender:1939年7月3日Berlin生まれ)が演奏活動を退いてからすでに久しいが、彼女は現役最後の数年間、特にリートの録音、コンサートを活発に行った。私が彼女の実演を聴いたのはこれまでで一度だけ出かけたことのある海外においてであった。フェルトキルヒ(Feldkirch:現地の列車のアナウンスでは「フェルトキルフ」のように聞こえた)のシューベルティアーデという一連のシューベルトを中心としたコンサートシリーズで、ツィーザク、バンゼ、プレガルディエン、ベーア、トレーケル(ゲルネの代役)たちとのシューベルト重唱曲の夕べで、ピアニストはヤンセンとヴォルフラム・リーガーだった。ズボン役で有名なファスベンダーは予想外に小柄だったが、実際に聴いて際立っていたのがその声量の豊かさだった。ベーアと二重唱を歌った時もベーアが気の毒になるくらい、ファスベンダーの声は朗々と響き渡っていた。その1度きりの実演以外は彼女の演奏を録音で聴くしかなかったのだが(来日公演は聴き逃してしまった)、録音で聴く限り、彼女の演奏の特徴はそのおおらかな表現にあるように感じていた。あまり細かい解釈にこだわらずに、彼女の気分のおもむくままにという印象があり、良く言えば作為がなくとても自然、でも時に粗雑に感じることも否定できなかった。もちろん彼女とて事前の準備を万端に行っているのだろうが、まとまりよりは解放を感じさせるものがあった。声の質は粘りがあり、他のどのメゾソプラノ歌手とも違ったユニークな声である。そんな彼女のごく初期の録音が数年前にCDで復活している。それが最初に記したジプシーにちなんだ歌曲集である。これ以上ないぐらい絶妙なカール・エンゲルのピアノと共に彼女の演奏のベストの一つかもしれない。後年に比べるとむしろきっちりと作品に寄り添っていながら、彼女の持ち味である野性味あふれる声と表現がまさにこれらの曲の情熱と悲哀を映し出していた。冒頭のシューマンの2つのジプシーの歌など、こんなに小さな曲から深い哀感を滲ませていた。彼女特有の粘りのある声は人の情感の機微を味わい深く歌い上げるのである。

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アーメリング日本公演曲目1985年

第6回来日:1985年

Ameling_1985_japan11月19日(火)19:00 毎日ホール(大阪)(プログラムB)
11月21日(木)18:30 武蔵野市民文化会館(プログラムC)
11月22日(金)18:30 東京文化会館(プログラムA)
11月24日(日)19:00 京都府立文化芸術会館(プログラムA)
11月26日(火)18:45 聖徳学園川並記念講堂(千葉)(プログラムA)
11月29日(金)19:00 昭和女子大学人見記念講堂(東京)(プログラムB)

エリー・アメリング(Elly Ameling)(S)
ルドルフ・ヤンセン(Rudolf Jansen)(P)
佐藤豊彦(Toyohiko Satoh)(Lute)

●プログラムA 共演:ルドルフ・ヤンセン(P);佐藤豊彦(Lute:ダウランド、ホイヘンス、パーセル)

ダウランド(Dowland)/もう泣くな、悲しき泉(Weep you no more, sad fountains)
ホイヘンス(Huygens)/甘き死(Morte dolce);窓辺にかくれた乙女(Riposta dalla finestra)
パーセル(Purcell)/しばしの間の音楽(Music for a while);男は女のために(Man is for the woman made)

ブラームス(Brahms)/おお帰り道が分るならOp. 63-8;セレナーデOp. 106-1;あなたの青い目Op. 59-8;ぼくらはそぞろ歩いたOp. 96-2;少女は語るOp. 107-3;なまぬるい大気はOp. 57-8

~休憩~

ヴォルフ(Wolf)/ミニョンⅠ「語れとはいわないで」(Mignon I: Heiß mich nicht reden);ミニョンⅡ「ただあこがれを知る人だけが」(Mignon II: Nur wer die Sehnsucht kennt);ミニョンⅢ「この姿のままで」(Mignon III: So laßt mich scheinen);フィリーネ「悲しそうに歌わないで」(Philine: Singet nicht in Trauertönen);ミニョン「あの国をご存じでしょうか(君よ知るや南の国)」(Mignon: Kennst du das Land)

R.シュトラウス(Strauss)/母親の自慢話Op. 43-2;たそがれの中を行く夢Op. 29-1;恋人よ、さようならOp. 21-3;あらしの日Op. 69-5

●プログラムB 共演:ルドルフ・ヤンセン(P)

シューベルト(Schubert)/夕映えのなかでD. 799;愛らしい星D. 861;星D. 939;月に寄せてD. 296;夕べの情景D. 650

シューベルト/緑の中での歌D. 917;茂みD. 646;子守歌D. 867;セレナードD. 889

~休憩~

シューベルト/妹の挨拶D. 762;少女の嘆きD. 191;さすらい人の夜の歌D. 224;グレートヒェンの祈りD. 564;糸を紡ぐグレートヒェンD. 118

シューベルト/君こそは憩いD. 776;笑いと涙D. 777;美も愛もここにいたことをD. 775;私の挨拶をD. 741

●プログラムC 共演:ルドルフ・ヤンセン(P)

サティ(Satie)/あなたが好き(Je te veux)
作曲者不詳(Anoniem)/ママ、教えて(Maman, dites-moi)
アーン(Hahn)/人生は美しい(La vie est belle);友情(L'Amitié)
プーランク(Poulenc)/愛の小径(Les chemins de l'amour)
サティ/ランピールの歌姫(La diva de l'Empire)
アーン/最後のワルツ(La dernière valse)
コスマ(Kosma)/枯葉(Les feuilles mortes)
作曲者不詳(Anoniem)/オランダ民謡(Dutch Folksong)

~休憩~

シマグリア(Cimaglia)/ブエノスアイレスの霧(La Niebla Porteña)
ジョビム(Jobim)/イパネマの娘(Garôta de Ipanema)
シェーンベルク(Schönberg)/ギゲールレッテ(Gigerlette)
ジーツィンスキ(Sieczynski)/わが夢の町ウィーン(Wien, du Stadt meiner Träume)
ガーシュウィン(Gershwin)/シュトラウス讃歌(By Strauss);私の彼氏(The man I love);プレリュード第1番(Prelude nr. 1)(ピアノソロ)
エリントン(Ellington)/ソフィスティケイテッド・レディ(Sophisticated Lady)
ガーシュウィン/ミルウォーキーのいとこ(My cousin in Milwaukee)

(上記の日本語表記はすべてプログラム冊子の記載に従いました)

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アーメリング(Elly Ameling)6度目の来日公演では、はじめてルドルフ・ヤンセン(Rudolf Jansen:1940年生まれ)を迎えて3種類のプログラムを披露した。リサイタルAでは世界的なリュート奏者の佐藤豊彦(Toyohiko Satoh)との共演でまずダウランド、ホイヘンス、パーセルの歌曲が歌われている。この中ではパーセルの「男は女のために」以外はいずれも録音されている。ホイヘンスの2曲は歌曲集「聖と俗のパトディア(Pathodia Sacra et Profana)」に含まれる曲で、この歌曲集全曲をアーメリングはマックス・ファン・エグモント、佐藤豊彦らとかつてEMIに録音している。前半の締めはヤンセンとのブラームス6曲。後半はヴォルフのミニョンとフィリーネ歌曲(「ゲーテ歌曲集」より)、最後はR.シュトラウスの歌曲4曲である。ヴォルフはすべて1981年に録音されている(Etcetera / Globe)が、R.シュトラウスは「たそがれの中を行く夢」以外の3曲は結局スタジオ録音されることはなかった(その後、2008年にオランダでこの3曲を含む放送録音がリリースされた)。

リサイタルBは4回目の来日以来のオール・シューベルトである。今回の選曲はこれまでと少々異なり、円熟期を迎えた彼女の表現を聴かせるのにふさわしい奥行きの深いレパーリーが披露されているのが興味深い。前半が夕方、夜から、途中に自然の歌をはさみ、眠りの歌、朝のセレナーデという流れで時間の進行に沿って配置されているのが目を惹く。休憩後は娘の歌2曲(「妹の挨拶」は霊となった女性の歌だが)から、静謐なさすらい人の歌をはさみ、グレートヒェンの歌2曲と続き、最後はリュッケルトの詩による4曲で締めくくられる。後半の最初と最後が挨拶の歌になっているのも細部と全体の両方に目を配ったアーメリングの知的な構成といえるだろう。リュッケルトによる「美も愛もここにいたことを(Daß sie hier gewesen)」のみ録音が残されなかった。

プログラムCは彼女にとって日本ではじめてポピュラーソングとクラシックの肩肘はらない混合プログラムとなった。このようなコンサートは彼女の馴染みの町でのみ行うというようなことをどこかで言っていたような記憶がある。この時は、今も意欲的な自主公演を続けている武蔵野市民文化会館が会場に選ばれている。彼女は1982年、1984年と「アフターアワーズ」というポピュラー系の録音をしているが、これはレコード会社の奇抜な企画というわけではなく、1972年のオランダ音楽祭でもすでにジャズ・ピアニストのルイス・ファン・ダイクと共に披露しているし、1969年にも「私の彼氏」の録音を残している。サティも「枯葉」も「イパネマの娘」もガーシュウィンも彼女にとっては垣根のない歌なのであろう。この中では「ママ、教えて」と「わが夢の町ウィーン」だけが録音されていない。なお、ガーシュウィンのプレリュード第1番はヤンセンのソロ演奏である。

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