フォレ(フォーレ)に寄せて
最近、廉価盤で知られるブリリアント・クラシックからEMIのフォレ(Gabriel Fauré)全集が再発売された(なお、一般的には「フォーレ」と表記されるが、フランス語では途中の音節が伸びることはないと文法書にも書いてあるので、あえて「フォレ」と表記します。テレビでピアノレッスンを受け持っているミッシェル・ベロフも伸ばしていなかったし)。私はEMIでCD化された時に購入したので、今回は買わなかったが、2000円ぐらいでフォレの全歌曲を、アーメリング&スゼー&ボールドウィンという最高のフォレ演奏家たちの名演で聴けるのだからこれはお買い得だと思う。この全集、ネクトゥーによる作曲年代順に収められているので、フォレの作曲の歩みを体感出来るという意味でも意義深い録音である。細やかな表情と若く張りのある美声でフォレの音に見事に寄り添うアーメリング、ネイティヴの美しい発音で甘さと力強さの両方を合わせもつ表現を存分に聴かせるベテランのスゼー、いずれも最上級の演奏だが、最近じっくり聴き返してみて、この全集の本当の素晴らしさはピアノがボールドウィンであるということではないかと思えてきた。一見、彼のピアノは歌にぴったり寄り添う控えめな伴奏に聴こえかねないし、私も十代の頃はボールドウィンのピアノにもっと音の魅力が欲しいなどと分かったようなことを思っていたものだが、今になってじっくり聴いてみて驚いた。フォレが楽譜に書き込んだことが全くありのまま過不足なく音になり、再現されているのである。しっかりとくまどられた枠組みと、和声の中の各音の位置づけが全く見事に処理されて、テンポ、ダイナミクス、粒の揃ったタッチも素晴らしい。もちろん歌との隙は全くない。簡素な音の中から充分な主張が聴こえてくる。これ以上何を望めるのだろうか。
フォレの歌曲、はじめは初期の作品ばかり好んで聴いていたが、それらはメロディmélodieと呼ばれる前のロマンスromance(グノーの歌曲など)に近いものだろう。最近、ようやく中期から後期にかけての渋く、とっつきやすいとは言えない作品が親しいものになってきた。「幻影Op.113」やパンゼラに捧げられた「幻想の水平線Op.118」は何度も繰り返し聴きこむことによってやっと心を開いてくれる作品に思える。旋律やピアノの美しさを期待していたらこれらの曲の価値を理解できないだろう。
Hyperionからも4枚の独立したCDでフォレの全歌曲が録音された。シューベルト、シューマンやフランス歌曲の多くの全集も手がけるグレイアム・ジョンソン(Graham Johnson)のピアノと、イギリス人を中心とした新旧の優れた歌手たちの演奏である。1枚ごとにコンサートを聴くようにプログラムがまとめられている。フェリシティ・ロット(Felicity Lott)が余裕のある表現力で「月の光」や「ヴェネツィア歌曲集」を聴かせ、スティーヴン・ヴァーコー(Stephen Varcoe)はフランス歌曲も達者にこなすところを示している。フランス人のジャン=ポール・フシェクール(Jean-Paul Fouchécourt)も参加している。ジョンソンの軽いタッチと音色はドイツリート以上にこのフォレ歌曲のようなフランスものに向いているのではないか。
往年の名バリトンのカミーユ・モラーヌ(Camille Maurane)のフォレ歌曲集を最近購入した。ピアノは作曲家でもあるピエール・マイヤール=ヴェルジェ(Pierre Maillard-Verger)である。モラーヌの声はバリトンといってもとても澄んで爽やかな響きをもっている。これほど透明感を感じさせるバリトンも珍しいだろう。このCDを聴いて強く感じたのが、鼻母音の美しさである。まったく見事なまでに鼻に響かせているのである。それから深刻な歌を歌ってもどこか軽さ(いい意味で)がある。あたかもシャンソン歌手が歌っているかのように決してもたつかず、重くならず、それでいて聴く者を魅了する歌、なかなか似たタイプが見当たらないような個性の持ち主と感じた。最後に歌われる「とてもやさしい道(Le plus doux chemin)」はこれまで地味でとっつきにくい曲だったが、彼のこの歌で魅力を感じることが出来た。マイヤール=ヴェルジェのピアノは作曲家ということもあるのか、バス音を重視する土台のしっかりした演奏という印象を持った。
スイスのテノール、ユーグ・キュエノー(Hugues Cuenod)がマルティン・イセップ(Martin Isepp)とNimbusに録音したフォレの歌曲は初期から後期まで万遍なく36曲収録されており、「ヴェネツィアの5つの歌(Cinq mélodies 'de Venise')」「優れた歌(La bonne Chanson)」「幻影(Mirages)」「幻想の水平線(L'horizon chimérique)」といった重要な4つの歌曲集も含まれている。来月26日には104歳の誕生日を迎えるキュエノーだが、このフォレを録音したのもちょうど70歳の時であり、その声だけでなく、技術も70歳とは思えないしっかりした歌である。崩れが殆どないのがまずすごい。どの曲もしっかり歌いきっているうえに、表現にも凛とした風格が漂い、まさに名人芸である。余程自己管理がしっかりしていたのだろう。それからヴィーン出身のピアニスト、イセップが本当に素晴らしかった。ジャネット・ベイカーの共演者としてぐらいしか聴いたことがなかったのだが、その紡ぎ出す音の美しさはなかなか聴けないほど魅力的だった。名人芸を聴かせる歌に、美しいピアノの響きが混ざり、フォレの歌曲がいつになく高貴に響いていた。
五月、愛の夢、漁師の歌、水のほとりで、「ある一日の歌」、ネル、秋、ゆりかご、私たちの愛、歌の精、捨てられた花、イスファハンの薔薇、月の光、涙、スプリーン、マンドリン、ひそやかに、牢獄、夕べ、水の上をゆく花、…好きな曲を挙げていたらきりがない。フォレ歌曲の素晴らしい案内書をご紹介したい。河本喜介(かわもとよしすけ)著の「フォーレとその歌曲」という本が音楽之友社から出ている。残念ながら著者はすでに亡くなられているが、フランスで認められ、フランスや日本国内でフランス歌曲の歌い手として精力的に活動された方である。フォレの歌曲をほぼ年代順に解釈から演奏のヒントまで論じ、各曲を聴くうえでの最高のお供になると思う。彼の録音は出ていないものだろうか。
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